185.この映画に出会ったとき、私は管理社会に対して大きな疑問を感じていた時期であった。
国家であれ、企業であれ、学校であれ、管理なくして秩序は保たれない。
その必要性を理解し納得しているはずなのだが、何か合点がいかない現実が周りにあった。
企業、学校など、いろいろな組織体系の中で、正しいとされている規律が、決して社会全体から見ると正しいことではなかったりする。
ところが、多くの人々は、自分が置かれている環境でしか通用しない「正しいこと」について、問題意識すら持たない。
そんな、釈然としない実体験が、この映画の中で展開する世界にオーバーラップしたのである。
病院側の、人間性を無視した管理。患者達の、現状に甘んじる消極的な態度。
まるで、現実社会の縮図を見ているような気がした。
冷酷なまでに患者を支配するラチェッド婦長。彼女の心無い一言が、患者ビリーを自殺に追いやった。
憎むべき対象以外の何者でもない。許せるわけがない。
私もマクマーフィ同様、反旗を翻し管理側に立ち向かったことがあった。
チーフのような力強い協力者も現れたが、権力と個人の力の差は大きく、結果は敗退。
組織から排除されたのも、この映画同様である。
ロボトミーを受けずに済んだのは幸運ではあるが。
しかし、二十数年間この映画を観続けてきた今、私は他人を管理する立場にある。
組織運営の為、規則により一人一人の自由を剥奪している。
その結果、管理を厳しくすればするほど、組織の秩序が保たれることを実感している。
ラチェッド婦長こそ、管理の教科書ではないかとも思えてきている。
立場によって「正しいこと」も変わってくる、いや、もともとそんなものは無いのかもしれない。
そして、考える。きっと、秩序を優先させた最たるものは全体主義であり、人権を無視した独裁国家に行き着くのであろう。
自由ばかりを優先させ秩序が崩壊した社会は、それぞれが勝手な行動に走り、安全な生活とは程遠い無法地帯と化すに違いない。
この映画は、私達に何を伝えようとしているのだろうか。
「全体の秩序と個々の自由。二つの反比例する相関関係こそが"人間の愚かさ"の証しであり、
二つを両立させようとする努力こそが"人間の素晴らしさ"の証しである」と、語りかけているように、私は感じるのである。