3.《ネタバレ》 1963年にヒットした名曲「明日があるさ」は37年後の2000年にウルフルズにカバーされジョージアのCMで使われた事でリバイバルヒットしました。
で、このリバイバル時に見かけた記事に面白いものがありました。
恋する女性のあとをつけていくという歌詞を知った会社の若い女性が「やだ気持ち悪いこれストーカーじゃない」と言ったというエピソードです。
それを聞いた会社のおじさんが「青春時代の恋の美しさをストーカーとはなんだ!」と(心の中で)憤慨したという話なのですが、このエピソードは重要な意味を含んでいます。
誰かを好きなったとき、ついつい相手を目で追ったり、相手の行く先につけてみたり、何回も電話したり、そういう行動をすることはごく普通の事なのですが、しかしそれは「ストーカー行為」と紙一重であり、両者の差は、その「頻度」「程度」の差にすぎないという事です。
ですから「受け取る側がどう思うか」という要素が極めて大きいわけですが…この映画中に何回も出てくる「ストーカーじゃないの?」というシーン。そのシーンの大半は、たぶんストーカーじゃないんです。
好きだからついついしちゃってるだけなんですよね。
でも、その行為を受けている側はやっぱそれが嫌なんです。
もう電話かけてほしくないから留守電にしてるのに10回以上電話がきちゃうとか。
好きな側としては(特にこの男はクズですから空気読んだりできないので)当然やっちゃう「イタイ」行動なわけです。
それを簡単に我慢できるようであれば恋じゃないとすらいえるわけで「ダメだとわかってるのについやっちゃう」という「明日があるさ」の歌詞にもあるような純粋な恋の行動なんです。
でも、でもそれを客観的にみるととてもとてもイタイ行為なんですよね。
この映画は、イタイ登場人物たちがイタイ行動をとる姿をひたすら映す映画ですから、観ていてとてもイタイです。
笑えるという評価も聞きますが、僕は全く笑う余地はありませんでした。ただひたすら滑稽でイタイのです。
しかも誰もが「ちょっと(かなり)わかる」イタサだけに、これを観てるとほんとにいたたまれたくなっちゃうのです。
それから(これが重要なんですが)この映画は当時実際に15歳だった小野恵令奈の15歳ならではのキューティでリリカルなエロさを堪能する映画だと個人的に思ってます。
しかし!なんと小野恵令奈の15歳ならではのキューティでリリカルなエロさを堪能できるのは映画の4分の1のとこまで。
あとの4分の3は小野恵令奈の15歳ならではのキューティでリリカルなエロさが全くないのです!
当時15歳でキューティでリリカルなエロさどころか、キュ(略)小野恵令奈自体がそもそも映画に出てこないのです!
どういう事なんですか!
そんなのダメダメダメです!
という事で5点です。