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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  グラウンドブレイク 都市壊滅 《ネタバレ》 
1988年のアルメニア大地震を扱った映画である。ソビエト連邦解体の3年前なので、当時まだアルメニア・ソビエト社会主義共和国といっていたわけだが特にソビエト色もなく、かえって時代は変わってきているとの雰囲気を若干出していた。 主なスタッフやプロデューサーはアルメニア出身者が中心で、劇中人物と演者もアルメニア人が多かったようだが、出所した男の一家4人はロシア人だったらしい(演者もロシア出身)。また主人公が助けた女性もロシア人だったようで、劇中の人間関係の変化でアルメニア人とロシア人の融和を表現していたようだった。  地震の被害はほとんど建物の倒壊によるもののようだったが、そもそも設計・施工の面で壊れやすくできた建物だらけだったらしい。ネズミがわずかな予兆になって突然地震が起きて、いきなりそこら中が瓦礫の山になったのは驚きがあったといえなくもない。病院が一瞬で潰れる場面があったが、現実にも病院の倒壊で医療関係者や機器類の被害が大きかったとのことだった。 ドラマとしては、感傷的で軽薄な音楽がうるさいのでTVドラマかと思うところもあるが、震災の悲劇をきっかけとした和解と再出発の物語は一応できている。親を亡くした子どもがいたが、最後のテロップで孤児はみな引き取り手がみつかったという話に結び付けていたのは悪くない。またエンディングで記録写真らしいものと劇中映像を並べて見せていたので、残された記録写真の映像化ということを意識していたかも知れない。  ほか映画のキャッチコピーは「世界を一つにした悲劇」とのことで、この時に支援を寄せた各国に改めて感謝する意図もあったらしい。フランスの犬は実際に来ていたようだが、ただ現実問題としては世界から支援が殺到したため大混乱になり、その後に国際支援のルールが定められるきっかけになったとのことだった。 日本からも国際緊急援助隊が行ったはずだが言及がないのはまあいいとして(タイミングに問題?)、"地震のエネルギーは広島原爆の10倍"という説明にだけ日本が出るのは無神経なようでもある。東日本大震災(2011)後の製作ながら日本人に見せるつもりはなかったようだが、別にそれほど友好国なわけでもなく、どうせあっちの方の国の話だからどうでもいい、と突き放したことを考えていたら、先日2023.2.6に隣国トルコでまた大地震が起きて惨事になっている。やはり災害時にはどこの国とも助け合うのが大事だ(当然だ)。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-02-11 09:44:42)
2.  クナシリ 《ネタバレ》 
ソビエト連邦生まれでフランス在住の監督が国後島で撮ったドキュメンタリーである。クがKOUでシがCHIなのはフランス映画だからである。 日本人が普通行けない場所なので何かと物珍しいが、特に自然景観が美しく撮られており、爺爺岳(1822m)の姿が見事と思わせる場面があった。対岸には知床半島らしきものが長大な山脈に見えていたが、島は戦車とゴミだらけという印象も出している。 地元社会を映した映像もあり、戦勝記念日の式典ではちゃんと軍事パレードをしていたが、モスクワでやるのと違って貧弱だったのは微笑ましい。夜には貧弱な花火も上がり、地元民にとっては年中行事のお祭りのようなものかと思った。 登場人物では、戦後の一時期に日本人と一緒に暮らした記憶のある老人の、日本の文明度や文化性に対する評価が高かったのは驚かされた。昔を知るからこそのいわば親日派が最低1人はいるらしい。  全体構成としては老人が言った「共存すればいい」というのと、会社経営者?の「議論の余地はない」が対置されたようにも見える。ただ会社経営者?の話はロシアの公式見解そのままだろうから、まともに聞けば誰でも同じことを言うだろうが、本音としてはみな老人のように思っているはずだ、というのが制作側の考えかも知れない。 一方でこれを日本人が見た場合、現時点の荒れた世論のもとではとにかくロシアとプーチンを悪として叩く、あるいは安倍元総理もセットで叩く、といった反応が出てきそうだが、さらに戦後以来の日本の風潮として、日露区別なく民衆を不幸にする国家の存在が悪だとする立場もありうるわけで、配給側としてはその辺に近いのかと思われる。個人的には特に考えがあるわけではないが、少なくとも現地住民のためだけに日本が一方的に譲歩する義理はないとはいえる。  なおこの映画とは別に、2016年に日本の読売テレビが取材した番組(最近YouTubeに上がっていた)を見たが、その中でも元島民の人物がロシア人とは仲良くしていたと語る場面があり、ロシア人の子どもらがとにかく可愛く見えたという話は印象的だった。この映画で語られていたのも単なる老人の繰り言というよりは、現実に人々が共存できた時代があったという証言と解される。 最終的には「共存」がこの映画の中心的なメッセージに思われたが、しかしこれを公式サイトのコメントのように否定的に言及して腐すのでは、映画を真面目に見ようとする気までが失せることになる。そもそも制作時点から世界情勢が変わり過ぎて公開適期を外した気もするわけだが。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-06-25 10:27:53)
3.  グーグーだって猫である 《ネタバレ》 
原作も少し読んだ。題名の由来は、最近見た映画「ビブリア古書堂の事件手帖」(2018)で夏目漱石が出て来たところで初めて気づいた(遅い)。 映画は原作とかなり雰囲気が違っており、序盤ではネコと主人公が中心の世界に見えたが、特に小豆島の男が出て来てからはネコが脇に追いやられたようになる。芸人を入れてのギャグやドタバタが煩わしく、またスポンサーの宣伝や変な外国人など、何かと気の散る要素が多い映画になっている。 なお主人公は架空の名前だが、劇中の著作名を見れば原作者がモデルなのは明らかである。大病で手術したのは事実とはいえ、実在の人物をこのように扱った映画をみて原作者がどう思ったかは気になった。本人が納得していれば別にいいわけだが。  内容的には、まず序盤で前任のネコが口を半開きにして死んでいたのが悲しい。このネコは15歳まで生きたとのことで、終盤で出た人間体も15歳の演者(大後寿々花さん、1993年生まれ)にしたのは安易な発想かと思った。しかしネコと人は同じ時間を生きているわけではなく、ネコが先に年上になるというのは面白い表現で、そう言われてみると15歳の演者も年齢不詳のように見えて来た。 物語に関しては、避妊手術の罪悪感が根底にあるように見える。あからさまに書きにくいが、主人公は年齢的に最後というあたりで新しい出会いがあったと思って期待していたところ、突然の手術で望みが断たれてしまい、自分がネコにした仕打ちを改めて思わされたのではないか。しかし前任ネコが夢に出て、恨み言をいうでもなく、以前のように心を癒してくれたので安心できたと思われる。主人公がもう終わりだと思ったその先へ、背中を押してくれる形になったらしい。 結果的には題名のネコより前任ネコの存在感が大きかったが、ほかに原作者の「8月に生まれる子供」という著作も重要だったらしい。自分にはよくわからないが、題名の原作を超えて作家の作品世界を表現する意図があったようではある。  そのほか吉祥寺の街の紹介が変にしつこいので、それ自体が製作目的の一部だったと思うしかない。「ネコの街」といわれた台東区谷中とは別に、吉祥寺では「人と猫が共生する街」として、2011年から毎年「吉祥寺ねこ祭り」というイベントをやっているらしい。別にこの映画が発端というわけでもないようだが、2015年の「吉祥寺にゃんこ映画祭」では当然のようにこの映画も上映されたようだった。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-01-30 14:28:13)
4.  黒人魚 《ネタバレ》 
邦題は読み方に困るが、原題は「ルサールカ、死者たちの湖」である。 ルサールカとはロシア限定というよりスラブ系民族に広く伝わる水の精だそうで、例えばドヴォルザーク作曲の歌劇「ルサルカ」はチェコを想定して作られたと思われる。その歌劇でのルサルカはアンデルセンの「人魚姫」のような役回りで、それが英題のmermaidや邦題の「人魚」につながっているが、基本はこの映画のような邪悪な存在と思われているようである。 水の精といっても大昔からいたトロールとか河童とかトトロのようなものとも限らず、死者が化けるものという考え方もあるらしい。この映画に関しては、1853年(ニコライ1世の時代、クリミア戦争開戦の年)に死んだ若い女性がその正体ということになっていた。ちなみに魚の格好はしていない。  そのような設定から、ファンタジーホラーというよりは心霊ホラーの印象が強くなっている。湖だけでは舞台が狭まるためか、広く“水”に関わる場所で活動する設定にしたようだが、水と無関係なドッキリもあったのは意外で笑わされた。また櫛や合わせ鏡はロシアでもオカルト的な意味づけがなされているのかどうか。 ホラー演出の面では、意外に邦画ホラーの感覚そのままで見られる映画になっている。まだ始まらないうちからの予兆や不吉感、音や人影で何かが来ている気配を感じさせるといった場面があり、また真相を知る老人を訪ねてから全ての発端になった場所に突撃し、渾身の策が成功したと思ったらそうでもなくて延長戦に入る、といった展開にも馴染みがある。終盤になると普通にモンスターホラーのようになり、映像効果が安っぽいとか弱点の設定が安易だとかいうこともあったが、全体的には少し前の邦画ホラーを真面目に作り直した感じで結構いい印象だった。 個別の場面としては、姉が弟にした思い出話はそれほど怖くはなかったが、今ではもうわけのわからなくなった昔の記憶としてはいい雰囲気を出している。エンドロールの水死者のイラストも素朴で和んだ。ちなみにヒロインは可愛い感じで結構好きだが、ルサールカももっと可愛い顔で出てくればいいがと思った。  [追記] 自分としては単純なホラーとしてしか見なかったが、他のレビューサイトを見ると(人数が多いので全部読んでいないが)人間ドラマの面で非常に参考になる投稿があった。そのように深読みもできる映画だということだ。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-10-03 08:29:13)
5.  グラディウス 希望への奪還 《ネタバレ》 
現在でいうウクライナの13世紀の話である。原題と英題は、主人公が当時のローマ教皇から王冠(ルーシ王)を授かったことを意味しているが、ただし主人公は「公国」の君主であるから、実際の称号は王ではなく「公」である。 物語としては細切れの場面を並べていく形だが、何がどうなっているのかよくわからない。若い兵士2人や暗殺未遂の荒くれ者など、登場人物として半端なのが多いのは短縮版か何かだからか。またひたすら鳴り続ける背景音楽がやかましいのはTVドラマのようでもある。全体として面白味のある話ではなかったが、陰謀の真相が最後に明かされたのは若干の意外性を出していた。 なお戦いのアクション場面はそれなりにあり、個人的には攻城戦の場面で、屋根の上が戦いの場になっていたのは少し面白かった。城郭建築が木造なのはこの辺では普通と思われる。  ところで一応粗筋を書くと、この時代のこの辺では、西から迫るドイツ騎士団と東から侵攻するモンゴルが脅威になっており、また各地の貴族勢力が安定を妨げていた。主人公の公国は、先代の死後に混乱状態に陥っていたが、主人公がまずドイツ騎士団に掣肘を加え、次に貴族勢力を討伐して公国を平定し、その上でモンゴルとは妥協して地位を保全した、という筋書きに見える。なおポーランド・ハンガリーといった周辺諸国は捨象されていたが、劇中で主人公の拠点とされていた都市は、現在はポーランド領になっている。 困ったのは、何を物語の柱にしようとしたのかわからないことである。いにしえのキエフ・ルーシの正統な後継者はロシアではなくウクライナだ、と主張したいのかと勝手に思っていたら、そのように見えなくもないという程度でしかない。ロシアでのモスクワ公国と違って、主人公の公国が現在のウクライナにまっすぐつながるわけでもないので、この地域に関わる歴史上の一つのエピソードというだけにとどまっている。またモンゴルの勢力下で、地元領主が貢納する代わりに統治を認められるのは、実際はロシアでもウクライナでも普通のことだったろうと思うが、この主人公の場合は何が特別だったのかもわからなかった。 そのほかドイツ騎士団の思惑がらみで王冠をもらえたのは喜んでいいことなのか不明だが、要は東よりも西につながるべきだと言いたかったのか。なるべく製作側の本意をくみ取ってやろうとはしたが難しい。外国の歴史映画は疲れる。  [雑記]映画と直接関係ないが、ウクライナ語のиをカタカナで表記する際、単独で「ウィ」ならまだいいとして、例えばДанило Галицькийを「ダヌィーロ・ハールィツィクィイ」と書くのでは日本人が読めない。「ダニーロ・ハーリツィキー」(またはハーリツキー)では駄目なのか。何のせいでこうなっているのか知らないが、これでは一般人には面倒くさい国と印象づけられてしまって親しみが持てなくなる。ウクライナ映画はもう見ない。
[インターネット(字幕)] 4点(2020-06-20 10:26:11)
6.  首だけ女の恐怖 《ネタバレ》 
インドネシアの映画で、英題のとおり場所はバリ島である。冒頭に出る恐ろしげな仮面や不安をかき立てる音楽が異国臭を発散しているが、しかし自分の見たDVDでは台詞が全部英語だったのが興を削ぐ。 内容としては現地の伝承に基づく妖怪映画である。原題のLeak(またはLeyak/レヤック、字幕ではレヤク)は、映画のとおり内臓をぶらさげた首を飛ばして胎児や新生児の血を吸う妖怪とされており、似たようなものがマレーシアではペナンガラン(Penanggalan)、東南アジアの他地域でもそれぞれの名前で呼ばれているらしい。また字幕で「レヤク女王」と書かれていたババアは、レヤクというよりランダ(Rangda)と呼ばれるバリ島の魔女のことではないかと思われる(以上はウィキペディア英語版より)。 なお終盤の朝日が昇る場面で「コケコッコー」というのが聞こえたが、一番鶏が鳴くと妖怪の居場所がなくなるというのは日本と共通の感覚かも知れない。また火の玉が飛ぶ場面があったが日本の人魂よりもかなり豪快だった。  全体的な印象としては、日本でいえば大映の妖怪3部作(1968~69)のようなものかと思うが、妊婦の股に顔を突っ込んで胎児を吸う(母子とも死亡)などは子ども向けとは思えない。妖怪映像は特殊メイクや着ぐるみや映像合成や特殊造形物や実物(ブタとヘビ)で作っており、これを安っぽいというのは簡単だが、日本の昭和特撮で作ってもこんなものだったのではないかと思ったりする。個別の場面では、白い布が飛んで来て勇士を縛り、勇士が布を切り裂くとブタの破片に化け、そこからブタの全体像が再構成されて、垂れ乳をぶら下げたブタのバケモノ(着ぐるみ)になるという展開は少し面白かった。 物語としては一応 ”LEAK NGAKAK”(「レヤクが笑う」?)という原作があったらしいが、アメリカ女と地元男の恋愛感情や、捨てられた女の悲哀などに心を動かされるものにはなっていない。また終盤で「大戦士」なるものが登場するのが唐突な上に、終わり方がかなり素っ気ないので拍子抜けだが、まあ昔の娯楽映画などそんなものだといえなくはない(日本の昭和特撮でもこういうのはある)。 ほかに若干のエロさを見せたり(スカートを脱がされる)性的誘惑をほのめかすような場面もあったりしたが、変に控え目というか半端な感じでかえって意図不明になっていた。ちなみにヒロイン役の白人女優は腋毛を生やしていたように見えるがそれほど特筆すべきことでもない。
[DVD(字幕)] 5点(2020-04-11 22:27:30)
7.  クロスロード(2015) 《ネタバレ》 
青年海外協力隊の50周年記念映画で、監督などスタッフにも協力隊OBが参加していたらしい。ちなみに母親役で出ている榊原るみさんはOBではないが監督と夫婦の関係である。 リアルな隊員の姿を描いた映画とのことで、いいことだけでなく受入れ側が適当だったりするといったマイナス面も見せており、また昔の日本が関わった戦争の傷跡のようなものが見えたりもする。一方で昔の日本人が残したものがけっこう皆の役に立っていたりして、少し嬉しくなる場面というのも実際あることと思われる。棚田でドジョウというのは最近あった事例とのことだが、実際の隊員は女性だそうで、公式サイトの写真では聡明な感じの人に見える。  隊員は自分の得意分野を生かした活動ができるらしく、映画の主要人物は写真家・起業家(元商社)・助産師の組み合わせになっている。それぞれの個性を発揮する一方、それぞれの人間的な限界に制約を受けるところもあり、自分としては現地の人々に溶け込めない性格なのを引け目に感じる男に共感した。また助産師は自分のやったことが本当によかったのかと悩む場面もあったが、そこは日本人として当然持っている良心のまま行動してよかったと思われる。感動的な場面も複数あった。 キャッチコピーの「ボランティアなんて偽善だ」は、いわゆる釣りだろうが単純すぎる割切りである。純粋な自己満足でしかなければ偽善になるが、相手の役に立つことをするのは全く悪くない。また純粋な自己犠牲でやるなら相手の役には立っても難行苦行だが、自分の役にも立つというならみんなが得してみんなが幸せになる。写真家の男はさんざん反抗的な態度を見せておいてからやっと納得していたが、今の若い人々ならかえってこういうのは柔軟に折り合いをつけるのではと思ったりする。 最終的には形に残らなくてもheartを残せばいいという結末だったらしい。エンディングテーマは「地上の星」を連想させるものがあって心に染みた。  なお全般的にきっちり作った映画だが、明らかに変だったのは現地の姉弟が全く似ていないことである。姉役のAlodia Gosiengfiaoという人は、Wikipedia, the free encyclopediaによると華人系のようで、若い頃のアグネス・チャン(今でなく)を思わせるタイプだったが本職としては世界的コスプレーヤーだそうである。また助産師(演・TAO/岡本多緒)は体型的に細すぎだがなかなかいいキャラになっていた。
[DVD(邦画)] 7点(2019-09-28 08:27:56)
8.  空母いぶき 《ネタバレ》 
公開前から叩かれていたので笑ったが一応見て来た。 原作に含まれている各種要素のうち、この映画では「戦争」と「人命」に絞って基本的なところを表現していたようで、うち「戦争」については敵に関する設定との関係なのか独自の定義をしていたらしいが別に悪くはない。ただ戦争映画として面白いかは何ともいえないものがあり、侵略された島に行こうとしたら途中で敵が攻撃をしかけて来て原作にある出来事が起こったというだけで、戦術的な駆け引きのようなものは特にない。また自分としては原作12巻までの間で3回くらい出た「当事者として」という言葉がなかったのは不満だが、それは日本国民にはまだ早いという判断か。  そのほか映画独自の部分として、ネットニュース記者の「燃えています」の場面は、意図はよくわからないが少し泣かせるものがあった。この人物はジャーナリストというよりも、戦闘の現場をじかに見てしまった一般人の位置付けのようでもあるが、あるいはこの映画としても既成のマスコミに期待するものはないと考えているのかも知れない。 また人命に関わることとして、救助された敵兵が逆上して自衛官を殺害してしまい、同僚が報復しようとして止められるエピソードが入っている。ここは敵とはいえ未来のある若者を、殺してしまうのでなく改心させるのが大事という意味かも知れないが(いわば少年法の精神?)、しかしそういう目的のために柿沼1尉を犠牲にしたのは絶対に許せない。自分がこの場の責任者でも止めるだろうからそれは仕方ないにしても、こういう話をわざわざ入れるこの映画を憎まずにはいられない。本当に守ろうとするのは誰なのかを厳しく考えることもなく、八方美人的に綺麗事を言ってみせる映画など全く求めてはいない。 なお最後に紛争を終結させた驚愕の出来事は、もしかすると日本国憲法前文でいう「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」するとの理想を表現したものではないか。ここは専ら憲法を愛する人々へのサービスのようでもあるが、そもそも敵に関する設定が原作と違って荒唐無稽なため現実的な切迫感もなく、何か異世界ファンタジーのようなものを見せられた気もした。  そういうことで原作読者として満足できるものでもないが、最低限、原作の存在を世間に知らしめるという意義はあるので、世間の評価はどうでもいいからとりあえず話題にはなってもらいたい。ちなみに原作は今年中に完結とのことで期待している。   [2019/12/07追記] DVDで再度見たが、やはり柿沼1尉の件は許しがたい。わざわざ妻子の顔を見せて「替えは利かない」と言わせておいてから死なせるなど極めて悪趣味で、制作側には人の心というものがないのかと疑わせる。 また公開中は少し遠慮していたがあえて書くと、最後に取ってつけたように外交の心得だか極意のようなものを説明するのが煩わしい上に、大きい国が小さい国を追い込むな、などと突拍子もなく語らせるのは不快感を催した。こういう誰の意向を斟酌したのか不明な主張で話を逸らしてしまうのは、映画というメディアの不自由さなのか作り手の独善性なのか。 もう一つ、公開時に見て気になっていたのは、ラスト近くの「こんな時間に開いてる店あります?」「何でもありだよこの街は」というやり取りである。これがどこまで現実味のある話なのかわからないが(東京だとあるのか)、そういうのこそが世界に誇れる日本の底力だ、と言いたいのなら話はわかる。 [2020/02/13変更] ニュージーランド映画「米中開戦 20XX年:悪魔のシナリオ」(2019)との相対関係でマイナス1点とする。 [2020/07/27変更]「みんなのコミックレビュー」に原作のレビューを掲載したので、この機会に映画の方をさらにマイナス1点とする。
[映画館(邦画)] 3点(2019-05-25 10:53:16)
9.  女忍 KUNOICHI 《ネタバレ》 
忍者の映画だが、口で伊賀だ甲賀だというばかりでスケール感が全くなく、登場人物のいる場所以外に世界が広がっている感じが全くしないのは低予算なのだろうから仕方ないと思うしかない。しゃべり方が現代語っぽいので、序盤で登場人物が手に持ったものを見ようとしたときにまさかスマホではないだろうなと思った。 設定としては伊賀国の住民が近江国甲賀郡で女人狩りをしていることになっており、どちらかというと伊賀が悪者だが、甲賀の方も特に善玉ということではないらしい。忍者物であるから史実度外視でどうでもいいのだろうが、三重県伊賀地域と滋賀県甲賀地域の住民の皆さんはこういうのを見てどう思うのかと一応思ったりはする(今も戦っているのか)。なお女人狩りの従事者はあらかじめ去勢されるというのは徹底していて少し感心した。去勢されても家系が代々続くのは主に次三男が従事させられるからだと思われる。まことに非人道的だ。 話の展開としては、単純に主人公が大活躍して男を全員殺せば済むのだろうと思っていたら終盤で意外な展開があったりして、さすが映画であるからには少しひねってあったらしい。最後の大殺戮が映像化されていなかったのは落胆したが、そこは低予算なのだろうから仕方ないと思うしかない。悲しげな青空を見ながら終わりである。  なお自分としては武田梨奈さんがアクションをやっている映画を初めて見た。このとき満19歳で可愛らしくもあるが、宣伝文句にある「哀しみを湛えた瞳で敵を見据え」というあたりの表情は今一つな感じもした。また自分としては別のところで見た藤澤志帆という女優(紫の人)にちょっと注目していたが、劇中人物としては乱暴な扱いをされているので可哀想だった。そのほか冒頭の母親役で鵜飼真帆という人が出ていたようで、慣れない鍬の作業はお疲れ様に見える。どうもアクションに関心がないので女優の顔ばかり見てしまうが、ちなみにエロい場面は特になかった。
[インターネット(邦画)] 4点(2019-01-06 18:59:38)(良:1票)
10.  クハナ! 《ネタバレ》 
三重県桑名市(合併前の旧多度町)の小学生が急造のジャズバンドで大会に出る話である。当然ながら「スウィングガールズ」(2004)を思い出すが、あっちと明らかに違うのはメンバーにまだしも可愛げがあることである。 「文部科学省選定」(平成28年8月)とのことでご立派な映画のようだが、Cカップとか孫を作れとかスナックでのやり取りなど聞いているととても子ども向けには思えない。…と思ったら社会教育用/教養/青年向き・成人向きとのことでお子様専用でもないらしい。それにしても最初から最後まで笑わせにかかるふざけた映画のため、どこが「社会教育」「教養」なのかわからない。  現地の事情は知らないが、これを見て意外だったのは登場人物の言葉がほぼ関西弁のように聞こえたことだった(「半分の月がのぼる空」(2009)ではもう少し微妙だった気がする)。言葉だけでなく登場人物のやり取りが終始漫才のようで、かなり深刻な場面にもコントを入れてみたり、新生ジャズバンドの名前(映画の題名そのもの)に口々に突っ込みを入れて貶める場面があったりもする。また顧問の自宅に子どもらがなだれ込んだ場面や保護者を集めた場面など、視点を固定して群像を見せるのが舞台演劇のようでもあり、大阪の演芸場で喜劇を見ているような気もした。 しかし言葉が関西の割にコンテストは東海ブロックだったり、また多度山の展望台(多分)からの眺望では名古屋のものらしい高層ビルが見えたりして、基本的には中京圏に属するという微妙さが地域性の表現なのかも知れない。ちなみにハマグリは言葉でしか出なかった。  物語としては何がいいたいのか不明だが、学校が廃止されるとか外国人労働者が大挙流入して地元民が失職するなど真面目に深刻な話も全部笑い飛ばして楽しもうというなら結構なことで、全く関係ないところの住民である自分も楽しめた(笑わされた)のでよかったということにする。終盤の展開だけはさすがにないわーと思ったが、これぞ即興性の極致??ということで納得しておく。 なお個別の台詞で心に残った(笑った)のは「あっ、松永さんが横切った」という、まるで黒ネコが道を横切ったかのような物言いだった。その松永さんは非常に愛らしく映っており、現地採用の子役の中では一番得な役回りのようだった。
[DVD(邦画)] 7点(2018-09-29 18:57:56)
11.  空人 《ネタバレ》 
特攻隊の生き残りの話である。主演の奥野匡氏は撮影当時おそらく87歳、昭和20年では17歳だったはずで、このあたりの世代(昭和一桁世代)に向けた映画とすれば対象はかなり限定的ということになる。戦後世代向けには全く見えないが、世代が違っていてもわかる限りはわかろうとしなければという気にはさせられる。 全体の中で特攻隊の部分は意外に短く、兵舎が中心で戦争映画としての派手さはないが、零戦が飛ぶ映像だけは作ってある。題名の意味は特攻隊に由来するのだろうが、残念ながら自然に納得する感じではなかった。  現代パートは、悔いを残して生きてきた主人公が人生の終わりを予感したことで、これまでのことを清算しようと思い立ってからの話になっている。もう近所に戦争の話をする相手がいなくなった、と劇中人物が語るのを聞いて思い出したのは、自分の身内でも、戦時中に航空隊に志願?したが軍医に耳をほじくられて中耳炎になって帰されたので今も生きている、というような話をする者がいたことである(故人)。自分が死ねばそんなことを知っている者もなくなるはずで、そういう形で人は死んで忘れられて記憶も失われていくのだと、変に達観するような気分にさせられた。 主人公も序盤から健康上の不安が見えており、“向こうに連れて行かれる”話まで出ていたので、この人物ももう終わりだということは強く印象づけられていたが、しかしその上での最後の場面は非常に意外だった。なるほど主人公も自分のことだけやれば済むわけでなく、生き延びたことで新たな責務を負ってしまった面がある。あの世に行くのも当分延期だな、という清々しさがあり、要は“死ぬまで終わりはしない”という物語だったのかと思った。息子の妻もかわいい感じの人で、年の離れた女性に好かれているのは羨ましい。  なおヒロインは対象世代に合わせてかなり古風な人物になっているが、演者の高橋かおりという女優は相変わらずの美形である。これとは別に思春期向けの青春映画など見ていると、あまりに主人公(男)にとって都合のいい展開になっていて呆れることがあるが、この映画も年代は違うが若干そういう雰囲気がなくもない。どうやら男は死ぬまで夢(妄想)をもって生きるということらしい。 ちなみに原作を読むと、この映画がいかに一般向けに抑制を効かせて手際よくまとめてあるかがよくわかる。点数の内訳は映画が8、原作が-1である。
[DVD(邦画)] 7点(2018-09-07 22:12:29)
12.  口裂け女VSカシマさん<OV> 《ネタバレ》 
ひたすら逃げる映画である。最初の出現時には、歩道のフェンスも自転車小屋も乗り越えてひたすらカメラと鎌が迫るのを見て少し期待できるかと思ったが、その後はただ逃げるだけになる。夜になって登場人物がやっと周囲に助けを求め始めたので少しずつ進歩しているのかと思ったが、同じ行動様式を最後まで続けるのでは呆れてしまう。 しかし途中でこれは画期的だと思ったのは、人のいないところばかり狙ったように走っているのを登場人物が自覚していたことである。これは制作上の都合を登場人物に語らせるメタフィクション構造ということか、あるいは観客の心理を代弁させたということなのか。また宣伝に出ていた「渾身の長回し」というのは、地下駐車場で柱の周囲を回る場面がそうだったのかも知れないが(前後含め約5分)、見た結果としての感想は「さっきの、何だったの」「おれもわかんねえよ」という発言の通りで、ここも登場人物と観客の一体感をわずかに出していた。  今回登場の二大キャラクターはそれぞれ独立の存在のはずだが会えば対立するようで、ゴジラのような二足歩行怪獣の脅威が迫ったところに、脇の方から別の怪獣がのそりと這い出して睨み合う、といった昭和怪獣特撮を思わせる場面もあった。ちなみに二大キャラクター以外にヒトコワ系変質者が出たのは唐突で意味不明だったが、ここは何らかの必然性があったのかどうか。 最後に追い詰められた(自分で追い詰まった)場所は、「SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ」(埼玉県川口市上青木3-12-63)の屋上だったようである。ここでの出来事も理解不能だが、あえて解釈すれば都市伝説のキャラクターは人の心の負の感情からできており、破裂して飛び散ったものを浴びた2人がそれぞれの内面をさらけ出してぶつかり合ったことで相互理解に至ったという感じか???? …結局よくわからないが、ちなみにいえば口裂け女の本質が「追いかけても届かない」ことだというのでは恐れられる理由がなくなり、存在意義まで危うくなるので納得できない。ただ最終的にラブストーリーだったらしいのは大変結構なことで、少し前までAKB48所属だった永尾まりやという人のキスシーンもあったりするので軽くは扱えない。 以上、最大限真面目にコメントしようとしたが、褒めるには申し訳ないが能力の限界がある。出演者・制作スタッフには今後の活躍を期待する。
[DVD(邦画)] 2点(2018-06-17 09:57:44)
13.  ククーシュカ ラップランドの妖精 《ネタバレ》 
ロシア映画だが、舞台になっているのは1944年秋のフィンランド北部である。撮影場所はロシア領コラ半島とのことだがフィンランドに隣接する地域であり、もともとサーミ人が住んでいた場所という意味で大して違いはない。高緯度地方のためその辺にある山の中腹に森林限界が見えていた。  映画のジャンルには「コメディ」とあり、特に序盤は言葉を交わしているようでいて完全にすれ違っているのがけっこう可笑しい。しかし男女関係については言葉がなくても通じるようで、これが結局男2人を人間共通の基盤に置いたということのようである。男連中が素っ裸でいるところに女が来て品定めする顔がいい演出だった。 ただ男女関係に関しても実は態度の違いがあったようで、男にとっては一時の恋愛のようなものだったかも知れないが、女にとっては最初から生殖に直結する問題として捉えていたのではと思われる。出演女優は実際にサーミ人とのことで、この人が監督に、サーミ人は性欲が強いとでも思っているのか、と聞いたとの話だが、そこは自分が見てもそのようには思わなかった(強いというより普通というか)。サーミ人でも何人でも、人間の原点に近い暮らしをしていればこうなるのは変ではないだろう。 特に人口希薄な地域で暮らしていれば次代の生命を常に意識するのは当然であり、そうであってこそ人間という種族がこれからも続いていく。精霊に頼んで待ち構えていたところに来た男2人は餌食にされたような形だが、しかし単なる種馬扱いでもなく、ちゃんと人格を含めて受け入れられたことが納得できる終幕になっている。どっちの子だったかは大して問題でないという気がした。 また終盤の「温もりが欲しい」というあたりも人としての根源的な欲求なのかも知れない。これに応えたロシア人も価値ある恩返しができたのではと思われた。  ほか個別の場面としては、男を黄泉の国から救い出すところを映像化していたのがけっこう感動的で、ここは現代人が失った力を持つ民がうまくやってくれたという印象だった。また細かいところでは、フィンランド人に喧嘩を売ったロシア人が、痛めた手を大事そうにふうふう吹いていたのは笑った。手足がもげるような戦争ではなく、こっちが普通の人間の姿である。
[DVD(字幕)] 8点(2017-12-09 09:58:44)
14.  くノ一忍法帖 柳生外伝 《ネタバレ》 
基本的には監督兼主役に焦点を当てたアクション映画ということのようで、ほかにジャンルとしては「エロティック」というのもあるがそれほどのエッチ感はない。妖怪じみたキャラが奇想天外な術を操る荒唐無稽時代劇だが、意外にも実在の歴史的事件(会津騒動、1639~1643年)を背景にしている(原作がそうだからだが)。もとは106分の映画とのことだが現在見られるのは上下巻に分かれたDVDで、いわゆる未公開映像も加えて単純加算で155分にもなっている。 登場人物では、題名の女忍者7人が大きな見どころになりそうなものだが実際は見事に誰にも愛着がわかない。オッパイ攻撃とか股開き攻撃とか恥ずかしい技を修得した者は生き延びるが、そこまで踏み切れないと途中で死んでいくというのが理不尽である。 オッパイを見せないグループでは「お笛」(演・菅原晶子)が目立っていて色気もあり、出自や最期の様子からも悲哀感を出していたといえなくはない。また敵方の「おゆら」(演・栗林知美)も目を引くところがあったが、以上2人は主人公に次々と惚れては死んでいく役で、結局みんな使い捨てかという印象だった。ほか「お品」役の鵜川薫という人も別のところで見たことがあるので注目していたが、特に何だということもなく退場してしまったのは残念だ。若手女子ばかり見るのでなく、主人公の男ぶりにほれ込んだということにでもなればそれなりに楽しめる可能性もなくはない。  なお参考として原作を読むと結構まともな時代小説であり、奇抜な妖術のようなものはそれほど多くなく、そもそも忍者は出ない。しかし映画化に当たってはかなり原作に忠実な筋立てにしようとしていたことがわかり、特に上下2巻のDVD版は、上下2巻の原作長編を可能な限り再現することが主眼だったとも考えられる。違いとしては、原作では会津芦名氏の存在感が大きく「賤ヶ岳の七本槍」の加藤家がかすんで見えるほか、特に仇討ちの女子衆7人(8人)の扱いにかなり差があったように思われる。主人公が敵の城に単身乗り込んだ際、ものすごく格好よく啖呵を切る場面は原作にも映画にもあるが、これはどちらかというと原作の方が全体との関係で活きていた気がする。
[DVD(邦画)] 4点(2017-10-23 22:42:40)
15.  軍艦武蔵 《ネタバレ》 
最後に出る「武蔵会慰霊祭」はH2.10.24に開催されたとのことだが、その時点から既に25年が経過しており、登場人物が現時点でどれだけ御存命かと思えばその証言の貴重さが実感される。登場人物は「軍艦武蔵会」の関係者と思われるので、最低限、武蔵乗組だったことに自ら否定的でない人々が取材対象であり、また制作上の一定の作為もあるだろうが、とりあえず映像に出ていることをもとにして書いておく。 (以下敬語は省略)  内容はほとんど関係者へのインタビューで構成されている。竣工後、連合艦隊旗艦になった後にいきなり捷一号作戦に飛んでしまうが、要はレイテ沖海戦の経過と乗組員のその後を中心とした内容になっている。 登場人物はほぼ東日本の出身者のようで、これは乗組員の構成を反映していると想像される。既に引退した人々のほか現役でそれなりの地位にある人物もいたらしく、また容貌や話し方などからは、戦後もそれぞれの人生を着実に重ねて来たことが窺われる。皆さん穏やかに淡々と当時を語っていたが、中に皮肉かつユーモラスな話し方で生死に関わることを語る人物もいたのは不謹慎だが笑ってしまった。 映像で見る限り、登場人物が生き残ったこと自体を引け目に感じている印象はない。死んだ戦友を思って落涙していたのは出撃直前に何らかの理由で退艦した人物だけで、ほかの人々は同じ戦場で同じように戦ってたまたま生死を分けただけ、ということかも知れない。言葉が丁寧で誠実な感じの人物が“海へ放り出されれば鬼”だと語っていたのも、生存をかけたフェアネスの問題と感じられる。 しかし沈没時点で半数を超えていた生存者が、その後の経過の中で激減してしまったのはさすがに悲惨なことで、フィリピンでは陸軍兵に食われかけたという話まで出ていた。海でこそ正々堂々と悔いなく戦った印象のある人々が、こういう場所に放り出されたのはさぞ不本意だっただろうと想像される。  当然ながら戦争を美化するものではなく、実際にもう戦争はしたくないと語る人物もいた。しかし武蔵乗組だったことの矜持が戦後の自分を支えて来たとの発言もあり、それを否定することはできない。個人的には登場人物への敬意が勝る映画になっており、「軍艦武蔵会」の協力目的は十分に達成されていたと思われる。最後に慰霊祭の受付で、「懇親会出られるんでしょ?」と尋ねる言葉が聞かれたのは現代の平穏な日常を感じさせた。
[DVD(邦画)] 8点(2015-10-24 23:46:49)
16.  くちびるに歌を 《ネタバレ》 
好きな女優が誰も出ていない映画など見て何の意味があるかと思うが、だからといって最初からけなすために見たわけではない。 まずは全般的に安易な展開が目につく。劇中2回も大事な時に深刻な事態が都合よく起こるとか、大事な言葉を大事な時に再現するために好都合な人物をあらかじめ配置しておくといった作為は受け入れがたい。 また携帯電話での実況は、部員の気持ちをまとめる意味ではいい考えだと一瞬思ったが、その直後に「恋空」(2007)の類似場面を思い出して思い切り興醒めした。そういえば、やたらに不幸を並べ立てるのもケータイ小説の特徴を思わせるものがある。 以上に関して、映画の後に原作を読んだところ元からそうだったというのも多いが、映画化に伴う省略や強調、及び主演女優を軸とした改編によって、全体的に悪印象を増す方へ変わっている気がする。  また合唱が出る映画ではあるが、主人公が著名ピアニストという設定もあって合唱の映画という印象は薄まっている。かえってこの映画では合唱限定でない音楽一般が“誰かをしあわせにする”ことに力点が置かれていたらしく、そのこと自体は理解できなくはない。ただ劇中ではこれと主人公のドラマとの関連付けが弱く(悲愴の場面)、また終盤の感動場面でも出来事の発端になっていただけで大合唱自体との関連性は薄い。そのため表面上のキレイな言葉でストーリーを飾ったという印象にしかならなかった。 さらに「ありがとう」の位置づけが半端で、ストーリー中での確固とした位置づけができておらず、これが全体構成を散漫にしているように感じられる。終盤ではそのほかに、少年の父親の本心が明らかになる場面(これも弱い)といった劇中要素を総動員してドラマを盛り上げようとしたらしいが、自分としては釈然としないままでただ泣けと言われた感覚だった。ここでも合唱は泣かせる手段に過ぎず、単なる感動ネタに終わった印象がある。  そういうことで、不満は多いが褒めるところはほとんどなく、単に人気女優を使った泣ける映画というように思われたのが正直なところである。ただ生徒役の皆さんは好印象であり、また兄貴役もご苦労様だった。個別の場面で泣かされたのは終盤の大合唱のほか、生徒の「笑って」に対する主人公の表情の変化である。 なお映画と関係ないが、今年のNコン全国大会にうちの地元の高校が出場することになっている。×高がんばれ。
[DVD(邦画)] 4点(2015-09-30 23:35:53)
17.  CRAZY-ISM クレイジズム 《ネタバレ》 
震災の1か月後によくこれが公開できたものだが、まあ無事に公開できて幸いだったということだろう。 まず役者の演技に関しては素人なので特に書くことはない。しかしストーリー展開に関しては、当初の些細なエゴの噴出から決定的な対立に至るまでの経過に少しずつ飛躍があるようで不自然に見える。偶発的な要素も多く、これが登場人物のあらかじめ意図した展開だったというのが信じられない。 また見る側としては、話が進んでいく中で暴力も裏切りも陰謀も何でもありの世界という先入観ができてしまい、登場人物の誰も信用せず同情もしない方向で意識づけられた状態になる。そのため最後に真心が一つだけ残っていたというような話もそのまま素直に受け取る気にならず、信頼を裏切られた絶望とか、その信頼に応えられなかった悔悟にも共感できない(信じた奴がバカということ)。 さらに黒幕が序盤から顔出ししていることもあって最後のオチもインパクトに欠ける。ありがちな結末を用意しているが、映画全体がリアリティ重視というより作り物の雰囲気が強いので、ラストでも作為的でいいからもっと意外な結末を付けてもらわないと収まりがつかない感じになっている。 加えてこれは個人的感覚かも知れないが、初めから「密室」と書いてあるのだから思い切り一部屋だけでもよかったと思うが、ところどころ回想部分で全く別の場所が出るので、息抜きというより集中が途切れてしまう。またその回想部分が結構長いものがあり、どこまで行ったのか忘れてしまったりする。 以上、後味が悪いというよりも、全体として味が悪くかつ薄味という感じの映画だったので、とりあえずこれ以降に期待したい。 なお本質的な問題ではないが舞台挨拶を見ていると、最後に狂乱した役の女優がけっこう可愛らしい感じの人物だったのが意外だった。
[DVD(邦画)] 4点(2015-09-26 19:09:21)
18.  クロユリ団地 《ネタバレ》 
住人が減って高齢化の進んだ団地という設定は、右上がりの時代が終わって少子高齢化と人口減少が進行する現代にふさわしいと思えなくもないが、実際それがあまり生かされていないようなのは面白くない。 例えば問題の事件が起きたのがこの団地の最盛期だったとすれば、団地そのものの衰退と、そこにいつまでも一人で残る少年の孤独が重なる形になっただろうが、実際は13年前(西暦2000年頃?)とのことでそういう取り方はできず、単に主人公が孤立しがちな舞台を用意しただけに終わっている。または「仄暗い水の底から」(2001)の舞台設定を再利用しただけに思えなくもない(エレベータはないが)。また主人公が介護の学校に通っていたのも、高齢化の時代の表現というより隣室の老人を発見するきっかけだけで、ストーリー展開上の都合でしかないように見える。そういった設定と主人公の負った心の傷にも直接関係がないようで、全体として散漫な構成になった印象がある。  ところで普通一般のホラー映画でよくあるように、登場人物が自分からわざわざ危険に近づいていくという制作側に都合のよい(観客にとっては苛立たしい)展開に、この映画ではまともに理由づけして開き直ったように見える。祈祷師は「優しい」という言い方だったが、それよりも感情面で割り切りのできない性格ということだろうし、また自分で言っていたように怖いものから目を逸らせなくなり、逆にまじまじと見つめてしまうタイプだったのではないか。それでは今回のような受難も仕方ない気がするわけだが、これも「仄暗い…」の虚弱な主人公のイメージを流用したように思えなくもない。劇中では、すぐに部屋を出ろと言われたのに待っているかのようにまだ部屋にいて、予定通り入れてしまったあたりでこれはもう見捨てるしかないと思われて、あとは応援しないから勝手に破滅してしまえという投げやりな気分だった。  なお主演女優に関しては、個人的に愛着はないので特に感想もないが、ここを見ると皆さん好意的なようでもあり、どうか今後とも頑張っていただきたいと一応書いておく。
[DVD(邦画)] 4点(2015-07-23 00:26:23)(良:1票)
19.  グレイトフルデッド 《ネタバレ》 
姉の高校時代と現在にギャップがありすぎて一瞬唖然とする。また屋敷の場所が世田谷区豪徳寺と書いてあったのに現地が甲州恵林寺付近なのも飛びすぎている。 それはまあいいとして、内容的にはどこに共感すればいいのかわからない。前半は主人公の生い立ちを見ているので態度保留のままとしても、後半の惨劇以降はさすがに老人の復讐を期待することになるが、しかし肝心の対決の結末がすっきりせず、主人公が勝手に充足して最後は逃げを打ったようなのは気に入らない。また序盤で思い切り殴られた子役が迫真の演技で、途中で出た偽善者の救いの手も叩き潰したからには暴力路線で全編統一かと思っていたらそうでもなく、最終的には怪しげな宗教が最強だったというのは誠に心外である。ラストで意味不明な外国人が「可哀想な人」というのも上から目線で苛立たしいが、もしかして制作側としては観客にも同じように感じてもらいたかったのか??? それにしては全体に信用できない雰囲気が満ちており、最後まで疑心が解けないまま終わる胡散臭い映画だった。  なおどうでもいいことだが、盗人の手を砕く罰というのは現代ではちょっと考えられないが、近隣国(半島でなく大陸の方)で街の庶民が実際にやっている動画を見たことがあるので、そういう場所ではまだ生きている風習らしい。
[DVD(邦画)] 2点(2015-07-15 22:07:19)
20.  クレヨンしんちゃん バカうまっ!B級グルメサバイバル!! 《ネタバレ》 
このアニメを見るのは初めてなので認識不足だが、とりあえずこの映画は大人の鑑賞に十分耐えるもののようである。もっともほかの大人の皆さんはお子さんと一緒にご覧になったのかも知れないが。 ストーリーとしては、いい加減な覚悟の防衛隊が解散の危機を結果的に乗り越えて、最後に使命を完遂するというのは一応感動的な構成である。各キャラクターはこれで平常通りかどうかわからないが、初見の立場としては犬が賢明で健気なのが印象的で、この犬がフラダンスで敵部隊を蹴散らした場面が個人的にはツボだった。ここは彼にとって面目躍如といったところだったのだろうと想像する。  ところで今回のテーマに関していえば、高級食材を庶民が食って美味とは限らないことを無遠慮に指摘していたのは笑える。食が芸術たりうるという主張自体は否定しないにしても、他の文化的な分野と違って食は生活に直結するところまで裾野が広いので、各家庭での日常的な創造性の発揮もまた食の豊かさを生むことになる。そのことが劇中でさりげなく指摘されていたのは少し感心した。また一日何も食わないとこれほど腹が減るのか、といったことも、食の基本的な重要性を伝える点で食育的な意味を持つといえなくはない。ただ単に笑わせればいいというのでもなく、ちゃんと題名に沿ったそれなりの内容を込めてあるのは真面目な映画に思われる。 そのほかオープニングのクレイアニメーション+KPPは中身を期待させる出来で結構よかった。それをいえばエンディングも悪くない。  なお一部で有名なようだが参考まで書いておくと、パープルのおねいさんが最終決戦に向けて人々に呼びかけている姿形は、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」から取ったと思われる。人物の前面に死屍累々なのも同じである。 もう一つ、イベント出店者のうち「お京」を名乗る人物がなぜか九州方言だったのは、「トラック野郎・御意見無用」(1975)のモナリザお京(渥美マリ主演の映画ではなく)を思わせるものがあったが、それは深読みし過ぎか。
[DVD(邦画)] 6点(2015-05-25 19:55:33)
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