1. トランボ/ハリウッドに最も嫌われた男
《ネタバレ》 風呂場で爆睡する一人の男性。目覚めた瞬間、浴槽の上に鎮座するタイプライターにアイデアを叩き込み、人差し指で音楽を奏でるように、一文字一文字刻み書きあげていく仕事風景から物語は始まる。 机の上に並ぶ賞の数々、俳優陣との想い出の写真(キャサリン・ヘップバーン)、自らが著した小説「ジョニーは 銃を取った(ジョニーは戦場へ行った)」。 監督の隣で撮影のNGを楽しく見ていられた平和。そこから映画館で観客の冷たい視線が突き刺さる赤狩り(レッド・パージ)の、苦難の時代の到来。 馴染みの俳優は時代の流れによって豹変し距離を置き、貴婦人は冷酷に見放し脳味噌お花畑のBBAと化し、新聞には顔写真付きの記事で煽られ、映画館から出るやいなやコップの水を浴びせられ、資料を破り捨てられ投げ返される「クレーム」を喰らうような時代。 グラスでジャグリングを披露する宴会、それを中断させるために来訪する黒塗りの車、黒衣の男たち。 それでもダルトン・トランボという男は屈しなかった。殴りたければ殴ればいいと眼鏡を外して覚悟を示す。口先だけじゃない男の生き様をこの映画は描き、蘇らせる。 資料映像風の白黒からカラーの“当時”へと飛び、退席になっても、持病を抱えていようが煙草の煙を吐きながら訴え続ける抵抗の証。子供たちが遊ぶ様子でさえ呑気に見ていられない。カーテンを閉め、タイプライターを打ち続ける脚本家としての、職人としての己を貫く。 子供を抱きかかえ口づけを交わす別れ、間近で“怒り”をぶちまけられる挨拶、ラジオ越しに聞いてしまう“声”、罪の意識を示す力のない握手、解放された先に待っていた者と交わす喜びの接吻。影に包まれるようにやつれた男の気力を復活させる再会だ。 引っ越し先でも続く赤狩りの余波、プールに投げ込まれた“GET OUT(出ていけ)”。しかしその程度じゃ男は引き下がらない。自分の脚本を基に作られた映画(「ローマの休日」!)を楽しそうに見てくれる観客の“本音”が男に活力を与え続ける。 時代が変われば人も変わる。スクリーンで引き金を引こうとしていた男が、グリップを差し出し「信頼」し、自ら手を差し伸べる男になったように。例えそれが映画の中だけだったとしても、やるかやらないかじゃ大違い。 黙って見守っていた娘はほとんど叩かなかったパンチングボールに怒りを叩きつけ、傍らで仕事を手伝うようになり、家族は脚本を職場に届け、仕事一筋だった男は衝突を経て話し合うために寝室から酒場にまで飛び出していく。父は映画の基となる文章を書き続け、母親は父親の代わりに家族の思い出を写真の中に残す。 脚本を投げつけてばかりだった上司も「禁句」で揺り動かされる。硝子を粉砕する木製バットに襲われる「拳銃魔(ガン・クレイジー)」、バット・クレイジー、得物を喉首に突き付け、クソ野郎を扉の外までサヨナラよおっ! 「オスカー」がもたらす亀裂と邂逅、“偽名”が映画人たちを引き寄せ、彼等に微笑みをもたらす「生中継」! 劇中挿入される「スパルタカス」の一撃は、トランボたちが続けて来た闘いが実を結んだ瞬間でもある。実際のフィルムと再現した部分が上手く合わさっていて見事なものだった。皆に歓迎される上映会、レンズに反射する「Dalton Trumbo(ダルトン・トランボ)」! エンディングで実際の映画人たちの写真を写すのも面白い。トランボのインタビュー映像は白いヒゲがぼやけてヒゲ無しに見えるくらいの荒い画質。 トランボやオットー・プレミンジャー、カーク・ダグラス、ヘッダ・ホッパー等はかなり似ていてキャラも立っていて気合を感じる。 エドワード・G・ロビンソはアクの強さを薄めた感じ、ジョン・ウェインに関してはまったく似ていないのが面白い。 実物はもっとしゃがれた声で威圧し、青く澄んだ瞳で悪口を言う偉大な大悪党です(褒め言葉)。やはりあの感じはウェイン本人じゃないと出せないようだ。 「赤い河」や「捜索者」といい、ウェインは悪党寄りの役を演った方が面白い男かも知れません。劇中で挿入されるパチモノウェイン映画はケッサクでしたね(「硫黄島の砂」のパロディ映画にしか見えません)。 「オースティン・パワーズ」でパロディ満載のネタをやったローチだ。ジョン・フォード(セシル・B・デミルに文句を言った男)にさえボロクソに言われていたあの頃のウェインなんて笑い飛ばしてナンボ! ただ、ホッパーの存在が全部持っていってしまった感じもする。劇中のウェインですら彼女の駒として踊らされていたかのように。 「TIME」を笑顔で飾った者は大統領の姿と言葉に沈黙し、身ぐるみを剥がされ苦闘を強いられていた者は煙草の煙をくゆらせながら壇上に舞い戻っていく。 [DVD(字幕)] 9点(2017-06-15 11:29:53) |
2. エリン・ブロコビッチ
《ネタバレ》 とにかくジュリア・ロバーツが最高にキマッている映画だ。彼女の存在もそうだし、アン・V・コーツ女史による素晴らしい編集も合わさり、より目が離せない作品だった。 耳に大きな飾りを付けた金髪の女性、豊満な胸を強調するセクシーな格好で男の質問に答える。 サングラスをかけ、ミニスカートから長い脚を伸ばし、煙草を道の隅に投げ捨て火を踏み消し、颯爽と歩きはじめる。ところが肝心の車は違反切符を貼られファ●キン(F●CKIN')、走り出した途端に右から衝突されてファッ●ンサノバビ●チ(FUK●N'SON OF A BI●CH)!! 弁護士事務所だろうが法廷だろうが首の怪我とともに自慢の胸を見せつけながら自分を貫き、家に帰ればベビー・シッターを帰し女手一人で幼い子供たちを育てるシングルマザー。 粘るものの世の中甘くない、流しのゴキブリにまで馬鹿にされるような気分で思い通りにいかない毎日、事故の次は騒音トラブルでブチギレ。 控えめの格好(半袖短パン)で子供たちを寝かしつけ、そうかと思えば外でバイクを吹かす髭モジャを一喝する気丈さ。こりゃ“ノックアウト”されるわ。この瞬間のジュリア・ロバーツがマジでカッコイイ&最高に色っポイ。 通い詰め積み上げる経験、ズブの素人がプロの心を突き動かし、不良の塊みたいな男から母性を引き出してしまう粘り強さ、熱い視線。子供たちが寝た後でトランプに興じながら一気に親交を深めてしまうのだから。ヤンママが徐々に服装を整え、成長していく。 子供たちを抱えながら走り去るバイクに視線をやってしまう姿。サングラスで目元が見えなくとも、どんな心境でどんな目をしているのかが分かってしまうね。 「箱」を置いていくのは、エンジン音で知らせ代理の男にメッセージを託すのは“愛している”からこそであり、自分に嘘をつくことが出来なくなったから。 エリンもまた受話器の向こうで“声”を聞いた瞬間に母親としての表情を見せる。 時が経つにつれプールから子供を出すために駆け寄る行動、写真といったものが事件の大きさを語っていく。車で住民たちの許を訪れ聞き込みを続ける調査、母親だからこそ子供の視線が放つ“違和感”を受け取る。 ゴキにビビッていた者が、泥川をあさり「情報」を集め乗り込み奔走していく! でも運転中に電話はマジでやめろ。一瞬でも目閉じんな!また事故りたいのかっ!?別の意味でハラハラしちゃって会話が頭に入らなかったよ…良い場面なんだけどね…車止めてからにしてくれない?(懇願 投げつけ声にならないほどの嘆き、飲もうとしたグラスを机の上に戻させる“訴え”。 目覚めた先で胸に抱き、眼に飛び込んで来る“思いやり”、酒場でめぐりあい電話をかけるために走り出すエネルギーを与える“手掛かり”。 [DVD(字幕)] 9点(2017-06-15 11:28:46) |
3. 美女と野獣(2017)
《ネタバレ》 ビル・コンドンたちが「美女と野獣」にありったけの想いを注いだ力作。 コンドンが愛するジャン・コクトー版は一輪の薔薇による“呪文”から始まったが、本作も観客を一気に引き連り込む“呪文”から幕を開ける。 冒頭から純白のドレスに身を纏う黒と白のコントラスト・豪華絢爛な舞踏会。それを破壊するように雷鳴とともに現れるドス黒いクソビッ…ウィッチ(魔女)の恐ろしい魔法が人々に降り注ぐ。 ...まあ、改めて思うけどさ..。ちょっとやりすぎなんじゃないんですかね。王子は一体どんだけのことをしたんだよ。まああんだけケバいメイクしてたらそりゃ色々してきたんだろうけど(偏見)。ただ、そのちょっと濃い目のメイクが後々キいてくる。 雪が注ぎ続け春の訪れない、呪いによって身も心も閉ざされた城。片や新しい発想を異端視する村。それぞれの場所で思い悩む孤独な男女、二人を結びつける馬車の疾走、大悪党の御登場。 迷い込むのは、バラを掴んでしまうのは、泥水を撥ね飛ばし、女性のスカートを掴みながら迫り、酒場の人々の人心を掌握する大演説&剣戟をかますのは引き裂かれた人々をもう一度めぐり逢わせるために! バラが司る運命の悪戯、それを変えるために城中を動き続ける“召使い”たちの健闘。見るがいい食卓の上で大量の食器が渦を巻き迫り来る様を!必死すぎてそれだけでお腹いっぱいになるわ!プディング(食後のデザート)。 ロバが引き続ける“洗濯機”、狼の群が導く魔窟への侵入、灯を握りしめる石の腕、囁き蠢く家財道具、一人でに開閉する扉、お辞儀をする上着かけ、飛び跳ねながら紅茶を運んでくるティーカップ、人物や建物を映す鏡、行きたい所へ瞬時に連れて行ってくれる魔法の地図、飛びかかり脅迫する黒い影と角の恐怖、それに屈することを知らない“自己犠牲”。 コクトー及びゲーリー・トゥルースデイル&カーク・ワイズ版「美女と野獣」、さらにはジェームズ・ホエール「フランケンシュタインの花嫁」といったロマン溢れる作品群へのリスペクト精神、同性愛を思わせる描写もねじ込むこだわり。コクトーもコンドンも心は乙女だしな。 ホモは嘘つき、下敷きになった友人も冷たい一言を浴びせバッサリだ。そんな野郎に嘘を付くのが嫌になったら、ティーポッド片手に熱湯を浴びせ皿の雨を降らせ運命に抗う最後の叛逆へ!家財道具…いや己の肉体・未来・魂・存在ごとぶつかっていく大抵抗! 馬で駆けまくり伝える想い、騒動の最中に乗り込む“目撃者”、城の屋根から屋根へ飛び交う跳躍、一騎打ち、明けない夜との・夢のような時間との“別れ”。 我が子の顔も見れず、行方も知れぬまま“奪われる”瞬間の哀しみといったら無い。それが“再会”する瞬間の感動に、思わず泣いてしまったワケですよ。ズルいぞコンチクショー! [映画館(字幕)] 9点(2017-06-06 04:28:08) |
4. LOGAN ローガン
《ネタバレ》 スリラーなら「アイデンティティー」、アクションなら「ナイト&デイ」「3時10分、決断の時」と面白い映画を撮って来たジェームズ・マンゴールドだが、本作もその凄まじい戦い振りにまいっちまった。 なんせ目覚めたらいきなり車泥棒に遭うわ、ショットガンぶっ放されるわ、過剰防衛でトンズラしなきゃならんわ、ボケボケのジイさんから眼を離したらみんな死にかけるわ、刃物みたい(物理)な幼女の人生がハードモードすぎてローガンおじさんの体はボロボロ。 あの咆哮が悲鳴のようにさえ聞こえてくらあ。見てて何度「助けてスタン・リー(「X-MEN」原作者)!!!!!」と叫びそうになったことか。 強制的に出来た“繋がり”が引き起こす出会いと悲劇、託された「メッセージ」が揺り動かす戦士の魂、帰る家を奪われ「流れ者」になってしまった者たちの旅路。 マンゴールドが幼少より親しんだというジョージ・スティーヴンス「シェーン」、そして最も参考にしたと語っていたクリント・イーストウッドの傑作「許されざる者」から受け継ぐ系譜。 この映画における現実は「シェーン」のように甘ったるくなかった。かつてウィリアム・S・ハートの流れ者が殺し合いから逃げられなかったように、イースットウッドの西部劇が凄惨な殺し合いを避けられなかったように。 “普通”とは異なる者との溝・恐怖・すれ違い・修復しようのない負の連鎖。道から外れた者同士の死闘死闘死闘。 それでも少女はアメコミや映画の中の“楽園”にすがるしかなかった。殺し合いのない、自分を愛してくれる、凶器ではなく優しい言葉で語り掛けてくれる人に出会いたかったのだろう。 見たかよあのシェーンを見つめる眼差しを。恐怖を乗り越えられるかもしれないヒーローの存在。 あのオジさんもまた、少女と同じような平穏が欲しかったのかも知れない。船を買い自由を得るためだけの仕事じゃなかったはずだ。運転席から見続けた“普通”の人々の日常。誰にも命を狙われることのない、分かり合う事ができるかも知れない世界。 だが「ペイルライダー」よろしく怒涛の勢いで敵は襲い続けてくる。無敵のヒーローなんて助けに来ちゃあくれねえ。自分の力で斬り開くしかない。 怪しいオジさんには取り合えず投擲、食事の邪魔をするならブッた斬れ!ブッ刺せ!列車が来たら線路の向こうまで、とにかく全力で走り続けろ!! ローガン「漫画は現実じゃないんだっ!!」 日本でトンデモないことやってたのは何処の誰でしたかね...(詳しくは「ウルヴァリン: SAMURAI」を御覧下さい)」)。 ハイウェイに飛び込んで来た「選択肢」、言葉が分からなくても通じた想い、欲しかった団欒、油断、すべてを奪い去る凶刃、動かないはずの肉体を突き動かした“怒り”、告白、目覚めた先で待っていた思わぬ出会い。 口元に優しく伸びる小さな“刃”、不気味に旋回し迫る黒い影、残され再び与えられる「選択肢」。 男は、再び立ち上がり、走ることを、戦うことを選んだ。人生を終わらせるか運命を切り開くか。それを左右する必殺の“一撃”。 「流れ者」になってしまった人々に終わりは何時来るのだろう。いくら叫んでも、先に行ってしまった者は戻って来ない。十字架を「X(エックス)」として手向けることしか出来ないのだから。 [映画館(字幕)] 9点(2017-06-06 04:24:57)(良:2票) |
5. ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス
《ネタバレ》 前作は悲しい過去から幸福をもぎ取る楽しい作品だったが、本作は幸せから始まり悲しみを乗り越えるような締めくくりだった。 のどかな田舎の一本道を走って来る一台の車。その車上でイチャつく若いカップル。愛し合う二人は人気のない森で抱擁と口づけを交わし、銀河中を揺るがす“種”を植えていく。 一気に時代もブッ飛び屋上で獲物を待ち伏せ、誰も踊らないなら代わりに踊ってやるぜとばかりに画面中を駆けまわり、うねり狂うバケモノ相手に死力を尽くす「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」がバックを飾る! 完全にマスコットと化したグルートであった。 外がダメなら中にブチ入り、弱点見つけてブッた斬り。気を引くために全身金メッキ(造形はフリッツ・ラング「メトロポリス」も思い出す)からヤバイの盗んで鬼ごっこ、ゲーセンみたいな大艦隊、喧嘩しすぎて馬鹿がバンジー、姉御が人命救助で木っ端微塵。相変わらず人間辞めてる映画だね本当(褒め言葉 オマケに重武装で銀河を駆けるクレイジーサイコ「ムーンライト」ネーチャン付き!クレイジーなんてレベルじゃねえ! まさかシルヴェスター・スタローンやデビッド・ハッセルホフまで登場してくるたぁビックリだ。スタン・リーはまあファンタスティック・フォー辺りが助けてくれるだろ(テキトー だが今回の主役はそんなスタローンに檄を入れられるヨンドゥのオッチャンだ。ブルーカーペットが運んでくる依頼、怪しさ100%の救い主、ブスの基準も惑星も宇宙もブッ壊れそうなトンデモ展開。 密林でゴロツキどもに喰らわす“大歓迎”、思わぬ下剋上・一撃で抉られちまったもの。 虚ろな瞳が見つめる“氷漬け”、服を着せられ蹴り飛ばされるプライド、ドン引きするしかない目的。クラグリン「転職しよう」。 「男の勲章」を取り戻したなら、赤い閃光を奔らせ船中にクソ野郎どもの“雨”を降らせよう!!テイザー…えっと…誰かアイツの名前考え直してやれよ。 仲間のためなら何百回のワープにも耐えてみせらあ(凄まじい変顔)、何だかんだ言って付き合ってくれるヨンドゥの漢ぶり。グルートとロケットがコントをしている間もウオオオオッ(ドゴーンッ)! その“息子”も家族との想い出が詰まった「ハート」で惑星ごとねじ伏せ殴り合う一騎打ちへ。例え神だろうが知った事か、母ちゃんの仇のヤリチンクソペ●ス野郎なんざゼッテーぶっ殺す!!! …でも本当にとりたかったのは仇じゃなかったかも知れない。 束の間とは言えキャッチボールをし、音楽や夢を語り合った「欲しかったもの」から最後の最期まで貰えなかった言葉。本物の父親がくれなかったものを、“オヤジ”が命の輝きとして残していくなんてなあ。 銀河にバラ撒かれたクッソ汚ねえ「種」よりも、死者を送り出す「花火」の方が何億倍も美しい。エンディングの“オヤジ”の表情はズりいよチクショウ…。 [映画館(字幕)] 9点(2017-06-06 04:21:37) |
6. 見えざる敵
《ネタバレ》 リリアン&ドロシー・ギッシュ姉妹の初々しさ。人差し指で顎をクイッとあげる仕草。 女が気に掛ける“穴”、室内で髪がなびきカーテンが揺れ動く理由、姉妹の髪が風でなびく姿が本当に可愛い。 電話が呼ぶもの、葉っぱに囲まれた中で迫るもの・断るもの、手を引いて家に戻った瞬間から奔る戦慄、窓から引き入れ侵入し、密室に閉じ込められ、穴から突きつけられる“恐怖”。 突き付ける側も気が気でないのか酒をあおぎたくなる気分のようだ。姿を見られないためにあの穴に固執するのだろうか。 「穴を防げばいいじゃん」とか「腕を掴んでやれ」とか思うかも知れないが、突然得体の知れない物体から味合わされた銃撃の威力を物語る“音”。それを体験した本人にしか分からない恐怖が彼女たちを震わせているのだろう。なんせ目の前に迫り気を失ってしまうくらいだからな。だが、恐怖を前に倒れた家族を抱え庇う健気さよ! 出入りを繰り返すシュールな光景、銃撃が知らせる凶事、疾走する車のスピードを殺すように突き出される遮断機(手動)、動き始め回転する橋、戻されるもの、戻って来て“突破口”を開くもの、吹き出し充満するもの、駆け付けるもの、受け入れるもの。 [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2017-05-27 01:35:40) |
7. ドリーの冒険
《ネタバレ》 茂みの向こうから駆けて来る少女、それを見守るように現れるその家族たち。 変な壺?を売りつけて来るオジサンを突っぱね、それに盗んで返答しようとして家族のお父さんにひっつかまり殴られ追い返される。 妻の静止を振り切る横暴な夫、親娘の無邪気なバトミントン?テニス?、眼を放した瞬間に背後から襲い掛かる報復者! 野の中を走り丘の上へ登り下っていく「おっかけ」、閉じ込める隠蔽、捜索、馬車をブッ飛ばす逃走。カーブを曲がり、水辺を突き進んだ瞬間に“さらわれ”流されていく流転。ガバガバじゃねえかおめえの馬車! 後の「東への道」では氷漬けになり“動かない”はずのものが砕け流れ始めるスリルになる。 向きを変え、小さな滝を降り、どんぶらこ、流れ着いた先で釣り上げ、駆け付け、抱きかかえるもの。 [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2017-05-27 01:33:27) |
8. これらのいやな帽子
《ネタバレ》 「これらのいやな帽子(迷惑帽子)」。 椅子に座った観客が見つめる先、壇上の上では何やら揉め事。どうやら映画のフィルムの様だ。フィルムは溶けたりして映像が乱れ、場面がパッと切り替わったり。 それを遮るように帽子を被った女性が観客の中に現れる。満席なので彼女が去ろうとした時、胡散臭い髯を生やしたオッサンが彼女を引き戻し、観客はそのオッサンにキレだし、現実世界まで映像が乱れ始めメタな展開に。 一難去ってまた一難、派手に飾り立てた女性がどんどん増えていき遂には頭上からクレーンまで降りてきて飾りや貴婦人そのものをさらっていってしまう。拍手するとこが違うわww [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2017-05-27 01:32:24) |
9. ラ・ラ・ランド
《ネタバレ》 「セッション」も素晴らしい映画だったが、今回は圧倒的な愉快さに惹きこまれた。 初っ端から大渋滞のハイウェイ、様々な音楽とクラクションが道路中に響き渡る中をキャメラが通り過ぎる。誰かが歌い出せば扉を開けまくり、外に飛び出すダンス・ダンス・ダンスの大スペクタクル! 女たちは髪をなびかせスカートと脚を舞わせ、野郎どもはボンネットの上を軽快に駆け回り、トラックの荷台を開けばバンドマンたちの怒涛の演奏が熱狂の渦を最高潮に盛り上げる!! それが嵐でも過ぎ去り、夢でも見ていたように、我に返り静かに元いた場所に戻っていく。冬、春、夏、秋…四季がすべて熱気に包まれているかのような映画だ。 挨拶代わりのクラクション、中指を突き立て、“音”から“音”へ飛び、黒いシルエットが揺らめき、瞳と瞳が合う出会いと別れを繰り返す男女二人。 カフェで地道に働く女優志願は店に毎回来る「憧れ」になるため夢を目指し続け、夢を諦めきれないピアニストは己を偽り自分を抑え込みひたすら“音”を弾き続ける。ちょっとでもアピールしようとすればすぐにつまづいてしまう日々を送っている。 「セッション(ウィプラッシュ)」を知る人はもれなくフレッチャー先生の幻聴が聞こえてきます。 「違うクソッタレ!!!!!」 プールに飛び込む狂喜乱舞に混ざりきれない女(カメラまで猛烈に回転してぶっ飛びそう)、音楽性の違いで職場やかつての仲間を受け入れきれない男。 夜空に飛び散る花火、街を照らすネオン、車の灯も河のように連なり流れ続ける。その流れに取り残された孤独な者どうしが視線を交え、肩をぶつけ、リクエストで“お返し”し、願いを聞き入れ、街灯が照らす夜道を歩き、踊って踊って踊る内に惹かれ合っていく。 役者として、音楽家として、一度恋の炎が灯れば思わず踊り出してしまう。 ジャック・ドゥミ「シェルブールの雨傘」やスタンリー・ドーネン「雨に唄えば」といったミュージカルの傑作群を思い出さずにはいられないくらい楽しそうに踊りあかす。 いやそれだけじゃない。 部屋に貼られたイングリット・バーグマンやロバート・シオドマク「殺人者」のポスター、路地の壁面で微笑むルイーズ・ブルックスやマリリン・モンロー、映画館で燃えるニコラス・レイ「理由なき反抗」、ヒロインの心の中に焼き付くヒッチコック「汚名」、ハワード・ホークス「赤ちゃん教育」、マイケル・カーティス&ドン・シーゲル「カサブランカ」といったエネルギーの源。 映画中に散りばめられた「思い出」が今のセブを、ミアを、監督デミアン・チャゼルの“今”となって活き続ける。先人に学び、未来を切り開こうと努力し続ける人間の強さがギラギラ輝いているんだ。 フィルムが焼けてしまったら、“本物”を見に行こう。満点の星空の中に躍り出て、雲を抜け、星の海を二人っきりで舞い続ける夢の時間。音色も心も弾ませて。 前作「セッション」は打ち込みすぎるあまり大事なものを捨て続け、失う作品だったかも知れない。この映画は心から楽しみ、大事なものを優先した先にある答えを描こうとしているのではないだろうか。 好きになってしまったからこそ追い続け、謝り、食い下がり、勇気づけ、違う道を歩んでいく。一人は表舞台へ駆け上がり、もう一人はそれを送り出すように裏方に徹する。 素敵な音色で再会の挨拶を贈り、口づけを交わす“叶わぬ思い”を伝え、潔く身を引いていく。二人の間に言葉はいらないのかも知れない。ありったけの想いを込めた音色だけがそれを語り掛ける。 あれほど無我夢中に熱を帯びていた「冬」は、何処か寂しく切ない「冬」になって幕を閉じる。 [映画館(字幕)] 9点(2017-02-25 07:29:47)(良:3票) |
10. 沈黙 ーサイレンスー(2016)
《ネタバレ》 霧、霧、霧である。 冒頭から行く先の見えない光景に遭遇し、霧が晴れたかと思えば、磔にする責め苦と説明過多のナレーションによる二重の拷問を観客は受けることになる。 主人公たちが乗る船は常に視界を阻まれるように霧が発生し続ける。スコセッシが敬愛する溝口健二「雨月物語」の船がそうであったように。 噂だけしか入ってこない先人たちの現状、この目で直接見なければ納得がいかない。霧をかき分け、海原を超えてでも真実を知りたい。時折上から見下ろされているような視点。まるで神が見守っていてくれているとでも思いたげな。 自らも小高い丘から見守ることしかできない苦しみを味わうなんて知らずに。 信用できない水先案内人、洞窟に取り残される不安、松明を掲げる者が静かに十字を切ることでようやく表情が緩む。 日本側の容赦の無い隠れキリシタン狩り、弾圧の様子。 村を材木が散乱し野生の猫が跋扈する無人地帯にし、押し寄せる波に晒し、抜刀して首を跳ね飛ばし、簀巻きにして海の中に沈め、血を垂らしながら逆さまに吊るす“見せしめ”の数々。 壁に刻まれた母国語、再会させるのは、目の前で処刑を行うのは、踏みにじらせるのは異邦人の信仰心をへし折るために。 スコセッシが今までの作品で描いてきた死にたくても死ねない生き地獄。床や水面に見る“幻”、主の声(幻聴)、幾度も気が狂ったように自分自身を嗤う。生きる恥をさらし続けてまで生き延びる意味を探しながら。 家財道具に刻まれた無言(沈黙)の抵抗。 何度も何度も許しを請い逃げて来た男が首にぶら下げる「逃げるのをやめた」証。 遠藤周作の原作との決定的な違いは、「夜明け」という希望の灯が昇らない点にある。闇の中で蝉の鳴き声だけが響き続けるのだから。 その代わりに燃え盛る焔、掌の中で鈍く輝く“尊厳”が無言(沈黙)の抵抗を示すのだ。 かつてイエス・キリストを題材に「最後の誘惑」を撮ったスコセッシだ。この映画もまた、こんなご時世だからこそ存分に“挑発”し、問いかけるような作品だ。 [映画館(邦画)] 8点(2017-02-09 09:31:59)(良:2票) |
11. ピアノ・ブルース
《ネタバレ》 マーティン・スコセッシが制作を仕切る「ブルース・ムーヴィー・プロジェクト」シリーズの中でイーストウッドが手掛けたドキュメンタリー。 レイ・チャールズをはじめデイヴ・ブルーベック、ファッツ・ドミノといった伝説、その先人たちの系譜をたどりながらブルース・ピアノの歴史に迫っていく。 初っ端から響き渡るピアノの音色。 「ピアノ」を創造した先人の肖像、製造し、組み立て、弾き語る映像・写真に残されたピアニストたち、それを経てレイ・チャールズをラフな格好で迎え入れる。 この作品のイーストウッドは実に気軽で、歴史も振り返りながら音楽を楽しみ・学んでいこうという姿を見せてくれる。 白黒の映像で記録されたピアノを弾いて弾いて弾きまくる人々の姿。イーストウッドも自らピアノの音色と言葉で「語り」続ける。 最初に登場するレイ・チャールズの存在感。 キャメラの前を幾度か通り過ぎるスタッフを他所に、サングラスをかけたまま傍らに座り、先人の演奏とスタジオの光景を交互に交え、時折咳をしながら熱を帯びていく語り。 レイがイーストウッドの隣で弾く場面。 鍵盤の上で指先が踊り、リズムをとる足先、起き上がるハンマー。イーストウッドは立ち上がりピアノの脇へ移動し、チャールズは肉体を揺り動かすように歌声をあげる。大きなピアノのフタに反射するチャールズの笑顔が素敵だ。 キャメラもあまり動かないようで、鍵盤を叩く手からピアノの上で波打つハンマーへ移動しながらその光景を捉えたりする。 若き日のレイのエネルギッシュな演奏。 ピアノを弾きながら体を大きく揺らし、足でステップを踏み、微笑み、旋律と歌声を会場に轟かせる。膝を楽器のように叩き、ステップとリズムを刻み盛り上げ、コーラスの女性陣、バックの奏者もそれに合わせノリにのっていく。 レイに先駆けたピアニストたちの演奏も凄い。 様々な技巧でプロフェッショナルとして、音楽を心から楽しみ鍵盤の上で指先をけたたましく奔らせる。ピアノそのものまでが彼等・彼女等の演奏に反応でもするかのように動き出したりもするのだ。 しかしYAMAHAのピアノって昔から向こうで活躍してたんだな(誰がそのピアノを弾いていたかは見た人だけのお楽しみ)。 その系譜に「俺もいるんだぜ」とばかりに「センチメンタル・アドベンチャー」でテンガロンハットを被りながら演奏を務めるイーストウッド自身の姿も挿入してしまう。しかし良い笑顔だこと。 肩に手をやり演奏を終えた者を称え、取り出したハンカチで口の汗をぬぐう熱気。 現在のピアニストの手から過去の奏者たちのセッションに飛び、再び現代へと戻り、受け継がれていくメロディ。 最後は今までの演奏をひたすら繋げていき、レイの歌声で締めくくる。 イーストウッドは自ら映画音楽にも携わり、作品でもチャーリー・パーカーの伝記「バード」、カントリー歌手を題材にした「センチメンタル・アドベンチャー」、「ピアノ・ブルース」の後にはフォー・シーズンズの伝記「ジャージ・ボーイズ」と音楽に対する思い入れをぶつけてきた。 いずれの作品でもピアノの音色が響き、無くてはならない存在だった。それだけイーストウッドはピアノが好きなんだろうなあ。 [DVD(字幕)] 8点(2017-02-08 06:10:59) |
12. ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー
《ネタバレ》 いつもなら延々とあらすじを流す(ジョージ・ルーカスが好きな「フラッシュ・ゴードン」の連続活劇よろしく)「スター・ウォーズ」シリーズだが、本作は一気に本編へ雪崩れ込む。 「帝国の逆襲」を思わせる撮影・圧倒的劣勢の中で抵抗を続ける人々、そして「新たなる希望」のデス・スターによって“星屑(スターダスト)”になってしまった名も無き人々の戦い。 彼等は何を成し、何を残したのか。そこには深遠で無数に輝く星々の如く物語が存在するのだろう。 空から降りて来るもの、その下に拡がる大地を懸命に走り続ける少女の表情が物語る恐怖。 両親から託される意志、草むらから見てしまったもの、走り続けた先で遭遇する“扉”。 この映画はひたすら「扉」といった障害物に遭遇する。時にこじ開け、守るために閉ざし、吹き飛ばし、身を挺して「何か」を託して託して託し続ける。 「何か」を心の支えにし、繰り返し唱え、眼に見えない反旗を掲げ続け、己や仲間を鼓舞して何十年と戦ってきた。それがフォースであれ何であれ。 盲目のはずの男は音と気配・経験で敵の位置を知り、棍棒でブチのめしまくり戦闘機を撃墜までしてしまうのだ(つうかドニー・イェン強すぎ)。敵のドロイドでさえプログラムを変えれば心強い味方になってくれる。 出だしの単調さを吹き飛ばすドニー・イェン&チアン・ウェンの愛すべきおっさんコンビの無双振りよ!それが…ああ無情。 その「何か」は同じ叛乱を志す者たちに亀裂も生じさせる。 ある者は命の恩人をシャベルで殴りつけてしまうほど疑い深くなり、或る者は住民ごと爆弾で吹き飛ばすくらい苛烈に憎悪を燃やし、いがみ合い、疑心にかられ、何も信じられなくなり、すれ違い、味方にすら銃口を向け、「再会」を敵の基地ごと吹き飛ばしてしまう複雑な思い。 「何か」を失い続ける連戦、キリのない戦いと逃走の繰り返し、追い詰められていく戦況。 それでも、わずかでも希望があるなら、戦士たちは鹵獲した船に乗り込み敵の懐へと飛び込んでいくのだ! 何も言わずに武装し乗り込んで行く漢たち女たち義勇軍の雄姿。出会ったばかりで名前もよく知らない、知る間もなく別れることになろうとも。 突入間近で「何も成せなかったらどうする」と後悔するような、死の恐怖を示す表情。 それを勇気づけ突き動かす「何か」。自分たちがやらなきゃ他に誰がやる?どうせ敵のど真ん中、逃げ場はない、進むしかないなら死んでも未来に繋げてやらあっ! すれ違いが引き起こす混乱・混沌、猛烈な爆炎、銃撃、戦闘機が飛び交い戦艦が激突・爆散し兵士たちの屍と瓦礫で埋まり真っ黒に染まる戦場!兵士は消耗品だと言わんばかりに次から次に死んでいく。 その死闘を嘲笑うように、地平線から姿を現すデス・スターの圧倒的絶望感。暗闇から鉛色のシルエットが浮かび上がる瞬間といい、こんなにもデス・スターを恐ろしいと思ったことはない。普段はあんなザル警備なのに… ギャレス・エドワーズの照射とメッセージを交互に映す演出はじれったすぎて「またあの「GODZILLA ゴジラ」のクソ演出を繰り返すつもりか」とうんざりしていたが、トニー・ギルロイはそれをあえて繰り返すことでクライマックスの虚しさを引き立ててくれる。 一撃が炸裂する刹那、もうどうしようもない、成す術もなく、抱きしめ合い身を任すことしか出来ない姿の…。 それに追い打ちをかけるように、未来へ飛ぼうとする人々を粉々に打ち砕くダース・ベイダーの来襲!白い光が黒いシルエットを際立たせ、扉をこじ開け、真っ赤な閃光を奔らせ薙ぎ払い迫り来る恐怖の権化。この容赦の無さこそベイダーよ! そんな状況でも扉の向こうへ託そうと抗い続ける散り様、それを受け継いだ者たちが次の「スター・ウォーズ」を語り続ける。名も無きものたちの闘いを忘れない、無駄にしないために。 [映画館(字幕)] 9点(2017-02-02 04:37:54)(良:1票) |
13. 流血の谷
《ネタバレ》 「レッドマンの考え(インディアンの考え)」、「モヒカン族の最後(ラスト・オブ・モヒカン)」、「折れた矢」、「ミズーリ横断」、そして本作はインディアンと蔑まれ一緒くたにされたショショニ(ショショネ)、シャイアン、モヒカン、スー連合、アパッチといった諸部族…北アメリカ大陸に先に“国”を育み暮らしていた人々の側に立って撮られた傑作の一つだ。 やはりアンソニー・マンの西部劇は新しさに満ちていた。 「ダンス・ウィズ・ウルブズ」がアカデミー賞を取れるならば、アンソニー・マンや「ビッグ・トレイル」のラオール・ウォルシュ、ウィリアム・A・ウェルマンは一体何度賞を取れただろうか。 この映画は「ウィンチェスター銃'73」のように初っ端から撃ち合うような映画ではないが、代わりに人種差別という題材を体現する視線、視線、視線が重い空気を作っている。 馬に乗ってひたすら駆けていく男。彼の目的は帰ること、再会を分かち合える嬉しさに溢れていたことだろう。 肌の色に関係なく軍人となり、戦争を生き残った。もう「インディアン」呼ばわりされない、ショショニ族という自分のアイデンティティーを認めてもらえる…きっとそんな気持ちで酒場に入っていったはずだ。 戦前から知り合いだった男たちとの再会、胸の勲章を“認められた”証として見せびらかしこそしないが、誇らしく身につけている。 だが、画面の端…酒場の奥にいた男にその想いは届かなかった。彼の存在が終始この映画に暗い影を落とし、息苦しさを持続させる。 机の上に叩き出し栓を打ち上げる酒瓶、奥行きで強調される窓や壁の穴から差し込む光、巻きあがる土埃、映り込む影。 迎えに来た父親との再会、周りに集まり騒然と、白い目でそれを見つめる街の人々。犬にも警戒されているのか吠えたてられる。 元々住んでいたのどかな生まれ故郷。自然豊かな大地を牛が行き交う谷、自分の存在理由。 父が残す言葉の真意と医者の反応、黙って見送るしかないもの。 知人の変貌、貼り紙、偏見に満ちた男の銃撃、それに拳で応える殴り合い、不気味に見届ける黒い影、影、影が囲む閉鎖空間(ジョン・オルトンが撮った強烈なコントラスト)、砂と血にまみれる取っ組み合い、浴びせかける“おごり”。 悪徳弁護士、女性弁護士との邂逅、ライフルで武装する警戒・それが緩む少年を暖かく迎え入れる光景。助けないのは助けてくれる者がいなくとも自力で立ち上がる強さを与えるため、這い上がるならそれを称えるように抱きかかえ抱きしめてやればいい。それがショショニ族の強さなのかも知れない。 板挟みに遭う開拓者、ショショニ族の避けられない殺し合い、文明の衝突。故郷を奪われ居留地に押し込められ、流れ着いた人々、受け入れられるものとられないもの、自分の故郷…国を守るために武装し戦うしかない。かつて同胞として共に戦った者たちと…。 街や谷に溢れかえる牛、羊の大群、それを幌馬車ごと吹き飛ばすダイナマイトが炸裂しまくる殺し合い、撃ち合い、殴り合い、横たわる死、死、死。 椅子を逆さにし家財道具も何もかもバリケードにし土を掘り返し続ける戦闘準備、それを見守る指揮官を横移動で捉えるキャメラ、レバーを開き確認し受け渡されるライフル。 法を知る弁護士さえいくら話し合うことは出来ても戦いを止められない無力さ、騎兵隊も助けてくれない。拍車をかけるだけだ。 大人が斃れれば次は子供も“大人”にされ戦闘に駆り出されていく。 踏ん張っていたものが力尽き、斃れることを告げる敬礼! この作品の要素は文明の衝突「ララミーから来た男」「シャロン砦(シャロンの屠殺者)」、法をめぐるやり取り「胸に輝く星」、不安定な人間関係「裸の拍車」等にも受け継がれる。 [DVD(字幕)] 9点(2016-12-16 19:31:20) |
14. ヘイトフル・エイト
《ネタバレ》 見渡す限り雪が拡がる空間、鳥の群が雪原を飛び立ち、キリストをかたどった十字架が今にも崩れそう立ち、その向こうから駅馬車が駆けてくるまで長ーいことキャメラが捉え続ける。 ジョン・フォードを愛する種田陽平のドアにこだわりまくった美しい美術、外から密室の天井・床下まで滑らかに移動するロバート・リチャードソンのキャメラワーク。否応なしにワクワクするようなオープニング。 だが、タランティーノは6章に渡り2時間50分かけて描かれる恐ろしい世界に観客を叩き落すのである。 駅馬車を引っ張る馬を横移動で捉えるショットが幾つかあった。タランティーノは駅馬車版「デス・プルーフ」も撮ろうと思えば撮れただろう。だがそうしなかった。 確かに「デス・プルーフ」のように終盤大爆発型タイプの映画だが、あの映画ほどの密度と爽快・痛快なものはない。延々くっちゃべっている気さえしてくる。 「ジャンゴ」が冒頭からブチかますセルジオ・レオーネのマカロニウエスタンやハワード・ホークスといった痛快な西部劇へのオマージュだったのに対し、本作は中々撃たずにダラダラ展開されるタイプの西部劇を挑発するかのような内容だ。 死体の山に座り待っていた男、駅馬車からライフルを突き付け“検査”する男、それに手錠で繋がれた痣だらけの女、サングラスをした御者、雪原の向こうから声をかけ歩いてくる男。 人種差別と暴力が支配し延々と走り続け、観客を不快な気分に沈める閉鎖空間、唾を吐くならドアの外に叩き出し道連れだ。 雪原に打ち込むもの、馬小屋、板の間から入っては溶けて消えていく粉雪、ドアを板でイチイチ打ち付けなきゃならない理由。 床の溝に転がっていた赤いもの、首筋に突き立てられるナイフ、暖かい飲み物と食事を口にする時でさえ安らがない野郎どもの心。 得物を渡し侮辱と挑発を重ねた果てに浴びせる一撃、ポッドに入れられるもの、ぶちまけられる死、二挺拳銃で吹き飛ばし生き残りを黙らせる尋問。 銃を渡すのは信頼のため、後ろで弾込めをしながら続く緊張状態、犯人探し、床下から“判明”する真相。 弾け飛ぶもの、布で隠されるもの、隠された銃、立てかけてあったもので断ち切るもの、吊り上げられるもの、鎮魂の歌。 [DVD(字幕)] 8点(2016-12-15 04:24:30) |
15. ズートピア
《ネタバレ》 夜の森、兎、水辺で襲われる弱肉強食…を演じる子供たちの演劇。大人たちは笑うが、子供たちは子供たちなりに必死で夢を描く。 その演技も含め、さりげない場面の数々が後に伏線となって効いてくる面白さ。 ケチャップで血の海、大小様々な動物肉食・草食、あらゆる動物が跋扈する世界。 演奏、服装、宇宙服、兎の家族、コスチュームプレイ、憧れ、夢、スキップ、恐喝。 押されれば蹴りで、ひっかく、頬の傷、掴み取っていたもの、自己犠牲。他者のためなら進んで自らを捧げてしまうのだろう。 訓練所で落ちて、落ちて、落ちて、ぶっ飛ばされ、それでも諦めずに跳んで、飛んで、跳び蹴りを喰らわせ小さな体で巨大な相手を薙ぎ倒す成長。 それぞれの動物のサイズに合わせた扉、別れの抱擁、窓の外、電車、旅立ち。 自然の中に拡がるコンクリート・ジャングル、駱駝の疾走、砂漠、雪山、密林、歓迎、一人暮らし、隣人の声、壁の絵、忘れ物。 野獣野郎どもが競い合う警察、椅子によじ登る、拳を突きあう挨拶、任務、警ら、違反キップを跳ねるように貼りまくる。 鼻のアイス、拳銃の様に腰に据えるスプレー、アイスクリーム屋、掲げるアイス、胸の勲章、見せつけられる現実…商魂たくましいこと。 最高の出会いから最低な真実を目の当たりにし、それを乗り越え近づき、また離れ、再会を繰り返し深まる絆。 電話で繋がる故郷、帽子を投げ出し、水を得た魚のようにビルからビルへ跳ね、跳ね、跳ねまくる追跡! ドーナツで捕縛、受け入れる依頼、瓶で拡大、突き付けるボイスレコーダー、動物本来の姿で跋扈する環境。 主人公だって幼き日にあられのない姿を晒していた…それが最終局面のアイデアにも繋がったかも知れない。追跡の時にしても、自分よりもっと体が小さい生命が力強く生きている…それが彼女の肉体ででっかく燃え上がり光り輝く“魂”を育てたのかも知れない。 バックスバニー「自然体が一番だね」 仕事熱心なナマケモノ(マイペース)、投げた先、侵入、手掛かり、扉を開けた先、「ゴッドファーザー」ネズ公、蓋を開けた先に拡がる絶望、思わぬ再会、口づけ。 吊り橋、暴走、蔦でターザン、救援。 人を騙すようになってしまった理由と過去、口にハメられ心に刻まれた傷、監視カメラが見たもの、ジェスチャー、ハウリング、逆らえない「性」。 侵入口、レディ・ファースト、収容所、記録、電話、脱出、雑コラ、誘い、新聞とニュースが駆け巡るメディア、記者会見、口枷が蘇らせるトラウマ、絆を引き裂く群衆の壁。 “病い”によって生まれる差別意識、作られた英雄、置かれる勲章。 里帰り、花、投げ渡す鍵、持っていてくれたものが蘇らせる関係。 ドライブ、友人の協力(脅迫)、地下鉄、研究所、狙撃、扉の外に叩き出し、砕いて閉めて開けて跳んで蹴っ飛ばしてぶっ飛ばす!! 託すもの、穴、噛み砕かれるもの、壁に追い詰められても肉体ごと捧げてしまう行動、記録、“弾”、駆けつけていたもの、戻って来たもの、認められたもの、帽子を投げまくる歓迎、与えられた新車が語るもの。 歌で結ばれる動物…いやズートピアを支えるすべての生命たち。 [DVD(字幕)] 9点(2016-12-15 04:21:29) |
16. 西部の男
《ネタバレ》 初っ端から柵を切断するペンチ、牛を引き連れた牧童たちと農夫たちの銃撃戦、斃れる牛、理不尽な絞首刑。 コレは…ワイラーによるアクションが充実した西部劇が…始まると思ったら少し違うようだ。 酒場という裁判所、立ち会う人間も酔っ払いだらけ、オマケに葬儀屋まで待機でタチが悪い、後ろに立てば振り向きざまに拳銃突き付けられる。 弁護人、罪を着せられた流れ者とインチキ判事、女の話と一夜の酒で結ばれた奇妙な友情。 朝起きたらベッドに二人きり…ウォルター・ブレナンをお姫様抱っこまでするのだから想像するなと言う方が無理だよなアッー! 当時のゲイリー・クーパーファンはさぞかしあんなことやこんなことを考えただろう(何の話だ)。 馬を猛烈に走らせる追跡、キャメラも平行移動で丘を登ったりと凄い。グレッグ・トーランドのキャメラワークが遺憾なく発揮されている。 相変わらずワイラーは馬を撮る時だけ本気出すタイプ(褒め言葉)。トーランドが「ベン・ハー」の頃まで生きていたらなあ…惜しまれる。 抱き着いて男からは銃を奪う代わりに髪をひとふさプレゼント、友人として悪徳判事の側面に触れ、農民たちとも関係を深め互いの主張を尊重し、水と油を和解させようと努力した。 火をつけ窓の向こうで微笑む不気味な顔。コレはまだいい。無意味なズームはちょっとやりすぎ。 祭りを阿鼻叫喚に変える大火災、実行者たちの蠢き、無力さ。何食わぬ顔で嘲笑い賑わう街と焼き出された人々の対比。そうと判っても“忠告”で済ませ、受けて立ってしまうのは“友情”故か。 胸に輝く星、劇場を独り占め…あえて孤独を選び椅子を真ん中に置く寂しい後ろ姿。 幕が上がる“めぐり逢い”、一騎打ちの銃撃戦。響く空の弾丸の音、込められる弾、立ち上がった瞬間に訪れる決着、最後の頼み。 [DVD(字幕)] 8点(2016-12-15 04:17:33) |
17. ミッション:8ミニッツ
《ネタバレ》 この映画は、もしも運命を変えることが出来るなら…という願いも込められた作品なのだろう。 変えようと足掻き続けた者の、それを見守り続けた人々の表情と葛藤。 海岸沿いにそびえる摩天楼、列車、窓にもたれかかり眠りから目覚める男。 相席で話しかける者、胸ポケットから取り出すもの、電車内で蠢く人々、窓に映るもの、鏡、写真、列車内を奔る“風”が無情に告げる別れ。 目覚めた先で見たもの、窓の向こうで動く人々。 繰り返される光景と“8分”、視点変え、“変える”ための行動、登った先にあるもの。 ぶん殴ってでも黙らせたかった、救いたかった。 “戻る”度に刻まれる異変。 挨拶、聞き出す名前、人間観察、荷物、口づけ、中から外への追跡、隣に座った後にぶん殴る。 “出る”…いや“繋がる”ための足掻き。移動、懐中電灯でこじ開けるもの、紙に記る“印”、電話、駆け巡る記憶、焔。 突き付けるもの、扉が閉ざされるならこじ開けるまでよっ! ポケットの中身、車越しに倒れるもの。 選択、共謀、迫り来る時間、時が止まったように残され完全に切り取られる“一瞬”、箱の中身。 [DVD(字幕)] 9点(2016-12-15 04:16:08)(良:1票) |
18. 殺し屋ネルソン
《ネタバレ》 俺が見たのは海外で販売されたVHS。画質は悪かったが、この映画の面白さを損なうものじゃなかった。 コイツは間違いなくドン・シーゲル初期の最高傑作だ。 圧倒的破壊の全力疾走で見せる見せる見せる、これぞギャング映画と言わんばかりの面白さ。 「ダーティハリー」や「ラスト・シューティスト」といった初っ端からブチかます作品群と比べると、この映画は最初ブッ放さない。 徐々に速度が加速していくタイプの撃ちまくり殺しまくり映画だ。 実在したレスター・ギリス(ベビー・フェイス・ネルソン)の伝記としては実際のネルソンとかなり違うが、アクション映画としてシーゲルのやりたい事が詰め込まれた素晴らしい出来となっている。 ミッキー・ルーニー演じるギリスの凄味! ビルの群れ、人の群れ、刑務所、ナレーションによるギリスことネルソンの紹介。刑務所を出ていく影、その直後に「Baby Face Nelson(殺し屋ネルソン)」の題名が出る。 迎えの車に乗り、目的地に着き、アジトの階段を上っていく。二人の会話が終わってからやっと人物クレジットが出る。 葉巻の煙を払うように「もう殺しはやらん」とサイレンサー付きの拳銃を返し一度は断るが、運命はギリスを再び殺し合いの中に引きずり込む。 刑務所から解放された喜びからか、浴びるように風呂ではしゃぐ。 久しぶりにあった女と熱いキスを何度も交わす。伝記の白熱球をひねって消し、情事に入ろうとする。その後にちゃんと電球を戻す律義さ。殺し屋としての血がうずく新聞記事。 ヒロインはバーバラ・スタンウィックやクローデット・コルベールに近いタイプのキャロリン・ジョーンズ。 点滅するネオン、バスルームに押し入られ、身に覚えのない拳銃という“罠”、ツバには腹パンで返答される! さあギリスの“ネルソン”としての復讐劇が加速するのはここからだ。 列車、女が転ぶのはかがんだ標的をネルソンがブチのめすため、銃を奪い、車で運んだ遺体を猛スピードで地面に叩き落とす! 階段に隠れ、ターゲットが上ってきた瞬間に瞬く間に3人を射殺し車で即逃げる。本も死体が音をたてて転がっていくようにバラバラ落ちる演出。 酒を取りに隙を見せ、背中を向けた男の首に銃をつきつける。ガラスを撃ち抜くが一歩遅く、彼等は夜街を駆け抜ける。 脚から胸にかけてのラインを見るエロ医者、何回女とブチュブチュやんだよギリスは(憤慨)。 大火傷を負い包帯で顔を覆った男が渡す新聞、闇夜のブランコで作戦会議。 オフィス襲撃時の緊張。 時計、アイスクリーム屋に化け、警備を潜り抜け、車内では息を潜めてトンプソンを構える。 煙、「STOP」のバーを脚でこじ開け、緊張の糸が弾けた瞬間にトンプソンは火を吹き、金を積んだ車を奪って乗り換え逃げ切る。 仕事仲間の墓穴つくりを、酒を飲みながら見るだけの医者。そりゃスコップも投げたくなりますよ。 日光浴中の彼女に布をかける不器用な愛情、脚に触るエロ医者への嫉妬、愛情の暴走も加速していく。 他の男とちょっと喋っただけでも怒鳴り散らす。防弾とはいえいきなりバカスカ撃つんだから怖い。「裏切ったらマジでブッ殺すぞ」という警告としての発砲。 酒屋の登場で油断した後に現れる“本物”、裏口からの脱出、森の中での銃撃戦、巻き込まれる一般住民。 郵便局員から銀行強盗への早変わり。銃をクリックして脅す。おっちゃん涙目。 女にうつつを抜かす者たちの破滅、新聞の写真に刻まれるマーク。 ネルソンの転落も加速していく。思わぬ情報の流出、指紋手術の失敗、触れない腕で怒りの殴殺と船でドンブラコ。 ラスト20分のフルスピード。 銀行襲撃までのシークエンス、裏をかいて仲間まで“裏切り”閉じ込め、客のいる室内に催涙弾をブチまける。 銃声に異常な反応を示すほど精神的にも追いつめられる。動物狩りを楽しむ子供たちを撃ちそうになる瞬間。 クライマックスのチェイス、警官のバリケードもブチ破り、バックミラー、“死に場所”への直行・・・近づくサイレン、もたれかかり「俺を殺してくれっ!!」の絶叫!凄いラストシーンだ。 [ビデオ(字幕)] 10点(2016-11-24 22:47:06) |
19. 荒野の女たち
《ネタバレ》 ジョン・フォードが本当に撮りたかったもの…それは女たちの生き様だったのではないか。 「我が谷は緑なりき」や「怒りの葡萄」の家族を支える女たちの、「駅馬車」で蔑まれている中だろうが赤ん坊を救うことを選んだ女の、「馬上の二人」の連れ去られ差別に苦しんだ少女の、「メアリー・オブ・スコットランド(スコットランドのメリー)」の王女になってしまった女たちの孤独。 野郎が跋扈する「三人の名付け親」や「捜索者」ですら、男は母親の様に子供を抱きかかえていた。いなくなってしまった女たちの代わりを果たしたかったかのように。 この映画は、冒頭の馬賊が駆け抜けるような映画ではない。理不尽な現実に打ちのめされ、それに抗おうとする弱者たちの静かな“怒り”が渦巻く映画だ。幼い子供たちの、彼等を守る女、女、女たちの。 馬賊たちは後の災厄を予告し、動乱の中国大陸に脚を踏み入れ取り残された人々を振り回していく。 馬に乗って僻地にやって来たカウボーイのような井出達の女医。このアン・バンクロフトのカッコ良さと言ったら。厳粛なキリスト教を笑い飛ばすように煙草をたしなみウイスキーを愉しみ、祈る暇があったら自ら行動し、家族や組織といったしがらみを拒むように孤独な様子を覗かせる。 それが運ばれてきた負傷者を見るやいなや医者として迅速に行動を起こし、病が発生すれば家中を駆けずり回り、貴重な水でも犠牲者を減らすために投げ捨て最善を尽くす。 隔離を告げる看板、ひたすら土を掘り返していた者が座り込み、布の下に眠る死者たちを想い打ちひしがれる。 一難去ってまた一難、建物の向こうで燃え盛る巨大な焔、門の前を通り過ぎる軍隊、扉を開いた瞬間に雪崩れ込む馬賊たち暴力の嵐。監禁と虐殺、けたたましい嘲りがこだまし頭がおかしくなりそうな閉鎖空間。それでも彼女は諦めず己を貫き通す。「汚い手で触んじゃねえっ」と言わんばかりに屈強な大男に平手打ちを喰らわせる気丈さよ! 女たちは老いたはずの肉体で新たな命を産み、女医はそれに応えるために壁を駆け上がり格子を握りしめ怒れるばかりに叫ぶのだ!! 馬賊たちとの取引、土埃にまみれた鏡を一目見て、ベッドに座り込み見せる弱さ、再び立ち上がり覚悟を決めた強さを見せる後ろ姿。虐殺を繰り返してきた者たちまで赤子の誕生に喜んでいるかのようにはしゃぐ奇妙な光景。 馬賊に尽くす女たちもまた犠牲者に過ぎなかった。代わりの女が来れば部屋から追い出され、用済みになればゴミ同然に投げ捨てられる。疲れ切った表情。 だが彼女は何度でも仲間の元に戻り、切り札を手に入れ、敵の懐へ飛び込んでいくことを選び続ける。椅子にふんぞりかえるのは身内同士の決闘で殺し合わせるため、服を着替えるのは寝るためでなく二人っきりの状況を作るために。 たった一人扉にもたれかかり、女たちを見送る視線。彼女が一度でも“祈る”ことがあるとするなら、それは見送ってやることしかできない仲間たちの無事くらいだろうか。 開かれた扉の先で待ち受ける野獣、杯に入れられる切り札、投げ捨てられる杯。医者の道を踏み外すようなことを選んでしまった・救ってやれなかった自分自身への怒りも込めて、彼女は投げ捨てるのだ。 最後の最期まで何かを“投げる”ことを描き続けた、フォードらしい締めくくりだった。 [DVD(字幕)] 9点(2016-11-24 22:41:14)(良:1票) |
20. ザ・ウィメン
《ネタバレ》 ジョージ・キューカー最高傑作。 とにかくこの映画、女性しか出ません。赤ん坊から婆さんまでみーんな女、女、女。幼い子供だって立派な“女”。宝塚みたいに誰かが男性役で出るとかもしません。 脚本も女性だし監督のキューカーだって筋金入りのゲイというより魂は乙女みたいなもんです。出てくる犬も全部メスだったかオスも1ッ匹くらいいたかな。 男の声すら出ないし、存在が確認できるのは受話器の向こう側だけ。劇中フィルムすら男は出てこない。 とにかく女達の怖さ、言葉による殴り合いや女の強さをこれでもかと堪能できる素晴らしい映画。 「イヴの総て」みたいに男の存在が女達を際立たせる事もあるが、これほど見えない男達の存在が女性を引き立てる映画もない。 メンツもジョーン・クロフォードをはじめノーマ・シアラーやロザリンド・ラッセル、ポーレット・ゴダード、端役にジョーン・フォンテインなど豪華だ。 超高級エステ・パーラーのマニキュリストが流した噂が、流れに流れてやがて一大スキャンダルに発展していく狂騒。 動物に例えられる女性陣のオープニング、犬の喧嘩がやがて女性陣のバトルに発展してく。 エステに励む女性たち、乗馬といったスポーツに精を出す親娘。あの馬もメスかしらん。 エステは女性の身体をかたどったボトルキャップも売る。 例の黒人女性は「風と共に去りぬ」にも出ていた。そういえば「風と共に去りぬ」も最初はキューカーが監督していたんだっけか。 悪態つきまくっていた女性がカーゴに躓いてまっ逆さまになるシーンは爆笑。アナウンスまでシュールだころ。 中盤のファッションショーは美しいパートカラーも楽しめる。当時の流行を覗く事ができる。 もっとも、ファッションショー後に黒服を脱ぐシーンが一番ドキドキしてエロティックなのだけれど。 ドアから出たらドアごとそのまま付き返すシーンもクスッとくる。 ミニスカでやるエクササイズはエロいが、女性としてはどんな心境なのだろうか。 今の時代は短パンやスパッツが普及しているけどさ。 後半に出てくるポーレット・ゴダードとクロフォードのキャットファイトも笑いが止まらなかった。 噛み付きまで繰り出すクロフォード。 つうかポーレットが可愛すぎて辛い。ショートパンツ姿が良い。 「モダン・タイムス」のポーレットもスンゲー可愛かったよ・・・。 泡風呂におけるクロフォードと女たちのやり取りも良い。 下の透明な水槽からクロフォードの脚がチラり。 香水の音ワロス。 クライマックスまで扉の中に閉じ込められたりと散々なクロフォード。 髪が乱れた感じもまた良いっす。 [DVD(字幕なし「原語」)] 9点(2016-11-19 01:44:10) |