21.《ネタバレ》 「どうせくだらないんだろう」と全く期待はしていなかったが、くだらなさを超越しており、意外と面白かったという印象。クドカンの妄想が自由自在に暴れまくり、サダヲがその自由さの流れに上手く乗り切っている。
二人の自由さが相乗効果を生んだといえる作品だ。
サダヲ以外では、これほど面白い作品にはならなかっただろう。
もちろん、完璧な仕上りではないが、それほど完璧に作り込む必要もないだろう。
ちょっと恥ずかしくなるような“明らかに外している”ミュージカルシーンもその自由さを象徴しているといえる。
プラスという評価はしにくいところだが、このような無謀な冒険も評価したいところ。
再登場しようとするダンサー陣に対して、「もういいよ」と帰すところも効果的に上手く利用している。
ただ、相変わらずというほどクドカン作品を鑑賞しているわけではないが、相変わらず、ラストの展開やオチの付け方が性急というか粗いというかなんというか・・・。
途中まで異常なハイテンションでふっとばすところまでは面白いが、オチをそれほど用意していないのだろうか、訳の分からないもの(踊り)でゴマカすしかない。
また、ラストでオチを付けるために強引に方向転換を図らなくてはいけないが、その流れや処理がそれほど上手くはできていない。
しかし、観客に「なんやそれ?」と思わせたいという製作者の趣旨や狙いも感じられるので、面倒くさいのでゴマカすというよりも、計算されたゴマカしと言えるかもしれない。
それほどウマさは感じないが、本作に限っては、あの処理でも仕方がないところはあるかもしれない。
感動的なオチや驚くようなオチを付けなくてはいけない作品ではないので、このオチの付け方にケチを付けるのは野暮というところか。
クドカン流の粋な“遊び”というのはこういうことをいうのかもしれない。
気になったのは、駒子の顔のバッテンの件。
駒子は舞妓を辞めたくて、顔にバッテンを付けた様な気がしたが、舞妓を辞めるというよりも、逆に舞妓以外では生きられないようになった気がする。
重要なエピソードの割には、あまりしっくりとは来るデキには仕上がっていない。
内藤と駒子の関係、駒子と鬼塚の関係を物語る上では、活きてくるネタというわけではない。
内藤と駒子の関係を強化して、駒子と鬼塚の関係が最終的には深まらないような仕上りになるようなネタにして欲しかったところ。