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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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341.  刑事マディガン
夜のニューヨーク市街を仰角で捉えた導入部から、夜明けの街路に立つリチャード・ウィドマーク達へと連なるアバンタイトルのムード感と、パースペクティブの活きた構図が生むリアル感。本編中のブルックリン、ブロードウェイ、コニーアイランド、イーストリバーといったロケーションの空間もまた奥行きが強調され臨場感に満ちている。雑然としながらも見事に活写された屋外ロケと、主人公宅の(不似合いな)カラフルな屋内セットとの対比も家庭不和を仄めかしており面白い。同一設定の黒澤明『野良犬』と同様、都市の情景や捜査過程の何気ないエピソードの積み重ねが素晴らしく、情報屋、ポン引き、酒場の主人らとのやり取り自体が主人公の優れた人物描写となっている。とりわけ、旧知の元ボクサーの通報による酒場の場面などは、結果的に人違いに終わり本筋には直接的に絡まないにも関わらず、ウィドマークの人間味を感じさせ非常に印象深いシークエンスだ。アクション場面自体は少ないものの、犯人役スティーヴ・イーナットがウィドマークの隙を衝き一瞬で形勢逆転するアクションや、警官に職務質問されたとたんに紙袋の陰から発砲するアクション、クライマックスの至近距離での銃撃戦など、スピード感と瞬発性がやはり見事である。
[DVD(字幕)] 8点(2009-10-24 20:58:06)
342.  拳銃魔(1949)
走るキャデラックの後部座席に据え置かれたカメラがフロントガラス越しに進行方向の市街路と前席の主役二人の対話を捉える。路肩に駐車すると、運転席の男は右手の建物に素知らぬ風に入っていく。奥の角から警官が現れ、助手席の女は慌てて車を降り世間話で彼の気を引く。突然、男がドアから飛び出し、女は素早く警官を一撃する。警報が鳴る中、車を急発進させ逃走する二人、、。屋外の一ショットで銀行強盗の一部始終を捉えきった長廻しショットが実に圧巻である。人工照明のない即興風の画面感覚と、同時録音の臨場感によって描写はひたすら生々しい。長廻しによる静的な空間が警報によって一変し、主役二者の機敏な連携アクションが突発的に起動する。カメラは定位置のまま二人の主観に同調するようにフロントの光景が荒々しく流れすぎていく、その緩急の感覚と迫真性が素晴らしい。この後に展開する逃避行の場面はいずれもそのラフな疾走感がただならない迫力を生んでいる。広角クロースアップでひずんだ不安定な構図が合間合間に短く差し挟まれ、二人の顔面を狭いフレームの中に押し込める形の画面処理がまさに追い詰められていく二人の息詰まる閉塞状況を的確に印象づけていく。冒頭の過剰な雨と、それに対応するラストの過剰な朝靄の視覚的インパクト、一旦は別方向に別れた二人が車をターンさせ一台に乗り込むシーンの自然光線の鮮烈さと二人の表情なども忘れがたい。
[DVD(字幕)] 9点(2009-10-24 20:25:22)
343.  ブレードランナー/ディレクターズカット<最終版> 《ネタバレ》 
全編を貫くのは「見る」という主題。人造人間識別機の画面に映る瞳、潰される目、眼球製造者、フクロウの目。画面の到る場所に様々な「瞳」が提示される。人間は識別機を通してしかレプリカントを判別できない(直接視覚の無力)。ハリソン・フォードがエレベーター内のショーン・ヤングに視覚では気付かない場面なども象徴的だ。これを画面上で補強するのが、闇の領域と蒸気・雨を大きく取り入れて視界を遮るノワール風照明設計である(ブラインド等の使い方も秀逸)。この映画はその盲目的人間が、目を閉じ頭を垂れたルトガー・ハウアーとの視線の切り返しを経て「開眼」(夜の闇から晴天への転換)するドラマともとれるだろう。ラストで対峙するルトガー・ハウアーの見開いた瞳は映画冒頭の「青い瞳」へと回帰し、その台詞「オリオン座の片隅で燃える宇宙船」「タンホイザー・ゲートの側で輝く星」が、映画のファーストショット(夜景と炎の俯瞰)と重なり直結していく巧妙な構成が非常に見事である。
[DVD(字幕)] 8点(2009-10-12 21:09:17)
344.  市民ケーン
当時の慣習的な映画話法を尊重しつつ、同時に技法的革新性を模索するパイオニア精神の発露こそ、この映画が時代を超えて支持される所以だろう。音響・撮影・美術・編集・俳優・脚本、諸々のパートが織り成す複雑精妙な知的魅力によって観るたびに新たな発見を与えられ、飽きることがない。  ケーンのポジティブな前半生は順光を基本とした照明、スキャンダル発覚から後半の晩年期および現在期は逆光と陰影を多く取り入れた表現主義的照明で対比させる画面設計。 構図をガラス玉等の小道具やアングル選択、カメラ移動で不安定に歪ませる特異で大胆な感覚。「拍手」のショットを挟んだ場面転換によって多重の意味を付与する秀逸な編集。終盤での、複数の鏡面とそこへの虚像の反映を用いた主題提示の鮮やかさ。幻想的なタッチが強調されたザナドゥの重厚な美術と音響設計(エコー)。複数の役者たちによって矢継ぎ早に交わされる台詞の応酬のスピード感と活劇性。朝食の場面にみられる見事な時間省略法。  語りきれないほど充実したこれらの要素をさらにドラマ的効果として高めたのが、撮影監督G・トーランドの貢献だろう。被写界深度の浅い画面が主流の当時、ストーリーに寄りかかる映画が大半である中、ルノワールら一部の監督が用いていたディープ・フォーカスと長廻しを基本とする撮影をドラマとより密接に連関させることでウェルズは自らのルーツといえる舞台的自由空間を提示する。これによって画面の奥行きを引き出しつつ、手前と奥で同時並行するドラマ対比によって物語の奥行きをも醸成している(母親と、窓外で遊ぶ少年時代のケーン等)。  舞台的演出と映画的演出。それぞれの優位を同時に尊重し、融合させ、発展させているのがこの映画のなによりの美質だ。
[ビデオ(字幕)] 10点(2009-10-11 14:27:54)
345.  サブウェイ123 激突 《ネタバレ》 
『エネミー・オブ・アメリカ』においても、通過する列車の向こう側に渡る事でジーン・ハックマンとウィル・スミスが追手を撒く一場面がある。列車の車線を越えたとたん、二人は暢気に口論を始める。列車の流線が遮断する事で全くの別空間が現出する感覚。この映画でも、列車の車線を越える事が大きな意味を持つ。一旦、犯人グループと直接対峙したデンゼル・ワシントンは車線を越える事で彼らから逃れ、マンハッタン橋で再び車線の向こう側へ越える事でジョン・トラボルタと再び相見える。(中盤で一旦は出会う二人だが、同一列車内の二人は構図上、二つの窓枠(フレーム)で分離されている。また、終盤で車線を越えない警官たちは全く空間を異にし、彼ら二人に近づく事が出来ない。)その境界となる地下鉄列車は、トニー・スコット作品に特徴的なフレーム内メディア(各種パネルディスプレイや暗視スコープ、監視映像など)と通底しており、地下内の暗闇に浮かび上がる列車の明るい車窓はまさに重層的なスクリーン内スクリーン(映画)である。このメタファーは、エンディングロール後まで含め、列車の疾走がフィルム映写を模した形で頻繁に映し出されることで容易に仮定できるだろう。スクリーンという断面を越えることで始めて、実体と相見えるという『デジャブ』的主題がここでも反復されている。
[映画館(字幕)] 6点(2009-10-07 21:51:23)
346.  PLANET OF THE APES/猿の惑星 《ネタバレ》 
原作に忠実なプロットがもたらす、「マーズアタック!」同様の自国に対する痛烈なアイロニー。「奴隷解放の人格者」的側面だけが喧伝されるエイブラハム・リンカーンのもう一つの側面、(米国最大の内戦であり、米国型戦争の原型でもある)「南北戦争」の強面指揮官・戦略家としての姿とその功罪を考えたとき、劇中で強調されていた戦闘的なチンパンジーの凶暴さ・残忍さとシンクロするラストが戦慄すべきものとなる。最後に画面上に登場する猿人が、警察・マスコミ関係者であるという意味深さ。「イラク侵略」の元凶たる、公開当時の悪名高き大統領が歴代の中で最もリンカーンへの信奉を広言していたという皮肉。ティム・バートン監督らしい現代風刺だ。
[映画館(字幕)] 7点(2009-10-07 21:38:51)
347.  3時10分、決断のとき
50年遡るオリジナルと比較して、明らかな退行。上映時間の肥大と完全に反比例したワンショットの短さと、役者の表情演技に頼んだ単調なクロースアップの貧困さのみ印象に残る。画面深度と構図を駆使し、ワンショット内に複数のアクションを同時進行させ、複雑で豊かな情感と意味を付与した傑作オリジナルには及ばない。傍目には派手さを増したリメイク版の「アクション」は、旧作でヴァン・へフリンが若者を一瞬の速度で殴り倒す優れたワンショットにはまるで敵わず、二度と会わないであろう男女の別れを俯瞰ロングで捉えたワンショットの豊かな抒情は微塵もない。旧作の酒場のセットで襟を直すグレン・フォードと髪を整えるフェリシア・ファーのさり気ないツーショット、続く二人のショットサイズの変化のみで両者の関係を簡潔にして雄弁に語りきった省略の美質とのあまりの差異。アクションや情感を実らせるのは、必ずしもエピソードやアップショットや台詞の物量ではない。
[映画館(字幕)] 5点(2009-10-07 21:23:27)
348.  鉄腕ジム
J・フォードと共に、いわゆる「男性派」監督として並び称されるラオール・ウォルシュもやはりアイルランド系。この映画での初期ボクシング、家族愛、喧嘩、お祭り騒ぎ、仲間同志の連帯感といった要素はいずれも映画では馴染み深い典型的アイリッシュのアイデンティティである。これらのモチーフは一見、固有の民族像を描出しながらも、その人間関係の奥底から醸される叙情性は幅広い普遍性を獲得している。会う度に反目し、喧嘩してしまうエロール・フリンとアレクシス・スミスだが、最後には二人の恋愛が成就するであろうことを誰も疑わないだろう。ライバルとなるチャンピオンとの挑発合戦も同様、最後には胸の熱くなる和解の場面が用意され、原題である『紳士ジム』のキャラクターに深みを与えている。(二者を重層化する大鏡の演出が秀逸。)アイリッシュ的要素の数々は同時に映画的活劇性にも満ちており、特に港の桟橋を舞台とした拳闘試合の喧騒が大いに映画を盛り上げていている。
[DVD(字幕)] 9点(2009-09-27 20:57:44)
349.  ヒート
カフェで対峙する主役二人の対話が二人の後方からそれぞれごくシンプルな切り返しによって捉えられる。その構図は二人がまるでお互いに自分自身の鏡像と対話しているかのような印象も同時に与える。立場としては対極にある相手に自分との同質性を認め合う場面とも解釈できようか。かつてのノワール映画では、低位置のキーライトで人物の相似形の影を作り出し、オルター・エゴ(もう一人の自我)を仄めかすスタイルがあるが、これに近い印象でもある。終盤の最終対決にみる光と闇のモチーフも同様、背後の誘導灯の点灯によって逆光の中に浮かび上がるロバート・デニーロの黒いシルエットは、対照的に照らし出されたアル・パチーノ自身の投影でもあろうか。対極でありながら一体でもある光と闇の領域の対立、実景主体の写実的市街犯罪と、俯瞰撮影も交えながら印象的な夜景を捉えた都会的ルックはまさに大戦直後(1945~1949)のノワール第二期作品群を髣髴とさせつつ、シネスコ画面の水平ラインをより意識した新たなノワール様式を創出している。
[映画館(字幕)] 10点(2009-09-27 20:47:57)
350.  大自然の凱歌
最後のシークエンスなどは、「階段」からしてもウィリアム・ワイラーの担当場面だとわかるが、特に前半から中盤にかけての快調なテンポと演出はまさしくハワード・ホークス印といえる。ウォルター・ブレナンの飛びつき。「オーラ・リー」の合唱。エドワード・アーノルドの叩き下ろす豪快なパンチ。フランシス・ファーマーがみせる粋なマッチの擦り方。登場人物たちの織り成す視線劇の面白さ等など。その何れもが魅力的だ。撮影担当二者の布陣も凄いのだが、労働者をしっかりとフレームに納めながら森林伐採から材木搬出、切断加工までを捉えた冒頭の迫力あるロケ撮影はやはりグレッグ・トーランドだろうか。豪快な躍動感のみならず、巨木と労働者のスケール対比、そして人間の労働を明確に描出したロングショットが素晴らしい。冒頭の飯場、酒場の乱闘シーン、終盤のパーティのシーン等でも個々の人物に満遍なくフォーカスを当てた撮影により群衆場面の活気をさらに盛り上げ、一方ではレースのカーテンの薄い影が揺れる「女優フランシス」の横顔のソフトな美しさを一際艶やかに浮かび上がらせる繊細さはやはり、G・トーランドの真骨頂というべきか。
[DVD(字幕)] 9点(2009-09-27 20:47:36)
351.  死の接吻(1947)
カーテンのライン、柱といった垂直のラインを多用して人物を狭所に配置し、夜の闇と人物の影によって黒の領域を大きくとった画面設計。そこに周囲の雑音を無音レベルまで消した録音効果が組み合わさり、息詰まるような焦燥感と切迫感が生まれている。その効果は序盤の高層ビルエレベーター内の場面、リチャード・ウィドマークがカーテンの隙間から目を光らせるレストランの場面、そのレストランの外で主人公ヴィクター・マチュアを待ち受ける黒塗り車の場面において絶大である。その異常な静けさが緊張を最高度に高めている。後半、ヴィクター・マチュアが裏切り者として狙われる側となってからの展開は特にサスペンス感に溢れ画面から目が離せない。これがデビュー作となるリチャード・ウィドマークの悪役像も強烈な印象度だ。
[DVD(字幕)] 8点(2009-09-22 14:24:43)
352.  アパートの鍵貸します
アレクサンドル・トローネによる秀逸な美術セットと、ドラマとを効果的に組み合わせた構図と撮影が実に巧妙だ。ワイルダーの真骨頂ともいえるパースペクティブを存分に利かせたシネスコ画面のレイアウトによって、広いオフィスはより広く、狭いエレベーター内はより狭く見えるような緻密な空間設計が為されている。広い空間ではエキストラの雑踏を自在に捌き(パーティシーンのスペクタクル、)、閉所では人物の所作、表情、小道具によってそれぞれ画面を活気づける(主演二人の手の動作、割れたコンパクト、ラケット、トランプ)。鋭角的で無機的なオフィスの造型は企業の殺伐とした序列社会を視覚的に具現し、ジャック・レモンのアパートの玄関セットが生む凹凸と遠近と陰影は彼をその暗がりに小さく押し込め「卑小さ」を際立たせ、夜の公園の異様に長いベンチはその奥行きが彼の哀愁の深さを伝えるメタファーとしても機能する。写実と誇張の絶妙なバランス感覚に立った画作りがドラマの中でうまく活きている。また、当時普及してきたテレビに対する映画人としての対抗意識(CM批判や「アンタッチャブル」人気)を仄めかすギャグや洒落た台詞を随所に散りばめたユーモア感覚もさすが。シャーリー・「マクレーン」の台詞「the wrong guy in the wrong place at the wrong time」は『ダイ・ハード』シリーズ中の台詞の元ネタだろう。
[DVD(字幕)] 9点(2009-09-22 14:06:06)
353.  東への道
ドラマティックな展開をさらに盛り上げる幾重ものクロス・カッティングによって、あっという間の134分間。個人的には、同じリリアン・ギッシュとリチャード・バーセルメスのコンビ作『散り行く花』よりも人種や年齢的な違和感がない分、主演二人への感情移入がよりスムースであるというのもあるが、何よりもショットの一つ一つが見せ場といって良いほど魅力的であり、その画面の充実ぶりが観る者を引き込んでいく。一見、何気ない家屋や農場の情景ショットの、そのフレームの中で戯れる犬や猫、鶏、雛たち、あるいは風に揺れる枝葉、雪、ドア、揺り椅子など数々の要素が常に画面を息づかせ、活気づけている。とりわけ美しいのは、第二部で河辺に佇む二人を包む夏の夕暮れの光。そこに、終盤のクライマックスへのさりげない予告ともなる滝のワンショットが静けさ(音)の演出として挿入され、一際叙情を満たす。そして、文字通り命懸けのショットが織り成す解氷のスペクタクルと救出劇の高揚感。観る側がエモーションを共有する奇跡的なアクション。これぞ、映画。
[DVD(字幕)] 10点(2009-09-07 21:29:38)
354.  レッドクリフ Part II ―未来への最終決戦―
風・濃霧によるカモフラージュ・次々と突き刺さる弓矢のインパクト・武骨なコスチューム・騎馬戦闘等などのビジュアルは一見すると黒澤時代劇『蜘蛛巣城』を、炎の落城は『乱』を、身分違いの男女やラストの台詞などにみられる観念性は『七人の侍』の変奏をそれぞれ思わせ、スペクタクル性は申し分ない。しかし例えば『七人の侍』後編の最終決戦は、事前に図面や実地による検証を反復し、地形を観客に整然と理解させておくことで逆にマルチカメラによる目まぐるしい混沌が際立つ名クライマックスとなったのに対し、『レッドクリフ』は二大軍勢の直線的ぶつかり合いという明快な図式の割には、間者による図面や模型やパノラマショットの挿入にも拘わらず上陸後の両軍の位置関係をうまく提示できていない。黒澤の「ここぞ」のスローモーションやワイプには文脈上の確固たる意味(転調・省略等)があったのに対し、違った趣旨でただ漫然と繰り返される本作のそれは単なる装飾と堕し、上映時間を無駄に引き伸ばしている。幾重ものクロースアップ反復による心理の強調も過剰。小喬の決意などは本来ワンショットで事足りる。
[映画館(字幕)] 7点(2009-09-05 21:28:51)
355.  レッドクリフ Part I
観客の多様な嗜好に対応しスペクタクル・アクション・史劇・ロマンスといった多要素を網羅した、香港ノワール出身の監督には明らかに不向きな典型的ブロックバスター型作品。本来ならば、戦争映画『ウインドトーカーズ』でそうした限界は明らかなはずなのだが。第二部とも共通して、VFXによる天・地・河はいずれも物質感を欠き、その「どこでもあり」の誤った視点の数々は却って箱庭感を露呈する。動かない対象に対し必然性もなく動き続けるキャメラは偽のスペクタクルを画面に与え続け、「オールスター」への配慮と思しきクロースアップの過多は、終始画面を閉塞させる。『ハードボイルド』や『フェイス・オフ』等の傑作であまりに印象的な、赤子を抱いてのバイオレンスも「善人」ではインパクトがない上、アクションつるべ打ち状態の中ではなかなか高揚をもたらさない。そうした大作につきものの不自由を抱えながらも、やはりマルチカメラよって多角的に繋いだ主役陣の武俠アクションは明瞭性があり素晴らしい。ショットを細断して誤魔化すモンタージュ悪用の似非アクションとは違う。重量感のある矛を主体とし、キン・フー的に様式化した円形の動き、黒澤的な馬上のアクションなども良い。
[映画館(字幕)] 6点(2009-09-05 18:52:50)
356.  地球が静止する日
平和的異星人との会談を徹底して拒否するアメリカ大統領は一貫して画面から排除される。この点、、オリジナル『地球の静止する日』(1951)の忠実な踏襲である。ロバート・ワイズ版の中では、異星人がリンカーン像を見上げ褒め讃える一場面などもあり、これが原爆認可と切り離せない映画公開当時の大統領トルーマンに対する逆説的非難であることは一目瞭然だ。その意味では旧作のほうがより直接的な政権批判を主眼とした政治風刺映画ということが出来よう。無論、本作における大統領個人の不在や軍の好戦姿勢、現実としてのアメリカ覇権主義描写もそれに倣ったものだが、リメイク版が志向するのは旧作が「物語」や「啓蒙的メッセージ」といった非映画的要素に重きを置く都合から各シークエンス間で省略した、より即物的な「アクション」部分である。具体的には、地球人の発砲により負傷したキアヌ・リーブスの治療の生々しい模様。隔離ブロックからの脱出経緯。二者が黒板に数式を黙々と書き込み合う動作等であり、特に前半部分は旧作に即した物語展開の為、その相違点は明確に際立っている。説明を極力排した活劇重視による画面主導の語り口が非常に潔い。宇宙人の翻意は、無表情で、(明快な)論理でないからこそ世界の豊かな多義性というものが映画に取り込まれている。●また、序盤で示されるタイムリミットの意外性に始まり、中盤のジェニファー・コネリーを上空から拉致する強引さ。彼女が墓地に再登場する唐突さ、戦闘機登場の突発性など、展開の目まぐるしさも良い。
[映画館(字幕)] 6点(2009-08-21 23:11:37)
357.  過去を逃れて
特に夜間場面におけるモノクローム撮影術の見事さは、『キャット・ピープル』のジャック・ターナー&ニコラス・ムスルカのコンビならではのもの。人物のシルエット、シェードランプやカーテンの揺れが十分に使いこなされ官能的ムードに満ちた屋内撮影はノワール様式の充実ぶりを示す。一方で、黒塗り車の光沢が醸しだす夜の街路の妖しさやアカプルコ~タホ湖近辺の自然景観など、屋外ロケの充実も作品世界をより豊かにしている。ロバート・ミッチャムの一貫して動じない物腰とポーカーフェイスの魅力、ジェーン・グリアのミステリアスな美貌。さらに不敵なカーク・ダグラスも絡んだ駆引きのサスペンスと展開の圧倒的スピード感によって、最後までドラマの緊張が途切れない。さらに注目すべきは、夜の山小屋でのスピーディな殴り合いの迫力。作中ほぼ唯一の身体アクションの場面だが、これほどのスピード感に満ちた拳闘アクションはなかなか見られない。
[DVD(字幕)] 9点(2009-08-21 21:12:55)
358.  極北の怪異
ロバート・フラハティによる記録映画の魅力は、狭量な「民俗記録」でも「資料的価値」でもなく、ジャンルや手法や国境に囚われぬ自由な精神に基づく映画感覚といえる。一般的には記録映画としてもの珍しさを第一に要求するであろう映画会社に対し、フラハティはそれ以上に「人間と自然」の魅力の活写に大きな力点を置いていることが画面から明らかに伝わる。ローポジションが緊張感を煽るあざらし漁の撮影。酷寒の猛吹雪の迫力と寂寥を伝えるモンタージュ。一方でナヌーク一家がカメラに向ける大らかで人なつっこい表情やユーモラスな仕草が断然素晴らしい。カメラが全く警戒の対象とはなっていない。これは日本でいえば小川紳介(山形)、佐藤真(阿賀)等の傑作ドキュメンタリーに受け継がれていく、腰を据えた共同生活というアプローチあってこその魅力的な表情といえる。勿論それは単なる長期取材・長期撮影という手法のみで成し得るものではなく、一定期間はカメラを回さず肌で喜怒哀楽を共にすることによって獲得される対象との親和性や、映画的各瞬間を的確に捉える手腕と資質があってのものだ。
[DVD(字幕)] 10点(2009-08-08 21:36:43)
359.  殺人捜査線
あらゆるカットにパースペクティブが活かされており、その構図取りの卓越した感覚が素晴らしい。冒頭から数多くのエキストラや車両を画面手前と奥に行き交わせ、深い被写界深度によて臨場感と世界の重層化を演出する。また、サウナ室の蒸気や、水族館の光の揺れ、スケート場や展望室のモブ(群衆)など、遠景には動きを取り入れる工夫が様々に凝らされており、活力ある空間が連続する。カットにはまるで無駄が無く、初っ端のスピーディなカーアクションから、クライマックスのスクリーン・プロセスと実景を見事に組み合わせ奥行きを活かした逃走アクションまでタイトに纏まり全くテンションが途切れない。特に最後の追跡劇は、ハイウェイの奇抜なロケーション、水平と垂直のパースペクティブ感覚、スピード感の演出が総合し傑出した活劇となっている。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2009-08-02 16:55:25)
360.  ボディ・スナッチャー/恐怖の街
回想形式でのスタートだが、救急病院を示す屋外のファーストショットから流れるような移動で院内の主人公が回想に突入するまでほんの数分、ショット数にしてわずか4というスムーズな語り口があまりに見事である。この4ショットの間に、主人公に関する必要な情報のみ簡潔かつ的確に提示し物語に引き込む手際の良さ。日中はロケーション主体の写実的なタッチ、夜間はノワール的な照明設計(低位置のライティングよる陰影の拡大、闇を強調した夜間撮影など)、ここに階段や丘道による高低差・坑道や地下室の暗い閉塞空間を効果的に織り交ぜ、不気味なムードとサスペンス感を一段と増幅してみせる傑出した技能は低予算作品で培われた職人技といって良いだろう。要所で限定的に用いられるひずんだクロースアップの効果も絶大である。ここには大スターも大掛かりな美術セットも特殊効果もないが、全編が豊かなスペクタクルに満ちている。(モノクロームならではの、夜の路地の妖しい美しさといったらない。)これぞB級の美質。
[ビデオ(字幕)] 9点(2009-07-29 22:17:23)
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