170.《ネタバレ》 日本を代表する名作として名高い本作品だが、意外なことに全編ブラックユーモアで塗り固められている。
冒頭の「お役所を皮肉る小話」を紹介して滑るところや、癌の告知の前におせっかいを受けるところに始まり、ラストの新課長のせりふ「・・・土木課」に至るまで、全編ブラックユーモアのオンパレード。
ブラックユーモアだけではない。ペーソス。そして静かにたぎる情熱。意表をつく展開(がんばると思ったらいきなり葬式)など、おいしい工夫がてんこもり。
この映画、葬儀の会話が退屈と言う人がいる、もったいない話だ。
後半、単純に課長のがんばりを時系列で表現したら、薄っぺらな普通の映画に成り下がるところ。
ああやって、思い出の形で再現させることで、職場の人間関係や力関係、思考回路までもうまく表現してる。そして「ああいう環境の中で過ごしてきた「事なかれ課長」が変身したのは本当に大飛躍だったんだな」ということが改めて実感できる。
また、翌日からは日常が戻るところも、物語のリアリティを深めていて秀逸。
同時に良質のブラックユーモア。
その他に関して言えば、
音楽の使い方、、、「使わないという使い方」もうまい。
癌を知り、余命に思いをはせ、あまたの中が真っ白。それを絶対無音で表現する。
で、主人公が道を渡ろうとして目の前を横切る車にはっとする。その瞬間に都会の騒音が耳にぐわっと入ってくる。たとえば、こういう使い方。
ほかに特に印象にのこったところは、
やくざに「命が惜しかったら手を引け」と言われてニタァと力なく笑うシーン。
泣けてしょうがなかった。「命と引き換えならまさに本望」という、並々ならぬ決意が読み取れた。
ゴンドラの唄をなみだぼろぼろしながら歌うときに、瞬きひとつせずに歌ってる。
あれは何も見ていない、虚空の虚無を見つめている目。ああいう目をできる役者はなかなかいないんじゃないかな。
渡辺課長というキャラクターが、映画ではなく実在の人間のような感じがしてしょうがなかった。鬼気迫るという言葉は、この映画の志村喬のためにある言葉かもしれない。
あともうひとつだけ。
この映画は公務員をターゲットして描いた映画ではない。公務員に象徴される、誰の心にもある怠惰で無気力な心をターゲットとして描いた映画。ここをとり間違えると、この映画の評価はかなり変わっちゃうと思う。