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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1249
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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61.  真木栗ノ穴 《ネタバレ》 
この映画では、まずはヒロインが清楚で色っぽくて可愛らしくて怖くて悲しく複雑で不思議な雰囲気を出しているのが非常にいい。メイクは最小限にして素材のよさを最大限生かしているのも好印象で、この点では誠に期待通りの映画である。 それだけを期待していたにもかかわらず意外にもといっては何だが、見ると窃盗の共犯の女にも妙に惹かれるところがあり、中盤の再会場面などはもう泣けてしょうがない。ヒロインと並ぶ存在感があり、この二人だけで両横綱という印象だった。 しかしさらによく見ると、もう一人の女性である雑誌編集者も決して無視できない存在である。若くて生気があり、基本的に明るい世界の住人で、見ていて眩しいようにも感じられた。最後、この人の声は主人公に届いたのかどうかが心残りである。  ところで、劇中では生きている人とそうでない人が混在していたようだが、そのほか空想が現実に介入しているようにも見えており、何が空想で何が現実だったのか整理がつけにくいため、観客としては画面に出たものをまともに受け取っていいのかどうかわからなくなる。また、さらにこの映画では、見ているわれわれを含めて空想と現実の区別が相対化(階層化)されているらしく、それを意識してしまうと、どうせ全てが空想なのだから観客が本気になって(前記のように)感情移入するのは愚かなこと、と嘲られているような気もして来る。 あるいは、そのようにして鑑賞者の心理を翻弄するのが作家(とか映画を含めた創作者)の力であり、それは劇中の編集長が言っていたように「頭ん中を覗くことなんかできない」ほどの深みを持った穴だというのが、この映画の隠れた主題なのかも知れない。しかし題名の意味はその通りとしても、それが映画制作者自身のことまで含めた主張だとすると自画自賛のメタ作品のように思われて、自分のように特に映画ファンでもない一般の鑑賞者などは疎外感を覚えてしまう。  まあ別に一般人に喧嘩を売っているわけではないのだろうから、ここはひとまず創作者に騙されておくことにして、愛すべき登場人物のいる懐かしい(怖い)空想の世界に浸り、愚かな主人公の哀れなラブストーリーに共感を寄せているのが正解なのだろう。 そういうことで、多少面倒くさいところはあるものの、全体としては非常に印象深い映画だった。
[DVD(邦画)] 8点(2012-02-11 20:12:01)(良:1票)
62.  マイマイ新子と千年の魔法 《ネタバレ》 
前半は子どもらのやることを笑いながら見ていて面白かったが、後半に入ると影がさして来て、妙に深刻な事件が起きたりする。主役の女の子があんな顔で怒鳴るのはやりすぎなんじゃないか。原作ではもっとあっけらかんとした感じだったろうと思うが。 またストーリーが複雑で難しいので、一回見ただけでは何が起こったかわからず、理詰めで考えなければならなかった。何か話を作りすぎのような気がする。独りよがりな台詞も多い。  ただ、映像的に美しいのは心に残る。また個人的には特に、千年前と昭和30年の風景を直接重ねて見せるような、いわば歴史地理学的な発想が面白いと思った。それがまた、都びとの目には何もないように見える一地方にも何百年、千年にもわたる人の暮らしが積み重なっている、という映画独自の主張につながって、時間的な深みを感じさせている。 それから千年前の一般庶民にも、花を散らす牛車を見てなごむ程度の心の余裕があるように描かれているのはよかった。世の中いいことばかりでないのは当然だが、悪いことばかりでもなく、楽しいこともある。それは千年前も今も同じだろう。昭和の事件の結末も含めて、この世界に対する基本的な肯定感が伝わって来て嬉しくなった。それはあくまで“子どもの世界”なのかも知れないが、中年男に向けた癒し効果もあったと思う。  そういうわけで、マイナス面もあり他人に勧めるのは躊躇するものの、個人的には忘れがたい映画になってしまった。 なお、登場人物のうち特にお姫さまのキャラクターが可笑しくて可愛い。周防権介の息子らをいいように使ってやりたい放題だったが、後半、山中の家を訪ねた場面は見ていて泣き笑いだった。周防守の権威をもって、この母子にいい継父を世話してやれないか。
[DVD(邦画)] 8点(2011-12-31 15:44:38)(良:1票)
63.  島にて 《ネタバレ》 
山形県の離島・飛島で2018~19年の1年間に撮影されたドキュメンタリーである。季節ごとの自然景観や家々の様子が映されていて、特に海の向こうに鳥海山が見える映像が多く、海を隔てて鳥海と相対する島との印象を出している。また細かいところでは魚を模した盆飾りを映したのが目を引いた。 登場する人々はみな温和な感じに撮られていて和まされる。島の現状としてはいろいろ大変だが、その上で今後は何をどう考えて何に期待するのかを問う映画になっていて、最後は少ししんみりさせられた。 なお共同監督の田中圭氏は対談動画など見るとなかなか感じのいい人のようで、映画の中では80歳の漁師の人物に「圭ちゃん」と呼ばれていた。  島の現状としては当然ながら厳しいものがあり、今までのように漁に出て、あるいは裏山で畑を作るといったことが高齢のため続かなくなってきている。最後の中学生も、その中学生に漁師になれと言ったのも実は外来者の一家だった。親の生業を継ぐなと言われるのは農山村でも同じようなもので、また都市部に家があるのも山村住民などではあることだろうが、離島であればなおさらだという気にさせられる。漁業するにも島に住む必然性はなく、酒田に住んで漁に出ていることが多いらしい。 新しい動きとしては「合同会社とびしま」というものがあり、バーベキューイベントはこの年限りで終わったようだが、地元報道によれば簡易水道の管理やIT技術を使ったプロジェクトにも取り組んでいるらしい。最近は東京都の離島・青ヶ島出身の人も所属しているようだった(2023.9.1山形新聞記事)。  今後のことに関しては、そもそもこんな場所に人が住む必要などあるのかという極論も出そうだが、しかし山に人が住まなくなればクマが降りて来るように、島に人が住まなくなれば外敵が入り込む恐れもある(日本海側は昔から危ない)。また観念論になるが、学校の場面で出ていた憲法第22条第1項の居住・移転の自由の広がりを維持するためにも、従来の居住地を捨てないようにしたいという考え方はありうる。 この映画としては、要は昔からの地域社会を維持しようとするよりも、合同会社のように外から来た人々を含めたコミュニティを作っていけばいいということか。実際住むとすればここに生まれたか、その他何らかの理由でここを特別な場所と感じる人々ということになるが、一度外に出た人々が戻るのもいいとして、合同会社のメンバーには地元の大学卒の人もいたようで、地方の大学の存在がこういう場所に目を向けるきっかけになることはあるかも知れない。 何にせよ若い人々の「やってみたい」(前掲記事)に期待しようということだ。悪いことばかりとは限らない。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-01-06 10:14:45)(良:1票)
64.  先生!口裂け女です! 《ネタバレ》 
前に見た「スマホ拾っただけなのに」(2019)と同じ監督なので、この映画も台湾映画「報告老師!怪怪怪怪物!」(先生!かかか怪物です!)の真似かと思ったが中身は違っていた。実際に題名通りの台詞もあったのは笑ったが、後の方になると「先生」の意味が変わって来る。ジャンルとしてはホラーというよりコメディであって終盤にはアクション場面もある。 口裂け女に関しては、最初はその辺の住民とどこが違うかと思わされるが実は真の口裂け女であって「私、きれい?」の台詞もちゃんとある。もともと口裂け女は三鷹・三軒茶屋・三宮といった「三」のつく場所に出やすいと言われているが、この映画でも主人公は東京都三鷹市に住んでいて、名字がミカミだったのも三上とか三神のつもりだったかも知れない。また走るのが早いので原付では逃げきれないとの伝承があるが、その原付も映画の構成要素として使っている。  物語としては、特に考えもなく悪事に関わっていた高校生が自業自得で危機に陥ったが、先生のおかげで助けられて心を入れ替えた話になっている。序盤はワルぶってイキがるクソガキ連中が苛立たしいが、最終的には微笑ましい青春映画になっていて和まされた。また終盤の戦いでは先生の大活躍がものすごく格好いいので感動した。 主人公の家庭は一人親だったが、ものわかりのいい片親だけでは家庭教育が行き届かなかったクソガキを、先生が強烈な手法で矯正してくれた形になっている。また先生が去った後は姉が年少者を導く存在になったのかも知れない。 今回の件で先生が三鷹を去らねばならなくなったのは寂しいことだが(千葉県木更津市に移転?)、ちゃんと仕置人の仕事は完遂していたようで笑った。今後の活躍を期待したくなるヒーロー映画でもあった。 登場人物としては転校生が愛すべきキャラクターで、主人公の姉もなかなか格好いい姉貴になっている。口裂け女も愛嬌のある人物で大変結構でした。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-12-02 14:34:24)
65.  河童のクゥと夏休み 《ネタバレ》 
うちの近所にも昔は河童がいたことになっていたかも知れないが今はいない。個人的にも河童に特に思い入れはない。 この映画の河童は野生動物のような存在らしいが、知能があって人の言葉を話すからには人間としても軽くは扱えない。ただ河童だけでなく犬やカラスも人並みの知能がある設定なので、対等な生き物として扱うべき対象はさらに広いことになる。人智を超えた能力としては言語によらない意思疎通の方法を持ち、さらに人類文明を超越した存在ともつながる立場だったようで、かえって人類の方がそのような世界から疎外された種族ということになる。 劇中河童は現代の文明社会で人間の保護を必要としていたが、子どもながら人格がしっかりしていて自立心もあり、見るからに哀れっぽい存在には描かれていないのがいい。非力そうに見えてちゃんと相撲が強いのも侮れないが、場合によって破壊的な能力を発揮するのはやはり人間として畏怖を感じさせる存在ともいえる。 また自然環境に関する問題意識についてはよくある普通程度の感覚だろうが、この映画では最初を江戸時代まで遡ることで、現代の都市開発だけでなく大規模な水田開発も自然環境に影響を及ぼしたとの認識が示されていた。ちなみに「やんばる」は2021年7月に周辺の他の地域とともにユネスコ世界遺産に登録され、いまだ米軍の訓練場に隣接していながらも、保全の条件は改善されていると思われる。しかしその遺産登録もそれ自体が別に強制力を持つわけでもないようで、何より守ろうとする人間の意思が大事なのだろうが、今後の国際情勢や経済・科学・軍事その他の都合でどう変わるかわからないと思えば、どこまでも人類など信じられないという思いはある。人類社会に上辺の社会正義はあっても良心は存在しないので、劇中河童には何とかうまく生き延びてもらいたい。  物語としては夏休みの出会いと別れということで、これまで特に主体性なく生きてきた少年に自立心が生まれ、初めて心の通じあう他者を認識する機会になったということらしい。ラストで河童と少女はそれぞれ新しい生活環境での暮らしを始めていたが、少年ともまたつながることのできる可能性を残していたのは救われる。 なお製作に当たって遠野市の後援を得たにもかかわらず、物語上は遠野に河童はいないと断言した形になってしまっていたが、座敷童子はいたのでまあいいかともいえる。その座敷童子の歌には少し心を打たれた。他にも心を動かされる場面の多い映画だった。
[DVD(邦画)] 7点(2023-09-30 10:51:02)
66.  たそがれの東京タワー 《ネタバレ》 
「宇宙人東京に現わる」(1956)という映画のブルーレイを入手したところなぜかこの映画のDVDが一緒に入っていた。他の視聴方法もあるのかも知れないが、もしかしてそういう特殊な趣味の人間しか見られない映画ということか。ちなみに東京タワーは映画前年の1958年に完成したが、1961年には早くもモスラに破壊されていた。  内容としてはいわゆるメロドラマだそうで、東京タワーでたまたま出会った男女の恋の行方を描いている。序盤では都会に馴染めない主人公の疎外感や不安定感が自分のことのように感じられ、さらに「悪い子」になってからは気が気でなくなって見るのがつらくなる。これで最後がハッピーエンドだったら話を作りすぎだろうと思っていたが、終幕は意外に納得感があって悪くなかった。エレベーターガールの人は困惑していたが、大事な場面というのはわかったと思われる。BGMのアニーローリーが心に染みる。 荒唐無稽とはいえ単純なシンデレラストーリーではなかったようだが、これと当時の世相の関係をどう受け取ればいいのかわからない。社会階層の違いがあるのは当時も今も同じだろうが、この映画では上流を目指すというよりも、新しい居場所を自分らで作ろうとしたと思えばいいか。そういう可能性を期待したくなる上向き感が当時の社会にあって、東京タワーというものをそのシンボルにしたのかと思っておく。  ところで鏡の中の主人公は本人の反転像であって、本人が内向的で実直とすれば外向的で奔放な人格といえる。これが主人公に悪事を唆したことで新しい世界が開かれた一方、悪事への悔いから人としての正しい道を主人公に再認識させ、本来の性格を補強する役割もあったのかも知れない。単純に本人のダークサイドでもなく、これ自体が複雑性を持ったキャラクターだったらしい。 また複雑といえば男の許嫁もそのように見える。未来の社長夫人の道は絶たれたものの、経営者につながる立場は確保できたと思われるので実利は失っていない。一方、終盤で思いがけず主人公の真心に感じ入ったのは本当と思われるので、その上で幼馴染を幸せにしてやろうという善意を働かせた結果が最後の展開と思われる(自分は選ばれなかったという落胆を隠して)。さすが上流階級の人はいろいろ考えがあると思わされるが、それに快く協力した社長も大人物だったらしい。社会階層の上下はあっても人の心は通じることを信じる映画だったようである。
[DVD(邦画)] 7点(2023-01-21 13:47:15)
67.  カルメン故郷に帰る 《ネタバレ》 
日本初の総天然色映画として百科事典で特記されていたので大昔から名前は知っていたが、子どもが見るものではないと思っていた。今回デジタルリマスター版というのを見ると、浅間山を背景にした牧草地に登場人物の華やかな衣装が映えている。山から噴煙らしいものがずっと出ていて、まともに構図に取り入れている場面もあったが、気象庁の記録によれば1950~51年に火山活動があり、噴火で死傷者が出た事件もあったらしい。実は危険な撮影現場だったのではないか。 それはそれとして基本的には喜劇のようで、深刻そうな場面もユーモラスで笑ってしまうところがある。父親はやたらに主人公をバカ扱いしていたが、特に知能に問題があるわけでもなさそうで、これは当時の社会通念から自由なことをそう言っていただけではないか。昔バスガールをしていた(婿を連れて帰った)姉はどちらかというと主人公の価値観の理解者だったようだが、父親の方は(妻を亡くして?)娘たちに十分手をかけてやれなかったという悔いがあり、その自責の念がバカの木に象徴されていたと思われる。  物語の中心テーマは芸術文化に関することだったように見える。 まず、金儲けが目的なら芸術文化ではないという趣旨の発言があったが、それをいうなら映画も似たようなものといえる。実際に今どき映画を芸術の部類に入れる人々も多くないだろうが、しかし芸術性皆無の映画というのもあまりなく、芸術では絶対ないともいい切れない。また劇中例でいえば、観客の色欲を刺激するのが目的なら芸術とはみなされにくいが、しかし例えば食欲を満たす場合は生の食材そのままでなく調理するところに文化性があり、また主人公についても生のものをただ見せるのでなく歌や踊りの技量、さらに衣装を含めてどう見せるかで価値を高めようとしていたはずである。その点で、目的が不純であっても芸術性・文化性を伴うものはあるといえる。 また興行収入の使途に関する校長の発言には、裸芸術と本物の芸術は隔絶したものではないという認識が示されている。本物の芸術というのも実は範囲が明瞭でなく、元教員が作った歌は芸術寄りではあろうがシューベルトの歌曲と同列ではない。そういったものを全部まとめた、いわば芸術文化連続体の中に裸芸術も本物の芸術も含まれているということだ。 ラストでは、さんざん色々やらかした主人公と同僚が悪びれることもなく去る一方、それとは別に元教員が元のとおりにオルガンを弾いていて、両者の出会いで何か変化がもたらされたようでもなかったが、これは新奇/古風、都会/田舎、高尚/卑俗で良否を分けず、それぞれが併存していて構わないという大らかさの表現に思われる。結果的には、世界の様々なものが持つ芸術性や文化性を広く認め、みながそれぞれにアーティスティックな創意を発揮または評価する時代を志向する映画なのかと思った。 なお主題歌(主人公が歌う方)は結構耳に残る。芸術とまでいうかは別にして華があってモダンだ。
[ブルーレイ(邦画)] 7点(2023-01-01 22:58:41)
68.  シン・ウルトラマン 《ネタバレ》 
ゴメスで始まりゼットンで終わる。映像面が旧作と段違いなのは当然として、そもそも荒唐無稽な怪獣モノに各種突っ込みを入れておいて「理に適ってる」とか言いながら言い訳していたのが微妙に可笑しい。巨大生物が繁殖もせず単体で生息しているかに見えるのは、もともと生物兵器だからということらしい。 また宇宙人(外星人)が組織的な動きでなく、単独行動で侵略しに来たようで小スケールに見えるのは、宇宙では個体で活動するのが普通だからということのようで、それで××星人という名前でないのかと思った。ちなみに個体で活動する宇宙人から見た地球人は、例えていえば人間から見たアリの群れのようなものかと思った(旧作のメフィラス星人がアリと言っていた)。  この映画では人類の特性として「群れ」を作ることを挙げていたが、別にそれが悪いのではなく弱いからこその事情であって、その群れの内部で支え合い、時には他人のために自分を犠牲にすることもある、ということだと思われる。また人間はウルトラマンに頼っていればいいのかという問いは旧作でも出ていたが、さらにこの映画では無力感が依存/服従につながることへの懸念を示し、求められるのが自律/自立であることを明瞭にしていた。 最終的に人類の未来は人類自ら担うことになったようで大変結構だが、それにしても劇中政治家が心許ないのはまことに困ったことで、ザラブというのが日本に来たのも世界で最もちょろい国だからでないのかと思った。どうもこの映画では最初から「国」という群れの単位を当てにしておらず、代わりに地球という「星」の人々に期待をかけていたようで、これは元の子ども番組に由来する考え方かも知れない。「シン・ゴジラ」が「この国はまだまだやれる」なら、今回は地球が”やればできる子”くらいの扱いではあった。 結末はよくわからなかったが最低限、ウルトラマンが仲間や相棒を大事に思ったというのは共感ポイントかも知れない。あまり楽観的に語ってしまうと現実味が薄れるが、あえていえば地球の人間と他星の人間が、史上初めて同じ群れの仲間になった物語ということか。あるいは遠い未来において、「光の星」にとっての地球という星が、挑戦者でも脅威でもなく対等な「バディ」になる日を夢見る映画だったとも取れる。 そのようなことで、古きよき怪獣特撮のリメイクということだけでなく、旧作のメッセージを踏まえて現下の内外情勢も反映し、現代なりの希望を語る映画に見えなくはない。またけっこう可笑しい場面が多いので娯楽性も高い。特に期待していなかったが悪くなかった。  以下その他雑記: ・劇中日本の対米関係は笑えない。/「鼓腹撃壌」という言葉に特定のニュアンスを込めていた可能性がある(不明)。/zero-sumが領土切取りのイメージとすれば、それとは違うwin-winの関係を目指すべきという考え方でもあったのか(不明、断片的)。 ・職場に趣味関係の雑多なものを持ち込んでいる奴がいて、サンダーバード・スタートレック・マイティジャックとSRIのトータス号は見えたがウルトラシリーズは存在しない世界になっていた。 ・山中に怪獣が出現する風景はウルトラマンらしい。「虫が多くてやだ」という台詞があったが、都市部にもいるハエ程度を嫌がるようでは甘い。山間の農地が破壊されていたのは痛々しいが、上手の水田は既に耕作放棄地だったようでもある。 ・子どもを保護すると言い出して山道を走る後姿は、何でお前が行くのかという突っ込みを誘うが、これはこれでお約束というか開き直りのおとぼけと見える。 ・特にザラブ編では、もとの番組の場面や展開がまともに生かされている。 ・「河岸を変えよう」というのが古風で粋だ。ここだけは「ウルトラセブン」第8話を思わせる場面で、オチも含めて圧巻の印象だった。これほど複雑に表情を作る宇宙人など怪獣モノにかつてあったか。 ・ウルトラマンの超能力として、1キロ先(だったか?)の針が落ちたのを聞き取るとは言われていたが嗅覚も犬並み?犬以上?だったのか。意識の高い宇宙人に悪態のネタを提供してしまっていた。 ・公安調査官役の人が好きになって来た。生物学者役の人もいい感じを出している。
[インターネット(邦画)] 7点(2022-12-31 10:12:24)(良:3票)
69.  夕凪の街 桜の国2018<TVM> 《ネタバレ》 
NHK広島が制作して2018/8/6に放送された特集ドラマで、現在はNHKオンデマンドで見られる。ちなみにタイトルバックの空撮では、手前に「この世界の片隅に」に出る江波山も映っている。 原作と比較すると、現代パートを2004年から2018年にずらしているのが最大の違いである。つまり「桜の国(二)」の出来事が2004年には起こらず、形を変えて2018年に起きたことになっている。主人公の石川七海は40過ぎ(独身)、また広島への同行者は弟の娘の石川風子という人物(高校生)になっており、昭和30年の皆実から姪の七海へ、そこからまた姪の風子へとつながる形を作ったらしい。風子という名前は、皮肉をいえば昔の記憶が風化してきたという意味かも知れないが、真面目にいえば凪のあとにまた新しい風が吹き始めたという感じを出している。なおその母親である東子さんは顔が出ないが、原作の出来事がなくても結婚できたようで、いまは看護師長だそうである。  全体構造としては「桜の国(二)」に相当する現代パートを軸にして、途中に「夕凪の街」をほとんど全部入れており、終わりの方で端折り気味ながら「桜の国(一)」も扱っている。2007年公開の実写映画で現代パートが不要とまで酷評された難点は改善され、一応それほど違和感なく全体を72分に収めた形になっている。 原作にない部分としては「桜の国(一)」の途中に、いわゆる「原爆スラム」に関するエピソードを加えている。これはストーリーの説得力を増す意味はあるようだが、ほかに何か世間的な配慮の必要でもあったのかと思った。一方で登場人物が東京へ帰らないまま終わり、原作で非常に印象的だった「決めたのだ」の場面はなく、そもそも桜は申し訳程度にしか出ない。 ただ全体的に、原作にある個別の場面や台詞はかなり生かしており、また西武鉄道とか西東京の病院とか、「…のだ」「それよか…」といった言葉づかいからも、原作読者に気を使っている様子は見える。ワンピースを作る場面では、原作の可愛らしい絵柄を再現できていたようで嬉しくなった。  物語の面では、やはり「夕凪の街」の印象が強くなっており、「桜の国」の方は主人公の心のわだかまりが曖昧なためそれほど感動的でもない。ただ高校生の姪が、墓地で故人の没年月日を見て「本当にあったことなんだね」と言ったのは、年長者には“今の若い者は…”と嘆かれるかも知れないが、自分が現地で実際に見てもそう思うかも知れないとは思った。世代も変わって記憶が途切れそうだったところを、若い人を含めてしっかり思いを受け継いだ話になっており、広島のNHKが8/6向けに現代の感覚で作る、という条件下では悪くないドラマだったかも知れない。 なお登場人物としては、皆実役の女優は2007年の映画より個人的に好きだ(アイドルっぽくはない)。また小芝風花さんの熱演場面は新作エピソードに置かれていたが、その後の「誰も来てんなかったね」の台詞もちゃんとあった。
[インターネット(邦画)] 7点(2021-01-02 10:26:05)
70.  マリア様がみてる 《ネタバレ》 
原作もアニメも見ていない。 まず序盤はかなり笑わされた。実写にすると異世界ファンタジーというか、ほとんど茶番に見える劇中世界を大真面目に演出していること自体がユーモラスである。主人公の存在もかなり笑える要因になっており、訥々とした口調で極端な表情を見せられるので大笑いする。 そのうち次第にこの世界にも馴染んで来ると、怖そうに見えた上級生が見せる情愛にキュンとさせられたりするようになる。そもそもお姉さま方が意味不明な権威をもって四囲を睥睨するだけの存在ではなく、要は生徒会の仕事をする人々であって、学園祭では自主事業に取り組むなど結構まともに活動しているらしいこともわかり、それなりの敬意をもって見なければならない人々だと思わされる。偉そうにしていても所詮は高校生だと自戒していたのも賢明な資質を思わせた。 ストーリーとしては原作準拠とのことで、当然ながらまともに見られる物語ができている。最初は今どき「わらしべ長者」かと思ったが、そこから“ずっと握ったままで離さない”というところにつながったのは少し感動的だった。上級者に尻尾を振って成り上がろうとするのでなく、また「賭けとか同情とか」でもなく、それぞれの矜持を保ったままで互いに認め合っていく展開は素直に受け入れられる。最後の写真のタイトルというのも泣かせるものがあった。 ほか女子同士の疑似恋愛的なものがそれほど前面に出ていないのも見やすい理由と思われる。一度アニメ化されたものを実写にすると叩かれるのが普通だろうが、スタッフは今回いい仕事をしたのではないか。 ちなみに「マリア様のこころ」はよくできた曲だと思ったら本物の讃美歌だった。  登場人物としては、カワイイ系美少女ばかりでもなく意外に臈たけた感じの人物もいたが、上下の差を強調するため演者の年齢に幅があるのは当然といえる。波瑠はあまり可愛く見えないが、それは役柄というか本人のキャラもあるだろうからいいとして、未来穂香(当時)と1歳差にはとても見えないのは笑った。未来穂香という人は、その後にいろいろあって現在は矢作穂香という名前(本名)で活動しているので今後の活躍にも期待したい。ほかにも秋山奈々(現:秋山依里)や高田里穂さんなど見たことのある顔が出ていたのが嬉しい。広瀬アリスは今回それほど目立たないが可愛く見える役だった。ついでにシンデレラのネズミもかわいい(ヒゲをつけたのがよかった)。
[DVD(邦画)] 7点(2020-04-25 08:54:28)
71.  櫻の園(1990) 《ネタバレ》 
[2020/4/11視聴] 6年前に一度見たが、その時は何を書けばいいかわからなかったので放置していた。今回見てもよくわからないが、とりあえず“変わるもの”と“変わらないもの”が表現されているかとは思った。 変わるものとは当然ながら劇中の高校生であり、この連中のこれから長い人生の中の、いわば一瞬の動態を捉えた映画に見える。また変わらないものの代表が桜であって、この桜にからめて中高年への反感を語る者もいたが、そのことで逆に自分らが変わっていく存在だということを意識させられていたようである。 劇中の学校では桜の開花と創立記念日(4/14)、及び演劇の上演がセットで“変わらないもの”として受け継がれてきていたが、ただし演劇も毎年の演出には違いが出るだろうし、さらにいえば桜の木にも寿命があるのでいずれは世代交代が必要になる。当然ながら全てのものが少しずつ変わるので、この映画で描かれたのも1990年(原作は80年代)の暫定状態ということになるが、ちなみにこの映画の高校生も現時点(2020年)では40代になっているはずなので、登場人物の「坂口」のような、もう自分を変えられない年寄りになり切ってしまわないよう気をつけた方がいい。 そのようなことをとりあえず今回は思った。  人物の描写では、古い映画なので時代がかって見える面がある。外見は普通に真面目な生徒が、冒頭いきなり見せるキスシーンなどは昭和の殻を破ろうとする思いがあったのだろうし、また女性の生理現象に関わる話題を出すのもこの時代なりの尖った表現のようで(原作由来だろうが)、そういう点も当時は評価されたかも知れないが、しかし今になれば逆に、昔の風潮としてはこうだったかも知れないというように見える。 またキャストに関して、現在の感覚と決定的に違うと思わされるのは、女子高の映画ながらいかにもな美少女がほとんど出ていないことである。最初から男役向きに見える演者もいたようで、最後の舞台も想定しながらのキャスティングだったかも知れない。主演女優は美少女とは程遠い容貌に見えたが、終盤のツーショットでは見違えるような魅力的な表情を見せていた。  ほか個人的な雑談として、今回たまたまこの時期にこの映画を見て、やはりどうも桜は人と無関係に勝手に咲くものだという思いが強くなった。以前から福島県富岡町の「夜ノ森」(よのもり)という場所に桜の名所があり、2011年の原発事故で住民がいなくなってからも春には咲いていたのを報道で見ていたが、今年はうちの桜の名所でも、もう満開なのに露店もなく人出もないのが不思議な感じで(ぼんぼりだけ出ている)、仮に人類が滅亡してもこの桜は咲き続けるのではという寂しい想像をしてしまった。しかし現実問題として桜まつりがないと地元も困るので、来年はちゃんと花見ができるようであってもらいたい。
[DVD(邦画)] 7点(2020-04-18 08:58:01)
72.  がっこうぐらし! 《ネタバレ》 
原作は読んでない。アニメも見ていない。 最近どうも女子高生ホラーのようなのが一番心安らぐ気がしていて、実はこの映画にも期待していたが、期待通りというか期待を若干上回った。監督の柴田一成という人物は、以前からしょうもないホラー映画のプロデューサーとか脚本とか監督をしていたので名前は見たことがあり、これまでも結構悪くないのはあったが、今回も結果的にいい方だった。 ちなみにこの映画に先立って、前日談の「がっこう×××~もうひとつのがっこうぐらし!~」(2019)がAmazonプライム・ビデオで公開されているが、個々の出演者(わりと豪華)を見たいのでない限り見る必要はない。また以前に放送されたAKB48メンバー主演のTVドラマ「セーラーゾンビ」(2014)と基本設定が似ているが、これの方が本家と思われる。そういうのを見たのも一応予習のようなものである。  内容としては、基本的に原作のおかげだろうが心に染みる青春物語の体裁が一応できている。怖さやグロさを売りにせず、登場人物のほのぼの感と極限状態との対比で切なさを出しており、最後はちゃんと泣かせる場面も用意されている。途中で気になった点としては、登場人物が部屋に入って話し始めた場面で、中にいたはずの人物をなかなか映さないので不安な気分にさせられるところがあったが、しかしその後は予想通りというか終盤で、幻影を見ていたのが一人だけではなかったことが明らかにされる場面があって、ここは少し感動的だった。 また映像面ではゾンビに火がついて燃えているのがそれらしく見えて、いちいち危ないスタントなどしなくていい時代になったのだという感慨があった。  出演者について、主要人物はみなアイドルだそうだが、演技の素人ながらいきなり映画に出てそれなりに役目を果たしていたようでお疲れ様でした。中で主人公役の阿部菜々実という人が、長身(168cm)ですらりとした体型なのは感心した。山形市出身だそうだが日本人も進化しているらしい。ほかは小柄な人が多いので、養護教諭役との間で少女と大人の対比を見せている。 おのののか嬢については最近いろいろ噂もあるようだが、この映画では優しいおねえさん役が非常に似合っていて好きだ。また特別出演で名前の出ている足立梨花さんはどこにいたのか気づかなかったが、本人によれば「タイトルの前に出てくるゾンビ」だそうで、改めて見れば確かにそうだが最初から意識していなければ気づかない。
[ブルーレイ(邦画)] 7点(2020-01-04 09:29:42)
73.  青の帰り道 《ネタバレ》 
「新聞記者」(2019)の監督だそうだが、ところどころで世相を映すのが煩わしい。政権交代で何かが変わると期待したが実際うまくはいかず、その後に震災もあったが政権が変わると原発再稼働の動きが生じて怒りを感じ、もう最悪なところまで来たと思ったら実はそうでもなく、2018年の保守政権下ではかえって現実的で前向きな気分になっている、とでも思えばいいか。そういう変な読み取りを強いられるくらいなら不要である。 それとは別の話として、2016年8月に女優の高畑淳子の息子が前橋市のビジネスホテルで問題を起こして逮捕されたのはこの映画の撮影時だったそうで、これで制作が中断してしまったが、翌年に代役を立てて撮り直したとのことである。  内容としては高校卒業から10年間の群像劇のようなものになっている。7人それぞれの人物像と物語が作り込まれており、原案段階での「生きる道はひとつじゃなかった(おかもとまり)」は表現されている。 ただし常識人から見た場合の細かい突っ込みどころは結構多い。特にこの映画では“友情”や“故郷”にも重点を置いていたようだが、人生の多様さを表現するための性質がまるで違う人物を、全て同じ高校の仲良しグループにしたことで非常に不自然な状態になっている。見る側の年代のせいで直接共感できずに難点の方に目が行ってしまうところはあるわけだが、しかし関係者が執念で完成させるにふさわしい、中身の詰まった映画には見える。エンディングテーマも少し染みた。 ちなみにネタバレ的に余計なことを書くと、ラストで不明瞭だったことについて、主人公は遺された歌に励まされて改めて音楽の道を目指し、半グレ男はライブハウスを用意する、という方向性だったと思っていいか。それで実際どうなるかはこれからの話ということらしい。  出演者に関しては、特に主人公の友人役の清水くるみという人が非常に感じのいい女優だと思いながら見ていた。またその母親役の工藤夕貴は、最近はこういう感じになっているのかと少し意外だった(時々かわいい)。この母親が夜の前橋中央通り商店街で語ったことは、それ以上に解説するまでもない単純明快な真実に思われる。 また「風切羽~かざきりば~」(2013)を見たことのある立場としては、戸塚純貴と秋月三佳さんが夫婦役になっていたのは嬉しい。戸塚純貴は代役とのことだが、むしろ初めから戸塚純貴でよかったのではないか。また秋月三佳さんが息子に小言を言っていた最後の場面は少し泣かされた。この夫婦の存在は尊い。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-11-03 15:28:03)
74.  翔んで埼玉 《ネタバレ》 
原作は読んでいない。地域限定映画かと思っていたらそうでもなかった。全国的視野からすればどうでもいいような狭い地域の優越感とか劣等感とか対抗意識はどこの地方にもあるだろうが、首都圏というだけで全国に注目される状態を逆に茶化したようでもある。 劇中の伝説では赤城山が世界の果てのようだったが、例えば昔ながらの古風な東京住民(山手線周辺)で、東京こそが日本の中心(あるいは東京こそが日本)と思いながらも実はあまり外に出たことがないとこういう世界観になるのかと思ったりした。ただ最後の「日本埼玉化計画」を見ると、劇中の現実世界では関東以外の日本というのも存在していたことがわかる。 ちなみに関東平野は分水嶺で切れるのでなく平地に境界線を引く形になるので、赤城おろしの吹く熊谷は群馬の延長というのもなるほどと思わせるものがあった。  映画の作りとしては結構面白い。いきなり序盤から「さいたま市」に関する登場人物の率直な感想に爆笑した(エンディングテーマでもひどい言い方をされていた)。伝説パートでは、無心に見つめるシラコバトを踏みつけにできない男の心情に泣かされたのと、逃避行に使った常磐線の列車(シベリア鉄道?満鉄?)が目を引いた。 地元民でなければわからないネタも多いのだろうが、与野の立場くらいは想像がつくとして、八王子と田無が同格というのはわかる人に説明してもらいたい(起点が新宿でも鉄道路線で印象が違ったりするのか、保谷はどうなのか)。そのほか千葉扱いだったが西葛西が出たのはよかった(少し縁のある場所だ)。 話としては適度にスケールの大きい大真面目な伝説物語ができており、連合軍の勝利は感動的だったがラストの野望には不安を残す。世界が埼玉化されるというならうちも底上げされるだろうが、何か大事なものを失うのではという気もした。 なおこんな映画に真顔で出る役者には感心するが(最近よくあるが)個人的にはこれで二階堂ふみの好感度が上がった。可愛いからキスしてあげて、と言いたくなった。  以下余談として、少し前になぜか埼玉の話題になった時、野田の駅を降りたら醤油の匂いがして、という話をしかけたらそこは千葉だろうがと突っ込まれたことを思い出した(大宮から行ったので勘違いした)が本質的な違いなどあるのかどうか。なお最近の話題としては次の1万円札になる偉人も出ているので自慢にしてもいい。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-10-05 09:58:24)
75.  埼玉家族 《ネタバレ》 
ふざけた題名に見えるが真面目な家族の物語である。「東京物語」(1953)や「東京家族」(2012)と同じく松竹が製作に関わって配給もしており、一方で埼玉県も製作に加わっていることが「埼玉」である理由になっている。撮影は川口市内が多かったようで、埼玉県が開設した映像産業の拠点である「SKIPシティ」(川口市上青木3丁目)も映像に出ている。制作は「デジタルSKIPステーション」とのことである。 内容としては若手監督4人が担当した短編4つのオムニバスである。事前知識なしで見始めたので途中でやっと気づいたが、ばらばらの4つではなく最初から最後まで一つの家族の物語だった。父・母・兄・妹の4人が、それぞれ周囲の人々に影響されて家族関係を見直す話になっている。  【ハカバノート】高校生の娘の話。よほど深刻な問題のある家族かと思ったが、その実態はあとで明らかになる。幸薄そうな友人(演・美山加恋)が不憫で愛おしい。また女の子に泣かれると弱いので困ってしまう(笑って!)。 【キャンディ】母親の話(いまでも美形)。横浜~大船~久里浜~東京湾フェリー~房総半島と移動するが埼玉は出ない。個人的に最も納得しにくい話だったが、対象層の人々(40代女子か不倫中の女子)には共感してもらいたい。 【父親輪舞曲】父親の話。悪くはないが少し出来すぎの展開である。浮気相手は女優としては好きだが、ああいうのに愛を求めるようではよほど心が疲れていたのか。「ミュージカル作品」とのことで少し身構えていたところ、単に登場人物の心情や状況を歌詞にして歌うだけだった(踊らない)。水崎綾女という人は女優だろうがちゃんと歌の歌える人だったようで、劇中人物としても清潔感が出ていていい感じに見えた。 【ライフワーク】社会人の息子の話。ろくでもない男かと思っていたら気遣いのできるいい奴で、夜勤明けの看護師もきれいに撮れるプロだった。ここは本当にいい顔をしている。 【エンディング】いろいろありながらも一応の大団円。娘のナレーションで総まとめをしていたが、父母についてのコメントには笑った。  ちなみに埼玉の関係では、「荒川のほとり」の風景(戸田公園から東に400m)を父親が懐かしんでいたのが印象深い。こういうと失礼だろうが、外から見れば東京大都市圏の一角にすぎない場所でも、やはり生まれ育ったところが故郷なのだろうなと思わされた。
[DVD(邦画)] 7点(2019-10-05 09:58:19)
76.  クロスロード(2015) 《ネタバレ》 
青年海外協力隊の50周年記念映画で、監督などスタッフにも協力隊OBが参加していたらしい。ちなみに母親役で出ている榊原るみさんはOBではないが監督と夫婦の関係である。 リアルな隊員の姿を描いた映画とのことで、いいことだけでなく受入れ側が適当だったりするといったマイナス面も見せており、また昔の日本が関わった戦争の傷跡のようなものが見えたりもする。一方で昔の日本人が残したものがけっこう皆の役に立っていたりして、少し嬉しくなる場面というのも実際あることと思われる。棚田でドジョウというのは最近あった事例とのことだが、実際の隊員は女性だそうで、公式サイトの写真では聡明な感じの人に見える。  隊員は自分の得意分野を生かした活動ができるらしく、映画の主要人物は写真家・起業家(元商社)・助産師の組み合わせになっている。それぞれの個性を発揮する一方、それぞれの人間的な限界に制約を受けるところもあり、自分としては現地の人々に溶け込めない性格なのを引け目に感じる男に共感した。また助産師は自分のやったことが本当によかったのかと悩む場面もあったが、そこは日本人として当然持っている良心のまま行動してよかったと思われる。感動的な場面も複数あった。 キャッチコピーの「ボランティアなんて偽善だ」は、いわゆる釣りだろうが単純すぎる割切りである。純粋な自己満足でしかなければ偽善になるが、相手の役に立つことをするのは全く悪くない。また純粋な自己犠牲でやるなら相手の役には立っても難行苦行だが、自分の役にも立つというならみんなが得してみんなが幸せになる。写真家の男はさんざん反抗的な態度を見せておいてからやっと納得していたが、今の若い人々ならかえってこういうのは柔軟に折り合いをつけるのではと思ったりする。 最終的には形に残らなくてもheartを残せばいいという結末だったらしい。エンディングテーマは「地上の星」を連想させるものがあって心に染みた。  なお全般的にきっちり作った映画だが、明らかに変だったのは現地の姉弟が全く似ていないことである。姉役のAlodia Gosiengfiaoという人は、Wikipedia, the free encyclopediaによると華人系のようで、若い頃のアグネス・チャン(今でなく)を思わせるタイプだったが本職としては世界的コスプレーヤーだそうである。また助産師(演・TAO/岡本多緒)は体型的に細すぎだがなかなかいいキャラになっていた。
[DVD(邦画)] 7点(2019-09-28 08:27:56)
77.  惑星ミズサ 《ネタバレ》 
2014年の映画だが、実際は2011年4月にクランクインの予定のところ震災のため10月に延期され、さらにいろいろあって公開が延びたとのことである。場所は茨城県久慈郡大子町が中心のようで、バス停と食堂は水戸市、風俗街は土浦市桜町という所らしい。  物語としては、出来事の意味づけが緩いようで何が起こっていたのかよくわからなかったが、単純にいえば地球人類の存亡のかかった純愛ストーリーのようである。劇中の宇宙人と提灯屋は、最初に思いがけず一夜をともにした(一緒に歩いた)とはいえ結局最後まで性交渉がなかったようで、月並みないい方としては売春婦かつ聖女とのプラトニックラブということになるか。 愛を貫くか地球を救うのかの選択の結果として愛が敗北した形になっているが、実はそれほど大それた話でもなく提灯屋の単純な心変わりであって、要は平凡な人生を主体的に生きる覚悟が決まったということらしい。この男のほかに地球滅亡を前にした周囲の人間模様も描かれていたが、見える範囲でいえばおおむね融和とか和解の方向だったようである。無駄に訪れた危機だったわけではなく、劇中の宇宙人にはみな感謝すべきということになるだろうが、その宇宙人の方は単純に元に戻ったようでいてそうでもなかったと思われる。 この宇宙人が宇宙人と自称していたのは一般人の世界から自分を切り離していたという意味であり、出身惑星が自分と同じ名前というのも広い宇宙というより自分だけの世界に住んでいたからと取れる。これまで仕事だけが外界との接点だったところ、提灯屋との交流でやっと地球人類の一員になれた気がしていたが、そのことでかえって最後は人としての悲しみと寂しさを知ってしまったという感じの結末かと思った。 ほか映像と音楽の印象はよかった。エンディングの主題歌も心に染みて切ない思いが残る映画になっている。  宇宙人役の佐津川愛美という人は相手役の男と比べると小柄で(152cmとのこと)、相手を見上げた顔がキュートな風俗嬢になっている。また同級生役の入来茉里さんはいつもながらかわいい人で(「お兄ちゃん!」が好きだ)、この人が泣くとキュンとさせられる。劇中人物としての役回りは実はよくわからなかったが、とりあえずこんな義侠心のかけらもない男はやめておけと言いたくなった。ほか提灯屋の母親(演・星野光代)が変にかわいく見えていたことの意味も残念ながらよくわからなかった。
[DVD(邦画)] 7点(2019-08-31 08:57:43)
78.  仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム 《ネタバレ》 
仮面ライダーシリーズの劇場版である。当時放映中の「ウィザード」と前作「フォーゼ」のいわゆるクロスオーバーで、よく知らないが過去の仮面ライダーも何人か出ている(Wはわかった)。ほかにかなり大昔の東映特撮ヒーロー(+ヒロイン)も出しており、けっこう幅広い年齢層を視野に入れていたらしい。 中高年の立場としては、本編でもそうだったのだろうがアクション場面には感心させられる。アクション自体も派手だが見せ方の巧みさで退屈させないところがあり、映像技術とあわせて初期のシリーズとは段違いの印象がある。やはり人類は着実に進歩していると思わなければならない。 またクライマックスで、人間など滅んだ方がいいという悪魔の発言を、フォーゼが「俺はそういうつまんねえこと言うやつが大っ嫌いなんだよ」と一言で切り捨てたところは痛快で感動的だった。悪魔でない人間であっても、周囲の世界を貶めて自分だけには価値があると思いたがる連中にその言葉をぶつけてやってもらいたい。とぼけたところのあるウィザードも嫌いでないが、フォーゼも本物のいい奴でかなり好きなキャラクターだと思った。 以下に個別事項を列記。  ○仮面ライダーフォーゼ 高校生のままではなく5年後(2017)の姿で、主人公と元部員がそれぞれの道で活躍している近未来設定である。清水富美加(当時)・真野恵里菜の両人がそれぞれカワイイ子アピールをして、そのほかにトップモデル役の人もいたりして豪華な登場人物である。 今回は足立梨花さんが現役の部員役で快活な女子高生をやっている。また悪役で出た山谷花純さんは後の「手裏剣戦隊ニンニンジャー」(2015~16)のモモニンジャーの人で、登場人物としては可愛いのに色仕掛けでオヤジを無力化させたりして末恐ろしいと思っていたら、ちゃんと戦う場面もあって格好よかった。  ○仮面ライダーウィザード 放映当時(2012)そのままの人物構成と思われる。凛子ちゃん(演・高山侑子)という人は強くてかわいい女性刑事で好きだ。またコヨミ(演・奥仲麻琴)という人は小柄で可愛らしいが、他人を心配したり自分が危なくなったりするだけで本来何の役目なのか不明だった。ここは本編を見ないとわからない。  ○イナズマン(1973-74) フォーゼ編に出る。当時真面目に見ていなかったので懐かしくはない。この映画では変身すると妙に筋肉質で競技用パンツのような恥ずかしい格好だったが、人の姿(演・須賀健太)に戻るとパンツもなくなって全裸だったようで、それを見た足立梨花さんの反応が脱力ギャグになっている。  ○アクマイザー3(1975-76) 全編を通じた悪役で最後の強敵。当時はほとんど見ていなかったが存在は知っている。この映画では「3」がなく単に「アクマイザー」と言っており、本物の悪役なのでファンだった人々は残念かも知れない。口を開けた「ザイダベック」という乗り物は最後に出る。  ○美少女仮面ポワトリン(1990) ウィザード編に出る。放映当時見ているはずもないが文献的に知っている。本来どういうキャラクターなのかわかっていないが、とりあえずこの映画では入来茉里さんがかわいい。演者はかつて新体操をしていたとのことで、アクション場面では本人が優雅な姿を見せているが、変に開脚が多い割に敵に物理的打撃を与えているようでもない。また可憐な女性と思わせておいて、実はその正体は…というオチがあんまりだと思わせる。  以上、変に長くなってしまったが、とにかく超豪華大作かつ個人的には見どころの多い劇場版だった。これは正直好きだ。
[DVD(邦画)] 7点(2019-08-31 08:57:40)
79.  カランコエの花 《ネタバレ》 
大した動機もなく見たが結果的に心が痛い話だった。エンドロールからのラストに背景事情が集約されている。 男連中はバカなので無視することにして、女子の方も今どきの女子高生なので(昔も同じ?)ちょっとしたことで仲間を排斥して迫害し始めるということを平気でやるのではないかと思っていたらそうでもなく、主人公を含めて基本的には心優しい人々だったらしい。みんな善意の人なのに(バカ男は除く)何でこういうことになってしまうのかという思いだったが、この物語に即して考えれば、例えば誰かを好きになって相手に告げたら、相手は何とも思っていなかったので気まずくなってしまった、というようなことが性別に関わりなく普通に起こる状態が理想ということかも知れない。  基本的には養護教諭が元凶だったと思うしかないわけだが、そもそも月曜日に何であんなことを言ったのかという点は不明瞭だった。金曜日の段階でそういう雰囲気は全くなく、当面は引き続き話を聞いてやればよかったはずだが、例えば初めてLGBTに関わる相談を受けて一人で盛り上がってしまって土日の間に少し仕込み(7.6%という数字など)をして、別に期待されてもいなかった研究発表をしてしまったと思えばいいか。 自分として気になったのは、相談者に対し養護教諭が一方的にLGBTという枠をはめて追い込んでしまった面はなかったのかということである。正しい見解かどうかわからないが個人的には、あくまで人は一人ひとりであるから、予断なく個別の人間の状況を捉えて対応するのが、この場の養護教諭に求められる態度ではなかったかと思った。 ちなみに以前「スクールガール・コンプレックス~放送部篇~」(2013))という映画を見たことがあるが、女子高ならガールズラブ的に軽めに扱われるものが、共学だとLGBT(のL)ということになるのかと思ったりもした。  ほか映画の作り方として、役割だけ決めて役者の考えで演じる「エチュード」の方式を取り入れていたらしく、登場人物の発言やふるまいに自然な感じが出ている(広瀬すず関連は笑った)。主演女優は目玉が特徴的なようで、少し前に見た「罪の余白」(2015)でも端役ながら目玉は目立っていた気がする(最近は知らない)。また特に、お菓子づくりの好きな小牧桜(演・有佐)という女子の最後の表情が切なく見えて心に残った。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-07-13 10:55:43)
80.  私は猫ストーカー 《ネタバレ》 
主人公があまりに変人で見ているだけで恥ずかしい。ネコの姿を見逃さないのはいいとして、境界線が入り組んだ古い街で私道だか住宅敷地だかわからないところまで平気で入っていくのが尋常でない。自分ならせいぜい道端にいたときに「ニャン」とか「ネコ」とか声をかけて(人がいない場合)目で追う程度なのでここまで変ではない。 場所はエンドクレジットに出ていた「谷根千」を中心にして北は西日暮里、南は不忍池あたりまでだったようで、そのうち谷中は由緒ある“猫の街”らしい。何気なく古木とか「諏訪台」などちょっとした名所も出ており、風景に変化があって由緒もあるこんな所に住んでみたいものだと思ったがそんな機会は当然ない。なおジャズピアニスト関連の「猫返し神社」というのは本来別の場所のことらしい(東京都立川市)。 またその辺に生息する普通のネコ連中には和まされた。人とのからみでは、主人公とネコが並んでカメラを見ているとか、気まずい雰囲気の中で古書店の妻が延々とネコをじゃらしている場面は笑った。役者がネコの動きに合わせて適当にアドリブしていたのだろうと思われる。  物語に関してはよくわからなかったが、主人公が元彼の件で落ち込む一方で、これからは新米ストーカーが狙った相手に近づこうと試行錯誤する過程が続くのかと思った。古書店の夫婦もこの機会に仕切り直しをしたのだろうし(多分)、誰にでもある「知らない時間」を許容しながら緩い関係を続けるのがいいのだとも取れる。 ただし宣伝文句の「人も猫もみんないつかはいなくなってしまうから」によると、古書店の看板猫と同じように、ネコも人もみな基本的には通りすがりの関係であって永続するものなどないということなのか。それだとネコはともかく人にとっては寂しい世界観になってしまうが、とりあえず手を触れることのできる今この瞬間が大事ということはあるかも知れない。 終盤、街の風景をイラストに置き換えて、至る所にネコを内包した街が表現されていたのも嫌いでない。よくわからないのはともかくとして、あるがままのネコを愛でる気持ちには共感した。  なおこれが現代の話だとすると、失踪して困るなら初めから外に出すなとか、公園での餌付けは非常識だとか非難されそうだ。製作時点の感覚も今とそれほど差はなかったのではと思うが、今後はこういう映画も作りにくくなるのではと思われる。
[DVD(邦画)] 7点(2019-05-18 09:57:28)
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