252.《ネタバレ》 殺し屋の手際がイマイチ、運転手が逃げ出せそうなタイミングが何度もある、そもそも何でタクシーを利用するのか等々、ストーリー展開上の穴(というかツッコミどころ)は結構ある。 けれど、それはあまり重要ではない。 というよりも、そこに焦点を合わせてしまうと、製作者が語ろうとしているもっと重要な部分を見失う。 都会の片隅で、善良な一市民が偶然に出会った悪夢。 それは非常によくできたブラックファンタジー。 「善良ではあるが、茫洋とした日常の中で未来へのステップを躊躇う羊」 と 「凶悪ではあるが、まさに現実の中をリアルに生きる孤高の狼」という対比。 「状況に適応するしかない」、「お前は夢を語るだけで、その実何も行動を起こさない」、「これが"仕事"だ」。 痛烈に胸に突き刺さる辛辣な台詞。 タクシー車内の濃密な空気感。 互いの心理描写の妙。 マックスが殻を破っていくカタルシス。 「いつか完璧な状況が整ったら」。。。 いつか? それはいつだ? 明日か? 来週か? 来年か? 10年後か? 50年後か? 実はお前の人生、そのまま何も変わらない(変えない)んじゃないのか? 容赦なくそう突き付けてくる。 何かをつかもうとするとき、全てが順調に進むことなどあり得ない。 そんな「機」を待つばかりでなく(もっと言えば、「そんな言い訳ばかりしていないで」)、不測の事態を恐れず状況に適応する(逆境を乗り越えてでも必ず手に入れるという)強い意志を持って「行動を起こせ」と。 「目的を達成する」というのは完璧な状況ができるまで待っていてできるものなんかじゃない。(今の俺のように)次々と起きてくる問題と取っ組み合いながら前進するその先にあるものなんだ。 「これが"(実現するという)仕事(の本当の姿)"だ」と。 そんな強烈なメッセージがこめられた、非常に痛快な作品。 ただ、このテーマが心に響かない人には、ただの二流アクション映画に見えちゃうだろうけどね。。。(笑) 【とっすぃ】さん [DVD(字幕)] 9点(2006-05-19 03:22:18) (良:7票)(笑:1票) |
251.《ネタバレ》 トム・クルーズが悪役に徹すると聞いて期待していたのだが完全に裏切られた。何しろ殺し屋映画に欠かせないはずの息苦しさや緊張感がまるで感じられないのである。 平凡なタクシー運転手がたまたま乗せた客が実は凄腕の殺し屋だった――こんなに美味しい題材は滅多にない。にもかかわらず緊張感が失せてしまった一番の原因は、設定を生かし切れなかった脚本にある。本作では第一の殺人で客の正体が判明するが、この時点では彼が殺し屋であることを、観客には教えても運転手にまで教える必要はない。運転手には「運良く儲け話にありつけた♪」と口笛のひとつでも吹かせてやればいいのだ。そうすれば、運転手のちょっとした言動にも僕らはハラハラさせられたはずである。ついでに言うなら第二の殺人では運転手に「おや?」という程度の違和感を少しだけ与えておけばよい。第三の殺人で初めて正体を明かし、第四の殺人には無理矢理付き合わせて、それからクライマックス=第五の殺人へと導いてやればちょっとはマシな話になったろう。 緊張感を欠いた原因その2。この運転手、いくらなんでも殺し屋をナメ過ぎである。これは全編に渡って言えることだが、とくにラストの地下鉄シーンには頭を傾げざるを得ない。殺し屋が死をほのめかす一言を残してガックリと肩を落とした…その後である。多くの観客は僕と同様に「ホントに死んでいるんだろうか?」「まだ生きていて、チャンスをうかがっているんじゃないか?」と疑ったはずだ。ところがこのノーテンキな運転手、女検事を電車から降ろすときにあろうことか自分よりも殺し屋の側を歩かせたのである! なんちゅう緊張感のなさ!! そしてトドメはあまりに無茶苦茶な映像表現。クローズアップによる切り返しの連続とまるで落ち着きのないブレまくりの映像は、それで臨場感を出したつもりなのかと問いたい。おまけにやたらと俯瞰ショットの多いこと! そういうワザはここぞというときに出すから意味があるのであって、出しまくりでは緊張感を削ぐだけである。 ノリのよさげな音楽にロスの夜景映像を乗せただけのこの代物、果たして映画と呼んでいいものか? 答えは否。僕に言わせりゃ大して出来のよくないミュージッククリップ、いやそれ以下だ。(本文中に適切でない表現がありましたので一部削除しました。【STING大好き】さま、大変ご迷惑をおかけしました…滝汗 2005.3.16) |
250.とくにストーリーの破錠や穴を感じることなく鑑賞できました。タクシーを使うのは最後にタクシードライバーを殺し、全ての犯行現場に立ち寄ったタクシードライバーを犯人に仕立て上げる為だし、組織のアジト前でタクシーが包囲されなかったのも、現場の指揮が殺しの犯人を追う警察ではなく、組織をマークしていたFBIだからだし、アタッシュケースのすり替えだって、組織の人間ではなく、ヴィンセントの雇った第三者を通してと考えるのが妥当だろうし、、、まあ、完璧に穴が無いとは言いませんが、、。第一の殺しがマックスに見られるというのはヴィンセントのミスではなく、ヴィンセントが「人としての何かが根本的に欠けている」ことを象徴しているシーンだと思います。地球上に住む人間の中のたかだか一つや二つの命を消す、人を殺すことを重く受け止めていないからこそ平然と、隠すことを全く考えずに人を殺す。見られて都合が悪ければ殺しちゃえばいい。ターゲットを殺すのが仕事であるが、ターゲット以外を殺しちゃいけないなんて感情の余地が付け入る隙は全く無いということ。 それにしてもこの作品はコヨーテのシーンがあるのと無いのとでずいぶん印象が変わります。都会的であわただしい映像がその一瞬だけ神秘的な時間の空白を見せてくれます。ここで繰り広げられる殺し屋とタクシードライバーのドラマ自体さえもちっぽけに見えるほどのドラマを背負っているかのようにコヨーテがただ歩いてゆく。このシーンが出てきた瞬間、この映画を好きになりました。 【R&A】さん [DVD(字幕)] 8点(2005-07-25 14:23:30) (良:5票) |
249.ここに登場するT・クルーズは殺し屋だが、むしろ淡々と仕事をこなすビジネスマンといった印象で、従来の殺し屋のイメージとは大きく違う。初の悪役という事もあり、おそらく型通りの役作りを彼自身が嫌ったのだと思われるが、その為か、表層的には冷酷で非情な男ながら、かなり人間臭い面も表現できたように思う。そして一方、都会を仕事の場として生きている事では、J・フォックスのタクシー・ドライバーも同じである。違うのは仕事の中味。目的と手段とが異なる二人の男が一つの車に乗り合わせた事により生じる熱いドラマ。都会にささやかな人生の望みを抱いて生きてる男と、生きることに疲れ、こんな生き方しか出来ない自分に嫌気がさしている男。本作はそんな対照的な二人の男の生き方を通して、クライム・サスペンスのスタンスを保ちながら、都会で生きることの孤独を痛切に描いた作品である。とりわけ“街の片隅で野垂れ死にしても誰も気に止めない。都会とはそういうものさ。”というような意味のセリフは、自らの行く末を暗示すると同時に、父親の死に様の含みをも持たせ、都会の冷淡さと厳しさを痛烈に感じさせるエピソードとなっている。だからだろうか、生きていく事に執着するドライバーに対し、殺し屋は死に場所を求めて街を彷徨っているようにも見える。話が進むにつれて二人は、殺そうとする者とそれを阻止しようとする者として対立するのだが、孤立無援で闘いに挑むフォックスに対し、クルーズをターミネーターのような怪物に仕立て上げたのは、演出プランの計算違いというものだろうか。しかしそういったストーリーやドラマツルギーよりも、日常・非日常の世界が渾然一体となって息づいている大都会そのものが主役である事こそが重要なのであり、ロスの夜を舐めるように活写したカメラが見事な効果を上げ、そしてそれが美しく魅惑的であればあるほど、人間の寂寞感がより際立つ役目をも果たしている。終始都会的センスで描き切ったM・マンの力強い映像は、言葉よりも雄弁で、やはり凄いという他ない。 【ドラえもん】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-05-26 18:17:41) (良:5票) |
248.マイケル・マンという監督は、常に“反社会的な者たち(アウトサイダー)”を描く。そして、その生きざま(や、死にざま)を、ひたすら〈崇高〉なものとして描き出すのだ。彼らはみな、社会に、運命に立ち向かい、反逆し続ける。その姿(というか、魂)は、英国の思想家エドモンド・バーグが言う〈崇高さ〉そのものだ。 「我々が崇高を感得するのは暗い森林や寂しき荒野、ライオンや虎や豹や犀などの姿においてである、(中略)それが解き放たれていて人間を無視していることの強調によって、少なからぬ崇高な姿に盛り立てられているが、そうでなければこの種の動物の描写は何一つ高貴な要素をそなえぬであろう」(中野好之訳) …しかし、トム・クルーズ扮する殺し屋を主人公のひとりとする本作は、いかにもマイケル・マンらしいようで、これまでの作品とはどこか異質な印象を与える。それは、常に脚本にもクレジットされていた彼の名前がここにはないことからくるのか。あるいは、120分という彼の映画では(『ザ・キープ』を除いて)最も短い上映時間によるのか。デジタル・カメラによる奇妙なほど奥行きと陰影を欠いた映像によるものなのか。 …そう、まるでスコセッシの『アフターアワーズ』や『ヒッチャー』にも似たこの悪夢めく「不条理劇」は、むしろ製作者のひとり『エルム街の悪夢3/惨劇の館』の監督チャック・ラッセル(同じく製作に名を連ねるフランク・ダラボンも、あの映画の脚本家だった…。このご両人、どんな仲?)あたりこそがふさわしい。その意味において、マンは単なる「御用監督」でしかないのだろうか? … しかし映画の中で、ロス市内の道路を2頭の野性のコヨーテが悠然と横切った瞬間、ぼくたちは確信するのだ。あのコヨーテたちこそ「解き放たれて人間を無視している」ことで孤高を生きる、マイケル・マン的存在に他ならないことを。そして、殺し屋とタクシー運転手もまた、その瞬間から夜のLAという「荒野」を生き、死んでいく者たちとして「解き放たれ」る。まさしく「ライオンや虎や豹や犀」のように生き始めるのだ。だからこそラストの、よく生き、よく死んだ両者の姿は、かくも〈崇高〉で、ただただ美しい。 【やましんの巻】さん 10点(2004-12-03 14:39:04) (良:5票) |
247.《ネタバレ》 L.A.と言えばハリウッド、ビバリーヒルズ、ロングビーチ・・・。一度は行きたいと憧れる、華やかな街。雑踏の中姿を現す、仕事に徹する1人の殺し屋と、生活臭漂う1人の平凡なタクシー運転手。華やかさとはかけ離れたローカルなL.A.の街並みを軽快なラテンのリズム、しっとりと落ち着いたナンバーで車を流せば、夕暮れから夜へとかけて俯瞰で眺めると、いつもの街並みもまた違った顔を見せてくれる。ヴィンセントとマックス、「仕事」は違えど、「仕事」をする男に違いはない。ヴィンセントは普通の、仕事の出来る男だ。マックスから見れば「殺し」を職業としている人間は「普通」に見えないだけの事。ヴィンセントも倒錯している訳でもない。「6年」も同じ仕事を続ければウデは上達し、誇れるし、人にものだって言える様になる。それに比べてマックスはどうだ?「12年」もタクシーを転がし、これは「仮の仕事」だと言い、夢を夢のまま終わらせようとしている。最初に殺した男を地球の人口60億の内の1人だと言うヴィンセントは自分のしている事を正当化する訳でもなく、事実を日々気にしない偽善的な態度をとるマックスに苛立つ。ヴィンセントにしてみれば仕事をして何がおかしい?という気持ちなんだと思う。そこには感情に左右されず に躊躇する事のない冷徹なまでの仕事ぶりを披露するプロの姿がある。刑事ファニングをいとも簡単に撃ち抜き、「仕事だ。」とさらっ、と言うヴィンセントに「殺し」に対する罪の意識は全く無い。目的地まで宣言通りに7分で着くドライバーの勘が鋭いマックスと同じで、「仕事」が出来るだけなのだ。そんなヴィンセントの考えを否定し、「人間としての根本的な何か」が欠けてると説教を垂れたマックスに対して露わにしたのは怒りよりも不快感。中途半端にしか仕事が出来ないお前に言われたらお終いだ、という冷笑。なぜお前は俺の仕事が理解出来ない?という苛立ち。「マックス!これが仕事だ!」と言うヴィンセントの叫びは、分かって欲しかった。そしてお前も男なら「本当」の仕事をしてみろ、と。殺し屋という孤独ゆえの、そしてプロとしての叫び。短くも一夜を共にした男に教え、教わった、もしかしたらマックスと話せた束の間の喜びだったのかもしれない。そしてマックスはきっと夢に一歩近づいたと思う。ヴィンセントのおかげで。 【miki】さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2012-07-01 22:40:13) (良:4票) |
246.「仕事に対しプライドを持っている」と判断した殺し屋は、タクシーの運転手をパートナーに選ぶ。しかし運転手はただの夢想家であり、殺し屋は「人間としての何かが根本的に欠けている」。この二人が単なる善悪におさまらない倒錯的な関係を結んでいく。支配する者、される者の関係が微妙に崩れ、互いが互いを教育しあい、時には支配される者が支配する者を演じることとなる。そして、運転席と後部座席に離れていた二人は、「これが仕事だ」と叫びながら、まるで鏡を挟んだかのように対峙する。■シリアルキラーと刑事、ギャングのボスと刑事、そして殺し屋とタクシーの運転手。対立する人間同士が鏡を挟んで向き合うこと。■プロの殺し屋のくせにミスが多い、というシナリオの弱点などどうでもよい。そのスリリングな関係だけを見つめていればいいのだ、と思う。■それよりなにより、運転手の生活を冒頭数分で描ききる演出や、女検事との車中での会話や、赤外線をチェックする刑事の小さな芝居や、ぼろアパートの一室から見える室内の風情や、どちらの地下鉄に乗ったのかを迷う数分の間や、停車駅での見事なカッティングや、「裏窓」的サスペンスや、銃の安全装置をはずす芝居やらなんやらを見つめ、魅了されれば、シナリオのミスや(ていうか、プロの殺し屋ならレンタカーを使わないか?んなことハリウッドの百戦錬磨たちがとうに気づいてるだろ)、つまらない現実との齟齬なんぞ、どーでもいい。だってこれはファンタジーなんだもん。■タクシーの運転手は、都会に住むコヨーテの姿にはじめて気づいたのだ、きっと。 【まぶぜたろう】さん 10点(2004-12-02 00:51:06) (良:4票) |
245.《ネタバレ》 普通のタクシー運転手が、殺し屋の仕事になぜか付き合わされる物語。 この『なぜか』の部分の説得力が弱く、多少強引な展開ではあるが、許容範囲。 登場人物が多すぎないのが良いですね。自分好みです。 それに大部分はヴィンセントとマックスの二人が中心となっているため、変に凝ったサスペンスよりすっきりして見やすいですね。 ただ、シーンとシーンをつなぐ『タメ』のようなものが長すぎて、ややクドイ。 そーゆー雰囲気を作りたいのはわかるのですが、中だるみを引き起こす原因になっているような気がします。 ストーリー自体は、ある種の哲学を感じますし、何かのメタファーなのかなって思う部分もありますが、やはりシンプル。 こーゆーストーリーであれば、変に間を置かずに、テンポよく進んでいったほうが良かったんじゃないかな。 要所要所のアクションは瞬殺パターンが多くて好き。迫力があるし、サスペンス色が強くなります。 ラストの攻防も見事でしたね。 こんなに怖いトム・クルーズを見たのは初めてです。 特に地下鉄での『降りたいけど降りられない。』という状況の作り方がうまいです。 いたってシンプルな構図だけに、緊迫した雰囲気がよく伝わってきます。 総評。中だるみする部分はあるものの、気にならない程度。全体的にスリリングかつサスペンスフルで面白かったです。 【たきたて】さん [ブルーレイ(字幕)] 7点(2017-03-25 04:30:48) (良:3票) |
244.《ネタバレ》 夢をもっている,ということをよりどころに今日を怠惰に生きる普通の人に対するアンチテーゼとしての殺し屋っていうアイデアを,ヴィンセントとマックスという対照的なキャラを配置することで効果的に見せている佳作.誰がヴィンセントの理屈に,本心から「それは違うぜ」と即座に反論できるのだろうか?みなマックスに肩入れしつつ,でもどこかでじれったい思い,近親憎悪に近い感情を持ち,徐々にヴィンセントに感情移入していくのではないかな.「人として何かが欠けている」が為に,普通の人に比して迫力をもち,何かを成し遂げているように見えるヴィンセント,彼はきっと大事な何かを捨てたからこそ殺し屋として有能になったのであろう.それとは対照的に,都会の片隅でリプレイス可能な仕事を生きるためにこなすマックス.このような2人を飲み込み,一人一人の事情や感情など関係なく時間が過ぎていく大都会の薄ら寒い現実.もう一人の主役は「ロスの夜景」と「野良犬」(コヨーテか?)でしょう. 「仕事」をする時には淡々と殺人をこなすヴィンセントが,マックスを追いかけ始めたとたんに殺気をみなぎらせるあたりは本当に怖い. ここまで緊張感のあるサスペンスは最近珍しい.演出も最高に渋い,ちょいと辛口の本格サスペンス.最近トム・クルーズの評判はとみに悪いが,もともと私は彼が大好きなのだ.マグノリアでの怪演も素晴らしかったし,MI-IIでも悪役顔が分かり易かったし.評判はあまり芳しくないようだけど,一人で過ごす夜に,ちょいと部屋を暗くしてみるのをお勧めする. 【take1】さん [DVD(字幕)] 8点(2006-05-17 23:15:58) (良:3票) |
243.マイケル・マン監督の作品はその重厚さ故、観終わった後は息が詰まるほどの疲労感に襲われるので正直苦手としていた。だが、本作は気軽に観られるようなエンタメ重視の作品だった為、マイケル・マン初心者にもお薦めできる、入門編に最適なのではないだろうか。 タクシーの運転手が殺し屋を乗せてしまったことで事件に巻き込まれて行くという巻き込まれ型サスペンスアクションで、ストーリーも至って分かりやすい。 でも只の勧善懲悪ものにならないのはマイケル・マンならではの美学が炸裂しているからであろう。タクシー運転手を演じたジェイミー・フォックスと悪役を演じたトム・クルーズ。2人とも甲乙付けがたい存在感で魅力的だ。 この2人が終盤タクシー内で交わすやり取りが印象深い。「人間なら誰にも備わっている根本的な何かが欠けてる」「お前は夢を本気でやろうとしていない」という応酬は互いの人間性を炙りだしており、凄く心に響く。 それまで言いなりになっていたマックスが自らの意志で正義の為に女性を救いに行く場面はグッと来た。 一転ラストの追いかけっこは急にホラーな展開で、ハラハラドキドキ楽しめました。 【ヴレア】さん [DVD(字幕)] 8点(2013-11-21 21:06:35) (良:2票) |
|
242.《ネタバレ》 何故か私の周り(特に女性陣)にはT・クルーズ嫌いの人が多い。 理由は色々有る様だが、演技が大して上手くないのに演技派ぶってる所が気に入らないそうだ。 そんな人に私は本作の鑑賞をお薦めしており、結果としては殆どの場合、T・クルーズの評判を少し高める事に貢献(?)出来ている。 本作は有る意味「レベルの高い命懸けの掛け合い漫才」を観ている様で、相方のJ・フォックスが居なければ作品自体成立しないのは明白だが、それでも白髪の冷徹な殺し屋を嬉々として演じているT・クルーズは充分見応えが有った。 自論だが、私は「トロピック・サンダー」しかり、初のセルフパロディとも言える「ナイト・アンド・デイ(未見)」しかり、T・クルーズはデビュー当時のアイドル的イメージの払拭含め、貪欲に自分の可能性に挑戦し続けている稀有な俳優だと思うのだが、皆さんは如何思われるだろうか? 【たくわん】さん [DVD(字幕)] 7点(2010-07-27 13:00:40) (良:2票) |
241.この映画はファイト・クラブの銃撃版なんだと解釈しました。ケンカ映画の外見をとりながら実は生き方に説教たれるのがファイト・クラブでしたが、本作も同様にハードボイルドという外見をとっていますが主題はそこになく、流されるままに生きている主人公が殺し屋という強烈な存在と対峙し、人生観が一変するというのが本当のテーマだと思います。主人公を演じるのはエドワード・ノートンにジェイミー・フォックスという小市民の匂いを漂わせる演技派。そんな主人公と対峙し、人生を変えるかっこいい曲者を演じているのはブラッド・ピットにトム・クルーズという、圧倒的なカリスマ性に溢れた大スターです。やさしい顔立ちのトム・クルーズは殺気に欠け、殺し屋役には本来向かない俳優だとは思いますが、小市民の人生の前に立ちはだかる悪のカリスマを描くのに彼のスターオーラは不可欠なものであり、監督もそれを求めてあえてキャスティングしたのだと思います。そんなカリスマが人生の哲学を語りまくりますが、コラテラルの説教の方が現実的で身につまされる思いがしました。自分で開業したいと思いながらも決心のつかない主人公に対する強烈な説教。「開業したければいつでもできるはずだ。下らない人生を生きてる自分への言い訳で夢にすがってるだけだろ?このままでは下らないまま人生が終わるぞ」。この映画の真髄はまさにここにあったと思います。主人公だけではない、見ている私たちのほとんどが図星にならざるをえない強烈な説教。善良だが平凡なタクシードライバーが殺し屋に連れ回されるという話もすべては主人公の人生観を変える寓話としての状況設定に過ぎないと思うのですが、この説教を単なるセリフとして特に感じることもなく流してしまうと、映画の本質が見えないまま「ムチャクチャな話だったな」で終わると思います。マイケル・マンが監督したおかげでハードボイルドとしてはあまりに穴だらけすぎる脚本でも及第点の仕上がりになっていますが、その完成度のために人生観を変えられた男という主題がかえって見えづらくなっているので、良かったんだか悪かったんだかって感じです。「何か変なアクションだったな」という印象しかなかった方は、視点を変えてもう一度鑑賞されることをおすすめします。 【ザ・チャンバラ】さん [DVD(吹替)] 8点(2006-10-31 22:28:00) (良:2票) |
240.《ネタバレ》 孤高とは孤独である自分を受け入れることができる人だと思う、しかし孤高とは孤独であるという事が前提であり、ただの人間嫌いはけっして孤高とは言わない。タクシーの運転手は「孤独」であり殺し屋は「孤高」だと私は見ていた。2人の人物造形は見事としか言いようが無い。トムクルーズは私はやはりさすがだと思う。最近はゴシップネタに晒されることが多いが、彼が一流の俳優であることをこの映画は証明している。トムの作り出した殺し屋はありふれた冷静で天才的な殺し屋ではなくて、かなり人間臭い。むしろドジだと言えるくらいだ。饒舌でありながら人格も破綻していた。しかしだからこそ、この男の心の闇が夜の街を通して明確に表現されていたのではないだろうか。タクシーの運転手と殺し屋という組み合わせは異質だが2人の共通点は社会の底辺で這い蹲って生きているということだと思う。 「この街のどこかで野たれ死んでも誰も気がつかないよ」と言った殺し屋はすでに自分の死を暗示していたようだ。 ラストの電車内の撃ち合いはすべてを終わりにしようと考えた殺し屋の自殺だったのだと今になって思う。殺し屋は「孤高」を貫く自分に疲れ果てたのではないだろうか。 そしてこの映画の最大の見せ場はコヨーテの登場シーンだと私は考える。殺し屋と運転手はコヨーテが横切る姿を言葉を失くしたように唖然と見入っていた、私もそれを呆然と凝視してしまった。なぜか?それは共感したからだ。 コヨーテは「孤高」の隠喩として用いられていたのだった。孤高という言葉を使わずともこの映画には至るところにそれを象徴させるメタファーが散りばめられていた。 似たもの同士の2人。殺しあった運転手と殺し屋だったが、もし出会いが違えば無二の親友にもなれたかもしれない。 【花守湖】さん [DVD(字幕)] 10点(2006-03-18 12:16:09) (良:2票) |
239.これぞまさに「夜の映画」、よってこれをうなぎパイ映画と呼ぶことにいたしましょう。息を呑む美しさ、そして不気味さに溢れた夜景。その片隅で深海魚のようにうごめく二人。対極的立場にいるが故に奇妙な相似形を見せる、その彼ら二人のやりとりには、独特の映像とも相俟って、どこか現実感が希薄であります。しかし、いささかまとまりに欠ける(ロードムービーすら思わせる)と思われたその展開が、クライマックスに意外な収束を見せる、その見事さ。結局、この二人のキャラクターは、やはり社会の片隅で生きている我々一人一人が抱えている、二面性を象徴してるのかもしれない・・・なんちゃってな、うひょひょ。 【鱗歌】さん [DVD(字幕)] 8点(2005-08-09 23:48:15) (良:2票) |
238.《ネタバレ》 ストーリーにサプライズがあることは全く期待せず、マイケルマンらしい質の高い熱い男の世界の映画を期待していた。 本作は嫌いではないが期待したほどの映画ではなかったと思われる。 トムクルーズの殺し屋役ではあるが、カッコイイのは中国系の男を殺すところだけ。 本来なら、人間をゴミとしか思っていなく他人を拒絶するような冷酷な非情な殺し屋であるべきだったはずだ。 マックスが言っていた「本来人間が持っているはずの大切な感情」を失っている人間には徹し切れてないという印象を受ける。 まだ軽い気がする、ジャズマンやマックスの母親とのやり取りは演技だとしても、ファニングとエレベーターを乗り合わせた時に「何階か?」や「今夜はどうだ?」とか聞くのには違和感を覚えた。 「人間なんて宇宙の中の小さな砂」と言っていたには、殺し屋としての哲学が伝わらない。自分も含めて人間なんて皆変わらんようなことを言っていたが、なんのために殺し屋やっているのか分からん。 ラストの死に様もイマイチだろう。人間をゴミだと言って、人間関係なんて無意味だと言っていた男が死ぬときは、もっと憐れで惨めな感じを出したほうが良い。 そうしないと何も伝わらない、本作の隠れたテーマは都会の人間関係の希薄さだろう。 かなりベタかもしれないが、親父から暴力を受けて感情を失い、地下鉄で人が死んでも6時間誰も気づかないような世界に嫌気をさしていたが、実は誰よりも温かい人間関係を欲していたというような設定でも良かったかなと思われた。マックスとの交わりで何かが変わっても良かった気がする。 アカデミーはよっぽど相手に恵まれないとノミネートすら厳しい、しかもこの映画の主演はジェイミーフォックスだし。 ジェイミー演じるマックスは良かった。 夢を抱きながらそれを実現できずに、時々一人島に逃げ込みながら、プロのタクシードライバーという現実に甘んじている男。 もう少し、自分が実は逃げているだけの男だと気づいて行動に移すシーンを丁寧に描いて欲しかった。 少し不思議に思った点があるので書きたいが、空港でカバンのすり替えをしているがこの男はヴィンセントの特徴が分かっているのにそれがフィリックスには伝わっていないのはおかしい。 そしてマックスの母親にリムジン会社の嘘をついているが、タクシー会社に何度も電話するというのは整合性がつかず、イマイチ分からん。 【六本木ソルジャー】さん 7点(2004-10-24 03:30:11) (良:2票) |
237.正義の味方役にそろそろ飽きてきたトム・クルーズが、気分転換に悪役してみました的な感じ。しかし、さすがに迫力ありますね。特に終盤あたり、ターミネーター2の超合金ターミネーターと見紛うような執着ぶりです。下品な作品のパターンなら、最後の最後にもう一度復活して客を驚かすところですが、それもなし。哀愁の漂う終わり方でした。いろいろ不自然なシーンもありますが、おおいに堪能できました。冒頭のJ・ステイサムは「友情出演」みたいなものですかね。 【眉山】さん [インターネット(字幕)] 8点(2015-10-24 06:39:59) (良:1票) |
236.《ネタバレ》 トム・クルーズが珍しく悪役で、実質的な主役はジェイミー・フォックスのほうだろう。 マックスの母を見舞いにいったときの三人の会話は秀逸。 マックスと母の関係がリアルに浮き彫りにされている。 殺し屋の最後のターゲットとなった女検事をめぐる攻防はスリリング。 殺し屋は身元がバレないように依頼者には絶対に顔を見せないという細心の注意を払いながら、殺しのやり方がターミネーター並みに荒っぽい。 犯行を極秘に進めるという気配りがまったく感じられないのは、最初のキャラ設定からは矛盾している。 そうしたブレが幾つか気になるものの、殺し屋と平凡なタクシードライバーの生き様、人生哲学が対照的でおもしろかった。 地下鉄で誰にも気づかれずに死んでいた男や、マックスのリムジンの夢の話など、伏線もいい具合に効いていた。 【飛鳥】さん [DVD(吹替)] 6点(2013-06-17 22:22:31) (良:1票) |
235.《ネタバレ》 妻投稿です。旦那と会話しながら観ました。■■■■旦那:「トムクルーズどこに出てるの?」私:「黒人じゃないほうよ」■私:「うわー、人が降ってきたよ!」旦那:「上で何があったんだろう」私:「この豚は60億人の中のたった1人だって」旦那:「そんな当たり前の事言われてもわかんねえよ■私:「なんかパソコン壊しちゃったからパシリされてるよ?」旦那:「自分でやればいいのに」私:「そうだよね・・ゴルゴ13だったらさりげなくやるよね」旦那:「ほら案の定大騒ぎになっちゃった」■私:「あれ? ニホンオオカミってまだ生き残っていたっけ?」旦那:「絶滅したよ。でもここはアメリカだから普通のオオカミじゃない?」■旦那:「なんか白髪が黒人にお説教している」私:「そういう奴って多いよね。他人を酷い目にあわせておいて、お前がああだからこんな目にあうんだって言うやつ」■旦那:「おおー事故っちゃった」私:「殺し屋が逃げていくー。実は弱虫なんだね」旦那:「あれ? なんか黒人の女の人を殺そうとしているみたいだよ」■旦那:「うおおおお、白髪がくる、白髪が来る、白髪が来る」■私:「撃った? 撃たれた?」旦那:「白髪が負けたらしい」私:「殺し屋って言っても大したことはないねえ」旦那:「地下鉄に置いていっちゃうんだ。これじゃあ、あの黒人殺人罪で捕まるよ?」私:「黒人の女のひと検事だから大丈夫じゃん!」旦那:「あ、朝になった」私:「考えてみればこの映画、夜の数時間の話なんだね」■私:「この映画と私が小学校で今度読み聞かせる絵本『でてきて おひさま』とどっちが感動した?」旦那:「俺はこの映画かな。この映画、結構教訓になるよ。機会ばかりみて言い訳しないで、信念を持って行動せよって!」私:「私は絵本のほうかな。私は逆に、言いわけばっかで信念を持って行動できない人間に平和で平凡な生活は送れないと思う(つまりタクシーの運ちゃんは殺し屋にとやかく言われる筋合いはない)し、信念よりも『朝太陽の下で生きたい』がためにおひさまのいる山に行く動物さんのほうが立派だと思うよ。『当たり前がわからない人間は当たり前を要求するな』と戦っているんだよ!」旦那:「でも引きこもりのおひさまを空に出すのって、『太陽よ!少し近づいているので離れてくれ』という某サル踊りヒーローより難しいからね」私:「あれ、うちら、何のレビュー書いていたっけ汗」 【はち-ご=】さん [地上波(邦画)] 7点(2009-03-05 06:50:03) (笑:1票) |
234.《ネタバレ》 ヴィンセントとマックス。この二人には共通点と相違点がある。ヴィンセントは殺すことが好きで殺し屋をやっているようには見えなかった。本人の弁だが殺し屋を始めたのが6年前。それが本当なら転身したということだ。殺し屋稼業に就く前のことは語られない。一方のマックスはタクシーを転がして12年。リムジン会社を起業する夢を語る。タクシー運転手の自分は仮の姿だ、まだ途上だ…と。 ヴィンセントは自らの過去をマックスに重ねたのだと思う。自分も夢をストレートに語った時があった。だが、もう語れない。夢をまっすぐに語るマックスを青臭いと感じたのか、羨ましいと感じたのか。おそらくその両方だ。そして“仕事”が思うように運ばず苛立ったヴィンセントは指摘してしまう。確かこんな台詞。「お前はすでに夢が実現しないことが分かっている。なのに自分をごまかし続けている」。この言葉はヴィンセントが6年前に、自身にも浴びせた言葉ではなかったか。二人の共通点は夢が叶っていないこと。相違点は、夢を諦めたか否かではない。夢が叶わない現実を受け入れたか否か、である。 何度か機会があったはずなのに、ヴィンセントはマックスを殺さなかった。それは過去の自分を全否定したくなかったからだろう。 誰しも人生に夢を描く。ほんのひと握りがその夢を実現させる。では、実現できなかった者たちはどこへ行くのか? 大多数は殺し屋にはならずとも、ヴィンセントのように線を引いて人生を送るのである。 【アンドレ・タカシ】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-02-18 04:44:59) (良:1票) |
233.《ネタバレ》 タクシー運転手はこう言います。今の仕事は“つなぎ”だと。将来、会社を経営するための資金集めをしているだけ。殺し屋は言います。人口60億のうち、一人や二人消えたって影響ない。殺しを躊躇う理由はないと。2人の言い分は似ていると思いました。共に自分の心を偽るために、言い訳をしているように見えます。マックスは夢が適わないことに気付いています。ヴィンセントも人殺しに胸を痛めている気がします。現実から逃げているのです。でもそんな事、認めたくありません。今までの自分を否定することだから。自身を欺いてきた時間が長ければ長いほど、もう怖くて振返れないものです。一流の腕を持ちながら、仕事に誇りを持てない2人。不幸なことです。でも決して珍しいことではありません。双方、触れて欲しくない部分を罵倒し合います。それは刀を抜いたのと同じ。もう後戻りは出来ません。タクシー横転以降の展開は、2人の意地のぶつかり合いだったと思います。もはや理屈じゃなく。決着をつけなくては気が済まないのです。親友同士のケンカに似ているかもしれません。その結末が胸に沁みます。何故ヴィンセントはマックスを殺さなかったのでしょうか。スゴ腕のプロが、撃ち合いで遅れを取るはずがありません。そもそもタクシーから脱出した時に撃ち殺さなかったのはおかしな話。つまりヴィンセントは彼を殺したくなかったのだと感じます。共感か、リスペクトか、あるいはマックスの中に自身の姿を見つけたからでしょうか。胸中は分かりません。でも自分の心に正直だったから、ヴィンセントは負けたのだと思います。“殺したくないから殺さなかった”。自分に正直であることは、なんと難しいことでしょう。 【目隠シスト】さん [DVD(字幕)] 8点(2008-02-19 18:41:49) (良:1票) |