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プロフィール
コメント数 170
性別 男性
年齢 43歳
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61.  クレーヴの奥方(1999)
普通に考えれば、何故この世紀末(公開されたのが1999年)にこんな化石的メロドラマが作られたのかと首を傾げざるを得ない。原作は17世紀の小説で、現代に時代を設定しているものの倫理観だけはそのままなので、その貞操観念には苦笑を禁じえないだろう。また感情移入が望めないだけでなく、現代に設定する事で「エデンより彼方に」のような懐古調メロドラマにすらなりえず、さらにこの映画は盛り上がりが予想されるシーンを字幕のみでスルーしちゃう。画面にはキアラ・マストロヤンニが演じるクレーヴ夫人と、その親類や夫、あるいはシスター役のレオノール・シルヴェイラが座りながら/歩きながら会話をするシーンばかりが映る。オリヴェイラ翁よ、そこまでやるか。映画にストーリーという要素が欠かせないのは事実。だがストーリーだけが映画内時間の主役である必要はない。オリヴェイラはストーリーによる映画の起伏を拒否する。メロドラマという形式からここまで自由になった映画は空前絶後ではないか。ある評論家の小津安二郎評に「何を考え、何を言ったかではなく、何かを考え、何かを言うことにまつわる諸々の不自由を突き詰め、考え、そして言うことそのものをめぐっての映画を撮り続けた」とあるが、この賛辞の多くがまさにオリヴェイラにも当てはまり、そこからさらに邁進していくだろう。というのもオリヴェイラの偉大な同世代(ジャック・ベッケル、ジョセフ・ロージー、小津、マキノ・・・・等など)は皆死んでしまったが、オリヴェイラはまだ生きてますんで。オリヴェイラこそは映画史の生きた化石、最長老、八百比丘尼なのである。映画史が1世紀分丸ごと生きた映画監督の名を刻む瞬間はもう近い。 【追記】本当に刻んじゃいました(笑)
[映画館(字幕)] 10点(2007-03-22 21:28:54)(良:1票)
62.  アレクサンダー大王
1936年の日々」や「旅芸人の記録」あたりから始まるアンゲロプロスの「歴史と時空の旅」を主眼に置いた作品群はその全てが規格外で度肝を抜かれる。それは神聖な巻物を紐解いた時に感じるであろう、背徳の感覚に近い。「アレクサンダー大王」はその巻物の、まあ王様みたいなもんだ。これを読み解くのはそれ故困難を極める。キーワードは結婚式と歌合戦と銃。あと黒くて重たいコートと曇天の空も必需品。「霧の中の風景」では全開だった叙情は一度頭から放り出したほうがいいかもしれない。ついでにこの映画に流れている政治思想も無視。大衆の習俗にこそ醍醐味が盛りだくさんなのがこの映画だし、なんちゃらイズムを語るアンゲロプロスはあまり面白味がない。真面目過ぎるからだ。いや、だからこそアンゲロプロスの映画には、実はたくさん笑うところがあるのだ。それは、懸命であることを彼が一切茶化したり皮肉ったりしないからでもある。懸命さが笑いを誘うのはその人があまりに純粋であることの裏返しである。そしてこの映画の主人公アレクサンダーはそんなアンゲロプロス的人間の、まあ王様みたいなもんだ。4時間にわたる彼の栄枯盛衰を、ぜひ見ていただきたい。70年代アンゲロプロスはちょっと神入ってるですよ。
10点(2005-02-04 12:21:33)(良:1票)
63.  父親たちの星条旗
「ミスティック・リバー」を観た後の脱力感、とんでもないものを見せられた後の、どこに発散するべきか何と言い表せばいいのか分からない時に感じる無力さへの苛立ちが突き抜けて、ただその映画を「見た」という事実だけが残るという感覚。もしかしたら、見てすらいなかったのかもしれない。「ミリオンダラー・ベイビー」で徹底的に打ちのめされた時に味わった感覚とは何か違う、この何ともいえない感覚を「父親たちの星条旗」は持っているように思う。イーストウッドは多分、まったく新しい視点を発明したんじゃないのか。パンフで蓮實重彦が書いていた、有名性と無名性をめぐる関係の新たな形式、というのもあるだろうが、そんな簡単にすっぽりと収まるだろうか、少なくとも自分には納められない。「父親たちの星条旗」は現代映画への重過ぎる宿題だろう。
[映画館(字幕)] 10点(2006-11-04 22:47:57)(良:1票)
64.  デジャヴ(2006) 《ネタバレ》 
面白い、文句なし!全編是映画って感じの画面が冒頭の船爆破のシークエンスから途切れることなく持続され、目が離せなかった。特に冒頭の空撮は何度でも見たい。川を入れた多様なロングショットや、その川の周辺を囲うパトカーや警官の配置、というかこの冒頭に限らずこの映画全体としてとにかく(場所にしても人にしても)配置が見事だった。あの、タイムスリップ装置がある施設での人物配置なんてまさにいい例で、捨てキャラが一人もいない。特に黒人の研究員の表情やアクションの入れ方の上手さなんて凄いと思う。そして過去を写すスクリーン上には美しいクレアがいる。最初に彼女が振り返るシーンの素晴らしさは、ただ女優自身が綺麗なのではなく、それ以前に美しい遺体として登場するという前段の演出をしっかりとこなしたからこその表情でもあり、あのシーンで完全に武装解除されてしまったせいか、それ以降内容はどうでもよくなり目の前に繰り広げられる過去と現在の交錯に一喜一憂するしかなかった。ラストもそうなるだろうな、と思いつつトニー・スコットの演出の的確さはそれを新鮮なものとして画面上に投げかけるので「よかったねえええ」とアホみたいに感動するしかなく。いやー面白かった。「ドミノ」はまさに驚きの一言だったが「デジャヴ」はなんというか、トニー・スコットという監督のまとめ的な映画だろうと思う。そして何より大人の映画だろう。必見。
[映画館(字幕)] 9点(2007-03-18 01:10:50)(良:1票)
65.  ドリームガールズ(2006)
最初、歌唱シーンは舞台上のパフォーマンスのみであり、「ウォーク・ザ・ライン」のようなミュージシャンとその周囲の悲喜こもごもを綴る映画になるのかと思ったが、オスカーを獲ったあの熱唱女がビヨンセにリードボーカルを奪われた事に拗ねて・・・というシーンから突如通常の会話のシーンでも歌が用いられる様になる。なんだ、ミュージカル映画なんじゃん。ただ、こればかりは止めとけば良かったのに、と思う。前半の構成でやっていけばそれなりに面白いドラマとして観る事が出来ただろうが、このドラマの部分で歌の上手な方々に熱唱させておきながら撮り方はほとんどそのままという感性(脚本を映像に焼いただけ)、いやそれ以前にこの映画のミュージカル部分の拠り所は、映画史を彩ってきたミュージカル映画ではなく、今の音楽シーンで主流となっているミュージックビデオによる表現であるに違いないので、この映画には(特に後半は)映画として見るべき部分がほとんどない。ただ、アメリカ的な記号(ショービジネス、ドラッグ、映画…)が無意識的に並ぶアメリカ映画は、ダメな作品であっても最後まで退屈せずに見れてしまうのが怖い。
[映画館(字幕)] 6点(2007-04-08 18:00:05)(良:1票)
66.  グレースと公爵
フランス革命の時代が舞台になっている。今までのロメール作品を考えると驚きかもしれない。といってもこの映画で初めてエリック・ロメールの映画に触れたので、そんな事情はわからず、鑑賞中なんだか奇妙な感覚だったのを覚えている。というのも、この映画は当時のフランスの様子を全部CGで再現しているのだが、ただのCGではなくてまるで油絵のような質感で表されている。室内の場面ではうまく照明が使われていて素晴らしい出来だが、室外だと人物が背景からかなり浮いてしまっていた。この映画ではCGが全然「売り」になっていないのである。「CGでここまでやった」がなく、あくまでも「映画」を見ただけだった。そしてそのことに少なからず驚いた。ちなみにここで括弧をつけた「映画」と、例えば「私は今日○○というCG技術を駆使した映画をみた」という時に使う映画はまったく等しくない気がする。ロメールが位置づける映画という概念の中ではCGだって添え物にすぎないのだろう。大体CGはCG以上のことをやってはくれない。そういう意味でCGが映画のレベルを下げたという主旨の批判はおかしい。サイレントからトーキーへ、モノクロからカラーへ、という変化があってもいい映画は必ず出てきたし。この映画にはそういう点への警告的な意図も含まれているのかもしれない。が、やっぱりまず映画である。元恋人同士であるグレースと公爵の微妙な関係性が革命というダイナミックな変化の中で、もうとにかく揺れる揺れる。グレース役の女優、ナカナカよい。それにしても、「クレールの膝」とかもそうだけど、ロメールの映画の登場人物は「マジで!?」と思うぐらいの行動を突然やっちゃう危うさがあって、そういう意味じゃ彼の映画はキューブリックの映画よりも難解なのかもしれない。そしてそれ故にハマる。
[映画館(字幕)] 9点(2005-05-02 13:18:14)(良:1票)
67.  からっ風野郎
やくざが主役の映画となれば、我々が注目するのは彼らが一体どれだけ壮絶な死に方をするか、だ。そして女たちが彼らにどれだけ激しく振り回されながらそれでも男を愛し続けるか。と、こういう外までにおいが届きそうなとんこつラーメン風の映画はあまり好きではなかったのだが、この映画はあっさり風味で、テンポが非常によい。とんこつラーメンの特徴である食ったら止まらない中毒性も備えたままだ。なんでそうなったかというと、考えられるのは三島由紀夫や若尾文子のアップが殆ど無かったことだろう。それが役を演じる人間だけが目立つのではなくて役そのものに魅力を与えていることにつながっている。ていうか三島由紀夫かよ!?と初めはビックリしたが、時間が経つととんこつの臭みが良いにおいになってしまうのだから増村マジックといったところか。ラストもお見事。御馳走様である。
8点(2005-02-08 18:01:23)(笑:1票)
68.  旅芸人の記録
時間はこの人にとってあまり重要ではないのだろうか。いつも同じことが起きていた(場所)こそが彼にとって重要なのだと思う。記憶から思い出されるのは時間ではなくていつも場所である。時間の旅行が伝えているのは常に不変だった場所だ。ただの場所ではない。記憶としての場所と歴史としての場所が彼の映画ではいつも混在する。そしてここから人物は登場しているかのようだ。人物が、場所から発生しているというのは非常に重要な事で、というのも、アンゲロプロスが生み出す神話的空間の磁場によって時間を越えた普遍性が彼らに与えられるからだ。旅芸人たちには神話の人物名が与えられている。長い時間をかけてさえ、場所が創り出すギリシャ的なものは変わることがない。だが、それではまだ半分足りない。ギリシャはギリシャという場所であると同時にバルカン半島という場所に包まれている。ギリシャ的なものが内なる力だとすればバルカン半島は外力だろう。バルカン半島は民族同士の争いが絶えず、当然ギリシャも巻き込まれた。この辺の歴史は、もう何が何だか分からない。政権交代、内戦、外からの侵略、虐殺・・ひたすらにこれの繰り返し。この凄惨な歴史を語るためにはそれなりの語り手が必要だった。アンゲロプロスが旅芸人に託したもの。それはまさに吟遊詩人の役目だったのだろう。「ヤクセンボーレ!」と叫ぶあの曲の悲しみはもはや言葉で表現などできない。吟遊詩人でありながら、ギリシャ市民が味わった悲劇を彼らも当然味わっている。[DADA]さんが指摘するように遠景の長回しでゆっくり歩く彼らはギリシャの一般大衆でもあり、ここから彼の映画で重要な要素となる大衆と音楽の交差が見えてくる。こんなに贅沢で思索にも富んだ娯楽映画はない。最初に時間はあまり重要ではないと言ったが、例外が一つある。冒頭とラストのシーンだ。全く同じ構図で同じセリフなのにもかかわらず、見る側は全く違う印象でこのシーンを見つめることになる。4時間の長丁場がまるでこのシーンでの時間と空間の再会の為に用意されているのではないかという位の仕掛けだった。映画叙事詩の最高峰。
[映画館(字幕)] 10点(2005-03-03 12:32:13)(良:1票)
69.  カンヌ映画通り
「書かれた顔」や「トスカの接吻」等を見れば一目瞭然なのだけど、ダニエル・シュミットの映画に登場する老人は凄い。単なる数字的な加齢では説明の付かない老いがそこにはあって、何か怪物的な雰囲気が、いや、怪物だって人間の創造物に過ぎず、なんというか、物理法則の影響下から解放された特権階級みたいだ。というのも、この映画に登場するキーラ・ニジンスキーという老女が小さい頃、彼女の父つまりあの偉大なバレエダンサーであるニジンスキーが空で止まっているのを目の当たりにしたというエピソードが印象的だったからで、それに加えてキーラさんも信じられない身のこなしでダンスを披露するものだから・・・また、彼女とこの映画の主人公であるビュル・オジェ(彼女は「天国の門」を観る事が出来たのだろうか?)とが交わす視線が作り出す空間や、この映画の中で進行しているカンヌ映画祭と、ビュル・オジェがオペラグラス越しに見る昔のカンヌ映画祭との距離にみられるいかがわしさ、つまり本来交わらないものが何食わぬ顔で交じりあうダニエル・シュミット的な邂逅。最高です。ビュル・オジェ、当時42才。見えん。
[ビデオ(字幕)] 9点(2007-06-22 20:07:09)(良:1票)
70.  宇宙戦争(2005) 《ネタバレ》 
父娘の命がけの逃避行は終わりを迎え、また運の良いことに、宇宙人たちも地球に棲むウイルスによって壊滅しつつある。家族とも無事に再開を果たし、爆死確実と思われた息子も我が家のドアから登場し、父との和解を果たす。トム・クルーズが演じた父親は無事に生還したのだった。ただしこの生還には家がない。まず、2番目の旦那が妻の隣にいる以上、トム・クルーズに居場所はない。となるとどこかへ戻るしかないのだが、その再帰還地点となる場所のなれの果ては、彼が撲殺したティム・ロビンスのそれかも知れない。それにもかかわらず、あのラストでスピルバーグが用意するのは残酷なまでに理想化された再会であった。死んでいればヒーローだったろう。だが、生きているうちは「前のパパ」であるしかない。「宇宙戦争」は、スピルバーグの無邪気さが歪んだ形で提示された作品とも言えるだろうが、それ以上に歪みつつある現前のアメリカについての言及という要素も多分にあるのだろう。という事なると、最初はそう思わなかったが、やはり同時多発テロ以降の作品という色合いが強い作品と言えるかもしれない。
[映画館(字幕)] 9点(2005-09-20 15:41:37)(良:1票)
71.  ウォーク・ザ・ライン/君につづく道
非常に良い映画だった。ていうかジョニー・キャッシュという人もジューン・カーターという人も全く知らず、さらにボブ・ディランにもエルヴィスにもあまり縁がないのだが、全然問題なかった。だって映画自体が素晴らしい。ウェルメイドという枠では収まらない音響の臨場感だったりライブの光景だったり両主演の存在感だったりが心に響く。監獄コンサートのシーンは音だけで泣けてしまうし、ホアキン・フェニックスが会場入りする前のリーズ・ウィザースプーンとの距離感もすごく良い。釣りのシーンも印象深く、この映画のキーポイントとしてうまく機能している。ていうか、単にあの静かな時間の流れがとても好き。そしてなんといってもこの映画はアメリカの物語で、非常に映画映えするのである。
[映画館(字幕)] 8点(2006-04-07 19:24:34)(良:1票)
72.  リンダ リンダ リンダ
「ブルーハーツ!?熱いねえ・・・」ってしゃべるダブりの女子高生最高。屋上にマンガ喫茶経営するお前の方が熱い。「素晴らしい日々」歌っちゃってるし。遅刻の埋め合わせのために登場した彼女のギター演奏と、怪我でバンドに参加できなかった子の信じられない美声によってギャラリーが段々と体育館に群がる。大雨の体育館の中でのこの前座パフォーマンスはいまだに心の中に不思議な余韻を残している。あとぺ・ドゥナが徹夜練習の抑えきれない高揚(?)によって一人で校舎に飛び出すところ。これは本当にいいシーンだと思う。この終盤に来るまでは、笑いを狙いすぎたり山下ワールドを出そうとする過剰さに、煩わしさを少なからず感じたが終わってみれば満足(実はぺ・ドゥナとビラ配りを絡ませてくれただけで満足だったりするが)。先生が彼女達を見つめる視線にしんみり、ぺ・ドゥナがメンバーに振り向く視線にニッコリ。成瀬とは比べようもないけど、結構な視線の使い手かな?と思う。まあ、青春がテーマでもあくまでカーブを放る山下監督は、やっぱり推したい。
[映画館(字幕)] 7点(2005-08-15 21:52:06)(良:1票)
73.  パルプ・フィクション
個人的にはもっとも愛着のある映画だから客観的評価は不可能。一体何度見たことか。徹底したチープさもここまでくればある意味芸術。サミュエルLジャクソンが、「Hmm, tasty burger!」って言ってむしゃぶりつくバーガーは、マジでうまそうだ。おそらく生粋のjunk food junkieであろうタランティーノだからこそジャンクフードをうまそうに食べる角度とか構図を撮れるんだろうなあ。ユマ・サーマンとジョン・トラボルタがデートしたレストランでの食事もホント高カロリー低栄養って感じで、「ナマ焼け」って何だよ(笑)とは思うんだけど、この辺もアメリカ人の偏食度合いがよく出ている(ような気がする)。食べ物だけでも十分に語れるこの映画は、どうでもいいことやタイトルのようにチープな話の集合となっている。「どうでもいいこと」を見る目は人それぞれ全く違うけどタランティーノからはそこに愛を感じさせるぐらいだから、タランティーノの映画を語るとつい顔がほころぶし声もうわずってしまう。しかも冒頭のエゼキエルがどうとかっていう話、千葉真一の映画がアメリカで配給されたときに配給側が勝手につけた序文の引用なんだって!?降参です。ちなみにこの映画はビデオで見たほうがいいかもしれない。スクリーンで見たとき妙に照れくさかったんで。
10点(2004-12-10 13:02:05)(良:1票)
74.  ヒズ・ガール・フライデー
面白すぎた。男みたいな女ロザリンド・ラッセルとケーリー・グラントの喋りは、もはやこの映画のBGMになっている。ロザリンド・ラッセルが良いです。帽子が素敵。スカートをたくし上げて疾走、しまいには逃げる男にスピアーをかます。この躍動感。躍動感といえば、殺人囚の恋人役が男への自分の愛情を示すために窓から落っこちる、あの落ち方は凄い!「あっ、落ちた!」感が出すぎ!そうかと思えば電話の使い方のように、大量のセリフの裏側でしっかりと綿密な演出が組まれていたりして、面白いだけでは済まされない完成度を持っている。でも、面白すぎて味わう暇がないっ!
[ビデオ(字幕)] 10点(2005-12-07 01:02:13)(良:1票)
75.  ゲド戦記 《ネタバレ》 
どうも脚本が上手くない。声優の上手い下手は別にして、なんかピンと来ない。例えばゲドが「とりあえず」とか「ほっつき歩く」みたいな事を言うのだが、あなたは本当に大賢人なの?と疑ってしまうぐらいに語彙が貧弱というか。これでは、主人公に道を示す賢明な老人の存在を期待する以前の問題である。あとアレンとテルの後半の臭いセリフ群は、あれは別にそういうものだから気にはならなかったが、一箇所ダイレクトに「心の闇」と言っていた。それは言っちゃあだめでしょう。このアレンという17歳の少年の心の闇がどんなものかわからないからこそ、この映画は作られたのでは?それをそのままアレンの心の闇と言ってしまう事でワイドショーと大して変わらない着地点に降り立ってしまうような気がするが。アニメーションの技術は相変わらず高いと思った。もののけ姫のヤックル(?)のような動物は相変わらずいいし、マントの揺れ方、高所のバランス感覚等、いつものジブリ印は健在だったし、特に今回は夜のシーンが多く、暗色の映像が目立ったが、効果的な黒さが出ていたように思う。そして空のショットは相当に気を使っていたと思われ、雲の動きや色合いは演出とも上手く溶け合っていた。というわけで、ジブリ工房の仕事は相変わらず見事だったが、やはり演出家に問題があり、ポスト宮崎探しはジブリの死活問題であるに違いない、と考えながらハウルを降板した(させられた?)細田守のことが浮かんだりしたわけで・・・
[映画館(吹替)] 5点(2006-08-27 02:41:55)(良:1票)

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