《改行表示》6.《ネタバレ》 いや~よかった。ジョディ・フォスターの演技にすっかりやられました。 観終わってからここの投稿を見ましたが、厳しい批評が多かったことが意外でした。 個人的にはジョディ母の凶暴さは納得。だって夫が死んで間もなく、子どもがいなくなる。そして機内という密室。もう精神的にボロボロでしょう。だからといって何をやってもいい訳ではありませんが、子供のためならなんだってやる強い母親像が素晴らしく描かれていたように思えました。また、最後の展開が大好きな展開。ジョディ母が飛行機から降りてきた時に涙涙。アラブ人被害者もあの姿で怒りが収まってくれたかな。「ブレイブ ワン」よりこっちが好きでした。 【たこちゅう】さん [地上波(吹替)] 9点(2011-06-03 00:03:35) |
5.バルカン超特急のサスペンスを、タービュランスの女の強さを、エア・フォースワンのアクションを、シックス・センスの不安感を、強い強い母の愛でまとめあげた作品のように感じた。それぞれのエッセンスの相乗効果で、最後まで目の離せないスリリングな快感を味わえた。それなのに平均点のあまりの低さに、9点献上をめげそうになった私はジョディかあさんの強さを見習わなきゃ。。 【さそりタイガー】さん [地上波(吹替)] 9点(2008-04-30 20:56:30) (良:1票) |
《改行表示》4.《ネタバレ》 面白い!これは母親の物語でした。娘を見失った母親が必死になって我が子を探す。わめく、泣く、怒鳴る、威嚇する、とにかくみっともないジョディー・フォスターを意外な思いで眺めていました。しかし最後になってようやく彼女の演じた「母親」がとても母親らしかったことに気がつきました。一般的に母親というのは「いい人」ではありません。極端なことを言えば全世界が滅びようとも我が子だけは救い出そうと考えるのが母親の本能なんだと思う。だから母親は仏教の世界では餓鬼地獄に落ちると言われたりもする。ジョディーが演じた母親は、乗客たちの安全よりも、とにかく娘のことを最優先に考えていた。その自己中心的な姿に共感する人は少ないと思いますが、私はこれこそ真の母親の姿だと感じる。反対に「男」という生き物は、いつも世間体ばかり気にしてカッコつけようとする。今回のジョディーは、本能をむき出しにした母親を演じていたように思います。そこに偽善が一切ないのが好感が持てる。まわりの迷惑を一切考慮せずに停電騒ぎをおこしたり、逆ギレしてアラブ人を犯人扱いにしたり、謝りもせず、お礼もいわず、ひたすら「娘~~!!」と叫びながら鬼気迫る形相で、善人の機長に食ってかかる母親はもちろん「いい人」じゃありません。乗客全員から悪意のこもった拍手をされているシーンが特に印象的です。しかし彼女は悪びれる様子もなければ自分の行っている行動に微塵の疑いも持っていない。それは「ははおや」だからです。全世界を敵にまわしても我が子を守ろうとする強い意志を感じました。私はそこに潔さを感じる。最後に殺す必要も無い犯人を爽快にぶち殺して、さっぱりした顔で娘を抱いて出てきた母親をみたとき、私は呆れるよりもむしろ感動してしまいました。いやはや痛快です。これぞ母親!これぞジョディー・フォスター! 【花守湖】さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2007-02-12 20:56:58) (良:2票) |
3.《ネタバレ》 めちゃめちゃ面白かった~! いやあ、ホントこんな大興奮を映画で味わうのも何だか久しぶりだなあ。で、ニコニコしつつ、この部屋を覗いてみたら何と「平均点5.05」。どひゃ~。私にとってこれが最大のドンデン返しでした(笑)。ま、いいんですけどね。さてこの映画、ストーリー的には何かと「無理」がありますけども、一目瞭然の「無理」であって、当然、製作サイドにしたって百も承知の「無理」、なわけですね。そもそも、何がしかの「無理」が伴うのはミステリーの宿命(論理性を重視したエラリー・クイーンの作品だって、多かれ少なかれ「無理」がありますわなあ)。作品を面白くするための「無理」なら大歓迎!なのであります(面白くてしかもツジツマもあってればさらに良いけどね)。さて本作の何がそんなに面白かったか、というと、「崩壊の感覚」の鋭さ、ですね。我々が信じている世界、一見堅牢な世界が、根底から覆される時の不安とカタルシス。これを表現するのはミステリの得意とするところですが、本作はこの「崩壊」をこれでもかと連続的に我々にぶつけ、怒涛のようなサスペンス感覚を味わわせてくれます。まず、一緒に飛行機に乗ったはずの子供が「実は元々いなかった」という、現実の崩壊。次に、その「現実の崩壊」が実は犯人によって仕組まれた虚構であったという、第2の崩壊。さらに、主人公が犯行に気付き、「犯人による虚構」が崩れ始める、第3の崩壊。そこから一気に、主人公と犯人の対決へ。前半で丁寧に築き上げた世界が、二重三重の崩壊を経てクライマックスへ向かう時の、まさに滑り出したら止まらないような、このスピード感! 実に、映画らしい、映画ならではの“ミステリ”ではないでしょうか。本作のストーリー上の「矛盾点」は、この世界観を演出するため、必要な「無理」であるように思います。あと、最初の方で窓ガラスに指で絵を描くシーンは、ヒッチコックのアノ映画を連想させますよね。これはオマージュ?パロディ? いやいや、これも一種のミスディレクション、と言えるかも。つい、「このシーンが後の伏線になるのでは?」と思い込んでしまいましたから・・・。 【鱗歌】さん [DVD(字幕)] 9点(2006-11-07 23:15:42) (良:2票) |
《改行表示》2.《ネタバレ》 んえ!?何で?普通にハラハラドキドキ、面白かったじゃなーい。娘を探し出そうと、恥も外聞も他人の迷惑も顧みずに孤軍奮闘するジョディ・フォスターの姿には素直に感動したし、クライマックスの攻防戦は「エイリアン2」のシガニー・ウィーバーのようでした。やっぱ子を守る母はつおいのだ。「トリック」が杜撰だという意見もあるけど、んでもあんまり緻密で完璧なトリックにしちゃって、実際に真似されたら困るじゃん、ねえ?アラブ系の人の扱い方も、あれで良かったと思います。ただ、、敢えて難を言うとラスト、娘を抱えながら毅然と歩むジョディ・フォスターを周りの乗客が「すげえな」とか言いながらザワザワするというシーンになってたけど、あそこでもう一回「拍手」させればより良かったんじゃないかなあ。つまり中盤の「拍手」と全く意味合いの違う拍手を繰り返すことで、より感動的になったんじゃないかな(ただしBGMはそのままで。音楽まで感動的にしちゃうと安っぽくなるから)、とちょびっと思いました。■<おまけ>:少し前読んだ鴻上尚史のエッセイに、イラク人捕虜を虐待した容疑で処分された米軍人の妻が、処分に対する不満を訴えた、という話と、イラクで人質になった日本人の家族が日本政府に自衛隊のイラクからの撤退を求めてバッシングされた話を例に、「個人と集団(≒共同体。日本的な言い方をすれば『世間』)」という概念の、日本人とアメリカ人との違いみたいなことを論じていた。乱暴な言い方をすれば、アメリカ人は「集団」と「個人」を対等なもの、時には対立しうるものと見なすのに対し、日本人は「世間」を前にするとどうしても萎縮し、個人よりも優先させてしまいがち、という事。だからって別にアメリカ人が日本人よりも成熟した「個」を確立しているとか、日本人の方が公共意識が高いとか、そーゆー単純な話ではないんだろうけど、この映画のジョディ・フォスターの振る舞いに対して不快感を示す人が多いというのも、ひょっとするとお国柄の表れなのかな?と、思いました(もっともアメリカ人の一般的な観客がどう感じたか知らないので、比較は出来ないのだけれど)。 【ぐるぐる】さん [DVD(字幕)] 9点(2006-10-13 18:42:23) (良:4票)(笑:1票) |
1.ヒッチコック自身が「映画術」の中でも「穴だらけのシナリオ」と語っているにも拘らず『バルカン超特急』が映画として傑出している要因は、列車という舞台の活かし方であり、キャメラワークであり、サスペンスの醸成であり、という映画的手法の豊かさにある。この「映画術」は示唆に富んで非常に面白い。ストーリーを語る事を重視しつつも、ストーリーには<らしさ>や<首尾一貫性>など無くてもよいということ。辻褄合わせよりも人物の動作や画面連鎖のリズム感を大切にすること。ミステリー(謎解き)ではなくサスペンスこそ肝要であること。説明台詞への依存によって、視覚的表現を疎かにすべきでないこと。『フライトプラン』はプロットのみでなく、こういったヒッチコックの映画術自体を範としているのであり、必然的にこのフィクション映画の主眼は瑣末な犯人探しやトリックではなく、母親のドラマとしてエモーションをどう喚起するかにあることがわかる。例えば、暖色系に色調を変え半逆光の美しさを活かした最後の場面では安易に台詞を持ち込むことなく、無言の情感を演出する。仮にここで社会規範に縛られた余計な「謝罪」の台詞などが入ればそれは単なる一義的な和解でしかなくなり、両者の間にある賞賛や自尊や畏怖、その他諸々の複雑微妙な交感のニュアンスが打ち消され、何の余韻もない貧弱な場面になるはずだが、この映画はそのような愚を犯さない。絶品のラストである。そしてWASPの抱く妄想という、いわゆる9.11報道の虚構性・欺瞞性に対する鋭い批評性はもっと評価されても良い。それはジョディ・フォスター起用の意義の一つでもあるはずだ。 【ユーカラ】さん [映画館(字幕)] 9点(2006-06-05 00:13:48) |