1. アバウト・タイム 愛おしい時間について
《ネタバレ》 「時間について」ラブコメではなくラブストーリーを考え続けてきたリチャード・カーティス監督が幾多の作品を集約させたかのような一本を引退作としたのが本作。時間。この壮大なテーマを監督は、極めて普遍的なレベルに落とし込み、全人類が体現出来る形でその尊さと重大さを惜しげもなく雄弁に詰め込んでおられる。エピソードが断片的であることや時勢が行き交うことも、極めてテーマに忠実。目を閉じた時に瞼の裏に映る光景が我々の財産。まるでぼくの人生を観ているかのように思えるのは、彼らや彼女らの想いが、親や子や兄弟や親友や恋人がいる全ての人の心と重なるからだと思う。ラブストーリーとは、男女のいちゃいちゃを観るだけのものではなく、親子の愛も、友人との愛もその中の一つだ。この映画はぼくの理想なのかもしれない。 (P.S. 放題の"愛おしい"は蛇足。痛みの時間もまた人生における重要な財産。痛みがあり、それを乗り越えるから人は強くあれる。監督は、はっきりとそこまで描いていらっしゃる。だからAbout Timeなのだ) [試写会(字幕)] 10点(2014-09-25 17:34:12)(良:2票) |
2. ワールド・ウォー Z
《ネタバレ》 クライマックスの尻すぼみ&ペプシのCMになっちゃってるのは、勿体ないけど、ゾンビ映画のスピリッツは確かにあった。少数派と多数派が逆転する社会ってのは「ナイト・オブ~」でも内蔵されていたテーマなのだから、誠実さは感じれる。ゆえにテーマとクライマックが線で結ばれていない構造をやっぱり勿体なく感じさせられる。 [映画館(字幕)] 7点(2013-08-25 06:40:34) |
3. ダイ・ハード/ラスト・デイ
《ネタバレ》 初期作ではそれまでのお決まりごとを裏切ることで新しさを感じさせてくれたが、今作はお決まりではなかったことをお決まりにしてしまった時代の最先端で、その骨頂を観せられても、「見世物映画」の宿命である”新鮮さ”のないこの作品のどこに新鮮さを感じればいいのかわからない。観る前からわかっている結末通りに収まることはいいとしても、それまでの紆余曲折さえも月並みで何一つ「そうきたか!」と裏切ってくれない。もはやストーリーが止まるただ爆発するシーンや暴れて何かを破壊するシーンは見ていられない。あと最後に。マクレーンが息子がどうとか言ってましたが、それ初期作でも悟っていただろう。つまり変化がまるでない。ぼくは、何を見たのかよくわからない。 [映画館(字幕)] 5点(2013-02-16 17:14:47) |
4. 危険なメソッド
《ネタバレ》 序盤からキーラ様の抑えられない”感情”が明解に「突き出る」。これはまさかと思い、いやまさかとおもっておりましたら、いやまさかまさかやはり男性器のメタファーでした。相変わらず解りにくい事をやって下さいますクローネンバーグ先生。科学を専攻しておられた先生の作品には、いつも”科学者的思考”が否応無く張り巡らされておりますが、今作はそんな先生の”潜在的な意識”と”画面上で起きている出来事”が完全に一致しておりますので、先生にとっては得意中の得意、あるいは真にやりたかった作品なのでは?と思わずにいられませんでした。ヒステリーに象徴される「行動」に出るものには必ず潜在的な深層心理が関係しているなんてのは、今でこそ当然ではありますが、当時はそんなこともなく、ヒステリーはただの病気でしたのでユングとフロイトの残した功績は現行の多くの分野に足跡を残していると言えます。そんなユングとフロイトの夢判断合戦の滑稽さ、終盤のやりとりの回りくどい批評合戦、そこにある自分を棚に上げる滑稽さは可笑しくも可哀想であり、またそこで対比して存在するザビーナの変化も映画的に見事に捕えておられます。彼女の勃起を抑えようとする様、あるいはケツを叩かれながら自分をしっかり客観視しようとする様には、元気になりそうになったアレもが引っ込みました。 そんな中枢の物語の基盤にある「潜在的感情」を比喩やメタファーを用いて描く点もやっぱりクローネンバーグ先生らしくもあり、こっちも先生の『潜在的テーマ」を探ろうとまるで先生になったような気持ちで必至で探らせて頂きました。非常に余白の多い豊かな作品であると共に、映画製作、映画鑑賞もまた登場人物の感情を知ろうとする心理分析だと改めて体感致しました。 [映画館(字幕)] 9点(2012-12-17 02:28:24) |
5. 希望の国
園監督の作品をぼくは手放しで賞賛してしまう。客観性を若干欠如した無意識的な同調心が強烈にぼくの中に育成されている。発端は「自殺サークル」であの作品はカルト的に「やっている事」、つまり表層的な面を評価、あるいは揶揄する声が多い中でぼくは監督の"誠実さ故の強烈さ"に打ちのめされた。表層的に描かれている事が非常に直接的に強烈な意思を表現しているのにも関わらず、結果的に強烈さに目を奪われ、見過ごされている"内面"という構造そのものもまた現代的だったりするのだが「監督の祈り」を受け取り、己の気付こうとしなかった世界の側面に気付かされ、当時のぼくは感謝の思いで一杯だった。それ以降、監督が描き出す世界は、いつもぼくが見過ごしている世界の実情を間違いなく教えて下さってきた。それらにいつも驚かされ、感動させられ、勉強させられてきた。今回は、表層的なテーマと内面的なテーマが同一線状にある為、明確であると同時にある種の「押し付け」が感じられる。というのもこれまでは気付いていないことを能動的に感じ取ろうとする事で「観客が自発的に気付く」というのが園監督作品のある種の醍醐味だったが、今回のは見ていればわかる具体的な台詞等もある。つまり意図的にアピールしているとしか思えない。要するに「祈る」レベルではなく、それを「共有(もしかすると強要)」したいレベルで今回の作品は作られたのだと思う。園監督の焦りや憤りがあまりにも強過ぎる、もはやデモ行為と等しい作品だった。だから全体的に演出のあざとさに違和感があったのだと個人的には納得。空白(内面的テーマ)があるとすればお母さんの「帰ろうよ」という台詞が監督の真の願望、思想だったのではないだろうか。「自殺サークル」で言えば「あなたはあなたの関係者ですか?」に匹敵するほど能動的に自分自身を内省させてくれる。余白は圧倒的に少ないが、現代日本の著名な監督で唯一作品で意思表示をなさった監督に敬意を持たずにいられない。その誠実さ故の強烈さにやはりぼくは強烈に感動させれらてしまった。 [映画館(邦画)] 9点(2012-11-05 18:36:51)(良:1票) |
6. SHAME -シェイム-
《ネタバレ》 「17歳の肖像」「Never Let Me Go」そして「Drive」と、あまりにも輝き過ぎていて直視するのも堪え難いC・マリガンの美しき裸体が拝めるとあって、固唾をのんで拝見したが、その感想は見事なまでに期待を裏切られた。垂れ下がり、締りのない胸。スマートとは対極を示すかのようなボディーライン。絶句だ。だが、それすらも複線なのだと、クライマックスで激情的に感じ得た。ファスベンダーは性に溺れているが、その発端は一切描かれない。依存症は、何かへの反動、あるいは逃避で始める事例があるようだが、彼は一体なぜ性から抜け出せなくなったのか?それが今作の核たるテーマだと思わずにいられなかった。まず、彼は社会的になに不自由無く暮らしている。お金はあり、容姿端麗できっと学歴もあるだろうし、会社では多々結果を残しているに違いない。彼には欠点という欠点が表層的な部分では一切無いと言っても過言ではない。そんな彼の姿勢は、これもまた何処か機械的に、何かを隠しているようにも見えてならない。つまり、“性”と“社交的振る舞い”は等しく「何か」からの反動、逃避であることは彼の姿を見ていればそれとなく理解出来てくる。「SHAME」社会的に彼が最も隠したい“SHAME”とは?クライマックス、彼はゲイプレイの末に3Pをする。彼の表情は快楽に溺れているように見える。そのバックでは妹の声がする。彼はその声から逃げるように、紛らわすかのように激しく腰を振る。そして絶頂の瞬間に彼が見せるあの悲痛な表情。彼は真に望む相手とのそれができない事を理解している。だがそれを理解していても、捨て去れるわけではない。むしろ離れようとすればするほど、それは否応無く彼を苦しめる。社会的に依存症と比べ物にならない程軽視されるであろう彼の願望。それは家族にも、当然社会にも知られてはならない想いだ。それから逃れる事なんて彼には出来ない。望む事を唯一で来た序盤の彼の涙がそれを克明に物語る。あまりにも許されない、あまりにも美しすぎる”SHAME”。素晴らしい。 [DVD(字幕)] 9点(2012-10-16 20:43:28)(良:2票) |
7. ダークナイト ライジング
《ネタバレ》 まず、敵役お2人の目的意識の、望んでいる事とやっている事がまったく筋が通っていない為、主張そのものが破綻しています。また、復讐と父の目的を達成するという一作目でやろうとしたことの繰り返しがお2人の意図ですが、一作目とゴッサムの状況は変わっていますので、別の見地から観ても破綻しています。さらに「革命」を描こうとしているのに”市民”の意見が一切描かれてないのでそれもまた成立していません。つまり、バットマンへの問い掛けそのものが破綻しているので、バットマンのやっていることに奥行きがなく、彼の葛藤にまるで面白みがありません。根本的に脚本に緻密さがなく、粗があり過ぎです。 [映画館(字幕)] 5点(2012-08-19 00:59:31)(笑:1票) (良:5票) |
8. マチェーテ
《ネタバレ》 妄想でなら描けるセガールの悪役、無双セガールが無惨にやられる様に、まさかの最大のカタルシスがある。そんでもって結末には、デニーロが残念な姿で不甲斐なく殺される。この類いの感動?とはちょっと違うけど、近代ハリウッドの歴史を築いてきたであろうスター俳優がこんな形で共演し、なおかつ、ある意味では自分のキャリアの延長線上で最もタブーといえるものに挑戦したその志を評価せずにはいられない。おまけぐらいではあるけど、薬中のリンジーさんも薬中役+αで出演している所もシュールで好き。ストーリーは馬鹿に振り切っているように見えるが、本質の部分の作りはとても丁寧。ただそこを本気でふざけているだけの事。とってもを好感を持ちました。ただ、一つだけ気になる事があるとすればグロがエンターテイメント性以外の意図を含んでいるように見えないのは、個人的にはすごく嫌いなので総合的な評価は下げざる得ません。 [DVD(吹替)] 7点(2012-08-03 03:39:58)(良:1票) |
9. アタック・ザ・ブロック
《ネタバレ》 まずこの作品を語る上で欠かせないロジックとして挙げられるのが、昨年8月にイギリスで発生した暴動です。この暴動に参加した多くの人が、低所得者公営住居に住まざる得ない“チャヴ”と称される若者たちでした。親に頼らず自らの力で生きなければならない子ども達が不の連鎖の中で成長し、見た目は大人、中身は子どもの状態で育ってしまい、あのような痛ましい暴動が起きてしまったのかも知れません。作中の序盤で彼らチャヴ達は同じ団地に住む住人から「モンスター」と称され、見下されていました。当然と言えば当然でナイフをチラつかせて他人の生活を脅かすわけですから、しかるべきリアクションですしこの台詞も本当に気が利いててNice!!そんな彼らのそれらの行為に動機付けとして見えるのは、社会からはみ出し、見捨てられてしまったがゆえの「identityの喪失」があり、「個の存在」を主張し、認めさせたくなるのは理解できます。また、はみ出し者たちのトップにいる男に認められる事も彼らにとっては重要で、存在意義をどうにかこの瞬間に留めていたように見えました。そんな彼らが「真のモンスター」と遭遇するわけです。最初は、ゲーム感覚で楽しいアトラクションに挑むような軽い心持ちでいた彼らも「理由のわからない」虐殺に恐怖し、ただひたすらに逃げ回ります。奴らを前に人としての上下関係が失われ、「襲う」側だった彼らが「襲われる」側の気持ちを知るわけです。黒いその立ち姿は離れていても認識できるほど恐ろしい存在であった彼らが真に黒い相手と対峙した瞬間、牙の恐ろしさを想像力によって感じ得、他者の存在を認識するのです。それは本来月日を掛けて徐々に会得して行く感情なので、瞬く間に感じ、急成長した彼の姿は一見あざとくも映るでしょうが、ぼくにはあまりにも感動的で、ズキズキと心に染みました。仲間の痛みを想像し、これまで襲って来た人々の恐怖を想像し、これから奪われようとしている未来を想像し、主人公モーゼが立ち上がるのです。純粋無垢に、ただひたすら自らの過ちの重みに突き動かされ、恐怖に足を止める事なく左右の足をひたすら前へ、そして未来への喪失の予感が彼の走りを加速させ、離すまいと強く手を伸ばす。メタファーに包まれたクライマックスの映画的なSlow Motion最高!本当に面白かった!! [映画館(字幕)] 9点(2012-07-30 12:35:29) |
10. 裏切りのサーカス
《ネタバレ》 あの重苦しい雰囲気漂うあの部屋の壁。凹凸が影を作り出し、薄らと碁盤目状に見えてくる。誰が“もぐら”なのかが浮き彫りになるまでのドラマには、男たち(スパイたち)の潰し合いの葛藤がある。相手の手の内を想像し、裏をかくように悟られまいと忍ぶ姿。そこは恐ろしく濁っていた。顔を着けて泳ぐのが憚れるのと等しく、そこは信用ならない奴らのいるところであることを暗示している。モノトーンのグレーを基調としたように、そこは憶測と不明解な状況が蠢いている。スマイリーとそこにいる人間たちの特徴無き特徴が、彼らの物悲しさすらも表現している。というなんだか、馬鹿みたいな評論家の文章になってしまうのもこういう表現方法がこの作品のテイストを分かりやすく説明できるような気がしたからです。また、原作は未見ですが、確実に映画ならではの表現が散りばめられているような気がしてならないのです。まずは上記にも述べた色調、そして最も面白いのは「チェス」を彼らに見立てて表現しているその構造がお見事です。あの部屋を碁盤とした場合、彼らは駒でしかなく、国家によって操られ、消えて行くのです。敵と見なした仲間を消し去り、トップの座に付くスマイリーのあのラストの表情。無表情ではあるけれど、あの朗らかにも取れるスマイリーの表情は唯一のスマイルと言っても過言ではないように思えました。果たして正義とは?悪とは?仲間とは?多くのことを観客に投げかけつつ、そして最後に描かれるのは、真に信じていた友による裏切りの淵に沈んだプリドーが、最終的に少年ビルに投げかける言葉が「哀しき駒になるな」という切なる願いにも見えました。それはとてと普遍的で、今日のぼくらにも届きうる強い想いを感じ、またこの映画がこの一点に向かい集約されていたことがわかったあの瞬間、鳥肌が立ちました。お見事です、素晴らしい!!※鑑賞前に事前に大まかなストーリーと登場人物の情報を入れておくのもありだと思います。本国では過去にテレビドラマ化されていたり、根本的に大変有名な原作であるため、多くの人にこの作品の大前提の理解があったことが評価される要因の一つにあるのは間違いないだろうと思いますので、鑑賞前にパンフレットをご購入されるのをオススメします。ちなみにぼくはそうしました。 [映画館(字幕)] 9点(2012-05-27 23:15:12) |
11. ヒューゴの不思議な発明
今、この瞬間もそう望む人がいればこそだが、望む人さえいればいつまでも映画は消えないという、その切なる祈りに見えました。終始この映画から観えるのは「映画」そのもののように思いました。メタファーとしては、例えば他人の恋沙汰を「覗き見」するその行為そのものであったり、「ぺらぺら漫画」であったり、「機関車が迫ってくる様」など、もはや“=(イコール)”で結び付けてもまったく遜色のない映画の原型が散りばめられています。それらの進化系が現代映画なのだということを改めて痛感すると共に、サイレント期の名作映画がスクリーンに映し出された瞬間、映画好きのぼくの心は激しく興奮を覚えました。一瞬流れた「セブンチャンス」や「月世界旅行」をシネコンのあの巨大スクリーンで全編通して観ることができたらどれだけ幸せだろう、などと妄想してしまいました。また、サイレントや白黒映画に一切の興味を持たぬ人があれを目の当たりにするとどんな気持ちになるのだろうという、素直な疑問も覚え、それと同時にどうか「観たい」と思って欲しいと祈ってしまいました。つまるところこの作品の目指すところがそれであることを感じずにはいられません。現代映画とは比較にできぬほど、“映画”本来の面白みに溢れていた黎明期の作品群を観たいと望む観客が増えれば増えるほど、それらの作品のリバイバルが観れるのでは?という希望を抱いてしまいます。つまりそれが映画を朽ちさせない後押しになるのです。 現代映画は過去の作品群の積み重ねのその先っぽに存在しており、その先っぽを存分に楽しむには、引用元である下に埋もれてしまっている作品を知る必要が出てきます。“歴史を知る”というのはその文化を楽しむのと等しく、それを知るだけで今そこにあるものの“見方”がガラリと変わるのだと思います。この作品は映画のその重要な“映画史”を観客に刷り込ませた歴史的に見てもとても重要な作品になったのではないかと思います。しかしながら、作品そのもののドラマ部分とそれらの祈りが噛み合ってなさが尋常じゃないので、その意味でアカデミー賞作品賞を争っていた「アーティスト」に負けたのは頷けますが、あのロボットの描く事、あるいは描かせることも映画のメタファーになっている構造は結構好きでした。 [映画館(字幕)] 7点(2012-05-10 18:52:55) |
12. 宇宙人ポール
《ネタバレ》 この作品はオマージュ塗れだけど、それ以上に感じるのは製作者側の「大好き」や「感謝」の気持ちとその素直な姿勢です。それらを具体的に挙げていったら切りがないのでぼくはそれに関してはパスしますが、それらを除いても、つまりそれらを一切知らなくても(一緒に行った彼女)楽しめるということが、逆に言えばそれらが映画を面白く、豊かにする上で必要不可欠なものとして描かれているということが素晴らしいです。また、SFを好きということが作中の登場人物たちと観客それぞれをリンクさせてくれます。スピルバーグとそれ以降のSF作品により、ETが宇宙のどこかにいるかもと夢に抱き、未知との遭遇にノスタルジーを感じ、理論を超えた世界にどれだけの人々が神秘的なロマンスを抱いたことでしょう。この作品はそんな構築された時代のさきっぽの今を生きるぼくらにとって最善のSF映画であり、待ち望んだ宇宙人ものだと思うのです。ようするに「まじで宇宙人がいたらどうする?」「そりゃ、なんでもやるさ!だって待ってたんだから、会えるその日を!」です。それを具現化する作業に置いて欠かせないのは、やはりスピルバーグの存在です。彼がいなかったら今のSF映画の流れがどうなっていたかわかりませんし、ファンがいないのも当然ですが、今当たり前のように心にあるロマンスも抱けているかどうか定かではありませんから、この映画が感謝で溢れているのは当然なのです。またそれを描いているのがイギリス人というのも最高です。それが意味するところは冒頭から描かれていますが、ピザを運んできた男にする「宇宙人っていると思う?」の質問の答えが「ぼくも宇宙人(外国人)だもん」であり、この映画はみんな誰かにとっての宇宙人であることを描いていると思うのです。この映画は違いのある人間を理解、尊重し、他者との歩み寄りの重要性をも描いているのです。サイモン・ペッグ脚本作品に一貫して感じられる「みんな争い事とかやめない?未知との遭遇でも観て楽しく行こうよ」という姿勢が素敵なのです。そして、何よりも最新技術を駆使しポールの動き全てを疑いようのないものとして作り上げた技術と、ポールの気持ちいい人懐っこさが相まって一切の違和感を抱く事なく好きになれ、そして今この瞬間も宇宙のどこかで美味しそうに葉っぱを味わっているんじゃないかと想像させてくれる事が、この作品の最大の賞賛ポイントです。 [映画館(字幕)] 9点(2012-01-11 19:00:03)(良:1票) |
13. 127時間
《ネタバレ》 この作品は彼のみの、主観的な物語で構成されているがゆえ、感情移入がとても容易にできる作りになっている。絶対的な主観の人生に閉じ込めらている観客自身が、彼になりきった気分で、まさに岩に右腕挟まれた感覚で、物語の成り行きに身をゆだね、没頭することができる。カタルシスは絶対的な孤独の中で、人生をどう取り戻すか。そういった意味では、「キャストアウェイ」が内容的には近く、心情を吐露する対象が物語を発展させる上で必要不可欠で、キャストアウェイではボールだったのが、この作品ではビデオカメラの液晶に移る自分自身になっている。比喩的にも物理的にも、自分自身と自分自身について語り合うという構造が見事に描かれていて、とても面白い。自らの欠点を見つめ、自らの人生の反省点と改善点を、絶望的な状況下で自分自身と語り合い、見つめなおす。そして、自分がすべきだったことを液晶の自分自身に向けて語る。彼に与えられた選択肢は3つ。ただただ一日でも長く生き延び救助を待つ、岩を崩して脱出する、そして腕を切り取り、生き延びる。結局、最後の決断以外、死の予感しかしない。選ばざる終えない究極の決断にいたるプロセスは、「生きる」への熱意、希望が最高潮に達するまでを、様々な手法で描いている。人は喪失の予感を目の前にしないと、変われない。彼もそうであったに違いない。振り向き様に写真を撮った彼の最後の言葉は、つまり127時間の己との対話を設けてくれた自然への感謝の言葉だったと思う。最後に、できればもう少し死への恐怖心、緊張感を感じさせてもらえたら、脱出の時の死からの開放のカタルシスがもっと感じられたのではないだろうか。観客自身も己の人生を見つめなおすきっかけに成りえる作品の一歩、二歩手間で止まってしまっているような感じ。 [映画館(字幕)] 8点(2011-07-17 20:09:59)(良:1票) |
14. キック・アス
バカだー! クソー! 仕事なんて休んで、映画館へ行き、2回立て続けに観ればよかった! 満足感に満たされた後に、ドッと後悔に胸を締め付けられた。 映画館で観たらどれだけ興奮し、どれだけ感動できただろう。 一生、映画館で観ることはできない。 ただただ、悔しい・・・ [DVD(吹替)] 9点(2011-06-22 00:53:50) |
15. わたしを離さないで
《ネタバレ》 フィクションならフィクションで良い。その人間を身近に感じ、その世界があたかも存在しているかのように思わせてくれるのであれば。ぼくは、この作品をまったくリアルに感じれなかった。作中に登場する全員の基本的な人間の意識や考えにまったくフィクションの要素がなく、どう考えても成立していない気がしてならなかった。生活空間や、衣裳、飲食類、テレビの映像、全てがリアルなのにも関わらず、臓器を提供するためだけに生きている若者たちという設定だけがフィクションで、第三者の客観目線もなければ、反対派の思想も存在していない。それを当たり前と思う社会、という設定だけが押し付けがましく、説得力がない。納得できない。そんな社会が存在している事が、理解できない。その設定を納得させてもらって初めて、フィクションはフィクションとして、そこに生きる人間達の葛藤に入っていける。まったくもってわけのわからない物語でした。 [映画館(字幕)] 4点(2011-05-24 03:05:23)(良:1票) |
16. エリックを探して
これまでこんなチャーミングなケンローチ作品があったっけ。優しく爽やかで、軽やかで微笑ましい。カントナ作戦とはつまり、リスクを恐れず挑戦する気持ち。そこにはテーマとして仲間を信じることや観客を喜ばせることがあった。ぼくは観客、彼らはカントナ。 エリックの中にもカントナがいて、彼の力強くて健気で、無条件な愛情が本当に気持ち良かった。 自己啓発して現れたカントナは、自分自身。無条件で自分を愛してくれるのは自分自身以外の何者でもない。 自分でみずからの背を押す、誰もがそうやってでしか決断し、前へは進めない。 ケンローチがいつも教えてくれる事と、根底は変わらない。イギリス社会で働き、家庭があり、苦しみ、迷いながら生きる庶民の話。ただ、憎しみや妬み、恨みのベクトルの向かう方向やその強さをちょっと変えただけ。 今後もケンローチさんには、この作品のような作風の映画をたまに描いて欲しい。 [映画館(字幕)] 8点(2011-01-23 22:23:47)(良:1票) |
17. アバター(2009)
確かにこれは映画舘で観るべき映画でしたね。 まぁ、映画は映画舘で見なきゃ根本的にはダメなんですが、 この映画に限っては内容はさておいても映像を堪能するという 意味において映画舘で観るべきでした。 あれだけ凄いと映画ってなんだっけって気分になってしまいますね。 人間を、人間の感情を観るために映画を見るのに、 この作品はもうそこの次元を二の次にしてしまいます。 内容的には、人の『生きる』という意味の中には 『考え、行動する』のも含まれているとぼくは思います。 軍人だった主人公にとって自らの足で歩き、走り、飛ぶという行為は とても重要だったのではないかと思います。 やりたいこともまともに出来ず、どこかしら生きる目的を失っていた 主人公にとってはアバターの世界はまさしく生きている実感の持てる 世界になっていたのかも知れません。だから最後の決断に至ったのだと思います。 この彼の感情の流れ自体、非現実的なストーリーあってのものだと思います。 やはり目がいくのはあのアバターの世界。 日本の現実社会を描くことが否応なしに求められる映画産業の中にいるぼくとしては 同じ映画だというのはなんとも理解し難いです。 まるで本物のようなパンドラの世界に圧倒されっぱなしです。 昔幼い頃に「ジュラシックパーク」を観た時のあの ティラノサウルスをカッコいいと興奮した時のように 終盤の戦闘シーンはかなり興奮しました。プテラノドンぽいの、 サイっぽいの、虎っぽいの、全部ぼくをワクワクさせてくれました。 おうちの液晶ですらこれだけ楽しめたなら、 3Dであの戦闘シーンを観たらどうなっていたか… 残念、無念。 [DVD(字幕)] 7点(2010-05-23 21:01:59) |
18. ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
《ネタバレ》 物語の展開が非常に早く、テンポ良くトントン拍子でシーンが変わっていく。残念なことにぼくはその早さに着いていくことができませんでした。登場人物、物語の内容、展開などが非常に多く、またシーンが変わるのが極端に早いので情報量の多さについていけず、何をやっていのかはわかるのですが、そこへ今までの作品のように感情を乗せて物語を観ることが困難でした。また、ハーマイオニーやロンなどの成長は今回観る事ができず、それは同時にハリーの成長だと思うので、そういった面を見ることができなかったのも今まで感じていた感情的な部分を薄く感じた理由だと思います。結局、感情の変化で物語が展開していないので、出来事の連続としてでしか見ることができず、視覚的には面白かったですが、作品自体の面白さはあまり感じませんでした。 [映画館(字幕)] 6点(2007-07-21 01:12:30) |
19. ショコラ(2000)
物語の雰囲気は非常に穏やかで、例えば、村長がどんなに主人公を敵対していたとしても、それさえも柔らかく穏やかに思えてくる。かといって物語はチョコレートのようには甘すぎない。例えれば、甘みの中に大人の苦味がある、そんな感じ。主人公の女性がチョコレートを作ったり、不思議なアンティークを眺めたりしている時は、御伽噺の中に登場する魔女のようなオーラを放っていた。お客の好みをクルクル回る不思議な物体で当てるのもすごくそれっぽかった。甘い匂いに引き寄せられるのは子どもばかりではない。恋から随分とかけ離れてしまった大人達が、若かりし頃の情熱を呼び覚まされるように引き寄せられた。正直かなりアダルトな作品だった。“愛”というより“LOVE”を感じましたね。何が違うのか?つまり、洋風な感じです。 蛇足ではありますが、エンドロールが始まって初めてラッセ・ハルストレム監督の作品だったと知りました。 [DVD(字幕)] 8点(2006-03-22 22:44:34) |
20. ハリー・ポッターと炎のゴブレット
すっごい好き、というわけでもないのに、今まで公開されたハリー・ポッターシリーズは全て映画館で観ている。どういうわけか、観たくなる。そんなに期待もせず、高ぶりもせず、それなのに気付くと映画館へ足を運んでしまう。大満足、なんて言葉はこのシリーズできっと味わうことはないような気もする。でも、もしかすると、このまま全てを映画館へ足を運び続けて観たら、最終作では泣くかも知れないな、と思った。少しずつ大人になっていく主人公たちと一緒なスピードで大人になっていく僕は、彼らと一緒に大人になりたいと思っているのかもしれない。まぁ、僕はハリー・ポッターが嫌いじゃないんですね。というか好きなんですね。 [映画館(字幕)] 7点(2005-12-31 13:43:43)(笑:1票) |