137.或る知り合いの女性と話をしていると、普段の大人し気な印象に反して「クルマが好きだ」ということを初めて知った。
なんとF1観戦に国内のサーキットまで行ったこともあるという。
まさかと思い聞いた。「じゃあ『ワイルド・スピード』っていう映画も好きなんじゃない?」
彼女は「大好きだ」と即答し、シリーズ全作観ていると言った。
僕自身が自身の趣向を人生における最優先事項に考えているので、他人が何かしらを「好きだ」とテンションを上げて表現する様を見ると、自分がそのこと自体に対してそれ程興味の無いことであっても、涙が出る程嬉しくなる。
ちょうどシリーズ最終作が公開されており、ことのほか評価が高いようで気になっていたこともあったが、ふと触れた他人の「趣向」に大いに影響されて、その帰り道に寄ったTSUTAYAで即座にシリーズ第一作目の今作をレンタルした。
充分すぎる程に想定していたことで、「大好きだ」と言った女性も断言していたことだが、観終わった後には見事に“何も”残らない。
本当に何か映画を観たのかと疑心を覚える程に、頭の中がすっきりと空っぽになっていることに気づいた。
賢明な映画ファンなら即座に納得するだろうが、それはこの映画の存在性に対する「正解」である。
観賞後に何か思いを巡らせる必要など微塵も持ち合わせていない。映画を観ているその瞬間だけ楽しんでいられれば良い。それ以上もそれ以下も、この映画は求めていない。
こりゃあもうシリーズ全作観て、公開中の最新作まで突っ走ってみるしか無い。
ただ一つ注意すべきは、観賞後の「安全運転」、ただそれだけ。