1. 硫黄島からの手紙
《ネタバレ》 『硫黄島からの手紙』のなかで、負傷して日本軍の捕虜になったアメリカ兵の青年が登場する。彼は手厚い看護を受けたものの、結局息を引き取る。けれど、彼が持っていた母親からの手紙の内容に、今までアメリカ人を“鬼畜”だと信じ込んできた日本兵たちは、「彼らも俺たちと同じじゃないか…」と愕然とするんである。 この場面は、本作のなかでもとりわけ感動的で、美しい。その時、日本兵たちは、目の前のアメリカ人青年をただ殺すべき〈敵〉ではなく、はじめて〈人間〉として認識した。と同時に、ぼくたち観客もまた気づかされるのだ。この映画そのものが、『父親たちの星条旗』にあってまったく「顔」を与えられなかった日本兵たちを、ふたたび個々の〈人間〉として見出すものであったこと。そのために、どしてもこれが「二部作」であらねばならなかったことを。 『星条旗』が、「憎悪と敵意」「政治」という「戦争の本質」こそを描くものだったとするなら、本作は、常にそういった「戦争」のなかで見失われてしまう〈人間〉を回復する試みである、といって良いかもしれない。・・・戦場にあって、ただお互いを殺し・殺されるだけの兵士たち。「憎悪と敵意」の対象でしかなかった〈敵〉同士を、イーストウッドの本作は、あらためて〈人間〉として描こうとする。それこそが、戦争の“消耗品”として歴史に埋もれ、顧みられることのない彼らを、あくまで一個の人間として追悼することになるからだ。だから、「戦争で命を落とした人々は敬意を受けるに余りある存在だ」というイーストウッド自身の言葉は、決して彼の「右翼的」な信条=心情から出たものではあるまい。むしろ彼は、現在に至るまで時の為政者(ブッシュ!)たちが「自分たちは正義の側で、悪と戦う」と唱え、戦争を肯定することへの断固としたアンチテーゼとして、兵士たちを1人1人〈個人〉として「戦争」から“帰還”させようとしているのだから。 この、全編のほとんどを日本人の役者ばかりが登場する「日本(語)映画」を、アメリカのジャーナリズムが高く評価するのも、おそらくその一点においてであるだろう。・・・これが、監督イーストウッドの最高傑作かどうかは分からない(し、どうでもいい)。けれど、戦争の「本質」を描き、兵士たちをふたたび〈人間〉の側に取り戻そうとする「硫黄島二部作」は、現代最高の「(戦争)映画」であること。それだけは間違いない。 [映画館(字幕)] 10点(2007-01-17 18:31:23)(良:4票) |
2. イブを待つ昼と夜
ひそかに愛する青年の後ろ姿を、彼女はこっそりと8ミリで撮影する。そしてその映像を、彼女は壁にかけた自分のワンピースに映写するのだ。彼女の服に重なる、愛する男の後ろ姿。そしてその映像を、彼女の手がゆっくりと“愛撫”していく…。 断言してもいい、ぼくはこれほどまでに美しく、官能的で、それ以上に深い諦念と、透明な哀しみにあふれた映像を、それまでもそれからも見たことがないことを。ワンピースの生地の起伏によって歪んだ後ろ姿。彼は決して振り向かない。それを慈しむようになぞっていく手。…「恋」する者の歓喜と絶望が、かくも鮮烈に「映像」(というか、この作品にはどうしても「イマージュ」という言葉を用いたい)へと昇華した瞬間、このささやかな8ミリ映画は、間違いなくひとつの<事件>となった。 そう、これは坂本崇子という女性が、クリスマスイブまでの日々を8ミリカメラで映像日記風に綴った、ただそれだけの作品だ。季節のうつろいや、街の表情、殺した蚊、…何気ない日常の風景に、彼女自身のモノローグが重ねられていく。しかし、“ただそれだけ”のはずの映像(と、彼女の「声」)は、いつしか見る者(の「心」)を狂おしいまでにをとらえ、魅了し、決して忘れられないものにするだろう。何故なら、ここにあるのはひとりの女性の「魂のふるえ(=エモーション)」そのものだから。そのエモーションは、見る者の心に否応なく共振する。彼女と同じ「ふるえ」を受け取り、同じものを見て、同じように感じるのだ。それを「恋」というなら、この映画は何より「恋の映画」に他ならない。あの時、小さな会場で本作を見た誰もが間違いなく「恋」してしまったことを、ぼくは知っている。そしてぼくという観客も、出会って20年近くたった今もなお、「恋」し続けている…。 それにしても、もう一度“再会”する機会はあるんだろうか。ある、と信じたい。どうですか、「イメージ・フォーラム」関係者の皆さん! [映画館(字幕)] 10点(2005-09-01 13:29:58) |
3. 命ある限り(1949)
《ネタバレ》 舞台は、戦争が終わって間もないビルマの野戦病院。その一室で帰国の時を待つ連合国の兵士たちは、リーダー格のアメリカ兵をはじめヤンチャ坊主のよう。そして、彼らを見守る美しく聡明な看護婦は、憧れの女教師といったところか。そんな彼らのところへ、誰にも心を閉ざしたスコットランド兵が送られてくる。さあ、ますます「学園ドラマ」風になってきたぞ。彼は、自分が余命いくばくもないことを知らない。この偏屈者で困った“転校生”の残りわずかな生を何とか幸せなものにしてやろうと、心優しきヤンチャ坊主どもの奮闘努力がはじまった…! 原作は舞台劇ということで、役者たちのアンサンブルが主体。確かに映像的な面白味には欠けるかもしれない。けれど、この作品全体から発散される「健康さ」はどうだろう。その屈託のない笑顔が素晴らしくチャーミングなロナルド・レーガン(!)をはじめ、「内面」を演じることが優れた演技だとするスタニスラフスキー・システム風の演技にまだ“毒されていない”俳優たちの、すがすがしい佇まい。そんな彼らを常に複数で画面におさめるため引き気味に置かれたキャメラと、思わせぶりな陰影など邪魔だと言わんばかりにたっぷり注がれたフラットな照明。今じゃ少年マンガですら取り上げられない「友愛」という主題ひとつをストレートに押し通すことで1本の映画を創ってみせた演出の、控えめな、だが慎ましい“野心”。…どれをとっても、そこには心洗われる清潔感とまっとうさがある。 1930年代の黄金期も過ぎ、やがてテレビの台頭で衰退期を迎える映画。それが決定的になる1950年代の直前に製作された本作は、たぶん映画が「健康」であり得た最後の時代の産物であり、“証人”だ。ぼくたちがこの地味な作品を見て、今なお感動し心打たれるのは、きっとそういった「健康さ」こそがもはや失われてしまった映画の「本質」のひとつだからに違いない。 映画の中で、スコットランド兵にみんなが贈った民族衣装のスカート(「キルト」でしたっけ?)。アメリカ兵たちは、「あの下に、下着をはいているかどうか」でスッタモンダする。で、最後の最後に彼らは「答え」を知るんだけど…ズルイぞ、観客にも教えろよっ!(笑) 8点(2004-12-28 18:04:07) |
4. イヤー・オブ・ザ・ガン
シャロン・ストーンがまだ『氷の微笑』でブレイクする直前の出演作品だけど、文字通りカラダを張って危険地帯に飛び込む報道キャメラウーマンを熱演! たぶん、その凛々しさやタフな美しさたるや、出演作品中でもピカイチ(…というか、『クイック&デッド』に並ぶ)ではないかな。もちろん、バストもろ出しの“濡れ場”もあったりと、「戦闘的美女」好きなご同輩には必見! でありましょう。映画は、赤い旅団をモデルにしたローマのテロ組織絡みの社会派アクションなんだけど、この手の題材が得意(『ブラック・サンデー』!)なジョン・フランケンハイマ-監督にしては、いささか寂しい出来映え。なんだけど、シャロンと、もうひとりの美女バレリア・ゴリノの“意外な”役柄ゆえの魅力の前にゃ、んなこたぁ二の次三の次! …本作の教訓、「映画は女優に救われる」。 8点(2004-02-03 11:36:06) |
5. 今そこにある危機
ジャック・ライアンものでは、私見じゃ最も原作者トム・クランシーの世界に近づいた作品。現代社会の裏側で繰り広げられる熾烈な「もうひとつの戦争」、その政治的な駆け引きのダイナミズムを前面に出して、ライアンすらその”狂言回し”でしかないという…。他の作品じゃ、あくまでライアンはじめ人間たちのドラマこそが主で、国際政治の部分が従だもの。ただ、作品が何だかCIAのプロパガンダ(宣伝)映画みたいになっちゃったのは、いかがなものでしょうかねえ。前作同様、ライアンの娘(って、映画の題名みたい)として登場するソーラ・バーチが可愛いです。 6点(2003-11-05 14:57:45) |
6. 犬神家の一族(1976)
金田一耕助は、やっぱり石坂浩二に限るなあ。何よりあの”軽さ”がいいです。とにかくタイトルがやたらカッチョイイし、細かいカットつなぎなど、映像的にもモダニスト市川崑ならではの趣味の良さ満点。TVで見るぶんには、まあ文句ないでしょう。ただ、劇場でカネ払って見たなら、このペラペラな薄っぺらい画面が、ただおしゃれっぽく連続する中身のなさに失望させられただろうなあ。1970年代以降の市川崑カントク作品は、『細雪』を除いて(いや、あれすらも)ほとんどすべてカラッポです。”見た目”がよければいいじゃん、とおっしゃる向きにはよろしいんでしょうけど。 5点(2003-11-05 14:36:45)(良:1票) |
7. 怒りの葡萄
《ネタバレ》 こういう映画を、正真正銘ホンモノの名作と言うんです。大恐慌下の悲惨さを全面に出しながらも、類稀なる人間讃歌になっているあたり、まさにジョン・フォードの、そしてアメリカ映画本来の真骨頂。最愛の息子が殺人を犯し、逃亡しながらも、あくまで残された家族を支えて生き抜く決意をする母親役のジェーン・ダーウェルが、絶品中の絶品。オンボロトラックに家財道具を積み上げて、土ぼこりの荒野をヨロヨロと旅していく前半部分から、過酷なリアリズムを貫きながらも映像は息をのむほど詩的な瞬間の連続です。スタインベックの原作が20世紀の「ある真実」を直視した《叙事詩》なら、その映画化である本作にあるのは、祈りと憐憫に満ちた《叙情詩》的な眼差し、でしょうか。いつの時代にあってもその価値が失われない、これが「本当の映画」です。 10点(2003-11-05 14:00:29)(良:2票) |
8. インディア・ソング
画面の外で交わされる、女ふたりのダイアローグ。画面内で繰り広げられる、静かだが情念に満ちた男女の愛憎劇。そして何より、物憂げで官能的でもあるあの音楽…。およそ、劇的とは縁のない悲劇ならぬ非ー劇的なアート作品ではあるけれど、一方でこれほど見る者に陶酔と、エモーションを与えてくれる映画もそうはないでしょう。小説家としてのデュラスも素晴らしいけれど、映画作家としてのデュラスもそれ以上に素晴らしいとぼくは信じています。永遠のマイ・フェイバリッツ、文句なしに満点! 10点(2003-10-17 18:13:39) |
9. 居酒屋ゆうれい
ぼくとしては、かなり面白くてよく出来た現代の「人情噺」だと思いますよ。ショーケンも好演だったし、室井滋はのほほんとした、しかしこの世のものではない幽霊の滑稽と悲哀を上手く表現していたし、山口智子はイロッぽかったし。それに、居酒屋の客たちの小さなエピソードや、ネオンサインなど「小道具」を使った語り口の巧さも、ちょっとした名人芸の域。こういう「普通に良い映画」が当たり前のように劇場にかかるようになると、本当にいいのにな…といった、ひさびさに「らしい」日本映画でした。 [映画館(邦画)] 8点(2003-10-17 17:42:36)(良:2票) |
10. インドへの道
もともとデビッド・リーンの映画は好きになれないんだけど、これを見た時は、あまりの衰退ぶりにやはり感慨を禁じ得なかったな。ヒロインの錯乱と、それによって窮地に立つ誠実なインド人の法廷劇をまがりなりにも成立させるためには、インドの風土の”何”が彼女を狂わせたのかをもっと丁重に描くべきじゃないのか。おそらく体力的にインドロケを割愛したせいか、何だか舞台の中継でも見ているかのような「色気」のなさに、リーンも終わったな…と思ったものだった。そして案の定、これが遺作となってしまった。いまさらながら、合掌。 4点(2003-10-09 16:42:59) |
11. イレイザー(1996)
港を仕切るギャングたちが、アメリカが危機に立たされると分かるやシュワちゃんの側に加勢して戦う、クライマックスが何故か好き(笑)。ジェームズ・カーンとジェームズ・コバーンを悪役にもってきて、気持ちよさそうに大見得きらせるキャスティングも、なかなか泣かせる。そんな、悪い映画じゃないよ。 6点(2003-10-09 16:33:04) |
12. イルカの日
皆さんおっしゃる通り、ぼくもこの映画はジョルジュ・ドルリューの音楽に惚れ込んだクチです。中坊の頃、ロードショー公開で期待しつつ見て、映画は正直失望したのだけど、あの音楽だけはサントラを買って毎日のように聴いてました。あれから再見していないんで、採点「5」は少々アンフェアなんだけど、yはりマイク・ニコルズにサスペンス映画は絶対合わんだろうと…。ジョージ・C・スコットの実生活でも奥さんだったトリッシュ・ヴァン・デバーの色香にちょっとクラッ(笑)ときたことも、今はなつかしい想い出です。 5点(2003-10-09 16:22:01) |
13. いちご白書
学生運動の世代からはひと時代遅れてきた小生としては、この映画の学生たちのなんとナイーブで甘っちょろいことかとあきれつつ、やはりどこかで羨望している自分に気づいたりします。ただ、原作となったとある学生活動家の手記(というか、日記)を読んだ限りでは、映画はハッキリいってそれなりに誠実に「問題意識」をもった原作者にとって”冒涜”にも近い、砂糖菓子みたいな「ハリウッド製青春映画」になっている。まあ、それが悪いってワケでもないんだけど…。それでも小生にとって本作が忘れ難いのは、ひとえにキム・ダービーの面影ゆえ。超ミニのワンピースからのぞくパンツも可愛い彼女が画面に映り、はにかんだように微笑むだけで、もうこの映画は永遠です。 8点(2003-10-09 16:07:46) |
14. 犬死にせしもの
ハチャメチャになりそうで、一本ビシッと男の心意気が全体を締めた、なかなかの快作。真田広之と佐藤浩市のやんちゃぶりが何とも痛快だし、周囲の怪しい人物たちも、アクの強い個性派がそろって見飽きない。今井美樹ちゃんのハダカは…正直「色気ねぇー」でしたが。井筒カントクは、やはりあなどれない。 7点(2003-10-09 13:34:29) |
15. いつかどこかで
かつて、この映画を評価するぼくは友人たちから嘲笑されたものだった…。でも、ああいった恋する男の情けなさやカッコ悪さをここまで切なく愛おしく描いた日本映画は、そうないと思うぞ。特に、親友を怒らせたオンナに対して、それでも「また会ってくれるかな…」という主人公にゃ、世の大半の(もてない)オトコどもは「ク~ッ、でも分かる!」となるんじゃないですか…ねぇ。小田和正のこのシビアな眼差しは、十分ひとつの「世界」を構築している。ミュージシャンのお遊びだなんて、『稲村ジェーン』あたりと同一視してもらっちゃ困りますゾ。 …それにしても、最初にレビューを書かれたお二方のおかげでこのこの高評価(笑)。出来ればそのまま、おふたりや管理人様が「間違い」に気づかないままでいてくれたらと、小田和正氏も思っておられることでありましょう(笑) 6点(2003-10-09 13:25:09) |
16. 119
個人的な好み(評価じゃなく)では8点献上したいところなんだけど、まあ、「つまらない」とおっしゃる方々の気持ちもよく分かるので…。でも、酷評するほどヒドクもないと思うのですが。竹中映画の魅力の大半はそのキャスティングにあり、今回も、実に絶妙。デクノボーにしか見えない赤井英和にしたって、気持ちをうまく外に出せない不器用な男のせつなさおかしさを、演技じゃなく表現し得ていたんじゃないでしょうか。ただ、役者としての竹中直人だけが、ミスキャストに見える。それは本作以降のすべての竹中監督作品に通じる問題で(『連弾』は、別)、ファンとしては気がかりです。 6点(2003-10-08 18:21:27) |
17. 伊豆の踊子(1974)
作品的にも、「単なるアイドル映画」というには実に丁寧に作られているんじゃないですか? 確かにロングの遠景を多用できないロケ撮影の苦労が偲ばれる部分もあるけど、小道具や古い家屋の活かし方などさすが職人芸といった感じ。まだこの当時は、古き良き時代のスタッフが現役で頑張っていたことが画面からも伝わってくるようです。百恵ちゃんだって、端役出演の石川さゆりちゃんだって、と~っても良い! と小生は思う。正直いって、澤井信一郎監督作品ということで世評の高い松田聖子の『野菊の墓』(テレビ映画で同じ西河監督が百恵主演で撮った『野菊の墓』も確かあったよなあ。あれも良かったよなあ…)と比べても遜色ないですよ。ああ、もう一度見たくなってきた…。 7点(2003-10-08 18:06:20)(良:1票) |
18. 生きない(1998)
《ネタバレ》 いや~、ダンカンって、本物の「死に神」だったんだ! の、ラストのラスト、彼が見せる笑顔のワンカットに背筋がゾゾッ。それまでが、死の誘惑から「生」を回復する人間たちの物語風に展開していったんで、余計に「死に魅入られた者はもはや逃れることができない」という落とし方が衝撃的です。軽いようでいて、実は非常に奥深いテーマが、どよ~んとのしかかってくる。心して見られたし。 9点(2003-10-08 11:16:56) |
19. イージー・ライダー
ある意味、ゴダールの『勝手にしやがれ』以上に「映画」そのものの概念を一変させた奇跡的な作品でしょう。ズームレンズ1本でアメリカを横断すりゃ、それで映画なんか出来ちまうという、コペルニクス的転回! ただ、そのイージーな方法論(?)が真に成功したのも、この本作のみということを映画史は記録することになる…。いきあたりばったりな展開のなかから、「アメリカ」という国の”素顔”が、”本質”が鮮やかに浮き彫りにされ、それは今見ても十分インパクトがある。ただ、映画に「物語」だの「生理的刺激(=興奮・快感)」といった「面白さ」だけを要求する向き、1本の作品を自分なりの興味なり意志なりで「読みかえる」ことをせず、単にその与えられた「面白さ」の好みのみを評価の判断基準にする向きには、やはりオススメしませんが。と、「物事を素直に見れない性質の悪い天邪鬼」であるぼくは、10点献上したうえで、あえて申っせていただきます。 10点(2003-10-08 11:04:21)(良:4票) |
20. インド夜想曲
それまでハードボイルドもどきの犯罪映画なんかでお茶を濁していたアラン・コルノ-監督が、別人のごとき冴えを発揮。とある人物を探して彷徨を続ける男(だが、探しているのは一体誰なのか。あるいは、彼自身?)を追うキャメラのけだるいというか、アンニュイなタッチが絶妙でありました。ジャン=ユーグ・アングラードも、ドンピシャのはまり役。個人的には、彼の代表作じゃないかと。 8点(2003-07-14 17:44:55) |