27.《ネタバレ》 まさに“傑作”だ。
見事に“生と死”が描き込まれている。
このような難しいテーマを肩肘張らずに、平然かつ軽妙にやってのけてしまうことに、イーストウッドの恐ろしさを感じる。
ベテランの卓越した味というよりも、何かを悟ってしまったかのような境地に到達してしまったのではないか。
「生きるとは何か、死ぬとは何か」ということをイーストウッドは我々に教えてくれたばかりではなくて、「“男”とは何か」ということまでもが描かれている。
タオや神父同様に、半人前だった自分が本作を見ることでちょっとだけ一人前の“男”に近づいたような気がした。
本作風にいえば、イーストウッドに対して“とんでもねえ、ジジイだ”と最大の賛辞を与えたいところだ。
「チェンジリング」の際にも触れたが、イーストウッドのことはそれほど好きではなかった。
本作を見るのがこれほど遅くなったのも、強いて見たいとは思わなかったからだ。
イーストウッドの作品は、どれもこれも素晴らしい映画だとは思うが、自分にはその良さが素直には理解できなかった。
何度か見れば良さは徐々に分かってくるが、初見では何も感じられないことが多く、苦手としている超一流監督の一人だった。
自分が変わったのか、イーストウッドが変わったのかは分からないが、「チェンジリング」のときから、彼の素晴らしさがだんだんと分かるようになってきた。
他のレビュワーも語っているが、恐らくイーストウッドが変わったのではないか。
本作は「許されざる者」と“対”になるような作品と思われる。
完全には覚えいていないが、似たような展開のような気がする。
しかし、“結末”が大きく異なっている。
“年齢”や“時代”とともに彼は変わっていったのではないか。
イーストウッドだけではなくて、本作のコワルスキーも徐々に変わっていったことがよく分かる。
蔑視していた隣人や青二才の神父を受け入れるようになっていった。
誰もが変わることができる。
コワルスキーはあのチンピラギャングたちでさえも変わることができると思ったのかもしれない。
もちろん、我々も「イーストウッドが教えてくれたような男」に変わることができるのではないだろうか。