186.《ネタバレ》 ハートフルストーリが次第にシリアスなり、いったいどんな落ちが待っているのか期待しながら観ていると、爺さんが命と引き換えに事件を解決...
そう来たかーといった感じでした。やっぱり、クリントイーストウッドの映画と覚悟して観るべきでした。
ファーストインプレッションは、
古き良きアメリカの強さと正義を愛し、現代の軟弱アメリカ人どもを
憂う爺さんことクリントイーストウッドから若い世代への
「若者よ常に正義であれ強くあれ」といったメッセージと受け止め、いい映画のような感じがし、目頭さえ熱くなる思いでした。多分自分がアメリカの片田舎の白人だったらこの時点で感動して終わるとこなのでしょう。
しかし、同じアジア人の私としては、アジア人の同じ民族の中の争い(なおか親戚をレイプ)ってところが、どーしても引っかかって納得できなかった。
なぜアジア人同士の争いという設定なのか?
朝鮮戦争退役軍人という老人の設定との関係は何なのか?
主人公の爺さんがアジア人に殺されて死ぬ必然性はあるのか?
などと考えていくと、
この映画が、”朝鮮戦争ではアジア人同士の争いを、武器でアジア人を殺すことで救った白人老人が、
今度は、アジア人同士の争いを、アジア人に殺されて死ぬことで、武器無しで救ったという構図になっていることに気づき、
結局のところ、この映画が言いたかったことは、
朝鮮戦争と同様に、争いごとを起こすのはいつだって有色人種ということなのか?
有色人種は、親戚の女の子をレイプする鬼畜か?正義と平和を守るのは白てことなのか????
...とこの映画の印象がまったく変わってしまって、だんだん腹が立ってきました。
上記の考えは、自分が考えすぎかもしれないし、
グラン・トリノをもらった少年は喜んでいたし、少女が救われたことは良かったし、
何より、クリントイーストウッド爺さんがかっこよかったし、
もうクリントイーストウッドは出てこないらしいのであんまり悪く解釈せずに、
いいところもあったので、5点ってことにしておきます。
この映画のチンピラの設定がもし老人と同じポーランド系白人移民(さらにクリスチャン)で、
このポーランド系白人がアジア人をレイプし、無宗教の老人が体をはって救い命を落とすといったストーリーだったら、10点満点だったんですけどね。