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プロフィール
コメント数 2593
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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181.  ジョン・ウィック:コンセクエンス
ラストの「決闘」の舞台に向けて、パリ中から群がるおびただしい数の敵を蹴散らしながら、50代後半のキアヌ・リーヴスもといジョン・ウィックは、二百数十段の階段を登り切る。そして、見事な“階段落ち”を見せる。 決闘開始時刻のタイムリミットが迫る中、数十段のロスかと思いきや、まるでコントのように延々と転がり続け、なんと二百数十段丸ごとの階段落ちを目の当たりにした時、この映画世界の真の境地を見たと思った。 そこに生まれたのは失笑などではない、唯一無二のアクション映画に対する紛れもない感嘆だった。  どんなにマンガ的な設定であろうと、どんなにあり得ない展開であろうと、どんなに馬鹿馬鹿しい描写であろうと、それを“アリ”にしてしまう孤高の娯楽力。それこそが、「ジョン・ウィック」という映画化世界が達した世界観であり、五十路を越えて己の“アクション映画馬鹿”の精神を貫き通したハリウッドスターの矜持であろう。  振り返ってみても、「ジョン・ウィック」シリーズは、いわゆる“一級”のアクション映画の“品質”など端から追い求めていない。「ミッション:インポッシブル」や「007」のように、世界中の幅広い映画ファンに認められて称賛されようなんて考えは微塵も無かった。  本シリーズにおいて、キアヌ・リーヴスを始めとする製作陣が追求したのは、古今東西のアクション映画マニアの心に巣食う「俺が観たいアクション映画」に他ならなかった。 もっと言い切るならば、キアヌ・リーヴス自身が“観たいアクション”そして“撮りたいアクション”の結晶だったのだと思う。  「俺が撮りたいアクション映画」、それを実現するためならば、彼はあらゆる努力を惜しまない。 ガンアクション、マーシャルアーツをはじめ、玄人はだしのあらゆるトレーニングを積み重ね、60歳を目前とする今なお、己の身一つで“スタイリッシュ”を体現し続ける。 本作において、ヨーロッパの荘厳な教会や歴史的建造物を背にして歩くだけで、映画シーンとして様になるキアヌ・リーヴスは、まさしくイケオジの頂点だろう。  169分というあまりにも長い上映時間の中で、ほぼフルフルで展開されるアクションシーンの連続に対して、観客の多くは高揚感を遥かに通り過ぎて、頭がクラクラしてくるに違いない。 正直なところ映画的に冗長であることは否定できないし、何度も何度も繰り返される殺し屋同士の殺し合いの様は、まともな神経で観続けれることは困難で、ちょっと頭がどうかしていると思える。  だがしかし、もはやその狂気性とカオス感こそが、「ジョン・ウィック」なのだと認めて、呆然としながらこの映画世界を呑み込むしかない。 そう半ば強制的に観客の価値観をも支配してしまう本作と、その主人公及び主演俳優の在り方は、エキサイティングで、やっぱりちょっと異常だ。
[映画館(字幕)] 8点(2023-09-23 22:14:08)(良:2票)
182.  清須会議
ここ数年の“彼”の作品に対しては殆どすべてに共通して感じることだが、この小心者の劇作家は忙し過ぎるのだ。  数年前に原作小説が書店に並んだ時の期待感はよく覚えている。 三谷幸喜が描く時代劇、それも“会議もの”。「12人の優しい日本人」をはじめ、“密室劇”こそがこの劇作家の最も特異とする舞台設定であることは明らかで、ようやく三谷幸喜がそこに帰ってきたのかと喜んだ。 その時点で原作小説を読んでも良かったのだが、同時に映画化決定という報を聞き、我慢することにした。  そうして鑑賞。  題材自体は極めて面白いし、描き出そうとした人間描写とテーマ性も興味深い。 決して面白くない映画ではないと思う。 ただし、物語としての作劇が浅く、故に後に残るものがとても薄い。  辿り着いた結論としては、結局冒頭の一文に尽きる。 もっとしっかりと時間と労力をかけてストーリーテリングの作り込みに注力したなら、歴史的にも、人間的にも、深みが備わった喜劇に仕上がった筈だ。  過剰なほどに豪華なキャスティングが悪いとは言わない。 けれども、揃いも揃った豪勢な俳優陣を並べ立てたはいいものの、それに対してただ浮き足立つばかりで、目先の陳腐なコメディに走っていては、本末転倒もいいところ。 残念ながらこの劇作家には、これほどの豪華キャストを“監督”としてさばくだけの度量は見受けられない。 西田敏行や天海祐希をせっかく呼んだけど思ったよりも面白いシーンにならなかったから、カットしよう!くらいの剛胆さがなければ、このキャスティングが逆に勿体ない。  三谷幸喜は、監督業に早々に見切りを付けて、今一度“脚本家”としての原点回帰をしてみるべきだと改めて思う。  そして、西村雅彦、梶原善、相島一之ら劇団時代からのメンバーで再構成された舞台版「清須会議」が観てみたい。 あ、大泉洋はTEAM NACSからの“客演”として秀吉役を続投で良いよ。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2014-09-17 00:17:36)(良:2票)
183.  銀河ヒッチハイク・ガイド(2005)
「天地創造」の真理に何の変哲も無い“一般ピープル”が触れるという物語の設定は、藤子・F・不二雄のSF短編漫画を彷彿とさせる。 惑星の崩壊と再生という大スペクタクルが、SF的観点と哲学的思想を巡り巡って、一人の男の言動に集約されるという顛末は、個人的に非常に興味をそそられる題材で、知らず知らずに異様な映画世界に引き込まれていた。  レンタルショップをぶらりと巡って、タイトルを聞いたことも無かった今作を、製作年も誰が出演しているかも確かめぬまま、“衝動借り”した。 「ロスト・イン・スペース」的なスペース・コメディものだという認識で観始めて、概ねその想定は外れてはいなかったが、想像以上にシュールな展開には少々面食らった。 馴染み難い異質なコメディが怒濤の如く羅列されるため、序盤から中盤に至るまで、映画の世界観に入りきれなかった部分があることは否めない。 ノリ自体は嫌いではないが、この映画が伝える“真理”が掴みきれず、戸惑ってしまったというのが正直なところだろう。  しかし、壮大な宇宙哲学的な要素を踏まえて、ストーリーが想定に反して次第にディープに深まってくいくのを目の当たりにして、この映画の存在性そのものに対して興味が深まってきた。 何がどう導き出されるのかということにようやく焦点が定まり、「結論」に至るまで映画世界を堪能することが出来た。  大いなる宇宙意思の中であまりに小さい生命体が無数に存在していて、すべての生命体の行く末はその宇宙意思に委ねられているように見える。けれど、突き詰めてみれば、結局は或る一つの生命体の意思によって宇宙意思そのものの行方が変わっていくという無限のロジック。 即ち、その「問い」に「答え」などは存在せず、「問い」と「答え」のどちらが先かも定かにはならない。 ただ、だからこそどんなに小さな生命体であっても生存していく“意味”があって、その事実こそが最も素晴らしいことだという…………。  多分に独りよがりな要素や、“テキトー”で“チープ”な部分も多い映画だった。 でも、そういう永遠に答えが出ないことをつらつらと頭の片隅で考えつつ、生きていく事自体がほんの少し楽しくなるという、へんてこりんな映画であることは間違いないと思う。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-05-15 00:11:18)(良:2票)
184.  フライト 《ネタバレ》 
いきなり映し出される或る女性の乳房。そして、その女性と一夜を共にしたらしい主人公は、元妻からの電話に叩き起こされ、苛立ち億劫に応答しながら、真っ裸でうろつく女性の下半身を凝視する。 おおよそ“ロバート・ゼメキスの映画らしくない”そのアダルティーで、どこか退廃的なムードが漂う描写に「おや?」と思う。どうやらこちらの想定外の映画が展開されるらしいということは、この冒頭数分の映像で明らかだった。  機体トラブルによる旅客機墜落を奇跡的に回避した機長。「英雄」となるはずだった彼の血液からアルコールが検出されたことから生まれる疑惑。主人公は「英雄」なのか「犯罪者」なのか。 ストーリーの大筋はこのイントロダクションの通りである。しかし、この映画は、そこに隠された真実を追っていく類いのありふれたサスペンス映画ではない。 冒頭のシーンで明らかな通り、デンゼル・ワシントン演じる主人公が決して“清廉潔白”な人間ではないという事実からこの物語は始まる。  詰まるところ観客は、映画の序盤において、「英雄か?犯罪者か?」という問いに対して、「そのどちらも当てはまる」という答えを知ることになるのだ。 すなわち、この映画が伝えようとしているものが、主人公の社会的顛末などではなく、彼の人間としての「決断」の物語であることに気付く。  人間は、歳を重ねるにつれ、自分の非を認めるということが困難になる。 それが内省的なものであればあるほど、曝け出し、悔いること自体に多大な勇気が必要になってしまう。 この映画が描くことはまさにそういうことだ。 大事故に遭遇し自らの功績により生き残った主人公が、強制的に自分自身を省みなければならない日々を経て、最終的にどのような道を選び取るのか。  そういうことが、非常に巧みな映画づくりの中で表現されている。 一見すると、無駄に思えたり、やけにまどろっこしく思えるシーンの一つ一つが、この映画が伝えるテーマに繋がっていき、上質なドラマに昇華される。 ロバート・ゼメキス監督の映画を久しぶりに観たが、安定した演出力もさることながら、齢60歳にして非常に精力的に新境地を開拓してみせたと思う。
[映画館(字幕)] 9点(2013-03-02 16:59:33)(良:2票)
185.  刑事コロンボ/死の方程式<TVM> 《ネタバレ》 
どんなに周到な犯行計画を立てていても、それを犯行後まで平常心で貫けるかが犯人にとっては最大の課題なわけ。コロンボという刑事が優れているのは、犯行後の犯人が垣間見せる一瞬のスキを見逃さないことだと思う。スキがスキを呼び、犯人は自らを追い込んでいくのだ。それが、このコロンボシリーズの醍醐味だろう。 ラスト、ゴンドラに乗り込んだ時点で、犯人が自白に追い込まれることは明白だが、そのある種の予定調和がたまらないのだ。 ちなみに英語に明るくなくて知らなかったのだけれど、原題の“short fuse”とは“短気”“かんしゃく”という意味で、犯人の性格を表している。それと同時に、“fuse”は爆薬の“導火線”“信管”という意味だそうで、非常に巧いタイトルだと思う。
[DVD(吹替)] 7点(2005-11-21 11:30:11)(良:2票)
186.  アンノウン(2011) 《ネタバレ》 
殆ど予備知識無く鑑賞を始めたので、冒頭から滲み出ているサスペンスフルな空気感にすんなりと引き込まれ、二転三転する展開を堪能しながら最後まで楽しむことが出来たことは間違いない。 サスペンスアクションとして、サスペンスの緊張感とアクションの高揚感がバランス良く配置されており、鑑賞直後の満足感は当初の想定よりも随分と高かったと言える。  ただし、観賞後数分間でちょっと振り返ってみると、粗という粗がポロポロと出てきてしまうことは否めない。  よく考えると映画全編に渡って言えることだが、「実は一流の○○○」だったというには、そもそもの言動がずさん過ぎて陳腐だ。 まず目的のために徹底した偽りを謀るとはいえ、目的地への移動中に至るまでその偽りを貫く必要があるのだろうか。これは明らかに観客を欺くためだけの演出であり、人間描写上の必要性はないと思う。 そんでもって、空港のタクシー乗り場で最も重要な鞄を置き忘れるって、どんだけうっかり屋さんなんだという話だ。これも結局、ストーリーとしての一つの目的を設置するためだけの設定であり、極めて安直だ。 他にも、一流ならば乗り込んだ先の言語で世間話くらいは出来るようにしとけよ!とか、ふいの自動車事故とはいえ簡単に気を失い過ぎだろ!咄嗟に飛び降りるとかそれくらいしようよ!とか一流の組織のメンバーのくせいに素人の女の子にやられてどうすんだ!とかとか……、一度突っ込み出したら止まらなくなってきそうだが、とにかくよくよく考えると用意されていたオチに対して整合性が無さ過ぎる要素に溢れてしまっている。  ストーリーのアイデア自体は、オリジナリティが高いとは言い難いけれども充分に面白味に長けている。それが興味を最後まで持続させる最大の要因だとも思う。 しかし、このアイデアであれば、ラストの顛末でもっとどぎつく踏み込むことができたなら、数多の粗を振り切って余りある映画に仕上がっていたかもしれないなと思う。リーアム・ニーソンのクライマックスの表情は観る者を惑わせる緊張感が含まれていて良かったけれど……。  まあそこまで完璧なクオリティーを求めるべき類いの映画ではないと思うし、観ている間と観終わった瞬間に満足していたならそれで充分だと思う。  と同時に、画面から溢れ出る上質な色調と巧い俳優陣の演技によって、もの凄く質の高い映画に“見えるだけ”に、やはり残念に思う。
[DVD(字幕)] 6点(2012-02-26 02:14:25)(良:2票)
187.  SUPER8/スーパーエイト(2011)
J・J・エイブラムス+スティーヴン・スピルバーグ、新旧のエンターテイメント作家が組んだ娯楽大作。 “実体”を見せない謎に溢れたトレーラーをはじめとするプロモーション。 映画ファンの好奇心をこれでもかとくすぐる魅惑的な要素に、鑑賞前の期待は大いに膨らんだ。 「一体、どんな映画世界を見せてくれるのだろう」と、無意識に「見たことがない映画」への期待が高まっていたとも言える。  まず言っておくと、無意識に期待してた“驚き”が存在する映画ではなかった。 いまやハリウッドのトップランナーと言っても過言ではないエイブラムス監督が描き出す映像の完成度は凄まじかったけれど、内容は、どこかで見たことがある映画とどこかで見たことがある映画が幾つも合わさって、どこかで見たことがあるストーリーが紡ぎ出されたという感じだったことは否めない。  正直、「面白くない!」と拒絶する人は大勢居るだろうし、「何て面白い映画だ!」なんて言う人には「もっと色々な映画を観てほしい」と思う。  でも、やっぱり僕は、「面白かった」と言っておきたい。 期待していたエンターテイメントとしての“衝撃”は殆ど皆無だったと言ってもいいが、「映画」そのものに対する“愛”は溢れている作品だったと思う。 過去の数々の映画の“使い回し”と切り捨てることもできるが、同時に名作に対する“尊敬”と"愛情”の表現と言えなくもない。 劇中で少年たちが自分たちの大好きなゾンビ映画を一生懸命に撮影することと同じように、気鋭のエンターテイメント作家が、かつて夢中になった数々の娯楽映画の自分なりの「再現」に挑んだのだと思えてならない。  もちろん、だからと言って映画として面白いポイントがなければ、それはただのクリエイターの自己満足であり「駄作」に間違いない。 僕にとっての今作の最大の魅力は、凄まじしい映像世界などではなく、子役たちのパフォーマンスだった。 エル・ファニングをはじめとする若い若い俳優たちの瑞々しい演技が素晴らしかった。 8ミリ映画製作に励む瞳、人間関係に悩む瞳、はじめての恋をする瞳、得体の知れない恐怖に怯える瞳、目の前で繰り広げられる様々な出来事に対して、純粋な感情をあらわす“瞳の光”が何よりも魅力的だったと思う。  完成度の高い映画とはとても言えないけれど、どうしても無下に否定することが出来ない。そんな映画。
[映画館(字幕)] 7点(2011-06-26 21:59:02)(良:2票)
188.  ツーリスト 《ネタバレ》 
この映画は、往年のハリウッドの娯楽作品に対する憧れと尊敬を、何よりも全面に押し出した作品だと思う。  「謎」に彩られたストーリーではあるが、そこに衝撃的な驚きやサスペンスは存在しない。 「存在しない」と言ってしまうと、語弊があるかもしれない。 この映画に溢れるサスペンスの性質は、古き良き時代のハリウッド映画のそれと合致するものであり、現代人が過去のサスペンスを見ても目新しい驚きを得られないように、敢えてそういう新しさを追い求める衝撃を避けているように思えた。  イントロダクションと、アンジェリーナ・ジョリー&ジョニー・デップというキャスティングにより、プロットと用意されているであろう結末は、容易に想像出来る。 ストーリー展開に対する純粋な驚きは、この映画には存在しない。  ただし、この映画はそれでいいのだ。  ケイリー・グラントやグレゴリー・ペックが出てきそうなクラシカルなエンターテイメントの中で、現代のハリウッドを代表する女優と俳優の色香を堪能しつつ、想定された結末に対して素直に満足感を覚えるべき映画だと思う。  往年の娯楽映画がそうであったように、魅力的な主演女優がこの世のものとは思えない美貌を振りまくだけで、映画というものは一定の価値を保つものだとも思う。   一人旅の列車の中で、急にアンジェリーナ・ジョリーに声をかけられたら……と考えると、ほとばしる高揚感を越えて、むしろゾッとするなあと思えてならない。
[DVD(字幕)] 6点(2011-08-13 02:01:01)(良:2票)
189.  G.I.ジョー バック2リベンジ
もしこれが単体のB級アクション映画であるのならば、決して一方的な否定はしない。 ドウェイン・ジョンソンがお決まりの極太男を演じ、ひたすらに肉弾戦と銃撃戦を繰り広げるという、良い意味で工夫の無いアクション映画としてテキトーに楽しめば良いだけの話だ。 正しい意味で「役不足」と言えるブルース・ウィリスのゲスト出演を見られて「ラッキー」てなもんだ。  が、しかし、この映画が「G.I.ジョー(2009)」の続編である以上、「それじゃあ済まないよ」というのが、映画ファンとして、特に馬鹿アクション映画ファンとしては避けられぬ否定的感情だ。  前作は国際色豊かな秘密組織の“チーム感”が娯楽性を高めていたのに、その前作キャラクターが殆ど総入れ替えになっていることなど、“酷い点”はイロイロある。(無闇矢鱈なイ・ビョンホン推し…、ロンドン市民むご過ぎ…などなど) が、最も問題なのは、“G.I.ジョー”という「玩具」が原作であることによる無限のイマジネーションが、この続編には全く無くなっているということだ。  前作の最大の見どころは、漫画でもアニメでもなく、「玩具」の映画化であることに相応しいギミックの格好良さだった。 世界中の子どもたちが片手に持った兵隊の人形を縦横無尽に動き回す様をそのまま映像化したような豪快さが、この映画シリーズの最大の“売り”となるべきなのに、それが完全に欠如し、ただただ鈍重なアクションシーンが羅列されてはどうしようもない。  そういったあるべき“娯楽感覚”の欠如に、監督の交代が大いに影響していることは間違いない。 前作を監督したスティーヴン・ソマーズは、「ハムナプトラ」シリーズや「ザ・グリード」などの過去作からも明らかなように、分かりやすい娯楽性を導き出すことに優れている。 エンターテイメント大作の監督における「作家性」を軽視しがちだけれど、大バジェットのブロックバスター映画にこそ、適切な娯楽性を導き出すことが出来る「作家性」が不可欠だと思う。  今作では半ば意味不明にボスキャラが途中退席していったけれど、更なる続編を作るつもりなのならば、スティーヴン・ソマーズの監督復帰は絶対不可欠だろう。  「実はアイツは生きてました~!」なんて強引さは全然オッケーなので、今作の“色々”は無かったことにして、前作チームの復帰を監督共々願わずにはいられない。
[ブルーレイ(字幕)] 3点(2013-10-22 22:38:15)(良:2票)
190.  ブラック・サンデー
「名作」と評される往年のハリウッドの娯楽映画には、「物足りなさ」を感じることが多々あり、満足した覚えが少ない。 しかし、この映画には確固たる完成度の高さが見られた。  それは、トマス・ハリスの原作の確かさが大きく影響していると思う。 原作は未読だけれど、展開されるストーリーの端々に並の娯楽映画にはない“深み”があり、各シーンと人物の背景が見えてくる。  テロリストとそれを追う秘密警察それぞれの立場と、各キャラクターの抱える心情を平等に描いているので、追う者と追われる者の関係性に説得力があった。  クライマックスの顛末には少々ご都合主義が含まれていたようにも思うが、巨大な飛行船がスタジアムに突入していくシーンには、娯楽映画史に残り得る迫力があった。  この映画は日本では未公開だったそう。テロリストの攻防において当時の世界情勢が大いに絡んでいることがその理由かもしれないが、もっと広く認知されるべき映画だと思う。
[DVD(字幕)] 7点(2010-08-01 19:05:43)(良:2票)
191.  ハムナプトラ3/呪われた皇帝の秘宝
「ハムナプトラ」シリーズは、好きなアクション娯楽映画で、7年ぶりの続編は本来なら映画館で観ようと思っていたのだけれど、理由があり躊躇してしまった。  躊躇した理由は、二つある。  一つは、監督がスティーブン・ソマーズからロブ・コーエンに変わってしまったこと。  製作資金さえ豊富ならアクション映画の監督なんて誰がやっても大差ないなんて思われがちだが、娯楽センスというものは確実にあって、作り手の性質によって作品の出来不出来は大きく左右される。 今作のロブ・コーエン監督がそれほど悪いとは思わない。そこそこバランスのとれた娯楽性を展開してくれたと思うが、やはりこのシリーズではスティーブン・ソマーズ監督の大胆さと小気味良さが見たかったと思う。  二つ目は、過去二作でヒロインを演じたレイチェル・ワイズが出演しなかったこと。  もはや彼女も大女優の一人なので、出演交渉は簡単ではなかっただろう。 が、個人的にはこのシリーズの出演からレイチェル・ワイズという女優を知り、その後の出演映画を見てファンになった経緯があるので、是非今作にも出てほしかったものだ。 彼女が出演していれば、映画としての質が格段に上がっていたことは間違いないと思う。  という二つの大きなマイナス要素はあるものの、それなりに楽しめた映画ではあった。 これはこのシリーズ自体が持つ独特の娯楽性の高さと、ブレンダン・フレイザーの良い意味で「大味」な存在感がマッチしているからだろう。  「インディ・ジョーンズ」シリーズと比べたりすると怒られるかもしれないが、どこまでお金をかけても“B級映画”的なノリが抜けないこの「ハムナプトラ」シリーズの方が、個人的には好きだったりする。
[DVD(字幕)] 6点(2008-12-23 09:39:05)(良:2票)
192.  オーシャンズ12
泥棒映画をつくる上で最も大切なのは“お洒落さ”だと思う。その部分で今作におけるソダーバーグの演出と編集は優れていると思う。予想よりもずっと面白いというのが、正直なところで、前作のコメントでも書いたが、何と言ってもこのキャストを揃えるだけでも物凄いことだ(更にゼタ・ジョーンズとカッセルを加えて!)。強引とも言えるストーリー展開を支えたのは、やはりこの豪華キャストとそれを操るソダーバーグのウィットに富んだ演出力だろう。実際(コピー通り)騙されてしまった部分もあるので、大筋のストーリーにも満足はできた。ただ、やっぱり残念なのは、チームの一人一人の個性が発揮されずに終わってしまうことだろう。結局核となるカラクリ自体は主要キャラが繰り広げたに過ぎず、ほとんど何もしていないキャラがいるのは消化不良な部分だ。まあこれで、「11」で盗んだ金を「12」で返済したにすぎない状況なので、更に続編を作ることは必至。この不良感の解消は次作に期待します。
7点(2005-01-23 02:29:40)(良:2票)
193.  グランド・マスター 《ネタバレ》 
久しぶりにウォン・カーウァイの映画を観て、自分がこの人の映画に惚れていたことを思い出す。 6年前に前作「マイ・ブルーベリー・ナイツ」を観たときも、同じような思いをしたような気がする。 近年決して多作ではない映画監督なので、映画を観始めてしばらくして、描き出される映画世界の特異な空気感に「おや?」となり、「ああそうか、これがウォン・カーウァイだ」と記憶が呼び起こされる。  誰もが楽しめ、受け入れられる類いの作風ではないことは明らか。 時に酷く散文的で、ビジュアル的な美しさが強調される世界観を嫌う人は多いと思う。 この映画にしても、ストーリー的にはあまりにまとまりがなく、「結局何の話なんだ?」と主題がぼやけて見えることは否めない。 詰まるところ、激動の時代における、伝説の武術家イップ・マン(葉問)をはじめとするカンフーマスターたちのそれぞれの人生模様を描いた作品なわけだが、「伝記映画」と謳っている故か、超人的なカンフーマスターたちがドラマティックに絡んでいくように見えて、実は直接的な絡みは殆どない。 アンフェアな予告編に騙されて、“カンフー映画”としてのエンターテイメント性を期待してしまうと、きっと肩透かしを食らう。  ただし、十数年前に「恋する惑星」を観て以来、この映画監督の作品に惚れてしまっている者としては、映画全体からほとばしるその「美意識」だけで、諸々の否定的要素は霧散してしまう。  ハット姿のトニー・レオンが土砂降りを切り裂くように敵を蹴散らす。薄い化粧(けわい)が秀麗なチャン・ツィイーが降雪の中で強く美しく舞う。  ビジュアル的な「美意識」だけが先行してしまっている映画という評は間違ってはいまい。しかし、その「美意識」だけで充分だとも言える。 ウォン・カーウァイがカンフー映画を撮るというのはこういうことなのだ。と、理解してもらうしかない。  兎にも角にも、映画自体の完成度はともかく、大好きな監督の最新作を久しぶりに観られたことの満足度は高い。 ああ、「恋する惑星」が無性に観たくなった。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-16 00:57:03)(良:2票)
194.  コクリコ坂から
「まるで安いメロドラマだ」と自分たちに与えられた境遇に対して、少年が言う。 “恋”が芽生え始めた少年少女の間に生じた「出生の秘密」は、使い古されたプロットでまさに少年の台詞がふさわしい。 しかし、彼らはその事実に対して、決して安易な悲劇に浸らない。悲しみや困難から目をそらさず、自分の感情に対してまっすぐに立ち、乗り越え、その先を歩んでいく。  その自分の人生に対する力強いスタンスは、主人公の二人に限ったことではなく、この映画に登場するほとんどすべてのキャラクターから見て取れる。 1963年という時代背景の中で生きる人々。もちろん、幸福も不幸もある。しかし、そこには現代社会のような閉塞感はなく、幸福だろうが不幸だろうが、自分の意志で前を向いて生きていかなければならないという力強さと希望が溢れている。 そういう生き生きとした人間模様こそが、この映画の最たる魅力だったと思う。  すなわち、このアニメ映画は相当に素晴らしい作品だったと断言する。  映画は主人公の少女の「日常」の朝の風景から始まる。 主人公の少女の境遇や周囲の人間の人物像を捉えても、特別に劇的なことは何もない。 それなのに、次第に彼女をはじめとするキャラクターたちの言動に惹かれていく。  それは、この映画が人間の一人一人をとても丁寧に描き、彼らが生きている「時代」をありありと切り取っているからだと思う。 そこにはあざとく説明的な台詞や描写は存在しない。時に時代背景や当時の社会風俗の知識が無いと分かり辛い部分もある。しかし、そういったものは、彼らが生きている様を見ているうちに自然と解消してくる。 そうして、気がつくとどっぷりと主人公たちの感情に移入している。  とても丁寧ではあるが、決して大衆に安直な迎合はしない潔さと、映画表現の巧さがこの映画には溢れている。 作品の性質上、なかなか万人向けとは言えない映画であり、特に子どもが見ても面白さは分からないかもしれない。 ただ、かつて「耳をすませば」や「おもひでぽろぽろ」が、歳を重ねるにつれ面白味が溢れてきたように、長い年月において自分が成長していく中で、理解が深まり初見時とは違った感動が膨らむ映画だと思う。  だからこそ、年代問わずいろいろな人に見てほしい素晴らしいアニメ映画だと言いたい。
[映画館(邦画)] 9点(2011-07-18 00:24:23)(良:2票)
195.  完全なる報復 《ネタバレ》 
燃えたぎる「復讐心」を描いた映画は多々あるけれど、この映画ほどその行為に“歯止め”がないストーリー展開は見たことがない。 本来「善人」であるはずの復讐者の領域を完全に越えてしまっているので、感情移入出来るレベルではなく、正直主人公の人物描写に拒否感を覚える人も多いだろうと思う。  ただ僕は、そういう一線を越えてしまっている部分こそ、この映画の素晴らしいオリジナリティーだと思った。 「司法制度の脆さ」という明確なテーマ性を土台に敷き、妻娘を失った男の問答無用に残虐な復讐行為を、強烈なショッキング性と娯楽性に富んだサスペンスで彩った秀作だと思う。  もはや「完全」すぎて何でもありになってくる復讐行為の数々は、時に非現実的で強引とも思えなくはないが、資産力のあるエンジニアというそもそものキャラクター設定と、演じるジェラード・バトラーの有無を言わせない熱たぎる存在感によって、諸々の難癖を蹴散らし、まかり通している。  競演するジェイミー・フォックスも、自身の価値観の中で揺れ動く敏腕検事を好演していた。  良い意味でも悪い意味でも思い切りの良い映画なので、好き嫌いははっきりと分かれるのかもしれないが、描きたい映画世界を、真正面から堂々と映し出していることが、もっとも評価すべきことだと思う。  自身の罪を受け入れ、ナパームの業火に包まれる復讐者の最期の様が印象的だった。 そして、ジェラード・バトラーは今もっとも炎を背負う様が似合う俳優だということを思い知った。
[DVD(字幕)] 8点(2011-08-14 23:18:29)(笑:1票) (良:1票)
196.  花とアリス〈劇場版〉
6年ぶりに観たこの映画は、もはや「感動」なんて通り越す。そのあまりに眩しい映画という「結晶」に対して、悶え、嫉妬じみた感情すら覚える。  6年前、自分自身の結婚を控えた頃にこの映画を観ていた。 劇場鑑賞時から大好きな映画なので、それ以前もその後も事あることに“花とアリス”のことは思い出す。 そして、今日、自分の愛娘が幼稚園に入園した日に、またこの映画を観た。 なんだか、嬉しさも、憂いも、いろいろなことが入り混じって、たまらなかった。  最初から最後まですべてが名シーンなのだが、“親”というものになって数年経ち、愛娘の成長をまさに目の当たりにした日においては、蒼井優と平泉成との父娘のシーンが、無性に愛おしかった。 この映画は、恋と友情の間を奔走する少女たちの物語であり、少女たちの自立の物語であり、彼女たちを取り巻く家族の物語でもあるのだと思えた。  蒼井優と鈴木杏、今やこの世代を代表する女優となった二人の“競演”は、彼女たちの確かな実力を踏まえても、「奇跡的」だ。 こういう類いの「奇跡」を幾度も見せてくれた岩井俊二という映画監督は、やはり自分にとって特別な存在なのだと思える。   この映画の少女たちの人生はまだ始まったばかりで、映画の中で泣き笑うことなんて、ほんとに些細なことだけれど、その一つ一つにひたすらに向き合い、エネルギーを注ぎ、くよくよしたり、晴々したりする姿に、問答無用に感動する。 ユーモラスで眩しいノスタルジーと、そこに不意に垣間見せる厳しく切ない現実。それらすべて含めて彼女たちの日常。   嬉しいことも、辛いことも、楽しいことも、悲しいことも、みんなひっくるめて少女たちは生きていく。  その純粋で、無防備で、ひたすらな姿に、胸が熱くなる。僕はこの映画に対して、この先も何度も、“ウォーアイニー”と呟くだろう。
[映画館(字幕)] 10点(2004-04-09 22:37:49)(良:2票)
197.  ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer
最近初めてテレビシリーズを全編観たので、「特別篇」に続いてこの「映画」を観た。 まあ、テレビシリーズの終盤から感じてきたことだけれど、「謎」を引っ張るだけ引っ張っておいて、結局、悪魔的な要素で半ば強引に結論付けてしまうのはどうかと思う。 決してその要素自体が悪いのではなくて、シリーズ通して、「呪いにみせかけた殺人」や「犯人が仕掛けた意外なトリック」を主人公が見破っていくという主旨であるはずなのに、シリーズ全体のクライマックスでサイキックな精神闘争を見せられても納得できるはずがない。 主人公らのキャラクター性や、個別に見たストーリーは面白いのに、全体的なまとまりが激しく欠如している。製作サイドのあまりにいい加減で幼稚な“構想”が見えてくる。際どい部分ではあるが、こういうのは「ノリがいい」というのとは違うと思う。 ただ、中谷美紀はこのシリーズでかなりスキになった。
[DVD(字幕)] 1点(2006-02-02 19:23:55)(良:2票)
198.  インサイド・ヘッド
4歳の娘と、1歳の息子がいる。 当然ながら、一日中、それぞれが笑ったり泣いたりの繰り返しである。 人の親としてもまだまだ未熟なので、彼らの言動に対して右往左往することも多いのだが、この秀逸なアニメ映画は、そんな子育て中の親たちにとっては特に興味深くて、それ故に面白味の深い作品だったと思う。  二人の子どもが何かの拍子で泣き始めるとする。 1歳の息子は、彼の好きな遊びやおもちゃ、もしくは食べ物を見せればすぐに泣き止み、途端に笑い始める。 一方、4歳の娘はそう簡単にはいかなくなった。彼女が泣き止むまでには、それなりの説明と駆け引きと時間が必要になる。 そうやって当たり前のように、子どもたちの感情が変化していく様を見ているけれど、彼らの頭の中では常に様々な感情たちが、彼らの「幸福」のみを考えて親以上に右往左往しているのだと思うと、なんだか率直に感心し、感動してしまった。  この映画においてアドベンチャーとして描き出されている通り、子どもたちの頭の中では常に会議と冒険が繰り広げられ、そして時に崩壊と構築が繰り返されているのだろう。  大切に抱え続けた思い出に「ヨロコビ」と「カナシミ」が入り混じり、「ヨロコビ」だけでは決して生きていくことはできないというストーリーの着地は、子どもも大人も観る映画として、とても誠実だったとも思う。  精神が成長するということの見事な具現化。 それはとても楽しくて、とても切ないエンターテイメントだった。
[ブルーレイ(吹替)] 8点(2016-01-18 23:27:21)(良:2票)
199.  ミュンヘン
きっと、“祖国を失うという喪失感”そして“祖国が存在しないという虚無感”なんて微塵も感じたことがない僕たちは、この映画の本当の「感情」なんて分かるわけがないのだろう。でも、だからこそ、客観的に冷静に見れる要因になるのかもしれない。おそらく、この「事実」に対して何らかの関わりを持つ民族の人たちにとっては、今作で描かれるものは非常にデリケートで、ある部分では大いに「反感」をかうのだと思う。 ただ、もし「客観視」が許されるのなら、やはりこの映画は素晴らしい。もちろんこの物語を客観的に観たままに終わってはならない。これは人間の歴史をそのまま形どっていると言っても決して過言ではない“憎しみの螺旋”の紛れも無い一端だからだ。 悲しいけれど、この“螺旋”は、人間が存在する限りいつまでもつきまとう“業”なのかもしれない。 非常に重く、繊細で難しいテーマ性と現実を孕んだ物語にも関わらず、その長尺をまるで感じさせないスピルバーグの映画術は流石だ。 ラストカット、彼方に見える貿易センタービルが、とても悲しく、感慨深い。“螺旋”はどこまでも続いている。
[映画館(字幕)] 9点(2006-02-11 00:06:06)(良:2票)
200.  ウルフマン(2010) 《ネタバレ》 
「狼男?今更?」 という第一印象を持ち、その今更感たっぷりの作品に、ベニ・チオ・デルトロとアンソニー・ホプキンスの濃ゆ過ぎるキャスティングの意味と価値は何なのか?という疑問を持った。  そんな疑問符だらけの印象だったので、映画館で観るつもりはなかった。 しかし、所用で早起きした日曜日の午前中、ぽっかりと空いた時間に映画館に行くと、観たかったアカデミー賞絡みの作品はことごとく午後からの上映スケジュールとなっていて、唯一時間が合ったのが今作だった。  「まあ、これも巡り合わせか」と思い、諦めて鑑賞に至った。 (ただし、その反面「もしかすると……」という淡い期待が無かったわけではない)  映画は、予定調和に終始した。 薄暗いオールドイングランド、妖しく荒れ果てた大屋敷、尊大で謎を秘めた領主、満月の夜の惨劇、闇夜を疾走する怪物、主人公に訪れる悲劇…………。  ベニ・チオ・デルトロの疑心暗鬼な表情から、アンソニー・ホプキンスの溢れる異常性まで、すべてがいわゆる”お約束”の中で展開される。 そのベタベタな展開に対して冒頭は呆れる。しかし、次第にその展開の性質は、突き詰められた「王道」に対する美学へと転じていく。  用意されたストーリーに衝撃性はまったく無いと言っていい。ただ恐怖シーンでは約束通りに恐怖感が煽り立てられ、感情が揺さぶられる。  つまりは、観ている者の恐怖感や驚きまでもが、予定調和の中にしっかりと組み込まれているということだと思う。  「狼男」の映画として、「良い意味で裏切られた」なんて思う部分は一切無い。「まさに狼男の映画だ」と言うべき映画だ。 よくよく考えてみれば、「今更狼男?」と思う反面、実際はまともに「狼男映画」なんて観たことがないということに気づいた。  この映画は、「狼男」という大定番のモンスターの本質をしっかりと描き、“ゴシック・ホラー”を見事に蘇らせた意外な程に堅実な良作だと思う。   P.S.見所はやっぱり“変身”シーン。 単に毛深くなったり、爪や牙が伸びるといった安直なものではなく、「骨格」が生々しく転じていく様がインパクトがあって良い。 タダでさえ濃いデルトロやホプキンスがそうなるので、衝撃は殊更。  ストーリーに驚きがない分、逆に何度も観たくなる。そういう面白味に溢れた作品だ。
[映画館(字幕)] 8点(2010-04-26 23:55:26)(良:2票)

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