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feroさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 204
性別 男性
年齢 46歳
自己紹介 専門は邦画とヨーロッパ映画(特にフランス)。気に入った監督や俳優がいればひたすら観つづけるので、どうしても同じジャンル・国に集中してしまうようです。(だからあまりハリウッドを観ない。)

最近引っ越してしまい、なかなか映画を気軽に観ることができなくなりました。撮りためたビデオとDVDばかりになりますが、観たものは書き込んでいこうと思っています。

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1.  六月の蛇 《ネタバレ》 
とりあえず、観終わった感想を2つ書こう。一つは、映画としての美しさ。画面を覆う雨、倫子の肌をつたう汗。薄暗い中にも浮き上がるほどの映像美。そして一つ一つがクッきりと耳に残る音響。セリフ、雨音、機械音。観始めた当初感じた不自然さは、いつしか消えていた。その映像の持つ力には、圧倒されるものがあった。しかしながらもう一つの感想は、私が彼の思想に合わなかったことだ。『女性の秘密の生活を覗き、過去を知った男は、彼女の奥底に隠れる蛇を見出す。そして、その美しき蛇を六月の雨の中に解き放つために、女性に次々と指令を出す。』このプロットがそもそも嫌いだ。確かに、道朗は倫子の美しさを崇拝し、憧れを持っているのかもしれない。しかし、彼女の幸せは性的開放であるという思い込み、また、それを指令という暴力的手段で実行していく様は、セクシストのそれと言わざるを得ない。雨の中、自分を開放した彼女は、降り続く雨と似つかわしくないほどの爽快な笑顔で食卓につく。「これが開放だ」と言わんばかりの演出だが、レイプAVにある、力ずくで押し倒して高速指マンで潮吹かせている状態とどう違うのであろう?女性はいけば幸せになるのか?何の問題も解決していないのではないか。 「大きなレンズとフラッシュが女性を気持ちよくする」と塚本は言う。カメラは、開放のツールであり、それが見えない心の奥底を浮かび上がらせる。しかし、人間の本質は性なのか?そんなに単純なものなのだろうか。私は、性は生きる上で重要な要素の一つであるが、それだけではないと確信している。この映画の判断は、ソフト系レイプAVを観て「気持ち良いんだからいいじゃないか」と思うか、「それは違うだろ」と思うかに尽きる。私は、後者だ。
[DVD(字幕)] 6点(2006-03-20 09:10:16)
2.  アカルイミライ 《ネタバレ》 
「浮遊するポストモダン」この映画に解説をつけるのならば、さしずめこんなタイトルにするだろう。日本のポスト近代への移行が、共同体の解体に伴い、規範を壊し続けているとしたら、そこに生み出されるものは何であろう?その答えが、真水に生きるクラゲと、街を闊歩する少年達だ。フワフワと漂うクラゲ、そして、フワフワと生きる少年達は、一見してただ流されるだけの存在でしかない。社会から外れ確固とした意思を持つわけでもなく、気分だけで生きる彼ら。それが日本のミライだと言われれば、多くの人は戸惑うに違いない。海でしか生きられないはずのクラゲは、水槽という閉じた系から、あるとき外界へ流れ出す。それはこれまで淘汰さてきたはずの存在が社会に溢れだしたこの10年を模している。宮崎勤、宅間守、数多くの不可解な事件が世を騒がせた。オタク、トラウマ、家族崩壊、、、メディアは理由を探し社会は憎むべき者を探して彷徨った。「責任能力を有する」つまり「正常」な彼らがなぜ平然と「異常」な犯罪を犯したのか。そのパラドキシカルな問いに向かい合えない我々は、「不可解」の一言で片付けてきた。しかしクラゲの毒に理由があるだろうか?クラゲの心がわかるだろうか?それは、完璧なる断絶である。守のように社会の規範や価値観から離れたアウトロー(宮台真司は『脱社会的存在』と呼ぶ)は、我々の言葉では語ることができない。これは村上龍の示すような、楽観的アウトローの姿ではない。真水の東京で生きる力を獲得しても、クラゲ(=アウトロー)は危険で駆除されるべき存在でしかない。しかし未来を予言する仁村は確信を持って答える。「彼等はきっと帰ってくる」と。アウトローと共生することのできる唯一の存在である少年達の胸には、戦いの中で死んだゲバラがイコンとして刻まれている。彼らは「アカルイミライ」を支え歩き続ける。(それがエンディングで示されたようにフィクションだったとしても!)黒沢清の提示したミライ。それは日本のポストモダン像に他ならない。過去を生きる者達は傷つきながらも「許す」のだろうか。それとも、徹底的な駆除を試みるのだろうか。この映画のタイトル「アカルイミライ」は近代批判、または、ニヒリズムではない。我々はそれを受け入れるしかない。黒沢は淡々とそれを描いている。
[DVD(字幕)] 9点(2006-01-24 11:51:57)(良:1票)
3.  道頓堀川
原作っていうのは所詮"原作"でしかなくて、映画の中では全然違うものになってしまうんだな、ということを知った作品。というか、それはないっすよ、深作監督。原作のいいところが全然ないじゃないですか!というか、全く違うストーリーになってますよ!なんだか、期待してみたぶん落胆が大きくて、観ていて辛くなってしまいました。この映画だと鉄男も政夫もダメ人間になっちゃって、邦彦一人がいい人みたいですね。しかも、鉄男の玉突きの腕も落ちてるし。何よりスリークッションじゃなくなってるし。ハスラー映画としての魅力はこの映画には全くないです。僕も、映画だからどうしても削ってしまったり、変えてしまわねばならない設定があることはわかります。しかし、せっかく「ビリヤード」というスポーツのようで決してスポーツではないバクチを軸にした親子の対立、そしてそれを見つめる天涯孤独な青年という、すごく魅力的なテーマが原作にあるにもかかわらず、松坂慶子と真田広之の濡れ場がメインであるかのような陳腐で低俗としか言えない恋愛映画にしてしまったのには、原作を楽しく読んだものにとっては苦痛に近い。ということで、自分の中では最低ランクにさせていただきます。
2点(2005-02-14 01:11:03)
4.  青い車 《ネタバレ》 
すごい映画に出会ったと思いました。主演3人は非のうちどころのない演技というほかありません。まずARATA。金髪にサングラス、さらに無表情な顔でどのように演技するのかと興味がありましたが、口ってセリフを言わずともあれだけ表現できるんですね。屈折の度合いを見事に表現していました。格好も違和感なく、目の傷も生々しかったです。リスカの跡がもう少しリアルだと良かったなと思います。次に、麻生久美子。本当に彼女は監督によって変わりますね。心優しさの中に逞しさが表現されていて、一本筋の通った美しさがあったと思います。事故後のシーンは「あれ?出すんだ」と思いました。最後に宮崎あおい。もう完璧。唸るしかありません。10代の飽きっぽさ、自信のなさ、悲劇のヒロイン願望と、センチメンタル趣味。そして最後に現れる本当の悲しみ。この単純じゃない感情の揺れを、細かく表現できていたんじゃないでしょうか。いや、もっと複雑な心象を描いていたのに、20代の僕には嗅ぎ取れなかったのかもしれない、そうまでも思います。彼女は日本のトップ女優へ着実に近づいていると思うのは僕だけではないはずです。この若く美しい10代のうちに奥田瑛二の「少女」みたいな映画に出て欲しいと切に思っています。 ストーリーとテーマソング、カメラワークも素敵だったと思います。内容を完全に把握できたかと言えば僕にも自信はありませんが、リチオの心の中を100%説明するのは本人にもできることではなく、あえて言えば原作のよしとものみぞ知るといった所でしょう。子供をさらわれかけたトモロヲの行動と、その後のベンチでの会話など、細かく笑ってしまう部分もあり、緩急をつけたストーリー進行が良かったと思います。じっくり考えて映画を噛み締めてみたい人にお薦めの映画です。
9点(2004-12-24 01:41:39)
5.  いま、会いにゆきます 《ネタバレ》 
佳作。原作・監督・脚本・カメラなどのスタッフ陣、および、主役の二人を含めたキャストにおいて、大物や気鋭の新人といった役者は見当たらない。中村獅童にしたって、竹内結子にしたって演技がそんなに上手いわけでもない。はっきり言えばエースのいない布陣だと言いきっていいかもしれない。その、期待できないメンバーがずらずらと並ぶエンドロールを、僕は驚きと、感動で熱くなった目をゴシゴシしながらみた。うるんでた。確実に。詳細を突けばキリがない。(手帳薄すぎ!とか。)もとよりそんなに高尚なストーリーでもない。だいたい原作を読んでる他の観客が先どりして泣いている。しかし、いいよね、これは。高校時代の二人の雰囲気もいいし、大人になってからの二人もいい。ずっと寝てる所長もいいし、喫茶店で泣いてしまう竹内結子もいい。そして、エンディングでのキスもいい。誕生日ケーキもいいじゃないか。全部ベタ。しかし、それを愚直にやられたら感動するんだね。下手な演出がないのがいいよ。本当に、3人の生活がずっと続けばいいなと思ったもの。いい映画を観たと思います。みなさんが触れていますが、主題歌でマイナス1点。
9点(2004-12-24 01:04:57)(良:1票)
6.  
この作品を観て、オウムが一番メディアに取り上げられていた、僕が中学生だった頃の事を思い出しました。僕はその当時、彼らの拠点の一つ(それは松本サリン事件や坂本弁護士殺害事件などの一連の事件よりもかなり早くからあった。)の近くに住んでいたのですが、テレビの中の"現実"、それは日常から遠く離れたフィクションに近い"現実"と、自分の身近にある"現実"のニアミスに興奮し、テレビに熱中していました。一億総オウム評論家と誰かが揶揄していましたが、僕の愚かな頭の中にはどのサティアンにどんな施設が隠されているか、オウムの幹部の人物像と宗教名、それに警察の動きなどがこと細かく納められていました。今はもう、その当時どんな気持で彼らに熱中していたのか、はっきりとは思い出せないのですが、(もちろん、オウム自体の詳細なんて完全に霧散している。)ただ、「オウム信者がカッターナイフ所持で銃刀法違反で逮捕」というニュースに大きな疑問を感じた事だけは記憶しています。その当時、僕の性格ならばたぶん周囲の大人にこの疑問を尋ねたはずなのですが、その返答はまったく記憶に残っていません。適当にあしらわれたのでしょうか、それともきちんとした返答を受けたにもかかわらず僕が記憶から失ったのでしょうか。どちらにしても、納得はしていなかったはずです。(だから違和感だけが残っている。)気付けば僕は、その当時の僕なら「大人」だと思った年齢にまでなっていました。僕が、あの時の僕を納得させられるかは自信がありません。あれから僕は何を考えて生きてきたんだろう?何を学んできたんだろう?そんなことを考えました。あの当時、"正常"と言える眼で事件をみつめていた人がどれだけいたのでしょうか?いや、過去に限ったことではなく今、9.11後の世界を冷静に見詰めることができる人がどれだけいるのでしょうか?澄んだ瞳で、世の中を見渡せる人間になりたい。そんなことを考えました。
9点(2004-08-02 22:37:53)
7.  スワロウテイル
映画とは不思議なメディアだと思う。明らかに映画とはフィクションであるはずなのに、そのフィクションを「リアリティがない」と叩かれる。あまりに話が込み入ると「そんなことありえないよな」ということになるし、単純だと「ありふれてる」ということになる。そんな中で、岩井俊二という人は、奇妙な形で綱渡りを続けていると思う。「リリィ・シュシュ」にしても、「アンドゥー」にしても、この映画にしても、明らかなフィクションとしてストーリーはある。序盤はあくまでありふれたシーンの積み重ねであるが、その中に「何かあるぞ。」というタネがたくさん蒔かれている。そのタネはある時一気に発芽して、物語をドラスティックに変えてゆく。様々なストーリーが絡み合いつつ成長し、ある時は予想もつかない方向に枝を伸ばしながら、上へ上へと観客を持ち上げてゆく。そして、非常に唐突な形で成長は止まり、枯れてしまう。このフィクションへ観客を引き込み、没頭させる能力において岩井俊二は非常に優れていると思う。
7点(2004-07-25 00:01:54)
8.  リリイ・シュシュのすべて
イジメにしても、レイプにしても、もう10年以上前から(実は三島由紀夫は30年以上前に作品にしているが、)社会問題化していて、十分に語り尽くされているストーリーなわけだが、それを臆面もなく大々的に取り上げて、観るものに投げつける岩井俊二の力技的な技量には、なんとも言えなくなる。観る者としては、これだけリアルな世界が発達し続けて、犯罪のニュースが氾濫している中では、イジメの問題も、レイプも、中学生の犯罪もお腹いっぱいで見たくないという思いが強い。だから、ニュースもその深部はあえて伝えようとしないし、知識人がテレビであえて語るようなこともない。あれだけ活発だった「朝まで生テレビ」でも、最近青少年問題を取り上げることはない。そんな中で観たこの映画は、そのストーリーの力強さに、完全に押されてしまった。正直に言って、ストーリーは過剰ではないのか?という思いも強かった。しかしこの映画を観る中で、自分の尺度では"過剰"だと思えるようなことでも、世の中にはリアルに存在して、それは稀であってもリアルなことだろうな、なんてことを考えた。それにしても、岩井俊二はいいスタッフを使う。小林武史の音楽は最近のヒットチャートでは流行らなくなったが、フィルムに載せてあげると活き活きとした音楽になる。篠田昇は光線の使い方が日本一上手い。この人は、本当に日光を知り尽くしたカメラマンだと思う。そして、監督である岩井俊二は、「本人も理由のわからない苛立ち」を描かせると本当に光った演出をする。そういうことを考えて、とにかくいい映画に仕上がっていると思う。
7点(2004-07-24 23:19:50)
9.  tokyo.sora
主役(?)の板谷由夏が、なんかどっかで見た事あるなーっと思って調べてみたらイタリア語講座をやっていたらしい。佐藤康恵の前だからけっこう昔。セリフはボソボソと聞きとりにくかったけど、それもリアルで良かったと思います。西島秀俊がこんなところでいい役をやっていて、しかも流れがすごくすーっとして、なんか驚きました。悪い役なんだけど、悪さがない。いや、最低なんだけど、なんだか爽やか。それに長塚圭史も出ていて、男性陣はなかなか面白いキャストを持ってきているなと思う。本上まなみ他は、なんというか、シナリオの無い映画って感じで(そのままか、)なんとも評価のできない映画です。好き嫌いがはっきりしているので、嫌いな人には本当に薦められない。「ディスタンス」「ワンダフルライフ」の是枝監督が嫌いな人はこれも嫌いになりそうだ。実を言えば、僕はJungle Smileの高木郁乃が気になって観たわけなんですが、妙な登場の仕方でなんとも言えませんでした。高木郁乃(通称イクノフ)笑ってましたね。この撮影の時は元気だったんだろうな、今は元気にしているんだろうかと、妙な感傷に浸ってしまったのでこの映画の評価は上手くできません。僕的には、元気な高木郁乃の映像を見てそれで十分。そういえば、全体的な画は良かったと思います。
5点(2004-07-24 23:06:53)
10.  泥の河 《ネタバレ》 
「ここはお国を何百里 離れて遠き満洲の~」きっちゃんの大人びた節回しを聴いていると、心がしんとしてきます。このワンシーンに、戦争や貧しさ、浮ついた時代への痛烈な批判、親を失った二人の悲哀など、様々な、本当にたくさんの悲しみがこめられています。この映画は、悲しいです。この映画の主題は、のぶちゃん(主人公の少年)の眼からみつめた世の中の悲しみです。泣かせようとする演出ではありません、冷静に幼い彼が感じとった世の中の悲しみを坦々と映し出しています。 この映画のことを説明すると、原作は宮本輝の同名小説(処女作・太宰治賞受賞作品)。監督はこれも新人の小栗康平、白黒の作品です。監督・原作者ともに新人であるため、観ていて映像の拙さを感じる方もおられるかもしれません。しかし、僕は宮本輝後期作品の説教臭さがなく、原作を思い切って切り取った小栗の決断力と、二人の若さも評価すべきだと思います。何度観ても考えさせられる作品ですが、やはり気になるのは銀子の存在です。廓船に住み、笑いを忘れ、過剰なほどに丁寧で控え目なその振舞い。しかし、その中に漂う消しようのない色気。陸の家庭に触れ、笑いを取り戻したかに見えるものの、その奥に隠れる歪み。彼女の存在、演技はこの映画の中でどうしても触れなければならない所です。メインキャストの田村高廣・藤田弓子・加賀まりこが玄人らしい演技をみせており、それに加えてノブちゃん・きっちゃんが拙いながらも心のこもった演技をしていることがこの映画を素晴らしいものにしていると思います。ほぼ満点の内容なのですが、音楽が少々感傷的過ぎていたので減点させていただきました。
9点(2004-06-12 00:42:49)(良:2票)
11.  風の谷のナウシカ
僕が生まれたのが78年だから、公開当時僕は6歳。数年後にはテレビ放映されていただろうから僕は10歳くらいで初めてナウシカを観たのだろう。残念ながらその時のことは覚えていない。どうせ「蟲怖い」くらいの感想しか持っていなかったと思われる。それから年に一度はテレビで観て、僕が思春期を迎える頃にはその世界観を理解し、シーンをそらんじることさえできるようになった。環境問題に関心のあった高校時代にはビデオを借りてCMなしで観たりもした。しかし、ある時ふっとテレビ欄でみつけても観ないようになってからというもの、僕はずっとナウシカを忘れていた。僕の中でナウシカは「壮大なストーリーと映像美を持ち、しかし時代遅れのメッセージと古い映像技術からなる過去の遺物」として認知されるようになっていた。この時点なら、僕の幼少期への郷愁と合わせて9点は固い作品だったのかもしれない。しかし、この作品の認識が180度変化する出来事が起こる。それは、原作との出会いだ。その当時、僕は漫画を完全に馬鹿にしていた。一時真面目に読んでいた手塚治虫を投げ出したあと、僕は「漫画」というメディアに希望の持てない日々が続いていた。現在ならつげ義春や松本大洋などの著作を通して漫画の表現力を認めている僕だが、「スラムダンク」を最高だとする時代にはどうしても馴染めなかった。僕は、その当時漫画をまったく読まない人間だった。そんな時、友人から強く風の谷のナウシカを薦められた。渋々読んだ僕だが、その世界の奥深さに仰天し完全に虜になった。僕は確信している。この「風の谷のナウシカ」は決して時代に合わせた環境問題をテーマにしているのではない。人間の本性を剥き出しにする「欲望」と「希望」(この物語で宮崎はこの二つの望みを並列に取り扱っている。)を、蟲の蠢く架空の世界から抉り取った大作だ。ナウシカの眼を通して、人間の汚れと美しさを輝かせた宮崎駿の才能には本当に驚かされる。それだけになお、これだけの大きなテーマを持った原作が単純な世界観として映画に納められているのは残念なことだと思う。この作品が漫画の2巻冒頭までのストーリーで終わっていることが問題なのではない。この壮大な世界観が、その中に含有されるたった一つの概念に格下げされているのが問題なのだ。新作を作るのもいいが、僕はいつか10時間作品にしてでも原作を完全版として映画化してくれることを望んでいる。
7点(2004-06-08 22:24:03)(良:4票)
12.  F.I.S.H 世紀末人形伝説
B級SFと言う表現が最も正しいのだが、これをBとすると他のBがAくらいになってしまうのでC級とでもしたい。見慣れたAV女優が数人出ていたが、なんだか虚しさが倍加してしまった。僕が借りたレンタルビデオのタイトルには「ディレクターズカット」と書いてあったんだけど、普通のバージョンよりもシーンを増やしたのならもっと削れと言いたい。古田新太も藤木直人も痛いです。ヒロインの女の子も痛いのできつい。
2点(2004-04-27 21:15:02)
13.  TOKYO 10+01
くだらねー!引き笑いすらできないほどのくらだなさ。失笑も数分で止まり、あとは苦痛に近い。いやホント、参りました。確かロシア?かどこかの監督が新しい主役俳優を探していて、たまたま観た「The Salinger」というバンドのライブビデオでVo.EDDIEを発見して、「これだ!」と触発されて作った映画らしいんだけど・・・。その主役のEDDIEが恐ろしく下手なんだわ。歌はね、僕は数枚CD持ってるんだけど、ライブにも一度行ったことあるんだけど、あんまりお薦めしないなぁ。最初はいい感じのパンクだったのにだんだんおかしな方向に行っちゃってね。ま、それはいいとして、結構カッコいいのよ、この兄ちゃん。売れてないバンドよりも俳優業やってみるかな?と観る前は思ってたんだけど、観たらそんなこと口が裂けても言えないよ。こりゃ才能ないかもね。しかし深作監督へのオマージュも笑えないんだよな。なんというか、痛いの一言に尽きる。こんなとき篠井英介のキャラは俄然光ってくるんだけど、それでも痛すぎるので笑えない。もうくだらなさすぎなのよ。安藤政信もなんでこんなダメ作品に出たんだろね、なんかそこが不思議なんですよ。言ってみれば、安藤政信出演の映画をコンプリートしたい人にしか観る価値ない作品なんだけど、観ても怒ると思われます。
2点(2004-03-21 01:12:29)
14.  青い春 《ネタバレ》 
"青春"という言葉は、漠としてつかみどころのない、あの年齢でしか認識する事が出来ない言葉だと思う。高校を卒業して数年経って「あの頃は青春してたな」と思い出す時の"青春"は、実際に10代の僕が感じた"青春"とは異なっているだろう。あの時感じていた感情を、僕はいま「自分を認めてくれない社会への不満と将来の不安」と言葉にするけど、たぶんそんなに簡単に言い表せる言葉でもない。その時は確実に感じていた、けれどもはっきりと言い表せない、それが青春だと思っている。そんな"青春"の空気を見事に映像化したのがこの映画。冒頭の度胸試しから観客を虜にし、九條と青木を中心として話が進む。このメインキャストにおける起承転結に、木村・吉村のエピソードをクロスさせ、最初は爽やかですらあったシーンは気付けば"青春"という鬱屈に塗りつぶされている。だんだん暗くなってゆく展開の中で、九條が一人妖しく光る。繊細さと凶暴さ、それが美しさのなかで龍平が一段と映える。最後のクライマックスに鳴り続けるギターは、青木の存在まで切り裂く。 観終って、僕が初めてミッシェルのCDを買った日のことを思い出した。ミッシェルを聴かなくなった時、僕の青春は終わったのかもしれない。 
9点(2004-03-20 22:31:36)(良:1票)
15.  ポーラX 《ネタバレ》 
残念ながら、僕はこの作品に対してまだまだ理解ができていない。そこで自分なりに考える手段として、いくつかのフラグメントを書き出してみる。 ピエールを愛するマリー(母であり姉と呼ばれる)、イザベル(姉と名乗る)、リュシー(恋人)の3人の女性。血縁のある2人の女性は自殺し、恋人はピエールを待つ。同様に血縁のあるティボーも死亡。 ピエールの最初のペンネームは"アラジン"作品名「光の中へ」、後に"ロック"と名乗る。 イザベラの出身地は「東側、内戦、黒髪」を考えると旧ユーゴ? 外交官の父は栄光を掴むが、のちに失脚する。 「人間は臭い」がきっかけで少女は死亡する。ピエールは「よかれと思った。」 3人が身を寄せた集団は"音楽"と"軍隊"を基礎とする。指導者は「世の嘘を見抜く男」。 ピエールの構想は編集者からは「古い」「ピエールの本質は未熟」「世間を断罪すると、必ず自分に返ってくる」などと否定される。 "ロック"の作品は「混乱と妄想の産物で、模造」と批判される。 これは、映画のプロットで重要と思った部分のみ挙げてみたものです。他に気になったのは、セックス描写に力を入れていた事と、集団に対して批判的な描写をしていない所、集団の住居で扉の描写に力を入れていた事。まだ理解できていないが、この3つは大きなヒントになりえるのではないかと思う。現在の自分の理解はまだまだ中間地点なので、いくつかの作品との相互関係を考慮して、ゆっくりと頭の中でこねまわして理解が深まってゆければいいなと思う。個人的に、僕は難解な作品を「監督の自己陶酔」と片付けるのだけは嫌なのでどうしても理解したいと思っている。なんだか、わからないものをロジックもなしに批判すると馬鹿っぽく見られそうで嫌だ。映画の観方・楽しみ方なんて人それぞれなんで、一度観て終わってもいいし、ずーっと考え続けてもいい。一度で終わる人が多くて、その総意でこの作品が「駄作」と片付けられても別にいいし、この作品が平均5点でもしょうがないかな、と強がりを言ってみたりする。
8点(2004-03-16 00:05:54)(良:1票)
16.  ターン/TURN
毎日戻ってしまう苦しみを、どうにか懸命に生きて行こうとする主役の女性を、牧瀬里穂が好演していました。彼女がメゾチント作家であるということも、かなり重要なファクターとして位置づけられていて、よく出来ていると思いました。しかし、違う世界にトリップしてしまったこと、電話がつながること、現代に復帰することなどがどうして起こったのか?何か理由みたいなものを与えてくれれば良かったよ思います。脇の俳優さんのことですが、北村一輝の冷たい眼も良かったです。
5点(2004-03-15 19:13:51)
17.  人間の條件 第五部 死の脱出
竜子の死体が痛々しく、墓を巡る丹下と梶の議論なんてどうでもよくなってくる。死を前にして思想が何をしてくれるのか?僕は、いま思想を持っていないので言葉に詰まるが、焚火を前にして捨てられた少女を思う梶の心が、僕には戦争の矛盾と伴に、思想の矛盾として強く響く。大きな流れの中では人は流されるしかないのか?それとも沈んでしまうだけか?殺人マシーンと化してゆく梶の苦悩は、僕には理解できないほども深く、暗い。美千子という美しく、純粋に彼を愛してくれるものに対して、彼はこのことをどう語るのだろうか?それを考えると、その苦しみの一端だけでも突き刺さってくる。梶は、歩哨の生活を考えただろう。歩哨がロシアの家族のもとで、美千子と同じように愛する妻のもとに帰りたがっていることを感じただろう。戦争とは、どれほど多くの矛盾を抱えながら進行してゆくのだろうか?思想とは、国家とは、それほどまでに重要なものだろうか?僕にはわからない。娘役の中村玉緒の溌剌とした笑顔が、僕の脳裏に刻み込まれる。この作品の持つ悲しさをより引き立てるこの笑顔を、僕は想像でも踏みにじることは出来ない。戦時下にない僕には想像すら出来ない、凄惨なことが、戦時下・敗戦下という名目で行われていたことに、僕たちは眼を背けてはいけないだろう。
9点(2004-03-14 17:38:55)(良:1票)
18.  とらばいゆ 《ネタバレ》 
この映画を観ていて思ったのは、「間」を完璧に作り出しているなということです。監督の手腕なのか演じての技量なのか、とにかく間が完璧でした。特に唸らされたのが最後に麻美と一哉が将棋を指しているシーン。考え込む麻美に対して一哉は「将棋に未練がある」「麻美を抱擁しなきゃいけない」という小さな葛藤で悩みます。この、小さな演出が巧い。このワンシーンで一哉の性格の一端をスパッと描いています。残念だったのは、ちょっと将棋の描写がお粗末だったかなということです。麻美と里奈の対局を熱戦にしたいのはわかりますが、10秒将棋ってのは熱戦の描写としては違うんじゃないかと思います。1分のギリギリまで考えて秒読みの10秒ギリギリで指すのが熱戦ってもんでしょう。しかも最後の詰めが笑っちゃうし。あれじゃ50手の局面だーね。瀬戸朝香、これはキャストの勝利。自分勝手な外面のいい美しい勝気な女といえば、彼女は適役。塚本晋也、文句ナシ。市川実日子、村上淳も十分すぎるほどの演技を見せてくれました。男二人を気の弱い好人物に仕立てた事がこの映画のいい所かも。このメンツじゃなければこんだけ単純なプロット、先の読めすぎる展開は弛緩しきってしまったんじゃないかと思います。途中に挿入される橋の画はコミュニケーションのメタファー?抑えた演出で良し。
6点(2004-03-14 17:06:54)(良:2票)
19.  海と毒薬
前半、結核患者の手術に際して白黒の画の中で流れる血が、白黒なのに異様にリアルで赤く見えそうなほどで、震えながら観たことが鮮明に記憶に残っています。その時はまだ、僕は原作を読んでいなくて、「白い巨塔」のような医師の世界の矛盾だとか、戦争の悲惨さを伝える映画だと思っていました。しかし今は、もっと深い宗教性と、「白い人・黄色い人」に近い日本人ゆえの悲しみに似たものを感じています。特に、ラストでの勝呂と戸田の会話は、どちらも、この社会の真理の一端を突いており、「殺人」を犯した者が得たことが何だったのか、それを語っているように感じました。また、原作では愚鈍で純朴な印象の強い勝呂医師を、奥田瑛二という適役だとはとうてい思えなかった俳優さんが見事に演技していることに意外な驚きを感じました。それに対してクールな戸田に渡辺健を持ってきていることには二重の驚きでしたが、その役を上手く使いこなせていたと思います。ヒルダ夫人と上田看護婦のエピソードは非常に大きなインパクトを与えています。大連で死産になった子供が、ちょうどヒルダ夫人の娘と同じくらい。「白人の肌って切りにくいのかしら?」と口走った彼女の、冷たい心のうちが透けて見えます。 原作を読んでいる方にですが、実は遠藤周作の「海と毒薬」には続編があります。「悲しみの歌」というタイトルで、「海と毒薬」とは全く違った毛色の作品ですが、勝呂医師のその後をこの作品で読む事が出来ます。
8点(2004-02-29 07:54:04)
20.  チンピラ(1996)
僕が青山作品が大好きだからそう思うのかもしれませんが、「実はすごくいい映画なんじゃないですか?」と真剣に思います。ストーリーは、84年の映画のリメイクなんですから、そのまんま古臭いチンピラ映画という感じです。しかし、感動という言葉が適切かどうかはわかりませんが、なんとも言えない不思議な心の高まりがありました。「うぉー!」と言いたい気分なんですが、これは涙を流すような性質の心の高ぶりじゃないです。観ていない人に薦めたいのが、とにかく大沢たかおとダンカンの演技が最高です。大沢たかおの、チンピラな社会に揉まれてガサガサに擦り切れていく感覚(下手な言い回しですが、)は、恋人役の片岡礼子との関係もあってとてもいい味をだしています。この時の片岡礼子も非常にいいです。しかし、それにも増してダンカンの「望んでもいない、意識してもないのに何故だか転落してしまう男」という存在は、「そうとしか生きられない運命」をすごく的確に示していて、「そういう人生」ってなんというか「哀れだなぁ」と同情とか憐憫だとか、とても切ない気分になりました。(しかし、ここで青山真治は涙を流すような描写をしたわけではない。)ダンカンは本当に、本当にいい俳優さんだと思います。一番好きなシーンはセスナを発見した瞬間です。この瞬間の顔がいいです。それに、その後の会話もいい。他にも「みっちゃん~」の歌がまた切ないんですよ、胸がキリキリ痛みます。話がこんなに単純なのに、こんなにガツンと心にくるとは思いませんでした。もう一度書きますが、この映画は涙を流すような描写は一切ありません、しかし切ない、しみじみと感じさせる映画です。
9点(2004-02-25 23:41:11)
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