201. パワー・ゲーム
《ネタバレ》 『エアフォース・ワン』のコンビがフィーチャーされたポスター及びジャケットからは、邦題通りの企業間の熱いパワーゲームを期待させられたのですが、実際には若者向けのライトな娯楽作でした。「僕らは、オトナたちが汚い手を使って富を握っている社会の犠牲者だ」みたいなことを言う冒頭から、全力で若者に擦り寄っていきます。高級マンションやらかっこいいスポーツカーやら美女とのボーイミーツガールやらと若者が憧れそうなアイコンがこれでもかと詰め込まれた本編に、オトナたちをぎゃふんと言わせ、その後は自分の道を歩もうとするクライマックスにと、この映画の90%は青臭さで出来上がっています。社会人になりたての頃ならともかく、遠の昔に30代を越えてしまった自分にとっては感情移入の難しい内容であり、短い上映時間ながら見ているのが苦痛でした。 だいたい、この主人公が終始犠牲者ぶっていることが癇に障ります。社長に直接プレゼンする機会を得たにも関わらず、関心を引くだけの企画を出せなかったのは社会のせいでも組織のせいでもなく本人の問題だし、「俺の企画の良さが分からないのは、あなたの頭が古いせいだ」と社長に向かって言い放つに至っては、完全に逆ギレです。仮に社長の考えが間違いであったとしても、平社員がそんな言い方をしてはいけません。会社のクレジットカードを使って一晩で1万ドルも飲み食いする行為なんて着服以外の何ものでもないし、入社して6年も経つにも関わらず、社会人としての分別もロクにわきまえていないのかとイライラさせられました。ライバル社への潜入についても、主人公は騙されたのでも強要されたのでもなく、「着服を見逃す代わりに産業スパイになれ」というフェアな交換条件を提示された上での同意事項であり、彼は自らの判断で役割を引き受けただけの話です。 癇に障ると言えばアンバー・ハード演じるヒロインについても同様で、クラブで男漁りをして楽しむだけ楽しんどいて、翌朝には「上流階級の私と下町住まいのあなたでは生きる世界が違うのよ」なんて言って自室に連れ込んだ男を追い出すというとんでもないヤ〇マンぶりで観客をドン引きさせます。しかも、一度は相手にせずとして追い出した主人公が幹部として入社してくるや、再度手のひら返しをしてお付き合いを開始するという都合の良さであり、その底知れぬ俗っぽさには絶句させられました。 サスペンスとしてもイマイチ。主人公が手を染めた悪事と言えば、恋人となったヒロインの個人宅でノートPCから企業情報を盗んだことくらいで、これでは産業スパイである必要がありません。前述の通りこのヒロインはヤ〇マンであり、イケメンに口説かれれば易々と家へ上げるのだから、わざわざ企業へスパイを送り込むまでもないのです。 以上の通り、本作はバカ映画以外の何物でもないのですが、出演している人達は意外なほど真面目に作品に取り組んでいるため、その見当違いな熱量が映画のトホホ感をさらに高めています。リアム・ヘムズワースは初の単独主演作ということでとにかく気合が入っており、さほど必然性がないにも関わらずやたらと裸になって逞しい大胸筋を見せまくってくれます。彼が演じたために主人公がエンジニアには見えないという問題が発生しているのですが、脚本自体、主人公がエンジニアであろうがなかろうがどちらでもいいものであるため、それは大した問題ではないようです。ハリソン・フォードは父性を滲ませた良い演技を見せるものの、最後の最後、悪の本性を見せた辺りから演技が類型的になってしまいます。ゲイリー・オールドマンだけは、出演者中唯一「これは雇われ仕事です」という顔をしており、全力を出さず惰性で演じていることが観客にもよく伝わってきます。この人は名優として知られる割には作品選びの基準が分からないことがしばしばあり、『ロスト・イン・スペース』や『レイン・フォール/雨の牙』にしれっと出たりするので油断なりません。 [インターネット(字幕)] 3点(2016-06-27 17:39:02)(良:1票) |
202. ブルー・リベンジ (2013)
《ネタバレ》 情念のぶつかり合いこそが復讐映画の醍醐味なのですが、本作にはそれがありません。冒頭20分にはほとんどセリフがなく、観客に対する状況説明もなし。虚ろな目をしたホームレスが人を殺すのですが、この時点で観客は誰が誰を殺したのかがよくわからないため、そこには何の感情も起こらないのです。その後の説明で、どうやらこのホームレスは親の仇を殺したということが分かるのですが、当のホームレス自身も復讐による高揚感や、人を殺したことへの後悔といったありがちな感情をほとんど表していないという点が、作品の異様さをより高めています。 本作のテーマは復讐の連鎖であり、対テロ戦争開始後のアメリカ映画ではさんざん扱われてきて若干陳腐化の傾向もあるテーマですが、本作ではかつてなかった切り口でこれが描かれています。主人公は両親を殺されたショックで精神をやられてホームレスとなっていたが、現在の淡々とした表情を見るに、親の仇に対する怒りも時間とともに薄れていたようです。しかし、事前にやると決めておいた復讐は一応果たしに行く、失うもののないホームレスだから刑務所に入れられることも怖くないし。主人公がやり場のない怒りや、どうしようもない使命感に突き動かされているのではなく、ただ何となく復讐に走るという点が異様だったし、そのドラマ性のなさにある種のリアリティを感じさせられました。 しかし、事は一筋縄にはいきません。復讐を果たした自分が服役して終わるだろうという見込みは外れ、加害者家族は警察に被害届を出すのではなく、主人公(と姉一家)に報復するという行動に出ます。ここに、被害者一家と加害者一家の血で血を洗う抗争が始まるのですが、ザ・ホワイトトラッシュといった感じのイカつい風体と重武装、しかも貧困層らしくやたら人数の多い加害者一家に対して、戦闘力ゼロに等しく不意討ちをかけるしか逆転の目のない主人公はモルドールに潜入したホビット同然の存在。この絶望的な戦力差が作品に大変な緊張感を与えており、特に姉宅襲撃場面では『ノーカントリー』を初めて見た時並みにハラハラさせられました。 その後、加害者一家側の事情も明らかにされ、序盤で主人公が殺した相手が実は親の仇ではなかったこと、両親殺害の犯人はすでに死んでいることが判明します。しかし、一度始まった復讐の連鎖は誰にも止められず、第一の当事者である親の世代が全員鬼籍に入っているにも関わらず、子の世代はもはや何の目的かもよくわからない殺し合いを延々と続けます。これを終わらせるには、どちらかの家族が全滅するしかない。アメリカの対テロ戦争やパレスチナ問題など、多くの国際問題に共通する論点を主要登場人物10名程度の小さなドラマに圧縮してみせた脚本の出来が素晴らしく、単なるバイオレンスの佳作に終わらせない含蓄ある作品となっています。 監督のジェレミー・ソールニアーは記事によっては驚異の新人扱いされているものの、実際には本作以前にも10年ほどのキャリアを持つ人物です。長い下積みに終わりが見えず本作を最後に引退しようと考えていたものの、その最終作がカンヌ映画祭で国際批評家連盟賞を受賞して映画祭の目玉作品のひとつとなったことから、キャリアが一転しました。人生とは分からんものです。次回作の”GLEEN ROOM”も引き続き高評価を得ており、今後、大化けする可能性のある監督として要注目なのです。 [インターネット(字幕)] 8点(2016-06-23 18:13:38)(良:2票) |
203. U・ボート ディレクターズ・カット版
元はテレビシリーズとして製作された作品のようなのですが、1981年にまず149分の劇場版が製作され、それから遅れて1985年に全6話、合計313分のテレビ版、1997年に208分のディレクターズカット版リリースと、やたらバージョン違いの多い本作。ただし、劇場版とテレビ版についてはDVDの単品発売なし、ブルーレイ化もなされていないため鑑賞困難な状況となっており、現状における商品展開の主流であるディレクターズカット版を鑑賞しました。 ドイツの映像作品としては1927年の『メトロポリス』以来の規模で製作された作品だけあって、一目見ただけで金のかかり方が違うということが分かります。冒頭における出航前のどんちゃん騒ぎをとっても、だだっ広い宴会場にきちんとバックバンドを入れ、小道具ひとつにも手抜きなしで観客を作品の世界へと引き込みます。主人公であるUボートに至っては外観・内装ともに非常によくできており、本物にしか見えないほどの驚異的な再現度を誇っています。クライマックスの空襲は空前絶後の大迫力であり、ロケを行ったフランスでは「ドイツ人は昔も今も狂っている」と言われたほどの大規模な撮影を敢行(この場面だけで2トンもの火薬が使われたとか)。うまく金を使うことは映画監督の才能のひとつだと言われますが、この点でウォルフガング・ペーターゼンは金の使いどころの取捨選択が優れており、後に多くのハリウッド大作を手掛けることとなる巨匠の片鱗を窺わせています。 他方、内容は後のペーターゼンの作風からはかけ離れたソリッドなものとなっています。冒頭に登場する歌手を除いて女性は一切登場せず、むさい男達が画面を席巻。フランスに婚約者を残してきた若い航海士を除いて登場人物の背景が説明されることはなく、それどころかほとんどの人物は名前すら与えられておらず、Uボート内がどのような状況であったのかを描写することのみに映画全体が特化しています。このストイックな作風、作り手の志の高さには感銘を受けました。 ただし、そんな硬派な作風がたたってか前半部分はかなりダレます。意気揚々と出航したもののなかなか敵と出会うことができず、毎日毎日、ひたすら飯を食って寝るだけという日々が繰り返されるのですが、無名の潜水艦乗り達が狭い艦内でダラダラやってる様を長時間に渡って見せられるのは少々キツかったです。連合国にとっては神出鬼没の悪魔であったUボートも、その内情はこんなトホホぶりでしたという演出意図は理解できるのですが、最初の戦果を挙げるのが上映開始後90分を過ぎてからというのは、あまりに間を取りすぎているような気がします。 [DVD(吹替)] 7点(2016-06-21 18:04:39)(良:1票) |
204. 10 クローバーフィールド・レーン
《ネタバレ》 IMAXにて鑑賞。 とにかくジョン・グッドマンのキ○ガイ演技が凄過ぎて、彼の出ている場面では画面からまったく目が離せませんでした。モラルに対して非常にうるさく、しかし彼のモラルには常人の考えるモラルとは一線を画した部分があるため、何をきっかけに火が点くのか読めないという緊張感。また、キレたらキレたで尋常ではない剣幕で怒り、なだめる声にも一切耳を貸さないという頑固親父ぶり。これだけ見事なキ○ガイ演技は『ミザリー』のキャシー・ベイツ以来であり、彼の存在が密室劇を否応なしに盛り上げてくれます。 密室劇でありながらイベントがしっかりと詰め込まれており、「よくぞこれだけネタを考えたものだ」と感心させられました。また、監督は初の長編ながら素晴らしい手腕で作品をまとめており、視覚的に単調になりがちな題材をとりながらも、観客を退屈させない作りとなっています。 よくよく考えれば『フォーガットン』みたいなトンデモ話なのですが、実はまったく無関係な『クローバーフィールド/HAKAISHA』の名前を借りることで観客に対して「これはパニックSFですよ」という先入観を与え、抵抗なくオチを飲み込ませるための下地を作っています。題材をどうデコレーションして見せるかという点で才能を発揮するJJエイブラムスのプロデュース力が、本作の基礎部分を支えています。こちらもお見事でした。 ガッカリしたのは、シャマランの『サイン』と同じく侵略者が異常に弱かったこと。あれだけ煽られていた殺人ガスは、緑色の霧の直接噴射さえ避けられれば問題なしというヘッポコぶりだし、火炎瓶ひとつで墜落させられるUFOにも参りました。『インデペンデンスデイ』と言い『宇宙戦争』と言い、内部を攻撃されると大爆発を起こすというUFOの安っぽい構造は何とかならんものでしょうか。 [映画館(字幕)] 7点(2016-06-19 02:08:50)(良:4票) |
205. 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-
《ネタバレ》 テレビシリーズは全話鑑賞済です。 好評なテレビシリーズに対して、おおむね不評なこの劇場版ですが、私はどちらも楽しめました。宇宙をメインの舞台としたシリーズだけに、地球外生命体との接触はいつか行き着いたであろう領域であり、本作はついにそこに手を出してしまっただけのこと。「さすがにこれをガンダムと言えるのか」との批判はごもっともですが、ガンダムという媒体の限界に迫ったという点で、本作の試みは好意的に評価してもいいのではないかと思います。 テレビシリーズの時点でも凄かった戦闘シーンは、劇場版にてさらに磨きがかかり、怒涛の見せ場の連続には目を奪われました。クライマックスレベルの見せ場が延々続く演出の絶倫ぶりは必見なのです。また、テレビシリーズでは敵味方に分かれて戦ってきたキャラクター達がオール地球で結束して事に当たるという展開には、分かっていても燃えさせられます。特に、好敵手だったグラハム・エーカーが刹那のために道を作る場面の興奮は只事ではなく、この数十秒のやりとりのためにテレビシリーズ全50話があったのではないかと思わせるほどでした。 [DVD(邦画)] 7点(2016-06-13 15:53:35) |
206. エリート・スクワッド ブラジル特殊部隊BOPE
《ネタバレ》 前作『エリート・スクワッド』がえらい面白さだったので、勢いで続編の本作も鑑賞しました。前作はBOPEとギャングとの死闘が描かれましたが、本作ではその後に待っていたより過酷な戦いが描かれており、前作に輪をかけて重厚な社会派作品となっています。 前作では悩み苦しんでいたナシメント中佐は離婚により吹っ切れたのか、引き続きBOPEでバリバリやってます。マチアスは立派な殺人マシーンに成長し、予算と人員の増強でBOPEはさらに力を強め、彼らはもはやギャングを圧倒するほどの存在となっています。綺麗ごとを並べ立てる左翼政治家からの批判も何のその、街のゴミ掃除に日々勤しむBOPEですが、問題はその後でした。ギャング不在となった街では汚職警官達が新たな支配者となってやりたい放題、さらにはその汚職警官を巨大な集票マシーンとして利用する政治家が現れます。相手がギャングならば法を盾に対峙することができるのですが、相手が警官や政治家では戦いようがなく、ここでナシメントはBOPEのやり方には限界があることを思い知らされます。 まぁめちゃくちゃな話なのですが、監督のインタビューを読むと本作で描かれる内容はリオで現実に起こっていることをベースにしているらしく、どんだけヤバイんだ!RIO!(AV女優の方じゃないよ)と地球の裏側からとても心配になってしまいました。ジョゼ・パジーリャ監督が後に手掛けたテレビドラマ『ナルコス』においても(こちらはコロンビアの話ですが)表の権力と闇社会の距離が異常に近く、南米の闇は想像を絶するほど深いことに驚かされます。 ただし、BOPEの大暴れに拍手喝采したくなるようなカタルシスは本作にはなく、娯楽性では前作に劣っています。前作で特に私が気に入った犯罪者にビニール袋を被せての窒息拷問は本作では一回しか登場せず、バイオレンスが不足しているために多少の不完全燃焼感は残りました。そもそも、本作ではBOPEは重く扱われておらず、アクション大作を期待させる邦題は、看板に偽りありと言えます。 [DVD(字幕)] 7点(2016-05-23 17:35:06) |
207. エリート・スクワッド(2007)
《ネタバレ》 最近、テレビドラマの『ナルコス』にハマってしまい、ジョゼ・パジーリャ監督作品を後追いして本作に辿り着きました。ベルリン映画祭金熊賞受賞作品にして、本国ブラジルでは子供たちがBOPEごっこをするほどの国民映画となったという評価はダテではなく、社会性と娯楽性が高いレベルでブレンドされた名作として仕上がっています。 手のつけようのないほど凶悪なギャング、私腹を肥やすことのみに精を出して公僕としての機能を失った警察、違法行為に手を染める市民と、各自が好き放題をしてメチャクチャな状態となっているリオデジャネイロにおいて、唯一、高い規律と目的意識を持って行動しているのが特殊警察作戦大隊BOPEです。BOPEは「ボッピ」と読むらしく、えらい可愛らしい名前の特殊部隊があるもんだと思ったのですが、その実態はわが目を疑うほどの壮絶さです。『フルメタル・ジャケット』や『GIジェーン』をも超えるしごきで入隊の儀式を済ませると、治安組織というよりもむしろクライムファイターのような振る舞いで街の悪人たちを成敗して回ります。女子供だろうが容赦なく拷問して必要な情報を聞き出し、犯罪者を見かければとりあえず射殺。生け捕りにした犯罪者には容赦のない暴行を加え、仲間を殺った悪人はその場で処刑と、「逮捕→裁判→投獄」という一般的な司法制度をまったく意に介さないリアル・ジャッジドレッドな集団なのですが、これが実在する部隊であり、本作の脚本には元BOPE隊員が参加しているという点で二度驚かされます。 こうして振る舞いのみを書き出すとBOPEは悪者であるかのような印象を受けるのですが、本作は前半にてリオの現状がいかに腐っているかを描きだすため、そのカウンターとしてBOPEほどの極端な暴力装置が必要であることを観客に納得させてしまいます。この辺りの構成は実に見事だと思いました。BOPEが全力でギャングを潰しにかかる終盤の爽快感はなかなかのものであり、本作はエンターテイメントとしても非常に優れているのです。 唯一不満だったのは、「遊び人」と呼ばれる大学生がしれっと生き延びたこと。この人物は、表面上は慈善活動を目的とする左翼系サークルを主催しているのですが、同じく表面上は貧困層の支援を目的とするNGOを介してスラムを仕切るギャングとのコネクションを持ち、キャンパス内に麻薬を持ち込んで利益を得ているクズ野郎です。ギャング達にはギャングにならざるを得なかった不幸な生い立ちがあるのですが、一方でこいつは恵まれた環境でぬくぬくと育ちながら、ロクな覚悟もなく軽い気持ちで悪事に手を染めるという、一番同情できないタイプの悪人。こいつのせいでネトは死んだのですが、マチアスが真剣に尋問してもヘラヘラと受け答えをするような腐った性根を持っており、ギャングの世界がいかに怖いかを思い知ってからエライ殺され方をして欲しいところでした。 [インターネット(字幕)] 8点(2016-05-23 17:34:05) |
208. アナーキー(2014)
ストーリーテリングの技術とは常に進化していくものであり、発表当時には斬新だった名作も、時代と共に陳腐化していくことは避けられません。シェイクスピアもその例外ではなく、現在の目で見ると突飛な展開、薄っぺらな人物描写が気になります。 『シンベリン』を原作とした本作は、舞台こそ現代のニューヨークらしき都市に置き換えてはいるものの、内容や固有名詞、言葉使い等は原作そのままであり、盛り付けを変えることにより古典文学の印象がどう変わっていくかという点が興味の対象でした。この点、脚本・監督を担当したマイケル・アルメレイダ(過去に現代版『ハムレット』にも挑んでいる)は驚くほど何の工夫も施しておらず、残るのは違和感のみでした。現代劇でありながら時代劇調の台詞を登場人物に喋らせることの違和感をどう中和するか、現代の観客には受け入れられ難い突飛な展開にどうやって説得力を持たせるかという努力をまったくしておらず、古典の悪いところがドバっと出てしまうという結果に終わっています。古典の舞台を現代に置き換えるというそもそものコンセプトがまったく活かされておらず、これならば、年代設定までを原作に合わせた時代劇として製作した方が、まだマシな作品になったのではないかと思います。 数年前にレイフ・ファインズが監督・主演した『コリオレイナス(邦題:英雄の証明)』が古典と現代劇の折衷に見事成功したことと比較すると、本作は完全な失敗と言わざるをえません。 [DVD(吹替)] 3点(2016-05-17 18:20:23) |
209. 評決のとき
《ネタバレ》 長期に渡る廃盤により国内での視聴が困難な作品のひとつですが、Netflixにしれっとアップされていたので、1999年の地上波放送以来の鑑賞となりました。 公開当時にはここまで豪華俳優陣という印象は持たなかったのですが、現在の目で見ると凄い俳優が名を連ねているなと驚かされます。つまり、この20年間で主要キャスト達が大成したということであり、将来性のある若手や知名度の低い実力派を起用した本作のキャスティングは神がかっていたと言えます。上映時間の使い方もうまいもので、膨大な要素を扱いながらも混乱なく話を進めていき、これを2時間半程度にまとめてみせた語り口には感心させられました。90年代にはハリウッド有数の職人監督として重宝されていたジョエル・シュマッカーの本領発揮といったところでしょうか。 また、オチのつけ方も素晴らしいと感じました。ほぼ有罪に傾いていた陪審員達を動かした最終弁論の最後の一言「被害者少女がもし白人だったら」、これは非常に重い問いかけだったと思います。主人公ジェイクは必死で差別と戦い、黒人だからという理由で被告が不利益な扱いを受けないよう奔走してきましたが、最後の最後で彼は差別が存在することを明確に認めた上で、「もし白人が同じことをすれば、みなさんは容疑者を無罪放免にしますよね」と説得して無罪判決を引き出すのです。最終弁論の後半でジェイクは涙を流しますが、それは差別という大きな影に勝てず、差別に屈服しなければ容疑者を守れなかった自分自身の不甲斐なさを嘆いた涙だったのでしょうか。勧善懲悪の結末を予想していた私は、この展開には本当に驚かされました。同時に、差別問題の難しさや根深さを見事に言い当てた一幕だと感心しました。 ただし、本作にはハリウッド製作ならではの欠点もあります。「万人にとって分かりやすく」を信条として作られたためか、この裁判が抱える複雑な問題点がどんどん放棄されていくのです。この裁判の論点とは「やむにやまれぬ事情がある場合でも復讐は許容されないのか?」というものですが、この議論は本編からスッパリと落とされています。これは残念でした。また、前述の通り最終弁論でビターな結末を迎えたにも関わらず、その後の無罪判決を受けて勝利を祝福するかのような派手な音楽が流れる一幕は、完全に演出を間違えています。ここで一気に興を削がれました。その他、法廷外ではKKKが暴れ回って爆弾騒ぎや誘拐、暗殺未遂までを起こして州兵が出動するほどの事態となりますが、そうした場外乱闘が法廷内での審理にまったく影響を及ぼさない点も残念でした。法廷内と法廷外のイベントが有機的に影響しあい、事態がどんどんエスカレートしていけば、映画全体がより面白くなったと思うのですが。 [インターネット(字幕)] 6点(2016-05-17 18:18:57) |
210. レヴェナント 蘇えりし者
IMAXにて鑑賞。 序盤のインディアン(表現が不適切でしょうか)襲撃シーンは素晴らしい迫力であり、大傑作の予感がしました。実際、本編はエマニュエル・ルベツキによる美しい撮影や、つい「もう一回見せて」と言いたくなるような驚きの見せ場があって、これは何か賞を与えねばと思わせるだけの風格が備わっています。 ただし、イニャリトゥ監督作品でお馴染みの、わかりきったことをやたらチンタラ描くという悪癖は今回も健在であり、どれだけ素晴らしい撮影があるにしても、観客の生理を考えずにダラダラと見せられるのではこれにもだんだんと飽きてきます。 ディカプリオは本作で悲願のオスカーを受賞しましたが、これについても厳しい撮影をよくやりきったという努力賞的な印象が強く、観客を圧倒するほどの鬼気迫る演技というレベルには達していませんでした。 本作は全体的に「賞好みの映画」という印象であり、一般の観客を喜ばせるタイプの映画ではないように感じます。 [映画館(字幕)] 5点(2016-04-23 10:33:22) |
211. バットマン vs スーパーマン/ジャスティスの誕生
IMAX3Dにて鑑賞。 世間的に評判の悪い『マン・オブ・スティール』の大ファンである私としては、ザック・スナイダーが続投する本作も期待いっぱいで鑑賞したのですが、本作は「期待を上回る大傑作!」というわけにはいきませんでした。ザック・スナイダーの手腕をもってしても、あまりにポテンシャルの違いすぎるスーパーマンとバットマンを無理なく共演させることは難しかった様子であり、各々のヒーローの良い部分を出せないまま終わってしまったという印象です。 スーパーマン対バットマンとくれば、盆対正月のやけくそみたいな大バトルを期待するところですが、中盤はチンタラと腹の探り合いをして、あまり見せ場がありません。ようやく見せ場が始まったかと思っても、実は夢でしたというオチがついたりと、この企画に期待されるだけの熱量がありません。 そもそも、両者は活躍の場が異なります。大空を自由に飛び回るスーパーマンに対して、暗闇を駆け回るバットマン。本作では主人公であるバットマンに合わせて舞台となるのはもっぱら夜であり、スーパーマンは完全に割を食っています。爽快感が皆無なのです。人助けをする場面はあるものの、これがまさかのダイジェスト処理。スーパーマンの雄姿については『マン・オブ・スティール』を参照してねという姿勢で作られているようです。また、クラークがうじうじと悩む様は『スーパーマン・リターンズ』以来の定番ですが、望まぬ能力とどう向き合うかというテーマが明確だった前作と比較すると、今回は一体何に悩んでいるのかがよく分からないので困ったものです。彼のドラマのハイライトは公聴会に出席したところだと思うのですが、何らの意見も表明しないままこれが中断したため、彼の考えは分からず仕舞いです。 バットマンはバットマンで、なぜあそこまでスーパーマンに執着するのかがイマイチ伝わってきません。ゾッド将軍戦で破壊されるメトロポリスに居合わせたことで(なんと、ゴッサムシティとメトロポリスは隣町であることが判明)スーパーマンのパワーの危険性を身をもって知ったとはいえ、まともにやりあえば到底勝てるはずのないスーパーマン打倒に命をかけようとした理由がよく分からないのです。さらには、スーパーマンとの和解にも唐突感があり、総じてドラマがうまく回っていません。クリストファー・ノーランが脚本から外れてしまうと、作品の質がここまで落ちるものかと驚かされました。 そんな中で良いところを持って行ったのが、ワンダーウーマンでした。登場場面の絶妙なタイミング、それまで重苦しかったBGMが突如民族音楽風の派手な音楽に切り替わり、千両役者登場!という空気を盛り上げます。彼女が思いの外強かったことも爽快感に繋がっており、これぞヒーロー映画という醍醐味を味わわせてくれます。彼女が出るのであればジャスティスリーグは安泰ではないか、そう思わせるほどの存在感でした。 [映画館(字幕)] 6点(2016-03-26 01:05:24)(良:2票) |
212. ナイトクローラー
《ネタバレ》 そもそも大きいジレンホールの目が9kgの減量によりギョロギョロ感倍増で、ファーストショットの時点で「何だかアル・パチーノっぽいな」と感じたのですが、あることないこと大袈裟にしゃべりまくる様や、やたら態度がデカくてハッタリと勢いでのし上がろうとする様はまんま『スカーフェイス』のトニー・モンタナでした。本作は、一義的には俗物的な犯罪報道を批判する内容となっているのですが、それと同時に悪い奴が普通ではありえない方法でのし上がっていく様を楽しむピカレスクロマンでもあり、邪魔者を排除しながら目的達成に向かって突き進む主人公の活躍には、爽快感すらありました。しがらみの中で生きる社会人ほど、自由自在に動き回る主人公の姿にある種の憧れを抱き、有言実行で成功を収めるその凄さを実感できるのではないでしょうか。 この主人公、とにかく行動が早いことに感心させられます。報道パパラッチという職の存在を知り、儲かりそうだと感じた翌日には資金調達をしてカメラと無線受信器を入手。最低限の装備を整えるとすぐに街へ飛び出し、他のパパラッチに仕事の進め方や報道機関への売り込み方法を聞きながら事業化を進めていきます。このフットワークの軽さは社会人として見習いたいものです。取引先であるローカル放送局に入るや否や、決裁権を有し、かつ、自分と同様の価値観を持っていそうなプロデューサーを即座に見つけ出し、その人物の抱え込みに入ります。90年代には美人女優として多くの大作に出演していたレネ・ルッソ(監督の奥さん)が、歳の割に派手でケバケバしいプロデューサー役を熱演。この人も、若い頃には手段を選ばず何でもやってこの地位を得たんだろうなぁという匂いをプンプンさせています。そんな二人の出会いの場で主人公が披露するのはネットや自己啓発本で得たような浅知恵なのですが、ターゲットであるプロデューサーも彼と大差ないレベルの人間であるためか、二人の会話はそれなりに噛み合うのです。 そんなこんながありながらも主人公は着実に成果を挙げていき、会社はそれなりに軌道に乗りますが、従業員に対する文句は多いが給料は少ないというブラック企業ぶりが笑わせます。従業員に向かって「なんで俺がこんなに成功したか分かるか」と、説教とも自慢話とも付かない講釈を垂れ始める様は、典型的なブラック企業の経営者なのです。報道パパラッチという一般的に馴染みの薄い業界を扱いながらも、多くの人がイメージしやすいワンマン経営者の話としてこれを描いた点に、本作の優位性があります。 また、本作は『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』でオスカー受賞歴もあるロバート・エルスウィットが撮影監督を務めているだけあって、低予算の割にはビジュアル的にも見応えのある作品となっています。犯罪現場を臨場感たっぷりに映し出し、見ている我々も主人公と同じく倫理的な罪を犯しているという感覚を抱かせるのです。主観で描かれるクライマックスのカーチェイスは、同じくジレンホール主演の『エンド・オブ・ウォッチ』をも上回る迫力であり、さらには「もの凄い特ダネを入手した」という高揚感もプラスされ、映画全体が異常なテンションで疾走します。 [ブルーレイ(吹替)] 7点(2016-03-04 15:57:20)(良:1票) |
213. 天空の蜂
・登場人物は胸の内をベラベラと口頭で説明し、感情が高ぶると目ん玉ひん剥いて絶叫。 ・社会問題への言及が始まると一方的な演説大会となり、それまでのドラマやアクションの流れがピタっと停止。 ・タイムリミットサスペンスを標榜しながらも湿っぽい人情劇が優先され、活劇としての勢いゼロ。 以上、日本映画の悪いところがこれでもかというほど詰まった作品であり、見ているのが辛くなるほどでした。アクションと人間ドラマと社会派サスペンスという3本柱が調和するどころかお互いが食い合う状況となっており、何をメインディッシュとして考えて製作されたのかがよく分かりません。特に、ヘリ墜落まで1時間を切って以降のチンタラ加減は絶望的なほどであり、「この状況で身の上話をするか?」と呆れてしまいました。原作は未読なのですが、本で読む分には違和感がなかったけど、映像化してみるとおかしなことになりましたという典型的な事例ではないでしょうか。 作品の根幹にある主張は興味深く感じました。反原発でも原発推進でもない、原発の恩恵とリスクの両面を描いている点が好印象であり、福島第一原発事故の記憶も生々しいこの時期において、このような切り口の大作を作り上げた監督と映画会社の姿勢には敬意を覚えます。ただし、原発に係る多面的な考察をドラマやエンターテイメントの領域にまで落とし込むことには失敗しており、その結果、テロリスト達が一体何に憤っているのか感覚的に掴みづらいという状況になっています。 また、江口洋介演じる主人公のドラマとしてもイマイチ。序盤を見る限りでは、家庭に対する責任から逃げ続けてきた男の成長物語のようなのですが、中盤以降は彼の家族が表舞台から姿を消すため、主人公の行動原理がよく分からなくなってきます。彼が家庭の大切さに目覚めたのであれば、大変な目に遭った息子に付き添って病院に行ってあげるべきでしょう。なぜ、彼は息子を奥さんに任せっきりにしてでも現場に残って戦い続けることを選択したのか、その辺りの動機付けが弱いのです。 [ブルーレイ(邦画)] 3点(2016-03-04 15:56:26)(良:1票) |
214. ザ・ブリザード
IMAX3Dにて鑑賞。 『ラースと、その彼女』のクレイグ・ギレスピー監督ということでドラマ寄りの作品かと思っていたのですが、ドラマパートが薄味で特に感動も興奮もなくてガッカリさせられました。 “based on true story”が裏目に出た作品であり、米国沿岸警備隊においては半ば神格化された事件だけあって脚色の余地がほとんどなく、さらには登場人物全員を良い人として描く必要があったためか、ドラマに起伏が生まれていません。主人公・バーニーの引っ込み思案な性格についても、1年前の失敗によるトラウマが原因なのか、本質的な気質なのかがはっきりとしないため(恐らくその両方なのでしょうが)、彼の成長譚として微妙な出来映えとなっています。もう一方の主人公シーバートについても、どうやら彼は他のクルーとの間で確執を抱えているようなのですが、そういった従来の人間関係が明確に描写されていないために、事故後に彼が生き残ったクルーをまとめ上げる際の苦労が伝わってきません。 本作はリーダーシップ論を描いた作品でもありますが、自分がリーダーになるしかないと腹を決める瞬間や、リーダーとして苦渋の決断を下す場面など、このテーマでの定番の盛り上がりどころをことごとく外しているため、なんだかボヤっとした印象となっています。 他方、見せ場の迫力はなかなかのものでした。VFXの凄さも然ることながら、大海原に投げ出されることの恐怖や、真冬の海の寒さをきちんと表現できており、海難事故を扱うにあたって必要な描写を外していないのです。ディズニー製作なので痛々しい描写や明確な人の死の描写が控え目であることは不満だったのですが、生存者たちがどれほど大変な目に遭ったかという点を掘り下げることで観客の感性にはきちんと訴えられています。 ただし3D効果は微妙であり、それどころか夜の場面が多いため3Dメガネをかけていると画面が暗くて見づらく、これだったら2D版を選択すればよかったと後悔しました。 [映画館(字幕)] 5点(2016-02-27 13:48:33) |
215. ヒトラー 最期の12日間
ハリウッドにとって戦争映画は娯楽の範疇に入るジャンルですが、一方敗戦国である日本やドイツにとって直近の戦争はナーバスな題材であり、これを扱うことには相当なプレッシャーがかかります。とりわけ本作の題材は国際的な物議を醸すことが分かり切っていたものだけに、ドイツ映画界は相当な覚悟を決めてこれに臨んでおり、ファーストカットから「これは並みの映画ではない」という張りつめた空気感が漂っています。それは、見ている私までが緊張させられたほどであり、他の映画ではちょっと味わえない感覚に満ちています。 物語は、一義的にはナチス崩壊の過程を知ることができる歴史作品なのですが、普遍的なリーダーシップ論や組織論として見ることもできるという、一粒で二度おいしい仕上がりとなっています。圧倒的なカリスマ社長のワンマン経営で引っ張られてきた会社が、いよいよ倒産という事態に陥った。社長のコバンザメに徹するという処世術で出世してきた幹部達は何の打開策も打ち出せず、根性のある一部の外様部長達が現実路線で粘って何とか現場が持ち堪えているという状況です。経営者は「お前らが言うことを聞かなかったからこんなことになったんだ」と部下を怒鳴ったり、現実的にありえない新規事業や大口融資を根拠とした起死回生案を側近のイエスマン達に向かって得意気に披露したりと、そこはまさに修羅場なのですが、職業柄、私が見てきたベンチャー企業の末路は本当にこんな感じです。何らかの組織のリーダーをやっている方は、本作を見ると少なからず身につまされる発見があるのではないでしょうか。 問題点は、登場人物が多すぎてドラマがやや散漫となっていることでしょうか。ドイツ人にとっては名前を聞いただけでピンとくるナチス幹部であっても、我々日本人にとっては名前こそ知っているが何をした人なのかは分からないという人物が多いため、ドラマへの没入感がどうしても薄くなってしまいます。 ドイツでの公開時には論争を巻き起こしたとされるヒトラー関連の描写については、ナチスをタブーとしない日本人にとっては大してセンセーショナルなものでもなく、こちらでもやや拍子抜けさせられました。ヒトラーは充分すぎるほど否定的に描かれているし、映画全体の内容もナチズムを賛美するものではなく、なぜこの程度の描写に怒る人がいたのか不思議に感じたほどです。ヒトラーは『イングロリアス・バスターズ』に出てきたような癇癪持ちの小男でなければならないとするのであれば、それこそ歴史を矮小化する行為ではないでしょうか。現実離れしたモンスターと、普段は紳士であるが敵と見なした相手にはいくらでも残酷になれる指導者、どちらに警戒せねばならないかと問われれば絶対に後者の方でしょう。 もうひとつ残念だったのは、冒頭とラストに主人公・ユンゲ(及び本作製作者達)の逃げ口上ともとれるナレーションを入れてしまったこと。「ヒトラーに仕えた私は愚かでした」という現在の価値観に基づく発言が入ってしまったために、歴史映画としての価値が少し下がりました。そこは徹底的に戦時中の描写に徹し、製作者は良いも悪いも判断しないという姿勢を貫徹して欲しいところでした。 [DVD(吹替)] 7点(2016-02-23 14:03:59)(良:2票) |
216. ドリームハウス
《ネタバレ》 作品中にはよくできた部分とダメダメな部分が混在しており、たった90分程度の映画なのにえらくムラがあることが気になったのですが、鑑賞後にプロダクションの背景を調べてみて納得しました。製作会社であるモーガンクリークと監督のジム・シェリダンが完成した作品を巡って対立し、モーガンクリークは監督から作品を取り上げて再編集版を勝手に作成。シェリダンは監督協会に訴えてクレジットから自分の名前を外すことを要求し、ダニエル・クレイグとレイチェル・ワイズは監督を支持して作品のプロモーションへの参加をボイコットするという泥沼の事態に陥ったのだとか。クレイグは『インベージョン』でも同様のトラブルを経験しており、お疲れ様としか言いようのないキャリアを歩んでいます。 【注意!ここから激しくネタバレします】 内容はよくある本人オチ系の物語ではあるのですが、中盤でさっさとネタバラシをしてしまうため、「あといくつかネタフリがあってからオチだろう」と油断して見ていた観客はかなり度胆を抜かれます。また、主人公家族の描写が極めて丁寧で感動的であることも作品の目玉となっています。『マイ・レフトフット』や『父の祈りを』を手掛けてきたシェリダンだけあって、家族の描写では外していないのです。 家族は主人公の妄想による産物と見せかけているのですが、終盤で一度、主人公を助けるために物理現象を起こす場面があります。この描写により家族は幽霊であることが判明するのですが、そこから浮かび上がってくる、哀れなお父さんのために奥さんと娘たちが「都会から郊外に引っ越してきたエイテンテン一家」という家族ごっこに付き合ってあげていたという図式には泣かされました。また、一家惨殺の真相が暴かれたことで奥さんは自らの役割が終わったことを認識し、「私たちのことはもういいから、あなたは新しい人生を始めなさい」と言って主人公を送り出す場面ではもっと泣かされました。ここまで泣かされる幽霊映画は滅多にありません。意外なほど幅の広い演技を見せるダニエル・クレイグの腕前や、どこか超越性を感じさせるレイチェル・ワイズの存在感の貢献もあって、エイテンテン一家の物語がとにかく良いのです。 他方、お向かいさんに係るエピソードはボロボロで、このために最後の大オチがまったく決まらないという事態を起こしています。事件の真相を要約すると、親権裁判に勝てそうになかったジャック・パターソンは妻・アンの殺害を計画するが、殺人を請け負ったチンピラが間違えてお向かいのウォード家に侵入して一家を惨殺したというもの。一家惨殺についてこれだけ引っ張っておいて「家を間違えた」が真相ではズッこけてしまうので、もう少しうまいオチを考えて欲しいものでした。また序盤から中盤にかけての、主人公ウィルとパターソン一家との関係性の描写が希薄であったことから、この一家が物語の真相に深く関与するという点にも唐突感がありました。 [ブルーレイ(吹替)] 7点(2016-02-12 14:29:00)(良:1票) |
217. トランセンデンス(2014)
《ネタバレ》 生命倫理の問題や、テクノロジーが神の領域にまで達しようとすることの是非、環境問題など、この映画にはとにかくいろんなトピックが盛られています。監督と脚本家は恐らくこれら全部を語りたかったんでしょうけど、キャリアの少ない彼らではこれを扱いきれず、ただのひとつも観客の興味を引くことなく終わっています。難解な題材を華麗に調理するクリストファー・ノーランという天才の下でしばらく働いてきた撮影監督が、「ノーランほどではなくても、それに近いものは自分にも撮れるのではないか」と考えてしまったことは致し方ないところですが、もっと地に足のついた、まずはワンイシューで勝負するところから始めていれば、映画としてはきちんとまとまったのではないかと思います。 監督はあまりに多い構成要素を捌くことにいっぱいいっぱいで、血の通った物語にしきれていません。元は人質として囚われていたポール・ベタニーにどんな心変わりがあってエコテロリストの参謀を務めているのかが不明だったり、一貫して自己中の悪人にしか見えないエコテロリストのケイト・マーラが途中から正義の扱いになることの違和感、モーガン・フリーマンの存在意義など、キャラクターの動かし方が総じておかしいのです。何より問題なのは、誰がどう見ても怪しさ全開の行動をとるAIウィルが、実は良い人でしたというオチに納得感が薄いこと。超越的な知能を持ち、文明社会の森羅万象を動かす力を持っているのだから、人類から猜疑心を抱かれないよう、もっとうまくやれよと思ってしまいました。これと併せて、遠隔操作可能な改造人間を作り始めるに至って、ようやく「最近のウィルって何だか気持ち悪いわ」と感じるようになったエブリンの異常な鈍さにも付いていけず、バカ夫婦の起こした珍騒動という印象が強くなっています。 そんな感じでトピックの扱いでも、人間ドラマでも失敗している本作ですが、救いはビジュアルの美しさで観客の目を楽しませることには成功していること。ノーランの映像美を最前線で支えてきた監督は、ここではきっちりと仕事をしています。 また、脚本レベルでは中盤以降、FBI、民間セキュリティ会社、エコテロリストの連合軍がウィルの要塞に攻めてくるという何とも燃える展開を準備してきますが、この下世話な部分が面白かったので、本作は憎めない作品となっています。人類側は「ハイテク兵器ではウィルに乗っ取られるから、旧式の銃火器で乗り込むぜ!」とやってくる。対して、ウィル側は障害者を改造して作り上げた不死身の強化人間軍団で陣地防衛。前半の真面目な雰囲気をぶち壊すこのバカさ加減には、私の中のB級魂が騒ぎました。また、結構真剣にテクノロジーを扱ってきた作品なのに、このパートではナノマシーンがほぼ魔法の道具扱いになっていて、このヤケクソ加減も私のツボでした。キューブリックの脚本をマイケル・ベイが監督したかのような歪さを楽しめるかどうかが、本作の評価を分ける点なのでしょう。私は嫌いじゃありません。 [ブルーレイ(字幕)] 6点(2016-01-28 19:24:07)(良:1票) |
218. マシニスト
《ネタバレ》 脳内オチ系の話であることは冒頭から察しが付くのですが、監督もそこを隠すつもりはなく、観客にあらゆる点を疑ってかかられることを想定して全体が組み立てられています。オチを隠そう隠そうとして失敗する作品が多い中で、本作はある程度の割り切りのもとで作られているため、作り手と観客との間での温度感の差ができていません。これは見事な判断だったと思います。 虚構と現実の混ぜ方がよく、観客の先読みをうまく利用して仕掛けを作っています。例えば、主人公を取り巻く女性たちの扱い。本作には2人の女性が登場しますが、この手の作品を見慣れている観客ほど、主人公と二人っきりでの登場場面しかないスティービーを妄想の産物であると疑うのではないでしょうか。ネタが割れてしまうと、スティービーは物語の真相とは無関係なデコイであることが分かるのですが、そこにジェニファー・ジェイソン・リーをキャスティングし、ヌードまで披露させて何かしら重要なキャラクターであると錯覚させた辺りの騙し方はうまいものだと思いました。 細かい点では、何気ない日用品に現実と妄想との間の橋渡しの役割をさせている点も興味深く感じました。例えば冷蔵庫。あれだけガリガリに痩せたトレバーはこの1年まともな食事をとっていないことが推測され、ならばあの冷蔵庫は1年間ほとんど開かれていないはず。トレバーの生活において冷蔵庫はタイムカプセルのような役割を果たしており、その中には彼の妄想の源流となる何かが詰まっていると見せかけているのです。観客の深層心理においても、しばらく開けていない冷蔵庫には底知れない気味の悪さがあります。外食が続いた後で久しぶりに冷蔵庫を開くとカビの生えたごはんですよが出てくるような経験は誰もが身に覚えがあるだけに、開けてみたいけど、中にはとんでもなく怖い過去の遺物が眠っていそうで開けたくない、できればフタをしたままにしておきたいというトレバーの心境とうまくシンクロさせています。 そんなミスディレクションの一方で、妄想に入る前には主人公がうたた寝をしかける描写を毎回きちんと入れており、演出面でインチキをしていない点が好印象でした。物語は一定の法則性の中で描かれており、すべてのピースがきちんと嵌るように作られています。監督は自分自身に制約をかけて「なんでもアリ」を許していないため、見終わった後にも納得感の高い作品となっているのです。 [DVD(吹替)] 7点(2016-01-26 16:22:12)(良:1票) |
219. アレクサンドリア
《ネタバレ》 拡大期にあったキリスト教が、現在のイスラム国やタリバンの如く多神教の文化や建造物を破壊しまくるという、かなり衝撃的な内容となっています。黎明期にローマ帝国より迫害を受けた歴史はしばしば語られるものの、一定の権威を獲得した後に従前の文化の破壊者となっていたという歴史はよく知らなかっただけに、本作の内容には驚かされました。 また、キリスト教の不寛容を描いた本作がカトリック国のスペインで製作されたという点も驚きなのですが、少しでも不備があれば文句がつきそうなセンシティブな題材にあって、監督のアレハンドロ・アメナーバルは文句のつけようのないほど徹底した完成度でこれに対応しており、作り手の気迫が画面ごしにも伝わってきました。CGに頼らず巨大なオープンセットを建設するという本物志向ぶり、モブシーンのド迫力など、歴史スペクタクルとして申し分のない仕上がりとなっているのです。 内容についてもどちらか一方の勢力を悪役に仕立て上げるのではなく、従前のローマ社会に大きな歪みがあって、社会システムからこぼれ落ちた弱者の受け皿としてキリスト教が拡大したという歴史がきちんと描かれています。基本的には人格者として扱われている主人公・ヒュパティアですら無意識のうちに差別的な言葉を使うという描写もきちんと挿入されており、歴史を多面的に描いて観客に問題提起しようとする姿勢も好印象でした。 問題点といえば、ヒュパティアがあまりに常人離れしていて、私を含めた一般の観客にとっては感情移入が難しいということでしょうか。信仰心はないものの、形式上はキリスト教に入信して批判をうまくかわしながら新旧文化の融和を図ろうとする弟子のオレステスと比較すると、敵対者にわざわざ攻撃材料を与えるかような言動をとるヒュパティアはうまくないなぁと思うし、その頑なさは、キリスト教側の強硬派・キュリロスと変わらないものではないかとの印象を受けました。 [DVD(吹替)] 8点(2016-01-26 16:21:14)(良:1票) |
220. ラースと、その彼女
《ネタバレ》 かなり深刻な題材を扱いながらも、たまに笑いを入れて重くなりすぎないよう微妙な温度感まで調節された脚本と演出が素晴らしく、高評価にも納得の作品となっています。 ただし、面白かったかと言われると微妙。ラースの抱える心の闇がほとんど描かれておらず、また、ラースの異常行動に対する住民たちのリアクションも行儀が良すぎて、もうひと山を作れていないような印象を受けるのです。ドロドロの葛藤を描くべきとは言いませんが、たまにラースを傷つける人が現れて、順調に進んでいた治療が逆戻りするかもしれないというハラハラ感を出してもよかったのではないかと思います。 また、ラースの心境にフォーカスしても、マーゴとの距離が近づいた途端にビアンカを葬るという解決方法には違和感を覚えました。彼にとってラブドールのビアンカは現実の女性と同等の存在。都合が変わったからと言って、ビアンカを殺してしまうという選択肢はモラルに反しているように思いました。ビアンカはラブドールであることをラースに認識させた上で、次のステップに進ませるという解決にした方が、個人的にはスッキリしたと思います。 [DVD(吹替)] 6点(2016-01-26 16:20:03) |