364.《ネタバレ》 ケン・キージーの原作を元にしたこの映画。
マザー・グースの詩とアメリカ社会の本当の自由を題材にした原作は、インディアンであるチーフが主人公だった。
しかしこの映画の場合、アメリカ社会からツマはじきにされた一人の男「マクマーフィー」が主人公として展開される。
ジャック・ニコルソンの演じるマクマーフィーは単なる「異常者」ではない。
この世の何処にでもいる、社会の常識とやらに「嫌気が差した」男だったのさ。
仕事で面倒を起こし、刑務所での労働を避けた結果、精神病棟送りとなったマクマーフィー。
とにかく彼は「我慢」を知らない。
「頭をヘコヘコさせて長生きするよりは、好き勝手やって死んだ方がマシ」という男なのだ。
ただ、我慢が足りないというだけではない。
病院の規則に縛り付けられた患者に直接話しかけ、直接触れ合う。
時にはトランプや酒を酌み交わし、バスケや釣りといったスポーツで楽しく遊んだり。
言葉で言うだけでは解らない心の交流をしていく。
「精神病」というだけで患者の人間性や自由まで否定することが「治療」なのか?
それを訴えるのがこの映画だ。
一見すると社会に拘束される事を拒むマクマーフィーは、協調性の無い非常識な男に見える。
だが、今の何でもかんでも法律でがんじがらめにして枠に中に縛り付けようとするこの世の中。
肌の色が違うというだけで蔑み、同じ言語を話さないというだけでツマはじき。
自分がそうされる立場に追い込まれた時の事など考えもしない。
そんな事が本当に正しいのか?
正しくないのか?
それを嘲笑うかのように、言葉と体で訴え続けたのかも知れない(酒に酔って逃げなかったり、気持ちは解るがいきなり首を絞めにかかるのは単なる馬鹿としが言い様が無いが)。
そんな彼にも「運命の時」が訪れる。
勝手に生きて勝手に殺される。
それを覚悟の上で主人公は生きてきたのかも知れない。
いくら肉体が健康でも、心が生きていなければ意味が無い。
世の中には死にたいのに生かされ、生きたいのに殺されるという事が多々ある。
衝撃的なラストだが、「チーフ」にはそれが解っていたのかも知れない・・・。