349.《ネタバレ》 自身もユダヤ系アメリカ人であるスピルバーグは、約10年の構想を経てこの大作を撮りあげたという。
スピルバーグの映画で最も長く、最も見応えのある映画の一つだ。
ヤヌス・カミンスキーによる撮影は、カラーのパートにおいても“黒”のコントラストを失わない。
それは市川崑と宮川一夫の「おとうと」から続く“銀残し”にも精通する彼の実力が存分に発揮されているからだ。
冒頭と終盤を除いて白黒で撮られた映像。
まるでアラン・レネの「夜と霧」のようにドキュメンタリータッチでユダヤ人の悲劇を描く時もあれば、
バッハ(劇中の“モーツァルト”は間違い)の「イギリス組曲第二番のプレリュード」が虐殺と共に奏でられる胸糞の悪さと芸術的な興奮すら感じさせる“憎たらしい”場面もある。
バッハ好き発狂間違いなし。
序盤の「暗い日曜日」だって陰鬱さは無い。
朝セ●クス後のアーモン・ゲートのクソ野郎が事後処理とばかりに狙撃するシーンも最高に胸糞が悪い&悔しいけどそそられる。これほど美人のおっぱい見て素直に喜べない映画も無いよ。
居住区と元住居の対比、ありとあらゆる場所に隠す財産・人、それすら見つけ嬲り者にするナチスの黒い影。
不気味な鉄ヘルメットの行進は、虐殺を愉しむように、家畜を殺すように引き金を引くのだ。人を治すためでなく殺すために使う聴診器、閃光が語る虐殺・・・。
白黒の画面の中を駆け抜ける赤い服の少女。観客とシンドラーだけが、あの少女に気付く。
そんなドイツ兵も“ロシア戦線”は怖いらしい。冬将軍恐るべし。
列車のシーンは見る度に絶えず絶望感を拭えない。“手違い”でアウシュビッツに送られるシーンの恐怖といったら。
同胞の死体を火葬しなければならない苦しみは彼らにしか解らない。
蝋燭に火を灯す場面からはじまるこの映画は、次々とその灯火が消えていく。その灯火を拾い集め、最後まで絶やさなかったのがオスカー・シンドラーという男だった。
彼は安い賃金で働くユダヤ人を“労働力”として社員集めをし工場に迎え入れる。
飼い犬を可愛がるように接していたが、面倒見が良すぎるシンドラー社長はやがて同じ“仕事人”として、一人の人間として惚れ込んでしまう。自分の総てを犠牲にしてでも“仲間”たちを守りたいと思うようになる。仲間の名前は一時一句総て覚えている。
「私はドイツ人だ。それがどうした?」