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鉄腕麗人さんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2593
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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681.  ヴィジット
とても奇妙な映画だった。 「微妙」と「絶妙」の狭間に存在する一線をひたすらに渡らされるような、とても意地悪な映画だったとも言える。 渡りきったその先でしばし立ち尽くしつつ、「ああ、シャマラン映画ってこういうのだったな」と思い出す。  果たして、僕はこの映画が面白かったのか、つまらなかったのか。 それすらも釈然としないまま、寝床に入り、ふと昔を思い出した。  幼いころ、妹と一緒に母方の祖父母の家によく泊まりに行った。 こう言うと、母は気を悪くするだろうが、今思い返してみると、その祖父母の家はとても粗末で随分と古かった。 頻繁に泊まりに行っていたが、それは自分たちが望んで行っていたのか、母の何かしらの都合であずけられていたのか、いまいちよく思い出せない。 小さな家だったが、幼い僕にとっては何だか踏み込みづらい領域がいくつかあって、好奇心と一抹の恐怖感を同時に感じていた記憶がある。  居間の奥の部屋はいつも戸が閉まっていて禁断区域のような雰囲気があった。 祖父が陣取る座椅子の後ろのふすまの中には戦艦のプラモデルが隠してあった。 寝室は古いマットレスが部屋いっぱいに敷かれていて窓がなく一日中暗かった。 トイレは汲み取り式でしょっちゅう腹痛になる僕には殊更苦痛だった。  祖父母は優しくて、好きだった。 たぶん、当時は自分たちが率先して泊まりに行っていたのだろう。 けれど、今記憶に残るあの家に一晩泊まれるかというと、正直きつい。  この映画は、奇怪な言動を見せる祖父母の家に迷い込んだ“ヘンゼルとグレーテル”の一週間を恐怖感たっぷりに描き出しているけれど、真に伝えたい事は彼らの恐怖体験そのものではなくて、姉と弟それぞれが抱えた記憶と精神との葛藤だった。 白く暗い雪の中で織りなされる不安と恐怖の連続。 こうなのかな?と想像した展開が、この監督独特の意地悪なミスリードによってはぐらかされていく。 そして、本当に対面しなければならない事象に知らず知らずのうちに導かれていくのだった。  結局のところ、面白い映画だったのかどうか、よくわからない。 ただし、独特の毒々しい味わいがじわりじわりと脳裏に染み渡ってくる。 作品としての好き嫌いは別にして、M・ナイト・シャマランの映画はこうでないと。
[DVD(字幕)] 8点(2016-04-30 00:42:05)(良:1票)
682.  孤狼の血 LEVEL2 《ネタバレ》 
前作「孤狼の血」は、現在の“ヌルい”娯楽映画が蔓延るこの国の映画界において、確実なカウンターパンチとなり得る“アツい”作品であったことは間違いない。 血と脂汗が入り混じって匂い立ってくるような暴力性とその熱量は、往年の大傑作「仁義なき戦い」をはじめとする東映のジャンル映画を彷彿とさせた。 昭和臭漂う血生臭い映画世界は、平成という時代の末期において、時代を越えて逆に新鮮で、センセーショナルだったと思う。  前作公開時点で決定していたこの続編に対しても期待感はひとしおだったけれど、どうなのだろう?という危惧もあった。それはやはり、前作で絶対的な主人公であり物語の中核であった“大神”の不在(死亡)によるところが大きい。 演じた役所広司の存在感の大きさもあり、あのキャラクターが不在で、果たしてこの映画世界のテンションが保持されるものだろうかという不安が拭えなかった。  だがしかし、結果的にはそういった危惧は杞憂に終わったと言っていい。  役所広司の跡を文字通り引き継いだ松坂桃李が主演俳優として気を吐き、新たな敵役として登場した鈴木亮平が圧倒的な存在感を放っていたからだ。 両者は終始敵対するキャラクターでありながらも、ストーリー展開と共に己に孕んだ狂気を相互に高め合い、最終局面で爆発させる。 そのキャラクター描写とストーリーテリングは、現実離れしていて殆どファンタジー。全くもって常軌を逸しているけれど、それをまかり通す映画的エネルギーに溢れていた。 特に鈴木亮平が演じた“上林”のキャラクター造形は凄まじく、凶悪性、残虐性を超越したその「絶対悪」ぶりは、国内映画において近年稀にみるヴィランを作り上げており、松坂桃李演じる日岡と正対するもう一人の主人公としてキャラクター性を高めていたと思う。  主人公二人の狂気と凶悪に引き寄せられるかのように、その他のキャラクターもみな悪人揃い。言うなれば“狂気乱舞”の愚かな人間模様が、本作に相応しい娯楽性を生んでいた。 その中でも特に印象的なのは、“或る夫婦”役として登場する中村梅雀と宮崎美子。中村梅雀は2時間サスペンスの「信濃のコロンボ」シリーズでの刑事役そのままの暢気な風貌で登場するが、そのイメージ操作こそがまさに確信犯的であった。 彼らが孕む真の悪と、闇。劇中、中村梅雀演じる瀬島自身の台詞に表されていた通り、「悪意」の無い「悪」こそが最も始末が悪いということ。  両目を自らの指で圧し潰すという猟奇性極まる殺人を繰り返す鈴木亮平よりも、手料理の味見をしながら“味付けに満足したかのように”微笑む宮崎美子の方が、実は一番恐ろしい。     無論、完璧な映画ではない。 この映画における最たるウィークポイントは、女性キャラがあまり魅力的ではないということだろう。 これは前作における最大のマイナス要因でもあったが、どうやらこの監督は、男性俳優に対しては突っ切った演技指導ができる反面、女優に対する演出が大人し過ぎるようだ。 この手のジャンル映画において、濡れ場や、シンプルな「裸」描写は必須だと思うのだが、それが殆ど無いというのはいただけない。 乃木坂を卒業したばかりの西野七瀬を脱がせろ!とは言わないけれど、あのような役柄である以上、もう少し踏み込んだ演出は必要不可欠だったと思う。西野自身、求められればそれに応える覚悟はあった筈だ。 どうしても初々しいヒロインに対する演出が無理ならば、かたせ梨乃御大に“一肌”脱いでもらうくらいの心意気は、監督側に見せてほしかった、と、思うのだ。
[インターネット(邦画)] 8点(2022-05-29 00:29:07)(笑:1票)
683.  黄金の七人 《ネタバレ》 
「ルパン三世」の元ネタとなった映画らしいが、「ルパン三世」を散々観てきた者としては、むしろ「ルパン三世」の実写化というニュアンスが強く残った。 銀行の大金庫を地下から攻めていって、山のような金塊をまるごとベルトコンベアーで盗み出していく様など、まさにアニメで観たシーンそのままだったと言え、楽しかった。  展開的には、あそこまで金塊を盗み出すくだりが映画のほとんどを占めるとは思っていなかったので、多少面食らった部分はあるが、所々で小気味いい緊張感を挟んでいきテンポは良かったと思う。 ただ「黄金の7人」というからには、もう少しそれぞれのキャラクターを際立たせて欲しかった。 “教授”と“愛人”の個性はそれなりにあったが、実際に金塊を盗み出した他の6人のキャラクター性は極めて薄く、ほとんど見てそのままの「作業員」のイメージなのは残念。  物凄い大犯罪をしているのに、全体的に「呑気」な感じがすることを、映画の味とするかどうかは微妙なところだ。
[DVD(字幕)] 5点(2007-10-08 03:40:37)(良:1票)
684.  若おかみは小学生!
昨年の劇場公開時から世の好事家たちからも絶賛の嵐だったアニメ映画をようやく鑑賞。 原作となった児童文学はシリーズ全20巻(2003〜2013)が刊行されている人気作品らしいが、世代的に全く重なっていないこともあり、タイトルすら聞き覚えがなかった。 前評判が無く、このタイトルとポスタービジュアルだけを見聞きしただけだったとしたら、絶対に鑑賞に至らなかっただろう。 が、そういうあり得なかった「機会」を生んでくれるから、現代社会は有り難い。  評判通り、期待通りに、真っ直ぐに良い作品だった。 その混じり気のない純粋な“良い映画感”は、まさしく児童文学を原作にしているに相応しく、これから色々なものに成長していく多くの子どもたちに観てほしい映画だと素直に感じる。  純粋な少女の成長を描いた瑞々しい作品であることは間違いないが、幅広い映画ファンからも激賞を引き出しただけあって、描き出されるストーリーは、実のところあまりにも重く、悲しい。 何の罪もない少女のふとした瞬間に訪れた「不幸」は、理不尽で、只々辛い。 ただ、その不幸は、理不尽だからこそ、実はこの世界に生きる誰にでも起こり得る類のものであり、事程左様に身につまされる。  自分の大切な愛しい人たちといつものように笑い合っている次の瞬間に、突如としてすべてが叩き潰される。 そんな不幸の可能性は、いつだって、誰にだって、人生と隣り合わせで存在している。  もしそんなことが我が身に起きたなら……と、考えただけで辛くてたまらない。 でもね、そんな人生の普遍的な辛苦を、この映画の主人公は、明るく、やさしく、懸命に乗り越えていく。 とんでもなく悲しく、辛い運命を、その小さな体と笑顔で受け止めていく主人公。 それはもう幼気な女児の健気さなどではなく、ただひたすらに強く、魅力的な“女性の姿”だった。  人間、傷つかずに生きていけたならば、それに越したことはないのかもしれないけれど、そういうわけにもいかないのが、人生というもの。 泣いたっていい、当たり散らしたっていい、ふさぎ込んでもいい、ただその先に、そういう自分を拒まずに受け入れてくれる存在に出会えるかどうか。 人生の価値は、そういうところで表れてくるものだと思う。めちゃくちゃ泣いた。
[インターネット(邦画)] 8点(2019-12-08 01:22:48)(良:1票)
685.  アガサ・クリスティー ミス・マープル2 親指のうずき<TVM> 《ネタバレ》 
突然死した叔母、消えた老婦人、時を越えた殺人事件……。 アガサ・クリスティらしいミステリーをミス・マープルが解き明かしていく。  浮上する「謎」の実像がなかなか見えないので、全編通して“ふわふわ”した感じてストーリーは進んでいく。 ミス・マープルと行動を共にするタペンス婦人がアル中だったりするので、余計に事件の真相が現実と妄想の狭間で見え隠れする。 それはミステリーの特徴として良いのだけれど、キーマンとなる人物の存在や見せ方もぼんやりと曖昧なので、ストーリー自体が追いづらい印象を受けた。導き出された真相と真犯人にも強引さと整合性の欠如を感じた。  独特の人間模様にはドラマ性があり、ミステリーとしての面白味は充分あるのだけれど、謎に対する真相に深みは無かったように思う。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2010-10-15 10:59:17)(良:1票)
686.  エンド・オブ・ホワイトハウス 《ネタバレ》 
今作の映画的な持ち味は、時に凄惨なまでの無骨さと硬派さだろう。 これについては、何と言っても主演のジェラルド・バトラーの影響力が絶大だ。 本来、この手の娯楽大作であれば、“ヒーロー”である主人公に対しての「好感」は必然であるはずだ。 しかし、主人公の絶大な強さと無慈悲さを前にしては、安直な好感を持つことは許されない。 ただひたすらに自らに課した使命感に燃え、それを遂行する様には、ヒーローへの憧れなどは超越し………ちょっと引いてしまう。  「殺す」と決めた相手を必ず「殺す!」、というこの狂気的に愚直な主人公の姿に燃える人もいるだろうが、個人的に好感が持てなかったことは、映画全体の娯楽性においてマイナス要因であったことは否めない。最終的にはデスクワークに追いやられた男が精神を破綻させてしまっているようにすら見えてしまう……。  そして、無慈悲で凄惨過ぎる主人公のキャラクター性は、映画全体のテイストにある意味きっちりと波及している。 何せ、冒頭から人が殺されまくる。ホワイトハウスを孤立無援の状態にするためとはいえ、シークレットサービスをはじめとするホワイトハウス内のほぼすべての職員が惨殺される様は、衝撃的だった。 加えて、ホワイトハウス周辺の市井の人々も、テロリスト側の決死隊によって無差別攻撃を受け殺されまくる。 この陰惨さが、冒頭だけのもので、そこからアガっていく展開のための布石なのであれば良かったが、クライマックスに至るまでそれが抜け切らないので………やっぱり引く。  もっと娯楽性を高めるための“前振り”は、今作にも確実にあった。 ファーストシーンでアーロン・エッカート演じる大統領は、主人公相手にボクシングのスパーリングをしている。 ならば、大統領が悪役をノックアウトさせるシーンは必須だろうが! 大統領の幼い息子は、ホワイトハウス内の構造をシークレットサービスも舌を巻く程に熟知している。 ならば、息子がその知識を駆使してテロリストを出し抜くシーンも必須だろうが!  他にも、北朝鮮のテロリスト軍団がリーダーを筆頭にあまりにも狂人的な描かれ方をしている点も、現実の世界情勢を風刺しているように見せて、実際リアルじゃないなと思わざるを得ない。  そういう“ベタ”な娯楽性に欠けていたことが、こういう映画に対して、そういうことを期待している者としてはあまりにいただけなかった。 
[ブルーレイ(字幕)] 4点(2014-04-12 19:57:49)(良:1票)
687.  トランスフォーマー/最後の騎士王
「もはやナニがナンだかわからん!」のは、今に始まったことではなく、シリーズ3作目あたりから大体同じ印象をすべての鑑賞者が持っているはずだ。 このブロックバスターシリーズのファン、非ファンに関わらず、その“ワケの分からなさ”もしくは映像的膨大な物量の中で展開されるストーリーの“どうでもよさ”自体を受け入れられないような人は、そもそもこの映画を観るべきではない。その場合、非難されるべきは作品ではなく、鑑賞者の方だろう。 というわけで、前作(完全蛇足の中国観光映画)に対して、映画産業全体における危機感も含めて「0点」を献上した僕も、あらゆることを「覚悟」した上で、この150分に渡る超大作の鑑賞に至った。  先ず序盤から大いに戸惑う。「あれ?(録画リストから)間違えてキング・アーサーを再生してしまったのかな」と。 恐らくは、同年製作の「キング・アーサー」より多大なバジェットをかけていそうな暗黒時代の合戦シーンにあんぐりとした。 ただし、結果的にはこの大仰な大風呂敷の広げ方が、一辺倒だった当シリーズのエンターテイメント性に多様性を生んだとも言えると思う。  まったくもって「強引」極まりないが、謎の金属宇宙生命体であるトランスフォーマーと地球の因縁を、人類史を遡ってこじつけたことで、「ダ・ヴィンチ・コード」的なミステリーとアドベンチャー要素が加わっている。 その他にも、スパイ映画、宇宙人侵略映画、カーアクション映画、潜水艦映画etc様々な要素を増し増しに盛り込んで、胸焼け必至のボリュームでまとめ上げている。 サービス過剰の執事ロボットや、侵略者に慣れ過ぎちゃって平然とタイマンで交渉に臨んじゃうレノックス大尉など、惰性だろうとなんだろうと5作目まで続けてきたからこそ辿り着いた娯楽性も確実に存在する。  この映画世界はまさに「カオス」そのものであり、何を見せられているのかも分からなくなってくる。 が、マイケル・ベイ監督をはじめ製作陣は、そんな作風に対してとうの昔に開き直っているので、内容がどうであれその“映画づくり”においてはもはや迷いなどはなく、ワケのわからないものをワケのわからないままに堂々と作り込んでいるように感じる。 結果として、観ている側も「コレはこういうものだ」と納得せざるを得ない気持ちになってきた。  どうやら大風呂敷は更に広がり、トランスフォーマーたちとの因縁は地球という惑星そのものの誕生まで遡って、「エイリアン:コヴェナント」的な展開を目論んでいるようだ。 もう、どこまでも好きなだけ突き進めば良いと、諦観半分で応援したくなる。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2018-10-14 17:54:20)(良:1票)
688.  ローラーガールズ・ダイアリー
良い映画だった。まず最初にそう言っておきたい。 シンプルに、登場する人物たちの言動、展開される青春物語に感動した。 ベタで押し付けがましくもなりがちなプロットだけれど、それを独特の切り口で表現しており、部分的には目新しささえ覚える素敵な映画世界が映し出されていた。  この映画が“素敵”な要因は多々あるけれど、やはり何よりも挙げたいのは、二人の女性の映画人の魅力が溢れているということだと思う。  まずは主演のエレン・ペイジ。彼女の出演映画を観る度に、その不思議な魅力に知らぬ間に魅了されている。 決して印象的な美貌を携えているわけではない。背も小さく、映画のキャラクターそのままに地味な田舎娘という風貌である。 なのに、映画のストーリーが進むほどに、たまらなく魅力的になり、次第に心から彼女のことが好きになっている。不機嫌な仏頂面や、気怠そうに足を掻く仕草まで、彼女の女性としての、人間としての魅力に映ってくるから不思議だ。  そして、初監督としてこの作品を映し出したドリュー・バリモア。 正直なところ、彼女が映画を撮ると聞いても、期待は先行せず疑心の方が先立った。女優が監督業をして成功したということはあまり聞いたことがないし、彼女自体の少々破天荒な人間性からどれほどまともな映画が作り出されるものかとも思った。 しかし、結果としては、その彼女の破天荒な人生模様が、この映画の核心を築いている。 子役自体から長きに渡ってハリウッドの映画世界で生きてきて、「少女」時代に飲酒、喫煙、そしてドラッグにおぼれ、自殺未遂も図った。 堕落と苦悩を得て、再びエンターテイメント界に復活した彼女の人生観と力強さが、この映画に登場するすべての女性たちの言動に説得力を与えている。 そのことが、映画自体のリアリティに繋がり、ベタでありながら独特のオリジナリティーを醸し出している最大の要因だと思う。  己の体ひとつで、限られた空間と時間を疾走する女性たち。彼女たちの熱情は、ローラーコースを越えて、彼女たちの人生そのものを駆け巡るように、激しく美しくほとばしる。
[DVD(字幕)] 9点(2011-08-15 21:44:40)(良:1票)
689.  るろうに剣心 伝説の最期編
原作ファンとして、当然総てにおいて「満足だ」とは、お世辞にも言えない。 けれども、一作目と続編二部作通じてこの映画化シリーズは、“漫画の映画化”作品として充分に「及第点」と言えるものだったと思う。  他の漫画以上に極めて“マンガ的”な原作のビジュアルを忠実に再現しつつも、“実写化”するにあたって、ギリギリ許容範囲のリアリティラインをキープし続けたことは、NHK出身の監督らしい流石の堅実さだったと思う。 ヘタなCGを乱用して、奇天烈な人体描写や大仰な必殺技を実写で見せられていても、おそらく引いてしまうだけだったろう。  実写での表現が難しい原作での見せ場を敢えて回避し、代わりに、香港仕込みのアクション監督を呼び、今作ならではの新しいアクションシーンを構築してみせたことは、この映画シリーズ最大のハイライトだったと思う。 “チャンバラ”と“カンフー”を織り交ぜたようなこの映画のアクションシーンは、スピード感とオリジナリティに溢れ、娯楽映画として最大の強みとなっていると言える。  そして、原作ファンだからこそ断言できるが、この映画が表したアクションシーンの方向性は、「るろうに剣心」の世界観に対して決して的外れではなく、きちんと合致している。 幕末を経た明治時代初期の日本を舞台とするこの漫画には、敵味方問わず多国籍要素が入り混じり、決して自国の文化や価値観に囚われていないことが、他の作品にはないオリジナリティだったと思う。  勿論、不満もある。 最大の不満は、“十本刀”の面々の殆どが単なる数合わせで終わってしまっていることだ。 それぞれを描くには尺的にあまりに無理があることも理解できるが、十本刀好きとしては残念だった。 まあ、神木隆之介演じる瀬田宗次郎や、滝藤賢一演じる佐渡島方治ら志々雄の側近連中のクオリティーは高かったので、これ以上を望むのは高望みかもしれないが。  藤原竜也が演じた志々雄真実のキャラクター造形は、内面的にも外面的にも素晴らしかった。 はっきり言って、この最終作は志々雄真実の映画である。 今作での“志々雄真実”というキャラクターのラスボス感は、海外のエンターテイメント映画と比較しても、決して引けをとらないものだったと思う。  志々雄真実とその側近の存在感が素晴らしかっただけに、原作であった“地獄”でのエピローグシーンは観たかったがねえ……。 
[ブルーレイ(邦画)] 6点(2015-03-04 00:34:45)(良:1票)
690.  戦場でワルツを
戦争を描いた映画や小説の評において、「戦争の狂気」なんて言葉は、もはや常套句で、自分自身も何度も使ってきたように思う。 だが、実際問題、自分を含め多くの人々は、その言葉の意味をどれほど理解出来ているのだろうか。甚だ疑問だ。  「パレスチナ問題」は、ほとんどすべての日本人にとって、“対岸の火事”である。 重要なことは、先ずその自分たちの認識の低さを認めることだと思う。知ったかぶりでは、何も生まれない。  そういう「無知」な状態で観た映画であり、そうである以上、その視点からの映画の感想を述べるべきだと思った。  感じたことは、あの遠い国で繰り広げられ、今尚くすぶり続ける戦争において、人々の心を蝕むものは、もはや「狂気」などではないように感じた。 長い歴史の中で、繰り返される憎しみの螺旋、それを断ち切れない人間そのものの「業」だと思う。  だから、敢えて言わせてもらうならば、映画の主人公が抱えていた”心の傷”に対して、今更何を言ってるんだというような不自然さを拭えなかった。 問題は今この瞬間も決して解決していなくて、血を血で洗っている。そんな中で、この映画の表現は、本質的に非常に浅いように感じてならない。  特徴的なアニメーションは、映像表現としては素晴らしかったと思う。 ただし、最終的に「実状」を現実的な映像で見せてしまうのは、メッセージ性は別として、表現方法としてフェアではないと思った。
[DVD(字幕)] 3点(2010-08-28 13:45:34)(良:1票)
691.  AKIRA(1988)
大友作品自体あまり触れておらず、この手の作品には苦手な感がある僕にとっては、やはりストーリー自体に居心地の悪さと拒絶感を拭いきることはできなかった。正直「だから結局何なの?」と思ってしまう。むしろこれは難解・不理解というよりも趣味の問題であろう。だから物語自体に対するコメントはできないが、その特異なアニメーション世界は、流石に圧倒的なものを感じずにはいられなかった。特に精神世界を表現するビジュアルは、ダイレクトにこちらの脳裏に注ぎ込まれるような錯覚を覚えるほど見事だった。ただし、おそらく英語版に合わせてあると思われる、どうにも一致しないセリフとキャラクターの動きには気持ちの悪い違和感を終始感じた。
5点(2004-05-21 01:36:46)(良:1票)
692.  モンスター(2003)
もし神なるものがあるとするならば、自ら死に向かおうとする“彼女”を留め、哀し過ぎる狂気へと突き進む“愛”へと導いた理由は何だったのだろう?言葉にならない苦しみを一人の女性の運命に詰め込み、それを歩ませた意味は何だったのだろう?果たして、彼女の真の罪は何だと言うのか?渦巻く人間の業についての疑問が永遠につきまといそうで、とても苦しい。でも、結局、その答えは、“たった一つの愛”なのだと思う。苦しみと屈辱の中で生きてきた女に訪れた、とても小さな愛。その結末さえ、あまりに悲劇的な愛。その一瞬の安らぎと許しのために、彼女の生はあったのだろう。とても不条理すぎて理解さえ及ばないが、それでもそこに一寸の救いがあったことを僕は信じたい。彼女のモノローグのように、そんなものさえ罵声ともに一蹴されるのかもしれない。でも振り返った彼女の最後の瞳は、そうは言っていなかったと思う。 “最高女優”の称号を得たセロンの演技は、何の余地も無く圧倒的だ。そして、“アイリーン唯一の愛”を演じたクリスティーナ・リッチも素晴らしい。この映画はこの二人の女優の存在が無ければ成立しなかっただろう。
[映画館(字幕)] 9点(2004-12-01 16:53:25)(良:1票)
693.  ちはやふる 上の句
並べられた50枚のかるた札を前に座し、彼女は大きく息を吐く。髪をかきあげ耳を澄ます。真っ直ぐに見据える。 そのヒロインの一挙手一投足が、この映画の絶対的に揺るがない見どころだ。  “競技かるた”を題材にした人気原作漫画の映画化として、想像よりも随分と真っ当な青春映画に仕上がっていると思う。 マイナー競技を題材としたスポ根映画としては、「シコふんじゃった。」や「ウォーターボーイズ」等の過去作と比較して決して目新しい要素はないけれど、だからこそ「王道」を貫いていると言え、素直に感動的だった。  また“競技かるた”という“スポーツ”の競技性も、想像以上にアクション性に富んでおり、諸々の駆け引きや技術論の妙は、映像化されることでその「面白味」が引き出されていたと思う。 スポーツと文学とが文字通り「合体」したこの競技の持つ特性は、日本人だからこそ高められた独自性豊かな文化のようにも感じ、とても興味深かった。そして映画の構成上でも、その特性が巧くエンターテイメントとして表現されていたと思う。  と、作品そのものが青春スポ根映画として充分に及第点なのだが、それを二の次にしてしまう魅力を放っているのが、前述のヒロインを演じた「広瀬すず」に他ならない。  その圧倒的な美少女ぶりを武器にして、今彼女は数々の映画に引く手数多だ。特に今作のような漫画原作映画のヒロインでのキャスティングが立て続けである。 “流行りのアイドル女優”というレッテルを否定的に貼り付ける風潮も一部見受けられる。  今の「広瀬すず」が“アイドル女優”であることは否定しない。 ただしその“アイドル女優”としての格は、日本映画史上において、かなりとんでもないレベルに達していると思う。  かつての「宮沢りえ」や「原田知世」、「薬師丸ひろ子」らそうそうたる歴代アイドル女優の系譜に並び立ち、同年齢時での比較では彼女たちを凌駕する存在に成っているのではないか。 それが、一映画ファンとして、昨年「海街diary」を観て、今年「怒り」を観て、「確信」したことだ。  類まれな美貌もさることながら、「広瀬すず」の女優力の根源には、そこらの若手女優と比較してずば抜けた身体能力の高さと勘の鋭さがあると思う。 特に今作にはそれらの要素が存分に表れていて、彼女以外がこの映画のヒロインを演じたならば、“競技かるた”というスポーツが内包する迫力と魅力は、現状の半分も表現されなかっただろうと思える。 今作ではスーパースローが多用されているが、アクション描写における瞬発力や身体の動かし方、弾いた札を追う目線に至るまで、しっかりと「表現」が出来ているのは、この女優の身体能力と勘の良さがあってこそだと思う。  そういった演技力云々以前の存在感の強さとそれに伴う絶対的な輝きが、「広瀬すず」という女優が特別な理由だと僕は思う。 この先、この女優は多くの人に認められ、そして多くの人に嫌われることだろう。スキャンダルにも苦しめられるかもしれない。 眩しすぎる光は、往々にして、羨望や嫉妬と共に拒まれるものだ。  そういうものを全部ひっくるめて、「広瀬すず」という大女優の原石が背負った宿命だと思えてならない。
[DVD(邦画)] 7点(2016-12-07 00:15:35)(良:1票)
694.  ゴーストライター
ロマン・ポランスキー監督の“巨匠ぶり”に改めて感じ入ることができる映画であることは間違いない。が、敢えて今回は主演のユアン・マクレガーに言及したい。  意味の捉え方次第で善し悪しは変わってくるが、ユアン・マクレガーはスター俳優としては珍しいくらいに存在感が“軽い”。 あれほど特徴のある顔立ちをしていながら、どんな役柄においても必要以上の存在感を示さない。だから、どれほどの大バジェット映画の人気キャラクターを演じようとも、そのイメージが俳優としての彼自身に固執されず、どんな映画のどんな役柄で登場しても観客は一旦フラットな状態で彼の立ち振る舞いを追うことが出来るのだと思う。 だからこそ、映画の規模と演じるキャラクターの性質に関わらず、とりあえずフィットしてみせることが出来るのだと思う。  そんな特異な性質を持ったスター俳優にとって、今作の役所は特にハマリ役と言っていい。 “ゴーストライター”を生業とする主人公が、英国元首相の自叙伝の執筆に携わることから始まる“巻き込まれ型ミステリー”。 まず印象的なのは、主人公には役名が無いということだ。明確に実在する平凡なキャラクターとして登場するにも関わらず、名前がことごとく紹介されない。ある部分では明確に省かれ、ある部分では主人公自身がはぐらかし、ある部分では名前を覚えてもらっていないという設定で済まされる。  目の前の謎を盲目的に追い求めていく主人公の行動を中心に物語は進んでいくが、しばらくすると、名前が明示されないことも含め、彼のキャラクターがとても軽薄なものとして意識的に描かれていることが分かる。 巨匠が描き出す上質なミステリー調子の中で、徐々にストーリー以上に主人公の男の“存在性”そのものが静かに際立ってくる。  そうして導き出されるあまりに印象的で巧いラスト。 物語自体の衝撃や驚きだけに頼らず、卓越した映画術の巧さと、キャスティングの妙で紡ぎ出した洗練されたサスペンス映画の世界を堪能出来た。
[DVD(字幕)] 7点(2012-02-21 16:32:29)(良:1票)
695.  ターミネーター:新起動/ジェニシス
“今更”になって新シリーズ化される「ターミネーター」というコンテンツに何を期待すべきか。 この映画を楽しむためには、その前提となる価値観をどこに設定するかが重要になってくると思う。 個人的な結論を言うと、僕自身はしっかりと楽しむことが出来た。今夏を彩るエンターテイメント大作の一つとして、充分に満足に足るものだったと思う。  今作において、期待すべき価値観は、一つだ。 それは、アーノルド・シュワルツェネッガーというアクション映画スターが、再び「ターミネーター」という世界観の中で息づいているという事実そのもの。 完全に風貌が衰えようが、アーノルド・シュワルツェネッガーが“T-800”として躍動するその様を観た時点で、映画ファンとしてあまりに感慨深いものがあった。  「ターミネーター」シリーズとして捉えたならば、確かにストーリーテリングは粗く突っ込みどころも満載である。 「教育中」とはいえ、あまりに人間臭くなりすぎている“T-800”のキャラクター性の変化は、もはやセルフパロディに近く、時にコメディ映画にすら見えてくる。 しかし、その破綻ぶりすらも、稀代のアクション映画スターがそこに帰ってきたという喜びに凌駕される。  こんなものは「ターミネーター」ではないという批判はごもっともだ。  ただし、この映画シリーズが、幾重にも枝分かれした時間軸を描いてきたこともまた事実。 1984年にボディービルダー上がりの俳優がロサンゼルスに降り立った瞬間から、「未来」は幾つもの可能性を秘めたパラレルワールドを孕んだのだ。 ならば、感情を持たない筈のターミネーターが不器用にニカッと笑う世界があったとしても、何ら不思議ではないと思える。
[映画館(字幕)] 7点(2015-07-26 22:44:07)(良:1票)
696.  SAYURI
言いえて妙だけれど、“一国の文化”というものは、他国のそれと交じり合うことで、初めてその「本質」と「価値」が見出されるものなのではないか、と思う。 異国の捉え方と表現方法によって、自国の人々が“知らなかった”価値が生まれることもあるのだ。そういうことをこの映画は、燦然と見せつける。 「芸者」という女の生き方。望まぬままにその「運命」へと導かれ、その道程を生き抜いていく一人の女の様があまりに激しく、あまりに美しい。 辛苦の末にようやく手に入れた待ち望んだ“ぬくもり”。 しかし、それでも彼女は「芸者」なのだ。その人生には、もはや神々しさすら覚える。 必ずしも日本という国と芸者という文化を「リアル」に描こうとせず、その文化がもつ本質的な「美意識」を最大限に優先して描かれた映画世界が素晴らしい。 台詞の中に、英語と日本語が混在する脚本&演出方法にも、全然違和感がなく、演者の表現力を最大限に引き出す効果へと繋がっていると思う。 冒頭にも言ったが、他国の文化との“混じりあい”が、素晴らしい世界観を生み出した要因だ。 この作品は、どうやったって日本人だけでは、描ききることができない「日本映画」だと思う。 
[映画館(字幕)] 9点(2005-12-14 01:59:59)(良:1票)
697.  ルパン三世 東方見聞録 ~アナザーページ~<TVM>
ルパンと次元以外の主要キャラクター声優陣の入れ替えからまだ日は浅いが、既に“馴染んでいる”と感じられたことは、極めて高いハードルに挑んだ新しい声優陣を賞賛すべき要素だと思う。 先だって放送されたテレビアニメシリーズ「LUPIN the Third -峰不二子という女-」の成功を経て、新キャストチームの結束が順調に固まっていることは、ファンとして喜ぶべきことだろう。  今回のテレビスペシャル版には、「LUPIN the Third -峰不二子という女-」で見せた淫靡で挑戦的な趣向は一切無く、毎度おなじみのテレビスペシャル版という趣だった。 プロット的には、「いったい何番煎じ?」と思わずにはいられないお決まりのパターン。 不二子にそそのかされたルパン一味があるお宝にまつわる謎を追求する中で、謎を解明する核心となるヒロインが絡み、ヒロインを守りつつ謎を解き明かしお宝の正体に辿り着く。 最終的には、“カリオストロ”以来定番の「俺のポケットには大き過ぎらぁ~」的展開で、ルパンは何も手に入れぬまま、銭形警部に追われつつ去って行く。。。  目新しさなんて何もなく、もはやそういうことをこのテレビスペシャル版で求めることはお門違いにも思えてくる。 ここまでくれば「水戸黄門」と同じ領域であり、決まりきったプロットを受け入れ、楽しむ努力をしなければならないのかもしれない。  と、なんとか許容したい気持ちの一方で、「名探偵コナン」のアニメスタッフが担ったらしいアニメーションの造形は極めて安っぽく、画的な格好良さがまるでないことは、大きなマイナス要素と言わざるを得ない。  「LUPIN the Third -峰不二子という女-」のテイストでの続編か映画版は、引き続き激しく希望。
[地上波(邦画)] 3点(2012-11-18 00:51:44)(良:1票)
698.  ゴジラ対メカゴジラ
「駄作」だらけの、昭和“プロレス”時代のゴジラ映画の中では、なかなかどうして“楽しさ”だけは随一と言える作品だったのではないかと思う。(無論、この時代の他のゴジラ映画もつぶさに観てきて、ハードルを下げきった上での鑑賞だったからだろうけれど……)  まず何と言っても、シリーズ初登場となる“メカゴジラ”の娯楽性溢れる存在が良い。 ブラックホール第3惑星人という荒唐無稽な宇宙人が操るこの機械仕掛けの大怪獣の存在性は、良い意味で東宝特撮映画ならではの馬鹿馬鹿しさに溢れている。 文字通り全身から放たれる兵器によって、対するゴジラを苦しめ、一旦は瀕死の状態まで追い込んだ戦績は、長きゴジラ映画シリーズにおいても賞賛に値するのではないかと思える。  あくまで「兵器」であるメカゴジラの特性上、ストーリー的な主軸が人間たちの攻防にある点も好ましかった。 馬鹿らしくて子供だましではあるけれど、滑稽な宇宙人たちとの攻防に、インターポールまで介入し、SFとスパイものが合わさったようなアクション映画的な展開は、この時代の娯楽映画の在り方として正しかったと思う。  また今作では、沖縄がメインの舞台として描かれ、キングシーサーなる土着怪獣まで登場するわけだが、この映画の公開当時、沖縄は2年前に返還されたばかりであり、それ故の風俗描写の微妙な違和感もまた興味深い。 文化面や精神面の描写で垣間見える理解度の低さが、当時の本土と沖縄との“距離感”を表しているように思えた。 沖縄が舞台にも関わらず、自衛隊も米軍もまったく登場しない展開にも、世情に対する製作者たちの思惑が垣間見える。  というわけで、今作においては、肝心の“ゴジラ”の印象は極めて薄いが、それを補うだけの娯楽性と、様々な側面での見応えはあるゴジラ映画だったとは思う。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2016-07-30 11:04:21)(良:1票)
699.  マスカレード・ホテル
オープニング、チープなCGによるホテルの外観から、狭いエントランスを通り抜け、やけに古くさくゴージャスなロビーを映しこみつつ、フロントに辿り着く。 その一連の描写を見て、“「有頂天ホテル」みたいだな”と半笑いで思った観客は少なくないだろう。  由緒正しいクラシックホテルのビジュアルを表現したかったのだろうけれど、メインステージとして描き出されるエントランス、フロントを含めたホテルのロビーの空間設計とセットが酷い。映画のセットとしての作りこみ自体は精魂こめて仕事がなされているのだろう。だからこそ、酷いのだ。 首都圏の一流ホテルという舞台設定に対して、空間のサイズ感から、距離感、インテリアの美術センスに至るまで、あまりにもリアリティが無かった。 物語の特性上、様々な人間が行き交うホテルのロビーこそが、この映画の「主人公」だとも言え、その空間の奥行きや距離感が、本来映し出すべきビジュアルとあれほど乖離していては話にならない。   “フジテレビ映画”というクレジットが無くとも、冒頭の印象通り、三谷幸喜の「THE 有頂天ホテル」の使いまわしなんじゃないかと揶揄してしまうことは必至で、実際、空間プランとしてはその通りなんだと思わざるを得ない。(よくよく見れば、キャスト的にも“三谷組”の要素は強い) そのまさしくシチュエーションコメディのような空間の中で、登場人物たちがあくまでも大真面目に、格好をつけて、奇妙な連続殺人事件の犯人を追う様が、アンバランスで、ダサくて、センスが無いなと思った。  全編通して前述の喜劇作家がちらついたからではないが、それこそコメディやパロディに振り切るのであれば、それも“全然アリ”だったのではないかと思う。  そもそも、東野圭吾の原作自体、決してミステリとして完成度の高いストーリー構成だったとは言い難く、随所に使い古された手法や、ベタなストーリー展開が目に付いた。計画的な連続殺人を描いたミステリだとはいえ、メインストーリーのテイストとしては異業種間(+男女間)のユニークな「バディもの」の要素が強く、随所にコメディ要素も散りばめられている。 著者自身、自らの過去作も踏まえて、ミステリに対するある種“メタ視点”を含めた娯楽としてストーリーやキャラクターを構築した部分も多分にあったのではないかと思える。  三谷幸喜が手掛けたら良かったとまでは言わないけれど、いっそのこと大幅に脚色して、コメディ映画として仕上げた方が、原作の本質を捉えた上で、映画作品としても完成度は高まったのではないか。  そして、その“コメディ映画”に、主演俳優として木村拓哉が挑めたならば、映画にとっても、彼自身にとっても、新しい可能性を創出する作品になったのではないか、と思えてならない。  もしかしたら、そういう目論見は存在したのかもしれない。だからこそのあのリアリティの無いセットであり、喜劇俳優の多用であり、大仰でベタな演出プランだったのかもしれない。 ただ、残念ながらそういうユニークでチャレンジングな変化を成しえた映画には当然仕上がっておらず、ただただ中途半端で盛り上がりに欠ける残念なサスペンス映画に終始している。   あと、作品の低い仕上がり的にはもはやどうでもいいことだが、某有名女優の出演情報は、予告編、宣伝ポスター、あらゆる事前情報から除外し、隠し通すべきだったことは、言うまでもない。
[ブルーレイ(邦画)] 3点(2019-10-27 00:47:30)(良:1票)
700.  猟奇的な彼女
予想以上にダイレクトなラブストーリーに素直に感動した。題材だけ見れば1本の映画として昇華するには難しい素材を、笑いとインパクトを加えて非常に秀逸なラブコメに仕上げていると思う。冒頭ではだたの気の強い女だった「彼女」が映画の展開と共に実に魅力的になっていく様が、今作の最大の魅力でもあると思う。「彼女」に対する「彼」のユーモラスな存在感も欠かせないものだった。今作でも見られるような、映画としてのストレートな力強さが韓国映画の最大の魅力であり、日本映画には足りない部分だと思う。
9点(2004-02-05 18:48:15)(良:1票)

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