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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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21.  パーマネント野ばら 《ネタバレ》 
いろいろ男女問題を抱えた町の人々をおとなしいヒロインが観察していく、って設定かと思っていたら、彼女が一番問題を抱えてたってことがだんだん分かってくる話。あけすけに感情を披瀝する風土のなかでの、秘めた一途な恋が明らかになってくる。映画観終わってみると、その設定だけに寄りかかってて、あとの描写が少し雑だった気もするが(男を引っ掛けるオバサンや電柱倒すオトーサン)、一応まとまったものを観たという気分にはなる。高知県というと『祭りの準備』を思い出すが、あれでもなんか男たちはぶらぶらしてた(原田芳雄が絶品だったなあ)、そういう風土なんだ。そして女たちはパーマ屋で「教育上問題のある」談話をしている。漁師町の風土。男も女も、大人も子どもも、みんなよく怪我をする。活発な風土というか、暴力的風土。車で突っ込んだり車から飛び降りたり。頭より体が先に動く風土。そういう風土の中で、ヒロインのみ、じっと頭だけで過去の恋に沈澱している。子どもを母親に任せたまま「恋人」とトンネルで会ってたり、ただ一人、風土に反してしっとりとした恋愛に生きている。その痛々しさがしだいに分かってくるあたりが味わい。子どもが走り寄ったラストで、彼女は夢のような恋愛から、母親としての自覚に目覚めるのか。この荒々しい風土のなかで生きていけるかなあ。
[DVD(邦画)] 6点(2011-07-19 12:33:08)(良:1票)
22.  反逆児(1961) 《ネタバレ》 
ヤマトタケルや義経にも通じる「一族に使い捨てにされるりりしい若者」という日本古来の悲劇の伝統、と錦ちゃん側から見ると古典劇的な設定なんだが、ドラマの展開の軸はどちらかというと女たちの心理ドラマで、だから杉村春子・岩崎加根子ら新劇俳優のほうが生き生き演じている。だいたい「忠臣蔵」でも、大石は旧劇系、吉良は新劇系という配役になるもので、複雑な心理を演じるとなると新劇系に託される。だからこれは時代劇ではあるけれど新劇なので、するとラストの介錯の刀がためらうあたりの大時代な演出はシッカリ浮いてしまう。いっそ女のドラマと割り切った作りにしてしまえばスッキリしただろう(ま、ポスターのトップは錦之助でなければならなかったんだろうが)。杉村・岩崎に加えて桜町弘子も、あの時代の「コマとして使われる女の悲劇」を演じていた。グレートマザーに滅ぼされていく若者を「反逆児」とわざわざ持ち上げなくても良かろう。このタイトルは「反逆児になれなかった坊ちゃんの悲劇」の略なのか。錦ちゃんて、悲憤慷慨する場面で歯を剥くといつも笑ってるように見えるので昔は戸惑ったが、慣れてくるとその笑ったような怒ったような不思議な表情が「なるほど、屈折した悲憤慷慨なんだなあ」と味わえるようになったものだ。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2011-05-18 12:14:35)(良:1票)
23.  花いちもんめ
公平なふりをして結論を回避した、って感じもある。こういう問題に結論は不要なわけだが、独自の意見というか、どうしたらいいんだろう、って方向でもう少し作者の姿勢ってのが見えてもいいんじゃないか。ボケ老人を抱えたことで崩壊しかけていた家が立ち直った、ってだけじゃ、ちょっとノーテンキすぎる。おそらくボケ老人を抱えたために家が崩壊したケースのほうが多いんだろうから。施設の描き方が悪者すぎて、そこらへんの整理の仕方が問題の扱いを単純にしていた。「だんだん悪くなっていく」ってところはやはりスリリングで、数字を反対に言わせるとこで、不意に年号がほとばしるあたりおかしい。こういうところ、笑っちゃいけないのかな、とちょっと緊張するが、人間の不可思議さということで、笑っていいんだろうな。
[映画館(邦画)] 6点(2011-04-01 10:03:37)
24.  パルチザン前史
これが公開されたときは、上映が終わった公会堂の出口で公安が観客の顔を一人一人写してた、って話を聞いてたので、私が観たのはもう全共闘運動などとっくに終わった時期だったにもかかわらず、いささか緊張した。場所も「不動産会館」という聞いたこともない建物の地下の狭い一室で、なにか非合法の集会に参加しているようなトキメキを覚えた(「ぴあ」の自主上映の欄に堂々と載ってたのを見て来たんだけど)。そういう環境で火炎瓶の作り方なんか見てると、ちょっと「それらしい」気分になってくる。ナレーションはなく、必要最小限の字幕ですます。質問しそれに答えるという形式のインタビューがなく、自由に仲間うちの会話と同じ調子でしゃべらせる。あらたまらせない。演説はよく聞き取れないし、仲間うちの会話も聞き取れないことが多く、言葉はこの映画ではいっさい無視していいだろう。言葉の内容よりも、その語り口を映画は記録していく。ヘリコプターの音や、夜に聞こえてくるパイプの中を流れる水の音、機動隊の楯のカチャカチャいう音などと同列の、声も音としての記録素材。言葉の勢いに逆に振り回されているようなその空回りぶり、あるいはしゃべっては中断しを繰り返すその逡巡ぶり。路上での解放区設営が一つのヤマ場で、野次馬的興奮に駆られるが、中立に撮ろうとしている報道陣をも撮ってしまう視線がいい。ドラム缶相手の武闘訓練のときの、照れ笑いしている顔も撮っている。当時は極左映画というレッテルで観られた作品だが、おそらく現在でも記録としての価値はかなり高いだろうし、映像の緊張は素晴らしい。描かれる対象である京大全共闘の滝田修は、やたら「明確な」という言葉を繰り返し、軽薄なものをこれ観たときも感じたものだが、小熊英二の「1968」によると、当時「ガスを爆発させたら普通の人も死にます、しゃーないやないかそんなもん」などと無責任に威勢のいい発言をしていたが、のちに出版した「滝田修解体」では「過激な言辞でエエカッコしたかった」と簡単に自己批判している情けない男なのであった。フィルムはその軽薄さまでキッチリ記録していたわけだ。(と、あの時代の主役の一人永田洋子死亡のニュースの直後に本レビューを記すのも感慨無量である。)
[映画館(邦画)] 8点(2011-02-08 09:21:10)
25.  幕末
時代劇と歴史劇のあいだで困っているような映画。史実にのっとって吉永小百合は「眉そり・お歯黒」で出てくるが、やっぱり現代人にはヘン。明治の観客というのが存在すれば、「なかなか正しくやっておる」と満足するかも知れないが、時代考証というものの精度は適当にだんだん崩していってもらわないと、時代劇になり切れない。いっそ『バリー・リンドン』みたいに歴史に徹底してみれば、その「ヘン」が味わいにもなるんだろうが、暗殺のところは時代劇的にくどく、瓦を這いのぼったり、手のアップがあってズルズルと滑ったりと、歴史劇とは言えない雰囲気。竜馬って史実では即死だったんだろ? 酔ってヌルヌルと斬る感じとか、左手だけでのチャンバラとか、全体、見せ場は「時代劇」している。明治の歌舞伎でも同じような問題はあって、江戸時代の芝居は荒唐無稽すぎたということで、史実にのっとった「活歴もの」ってのがさかんに作られたが、その多くは消え去り、現在は「荒唐無稽」なものが残っている。映画も同じ悩みを経て、しかし「マゲもの」というジャンルそのものを衰退させてしまった。賀津雄君のまんじゅう屋の悲憤なんてのは良かったな。やっぱこの兄弟は陽と陰の対象を見せてほしい。後期の錦ちゃん、力んで暗くなっちゃうんだ。
[映画館(邦画)] 6点(2010-11-23 09:54:15)
26.  果しなき欲望 《ネタバレ》 
上と下の緊張。二階の渡辺美佐子と下の階で二階を気にしている男ども。あるいは画面そのものが上と下を同時に捉え、上で近所づきあいのやりとりしてて、下で西村晃や小沢昭一が穴開いたガス管で苦しんでるカット。あるいは上を行くトラックと、下で穴の崩れを支えている連中。表面の日常のなにごともなさと、下での汗水たらした欲望の渦巻き。今村の世界を象徴するような二分割カットが秀逸。川縁での長門裕之のデートと、下に潜む男たちってのもあった。独特のコッテリしたユーモアになっている。加藤武の脚や小沢昭一の手なども、グロテスクな笑いを誘う。独立志向の中原早苗は今村ヒロインの原型のようで、やがて『豚と軍艦』の吉村実子につながるキャラクター(もっとも体型的には『赤い殺意』の春川ますみにつながり、原作は同じ藤原審爾だ。ついでに言っとくと、この藤原さんて、あと『秋津温泉』とか『泥だらけの純情』とか『馬鹿まるだし』とか『ある殺し屋』とか、60年代を代表するユニークな映画に原作を提供していて、気になる作家。藤真利子のお父さん)。欲望渦巻くさまを喜劇として捉え、渡辺美佐子の描きかたなど、非難せず、どちらかというとそのバイタリティにただただ感嘆しているよう。緊迫した瞬間に入る門づけのチリーンの音が、絶妙。
[映画館(邦画)] 8点(2010-04-28 12:05:35)(良:1票)
27.  800 TWO LAP RUNNERS
スポーツと青春。登場するのはモーツァルト型とサリエリ型。この「悩まない」モーツァルトのほうの青春が生き生きしていてよろしい。サリエリが「あいつ尊敬してんだ、何にも考えないで本能だけで生きてるだろ」と、海岸で妹と遊んでいるモーツァルトを遠くに見ながら言う。サリエリを捉えるときに、ロングでゆっくりとしたクレーン移動が好んで使われ、とりわけグランドで脚の悪い少女との場は美しい。ハードル女史と屋上での待ち合わせ、背後に巨大な飛行船のようにゆっくりと国立競技場が浮遊してくる移動もいい。スポーツ選手にはスポーツ選手としての固まった人生コースがあり、その中で走らされているという窮屈感があるのだ。そのコースから外に出ることの恐怖は、ときに死を招いたりもするぐらいなんだな。スポーツものにしては珍しく曇天を選んで撮っている。たまたまかも知れないが、意図したのなら立派な選択。走ると空が大きくなる、と言っていたが、それが晴れ渡った空とは限らないわけだ。ラストは実際にワンカットで800を走らせていた。たしか市川監督の『東京オリンピック』でも、800をワンカットで撮っていたと記憶しているが、違ったかな。
[映画館(邦画)] 6点(2010-03-17 12:02:21)
28.  裸の大将放浪記 山下清物語
こういう人物を演じた上での笑いというのは難しいと思う。下手すると山下清を見下した笑いになってしまう。たしかに観客は幾多の山下の失敗を笑うわけだけれども、笑いのポイントはその失敗に対する彼のヒョウヒョウとした応対に対しての場合が多く、見下してはいなかった。また失敗を笑うこと自体が即差別かと言うとこれまた難しい問題で、そういう笑いの中にも小さな驚きを秘めた感動が同居している場合もあるのだ。そんなことをあれこれ考えさせられただけでも、貴重な映画だった(つい“障害者の映画”というジャンルでくくって構えてしまうこと自体、差別につながるかもしれないんだけど、でもどうもすんなり観られず意識してしまう困った性格)。監督の設計もあるだろうが、役柄をすっかり手に入れている芦屋雁之助のうまさに安定感。高松宮をスリとダブらせるなんて反骨精神も見事である。ラストの歌、そのものはまあダサいのだけど、山田典吾監督による詞の「天国は空にあるのではなくて地の中にある」というのが力強い。
[映画館(邦画)] 6点(2010-01-13 12:04:32)
29.  ハワーズ・エンド
大雑把に言うと英国の上・中・下の階級が繰り広げていくドラマ。「下」というとちょっと極端な表現になってしまい、銀行に勤めている普通の勤労者階級だが、一応このドラマの中では「下」の位置に置かせてもらう。そこで面白いのは、普通だとこの「上」と「下」が対立するでしょ、滅びゆく上流階級と勃興する労働者階級って感じで。ところがここでは対立しない。「下」が、「上」を引っ繰り返すような力をまるで持っていないデリケートな弱々しい青年で現われてくる。労働歌を歌うより、花畑の中を散策しながら詩を口ずさむ手合いなの。この世ならぬものへの憧れに生きている彼は、上流階級のヴァネッサ・レッドグレイヴと対になっているような存在。本来なら対立すべき「上」と「下」が現実に背を向ける地点で寄り添い出してしまい、ドラマの軸を統制するのは「中」の役割りになる。夢見る「上」と「下」に挟まれて、「中」は現実を生きていく。しかしこれが「生きざま」などという語感からは程遠い「いい感じ」のもので、この映画はそのいい感じの味わいに尽きると言ってもいい。「上」と「下」との仕切り役に自分の役割りを定め、控え目にも過ぎず出しゃばりもせず、天真爛漫でありながら周囲に気配りも十分という、おそらくイギリスの長い社交の伝統が培ってきた中流階級の美点が、エマ・トンプソンに結実している。上流階級の洗練も英国の自慢だろうが、こういう愛すべき人物を育てた中流階級も自慢させてほしい、という感じ。ここには対立のドラマのダイナミズムはないが、そのかわり一点から緩く渦を巻き、そしてそれぞれの居どころへ静かに落ち着いていく上品な舞踏のような味わいがある。
[映画館(字幕)] 8点(2009-12-10 12:09:48)(良:2票)
30.  八月の狂詩曲
このおばあさんに与えられているのは、ものごとをドロドロに煮込む力である。世界を記憶という鍋の中で輪郭のないスープに変えてしまう魔女。とかく現実社会の中で弱者として描かれる老人像を引っ繰り返して、半分だけ幽界に溶け込んでいるような微妙な存在に仕立てている。子ども部屋の外の廊下の暗がりに、猫背でスイカの盆を持ちボーッと立っているシーンなど凄味がある。老人は“忘却”を積極的なエネルギーとして使用し、現実をそれを超えた世界にまで持ち上げようとする。しかしここに「原爆を忘れてはいけない」というメッセージが飛び込んでくるのだ。忘却の鍋の中に溶かし込んではいけない歴史があると言う。もちろんそれは圧倒的に正しいのだけど、そのメッセージがおばあさんを通して訴えられると、彼女の位置がはっきりしなくなってしまうのだ。彼女の忘却のエネルギーが一方的に「原爆」に屈伏させられたようで、物足りない。原爆の問題をいっそ一度鍋の中を通過させられたら、まったく新しい観点からの原爆映画が生まれたのではないか。彼女の口からナマなメッセージを出さずに、そのメッセージを通過させる装置として機能させられなかっただろうか。彼女はラストで物狂いを見せ、どこか別の世界へ駆け込んでいく(黒澤映画における重要なモチーフであった物狂いの最後のもの)。だがこれは現実を超えたのではなく、原爆というあまりにも重い現実に屈伏させられ、固定された記憶の中に封じ込められていくようにも見えてしまうのだ。
[映画館(邦画)] 6点(2009-11-25 12:19:06)
31.  博奕打ち いのち札
やくざの弱さを鶴田浩二が口にしてしまう。女が一緒に逃げましょうと言うのに「俺には、この岩井一家しかない」と言う。やくざというものが、けっきょく家を飛び出して自立できぬ者たちの共同体=偽家であることがよく分かるが、鶴田浩二には女にそんな弱音を吐いてほしくはなかった。それを覚悟して受けとめるから荘重な悲劇になるのであって、『総長賭博』も、家を守ろうとして出す手出す手が次々と家の崩壊を導いていくところに感動があったのだ。でも本作も最終的には運命悲劇の線は守られていて、任侠映画史の到達点シリーズとしての価値はある。海辺を女がフラフラ歩いたりして、ちょっと流れてしまうところもあるが、全体としていい。若山富三郎の役どころが重要で、家の代表でもあり、また世間の噂の代表ということで内在する外界でもある。ラストの血の海の花道は、私はあまり買わない。あくまでリアルな情景で様式美を追求したのが仁侠映画だったはずだ、まあそれだけ仁侠映画がもう熟し切ってそれ以外の表現を必要とするまでになってしまった、ということでもあるのだが。それにしても当時の東映映画俳優陣の厚みは素晴らしいものだった。これ以後彼らは実録路線に合ったもの(文太やピラニア軍団)と合わなかったもの(高倉健や鶴田浩二)にと分離し、他ジャンル映画でも活躍の場を広げていくが、仁侠映画における自在な輝きはもひとつ感じられない。
[映画館(邦画)] 7点(2009-11-13 12:08:29)
32.  (ハル)(1996)
インターネットの匿名世界は、トイレの落書き化したり誹謗中傷が渦巻きスラム化する、ってところに興味があったんだけど、これは本人同士が出会うまでの恋愛もの。映画の大半は字幕を読むことになるわけだが、サイレント映画とは違って、字の部分と映像の部分が拮抗してるわけ。心の部分と社会の部分と。どちらかというと写真や図表入りの小説の裏返しに近い。相手の姿かたちがないということの気安さが、しだいに手応えをほしくなる・見たくなる、って経過。そして『天国と地獄』的シーンを経て、抽象的だった会話の相手が「現実に存在してるんだ」という不思議な気分を味わうことになる。電光掲示の文字もしばしば挿入され、文字情報がしだいに表情を持つことの面白さを映像で見せようとした作品でもある。ラストで白黒になったのは、これから文字だけではすまない生身のヤヤコシイ世界に入っていかなければならないんだよ、ってことを言っているのだろうか。…と、これはまだ私がパソコンに触れてもいないころに観た映画の、当時の感想。こうして自分自身が匿名広場に参加することになるとは思ってもいなかった。
[映画館(邦画)] 7点(2009-10-28 11:59:48)(良:1票)
33.  パイナップル・ツアーズ
沖縄がのんびりしていることの全面的な肯定、ゆるんでいることの謳歌である。のんびりしていることがただ怠惰で非効率とされる本土に対して、これはこれで一つの文化なんだと歌ってみせた。たとえば第2話。居着いてしまった本土の青年がずるずると土地の娘の婿に仕立てられていく話。60年代前半なら『砂の女』のような鋭角的な手触りの作品になったモチーフ、60年代後半なら『神々の深き欲望』のようなコッテリとした味の大作になったモチーフ、それを90年代あたまの沖縄人がサラリと風土に合ったトーンで描き直している(もっとも中江監督は実は京都生まれで、後天的ウチナンチューと自称しているそうだ、そういう来歴がストーリーに生かされたかも)。今村の視線は、やはりヤマトの側から南の風土に吸い込まれていくヤマト人を眺めるものだった。その豊穣な風土への畏敬の念が、どこかおぞましさとつながって感じられてくるところに、今村の正直な感性があったと思う。南でしだいにゆるんでくるヤマト人の変貌は、既知のものが未知の中に引きずり込まれていく、魔に魅入られていくといった印象があって、しかし本作にはそれがない。今村の描いた壮麗な神々の風土を「過大評価です」と笑っているような人間臭い世界がある。映画は主人公ヒデヨシ君にちょっと同情しながらも、途方に暮れる彼を祝福し歓迎していく。那覇へ逃げ出そうとするところを連れ戻される望遠鏡のカットの穏やかなユーモアなど楽しい。ヒデヨシ君個人に密着して考えれば、老人たちの無邪気さは共同体の不気味さと裏表のものであって、『砂の女』のテーマは現在でも有効なはずだ。しかしそれらのことを考えても、ついついヒデヨシ君を祝福してしまうのは、その底に作者ののんびりゆるんだ自分たちの暮らしへのはっきりとした自信があるからに違いない。それが爽やかさになっている。
[映画館(邦画)] 7点(2009-10-06 12:11:13)
34.  ハッピーフライト(2008)
この監督には岡本喜八に近いリズム感があって(とりわけ初期の『ひみつの花園』や『アドレナリンドライブ』)、後継者を期待してるんだけど、今回はあんまり弾んでなかった。そのかわり伊丹十三の「世の中のものごとの構造への興味」的な面白さがあった。つまり職場としての飛行機とはどんなものか、という興味。今まで映画で飛行機が出てくると、たいていパニックの舞台としてで、そうでない普段の飛行の裏側にも面白いドラマがあるんじゃないか、とスーパーの裏側を探査する興味と同じように見てみる。その姿勢でラストまでやった方が良かったんじゃないか。乗客には気づかれないように、次々と起こるトラブルをいかに関係者が処理していったか、そして何事もなかったようにホノルルに到着するまでの映画にしたほうが、面白かったんじゃないかな。それだとドラマとして盛り上がらないのではと心配し、つい中途半端に小パニックを入れたために、映画そのものが小さく縮んでしまった、そんな気がする。コックピットのいろんな操作や飛び交う用語、飛行機に詳しい人が見れば、いちいち面白いのかもしれないなあ、とは思った。
[DVD(邦画)] 6点(2009-09-29 12:07:07)
35.  橋のない川(1992) 《ネタバレ》 
これでいいのは「ヤーイヤーイ」と囃し立てる式の分かりやすい差別ではなく、制度に組み込まれている「微笑のなかの差別」が描かれていること。たとえば地主の稲刈りの手伝いをしたとき、部落の者だけは駄賃を裏にまわって渡される、それがさも自然なことのように微笑のなかで進行していく。誰もそれがおかしいことだとは思わないその静かな微笑の怖さ。あるいは駅頭のシーン。友人が自殺し動揺している部落の少年たちが、駅で小学校の時の女先生に会う。ものわかりの良かった先生だ。その出来事を心の深いところで理解してもらおうと語りかけるのだが、その先生はあくまで親切な語り口で「そんな自殺の仕方するなんてやっぱり普通の子やないんね」と感想を述べただけで、入ってきた汽車に乗って去ってしまう。悪気で言っているのでないだけに「やっぱり普通でない」という言葉の残酷さが際立ってくる。女先生の親切げな微笑がかえって壁の厚さを意識させる。微笑というものが、もともと排除の機能を持っているらしいのだ。異質のものに出会ってそれに深く関わりたくないとき、あいまいな微笑を浮かべてやり過ごそうとする。人間集団の機能として、微笑と偏見は表裏一体らしい。あと頬をぶたれる少女のエピソードも好き。部落の少年が学校の集会のとき、隣の女の子からそっと手を握られる。悪い気はしない。でもそれが「部落の人間は手が冷たいそうだ」という噂を確かめてみたものだと人づてに知らされ、その女の子の頬をぶってしまう。ここまで部落の子の側から描いてきたエピソードが、ここで一転し、少女が何かをじっと考えながら川の水で頬を冷やしている場面になる。おそらくこの少女が考え込んでいる表情は、大人たちの微笑の対極にあるものだろう。深いところで希望を感じられるいいシーンだった。差別が被差別者だけでなく、すべての人の心を傷つけてしまうことが、文字に書かれた教訓でなく実感として伝わってくる。そして岩波映画出の記録作家としての経歴が、農作業風景で生きている。部落の人々の自信を支えるものとしての、背景以上の意味を持っていた。こういう生真面目な映画は「笑い」ほどシャープには問題点の切り口を捉えづらい。でもこういう生真面目な映画をきちんと作り上げられる才能は、「笑い」をゆたかに笑う技能とどこかで通じあっているような気もする。
[映画館(邦画)] 7点(2009-08-02 12:14:09)
36.  パコと魔法の絵本
前作前々作では、テクニックと物語とがお互いを引き立て合って成功していたが、今回はテクニックが物語を圧倒し、監督独自の世界ではあるものの、私にはつらかった。テクニックに走っても成功している映画はある、洗練の問題だろう。誰が演じてるんだか分からないメイクってことでは『ディック・トレイシー』なんて映画もあって、あれもテクニックが物語を凌駕した作品だったけど、コミックの原色を生かした世界はとても魅力的だった。こっちは、コミックでなくCGアニメ的な原色の世界を実写(プラスCG)で作り上げてみせたかったのだろうが、やたらウツロなはしゃぎがうるさく、疲れた。もちろん作者の側には「意図的にそのウツロを狙ったのだよ」という決めのセリフがあるわけで、それを言われちゃもう好みの問題でどうしようもない。でもせっかく役者を揃えながらCGで塗りつぶしてしまうのは、なんとももったいない。土屋アンナが「『かわいく』って書いてあるんだよ」と台本振りかざして照れ隠しに怒鳴るところ、などいくつか、俳優が輝く場があることはある。
[DVD(邦画)] 5点(2009-07-16 09:10:43)(良:2票)
37.  花つみ日記
この時代の、夢見る少女の世界がたっぷり展開しているのに価値がある。吉屋信子調全開。舞台は大阪の花街で、東京から転校してきたミチルと花街の娘栄ちゃん(高峰秀子)の友情物語に、先生芦原邦子への憧れが絡む。ペギー葉山の「学生時代」のなかの“清い死を夢見た~”なんて、こんな感じなんだろうなあと思った。二人のイニシャルを織り込んだ刺繍もすれば、絶交よ、なんていじらしい喧嘩もする。外の世界で嵐が吹きかけている時代に、ひたすら乙女心の世界に閉じ籠もって、なにかしらか細いものを懸命に紡いでいる。世の中が、国とか民族とか大きなものを大声で叫びだした中で、吉屋信子は、ささやかなものに固執した。一応ミチルの兄さんの出征を入れることで、時局に対応してみせてはいる。意外とミュージカル的な演出があり、芸妓となった栄子とハイキングのミチルとが、こもごも同じ歌を歌いながら別々に描かれつつ出会うあたり、葦原の歌が窓の外の生徒らの合唱に受け継がれるあたり、冒頭の竹ぼうきで校庭を掃除しているあたりなど、石田民三ってこういうのもやるのか、と思った。ミチルを演じた清水美佐子って知らない俳優だったが、その影の薄さがこの作品に似合っててちょっと記憶に残ってたのだけど、後に中村メイ子の自伝を読んでいたら、メイ子の家に住み込むほど終生親しかった女性だった、と出ていた。
[映画館(邦画)] 7点(2009-04-03 12:08:44)
38.  初春狸御殿
人間役は、出演の中で一番人間ばなれしている左卜全だけであった。ミュージカルといっても見どころはレビューショーで、別に映画であることを活用してはいないが、日本各地の民謡を狸うたにして巡ったり、チョーチンがいっぱい出てきて、ステージ階段があって、っていうあのレビュー的晴れやかさがたまらない。理屈抜きでシアワセになれる。後のほうでマヒナスターズが出てきて、なにやら脇で妖艶な女狸が大うちわをヒラヒラさせてるとこは慄えた。この題材の自在さ、セットの作り物の楽しみ、が今の映画には欠けていると思った。清順がちょっと復活してくれたけど。
[映画館(邦画)] 7点(2008-10-29 12:11:03)
39.  はつ恋(2000) 《ネタバレ》 
田中麗奈は『夕凪の街 桜の国』でも、親の過去を探ってたが、そういえば昔っからそういうことやってる娘だった。こっちは母親。この映画の真の主役は母の原田美枝子の方で、病気と真摯に対峙し、泰然と死の準備を進めていく芯のある女性。それだけなら、まあ原田なら似合った役どころで特別印象に残らなかっただろうけど、初恋の人真田が病床のベッドに訪れたとき、スッピンの顔を恥じらい、枕で隠すとこが白眉。毅然とした外面のなかに潜んでいた柔らかい内面が、一瞬姿を現わすとこがよかった。あくまでこれは中年の物語、その過去の青春を現在の青春が探検するために、奥ゆきが出た。
[映画館(邦画)] 6点(2008-10-02 12:10:52)
40.  犯人に告ぐ 《ネタバレ》 
警察内部のドロドロが織り込まれるのにもちょっと飽きてきて、それも新しい切り口があるのならいいけど、定型の俗物ぶり。まあそのせいで主人公が、時代劇で言えば素浪人のニヒルな風貌を帯びることにはなるが、こっちも定型っぽい。ともかく犯罪も捜査もマスメディア抜きでは成り立ち得ない時代になりつつある、ってなリアリティはあった。無数の誰かに見てもらうことが前提で悪心も起これば、その無数の誰かを引き込ませられなければ捜査も難しくなる時代。各警察署は見てくれのいい刑事をメディア用に雇わねばならなくなる。テレビが警察を超えた権力者になりつつあるな、と思わせたところが、この映画の手柄だ。ある日、警察が掌紋を採取しにまわって来たら、私なんか悪いことしてなくてもつい逃げちゃって、容疑濃厚のリストに入れられちゃう、絶対。
[DVD(邦画)] 6点(2008-09-18 12:13:48)
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