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821.  日本の熱い日々 謀殺・下山事件
どうして日本映画はこう結論を急いでしまうのでしょうなあ。事実を列挙していく前半はけっこう面白いんです。ところが、その事実を組み立てていく後半になると、弱いんだなあ。こんな大がかりな陰謀がある! 許せないことだ! ッて方に跳んじゃって、だからその陰謀組織のリアリティがかえって薄められてしまう。仲代達矢が目を剥き使命感に燃えて力めば力むほど、事件が架空の世界に跳んでいってしまう。ニュースフィルムを織りまぜたのも、かえって再現ドラマの部分を過去へと風化させてしまうことに役立ってしまったような。淡々と事件を追体験させるだけの方が、下手な結論をせいて提示するよりも、映画の仕事としてより本道なのではないかと思うんだけど。
[映画館(邦画)] 6点(2008-03-12 12:15:17)
822.  ニッポン国 古屋敷村
農家の人たちの専門用語って、なんか美しい。「しろみなみ」とか「あんどん穂」とか、嫌なものにもきれいな言葉をつける。そういう言葉たちに満ちた前半の理科の授業も面白いが、本当にいいのは後半、老人たちが語り出してからだ。この映画の忘れ得ぬ場面は、フィルム上に現われるのではなく、人の語りの中から浮かんでくる。わり婆さんの生涯最大のびっくりした話、家訓で熊撃ちをやめた話、景気がよかったころの花火の話。一日かけて町へ売りに行き疲れて帰ってきた後、親子で馬の脚を洗う情景など実際に映画で見たような気になってしまう。これら過去の物語が、みずみずしく現出してくる。語りかける相手を失っていたこういう無数の話が、このフィルムにかろうじて記録され、でもおそらく21世紀の現在は、語り手も含めてすべて消え失せてしまっただろう。花屋さんの作った炭のたてた澄んだ響きも、蚕が桑を食べるささやかな音も。
[映画館(邦画)] 9点(2008-03-11 12:23:09)(良:1票)
823.  エロス+虐殺
DVDがロングバージョンで収録されてると知らなかった。すぐに借りて見た。216分。6の3乗! 前半の方に記憶にないシーンが多かった気がするが、公開版より49分(7の2乗!)も増えている感じはなかった。野枝が大杉の家を訪れ妻と会う傘のシーンの陶酔はそのままだし、日蔭茶屋事件の緊張の充実も変わらず味わえる。そして全体としての評価に戸惑うのも、スクリーンで見たときと同じ。大正篇は重厚な悲劇としてほとんど完璧に出来上がっていると思う。自由を望みつつも嫉妬に囚われてしまうというモチーフは、単なる痴話を越えた大きなテーマだ。でも多分そういった悲劇として閉じてしまわないために、現代篇がくっついてるんだろう。この映画今回で3回見ているが、この現代篇をどう見ていいのか分からない。フリーラヴの昔と今の対比とか、持続する革命の困難とか、理屈は浮かぶが、どうにも面白くない。一柳慧の音楽が、流麗なメロディに、バキッとかガガガなんて雑音が混ざる仕掛けになってて、おそらくこの映画の大正と現代との対比にもなってるんだと思うんだけど、この雑音ほどの効果が現代篇にあっただろうか(こういう音楽の使い方は、数年後、篠田正浩の『沈黙』で武満徹もやった、あっちは西洋と東洋のぶつかり合い)。その時代の先鋭的なポーズは、時代が終わるとただの滑稽な気取りにしか見えない。かえって現代篇で一番興味深いのは、新宿副都心開発中の姿が見られる記録としてだろう。もっともそれも、カラー・普通の露出で見られる梶芽衣子の『野良猫ロック』のほうがいいのだが。というわけでこの映画を見ると、大正篇だけだったらなあ、という気持ちにどうしてもなってしまうのだ。閉じた悲劇を完璧に作るのだって、現代的な意味はあったと思う。
[DVD(邦画)] 7点(2008-03-10 12:24:29)
824.  
葉月里緒奈の目が大きい。CGで操作して顔面に占める比率を拡大してるんじゃないかとさえ疑った。それが全然まばたきしないでこっち見つめてくると、けっこう不気味。へんにオドロオドロしい表情を作られるよりも、あの凝視がホラーだった。なんかしゃべりだすと、そうでもなくなるのは、彼女に意図が現われてくるからだろう。意図も分からず、あのヘンな顔で見られてるってのが、あんまり今まで体験したことのない不気味さだった。湾岸地帯。新しい街の底から、埋め立てて隠されていた過去のものが液状化とともに噴き出してくる。『CURE』と似た、狂気が連鎖していく世界だが、そういった集団の無意識みたいなものが地底でつながってドロドロと脈打っているってイメージが好きなんだな、この監督。
[DVD(邦画)] 6点(2008-03-09 11:59:22)
825.  日本侠客伝 絶縁状
不思議なもので、明治から昭和の戦前までを舞台にした仁侠映画はもうほとんど歌舞伎のノリで楽しく見られるのに、本作のように戦後になるとどうも引っかかる。健さんの“いいやくざ”なんて戦前だってフィクションだと思うんだけど、そういうウソがある程度時代風俗でごまかせるのか。戦後の“いいやくざ”は、だからかなり抽象化されて感じられる。「やくざだが暴力団じゃねえぜ」って、向こうのほうでもことわりを入れてるし。老親分の伊井友三郎が(いいねえ、このシトは)、抽象化された任侠道の体現者となっているわけだ。ドラマの大枠は戦前も戦後も変わらない。悪いやくざに渡辺文雄がいて、いいもんの脇に菅原謙二がいて、殺され役に藤山寛美がいて、と揃ってる。でもやっぱり素直に楽しめない。テーマにエレキの音が混ざってもいたなあ。
[映画館(邦画)] 6点(2008-03-08 12:21:59)
826.  ナースコール
女性の職場群像ものとしてけっこう面白かった。そろそろ仕事が鮮やかさを失ってきたころ、新入りの汗がまぶしく感じられ…、なんてあたりの心理。あんまりなかったんじゃないか、こういうの。日本映画で女性の群像となると、女郎や街娼グループなんかが得意だったがあれは特殊だし、どこか大奥ものの変形みたいでもある。そうでないと働かない女学生たちになってしまう。62年の鈴木英夫『その場所に女ありて』が、職場で働く女性群像ものの初めだろうか。でこの映画、そのまま看護婦という職場のスケッチで展開してくれてもよかったんだけど、まごころ込めたつもりが事務的だった新入りと事務的のようでいて患者の心を知り尽くすベテランが対比され…、と分かりやすいドラマの構図が出てしまうあたりから、ドキュメンタリー的な新鮮味がやや薄れてしまった。
[映画館(邦画)] 6点(2008-03-07 12:20:17)
827.  地上(1957)
大正時代の雰囲気が満ちていて、それだけで嬉しい。どの程度正確な時代考証なのか分からないけど、こんな感じなんだろうなあ、と思わせるだけの説得力はある。洋装と和装がごっちゃになってる独特のファッション(野添ひとみのお嬢さまファッションにはちょっと笑っちゃったけど)、家々のたたずまい、牧歌的な風景の中を長く連なる貨物列車、ハーモニカのドナウ川のさざなみ、などなど。「坊っちゃん」よりこっちだけど、昭和モダニズムには至らぬという、濃い二つの時代の隙間で夢見ているような大正の味がある。まして金沢という地方都市。陶器工場のストライキですら、鉄や油の匂いのしない素朴な労働運動といった印象で、因習の残る芸者屋と町の中で併存している。友人の労働者と恋人の社長令嬢との間で引き裂かれる貧青年、という主人公は、本人も没落地主の末裔という設定があることで、奥行きがでた。
[地上波(邦画)] 7点(2008-03-04 12:22:36)
828.  口裂け女
なんで今さら口裂け女かと思ったが、以前流行した親の世代と子の世代との30年の差を置くことで、親の子への虐待というモチーフを潜ませる深い企みがあったのだった。母の子である男教師と子の母である女教師との冒険を通し、ローレンツの動物行動学が、愛と攻撃とは同じ根を持つと指摘しているような、そういう母性の根源的な衝動の両面を探ろうとした意欲作なのである…って感じなのかな、とうっかり最初のうち思ってしまった私を笑ってくれ。だってこいつらへんなんだもん。男教師は己れの幻聴に導かれて車走り回ってるし、女教師は女を刺殺してその子を憐れんで、でも一緒に車で走り回ってる。こいつらの行動に確からしさの裏打ちが出来てないので、観客は置いてきぼりを食い、その間もドラマはただただ陰惨に進行する。もう途中で製作者が観客にどういう反応を期待しているのかすら分からなくなっちゃった。呆然とするにもけっこう体力がいるらしく、ラストでは疲れきってすっかりウツロ、サトエリに向かい「そうですか、ハイ、分かりました、どうもご苦労様でした」と弱々しく呟いて電源を切った。
[DVD(邦画)] 4点(2008-02-25 12:21:50)(良:1票)
829.  幽閉者 テロリスト
わあー、60年代のATG低予算映画的気合いプンプンの作品。ノスタルジーと一番離れたような作風だが、なんかとても懐かしかったのは確か。こういったとんがった「ひとりよがり」が日本映画から消えてしまって久しい。でも、映画史って「ひとりよがり」が普遍を獲得していく歴史でもあったわけで。あの政治の時代を内側から体験した監督がどう総括するのか、と思って見ていたが、総括なんかしない。地下の革命家まで呼び出して、さらなる討論と試行錯誤(思考錯誤と表記したいところ)を繰り広げる。もうトリックはいらない、と叫ぶ主人公。現在の眼からはあの政治の季節は、ついに思考が地に足をつけられなかった観念の時代と見えるが、あの時代の眼でこっちを眺めれば、その無思想ぶりは、誰かがわざと仮装させているなんらかのトリックにしか見えないのだろう。
[DVD(邦画)] 6点(2008-02-19 12:23:35)
830.  にっぽん戦後史・マダムおんぼろの生活
横須賀のバーのマダムへのインタビューで綴った映画なんだけど、印象に残る二つの証言。60年安保のデモで樺美智子さんも1000円で雇われたんだと信じ込んでいるところ。もう一つはベトナムのソンミ虐殺事件について、アメリカ人は紳士的だからそんなことするわけがない、報道写真は病死した子どもを集めてきて写したんだろう、と思っているところ。想像力が欠如しているのではなく、自分の信念に合わせて想像力をフル回転させている。ここらへん今村さんがカメラのこっち側で、いいぞいいぞと面白がってるのはよく分かるんですが、う~ん、これからの打算的な人生設計の証言といい、今村のフィクション映画に向いたアクの強すぎる人で、もっと別の素材として生かしたほうがよかったのではないか、という気も少々。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-17 12:26:23)
831.  気球クラブ、その後 《ネタバレ》 
ケータイだけでつながっていた緩やかなグループが解散し、青春は終わったなあ、って思う話。社会人となったそれぞれが、都会の上空に浮かぶ気球を見上げるシーンがあって、もしかすると最初のシナリオではあそこをラストシーンに予定していたのではないかと疑っている。でも永作博美の泣き笑いが圧倒的に素晴らしかったので、編集の段階で順序を入れ替えたということはないか。実際この映画の印象は、平凡な青春もので終わるところを、あのラストの永作で一段濃く刻みこまれる。ついに地上での生活に降りてこようとしなかった「うわの空」のムラカミさんへの、切々としたもどかしい想いが堰を越えて溢れだし、その童顔の眼にはいつ狂気に振れてもおかしくない光すらアンバランスにきらめき、演出ではなく演技であれだけぞくぞくさせられたことは、最近めったにない。
[DVD(邦画)] 7点(2008-02-16 12:27:29)(良:2票)
832.  女衒 ZEGEN
この主人公伊平治、お国から大義を示されると、すぐそのとおりだ、と納得してしまう。女郎のほうが、何やこのおっさん、って感じで醒めて見てるのに、本人は自分の正義に酔っている。ああ、これぞ近代日本人の素顔です。国立娼館という究極の夢、天皇の立派な赤子として認められたいという希望が一方にあり、明治天皇の写真をいただきながら子孫づくりに励むあたりの滑稽と哀切は、もう本人が天皇になっちゃって小日本を作ってしまっている。作者は、馬鹿なことやってんの、という醒めた目を採りつつ、そのエネルギーには敬服してしまう。愚行の狂熱への批判と感嘆。今村昌平の基本姿勢ってこれだと思う。本作の場合、それが近代日本史そのものに重なった。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-15 12:19:19)
833.  ぼんち
訃報を目にし、つい市川崑のベストは何か、なんて不毛なことを考えてしまった。おそらく何本もの作品が気分に応じて入れ替わり立ち現われてくることだろう。今の気分だと「ぼんち」だな。崑の女性映画のエッセンスが詰まっている。今なら誰もが船場吉兆の女将を思い出すであろう毛利菊枝、おとなしい役が珍しい山田五十鈴、ただただ「お嬢さん」な中村玉緒、しっかりしている指輪コレクターの若尾文子、ひたすら尽くす草笛光子(彼女のシーンで芥川也寸志はのちのNHK大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマを使用)、モガの越路吹雪、色気なら京マチ子、女中の倉田マユミも大映時代の崑作品の貴重な配役だ。これら最強キャスティングに、男は雷蔵と船越英二で対抗。強い女に対する弱い男の抵抗のドラマは、当然のように男の敗北で終わり、女性への畏れと賛仰が後に残る。演出スタイルはもう完成しており、崑の一つの頂点だと思う。
[映画館(邦画)] 9点(2008-02-14 12:24:30)(良:1票)
834.  人生のお荷物
斎藤達雄に吉川満子という「生れてはみたけれど」のゴールデン・コンビ。そう思えばあれのアンサーみたいな映画でもある。子どももつらいが、親であることも大変、って話を別サイドから照らして。失敗で出来ちゃった末のせがれ、なんとなく父親としては鬱陶しい。別にそれで子どもがいじけてるわけではなく、すすきを帽子に挿して乃木さんになって遊んだりしてる。松竹の小市民映画だから、深刻にはならない。娘をすべて嫁がせ、やれやれと思う父親の視線になったカメラが、のんきに眠ってる息子に寄っていき、ああまだあいつがいる、というガックリ感になるところがおかしい。で、小僧にでも出してしまえ、となって別居騒動になるのが本筋だが、斎藤達雄は、なにかクサってる風情が実に似合いますな。ブツブツぼやきながら、でもけっきょくそんな程度の不満で日々を送れている新しい階級として、斎藤達雄に代表される小市民が発見されたのが、この昭和最初の10年なのでしょうか。
[映画館(邦画)] 7点(2008-02-12 12:26:32)
835.  親鸞 白い道
面白い映画かと問われたら、そうではないと答える。なら芸術性が高い映画か、と問われると、そうでもないんじゃないかなあ、と濁す。分かりやすい映画か、と聞かれたら、きっぱり、NO、と答える。すると最後に、じゃあしょうもない映画ではないか、と来るだろうが、そしてらなんかすごく弁護したくなる。言いたいことがいっぱいあるみたいな映画なんです。70年代以降かなあ、日本の映画は、何を語るかよりも、いかに語るかのほうに重点が置かれてきて、それは大事なことなんですが、でもたまには言いたいことが詰まってる映画も見たい。これはもう不器用なぐらい詰めちゃってて、登場人物の関係もよくわかんなくなっちゃって、不親切きわまりないんですが、でもこの渾沌に身をひたすのは、ああ、まだ言いたいことがいっぱいあって映画作ってる人がいるんだ、って分かって、けっこう気持ちよかったんです。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-10 12:21:26)(良:1票)
836.  少年期
ニワトリがいなくなった朝、探しに畑に出ると兵隊たちがシルエットで暁の行軍をするところ、少年が純粋に感動の涙にむせんで悲壮なタッチのテーマ曲がかぶさってくる。ここだけとればもう完全に戦時下の国策映画だ。「陸軍」のラストを思い出す。「陸軍」は、軍からお叱りがきたので、今では反戦映画ということになってるが、あの行軍は、母を振り切ってまでお国のために出征していくのだ、という雄々しさとして当時は捉えられていたはず。図式としては、戦後作られた本作のこの場面も似てる。こちらの母は、ちょっとうるさい。スケート場に迎えに来たり教師にお願いに行ったりして、子どもにすれば、たまんねえなあ、という感じがある。その子どもが、母のいない朝、軍の行進を憧れて見ている。この図式、遠くへ出発する息子・遠くへ出発したがる息子と置いていかれる母、という図式が持つ感覚のレベルでの痛みのようなものを、とにかくこの監督は描きたかったのではないか。それは肯定するとか否定するとかいうイデオロギーのレベルよりも深い地盤に根を下ろしているので、戦時下の作品でも戦後の作品でもかまわなく現われてくる。本物の映画作家とはこういうものだろう。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-08 12:22:13)
837.  香華
木下恵介における母は、親としての母よりも、家族の軸としての母としてより重要だった。「二十四の瞳」の生徒と女先生もそのヴァリエーションだったわけ。でも本作では、あくまで娘と母との関係が中心。家なしでやっていこうとした娘(岡田茉莉子)と母(乙羽信子)との葛藤の話。家族の軸になろうなんてこれっぽっちも思っていない母をめぐって、家という枠から脱した一代記ものドラマがドロドロと展開するところが、木下としてはかなり異色作である。家から浮いてしまった女性だから、あれまで墓に固執したということで、家のモチーフは底に潜んではいるのだけれど。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-06 12:16:44)
838.  ここに泉あり 《ネタバレ》 
納得半分、反発半分。納得は、岡田英次の脇に小林桂樹を置いたことで、これが適度に批判者の役を持ち、いやらしさを緩和させている。一つの文化に接触させる機会を地方に与えるというのは、悪いことではない。ただそこに中央から周辺への啓蒙という意識が加わると、どうしても反発を感じざるを得ない。山奥の子どもたちに「彼らもあのまま木こりで終わってしまうんだなあ」などと上から憐れむような態度を見せられると、それは違うでしょ、と思う。楽団員たちが聞けない美しい音(たとえば小川紳介の「ニッポン国古屋敷村」で出来たての炭がたてた澄んだ響きのようなもの)が確固としてあるわけだ。地方で生まれ地方だけで充足している文化というものがあるわけだ。中央的なものを地方に広めることが文化活動のすべてであってはならない。中央の山田耕筰を連れてきて「オーケストラの少女」をやらないと映画が終わらないところに、都会人の作る良心的社会派映画の弱さがある。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-03 12:22:34)
839.  女番長 野良猫ロック
タイトルでは和田アキ子のほうが梶芽衣子より先だった。和田の演技力によっては女番長シリーズを考えていたのかもしれないが、彼女には歌に専念してもらうことにして、梶芽衣子の野良猫ロックとしてシリーズ化したということか。でも今見ると主人公はどちらでもなく、70年の新宿そのものだ。開発中の西口がたっぷり見られる。ガスタンクまで見通せる広大な空き地、工事中のとこってすぐ子どもの遊び場になっちゃうもので、もう藤竜也はじめみんなで走り回って遊んでる気分。オートバイとクルマの追っかけで、地下道や歩道橋を走り回るの、今じゃOK出ないだろう。いっぽう東口はサイケな気分、モップスにオックス、あとひとつ知らないGSも登場し、そのグループが歌ういかにもあのころのセンチな響きが、恥ずかしくも懐かしい。そうそう、虚無感を漂わせて話を終えるのもこのころの流儀だったっけ。ボクサーのコーチ役が青木富夫、かつての突貫小僧だ。
[DVD(邦画)] 5点(2008-01-31 12:19:00)(良:1票)
840.  魂萌え! 《ネタバレ》 
シニア料金にとうてい見えない風吹ジュンをあえて使った、って意図は分かる。寂しい笑顔をやらせると右に出るものがない人で(次点が樋口可南子かな)、林隆三の目に映る「自信なげな慎ましい奥さん」像にピタリなわけ。で、そういう彼女の内側から徐々に胎動してくるものを描けたら、そりゃ成功だったんだけど、どうもそうは思えなかった。内側からというより、付け焼き刃で張り切ってしまってるって印象なの。中央線での窓外への凝視なども、私には段取りが弱いように感じられた。空回りした果てにどうかなっちゃう第二幕が来るのかな、と思ってしまう。風吹ジュンはテレビドラマ黄金期に、倉本聡・向田邦子・山田太一の三大ライターに重宝され、しばしばドロドロから一歩引いたところで生きる女性を好演してきた、その記憶が強すぎるのかもしれない。役者が芸域を広げようとするのは大事なことだが、どうしてもその人のニンという限界はあるもので、加藤治子・三田佳子が出番は少なくても強烈な印象を残すのに対し、これは風吹ジュンの役どころではなかったのではないか。そう思うこと自体が、ホラ林隆三の目になってる、って言われると返せないんだけど。この世代の女性を主人公にした映画が作られたことには大賛成。
[DVD(邦画)] 6点(2008-01-29 12:24:43)
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