109.《ネタバレ》 人を愛し愛されたいと言う誰もが抱く感情を、
松子は人一倍強く持ち、大切にし、それに従うまま生き抜いた。
何度騙され裏切られても、彼女は愛する事を決して止めず、
転んでも決してタダでは起きず、どん底からでも這い上がっていった。
それでも人間とは弱く儚い生き物。
かつては愛に生き抜き、どんな逆境や不幸のどん底でも笑顔を絶やさなかった彼女が、
最後の数年はその影など跡形も無く、絶望の果ての諦めに佇んでいた。
しかし、彼女の死に際の行為は、かつての教師たる影を匂わせる。
「未来を担う前途ある若者たちに、自らのように道を踏み外して欲しくない」
「一寸先は闇。 だからこそ、時間を無駄にせず懸命に生きて欲しい」
これも彼女なりの一つの愛であったように、私には感じられた。
そんな彼女の人生の最期は、何とも呆気無い、何とも悲しい幕引き。
あまりにも救われない人生の結末と現代社会のリアルさを見せられ、
それまでのミュージカル調に明るく鮮やかな色彩が、一瞬にして闇に落ちる。
愛とは、正義とは、誠実さとは、いったい何なのだろうか。
彼女の人生を「無意味、空っぽ、下らない人生だ」と哂う人もいるかもしれない。
しかし、本当に彼女を哂えるだろうか。
幼少の頃に父親の愛情を切望していた彼女が原点だとして、それ以降も
愛を求め続けたのは、ただ単に淋しさや愛に飢えていたからではないと思う。
彼女は、ただ自分に微笑んでくれる温かさが欲しかっただけなのではないだろうか。
愛する人たちの笑顔を見れれば、彼女にとっては充分だったのかもしれない。
母のように温かく包み込み、少女のように可憐に純粋に愛でる彼女の愛は、
あまりにも大きく心地が良いため、その価値にすぐに気付くことが難しいのだろう。
失った後に初めて気がつく彼女の存在価値。
自分の中にかけがえの無い何かを確実に残していった、彼女の深さ。
心から愛した相手の心の中に自分の存在を残し、この世を巣立っていった彼女には、
それが何よりの幸せの証なのかもしれない。
鑑賞中、そんな彼女の幸せをどんどん切望している自分に気がついた。
そして終盤、なぜか涙が止まらなかった。
その後の清々しい気持ちは今でも覚えている。
「曲げてのばして」の歌が、今でもたまに私の頭の中で流れる時がある。
私の心に粋な残り方をしてくれたこの映画に、感謝の意を述べたい。