65.《ネタバレ》 この映画「チャイナタウン」は、レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドへのオマージュを込めたハードボイルド探偵映画の傑作だと思います。
この映画「チャイナタウン」の舞台となっている1930年代のロサンゼルスは、アメリカ社会が東海岸から西海岸へと発展の波を広げて行った時期に、太平洋岸最大の近代都市を形成しつつありました。
だが、そうした急速な膨張の反面には、かなりの無理がまかり通って来るもので、当然の事ながら、そこには不当な利権や醜い政治的な裏取引が蔓延して来ます。
この映画は、そのような時代背景の中に、それぞれの数奇で不条理な宿命とでも言うべき運命を背負って、哀しみの中で生きる人間たちの苦悩、葛藤をスリリングに、尚且つドラマティックに描いています。
レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドという二人のハードボイルド・ミステリー作家へのオマージュを込めて、しかも、ロバート・タウンのオリジナル脚本によって、それまでのどの映画よりも1930年代のロサンゼルスのハードボイルド探偵映画らしく映画化されていて、複雑で錯綜する話の内容をハードボイルド的なサスペンスでたたきこんでゆくので、一時たりとも画面から目が離せません。
ストーリーや当時の風俗やしぐさが、それらしいだけではなく、この映画製作に携わった人々は、"ハードボイルド的世界の精神"をきちんとつかんでいるし、主役の過去を秘めた虚無的な私立探偵ギテスを演じるジャック・ニコルソンの"シニシズムと人間臭さ"がまた映画好き、探偵小説好きにはたまらない魅力があります。
この映画は、1930年代のロサンゼルスの陽光きらめく太陽の底に淀む、退廃的なムードと虚無感に満ちた、陰湿な世界が展開されていますが、脚本のロバート・タウンは、そのレイモンド・チャンドラー的ハードボイルドの世界を見事に再構築していると思います。
監督は「戦場のピアニスト」、「ローズマリーの赤ちゃん」の名匠ロマン・ポランスキーで、彼は1933年生まれのポーランド系ユダヤ人で、第二次世界大戦中にその子供時代を過ごし、母親をナチスの強制収容所で失うという、悲惨で哀しいトラウマを抱えた過去を持っています。
この映画のラストの30分の思いがけない意表を衝く結末については、これは有名な話ですが、監督のポランスキーと脚本のロバート・タウンで意見が分かれ、ポランスキーの主張する不幸な結末でなければ、この映画のテーマが台無しになってしまうという意見が通り、この結末になったそうですが、やはりラストはこの結末以外には考えられません。
警察も手が出せない政財界の大物であるクロス(ジョン・ヒューストン)が、「時と所を得れば人間は何でも出来るのだよ」という神をも恐れぬセリフは、ポランスキー監督の人間不信の言葉でもあるような気がします。
このクロスを「マルタの鷹」等のハードボイルド映画の監督でもあるジョン・ヒューストンが、実に憎々しげでアクの強い人間像を演じて見事です。
そして、クロスの娘であり、また女でもあるという"複雑で哀しい宿命を背負い、妖気と虚無的で退廃感の漂う"人妻イブリンを演じるのが、フェイ・ダナウェイで、彼女が十字架として背負う哀しい宿命は、彼女の左の緑の瞳の中の小さな黒点として象徴されています。
彼女の瞳の中にその黒点を認めた時、共に暗く哀しい過去を持つギテスとイブリンは、宿命の糸で結ばれます。
しかし、その愛はほんの束の間で、急速に回転し出した運命の歯車は、一気にカタストロフィへ突き進んで行きます。
車でロサンゼルスから逃れ去ろうとするイブリンを背後から撃った警官の銃弾が撃ち抜いたのは、彼女の左目である事を我々観る者は見落としてはいけないと思います。
映画の題名である"チャイナタウン"が、この映画の舞台になるのは、この最後の10分程の短いラスト・シークェンスにすぎませんが、なぜ、このチャイナタウンを映画の題名にしたのかという事を考えると、"チャイナタウン"は、アメリカの街の中の異境であり、迷路のようなこの街の中に、ポランスキー監督は、ポーランドでのゲットーと同じ安らぎを見出し、併せて、自分の妻のおぞましい惨劇を引き起こしたアメリカへの批判をしているとしか思えてなりません。
紙屑が舞い、野次馬が去って行く薄汚いチャイナタウンの夜のシーンは、哀しさと怒りを込めた、静かな中にも深く、優しさに溢れた名ラストシーンだと思います。