Menu
 > レビュワー
 > 鉄腕麗人 さんの口コミ一覧。35ページ目
鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263646566676869707172
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263646566676869707172
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263646566676869707172
>> カレンダー表示
>> 通常表示
681.  シャンハイ・ナイト
ジャッキー・チェンという映画スターの本質は、“アクション”ではなく、それを超越した“パフォーマンス”なのだと思った。 言うなれば、彼が長い映画人生の中で辿り着いた頂点は、アクションスターのそれではなく、“パフォーマンススター”とでも言うべき存在の極みだったのだと思えた。  ブルース・リーのスタントとしてキャリアをスタートさせたジャッキーが、彼亡き後の世界的カンフースターの座を引き継いだ事は言うまでもない。 しかし、ジャッキー・チェンの核心にあるものは、決してブルース・リーのような格闘の達人としての才ではない。 チャーリー・チャップリンやバスター・キートンを彷彿とさせる“可笑しみ”に溢れた表現力。それこそが、ジャッキー・チェンのスター性そのものだと思う。 振り返ってみれば、ジャッキー映画特有のドタバタとした走り方や、その場の物を使ったユニークなアクションシーンの数々は、まさにチャップリンやキートンのパフォーマンスに重なり、それこそがジャッキー映画が世界中の人々に愛された理由だと分かる。  そして、この“ハリウッド映画”は、そういうジャッキー・チェンの本質を引き出し、とても分かりやすくとても巧く映し出す事に成功している。 ジャッキー・チェンのハリウッド進出作品に苦言を呈するファンは多いだろうけれど、今作に限っては、彼の映画人として在り方を正しく表している以上、無下に非難する事はできないのではないかと思うし、何よりも“きっちり面白い”。  随所で“活動写真”創成期の名シーンの数々にオマージュを捧げたシーンが組み込まれている。ジーン・ケリーの「雨に唄えば」までもをアクションに盛り込んだシーンには、映画ファンとして思わず拍手を送りたくなった。  またシリーズ前作では、舞台設定上致し方ないことではあったが、格闘シーンの相手役にアメリカ人スタントを使わざる得なかったため、アクションのスピード感が全体的に無かった。 しかし今作ではストーリーを生かし、中国人スタントを相手に本場仕込みのジャッキーアクションが復活していたと思う。 更には、悪玉にドニー・イェンを迎え入れ、彼による本物のカンフーが作品の質を高めている。  全体的に思わずほくそ笑んでしまう小気味よさと映画愛に溢れた作品だと思う。 ラストの“ユニオン・ジャック下り”なんて色んな意味で「見事」としか言えない。
[インターネット(字幕)] 7点(2013-04-21 23:58:58)
682.  ザ・レイド
「痛ッッッ!!」 と、思わず鑑賞者に言わせる回数は、アクション映画における重要な評価の指針になり得る。 唯一無二の目的として、相手を“殺す”ために殴り、蹴り、刺し、撃ちまくるこの映画のアクション性は、ひたすらに“痛い”。 ほぼ全編通して映し出されるその鮮烈なアクションとそれに付随する痛々しさは、紛れもないこの映画のオリジナリティであり、世界が熱狂したことも頷ける。  麻薬王が支配する30階建ての集合住宅に20人のスワット部隊が乗り込み、死屍累々の激闘を延々と繰り広げる。 まるでストーリーが無いように見えるが、実はそうではない。この映画の場合、見せたいアクションを突き詰めた結果、ストーリーが極限まで削ぎ落とされ、アクションそのものがストーリーと化しているのだと思える。  ひたすらに延々とアクションシーンが繰り広げられるため、いくらそれが鮮烈だと言っても、それなりのアクション映画ファンでなければだれてしまうことは否めない。 ただ、「それの何が悪い?」とこの映画は堂々と開き直っている。  インドネシアの映画産業がどれほど栄えているかは知らないが、決して潤沢な資金があったわけではないだろう。 しかし、そんな中でも、自分たちが世界に誇りたい格闘を世界に通用する映画の中で表現したいという強い思いが、今作には溢れている。 その意識の強さこそが、もっともエキサイティングなものだと思う。  こいつらこそまさに誇り高きエクスペンダブルズ(消耗品軍団)だ。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2013-02-06 00:09:45)(良:1票)
683.  フランケンウィニー(2012)
「映画づくり」において、独自の世界観を貫き通すクリエイターは多々居るが、ティム・バートンという人ほどその特異な世界観を貫き通した上で、商業的な成功に長けた作品をコンスタントに生み出し続けているクリエイターは中々居ないと思う。  この15年ほどのティム・バートンの監督作品はほぼ漏れなく劇場で鑑賞してきている。 当然、作品によって好き嫌いはあるが、どの作品においても“ティム・バートン印”と言えるような「個性」が確実に存在し、どんな形であれそれが貫かれている以上、無下に否定することは出来ない。 そして、今作もまたそんな“バートン印”がこれでもかと押されている作品に仕上がっていると思う。  ティム・バートンらしい徹底した“悪ふざけ”の炸裂ぶりは、「マーズ・アタック!」を彷彿とさせる。この“ふざけかた”に免疫があるかないかで、この映画に対する許容は大いに変わってくるだろう。 得意のゴシックホラー調の気味悪くもポップな映画世界に彩られたストップモーションアニメのクオリティーは秀逸という他無く、もうそのアニメーションの動きだけで一定の満足度は得られる。  ただし、同時に物語の帰着点に若干の不満は残った。 主人公の少年が巻き起こした騒動の発端となる「行為」に対しての戒めと、それに伴う彼の成長が、今ひとつ曖昧に映ってしまっていることは否めない。 途中、科学教師からストーリーの核心に繋がり得る“教え”が主人公に伝えられるが、それがラストにきっちりと回収されていない。  今回ティム・バートンは、そういうある種正統なテーマ性を少々無視してでも、“悪ふざけ”によるB級映画ノリを徹底したのだと思うが、もう少しストーリーテリング自体に説得力が備わっていた方が、個人的には好感が持てたと思う。  しかし、前述の通り、もうそれは個々人の好みの問題であり、このティム・バートンという異才の極めてパーソナルな部分を貫き通した今作に対して不満を突きつけるのはお門違いだとも思う。  想像以上に暴走していく映画のテンションに、面食らいつつも、ほくそ笑んで楽しむべき映画だろう。  あと、そもそも“犬好き”な者にとっては、“フラン犬”スパーキーの愛くるしい動きとけなげさに対して、どうしたって涙腺は緩んでしまう。ズルい。
[映画館(吹替)] 7点(2013-01-03 22:19:47)
684.  ミッドナイト・イン・パリ
主人公の婚約者を演じるレイチェル・マクアダムスの腰のラインが、さりげなくも妙に色っぽい。他にもマリオン・コティヤールをはじめ幾人か女優が出てくるが、どの女性もそれぞれ印象的に映る。 ウッディ・アレンという人は、相変わらず女好きで、だからこそ女優の魅力を最大限に引き出してくる。数々の女優が、彼の映画にこぞって出演したがるわけだ。  このところのウッディ・アレンはヨーロッパづいているらしく、ヨーロッパの各国の主要都市を舞台にした作品を連発し続けている。バルセロナに続いてロンドン、今作のパリ、来年にはローマを控えているらしい。 まるで一年ごとにバケーションで転々としながら、そのついでに「映画でも撮っておくか~」的な感覚でさらっと作っているようにも見える。ただ、そのくせ集まるキャスト陣はあまりに豪華で、作品自体もしっかり面白いのだから小憎らしい。  そのウッディ・アレンらしい小憎らしいほどの軽妙さが、この映画にも溢れている。 結婚を控えた主人公は小説家志望の売れっ子脚本家。敷かれた人生の行く末に揺らぎつつ、深夜のパリを徘徊する。そこに待っていたのは、憧れ続けた1920年代のパリ。 めくるめく懐古の深みの中に陥りながら、主人公は自分の進むべき道を見出していく。  タイムスリップものなのか、ファンタジーなのか、はたまた主人公の妄想劇なのか。 決して映画の世界を一方向に定めず、敢えてどうとでも捉えられる曖昧な世界観を構築し、夜な夜な徘徊する主人公の心理の如く“ふらふら”としたストーリーテリングが絶妙。  ウッディ・アレンの遊び心に促されるままに、束の間、主人公同様に古き良き深夜のパリを堪能すべきだろう。
[DVD(字幕)] 7点(2012-12-23 15:59:33)
685.  ペントハウス
高揚感を煽る音楽の中、ベン・スティラー演じる主人公が、絶妙な笑みを浮かべながら“あるところ”を歩いていく。そのラストカットを見ながら、思わずにんまりと親指を立てたくなった。 イントロダクション通りのストーリーで、辿り着く顛末も大体想像通り。それでも、これだけの満足感を観客に与えるのは、アメリカのコメディ映画界が大衆を喜ばせるための「基本」を常に全うしているからだと思う。  もはやアメリカコメディ映画の世界では二大俳優といっていいベン・スティラーとエディ・マーフィの競演については、当然のことながら安心して見られる。  特にベン・スティラーというコメディ映画俳優の存在感は凄い。 主演作の殆どにおいて、彼の演じるキャラクターはあまり笑わない。主人公が真剣になればなるほど、彼を取り巻く環境は大揺れを起こし、可笑しさが生まれる。 それは、すべての人間が真剣に生きているこの現実の世界こそに、本当の可笑しさが潜んでいるということの証明であり。だからこそ、ベン・スティラーの主演映画は面白いのだろう。  が、その一方でこの二大俳優が組んで、しかも一応“幼なじみ”という設定の割には、ふたりの掛け合いが少なく、連携もイマイチだったようにも思えた。 ストーリー構成的には、ベン・スティラーの単独主演で、エディ・マーフィは脇役という印象が強く、勿体ないと感じた。  また、よくよく突き詰めれば、整合性がない部分もチラホラ目につくし、説明不足な展開もある。 そういう部分が、最終的な満足感のわりに作品としてのグレードを幾分か下げてしまっていることは否めない。  しかしながら、この手の映画に“こなれている”俳優たちのアンサンブルは極めて安定していて、気を削がれるようなことは決してない。  “人種のるつぼ”であるアメリカ社会が抱える格差や経済の問題意識もベースに敷きつつ、バランスの良いエンターテイメントに仕上げる“地力”が流石だと思う。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-11-28 23:54:57)(良:1票)
686.  裏切りのサーカス 《ネタバレ》 
ゲイリー・オールドマンの秘めた感情が読めない瞳が、眼鏡の奥で硝子玉のように鈍く光る。 彼が演じるスマイリーという男が、この物語の中で貫き通したものは一体なんだったのだろう。 それは正義だったのか、野心だったのか、それとも暗恨か、嫉妬か。 ラストカットで主人公が携えた微笑には、彼が抑え込んできた様々な感情が一瞬垣間見えたように思えた。  インフォメーションから伝わっていたようなストーリー的な難解さは実はない。 人と思惑が入り交じり、いかにも入り組んでいるように見えるが、最終的に解きほぐされた顛末は、呆気ない程に単純で驚きはなかった。このキャスティングで、“彼”が裏切り者では工夫がなさ過ぎると思った。 正直なところ、その呆気なさに対して満足度が高まり切らなかったことも事実。人物関係の説明描写が明らかに不足したまま固有名詞を並び立てる語り口は、ストーリーをただ無意味に難解じみさせているようで、サスペンスとしてアンフェアに感じた。 そのことが映画として必要な娯楽性の不足に直結していることは否めない。  ただし、“研ぎすまされた”という表現がまさに相応しい俳優の演技と、映像構築も含めた演出は、文句なしに際立っている。 さめざめしくも美しい陰影の濃い映像世界はこの物語に相応しく、そこに息づく俳優たちはそれぞれ最高のパフォーマンスを見せていたと思う。 特筆すべきは、やはり主演したゲイリー・オールドマンの素晴らしい存在感だろう。 一貫して感情を高ぶらせることのないこの映画の主人公は、彼のフィルモグラフィーの中でも最も「静的」なキャラクターだったのではないかと思う。 終始、淡々とした佇まいの中でも、決して平坦ではない、深い人物像を構築してみせたと思う。  ゲイリー・オールドマンは、今作でアカデミー主演男優賞も有力候補だったので是非穫ってほしかった。 そして、ナタリー・ポートマンもとい“マチルダ”から“スタンフィールド”へのオスカー授与シーンが見たかった!
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-11-24 10:36:58)(良:1票)
687.  タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密
“ちゃんと面白い映画”だった。 この映画の感想としては、それ以上もそれ以下もなく、その表現に尽きる思う。  フルCGアニメーションでのキャラクター造型に対して尻込みしてしまい、劇場鑑賞は二の足を踏んでしまったが、この怒濤の映像世界はやはり大スクリーンで観るべきだったと思った。 スピルバーグ流の「娯楽」が、上映時間いっぱいに並べ立てられた映画であり、そういう映画が面白くないわけが無いということは、そもそも明らかだったと思う。  フルCGアニメの映画ではあるが、そのまま「アニメ映画」という区別が正しいかどうかは疑問だ。 常に新しい“映画世界”に挑戦し続ける大巨匠が、“フルCG”“3D”という新しい手法を用いてまた新たな世界観を追求した、ある意味での「実験映画」としての印象が強い。 彼の頭に渦巻く、現時点で実写では困難なイマジネーションを、アニメという表現を使って実現したということだと思う。  綴られるストーリーは極めて単純だ。シンプルというよりも面白味に欠けるストーリーに対して不満が出ることは理解出来る。 「インディ・ジョーンズ」的な冒険活劇が大好きな人ならば、文句なしに楽しめる映画だろうが、そうでない人にとっては“乗り切れない”ということは否めない。  ただし、今作においてスピルバーグ監督は、敢えてそういうストーリーの緻密さは「無視」したのではないかと思う。 ストーリーは原作漫画に即したシンプルに徹し、映像世界の緻密さのみで勝負しようとしたのだと思う。 例えば、台詞の音声なしで鑑賞したとしても、この映画の面白さは変わらないようにすら思う。 それくらい、この映画における映像世界の試みは圧倒的で凄い。  圧倒的な映像世界に対してストーリーの面白味が伴わないことで、映画自体の面白さが激減してしまっていることは確かだ。 しかし、それでも良いと開き直って、新たな試みに挑んだ大巨匠の“エゴイズム”こそ、この作品における最大の見所かもしれない。
[ブルーレイ(吹替)] 7点(2012-10-03 23:50:15)(良:1票)
688.  ランゴ(2011)
アニメーションと実写の“境界線”はいよいよあやふやになってきている。 砂漠に生息するありとあらゆる生物をデフォルメしたキャラクターたちが、縦横無尽に動き回る明らかにアニメーションでしか表現が出来ない映画世界を観ながら、「ほんとにアニメ?」と圧倒的な映像に唖然とした。 “渇き”と“潤い”、この相反する二つの要素が、この作品における核心で、その表現のクオリティーの高さが圧巻だったと思う。  ストーリーとしては、ある意味真っ当な「西部劇」であり、映像世界の革新さに反して目新しさがあるわけではなかった。 序盤の世界観の説明的なくだりは、やや冗長な感じもあり、全体的にもう少しタイトにまとめてくれた方が観やすかったとは思う。  主人公のカメレオンは、“カメレオン俳優”気質というキャラクター性も含め、声を担当したジョニー・デップそのものだった。 昨今のアニメーションの技術は凄まじいので、声を演じる俳優の“演技”が、そのままアニメのキャラクターに反映されるということを改めて感じた。 監督が、「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズの監督ということもあり、主人公のキャラクターが“ジャック・スパロウ”と似通い過ぎているとも感じたが、徐々に今作ならではのキャラクターとして成熟していき、魅力的になっていったことは良かった。  充分に面白い娯楽映画に仕上がっていることは認める反面、あと一歩乗り切れない感じが残った。 それは、「西部劇」という映画のジャンルそのものが、アメリカ人の精神に深く根付いているものであり、よほどそのジャンルに精通していなければ異人には完全に理解し難い要素が多分になるのではないかと思えた。  最後にもっとも残念だったのは、“西部の精霊”について。 あれほど“モロ”なキャラクター描写をするならば、何とか「ご本人」の出演を実現させてほしかった。 大きなリスペクトを伴ったパロディなのだから、出演交渉はそれほど難しいことではなかったと思うのだが……。
[DVD(字幕)] 7点(2012-09-25 16:32:47)
689.  プロメテウス 《ネタバレ》 
前夜、十数年ぶりに1972年公開の「エイリアン」第一作目を鑑賞し直した。 改めて見直してみて、30年以上前の作品とは思えない映像世界のスタイリッシュさと何度観ても揺らがない恐怖感におののくと共に、秘められた「伏線」に気づき、よくもまあ30年間もその伏線の回収を放っておいたなと思えた。  そうして満を持しての最新作の鑑賞。 結論から言うと、30年前の伏線の解明は成されている。 しかし、更に新たな謎が幾つも生み出され、それらが放り出されたまま映画は終わってしまった。  全編通して荘厳な映像世界に感嘆する一方で、この映画そのものの完成度という面においては、大巨匠の神通力の低下を疑わざるを得なかったというのが正直なところだ。 製作上において、何か致命的な失敗があったとしか思えないほどに、映画を振り返ってみると、登場人物の言動からあらゆる設定に至るまで説明が成されていない部分があまりに多く、「穴」だらけに見える。  観賞後しばらくは不満と満足の狭間で困惑してしまった。 しかし、「続編」が既に決定しているとの情報を得て、その困惑はすぐに一転する。 詰まるところ、部分的な満足感も全体的な不満感もすべては一介のCMクリエーターから現在の地位までのし上がった巨匠の強かさによるものなのだろう。  プロモーションにおいて、敢えて“エイリアン”というキーワードを極力避けながら、歴史的大傑作の“パート0”を新たに生み出すことで、「謎の解明」という新たな「謎」を描き出す。 そうすることで、過去作への注目を効果的に高め、更なる「続編」への期待感を増幅させる。 ハリウッドの第一線を年齢と逆行するように精力的に突っ走る“現役巨匠”の目論見はまさにそういうことだったのではなかろうか。  当然、「続編」の公開前には、この監督の“得意技”とも言える「ディレクターズカット版」もリリースされることだろう。この映画のあからさまな穴あき具合から、未公開の映像が山のようにあることは容易に想像できる。  映画としての完成度は決して高くない。でも映画世界に対しての興味と期待感は更に深まる。 今回は取り敢えず巨匠の衰えない強かさを感じつつ、ひたすらに続編を待つとしよう。
[映画館(字幕)] 7点(2012-08-26 22:46:19)(良:1票)
690.  俺たちに明日はない
人間としての“何か”が明らかに欠損している情緒不安定な男と女が、出会い、滅茶苦茶に共に生き、そして共に死んでいく物語。 二人の主人公に対して、微塵も共感できない映画だった。「面白い」と感じられたかどうかも微妙だ。 でも、何だろうこの観終えた途端に生じた「興味」が尽きない感覚は……。  “ボニー&クライド”という強盗カップルの名称自体は知っていたが、この有名な映画が彼らが主人公の映画であるということを観る直前になって初めて知った。 原題(「BONNIE AND CLYDE」)知っていれば、そんなことは明らかだったろうが、「俺たちに明日はない」という邦題からは、西部劇の印象に近い古風なアクション映画のイメージを勝手に持ってしまっていて、そのことが長らく今作を敬遠してきた大きな理由だった。  だが、ある評論を読んでその認識があまりに大きな間違いだということを知った。 そして初鑑賞に至り、この作品が、現在の映画という娯楽を構築する紛れもない主軸である「暴力」というエンターテイメント性の“礎”となった映画であるということを思い知った。  もちろん、現代人である自分にとっては、この作品で映し出される“暴力性”に斬新さや革新的なものを直接感じることはなかった。 しかし、この映画が持つ“意気込み”みたいなものの異様さは、ひしひしと感じた。 フェイ・ダナウェイの淫靡な唇の大写しから始まり、踊り狂っているかのように無数の銃弾を受け続ける主人公らのラストシーンまで、映画の全編に渡り、公開当時に今作を目の当たりにした人々のあらゆる「動揺」が時空を超えて間接的に伝わってくるようだった。  貧困、抑圧、戦争、格差……あらゆる鬱積を抱えた1967年という時代において、この映画が与えた影響力はいかなるものだったのか。その本質は、その時代に生き、本当の意味で“観たことがない映画”としてこの映画を観た人々にしか分かるまい。 そういうことを味わうことが出来ないのは、非常に悔しい。  ただし、現在もまた幾重にも折り重なった鬱積を世界中が抱えている時代である。 現在における「俺たちに明日がない」が新たに生まれ出ることを渇望せずにはいられない。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-06-10 17:38:18)(良:1票)
691.  メン・イン・ブラック3
まず、“パート2”の公開からもう既に10年も経っているということに、色々な意味で唖然としてしまう。 先日、“パート1”がテレビ放映されているのをチラリと見たが、ウィル・スミスもトミー・リー・ジョーンズも当然ながら若い。逆に、久方ぶりに二人揃った今作を見て、両者に対して「老けたな~」と第一声を上げてしまったことは否めない。 特にトミー・リー・ジョーンズはすっかり"爺様”なので、あの年格好で極秘組織の現役エージェントという役所でアクションを繰り広げる様には、さすがに「無理」を感じた。 まあ、そのことを考慮した今回のストーリーテリングだったことは明らかだろう。  それで、今作自体の出来映えが如何なものかと問われれば、充分に「満足」という言葉と使って差し支えない仕上がりだったと思う。 ただしその満足感には、そもそもこの「MIB」というエンターテイメントのファンであるという前提は必要だ。  前二作を観ていなかったり、観ていてもその面白味に浸れなかった人は、観る必要はない。 そう断言してしまって良いのは、もはやこの映画の雰囲気やテンションそれらすべてを包括した世界観自体が、このエンターテイメントが持つ独自の「味」として定着してしまっているからだ。 僕自身、もう15年も前になるらしいが、第一作目の「MIB」を観た時は、想定外に馬鹿げたタイプのテンションに面食らってしまい、正直「面白くなかった」という感想を持っていた。 しかし、その後見返すにつれ、この映画の“味わい方”がじわじわと分かってきた経緯がある。  そういう面を鑑みても、この映画はやっぱり"変わっている”と思うと同時に、卓越したエンターテイメントであるということを改めて思い知った。  これ以上の続編は明らかに蛇足になってしまうので止めた方が良いと思う。 しかし、今作については、大いに強引で大雑把ではあるけれど、主人公二人の関係性を時空を超えた宇宙意思をもって強固に繋ぎ止めたという意味で、ファンにとっては想定外に感慨深い作品に仕上がっている。  10年ぶりの“パート3”により、この娯楽映画の「味」は改めて明確に定義づけられたように思う。  P.S.無類の「タイムパラドックス映画」好きにとっては、この顛末を見せられては、問答無用に「降参」するしかない。
[映画館(字幕)] 7点(2012-05-30 00:00:19)(良:2票)
692.  銀河ヒッチハイク・ガイド(2005)
「天地創造」の真理に何の変哲も無い“一般ピープル”が触れるという物語の設定は、藤子・F・不二雄のSF短編漫画を彷彿とさせる。 惑星の崩壊と再生という大スペクタクルが、SF的観点と哲学的思想を巡り巡って、一人の男の言動に集約されるという顛末は、個人的に非常に興味をそそられる題材で、知らず知らずに異様な映画世界に引き込まれていた。  レンタルショップをぶらりと巡って、タイトルを聞いたことも無かった今作を、製作年も誰が出演しているかも確かめぬまま、“衝動借り”した。 「ロスト・イン・スペース」的なスペース・コメディものだという認識で観始めて、概ねその想定は外れてはいなかったが、想像以上にシュールな展開には少々面食らった。 馴染み難い異質なコメディが怒濤の如く羅列されるため、序盤から中盤に至るまで、映画の世界観に入りきれなかった部分があることは否めない。 ノリ自体は嫌いではないが、この映画が伝える“真理”が掴みきれず、戸惑ってしまったというのが正直なところだろう。  しかし、壮大な宇宙哲学的な要素を踏まえて、ストーリーが想定に反して次第にディープに深まってくいくのを目の当たりにして、この映画の存在性そのものに対して興味が深まってきた。 何がどう導き出されるのかということにようやく焦点が定まり、「結論」に至るまで映画世界を堪能することが出来た。  大いなる宇宙意思の中であまりに小さい生命体が無数に存在していて、すべての生命体の行く末はその宇宙意思に委ねられているように見える。けれど、突き詰めてみれば、結局は或る一つの生命体の意思によって宇宙意思そのものの行方が変わっていくという無限のロジック。 即ち、その「問い」に「答え」などは存在せず、「問い」と「答え」のどちらが先かも定かにはならない。 ただ、だからこそどんなに小さな生命体であっても生存していく“意味”があって、その事実こそが最も素晴らしいことだという…………。  多分に独りよがりな要素や、“テキトー”で“チープ”な部分も多い映画だった。 でも、そういう永遠に答えが出ないことをつらつらと頭の片隅で考えつつ、生きていく事自体がほんの少し楽しくなるという、へんてこりんな映画であることは間違いないと思う。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-05-15 00:11:18)(良:2票)
693.  スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団
想像以上に“可愛らしい映画”だった。  もっと単純に「オタク魂」に突っ走っただけの映画だと思っていたが、主人公のへなちょこ野郎の恋模様と、彼を取り巻く友人たちの人間模様が、とてもファニーに映し出されていて、それだけで充分に愛着を持てた。  “憧れの君”は、決して美人ではないけれど、主人公が問答無用に惹かれる魅力は醸し出されていたし、三角関係となる中国系女子高生の彼女もキュートだった。 また、主人公のルームメイトのゲイを演じたキーラン・カルキンが素晴らしく良かった。風貌から溢れる絶妙な“澱み”が抜群だった。実兄の近況も気になるところだが、今後役に恵まれれば良い性格俳優になっていくような気がする。  この映画には真っ当な美男美女は登場しないけれど、そういった一人一人のキャラクターの印象度の高さが、最大の魅力だったのかもしれない。  “売り”であるテレビゲーム感を存分に踏襲したバトルシーンは、やはり楽しい。 特に、"邪悪な元カレ”第一号のインド人の登場シーンのインパクトが良かった。 歌って踊るインド映画の世界観をしっかりと組み込み、この映画に相応しいテンションを与えていると思う。  残念なのは、そのバトルシーンが徐々に尻つぼみ気味になってしまうこと。 7人の元カレキャラはそれぞれ良い存在感を醸し出してはいるのだが、一人目のインド人キャラの“濃さ”を越えられなかった印象が残った。 ストーリー展開についても、同様のバトルシーンが羅列するだけと言えばそれだけの話なので、110分超えの尺は長過ぎたと思う。90分以内におさえて、もう少しテンポを上げれば、主軸に描かれる音楽の勢いも際立ったと思う。  難点は少なくないが、こういう本気でふざけた映画は嫌いじゃない。
[DVD(字幕)] 7点(2012-05-07 23:35:24)
694.  ヒューゴの不思議な発明
映画の冒頭、主人公の少年を追ったカメラが縦横無尽に動き回りながら、パリの中心の巨大なターミナル内のめくるめくような舞台の“裏表”が映し出される。 この映像そのものが精密な機械仕掛けを表現しているようで、見ているだけで楽しく、「どうやって撮っているんだろう」とただただ惚れ惚れしてしまった。 「HUGO」というタイトルが映し出されるまでのその冒頭数分間の映像世界が、この映画の立ち位置と価値を如実に表していると思った。  その価値とは即ち、“夢を形にする”という「映画」が元来持ち続けた役割そのものだと思う。 この映画における最大の“映像的”な見せ場が、少年の夢だったという構成も、そのことを端的に表している要素だろう。  今年のアカデミー賞において本命争いを繰り広げた作品ではあるが、映画として“面白味”が大きいとは言えないと思う。 “子供向け”と言える程の娯楽性があるわけでもなければ、“大人向け”と言える程のドラマ性や人間描写の深みがあるわけでもない。 時に過剰に思える程に懐古主義的だし、その割に核となるテーマの描かれ方は中途半端に思えた。  ただし、世界中の多くの人たちと同様に映画が好きで好きでたまらない以上、僕にこの映画を無下に否定することなんてできるわけがなく、結局愛おしく思わずにはいられない。   この映画は、描かれる人物の物語をスクリーンに対して客観的に観て同調し感動するものではないのだと思う。 冒頭のシーンに誘われるままに、主人公の少年と共にあのターミナルの場所に立ち、彼らとともにこの映画の世界に存在するべき映画なのだと思った。  つまりは、結果的に面白く思おうが思わなかろうが、映画館の大スクリーンで観なければ意味がない映画で、全編に渡ってその効果があることが疑わしくとも、3Dで"体感”すべき映画だったのだろう。 この映画の存在を知った時から懐疑的だったマーティン・スコセッシが3Dで映画を撮らなければならなかった意味がようやく分かった気がする。  映画の内容にそぐわない邦題には、毎度のことながらほとほと呆れる。 ただこの映画が、「映画」という世にも不思議な発明を描いた作品であることは間違いなく、「面白い!」とは決して断言できないけれど、映画ファンとしては可愛らしくて思えて仕方なく、愛着を持たずにはいられない。 そういう不思議な映画だと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2012-03-17 16:44:51)(良:1票)
695.  ネットワーク
「ネットワーク」というタイトルで描かれている舞台がテレビ局ということに違和感を覚えてしまった。 それくらい、「ネットワーク=テレビ」ではなく、「ネットワーク=インターネット」という構図が今や一般化したということだろう。 それは言い換えるならば、この映画で描かれる「狂騒」が、現在のインターネットが取り巻く世界においてまったく同じように当てはまるということだと思う。 故に、この映画が描き出す可笑しさや恐ろしさは、色褪せることなく強烈なインパクトを保っているのだと思う。  社会派の密度の高いドラマを数多く生み出してきた巨匠シドニー・ルメットの監督作であるという情報だけを持ってこの映画を観始めると、大いに意表をつかれると思う。  リストラを宣告された老キャスターが、自暴自棄になって放送中に自殺を宣言することから始まる狂騒。 視聴率とそれに伴う利益に振り回される群像劇は、序盤はコメディのようにも見える。 しかし、徐々に破綻していくそれぞれの人間性に対して、次第に笑えなくなってくる。  キャラクターとして目立つのは、老キャスターを演じるピーター・フィンチで、自殺宣言から端を発して視聴率という魔物に見出されるように徐々に狂気じみてくる様は強烈だった。 しかし、この映画が巧みなところは、狂っているのは必ずしも彼だけではなく、実は登場する主要キャラクターの全員が狂気に蝕まれているという人間描写だと思う。 数字が取れると分かれば即座に老キャスターを番組の顔として祭り上げ、一転視聴率急落により危機を覚えればキャスターの暗殺を淡々と決定するテレビ局上層部の面々のやり取りは、そういう蔓延した狂気を最も如実に表しているシーンだった。  そして、最も人格者に見えるキャラクターにしても、実は非常に愚かしく描かれており、彼らが生きる現代社会の病理性が、映画全編に渡って表現されていると思った。  少々強烈な風刺劇として気軽に見ることも出来るけれど、ほんの少し深入りして見てみると、そこには今の社会にも直結する危うさが満ち溢れていて、怖くなる。 
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-03-11 01:50:15)
696.  アンストッパブル
鉄道職員の怠慢によって発生した暴走列車を同じく鉄道職員の機関士二人が決死の覚悟で止めるというお話。 実話を元にしているとはいえ、娯楽大作としてはいささか地味過ぎるのではないかと思ったが、それが存分に堪能出来るエンターテイメントへと昇華されている。 さすが米娯楽映画界の職人トニー・スコット、ちょっと見くびれない。  実際、イントロダクションのままのお話であり、想定外の驚きは何もないと言っていい。 しかし、やはり一つ一つのシーンの見せ方が巧く、展開のテンポも非常に良いので、観ていて決してダレないしどんどんと映画が醸し出す緊張感の中にのめり込ませてくれる。  主演のデンゼル・ワシントンは、何と同監督作品の主演が今作で5作目ということで、ある意味余裕の存在感を見せてくれており、気難しくも人徳のあるベテラン機関士を好演している。  誰しもが充分分かりきっていることだろうとは思うが、この映画は観賞後にとくとくと考え込むような映画ではない。そんな余地は無い。 作品の尺の長さの時間分だけ、主人公の機関士らを見守る脇役同様に、彼らの活躍をドキドキハラハラしながら見守り、最後に「イエーイ!」となればそれだけで充分な映画である。 
[DVD(字幕)] 7点(2012-02-23 23:44:18)
697.  トランスポーター2
“B級”というテイストが、これほど主人公そのもののキャラクターに反映されている映画も珍しい。 ジェイソン・ステイサム演じる主人公は、これ見よがしに男気に溢れたヒーロー然としているが、何を置いても彼自身に“粗”があり過ぎる! 前作に引き続き、己に課した“ルール”をおおよそプロフェッショナルとは思えないほど容易に覆し、それがまんまとピンチに繋がっている。 ただし、その主人公の隙だらけのスタンスこそが、2作目にしてこの映画シリーズの確固たる“味わい”となっている。だから問題なし。  前作同様、ストーリーや諸々の設定の粗探しをしたって始まらない。何故なら、“粗”しかないんだから粗探しにならない。 奇しくも、あるウィルスパニックを描いた映画を観た後に今作を観たので、登場する細菌兵器の設定の浅はかさが問答無用に際立った。 しかし、この映画にとってそんなディティールへの配慮はすぐに意味をなさなくなる。 この映画は観客に対して、ひたすらに繰り広げられる“大馬鹿アクション”に乗れないのなら、潔く下車して頂こうという気概に溢れている。  その「乗車基準」を持ち合わせていたならば、ジェイソン・ステイサムが織りなす香港アクションを彷彿とさせる格闘シーンを楽しみ、ミラ・ジョボヴィッチ風のキレた女殺し屋のエロさを堪能し、まったく科学者に見えないジェイソン・フレミングのチンピラぶりに突っ込みを入れながら、秀逸なB級アクションの世界に浸れるだろう。  爆弾が仕掛けられた愛車から飛び降りるのではなく、ジャンプした車体を捻らせて空中のフックで爆弾を削り落とすという「判断」を受け入れられるかどうか。 この映画の“敷居”は意外と高いかもしれない……。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-02-15 16:42:40)(笑:1票) (良:1票)
698.  カンフー・パンダ
この映画は言うなれば、“パンダカンフー”版「スター・ウォーズ」である。 ストーリー、キャラクター性、あらゆる面でかのスペースオペラの世界観が色濃く反映されている。 スター・ウォーズファンのカンフー映画ファンならば、文句なしに楽しめる映画だろう。  何の取り柄もないカンフーマニアのデブパンダが、運命だか偶然だかで“伝説の戦士”に選ばれ、強敵を倒す。という、ありふれたプロットに想像通りにストレートなお話が展開される。 実際、ストーリーに“ひねり”など必要としない映画であることは間違いなく、アニメーション表現ならではの面白さとキャラクターの魅力だけで、「完成」している映画だと思う。  とは言うものの、いくつかの難点はあった。 一つは、主人公の成長の仕方が唐突過ぎるように思えたこと。 何も取り柄もないと思われていた主人公の唯一見出された資質が“食い意地”で、それを最大限に生かして潜在能力を引き出すという修行方法は、この映画世界に相応しいユニークさだと思った。けれど、そもそもその潜在能力が備わっている理由が明確にならないので、やはりあまりに都合良く思えた。  そしてその主人公が、圧倒的に凶暴に描かれる強敵に打ち勝つという様にも説得力が足りなかった。 何故デブでのろまなパンダが戦士に選ばれ、何故強敵を倒すことが出来るのか。そういう基本的な部分の理由付けが曖昧すぎたように思う。  生い立ちも含めた描かれなかった主人公のキャラクター設定は、続編への布石のつもりなのかもしれないけれど、この作品を単体で観た限りでは“軽薄”という印象を拭えない。  ただ、この映画は垣間見えるいくつかの粗を追求するべきものではなく、ユニークなキャラクターたちの愉快で痛快な言動そのものに面白味を見出すべき作品だろう。 そういう意味では、アニメ映画としても、カンフー映画としても、楽しみがいのある優れた娯楽映画であることは間違いない。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-01-20 13:15:12)(良:1票)
699.  マイティ・ソー
マーベルコミックのヒーロー大集合のお祭り大型企画「アベンジャーズ」は、大いなる疑心も付きまとうが、それを遥かに凌駕する期待感が先行している。イロイロ特色を持ったキャラクターが大集合!って設定は手放しでテンションが上がってしまう性質なので。  それはそれとして、神話世界のヒーローを描いた今作「マイティ・ソー」までが、そのプロジェクト・アベンジャーズの一端に食い込んでいるとは知らなかった。 まさに“神”レベルのキャラクターである“ソー”と、基本的には普通の人間である“アイアンマン”こと“トニー・スターク”らが同列に並んで成立するものなのだろうかと思う。 まあ、その懸念は実際に「アベンジャーズ」が公開されてから見極めることとしよう。  単体でみた今作を一言で言うと、「あらゆるイマジネーションが氾濫した映画」というところだろうか。 映し出される映画世界は、まさに“洪水”のような勢いで押し寄せ、入り交じり、混濁している。 実際に描かれているストーリー自体は、お伽噺的なものでシンプルなのだろうけれど、その氾濫具合によって訳が分からなくなってくる印象を受けた。  序盤は“神々の世界”の途方も無さに少々置いてけぼりになり、更に地球へ追放された主人公の立ち振る舞いや、唐突な溶け込み方に呆れた。 そのまま「駄作」と断じてしまってもよかったけれど、何となく拒否しきれない不確かな魅力が、結局のところそれを回避した。  色々な点で突っ込みどころは満載だ。描かれる物語は詰まる所、親子の確執や兄弟の確執の範疇を出ておらず、その当人たちがたまたま「神」だったから全宇宙を揺るがすほどの仰々しい騒動になってしまったという風に見える。 ただそれがこのコミックの世界観だと言われれば、正直批判する余地は無いようにも思えてくる。   鉄の巨人が突如地球上に現れて、それを目の当たりにした政府の人間たちが何を言うかと思えば、 「スタークのものか?」「いや聞いてない」というやりとり。 それを聞くなり、自分の中の“ワクワク感”がひょいっと頭を出してしまった時点で、この映画自体が面白かろうが面白くなかろうが、“マーベルのお祭り”にまんまとノせられている者としては受け入れるしかないのだろう。   (2018.5.7再鑑賞) 初鑑賞時は“ソー”というマーベル・コミックのキャラクター自体に対してビギナーだっため、どういうスタンスでこの「雷様」を捉えるべきか分からず、この映画世界を味わうに相応しいテンションを見出だせていなかったのだと思う。 結果的に、繰り広げられるイマジネーションが混濁しているように見え、「駄作」という印象さえ禁じ得なかった。  しかし、「アベンジャーズ」を含めて、その後のシリーズ作をすべて経てきた今となっては、再鑑賞した今作の印象が一転したことは言うまでもない。 改めて観返してみると、神話にまで通ずる超宇宙を股にかけた崇高なスペースオペラであり、生きる世界の垣根を超えた壮大かつ愛らしいラブ・ストーリーとして、見事に仕上がっている。 「宇宙戦争」「地球の静止する日」等の古典を彷彿とさせるクラシックSFとしての側面も味わい深い。  そして、屈強な雷神に愛されるヒロインとして、ナタリー・ポートマンの魅力的な存在感はあまりにも相応しい。  マーベル・シネマティック・ユニバースの作品群の中では、世評的にも興収的にもそれ程褒められた結果を得られた作品では無かったけれど、“ソー”という明らかに異質なスーパーヒーローの立ち位置を確立させ、紛れもなく愛すべきキャラクターとして成立させてみせたことは、この直後に公開された「アベンジャーズ」成功の最たる要因と言えよう。  贅沢かつ的確なキャスティングを成功させ、この難しい企画をまかり通してみせたケネス・ブラナー監督の手腕と、功績は大きかったと思う。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-01-15 01:32:11)(良:2票)
700.  SOMEWHERE
父親を起こすエル・ファニングの愛らしさ。 ヘリコプターの爆音で伝わり切らない父親の謝罪。 痛いくらいに青く美しい空。 幸福な時間とそれに伴う虚無感。  想定外にストーリーに起伏がなく、映画スターだが自堕落な生活を送る父親と別れて暮らしている娘との束の間の時間の共有をただただ切り取っただけの映画だった。 両者の関係性に劇的なドラマがあるわけでもなければ、何が起こるわけでもなく映画は終わる。  絶対に退屈な映画であることは間違いないのに、それを忘れさせ、不思議な心地よさの中で愛おしい時間を見つめていた。   ソフィア・コッポラの真骨頂という触れ込みは間違っていない。 こういう何気ない描写を何気ないまま映し出し、そこに言葉にならない情感を生むことにこの女流監督は本当に長けている。 プロットとしては、同監督作の「ロスト・イン・トランスレーション」にとてもよく似ている。映画の美しさにおいては負けずとも劣らない独特の秀麗さを見せてくれている。  ただしかし、「ロスト・イン~」が“傑作”と疑わなかったのに対して、今作は絶対的な物足りなさは感じる。 それが主演俳優の差か、微妙なシナリオ構成の差か、はっきりとは分からないが、映画としての美しさは溢れているものの、“面白味”に欠けてしまっていることは間違いない。  それでも、冒頭に記したようなとても印象深いシーンが幾つかあるだけで、良い映画だとは思う。
[DVD(字幕)] 7点(2011-12-27 01:06:47)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS