1.シネマスコープを効果的に使った、1960年前後の史劇大作風のオープニングでケレンを
利かすかと思えば、一方では矢口史靖的な人形を使ったチープなギャグも軽妙に演出してみせる。
コメディとロマンスも程よく織り交ぜ、スペクタクル・ご当地性・スター性と
雑多ジャンルを混成したシネコン映画的な要請にも器用に沿いながら、
寄り引き巧みな視点や構図、的確なカッティング・イン・アクションといった
安定した技術を土台に、ウェルメイドを達成する。
そしてその上で、独自の演出による細部細部を立ち上げ、自分の作品としている。
そのしたたかさこそ素晴らしい。
湯けむりや炎、水面の光の反射、群衆など、不定形素材の動的細部が映画的であるのは云うまでもないが、
とりわけ浴場の松明、蝋燭の灯り、焚火、窓から入る黄昏の太陽光など、特に夜の場面の炎がことごとく見事だ。
その「燃える炎」は、阿部寛が決死の直訴をする際の秀逸な音の演出として、
そして別離のシーンでの、瞳への照り返しの演出として、
物語の進行に伴い次第に意味を帯びるものとしていくのは作家の手際だ。
雨の降る中、悄然と階段に腰掛ける阿部寛の向こうにソフトフォーカスで捉えられた上
戸彩。手前に歩み寄ってくる彼女に凡庸にピントを合わせてしまうかと思いきや、
それを自制したショットの嬉しい裏切り。
この時点では一方向的な二人の関係性を示す事に専心する、そのまっとうな矜持が光る。