1.「あらら」と、ちょっと呆気にとられるくらいにチープな映画だった。
1990年前後の“ホイチョイ・プロダクション”の映画を観ているような「軽薄感」が結局最後まで拭えなかった。
その前時代的な作品の空気感自体は、製作陣の狙い通りだったのだろうと思う。
若い男女が“都合よく”運命的な出会いをして、都合よく恋に落ちて、都合よく死別して、都合よく摩訶不思議な邂逅を果たすという浅はかな展開そのものを否定したいわけではない。
そのようにストーリーテリング的は稚拙だとしても、多くの人に愛されてやまない名作はたくさんある。
ただし、そういう映画に必要不可欠な要素は、ストーリーなんてどうでもよくなるくらいに魅力的な“キャラクター”だと思う。そして、彼らが織りなす刹那的で眩い悲喜劇に人は魅了されるものだろう。
だが、残念がら、この映画に登場するキャラクターたちには、そういった魅力が備わっていない。
人間的に嫌悪する余地すらなく、只々、“フツー”で“浅い”のだ。
都合のよいストーリー展開の中で、浅はかな若者たちが、特にエモーショナルなわでもなく感動めいたものを押し付けてくる印象を受け、終始“気持ち悪かった”。
その“気持ち悪さ”が極めて残念だった。
なぜなら、理屈ではなく、摩訶不思議で、自由闊達な、“気持ちよさ”こそが、湯浅政明というアニメーション監督の真骨頂だと思っているからだ。
「夜は短し歩けよ乙女」「夜明け告げるルーのうた」そして「DEVILMAN crybaby」と、立て続けに自由闊達なアニメーション表現で独自の世界観を構築し、圧倒的な立ち位置を確立した湯浅政明監督の最新作として大変期待したのだが、冗長なプロモーションムービーかのごとき稚拙な映画世界から最後まで脱却できなかったことは至極残念だ。