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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2593
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  くまのプーさん 完全保存版
小学3年生の息子は、太っているという程ではないけれど、お腹がぷっくりと膨れている。さらに小さい頃からの服を気に入って長く着るので、段々とお腹が見えそうになってくる。 「何かに似てるなあ」と、常々感じていたが、彼を小脇に抱えながら観た映画で、「ああ、なんだコレか」と思い至った。「くまのプーさん」だ。  念願のDisney+を契約して、とりあえず何を観ようと、息子と選んで何気なく観始めた。 2011年に製作された「くまのプーさん」は観ていたが、どうやら1977年に製作(実際は1960年代〜70年代に製作された短編映画の総集編的構成)された本作がオリジナルのようだ。自分の記憶の限りでは、描かれるストーリーとエピソードの大筋はほぼ同じだったように思う。 ただ、さすがにクラシカルなアニメーションの風合いが本作には溢れ出ていて、40年前からディズニー映画を観続けて育ってきた世代としては、やはりこちらの方が馴染みやすく、物語の世界観にも没入できたように思える。  ほぼ中毒者のようにはちみつを追い求めるプーの姿は、可愛らしさを少し越えてシュールで愉快だし、彼を取り巻く様々なキャラクターたちも、みんな少しずつズレていて可笑しい。 そして、そのキャラクターたちの世界が、クリストファー・ロビンという一人の少年の“イマジナリー”が生み出したものであるという俯瞰的な視点も、作品上にちゃんと表現されていて、それがこのゆる〜いファンタジー世界に「芯」を持たせているようにも感じる。 ラスト、クリストファー・ロビンが、成長していく自分自身の変化を感じつつ、プーに語りかけるシーンは、とても愛しくもあり、とても切なくもあった。  と、「くまのプーさん」を観て、くどくどと綴ってしまう自分は、いよいよ子どもの無垢な心とは離れてしまったなあと思う。 一方、傍らで観ていた小3の息子は、キャラクターたちの言動に合わせて足をバタつかせたり、フンフンとリズムに乗ったり、挙げ句は途中で「はちみつ食べたい」と言ってキッチンに行ってマヌカハニーを舐めていた。 「ああ、これこそが正しいプーさんの観方だな」と、まるでプーさんそのものの息子に教えられた気分だった。
[インターネット(吹替)] 7点(2024-01-08 12:01:22)
2.  クレイジークルーズ
坂元裕二脚本によるNetflix作品ということで、軽妙なロマンス&ミステリーのインフォメーションを見せつつも、きっと一筋縄ではいかないストーリーテリングを見せてくれるのだろうと大いに期待した。 けれど、ちょっと呆気にとられるくらいに、想像を大いに下回る“浅い”作品だったことは否めない。きっぱりと言ってしまうと、愚にもつかない作品だったと思う。  今年は、是枝裕和監督の「怪物」の記憶も新しく、個人的には恋愛映画「花束みたいな恋をした」もようやく鑑賞して、坂元裕二という脚本家の懐の深さと、人間の営みの本質に迫る巧みなストーリーテリングに感服したところだった。 が、しかし、本作は本当に同一人物による脚本なのかとスタッフロールを訝しく見てしまうくらいに、内容が悪い意味で軽薄で、展開も適当でまったくもって深みが無かった。  冒頭から終盤至るまで、まさに取ってつけたようなロマンスとミステリが乱雑に並び立てられ、それが一発逆転のストーリー的な“浮上”を見せぬまま“沈没”してしまった印象。 主演の二人をはじめ、豪華なキャスト陣がそれぞれ面白みがありそうなキャラクターを演じているのだが、その登場人物たちの造形が総じて上手くなく、特別な愛着も湧かなければ、嫌悪感も生まれず、中途半端な言動に終止してしまっていることが、本作の魅力の無さに直結していると思う。 加えてストーリー展開としても、目新しいユニークさや発想があるわけでもなく、極めてベタな展開がただ冗長に繰り広げられるだけに思え、楽しむことができなかった。  売れっ子脚本家として多忙なのだろうけれど、こんないい加減な仕事をしていては、先は危ういなと感じてしまう。脚本家としての地位が高まれば高まるほど、客観的な意見やダメ出しを得られにくくなることは明白なので、今一度自身の創作の本質を見つめ直してほしいもの。   愚にもつかない作品だったことは明らかだけれど、ただ一点、宮崎あおいだけはひたすらに可愛かった。 この女優が10代の頃から出演作品を観続けているが、アラフォーに突入して、その風貌の愛らしさは変わらず、明暗が入り交じる人間的な芯の強さを表す表現力がより豊かになっている。 近年あまり出演作品は多くないので、2000年代のようにもっと映画の中の宮崎あおいを観たい。
[インターネット(邦画)] 4点(2023-12-28 22:00:23)
3.  首(2023)
“可っ笑しい”映画だった。 豪華キャストと巨額を投じて、とことんまで「戦国時代」という時代性と概念をシニカルに馬鹿にし、下世話に表現しつくした北野武らしい映画だったと思う。 鑑賞前までは正直なところ失敗作なのではという危惧が無くはなかったけれど、北野武監督が描くに相応しい意義のある娯楽作品だった。  冒頭、川のせせらぎに放置された無数の武者の死屍累々。その中の一つの“首なし”死体の中から蟹がもぞもぞと出てくる。何とも悍ましいそのファーストカットが、本作のテーマである人間たちの権力争いの無情さと愚かさ、そして残酷さを如実に表していた。 そこから先は、まさに「首」というタイトルを踏襲するように、“打首”のオンパレード。織田信長を筆頭とする戦国の世の支配者層から、農民上がりの底辺の歩兵に至るまで、ありとあらゆる立場の人間が、互いの“首”を巡り謀略と残虐の限りを尽くしていく。  描き出される浮世には、もはや正義だとか、良識などという言葉は存在すらしない。 武将に限らず、市中の平民、山間の農民に至るまで、ほとんどすべての人間は悪意と強欲に埋め尽くされている。 その様を傍らで見つつ、自分自身も戦乱の中で野望を抱えて暗躍する抜け忍(芸人志望)の、曽呂利(演 木村祐一)という役どころこそが、北野武本人の代弁者だったのだろう。 彼が映画の終盤で思わず呟く「阿呆ばっかりか」という一言は、劇中の戦国時代のみならず、あらゆる欲望が渦巻き続ける人の世に対する諦観だった。  映画全体の絶対的な暴力性、人間の本質に対する虚無感と脱力感、そしてそこに挟み込まれるオフビートな乾いたコメディ描写は、やはり“北野武映画”らしく、興味深い世界観を構築していた。 織田信長、羽柴秀吉、徳川家康らが揃い踏む戦国時代を描いた映画ではあるが、いわゆる「史劇」として描き出すのではなく、まくまでも戦乱の世とそこに巣食った人間たちをモチーフにした狂騒劇として、想像性をふんだんに織り交ぜて構築されたエンターテインメントだったとも思う。  最後“2つの首”を並べて、泥と血に塗れて汚らしい首の方を忌々しく蹴り飛ばす羽柴秀吉(演 ビートたけし)の身も蓋もない言動は、本作が描き出す皮肉の到達点であり、ラストカットとしてあまりに相応しい。
[映画館(邦画)] 8点(2023-12-02 12:20:02)(良:1票)
4.  クリード チャンプを継ぐ男
名作「ロッキー」の新章として、各方面からの激賞を聞き及びつつも、気が付けば8年の歳月を経てようやく鑑賞。既に人気シリーズと化し、劇場では第三弾が公開されている状況。  観れば間違いないんだから、観ればいい。 にも関わらず、なかなか鑑賞に至れなかった最たる要因として、あまりにも容易にストーリー展開が想像できてしまうということがあった。 年老いて隠遁生活をしているロッキー・バルボアの前に、かつての強敵(と書いて「友」)アポロ・クリードの息子が現れ、師弟として絆を深めつつ、稀代のボクサーとして大成していく……というストーリーテリングが、鑑賞前からくりっきりと脳裏に広がっていた。 無論、それこそが「ロッキー」に通ずるまさしく“王道”であることは理解していたが、王道なのであれば逆にこの先いつ鑑賞しても満足するだろうという思いも働いてしまい、今に至ったのだと思う。  実際に鑑賞し、率直に感じたことは、想像以上に想像通りな王道サクセスストーリーだったということ。  ボクサー王者アポロの私生児として辛い幼少期を過ごした主人公ドニーが、アポロの正妻メアリー・アンに引き取られるところから物語は始まる。 自身がチャンピオンの息子だなんて露知らず、愛する母にも先立たれ、孤児院で喧嘩に明け暮れる孤独な少年の心情は、とても悲痛だ。 この少年がボクサーとしての血統と才能に目覚め、少年から大人へと成長しながら、自ら人生を切り開いていくという王道的プロットは、想像しただけで十分に胸熱だ。  ところが、少年ドニーの登場シーンはその冒頭のみで、次のシーンでは、既に筋骨隆々の大男に育ったドニーもといマイケル・B・ジョーダンが登場し、メキシコの場末のリングとはいえ、強者としての片鱗をいきなり見せつけてしまう。さらに本業は、一流証券会社勤務、実家は大豪邸、地元のジムの先輩ボクサーにはスパーリングに挑む代償として高級車のキーを放り投げる始末。 その様からは、少年ドニーからほとばしっていた反骨心とハングリーさはすっかり消え去っていて、正直なところ、彼がボクサーへの道に固執する理由がぼやけて見えてしまったことは否めない。 無論そこには、亡き父に対する憧れと、呪縛のような血脈があることは明らかだけれど、“トントン拍子”過ぎる展開に対して、乗り切れないとまでは言わないが、少し俯瞰した立ち位置で見ざるを得なかった。  “トントン拍子”は、ロッキーとの師弟関係の構築、恋人との都合の良い出会い、大物ボクサーからのビッグマッチのオファーへと、わりと終盤まで淀みなく続くが、2つの試合シーンで、文字通りリングの只中へと一気に引き込まれた。 文字通り息をつく暇も与えてくれない圧倒的なファイトシーンが、本作をボクシング映画の新たな金字塔へと引き上げていることは間違いなく、それはやはり「ロッキー」の新章として相応しいストロングポイントだったと思う。
[インターネット(字幕)] 8点(2023-06-03 01:00:52)
5.  クライシス(2021)
“オーバードーズ(Overdose)”というキーワードで伝えられる薬物中毒に関する事故や事件に対して、遠い国の生活環境や価値観が異なる人たちの中で起こることだと、認識が浅い自分のような者にとっては、本作が描き出そうと試みた「危機感」を正しく理解するために、時間と知識が必要だったと思う。  アメリカの現代社会の中で蔓延する合成鎮痛剤にまつわる犯罪や陰謀、実害を3人の異なる環境の主要登場人物の視点から紡ぎ出すストーリーテリングは、かつてスティーヴン・ソダーバーグ監督が描いた「トラフィック」と酷似していた。 「トラフィック」は、取り扱われる題材がコカインの密輸ルートであり、ある意味分かりやすい麻薬犯罪とそれに伴う暴力や悲劇が描きされるので、危機感の実態も認識しやすく、映画としても娯楽性を高めやすかったと思う。  だが、本作で題材とされる合成鎮痛剤オピオイドは、あくまでも合法の薬剤であり、その問題の実態を理解していない無知な者には、ストーリーに張り込みづらかったことは否めない。 事実に対する無知は、鑑賞者側の責任が大きいと痛感する一方で、同時に本作のストーリーテリング自体も、決して上手くは無かったと思う。  本作の一番大きな弱点は、3つのストーリーラインが、最終的に上手く絡み合ってこないことだろう。 前述の「トラフィック」には、国境や生活環境を超えた全く異なる数々の人生がまさに“交錯”することに、ストーリ展開の面白さがあった。 しかし、本作の3つのストーリーラインは、ラストの顛末において、部分的に重なり合う部分もあるが、そこに物語としての必然性やロジックがなく、強引な印象を受けた。 ゲイリー・オールドマン演じる大学教授のストーリーラインについては、結局絡むこともなく、他の2つのラインとは題材自体が微妙に異なっているようにも感じてしまった。  主要キャラを演じたゲイリー・オールドマン、アーミー・ハマー、エヴァンジェリン・リリーは、それぞれ熱演していただけに、ストーリー的な充足感に欠ける帰着は残念だった。(エヴァンジェリン・リリーって何の映画に出てた人だっけと思いつつ鑑賞を終えて、“ワスプ”か!と後で気づいた) みんな大好きミシェル・ロドリゲスの出演や、ジョニー・デップの娘リリー=ローズ・デップが麻薬中毒者役を印象的に演じていることなど、出演陣のトピックは豊富だったので、もっと脇役を含めたキャラクターたちの顛末をしっかり描いて群像劇としての見応えを深めてほしかったとも思う。   映画作品としての仕上がりには難点があるが、本作が描くテーマ自体は、自分自身をはじめ無知な者にとっては事程左様に重要なものだったとは思う。 違法薬物ではない麻薬問題だからこそ、この映画が伝える危機感は、より身近なものとして着実に私たちの生活に忍び寄っている。いや、もはや蔓延していると認識すべき事象なのかもしれない。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-01-15 00:12:26)
6.  グッドフェローズ
暴力と虚栄を振りかざして、傍若無人な人生を謳歌するギャング稼業の面々は、揃いも揃って狂人揃いであり、愚かしく、人間的に同調できる要素は皆無だ。 ただ、その虚無的な人間模様が、まさに映画でしか味わうことが許されない情感と感触を生み出していることも事実。 マーティン・スコセッシ監督によるあまりにも有名なギャング映画は、その知名度に相応しく紛れもない傑作だった。  3年前の年明けにNetflix映画「アイリッシュマン」で、スコセッシ監督の巨匠ぶりと、彼がそのフィルモグラフィーにおいて培ってきたギャング映画の文脈を心ゆくまで堪能した。 そして未見だったこの30年以上前のギャング映画の金字塔を初鑑賞して、すでにその礎が凝縮されていることを思い知った。 「アイリッシュマン」にも出演していたロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシは、本作撮影時は40代後半で俳優としても脂が乗り切っていて、映画世界の中で文字通りギラついている。彼らの発する狂気性が、このギャング映画を唯一無二のものにしていることは明らかだった。  そしてその両名優に負けずとも劣らないギラつきを発する主人公を演じるレイ・リオッタの存在感も抜群だった。 本作以降の幾つもの作品で、レイ・リオッタという怪優は絶妙な気味悪さと共に数々の悪役やサイコパスを演じ続けていたが、本作の出演によりその映画俳優としての地位を確立したのであろうことを痛感した。昨年(2022年)の訃報を改めて残念に思った。  「グッドフェローズ(原題「Goodfellas」)」は、スラングで「信頼のおける仲間たち」という意味。 ギャング映画において、溜まり場で「こいつは良いやつだ」「俺達の仲間だ」と紹介し合うシーンはよく描かれる。ただし、その信頼関係は、あまりにも軽薄で表面的なものであり、彼らの人間関係の脆さと危うさを多分に孕んでいる。 本作においても、主人公のモノローグで「Goodfellas」の意味が説明された後、急速に彼らが築いた人間関係は虚無的に崩壊していく。  そこには、ギャングたちの愚かさが如実に表されると同時に、彼らが暴力と虚栄によって必死に塞ぎ込み抗ってきた貧しさや人種的差別、生まれ持ったヒエラルキーが顕になっていた。 前述の通り、ギャングたちの生き様に同調も同情もできないけれど、結局、自分が心の底から忌み嫌った体制に“フェラ”をすることでしか、生き延びる術を見い出せなかった主人公の顛末は、あまりに悲しく、あまりにも虚しい。
[インターネット(字幕)] 9点(2023-01-03 00:38:21)
7.  グレイマン 《ネタバレ》 
「“超人的”はやめろ バカっぽい」  “キャプテン・アメリカ”役を卒業して、ある意味「自由」になったクリス・エヴァンスをサイコパスな悪役に配し、この台詞を放たせたことが、本作のハイライトかもしれない。   「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」から「アベンジャーズ/エンドゲーム」までの各作品の指揮をとり、MCUの“インフィニティ・サーガ”を見事に締めくくってみせたルッソ兄弟による本作におけるアクション描写の手腕は流石だった。 アクション映画としての“見せ方”と“魅せ方”は、作品全編において「工夫」が張り巡らされていて、楽しく、引き込まれる。  前述のクリス・エヴァンス含め、キャスティングも良かった。 主演のライアン・ゴズリングは鍛え上げられた見事な“肉体美”と、この俳優持ち前の“憂い”で、アクション映画の主人公として申し分ない魅力を放っていた。 「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」の記憶もまだ新しいアナ・デ・アルマスは、「007」での少ない出演シーンで世界中の映画ファンを虜にした魅力を存分に見せてくれた。 また個人的には1996年の「スリング・ブレイド」以来のビリー・ボブ・ソーントンという俳優のファンなので、久しぶりの出演作鑑賞が嬉しかった。  と、アクションもキャストも最高だったのだけれど、いかんせんストーリー展開がありふれておりチープ過ぎた。 スパイ・アクションの部類である以上、もう少しストーリーテリングにおけるケレン味や小気味よさがほしかったところ。 キャストのパフォーマンスはそれぞれ安定していたはずだけれど、演じるキャラクターの言動があまりにも予定調和的過ぎるので、結果的に「凡庸」に見えてしまったことは否めない。  続編を狙っているためか、諸々の設定が未回収な箇所も多く、本作単体の結末にカタルシスが得られなかったことも大きなマイナス要素だった。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-08-15 22:25:11)
8.  狂った野獣(1976)
主演の渡瀬恒彦が、スター俳優であるにも関わらず、走行中のバイクからバスに飛び乗り、自ら運転する大型バスをド派手に横転させる、ノースタントで。 世の好事家たちの文献から聞き及んではいたけれど、この時代の渡瀬恒彦は“ヤバい”。その様は時に狂気的にも見え、故に俳優として魅力的だ。  或る深夜、ふいに古めの日本映画が観たくなり、時刻も深かったので上映時間が78分と短かった本作をサクッと鑑賞。 程よい雑多感や、荒々しい風俗描写がそのまま「娯楽」として“激突”してくるような芳しいエンターテイメントだった。  一台の路線バスに偶然乗り合わせた一般人と、悪党と、別の悪党。 それぞれが孕んでいた欲望と焦燥は、暴走するバスと同調するかのように行き場を見失い、破滅へと突き進む。 先に主演俳優の狂気的な破天荒ぶりに言及したが、この映画の登場人物たちは皆々狂っている。いや、結果的にそもそも人間がうちに秘めている狂気を抑えきれなくなったということかもしれない。  主演の渡瀬恒彦のみならず、脇役の俳優たちもみな個性的で印象的。 特に終始“小物感”を撒き散らし、衝撃的な死に様を見せる川谷拓三が見事。
[インターネット(邦画)] 7点(2022-03-27 00:30:27)
9.  クレヨンしんちゃん オラの引っ越し物語 サボテン大襲撃
ひろしの転勤により、野原一家は家族そろってメキシコにお引越し。 まず、奇妙なサボテンの実の利権を得るために地球の裏側まで飛ばされるサラリーマンの悲哀と逞しさを、父ひろしから感じずにはいられない。 そして、単身赴任を決意していた夫の想いを感じ取って、家族で着いていくと即座に決める妻みさえのここ一番の愛情も深い。  序盤の春日部の面々とのお別れもそこそこにして、しんのすけたちは海を越えてメキシコに到着、ラテンのノリに合わせるようにトントン拍子にメキシコ生活をスタートさせる。  “オラの引越し物語”の後に続く“サボテン大襲撃”という副題が表していた通り、映画はそこから一気に“モンスターパニック映画”へと転じていく。 荒涼とした乾いた土地を舞台にして、そこに住まう人々に襲いかかる怪物(=サボテン)の構図は、まさしくB級モンスター映画の金字塔「トレマーズ」を彷彿とさせ、同映画の大ファンとしてニヤリとせずにはいられなかった。  他にも、「エル・マリアッチ」や「デスペラード」へのオマージュなど、映画ファン的にフックとなる要素はあったと思うけれど、中盤からクライマックスにおけるストーリー展開としては、凡庸の一言につき、面白味を感じることはできなかった。 もう少し、B級モンスター映画なり、B級アクション映画のテイストに振り切ったり、パロディを盛り込むなどして、映画史的な文脈に沿った娯楽性を加味してくれていれば楽しかったのになと思う。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-09-26 22:41:01)
10.  クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園
子どもたちの夏休み真っ只中、例によってコロナ禍の影響で“春休み公開”から順延になった“クレしん”映画最新作を我が子らと共に鑑賞。 今作のテーマはずばり「青春」と「エリート」、シリーズ初の“学園ミステリー”なストーリーテリングの中で、“クレしん”らしいおバカなコメディと、時にハッとしたり、グッとくる展開が用意されていた。  元来エリート志向の強い風間くんに誘われて、かすかべ防衛隊の面々が、最新鋭の超エリート学園に体験入学する。 過剰にオートメーション化された評価システムに支配された学園を舞台にしたハチャメチャな展開は、クレしん映画らしく楽しい。 体験入学する冒頭シーンなどは、大晦日のバラエティ番組の定番「笑ってはいけないシリーズ」まんまであり、映画らしい大冒険展開は無い。ストーリー的にはとても小規模であり、多少話運びは雑多で稚拙だったけれど、ミニマムなコメディに振り切っていたとは思う。  ただそんな小規模なストーリー展開の中でも、“エリート”の育成に固執するあまりに闇と悲劇を生み出しかねない現代社会の縮図のような学園模様が描き出されていた。 そのあたりは、2018年の「爆盛!カンフーボーイズ〜拉麺大乱〜」でも、かすかべ防衛隊の活躍を主体にして「正義」を掲げることの功罪を深く浮き彫りにした、高橋渉監督+うえのきみこ脚本のコンビネーションが、今作でも発揮されていたと思う。  “エリート”という言葉に縛り付けられることで、子どもたちも、大人たちも見失ってしまったものは何なのか、その功罪を表しつつも、それでも風間くんがエリートを目指し続けること自体は否定せず、尊重する帰着が、実にクレしん映画らしく好感が持てた。  そして、その中であわせて描かれる「青春」というもののキラメキ。 形の無いものに憧れ、悩み、苦しみ、だからこそ光り輝く若者たちの姿は、ベタベタではあったけれど、ストレートに感動した。 まだまだ無限の可能性を持つ自分の子どもたちを横目にしながら、願わくばきらめく青春の日々を送ってほしいと強く思った。
[映画館(邦画)] 6点(2021-08-10 23:23:40)
11.  クロール -凶暴領域-
まず最初に言っておくと、“B級モンスターパニック映画”好きとしては、この映画は断然アリ。 流石は「ピラニア3D」を手掛けたフランス人監督アレクサンドル・アジャ、この手のジャンル映画の何たるかをよく理解した上で、とても丁寧な映画作りがなされている。  競泳選手の娘が、ワニと洪水の恐怖の渦を得意の“クロール”で泳ぎ切り、父娘の絆を取り戻す話。  と、この映画のプロットを文面にすると極めて「馬鹿」みたいだけれど、そういう馬鹿馬鹿しさを、大真面目にパニック映画として映し出すことこそが、“B級映画”としての醍醐味だろうと思う。 馬鹿らしいプロット、馬鹿らしいストーリー展開だと感じつつも、主人公の心情や、恐怖に至るまでのプロセスがきちんと描かれているからこそ、彼女が突如として巻き込まれる悪夢のような状況にすんなりと入りむことができる。  また、極めてミニマムな映画的題材や素材を最大化し、エンターテイメント性溢れる「恐怖」を紡ぎだしていることも巧みだった。  まず「ワニ」という題材が相当地味だ。それも、馬鹿な科学者が遺伝子操作で狂暴化させたモンスターワニなどではなく、近所の“ワニ園”にいる極々フツーのワニが襲ってくるという設定が、地味すぎて逆にチャレンジングだった。  恐怖の対象となるワニの地味さを、舞台設定を主人公家族がかつて住んでいた家に限定することでカバーすると共に、フレッシュな恐怖心や緊迫感を創出することに成功している。 更には大部分の展開を、湿地の性質も加味されたジメジメと不潔で不快極まりない地下スペースに絞り込むことで、主人公たちが味わうストレスとパニックを何倍にも増幅させている。  そして、舞台となるかつての“マイホーム”は、主人公の娘と父親が抱える“喪失”とも巧みにリンクし、そこからの脱却が、父娘のドラマをエモーショナルに盛り上げる。  襲い来るワニの精巧なビジュアルや、しっかりと迫力をもって映し出される暴風雨や洪水の災害描写を見る限り、それなりに巨額の製作費が当てられていることは見て取れる。 もっと分かりやすく仰々しい舞台設定を構築することも恐らくできたのであろうが、それをせず、あくまでも“マイホーム(家族)”の映画に仕上げたことこそが、今作の最大の狙いだったのだろう。  そういう明確な“チャレンジ”に溢れた作品だからこそ、ベタベタな王道展開にも素直にグッと親指を立てたくなる。
[インターネット(字幕)] 7点(2020-11-23 23:50:08)(良:2票)
12.  空母いぶき
どこかの阿呆のように、どんな事でも、浅はかに「曲解」しようと思えばいくらでも出来るわけで。 今現在の、この世界の複雑さと、愚かさを伴った在り方は、いつだってその“危機”を孕んでいる。 「日本」は、そういう危機感に対して、時に老獪に、時に臆病に、結論を避け、蓋を閉め続けてきた。 それは決して、一方的に非難すべきことでも、賞賛すべきことでもなく、極めて難しい選択肢の中で、苦慮をし続けてきた結果なのだろう。 ただし、そういう危うさに対して、いつまでも避け続けるわけにもいかないし、もう蓋をしようにも閉め切れない時勢に至っていることも明らかだ。 この国は、何らかの形で、この「局面」を超えなければならない。この映画の主人公が発した「ハードル」とは、まさにそういうことだ。  ならばどうするのか。 無論、その答えは一つであろうはずもないし、何が正しいかなど実際分からない。 大切なことは、導き出した方向性に対して、誠実に「覚悟」を示せるかということ。 この映画の登場人物たちは、自衛隊員も、政治家も、官僚も、ジャーナリストも、みなそれぞれに強い意思を示し、「覚悟」を示す。 その彼らの有様と、この映画で描き出されることは、あくまでも一つの価値観に端を発する「理想」であり、「空想」に過ぎないかもしれないけれど、その“姿勢”の示し方自体は、とても有意義だったと思う。  演者の部分的な演技プランのみをピックアップして無責任な難癖をつける阿呆は論外だが、しっかりと鑑賞した上で、この映画で描き出されていることと、自分自身の価値観を鑑みて、「否定」することは大いに結構だと思う。 どこまで意図的かは分からないけれど、この映画は、鑑賞者の思想や意識によって如何様にも「見え方」が異なるように仕上がっている。 この映画を鑑賞することで、避けられない「局面」を迎えているこの国の国民として、今一度自分自身の立ち位置を見極める良い機会にになり得るのではないか。   映画作品として、「完成度の高い映画だ」とは正直言いがたい。 登場人物たちに青臭く語らせすぎだし、所々再現映像のようなチープ描写もあり、映画表現としては稚拙だと言わざる得ない部分も多い。 だがしかし、製作費が限られているであろう中で、何とか苦心して映し出された海上での戦闘シーンは、きちんと緊迫感を備えていたし、日本独自のミリタリー映画として成立していたと思える。 そして、その海上の緊迫感は、日本政府の苦悩ともリンクし、この国だからこそ表現し得たポリティカルサスペンスとしても見応えがあった。  最後に、中井貴一の呑気なコンビニ店長役に違和感を感じた人も多いかもしれないが、これは海上護衛艦を舞台にした2005年の映画「亡国のイージス」を鑑賞した映画ファンならば、なかなか感慨深いギャップを孕んだキャスティングのはずだ。 本作には、「亡国のイージス」原作者の福井晴敏が企画として名を連ねており、随所にかの映画を彷彿とさせるキャスティングや設定が見受けられる。 原作自体に関連性は無いので、ストーリー性が別物であることは当然だが、同じ日本の領海上を舞台にしたポリティカルサスペンスでありながら、十数年の時を経て、自衛官や政治家たちの立ち位置が微妙に変化していることも興味深い点だった。
[映画館(邦画)] 8点(2019-05-30 23:28:20)(笑:1票)
13.  クレヨンしんちゃん 新婚旅行ハリケーン 失われたひろし
昨年に続き、クレヨンしんちゃん映画を我が子と、友人父子らと連れ立って鑑賞。 昨年の「爆盛!カンフーボーイズ〜拉麺大乱〜」は、想定を大いに超えた素晴らしい作品だった。 このアニメならではの“おバカ”コメディを全面に繰り広げつつも、しんちゃんをはじめとする子どもたちの目線を通じて「正義」という概念のこの世界でのあり方を問うという、物凄くクオリティーの高いストーリーテリングに感嘆した。  そんなわけで昨年よりも鑑賞前の期待値が上がった今作も、“クレしん映画”ならではの「時代」を映すテーマ性は盛り込まれていたと思う。 今作のテーマは、母親であり、妻であり、一人の女性である“みさえ”によるずばり「女性讃歌」だ。  数年遅れのハネムーンの地で、母親であることの苦闘、妻であることの葛藤、それらをひっくるめて一女性としての強さと弱さを等しく全面に押出しながら、アドベンチャーを繰り広げる“みさえ”の姿が眩しく、愛おしい。 今作においては、主人公であるしんのすけは、めずらしく子どもらしいポジションにおさまっており、みさえとひろしの父母の活躍に振り切った構成も中々潔い。  それはまさに、この映画を子を連れて鑑賞しているであろうすべての母親たちにスポットライトを当てるべく用意されたストーリー展開だった。  この映画の焦点とその意図はよく理解できる。ただし、“クレしん映画”としてちゃんと面白かったかというと、少々疑問は残る。 個人的には、「母親」や「女性」といったターゲットに対する焦点の当て方が、少しあざとすぎたんじゃないかと思える。 主人公・野原しんのすけの存在感が“大人しく”見えたことに顕著に表れているように、「子ども」の存在をもう少し意義深く描き出すべきだったのではないかと思う。  「クレヨンしんちゃん」の主人公は、当然ながらしのすけである。 今作でも彼はいつものようにおバカに暴れまわってくれてはいるが、どこかその言動にいつものような“熱さ”を感じなかった。 “クレしん映画”の過去作をいくつも観ているわけではないので、どうしても前年との比較になってしまうが、声優の交代も少なからず影響しているのではないかと思う。声色的に違和感はあまり無かったが、この国民的キャラクターが内包する根本的な「熱量」を、まだ新しい声優は表現し切れていないのかもしれない。  まあとはいえ、僕の横で子どもたちはちゃんと笑い、ちゃんと泣いていたようなので、変な言いがかりをつけるべきではないのかもしれないが。
[映画館(邦画)] 5点(2019-05-06 20:40:56)
14.  クリミナル 2人の記憶を持つ男 《ネタバレ》 
まず断言したいのだが、この映画は、かつてのハリウッドの大スター俳優が惰性で出演している安易なアクション映画では決してない。 主演のケビン・コスナーは、60歳を超えてなお新境地を切り開くべく、精力的な役づくりに挑み、不幸な幼少時代に脳障害を受けた凶悪死刑囚を熱演している。  その主人公の凶悪犯に、死亡したCIAエージェントの記憶を埋め込み、世界の危機を救うミッションに挑むというプロットは、字面だけをみれば馬鹿馬鹿しく思えるが、そこから生まれたドラマ性はなかなかどうして見応えがあった。  断片的な記憶を辿りながら絶体絶命のミッションを繰り広げていくというような「ボーン・アイデンティティ」的なスパイアクションの二番煎じなのだろうと想定していた。 しかし、そうではなくこの映画は、ある種「障がい者」でもある凶悪犯が、強制的な脳手術により図らずも“人間らしさ”を得て、自分が置かれた立場との狭間で苦悩する人間ドラマを主軸に据えていた。そのストーリー展開は、非常に悲しく、新鮮でもあった。  また、その物語の構図は、ダニエル・キイスのSF小説「アルジャーノンに花束を」を彷彿とさせ、深い感慨を孕んでいたと思う。  と、想定よりもずっと面白い映画であったことは間違いないのだが、ラストの顛末があまりにモ惜しい。 主人公は、世界を陥れようとするテロリストに見事に打ち勝ち、世界を危機から救う。そこまではエンターテイメントとして爽快でとても良い。 ただ、その後、埋めつけられたCIAエージェントの記憶と人格が定着し、遺族である家族たちと懇意になるという“ハッピーエンド”は、いささか安直で都合が良すぎると感じてしまった。 更には、非人道的に彼を利用するだけして使い捨てるつもりだったに違いないゲーリー・オールドマン扮するCIA支局長(無能)も「スカウトしよう」とか言い出す始末……。  せっかく「アルジャーノンに花束を」のような感慨深いドラマ性を孕んでいるのだから、最後の最後まで、あの物語性を踏襲してくれたなら、相当に感慨深い余韻を残す傑作に仕上がっていたに違いない。 束の間の“人間らしさ”が夢だったかのように霧散し、再び監獄に戻っていくケビン・コスナーの後姿を妄想しただけで、涙が出てくるのに。
[インターネット(字幕)] 7点(2019-05-04 23:50:54)
15.  グランド・イリュージョン 見破られたトリック
原題にも用いられている「Now You See Me」とは、「見えてますね」というマジシャンの常套句の意。 この原題が表す通り、この娯楽映画シリーズは、“何が見えていて、何が見えていないのか”という“トリック”を全編に散りばめながらストーリーを展開させていく。 前作は、その思惑が100%達成できているとは言えないけれど、娯楽映画としての着想そのものはユニークだったし、実力派を揃えたキャスティングも功を奏し、及第点の仕上がりだったと思う。 あからさまな酷評も割りと多かったようだけれど、この映画が“マジック”を描いている以上、素直に騙され、それを楽しむことが、観客としてのマナーだとも思った。     なので、その続編である今作においても、間違っても「あんなマジックはあり得ない」などと、分かりきった難癖を付けるのは「無粋」というものだ。 映画のストーリー上で、どんなに荒唐無稽なマジックが展開されようとも、「わあ、すごい!」と楽しめる人は心ゆくまで楽しめばいいし、もしそれが出来ないような人は観なければいい。   と、少々傲慢な“予防線”を張ってしまった感も我ながら否めないけれど、個人的には前作同様に及第点の娯楽映画を堪能できた。 奇想天外で荒唐無稽な“マジック”を「武器」にした義賊チームによるケイパー映画として、作品のテイストを前作以上に振り切ったことで、より気兼ねなく楽しめる娯楽映画に仕上がっている。   ジェシー・アイゼンバーグをはじめ主要キャストは「黒幕」や「悪役」も含めて続投となっているため、安定感はあるものの、ストーリー展開的な驚きはそれ程得られない。(モーガン・フリーマンの役どころなどは、もはやベタ過ぎる)   ただ、だからこそ王道的な娯楽を楽しめるという、“ジャンル映画”としての面白味が生まれ始めているようにも見える。 これ以上の続編はおそらく蛇足になると思われるが、義賊チームにおける“チーム感”を更に高め、愛着を得られるようになるならば、例えば「ワイルド・スピード」のような大ヒットシリーズに成長するような「奇蹟」もありえなくは無い。
[インターネット(字幕)] 7点(2019-01-03 13:40:54)(良:1票)
16.  グレムリン
クリスマス・イブの夜。自身の子どもたちへのプレゼントを傍らに、彼らが寝静まるのを待ちつつ、クリスマスらしい映画を観ようと、今作の鑑賞に至る。 僕自身が3歳の頃の映画で、ポップアイコンとしての“ギズモ”の存在は勿論知っていたけれど、鑑賞自体は初めてだった。  良い意味でも悪い意味でも“ファミリー映画なんだろうな”というイメージだったが、想像以上に楽しめた。 時折ふいに展開されるエグいブラックユーモアを多分に孕んだ描写が特徴的で、徐々にクセになってくる。 映画世界全体のクオリティは決して完成したものではなく、雑多で大味だが、その決してただの“可愛らしいぬいぐるみ映画”ではない明確な「雑味」が、ファミリー層を越えて、ウケた理由なのだろう。  CG以前の時代らしいクリーチャーの味わい深い造形もさることながら、制限のある動きを表現するための巧みなカメラワークも見事。スティーヴン・スピルバーグをはじめ、名だたる映画人たちが集った作品だけの映画的な上手さを随所に感じられた。  恐怖に絶叫しながら、ものの1分程の間に3匹の凶悪グレムリンを惨殺したママが、実は色んな意味で最強だった。
[インターネット(字幕)] 7点(2018-12-24 23:58:08)(良:2票)
17.  来る
結局、最も凶悪でおぞましい存在の極みは、お化けでも、妖怪でも、怨霊でもなく、「人間」であるということが、この物語の発端であり、着地でもあった。 その物語のテーマ性は、劇中の台詞の中にも登場するが、「ゲゲゲの鬼太郎」の時代から“ホラー”の中で延々と語られているものだろう。 ただし、そのある種普遍的なテーマ性を孕んだストーリーを、中島哲也監督が盤石のキャスト陣で映画化したならば、そりゃあ例によって“劇薬”的な映画になるに決まっている。  「下妻物語」以来のこの監督の作品のファンだ。特に直近の2作品「告白」、「渇き。」は、ただでさえ過激な原作世界に、中島監督ならではの悪意とインスピレーションを盛り込んだ映画づくりにより、クラクラしっぱなしの映画体験を食らわされた。 ビビットな映画的色彩の中で、醜く、滑稽な、人間の本質的な闇を浮き彫りにすることにこの監督は長けている。 そして、その人間描写をジメジメと陰鬱に描き出すのではなく、まるで悪魔が高笑いをしているかのような豪胆さ、即ち“エンターテイメント”を全面に打ち出してくる作風に、毎回ノックアウトを食らうのだ。  今作では、“ほぎわん”という恐怖の対象をある種のマクガフィン的にストーリーの主軸に据え、それに対峙する人間たちがそもそも抱えていたドロドロとした闇を、おぞましく、破滅的に描きつけている。 章立てされた群像劇的なストーリーテリングの中で、主要キャラクターを演じた俳優たちはみな素晴らしかったと思う。  妻夫木聡は、前作「渇き。」に引き続き、実に愚かなクソ野郎ぶりを見事に見せつけてくれる。 黒木華は、「リップヴァンウィンクルの花嫁」と似たようなキャラクターを演じているな〜と思わせておいて、一転、心の闇を爆発させる女性像を痛々しく体現する。 岡田准一は、もはや貫禄を帯びてきた俳優力で、途中登場ながら主人公としての存在感を放っていた。 松たか子、小松菜奈による中島映画歴代ダークヒロインコンビは、あまりにも魅力的な霊能者姉妹を演じ、彼女たちが再登場する続編を観たい!と思わせた。 青木崇高、柴田理恵をはじめとする脇役、端役の面々も、それぞれがキャラクターの存在感を放ち、映画世界をより重層的に彩っていたと思う。  と、総じて満足度の高い期待通りの映画であったことは間違いはない。 ただし、前述の過去2作と比べると、何か一抹の物足りなさが残っていることも否めない。 思うに、この監督と、このキャスト、そしてこのストーリーであれば、もっともっと弾け飛ばせれたのではないかと思える。 ラストの「対決」に至るまでの盛り上がり方は最高だったが、肝心の対決そのものの描写、そして映画の締め方が、この作り手にしては大人しく萎んでしまったように見えた。  いかにもなジャパニーズホラー的な起点から、自らそれを嘲笑うかのような終着へ導いているのだから、もっと爆発的で破壊的な顛末を見せて欲しかったと思うのだ。 この一抹のフラストレーションを、あの夥しい血流の中できっと生き抜いているであろう霊能者(姉)が祓ってくれることを望む。
[映画館(邦画)] 8点(2018-12-23 20:44:40)(良:1票)
18.  KUBO/クボ 二本の弦の秘密
昨年、世の好事家たちを唸らせたストップモーションアニメの今作をようやく観ることができた。 近年、ストップモーションアニメの進化が目覚ましい。 撮影技術の進化、3Dプリントをはじめとする造形技術の進化など、技術的な革新はもちろん大きかろうが、何よりも大きな要因は、観客も、作り手も、あらゆる作品に対して、本物の質感を強く求めるようになったことではないかと思う。  CG映像の隆盛に伴い、観客はもはやどんなリアルに見える映像を目の当たりにしても、驚かなくなった。映像上で何が起こったところで、「ああCGか」の一言で済ませてしまう。 言い換えれば、映し出される驚愕の映像がリアルであればあるほど、実際には触れないモノ、質感がないモノだと、無意識レベルで認識してしまっているのだと思う。 当然ながら、そういう感情を抱かせてしまった時点で、そこに観客の熱量は生まれない。観客の熱量を感じられないものに対して、作り手も熱量を注ぐことが出来なくなっている。  そこで再注目されている手段が、原点回帰的な特撮技術だったり、今作のようなストップモーションアニメなのだと思う。 人を形どったものに命を吹き込むというプロセスは、古来より世界中の文化が共通して培ってきたものであり、そこから溢れ出る芸術性と愛着感は、我々一人ひとりのDNAレベルに刷り込まれているのかも知れない。  そうして生み出された世界観とキャラクターが、これまた「物語」そのものの根幹に迫るテーマを紡ぎ出す。  「結末」があるからこそ、物語は美しく、価値が生まれる。 人は、心が弱ると、ついつい必要以上に「終幕」を恐れてしまう。 だが、結末を迎えた物語は、決してそのまま消えてなくなってしまうわけではない。  一つの物語を、また別の者が語り、紡いでいくことで、その価値は幾重にも折り重なり、新たな物語を生んでいく。 それは、「人生」の理とまったく同じだろう。  この世界は、そういうふうにできている。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2018-11-27 23:25:09)(良:1票)
19.  グーニーズ
1985年公開のこの有名すぎるアドベンチャー映画を、1981年生まれの自分がこれまで観ていなかったことには、何とも縁がなかったものだなと思う。 公開当時は4歳。劇場で観ることは出来なかったとしても、当然ながら何度もテレビ放映していただろうし、レンタルビデオで観る機会もいくらもあっただろう。全く縁遠いまま随分と大人になってしまったものだ。 先ず感じたことは、この映画をもし自分が4〜5歳の頃から繰り返し観ていたならば、きっと自分にとってもっと特別な映画になっていただろうなと思う。そういう可能性は大いに感じた映画だった。  スティーヴン・スピルバーグとリチャード・ドナーが組み、更にはクリス・コロンバスが脚本を担った今作は、オープニングクレジットから極めてテンポの良いエンターテイメント性に溢れている。 娯楽映画の玄人たちが生み出したそのテンポの良さは最初から最後まで一貫して、飽きさせることなく観客を映画世界に引き込む。 物語自体は、まったくもって荒唐無稽な絵空事でありながら、少年たちの葛藤を礎にしたジュブナイルとアドベンチャーを全面に描き出し、映画世界を成立させていることは、ひとえにスピルバーグをはじめとする超一流の映画作家たちだからこそなせる業だろう。  登場人物たちも、善玉悪玉問わずみな愛らしい。 特に、主人公のマイキーを演じるショーン・アスティンが何ともキュートだった。 この映画の往年のファンは、「ロード・オブ・ザ・リング」のサム役でショーン・アスティンが再び大冒険を繰り広げる様を見て、殊更に感慨深かったことだろう。 風貌はだいぶ変わってしまったけれど、彼が放つ仲間たちに愛される存在感は変わっていないもの。
[インターネット(字幕)] 7点(2018-10-07 16:22:52)(良:1票)
20.  クレヨンしんちゃん 爆盛!カンフーボーイズ 拉麺大乱
この世界は腹立たしい。「正義」を貫こうとすればするほど、怒りが膨れ上がる。 行き場のない怒りは、徐々に憎しみとなり益々世界は混沌とするけれど、それでは“相手”の思うツボ。 「じゃあ、どうすればいいんだ?」 “正解”ではなく、それだけではこの世界の問題は解消しないけれど、ひとつの“アンサー”をこの映画は導き出してみせている。  「クレヨンしんちゃん」映画を劇場鑑賞したのは実は初めてだった。 今作で26作目にも関わらず、鑑賞しているものは、第一作の「アクション仮面VSハイグレ魔王」と、傑作として名高い「モーレツ!オトナ帝国の逆襲」くらいで、子供の頃からアニメ放映している世代としては馴染みが薄い方かもしれない。 「オトナ帝国」然り、作品によっては世の好事家たちも舌を巻く世界観を描き出してきたシリーズであることは勿論知っていたけれど、それでも何となく「ナメていた」部分は大きかったようだ。  結論を言うと、今作は凄く良い映画だった。完全にナメていた。  序盤から繰り広げられる“おバカ”カンフー映画テイストで、圧倒的大半を占める子どもたちを和ませつつ、カンフー映画世代の大人たちの“子供心”もしっかりとくすぐってくる。 映画作品26作にも渡って土壌を培ってきているわけだから、当然といえば当然だが、「クレヨンしんちゃん」の世界観だからこそ許されるハイテンションギャグとブラックユーモアを併せ持ったコメディ性のバランス感覚には、もはや老獪な安定感すら感じる。  破天荒な展開を突っ走って、しんちゃんとヒロインが取得した“必殺奥義”で悪党を倒して大団円〜、かと思いきや、まさかの展開が用意されていた。 クライマックスからエンディングに向けて、“行き過ぎた正義”がもたらす弊害と、“正義”という概念そのものが孕んでいるアンバランスまでを描き切る大胆さにまず感嘆した。 そして、その誰も解決の見出だせていない通念的な問題に対して、しんちゃん(かすかべ防衛隊)は、彼らならではの“アンサー”を堂々と示す。  そう、腹立たしいことの多い世界だけれど、“ジェンガ”を踊って戦争をすることは出来ないし、憎しみを抱くことすら馬鹿らしくなるということ。 その光景は、一寸「なんだソレ!?」と思ってしまうけれど、紛れもない真理であり、それを臆面もなく表現することができる彼らの姿に、心が洗われる。 「そんなことで問題は解決しない」と一蹴してしまうことはあまりに安易で愚かだ。そんなことは理解した上で、今作はこの顛末を描き出しているのだから。  “ジェンガ”を踊り続けるラストシーンは、ある種の異世界のように非現実的に描かれている。もしかしたらすべては傷ついた子どもたちの「空想」なのかもしれない。 では、その「空想」を「空想」のままにしてしまっていいのか?その問いは、この世界のすべての「大人」たちに突き付けられている。
[映画館(邦画)] 8点(2018-05-06 21:53:17)
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