21.《ネタバレ》 宮崎駿という監督をそれほど高くは評価していなかったが、鳥肌が立つほど宮崎駿の恐ろしさを味わった。
本作を作ることができるのは、恐らく世界を探しても宮崎駿一人しかいないだろう。
ひょっとしたら子どもには作れるかもしれないが、大人には作れない映画だ。
何かを悟ってしまったかのような境地だ。
CGアニメが精緻にリアルに描かれた西洋の油絵ならば、手書きのアニメは日本の水墨画のような仕上がりだ。
CGアニメは画面から得られる情報しか与えてくれないが、手書きのアニメはシンプルではあるが、見たものの想像を駆り立てるチカラを持っている。
西洋の美術は全てを描こうとするが、日本の美術は全てを描くことをあえて止めて、「余白」を上手く利用して、見たものに奥行きを与えている。
どちらが優れており、どちらが劣っているという問題ではないが、本作は非常に日本的な味わいが感じられる作品に仕上がっている。
手書きスタイルだけではなく、ストーリーにおいてもこの「余白」的な仕上がりを感じられる。余計なストーリーを一切廃しており、恐ろしいほどのシンプルさが逆に凄みを感じる。余計なストーリーがないというよりも、ストーリーらしきストーリーも存在しないが、それでも全く飽きることがない。
そういう映画を作ることははっきり言って難しいと思う。
映画に毒されている人ならば、ソウスケとポニョを引き離そうとする父フジモトの悪だくみを描いたり、ポニョを人間にするためにソウスケに試練を与えようとするだろう。
そういったことをあえて描こうとしていないのが恐ろしい。
この描き方は、観た者の想像力を喚起させるのではないか。
本作に描かれているのは、ソウスケがポニョを想う気持ち一つだけだ。
宮崎駿は鑑賞してくれた子ども達に特別なことは必要ない、気持ち一つで十分とでも言っているのだろうか。
また、誰も死なない、誰も傷つかない(ソウスケがガラスで指を切ったのは除外)、人間の悪意がほとんど描かれていない(ゴミで汚れた海は描かれているが)、優しさに満ち溢れた映画である。
これほど澄んだ映画が、他にはあっただろうか。心が洗われる想いがした。
子どものために、子ども目線で作られている映画であり、宮崎駿はストーリーよりも何か別のものを重視したのかもしれない。