16.《ネタバレ》 (2002年、新宿文化シネマでの鑑賞時のレビュー)
「雨上がる」で黒澤明の遺稿となったシナリオを映画化した、小泉堯史監督の作品。
奥信濃に移り住んだ夫婦と、村の人々の生活を描いています。
舞台も地味ならキャスティングも地味(寺尾聰と樋口可南子という夫婦が主人公)。そのうえタイトルも地味という、どう考えても若者受けしない作品であり、実際私が観た上映館でも、9割以上は中年・老年層でした。
そんな、若者への媚びへつらいを拒絶したかのような作品なだけに、興行的には低調のようで、実際私が観たスクリーンも、50席足らずの極小スクリーンでした。
しかし、このまま野に埋もれてしまうのはもったいない、とてもいい作品でした。
「農村を美化しすぎている」という批判があります。確かに出てくる人みな善人ばかりで、浮世離れしているかもしれません。
しかし、それでいい、と思うんです。理想社会なのかもしれないが、こんな社会もあるよ、こんな生き方もあるよ、と提示してくれただけでもうれしい。社会の暗い面、いやらしい面を描く作品が多いなか、その対極にあるような善意溢れる作品があったってい そして、この作品には何よりの「宝」があります。「阿弥陀堂」に住むおうめ婆さんを演じた北林谷栄さんの演技が、神がかっていると表現したくなるくらい、素晴しい。91歳のおばあさんが、どうしてこうも躍動感溢れ、ユーモラスなのに情に厚いという役をこなせてしまうのか。
このおうめ婆さんの言葉である「阿弥陀堂だより」がまた素晴しい。
例えば、こんな調子。
「目先のことにとらわれるなと世間では言われていますが、春になればナス、インゲン、キュウリなど、次から次へと苗を植え、水をやり、そういうふうに目先のことばかり考えていたら知らぬ間に96歳になりました」
そんな美しい言葉を紡ぐおうめ婆さんを見るだけで、この作品を観る価値はあります。それくらい素晴しい演技です。
小手先の目新しさではなく、正統的なつくり方で良質の作品を作ることができる、こういう監督が映画を作り続けられる限り、日本映画も捨てたもんじゃない、と思います。