1.経済的要請から、他社に先駆けて早々と軍部と結託し
数多くの軍事教育映画・戦意高揚映画を作り上げ、
多大な利益を挙げてきた東宝撮影所。
まさに戦争とはまずもって経済行為。
局地紛争勃発の報道に際して、主人公が戦争関連株の取引に躍起になるように、
戦争とは理性的な金儲けの道具に他ならない事をこの映画はしっかりと露呈させる。
自分の身にふりかかる全面的核兵器戦はイヤだが、
自分の利益になるどこか遠くの通常兵器戦は大歓迎という、
条件付の浅ましいご都合主義的反戦論である。
61年という時代設定からして紛れもなく戦中世代であるはずの主人公の、
戦争に対する無反省と「東宝」的日和見主義。
他国の戦争を踏み台にした特需に対する認識も疚しさも一切無く、
「国民が働いたから」と自賛する欺瞞的な平和と繁栄の図。
ゆえに、大仰な伴奏音楽で露骨なまでに強調される彼の悲憤慷慨も
何一つ共感・同情を呼ばない。
ナイーブでエモーショナルな、つまりは反理性的な反戦メッセージは
退行でしかない上、随所に挿入し過ぎの戦闘描写はそれ自体、
製作側の意図に関わらずいくらでも「反・反戦」的ニュアンスを含み得てしまうことへの無自覚が明白である。
戦争自体が多義的かつ多面的ゆえ、その映像は悲惨のみならず、
悲壮美や魅惑的スペクタクル、爽快なアクション性をも併せ持つ宿命だが、
この映画の円谷特撮場面の数々がまさにそうだ。
東宝特撮技術もまた第二次大戦の中で培われてきた映像技術、
つまり戦争の恩恵なのであり、だからこそこの映画は安易な反戦には落ち着かせない。
無線交信場面のあまりに直截的で無粋なショット、字幕のタイミング、
編集、音楽処理は全くダメだと思う。