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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  哀れなるものたち
嗚呼、とんでもない映画だった。  ひと月ほど前に、映画館内に貼られた特大ポスターを目にした瞬間から「予感」はあった。 何か得体のしれないものが見られそうな予感。何か特別な映画体験が生まれそうな予感。 大写しにされた主演女優の、怒りとも、悲しみとも、憂いとも、感情が掴みきれないその眼差しが、そういう予感を生んでいた。  チラホラとアカデミー賞関連のノミネート情報は見聞きしつつも、本作の作品世界についてはほとんど情報を入れずに、公開日翌日の鑑賞に至った。 朝から原因不明の頭痛が続いていて、その日の鑑賞をぎりぎりまで逡巡したけれど、体調が万全でないことで、逆に映画世界に没入できるとも思い、赴いた。  正直、もっと楽観的にファンタジックな映画世界を想像していたものだから、モノクロームで映し出された序盤の展開から面食らってしまった。 ゴシックホラーを彷彿とさせる怪奇とグロテスクは、想定していた“ライン”を嘲笑うかのように超えていき、油断をすると一気に置いてけぼりを食らうところだった。  今思えば、この序盤のモノクローム展開の中で、惜しげもなくトップレスを披露する主演女優エマ・ストーンに対して、「さすがアカデミー賞女優、体を張っているな」などと上から目線の称賛を送っていた自分は、あまりも幼稚で愚かだったと思う……。  死んだ母親の体に脳を埋め込まれて「生」を得た主人公ベラは、狭く、色の無い世界を抜け出して、人生という冒険に踏み出す。そして、「性」の目覚めとともに、その世界は過剰なまでの彩色と造形で彩られていく。 世界は綺羅びやかではあるけれど、その本質は決して美しくない。それは、「良識ある社会」のルールやあり方が、まったくもって美しくないからに他ならない。  綺羅びやかに彩られた醜い世界、そしてそこに巣食う“哀れなるものたち”  それはまさしく、呪いたくなるくらいにおぞましくて、哀しいこの現実世界と人間たちの本質だろう。 けれども、何よりも自分自身の“成長”に対して純真無垢で迷いのないベラは、それらすべてを受け入れ、自分の価値観に昇華していく。 タブーとされる行為も発言も、性別や職業、生まれた環境に対するレッテルも、希望も絶望も、薄っぺらな「良識」を盾にして拒否することなく、先ず全身で受け入れ、自分自身の「言葉」を紡いでいく。  主人公ベラのキャラクター造形は、すべてにおいて奇々怪々だけれど、その生き様は極めて“フェア”であり、昨今の耳ざわりの良さだけで乱用されているものとは一線を画す真の意味での“ジェンダーレス”を象徴する存在だった。 怪奇とグロ、ありとあらゆる禁忌が入り交じる本作の混沌とした映画世界が、ベラの達観した眼差しと共に、極めてフラットで高尚な地点へ着地していることが、そのことを雄弁に物語っていると思えた。   すべてを曝け出して、人間の本質をその身一つで体現してみせたエマ・ストーンは、授賞式を前にして二度目のオスカーに相応しいと確信した。 久しぶりに“緑色の超人”以外のキャラクターで卓越した演技を見せたマーク・ラファロも流石。プレイボーイの放蕩者を、その凋落ぶりも含めて見事に演じきっていたと思う。 古き父性の象徴であり、“怪物”の生みの親として、作中もっとも破滅的な人生観を披露するマッド・ドクターを演じたウィレム・デフォーの存在感も素晴らしかった。  時に「4mm」という超超広角レンズで写し取られた映像世界は、非現実的でありながら、この世界のすべてを文字通り広い視野で余すことなく映し出しているようでもあり、類まれな没入感を得られる。 その映画世界のすべてをクリエイトしたヨルゴス・ランティモス監督の圧倒的な世界観には、終始驚愕だった。   ふと“ジャケ買い”したアルバムが、想定外に強烈なパンクで、問答無用に脳味噌をかき混ぜられ、ほじくり返された感じ。(いや、本当に文字通りの映画なのだが) 奇想天外で、際限なくおぞましい映画世界ではあったが、不思議なくらいに拒絶感はなく、愛さずにはいられない。そして、これがこの世界の「理」だと言われてしまえば、確かにそうだと納得せざる得ない。  エンドロールを見送りながら、様々な感情と感覚が入り混じり、とてもじゃないが脳と心の整理がつかなかったけれど、朝から続いていたはずの頭痛は、きれいさっぱり消え去っていた。
[映画館(字幕)] 10点(2024-01-27 23:36:23)
2.  イニシェリン島の精霊 《ネタバレ》 
「何だったのだろうか」 という一言が、エンドロールが流れ始めた瞬間に大きな疑問符と共に脳裏を埋め尽くす。正直なところ、正確な理解は追いつかなかったし、良い映画だったのかどうかの判別すらも、その時点ではつかなかった。 鑑賞から1日以上だった現時点においても、その心境に大きな変化はなく、「困惑」の域を抜け出せてはない。 ただ、その「困惑」を覚えることは、本作の鑑賞体験において極めて正しいことだったと思う。  年を食った二人の男が織りなすとても可笑しくて、笑えないお話。  何もない、何も変わらないことに対する終わりのない閉塞感が、突如としてある“衝動”を生む。 周りの人間たちから見ると、それはあまりに突然の変化に見え、とてもじゃないが理解が追いつかない。特に、前日まで楽しく時間を共有していたと信じていた“親友”にとっては、あまりに理不尽で悲劇的な“心変わり”であったろう。  前述の通り、鑑賞者として主人公二人がその奥底に孕んでいる心情の正体を正確には理解できていない。でも、薄っすらと見え隠れする心の機微は何となく感じ取れる。  それが、アイルランドの内戦下でありながらまるで蚊帳の外な環境的な疎外感によるものか、そんな環境で凡庸な人生を終えようとする老齢の焦りなのか、はたまた長年の親友への友情を越えた感情に対する困惑からなのか、いずれにしてもその理由を他人が断定することはできないし、する必要もないだろう。 感情の理由も正体も、それは彼らだけのものだ。  自分自身、40歳を越えた頃から心の中に小さな点のような“焦燥感”が生まれ、それが徐々に大きくなっていることを感じている。 それが、今後の人生観に少なからず影響を及ぼしていることも否定できない。 そう、世界の果てのようなアイルランドの孤島でなくとも、本作で描き出された焦燥や衝動や狂気は、世界中の誰しもが実は孕んでいる感情なのだと思う。   本作の最後、コリン・ファレル演じる主人公は、変わらない、終わらない現実を理解し、受け入れ、改めて親友と向き合う。 数日間の小さく静かな“内戦”により、二人はそれぞれ決して小さくないものを失ったが、改めて人間として付き合い続ける覚悟が生まれているように見えた。  果たして彼らがまた親友に戻れたかどうかは不明だけれど、14時の時報が鳴る頃にはパブでビールを酌み交わしている姿をせめて想像したい。
[映画館(字幕)] 8点(2023-02-09 22:16:08)
3.  女王陛下のお気に入り
絢爛豪華なイングランドの王室を舞台にしつつも、べっとりと全身に塗りたくられた“何か”の臭いが漂ってくるようだった。 その臭いの正体は、汚物交じりの泥なのか、吐しゃ物なのか、生臭い体液なのか、それとも嫉妬と愛憎に塗れた“怨念”なのか。 いずれにしてもこの映画が描き出すものは、実在の女王を中心に据えた煌びやかな史劇などでは全く無く、3人の女性のあまりにも生々しい「欲望」そのものだった。  情け容赦なく、無情なこの映画の物語性は、普通の映画づくりであれば、もっと鈍重に、ただただ陰惨に映し出されて然るべきだろう。 しかし、この“へんてこりん”な映画のアプローチはまったくもって異質で、まるで観たことがない映画世界を構築し、魅了する。 それは決してビジュアル的にヴィヴィッドな映像表現をしていたり、突飛な演出をしているわけではなく、重厚な史劇描写の雰囲気を保持したまま、時代考証の垣根を越えて、現代的な“軽薄”と“インモラル”を孕ませている。  そんな特異な映画世界の空気感の中で、3人の女優が演じる「女」たちが、見事なまでに怖ろしく、哀しく、息づいている。 オスカーのトリプルノミネートとなった主演女優3人の文字通りの「競演」が本当に素晴らしい。 既に女優賞ウィナーのエマ・ストーン、レイチェル・ワイズは無論素晴らしかった。 が、やはり特筆すべきは、本作で主演女優賞ウィナーとなったオリヴィア・コールマンの圧倒的な存在感と、表現力に尽きる。 彼女が演じたアン女王からは、重く悲痛な運命を背負った哀しみと、女性としての強かさと恐ろしさと醜さ、そして欲望に対する純粋な貪欲さに至るまで、ありとあらゆる感情や情念が文字通りねっとりと全身から溢れ出しているかのようだった。  圧倒的権力を持ちつつも、心身ともに脆く危うい哀しき女王は、幼馴染の聡明で美しい公爵夫人に身を心も委ねることで、何とか“バランス”を保てていた。 しかし、そこにもう一人の“女”が入り込んでしまったことで、バランスは脆くも崩れ、三者三様の欲望は渦となり、彼女たち自身を吞み込んでいく。  泥に塗れ地に堕ちた屈辱を胸に秘め、若き女は、悪魔になることも躊躇わず、ついに“兎”のように女王の寵愛を勝ち取る。 そしてはたと気づく、17匹の兎の寿命は短く、蠢く命の中から常に入れ替わっているだろうことに。 彼女自身、無限に続く「代用」でしかないことに。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2019-10-26 23:49:32)(良:1票)
4.  ルーム 《ネタバレ》 
誘拐、劣悪で非道な監禁下での妊娠、出産、育児。そして解放。 母親にとっては7年、「部屋」で生まれた子にとっては5年、あまりにも理不尽な暴力によって強制的に「世界」と隔てられたこの膨大な時間は、二人から「何」を奪ったのか。そして、その中で、二人は必死に「何」を育み、生き延びたのか。 極めて酷い出来事を描いた映画だったけれど、決してその出来事自体における悲劇性と、解放に伴うカタルシスを安直に描くのではなく、様々な側面からの様々な感情が渦巻き、乱れ、そして収束していく様を描いた良い映画だったと思う。  劇中、監禁下から逃げ出した子を保護した警察の極めて勘の良い迅速な対応の描写にも現れているが、同様の類いの事件は、昨今決して珍しくはなく、衝撃的な報道も実際よく伝えられる。 その度に、あまりに非人道的な事件のあらましと犯人の異常な人間性そのものに怒りと憎しみを感じるが、同時に解放された被害者に対しては「良かった」と無責任な喜びとともに、好奇の目線を送ってしまっていることを否めない。  そういった大衆目線があまりに浅はかであることこそを、この物語は強く訴えかける。 7年もの間、恐怖と恥辱によって「部屋」に押し込まれ支配し続けられた母親にとっても、5年もの間、「世界」を知らずに生まれ育った子にとっても、「解放」そのものは、決して“ハッピーエンド”などではない。 絶え間ない絶望から一歩出られたことは確かだろうが、それは新たな試練の始まりに過ぎず、彼らの苦悩は続く。 それくらい、彼らが失ったものは、あまりに大きい。  今作の素晴らしさは、まさにその大衆が勝手に決めつけた“ハッピーエンド”のその先の「過酷」を描いていることに他ならない。 ありとあらゆるものを奪われて、ふいに「世界」に放り出された母子が受ける悲しみと歓び。 今作で描き出されるその母子の姿が完全に“リアル”かどうかは分からないけれど、彼らが泣き叫び、笑い合う姿は、強烈に心に刻まれる。  悲しみも歓びもすべてひっくるめて、再びベッドの上で向き合う母子が言う。  「良くないママね」 「でもママだよ」  心の奥底まで傷つき、苦しみ抜いた母子が、今一度「部屋」に立ち戻る。 子に促され、母親は、「Bye room.」と囁き、「部屋」を後にする。 それによって完全に“過去=部屋”と決別できたとは思わない。けれど、本当の意味で「部屋」から踏み出た母子のその先の幸福を願わずにはいられない。   「母親」を演じたブリー・ラーソンの演技は凄かった。この若い女優がアカデミー賞を勝ち獲ったのは大いに納得できる。 でも、それよりも、「子」を演じたジェイコブ・トレンブレイの演技が圧倒的だった。当然ながらこの子役の存在が無ければ、この絶妙なバランス感覚が要求される映画は成立しなかっただろう。  ただし、一点腑に落ちない点を挙げるとするならば、あの環境下で生まれ育った“5歳児”としては、“ジャック坊や”はあまりにも利発過ぎると思う。 自分自身、5歳時の子持ちなので、ジャック坊やの天才的な語学力やコミュニケーション能力には、感動すると同時に、少々違和感を覚えてしまった。 いくら母親が全身全霊を込めて「教育」をしたとしても、あの二人きりの異常な生活環境の中では、あれ程までに健やかな発達は難しいのではないかと思えてならない。母親自身、誘拐時点ではハイティーンの少女だったわけで、「教育」と言ったって限界があっただろうし。 実は、ジェイコブくんがジャック坊やを演じた実年齢は“8歳”だったらしいから、それならば、身体的には“8歳”の設定でこの“5歳児”の演技を見せてくれていた方が、映画としての説得力が増したのではないかと思える。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2016-09-25 00:42:37)(良:2票)
5.  FRANK -フランク-(2014)
才能の誕生も精神の喪失も、その発端に必ずしも明確な理由や環境があるわけではないと思う。 誰しも、自分自身の才能に期待し、模索し、絶望した経験が少なからずあるだろう。  凡庸で薄っぺらな主人公が、一人の天才と出会ってしまったことで、求めたもの、失ったもの、そして得られてものはなんだったのだろうか。 凡庸と天才が出会うことで、それまで保たれていた琴線は途切れ、痛々しい悲しみが生まれる。 でも、その痛みと悲しみは、両者にとって必要なことだったのだと思える。  もし出会わなければ、凡庸はいつまでも夢見るだけの愚か者であり続けただろうし、天才もまた安全安心ではあるけれど極めて歪な鳥籠の中で永遠に羽を繕い続けていただろう。 いずれにしても両者はそのうちに破綻し、取り返しの付かない悲劇を生んでいたかもしれない。  最終的に凡庸は、自分の存在の意味と居場所を思い知り、天才の元を去っていく。 その様は非常に物悲しい。 けれど、それは互いにとって本当に必要な物を得られた瞬間だったのではないか。  それは彼らにとって必要な心の旅路だったのだろう。   作中ずうっと奇妙なお面を被り続けて“FRANK”という天才を演じたのは、マイケル・ファスベンダー。 この俳優も風貌に似合わず厳しい役柄ばかりを演じ続けている。 この人もかなりキテいる“役者馬鹿”なんだと思う。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2015-09-23 23:15:47)(良:1票)
6.  エージェント・マロリー
“素材”の魅力に惚れ込んだスティーヴン・ソダーバーグが、ハリウッドにおける自らの人脈を最大限に駆使してスタンドプレーで撮った、格闘家出身の主演女優ジーナ・カラーノのための“プロモーション・ムービー”のように見えた。  どんな形であれ、この手の女スパイアクションもサラリと撮ってしまうあたりには、ソダーバーグ監督の相変わらずのマルチぶりを感じずにはいられない。  そして、確かに主人公に抜擢された(というか彼女ありきの作品なのだろうが)、格闘家ジーナ・カラーノはアクションヒロインとして充分過ぎるほどに魅力的だったと思う。 類い稀な美貌と、プロ仕様の“実用的”なローキックだけも、女優として勝負できることは間違いないし、想像以上に演技力も備わっていたように見えた。  ストーリー的には、凄腕スパイである主人公が所属する組織の陰謀により命を狙われ戦いを挑むという、あまりにありきたりなものなのだが、御大マイケル・ダグラスをはじめとして、新旧のスター俳優が顔を揃えたキャスティングが成功したのは、監督の人脈ばかりではなく、彼らが主演女優の魅力に文字通り“ノックアウト”されたからに違いない。  というわけで、ストーリー展開だけを捉えれば何の捻りもなく、シーンによっては肝心のアクションにもキレが足りない部分もあり、凡庸極まりないアクション映画なのだけれど、“素材”の発見という唯一のトピックスのみで娯楽映画として成立させていることは、ある意味潔い。  生身で本格的なアクションをこなせる女優として、各種エンターテイメント映画における需要は確実にあると思うので、ジーナ・カラーノの今後の活躍には期待したいところ。
[ブルーレイ(字幕)] 5点(2013-06-27 17:17:14)
7.  テイラー・オブ・パナマ 《ネタバレ》 
何だか終止色々な“偽り”が積み重なって、大事になって、結局有耶無耶な形で決して、「え?」となる映画だった。 要は、女たらしの英国諜報部員がスキャンダルによって左遷され、追いやられたパナマで半ば自暴自棄な“大嘘”をでっち上げて、各国の政治の思惑から大金をかすめ取ろうとする話だ。  話の種類としては、他の映画には無い社会性を孕んだサスペンスで面白いと思う。 ただし、どうも話の展開が分かり辛いというか、ストーリーテリングが下手糞過ぎたと思う。  主人公は本質を決して見せない陽炎のようなキャラクター設定なのだろうが、その性質をピアース・ブロスナンがきちんと表現出来ているとは言い難く、ヒーローとも悪党ともつかない酷く中途半端なキャラクターに映ってしまい、そのことは観客をストーリーに引き込みきれない大きな原因となってしまっている。 主人公と対峙するジェフリー・ラッシュやその妻役のジェイミー・リー・カーティスは、印象的な存在感を放っていたけれど、全体的にキャラクターの描写が薄いので、言動の「理由」がぼやけてしまっていた。  特にラストの顛末には、ストーリーを結する説得力がまるで無く、この映画自体の立ち位置を揺るがしてしまっている。 ブルーレイの特典映像には別バージョンのエンディングが観られたが、そちらの方がずっと説得力があり理解が深まった。なぜ、このエンディングを選択してしまったのか、理解に苦しむ。  すべてのスタッフ、俳優が最高のパフォーマンスを見せたならば、もっと質の高い映画になっていた可能性も見え隠れするだけに、残念な出来映えと言える。  なんだか矢鱈にエロいシーンの多いジェイミー・リー・カーティスは、熟女好きの映画ファンにとっては見所と言えるかもしれないが……。
[ブルーレイ(字幕)] 4点(2011-07-06 14:35:36)
8.  スターリングラード(2001)
銃口の先の緊迫感。今作ほどその緊張感に包まれる映画はなかなかない。戦争という愚行の上でさらに繰り広げられる愚行。それでも彼らは生きる限り、愛するもののためにその標準に目を合わせ見えざる敵と対峙し続けなければならない。圧巻のリアリティと迫力による冒頭の戦場シーンから一気に一人のスナイパーの英雄伝、強力な敵との張り詰める対決へと昇華させる説得力に溢れたエンターテイメント性に圧倒される。傑作の名にふさわしい重厚なアクション映画だ。
9点(2003-12-16 20:06:32)
9.  マイケル・コリンズ
マイケル・コリンズ役で主役を務めたリーアム・ニーソンは、実にこういう史劇的な役柄に多大な存在感を見せる俳優である。マイケル・コリンズという人物の知名度が低いせいか、映画自体にそれほど迫力はないが、混乱の歴史を生きた一人の人間の物語として見応えはあった。
7点(2003-11-18 13:51:56)
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