1.《ネタバレ》 『投入せよ!「あさま山荘」事件』なり、『金融腐蝕列島』なりで
監督の立ち位置は明白だし、何よりもこの製作委員会でのシネコン仕様なのだから
その批評精神の生ぬるさは推して知るべしである。
原田眞人は「彼らを狂気の存在にしたくなかった。」という。(映画パンフレット)
その為に、原作や岡本版にはある首相私邸放火の顛末などは都合よく省略した
ということか。ならばフェアではない。
あるいは松竹路線に倣った訳でもなかろうが、「家族のドラマ」を描きたかった、ともいう。
公人の、良き家庭人である一面を弁明的に盛り込めばそれは印象操作も簡単だろう。
彼らもプライベートでは実にイイ人でした。
『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2011)などと同じ、常套的な方式である。
そんな姑息なやり口で公人の戦争責任を免罪でもしようとする気かと。
後半ではドラマの流れすら阻害しているだろう。
だから上野昂志氏にも某旬報で書かれてしまうのである。「戦後七十年にして、これかよ!」と。
英語題が示すように、長く表象タブーであった昭和天皇を中心に『日本のいちばん長い日』を映画化する。
これも今回の主眼なのだろうが、
その一方で岡本版でもよく指摘された(が、実際は決してそうではない)「民衆不在」はさらに徹底している。
広島の原爆はキノコ雲のあからさまなCG画面のみ。長崎の原爆は単に台詞のみだ。
ナレーションとはいえ、お仕着せ大作のしがらみの中で学徒兵や民間人犠牲者の姿をしっかり映し出し、
大戦の犠牲者数をラストで大書して「殺される側」のこだわりを示した岡本版の目線との何という相違か。
監督がどこを向いて仕事をしているか、よくわかる。