161. ジャッジ・ドレッド(1995)
ある意味アメコミの映画化って、こういう方が正統的じゃないのかなぁ。キンキラキンの衣装まとってきらびやかな高層ビルの間を空中バイクで疾走するってのは、子供向けとしては正しい作り。暗く腐敗した都市を、心に傷を負ったヒーローが闇に紛れて走るってよりはアメコミっぽいでしょう。まあ、映画としては東映マンガまつりを批評するようなもんだけど2点献上。 2点(2001-08-06 11:41:00) |
162. G.I.ジェーン
これって、そもそもの脚本はラストに実際の戦争に行くっていう風になってなかったらしいじゃないですか。リドリー・スコット監督が、無理矢理戦争に行かせたがったそうです。私にはこの映画は失敗作にしか思えません。デミ・ムーアのフィジカルな頑張りに2点献上。 2点(2001-07-28 12:15:50) |
163. シベリア超特急5
≪コンプリート・シベリアン・エクスプレスPart 4≫ あ~あ、とうとうビデオ撮りになっちゃった。「フィルム」を撮ろうとした「意欲」が奇跡のクソ映画を支えてたのに、スカスカの中身がスカスカの映像で映し出され、本当に唯のクソ映画に成り果ててしまいました。今回は多分、余りにもマトモな内容だった「3」の反省を踏まえ、「狙って」クソ映画を作ろうとしたんでしょうけど、それがことごとく裏目に出てる。特に佐藤允の演技。「2」では一流の役者が真剣に演ずるからこそ笑えたのに、本作の佐藤允はわざと下手に演じようとしてて非常に痛々しい(この役は「独立愚連隊」のセルフ・パロディ?)。マイク水野と西田和晃の掛け合いにも流石に飽きが来たし、馬鹿馬鹿しいCGの導入も全く役に立ちませんでした。ということで、1点献上。 [地上波(邦画)] 1点(2006-08-21 00:03:41) |
164. ジュリアン(1999)
これを観て連想したのが「悪魔のいけにえ」。あの変態一家の、人を殺してない時の日常がこんな感じなのかも? とにかく揃いも揃ってマトモじゃない。家族の友人みたいな人達も、精神か身体の障害者ばかり。そんな気狂いの日常、しかも余りリアリティを感じられない日常をダラダラ見せられても、ちっとも面白くないし、普遍性を感じられない(ドグマの十戒には「異常者を登場させなければならない」なんて項目は無かった筈なのに、どうもドグマ映画はこんなのばっかみたいな印象もある)。また、本作がドグマの制約の中で作られたのは間違い無いんでしょうけど、映像や編集の加工は並の映画以上に施されてる様に見える(音楽の後入れはすっかり認められてるんですね)。最早ドグマは有名無実化してます、1点献上。 [CS・衛星(字幕)] 1点(2006-04-13 00:13:40) |
165. 首都消失
本来ならば首都機能が麻痺したことによる経済的・政治的シミュレーション映画となるべきだった。一極集中が極端に進んだ日本ならではのテーマだし、その為には雲(霧?)の科学的な解明等は端折ってしまっても構わない。むしろSFとするよりもポリティカル・エンターテインメントとした方が映画として面白い題材だと思う。しかし本作は、何と全てを端折ってしまっている。一体何の為に、そして何を見せたくて製作したのか? 雲に覆われた東京を郊外から眺める人達を写してるだけで何が面白いのか? これは予算等ではなく、明らかに製作者の頭の中身の問題です、1点献上。 1点(2004-01-09 14:50:10) |
166. 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生
この監督さんってある意味すごいことを考えたよなと思います。それは「ロボット・アニメをいかに崇高な作品と見せつつセル枚数を出来るだけ減らすか」ということに成功しているからです(その代わり物語は破綻しています)。でもそれって、アニメとしては最低。日本が誇る数少ない文化なんですから、もうすこし大切にしていただきたいと思います。ということで1点献上。 1点(2001-08-04 10:45:14) |
167. THE END OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に
なんか夜中に集中放送してたアニメをたまたま観て、30過ぎた普通の大人(たまたま観てた同僚と私)が2時間ぐらいエヴァを肴に飲んでましたっけ。そいでこれも借りてきて観ましたっけ。人類補完計画ってこれのことなの? 使徒って何? ロンギヌスの槍って何? ゼーレって何? とにかくこの映画って何ってことで1点献上。 1点(2001-07-29 23:57:50)(笑:2票) |
168. 書を捨てよ町へ出よう
アイタタタ…、痛すぎるよ、ダサすぎるよ。反体制と前衛とアートを気取ってカッコつけてるけど、ここには体制批判も自己批判も美意識も無いじゃない。これはアンタの即物的な欲と羨望(とやっつけ仕事)そのものじゃないの。映画という媒体の否定に映画を使うこと自体は許すよ。でもアンタ、否定しておきながらこの後、何本も映画撮ってるじゃない。自己矛盾は感じなかったの? 負け惜しみの様な理屈っぽいボソボソしたボヤキばかりじゃ、カッコ悪すぎて、恥ずかしすぎて、とても観てらんないよ。このタイトルはそっくりそのまま、のしを付けてお返ししますよ、寺山修司さん。書を捨てて、少しは町へ出といた方が良かったんじゃないの、今更遅いけどさ…。自ら存在を否定する様な作品には、文字通り存在価値などある筈も無い。 0点(2004-09-24 16:10:20)(良:1票) |