Menu
 > レビュワー
 > なんのかんの さんの口コミ一覧。11ページ目
なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2336
性別

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作年 : 1980年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順1234567891011121314
投稿日付順1234567891011121314
変更日付順1234567891011121314
>> カレンダー表示
>> 通常表示
201.  火宅の人
一番良かったところは、警察署でいしだあゆみが原田美枝子のおでこを叩くとこ。頬を引っぱたかないで、「めっ」って感じなの。フトコロが深いという表現でありながら、変に悟った感じを伴わず、滑稽さで対象化しちゃってるっていうか。ラストの「あなたのすることはみんな分かってんのよ」なんてとこは、そのセンスに欠けて、もひとつ鮮度が落ちてしまう。もちっと時代がプンプン匂う映画を期待したが、流行歌も出ず、そういう趣向の作品ではなかった(音楽は最悪だった)。あたりにどれだけ迷惑をかけても、そのことを自覚していればそれだけで許してもらえるんじゃないか、という甘えた男の話なんだけど、でもこれ、日本文化の一つの型なんだろうな。上方歌舞伎に出てくる放蕩息子の末裔って感じで。放浪って言っても厳しいものじゃなく、遊山の変形みたいなもので、金がなくなりゃ帰ってこられる家がある。それをただ甘えと否定してしまわず、そういう弱さを認め合ってしまうような土壌(本当はそれをこそ否定しなくちゃいけないのかも知れないが)、そういう文化の風土が描かれている。それはただの男尊女卑になってしまうこととは、微妙な差があるようなんだけど。夫婦の間での丁寧な言葉づかい、冷え切った感じを出すのではなく、ちょっとゲームみたいな感じを出していて、いい。
[映画館(邦画)] 6点(2011-01-28 10:19:28)
202.  新・喜びも悲しみも幾歳月 《ネタバレ》 
啄木の墓見に行って植木等が倒れ、パッと教会になって数年後の結婚式、アレアレと思わせといてちゃっかり車椅子で出てくる、なんて観客をからかうあたりはちょっと良かったが、なんかただの名所巡りになってるとこもあって、宇喜多秀家の墓なんてどうでもいいじゃないかと思わされ、総じて期待外れだった。よし、まず悪口を言っちゃおう。取ってつけたようなナマな反戦的言辞「戦争に行く船じゃなくてよかった」。自分で「あの映画は良かった」なんて言うな。紺野嬢の存在感のなさ、などなどが浮かぶが、紺野嬢に加藤剛、中井貴一、田中健と、あきらかに、強烈な個性を持たない・善意の人しか演じられないような俳優を選んでますね。けっして「神話」にはならない、固有名詞性の稀薄な「庶民の物語」を造り出してしまうキャスティング。こういう姿勢は現代の創造者としてイカンと思う一方、どこかでこういう世界を残しておきたい、って気もして、なんか全面否定する気にもなれない。まあそういう、昔の名人を懐かしむ、ってところが味の映画です。
[映画館(邦画)] 6点(2011-01-21 10:18:02)
203.  キネマの天地 《ネタバレ》 
映画は芸術よりも観客を励ます娯楽であるべきだ、という思想がまずあって、そこに通俗性の導入が企てられている(出生の秘密やラストの父の死など)。だがこのクセモノの作者たち(山田洋次・井上ひさし・山田太一)が、芸術と娯楽を対立概念として捉えたままで満足しているとは、どうも思えない。本当なら、芸術と娯楽の境界が曖昧になるところまで練り上げて、そこに通俗的なるものを導きたかったのではないか。そこへいくまでに作品が小さく固まってしまった、という気がしてならない。ラストで藤山寛美にダメを押されると、結局これは観客が素朴だった時代の通俗映画への単なるノスタルジーに終わってしまったのではないか、と思えてしまう。観念的だったホンが、スラプスティック化されて生き生きしたものになり、観客にも歓迎されていく、なんてあの具体的な姿勢で全編押していってもらいたいのに、助監督が映画への信頼を回復する、という重要な部分が、アカギレの女中に活動は楽しいと言わせるだけでは、彼が書いたシナリオと同じで、ナマすぎた。通俗と言われるもののバイタリティーをもう一度映画に回復させたい、という作者たちの気持ちはよく分かる。しかし通俗という言葉がしばしば悪口に使われるのもやはり理由のあることで、類型化による鮮度の後退という大きな欠点があるわけだ。『寅』シリーズが素晴らしいのは、パターン化されそうなところをいつも何か撹乱させる要素を含ませて鮮度を保たせていたからである。あれは通俗性を織り込みながらも、優れた娯楽映画だった。
[映画館(邦画)] 6点(2011-01-09 12:22:53)
204.  パリ、テキサス
この人の映画は、その映画に必要とされる時間よりいつもちょっと長すぎるみたいな気がして若干苦手、ロードムービーとして風景を眺めている時間が長いからなんだろうか。曇天に夕陽のシーンなんか、実に美しいけど。話としては、父を演じ直そうとする男の物語。フワフワと歩いていってしまう男、飛行機には乗れず、同じナンバーのレンターでないと駄目、という人。靴はいつも磨いて揃えておく。子どもがだんだんなついていくところに一応スリルがある。8ミリもいい。かつての良かった時。息子は水槽の脇から画面と父を観察している。銀行から赤い車を追うサスペンスもある。ナスターシャ・キンスキーが出てきてからダレたか。それぞれの嘆きが、分解してバラバラに散っていってしまうようなテキサスの風土。
[映画館(字幕)] 6点(2010-12-09 10:32:15)
205.  ポリス・ストーリー/香港国際警察
この泥臭い騒々しさには、どうしても馴染みきれないものがあるのだが、格闘シーンには心底ホレボレする。どの国のアクション映画の格闘シーンより、香港では接近して争ってるように見えてしまう。ほとんど組体操、高度なダンスのよう。戦う者の間の空隙を、一生懸命手足で埋めているような感じ。たとえば日本のチャンバラがしばしば主人公一人の日本舞踊であるのに対し、あちらはちゃんと、格闘というものの複数性を生かしている。そのキビキビした直角的動き。ラストのデパートなんて、うっとり見とれてしまった。ただショーケースがあるものだから、どうしてもやたらガラスが割れることになり(そうい売り場を選んでる)、あのハデな粉砕感は音楽で言えばシンバルの一打ちなわけで、あんまりやりすぎると効果が薄れる。見せどころのふきぬけの落下を反復するのも逆効果。見せどころは一回こっきりで、あとは観た者の脳内で「すごかったなあ」と夢のように反復させるものだ(でもこの3回繰り返すサービス過剰ぶりに、きっと香港映画の中国料理的しつこさの濃ゆ~い味わいがあるんだろうな)。車の崖下りやバスでのぶら下がりなども見せ場だけれど、アトラクション気分が強く、かえって電話番しているときのコント的エピソードのほうにアクションの楽しみを感じた。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2010-12-02 10:18:38)(良:1票)
206.  イヤー・オブ・ザ・ドラゴン
狭い奥まったとこへ行く感じはちょっとよかった。でも結局この監督で問題になるのは「偏見」でして、難しいところですな。『ディア・ハンター』は偏見と無関係な傑作だと思ったし、微妙なところをあえて扱う姿勢は支持したいと思うんですが、でも結果として本作、西洋人が東洋人に抱く薄気味の悪さにそのまま乗っかって、そのまま終わっちゃった映画になってしまった気がする。苦労を重ねた中国移民のエピソードは、本筋に組み込まれてなく、ただの傍注という感じどまり。妻とのゴタゴタやヒロインとの情事などの脇筋もつまんなかった。ジョン・ローンを軸にしたほうがもっと面白かったんではないか、と思うが、主人公を東洋系には出来ないところがハリウッド娯楽映画の限界か。話の終わりへの持って行き方はかなり雑。ミッキー・ロークがディスコの中やなんかを延々と追いかけていくあたりが、一番密度高かった。
[映画館(字幕)] 6点(2010-11-20 10:11:50)
207.  時計 Adiue I 'Hiver
こういう長い記録をドラマに織り込むって試みは、きっと多くの人が思いついても実際は面倒でやれなかったものだから、そのことだけでも褒めていいと思う。ただその5年間の少女の成長の記録をあまり生かせてなかった。お話が決まっていなくちゃ、そう無駄にも撮れないから、まあ通うとことか練習するとことか何にでも使えるカットになってしまう(現在なら廉価でハイビジョンビデオ使えて、いろいろな想定されるシーンをたっぷり撮っておけただろう)。だから本当にドラマが動き出すのは、現在に至った後半になってしまう。最初にかっちりシナリオを作って配役を拘束し5年撮影し続けるってのは大変だろうし、それではその5年の間に新たに発見するものを映画に加えていけない。そこらへんうまく働けば、映画ならではの記録性とドラマ性が融合した作品が生まれただろう。こういう試みがテレビ畑の人から出てきた、ってのが皮肉。刹那的なものを追っていたようなテレビのほうが、記録性ということに敏感になっていたのか。
[映画館(邦画)] 6点(2010-11-17 09:57:23)
208.  人間の約束
しばしば画面は廊下や道路が奥へ延びているのだが、俯瞰の閉じた印象が枠を作っているので、広がる感じはない。深まる感じ。円錐状の穴ぼこみたいな世界。それと青や緑系の鉱物質の光に水のイメージが漂い、全編が沼の中の出来事のよう。ヤマ場は嫁が婆さんを風呂に置き去りにしちゃうあたりか。ふっと日常から跳んでしまう感じにリアリティがあった。罪という次元と違うところでカチッとスイッチが切り替わっちゃう感じ、これが怖い。ただボケ老人が、憐れなだけの存在になってるのが引っかかった。ちょうどこれ羽田澄子の傑作『痴呆性老人の世界』を観て、いわゆる「ボケ老人」の内面の豊かさに驚かされた後での鑑賞だったので、その豊かさが切り捨てられていることに不満を持った。介護する側から見れば、こうならざるを得ないのかも知れないが。それと三国連太郎は、ちょっと風格がありすぎるんじゃないか。あと、子どもたちの扱いが雑なこと。
[映画館(邦画)] 6点(2010-10-04 09:59:13)
209.  野ゆき山ゆき海べゆき
スカッとはいかないのである。お昌ちゃん奪い返しても、最終的には勝てっこない。白塗りの異形の子どもたちが大人どもをコロがしても、最終的には勝てっこない。そこでスカッとはできない。そこのところをこそ訴えたかったのかも知れないけど、どうもやっぱり空しさのほうが先に立ってしまって。悲恋物語の額縁が作品を窮屈にしてしまった、というか、伸びたかも知れないものを断ち切ってしまった、いう感じがした。一つ一つのエピソードが発展しきらないうちにしぼんでしまうことと関係があるのかも。戯画化された人々の動き、おもしろい面が出ているところもあれば(たとえばロクボクの前での歌舞伎ふう立ち回り)、失敗しているところもあり(先生)、実験をしたという評価どまり。いかにも良識人風の三浦友和の父が、コンコンと日本の「進出」を説明するところは、時代の雰囲気が出ていて良かった。文部省唱歌ミュージカル的試みは、かつて『二十四の瞳』もあるが、まだ可能性がありそう。白黒版。
[映画館(邦画)] 6点(2010-08-17 09:53:27)
210.  映画女優(1987)
冒頭の『不如帰』の、頭が上がってくるところは美しかった。ゾクゾクさせられた。過去のフィルムの骨董的美しさというよりも、モダンな現代美術として蘇ったような効果。しかし本筋に入ると、もひとつ乗り切れないところがある。いつもながら室内の暗さは美しいし、カットごとに人に移っていくそのリズムの心地よさは申し分ない。一番ドキドキしたのは、溝口の読み合わせのシーンでしたか、なんだなんだという絹代の戸惑い、消されていく黒板のセリフ、ステージ以外の周囲に広がる暗がり、「田中さん、…です」の繰り返し、こういう畳み込んでいく感じは素晴らしい。ただ吉永小百合、短いカットだと映えるんだけど、ちょいと太いとこを見せる場面になると、無理が目立っちゃう。うまいヘタの問題というより、質の問題なんだろう。そこらへんでどうも乗り切れない。この監督はポカーンとしたとこ撮るといいんだよね、セリフのあるドラマ部分よりも。よそ見をしながらビールを飲んでるとことか。上原謙はコントラストの強い場面で、ほんのちょっと出るだけ。清水宏役の渡辺徹は、体格で選ばれたキャスティングでしょう。
[映画館(邦画)] 6点(2010-08-15 09:42:21)
211.  ウホッホ探険隊
乗り物がいっぱい。船、父と家族を結ぶ(隔てる?)大きなのから、夫婦あるいは恋人同士を乗せる小さなのまで。さらに家の中にも波の揺れる置き物つきの模型。飛行機もラジコンのおもちゃに本物がかぶさる。車が走る回りをカメラがまとい付き、ときに後ろから乗り越えて前にさかさまに回り込んだりする。だからどうだっていうものじゃないけど、作品の「家庭」というテーマを小さく固めないように揺さぶってたって感じ。この家の上には不吉な月が始終かかってて、いや、不吉っていうより何か薄い印象か。青空も同じで、手応えの薄い感じ。ただそういう「感じ」ばかりが先行し、作品の手応えも「薄く」なってた。ま、それが現代なんだって言えばそれまでなんだけど。ちょっと凝りすぎてて、でもあんまり効果のないいろいろのシーン、顔洗うとこを水中から撮ったり、冷蔵庫の中にカメラを収めておいたり、そういういろいろ、やらないよりはやったほうがいいのかも知れないけど、どうも単に意表を衝くってこと以上の、映画の興奮には至ってなかったように思う。
[映画館(邦画)] 6点(2010-08-11 09:54:11)
212.  恋する女たち(1986)
学園もの、初恋もの。こういうのは最初は己れの周辺の話として観ていたものだが、やがてある段階から「最近の若い子たちはこんな感じなのかねえ」という気分で観るようになっているのに気づき、シミジミさせられる。この時代ぐらいになると、もう親の呪縛からは完全に解かれていて、その世代だけの物語となる。そのぶん大人の絡むシーンはだいたい不調。現実の反映なのか、理想としてなのかはよく分からないけど。見つめるだけの禁欲的な憧れの世界。オタカさんは窓から野球少年を見つめ、少年は図書室でオタカさんを見つめ。喋れば思いばかりが先に立ち、口がまわらなくなり、あるいは心が後ろに引っ込んで、字幕となって悪態をつく。学園の青春は不変です。「野球好きなの?」「ヤクルト」「飲み物のこと言ってんじゃないのよ」「!?」で思いがばれちゃうなんてとこ、おかしかった。自分の思いを隠そうとするヒロインてのが、不変の味わいなんだろうなあ。地方都市のなんかシマッテない感じが良い。
[映画館(邦画)] 6点(2010-08-08 10:40:11)
213.  男はつらいよ 幸福の青い鳥 《ネタバレ》 
ポンシュウがコンピューター運勢ってのをやっていた。思えばこのシリーズでのテキ屋の商売の変遷を見ると、昭和後期の時代相が浮かんでくるかも知れない。で、そこで示された方角に行くと古い小屋。劇場の男とのしみじみした会話、ここらへんのうらぶれた感じを出すのはいつもながらうまい。東京の歌舞伎が来た日にちをソラで覚えている。で座長の娘さん。なんか大河ドラマとしての『男はつらいよ』を感じてしまった。ここらへんまでは味わいがあったが、東京の話になっていくと、やや弱い。トラがラーメンの配達をして店の前を通り過ぎていくあたりは笑った。区役所での「あなたの声を聞かせてください」もおかしかったが、あんまりこの監督の持ち味ではない。ギャグのような風刺のような中途半端さ。笑ったけどね。満男君が微妙な年頃になっていて、家族の者たちを無視したりするようになる。全体としてもとらや離れという感じがあった。若い二人だけのシーンの比重が増していたよう。こういう形式で何か新しい展開を模索していたのかもしれない。でもけっきょく志穂美悦子でなければならないってものがなかったのがイタイ。そういうものをマドンナ役者から引き出すのが、このシリーズの魅力だったのだが。
[映画館(邦画)] 6点(2010-08-06 10:23:06)(良:1票)
214.  蜘蛛女のキス
話の本筋よりも、中に出てくるナチ映画の印象が強く残っている。善玉としてのナチ、悪玉としてのレジスタンス。そういう設定ってのは観たことがなかったんで、ああそうか、ナチの側からすれば、こういうのいっぱい作ってたんだなあ、と実に新鮮な驚きの面白さを味わった。といって「歴史は相対的なものでなんでもアリなのだ」と思ったわけでもなく、「ナチが正しかったかもしれない」と説得されたわけでもない。ただけっこう深いところで自在感を味わえ、私の中で貴重な体験となった。でも映画でそういう体験をすることはときどきあり、『国民の創生』には善玉としてのKKK団が出てきた(実は映画ではぼやかしているが「風と共に去りぬ」の原作にも出てくる。主要登場人物の某が後半善玉のKKKとなって、読んだときはビックリした)。その点日本の国策映画はあんまり「敵」に興味がなく、いかに日本の兵隊さんが苦労をしてるかってところがポイントなんで、そういう驚きはあんまりない。『支那の夜』には怪しげな抗日運動家が出てきたなあ。おっと脱線。で、このことと映画『蜘蛛女…』のモチーフの「裏切ること」ってのとどう関係があるのか、私には分からなかったけど、「思想」というものの不確かさってとこで何か通底していそう。スパイとスパイダーって、語源的になんか共通してるのか。
[映画館(字幕)] 6点(2010-05-30 12:06:28)
215.  マックス、モン・アムール 《ネタバレ》 
愛とは拘束なのか、いう問題を大島はずっと追い続けていて、夫は妻を拘束したい、妻はマックスを事実上拘束している、って図式。面白くなってくるのは誕生パーティのシーンからかな。カリエール好みの状況。犬の鳴き声で種類を当てているところにマックスの鳴き声が。上流社会とチンパンジーの取り合わせがカリエール的。シークエンスの終わりをアッサリさせてすぐ次につなげてうまさを出しているところが多かった。『戦場のメリークリスマス』ではフェイドアウトを多用していたと思うけど、今回はなかったんじゃないか。演出スタイルがどんどん変わっていくのが、まあこの監督のスタイルで、長回しの『日本の夜と霧』があれば、短いカットの『白昼の通り魔』もやってみる、といった感じ。探偵の二度目の登場「相手はサルでしたよ」がおかしい。鍵穴から覗けばいいのよ、と言われた夫も含めてすべて鍵穴に消えていくラスト、何かずるいって気もしましたけどね。
[映画館(字幕)] 6点(2010-05-10 11:57:42)
216.  塀の中の懲りない面々
部分的には面白いところもあるんだよ。外に出てからの夢を描くところなんかかなりおかしいし。アベベの脱獄シーンもいい、足音が。シャバに出た植木等がタバコをハッと消しそうになるところ。ただ全体がうねってくれない。つながんない。話の構図が、人間味溢るる囚人にサディスティックな看守、という単純な構図で、そんなもんかなあ、とこちらはつい皮肉な目つきで観ることになってしまう。その構図から離れたのは、ヘリコプターをきょとんと見送るとこかな。突然「革命」なんて言葉が飛び込んでくるおかしさ。インターナショナルはヘリの音に消されがち。この断絶の滑稽さ。口笛は『砂のミラージュ』観てなかったら感動したかもしれない。
[映画館(邦画)] 6点(2010-04-30 11:56:03)
217.  スーパーマンIII/電子の要塞
前作ほどユーモアが一本にまとまらなかったってことか。タイトルのあたりの町の事件のおかしさは、そう悪くないのよ。スピード写真で変化がうつってるギャグなんてのも良かったし。でもね、犯人のほうの戦略が一定してないでしょ、そこが弱い。スーパーマンが不貞腐れて酒場で酔い潰れてるなんてのは、かなりおかしいけど、その後で分身になってユング心理学的に争い出すと、なんかギャグじゃなくなっちゃうのよね。そもそもクリプトンナイト与えられると、すさんじゃうの? 弱っちゃうのは分かるんだけど。スモールビルとコンピューター男とが並行で描かれてるあたりが一番面白かった。「20世紀の方法はただひとつ、ボタンを押すだけだ」なんてのがあった。水を凍らせるんなら、火も消せそうなものだがな。
[映画館(字幕)] 6点(2010-04-27 11:59:01)
218.  永遠の1/2
ところどころに会話の妙はある。生活臭が感じられないってのは、この作品の場合悪口にはならないんだろう。暮らしてはいるが、生活はしてないんだから。おそらく映画として一番面白く出来そうなのは、自分そっくりのヤツがいろいろ面倒を起こしてる、ってとこだろうけど、それがずいぶん遠慮がちな描き方で、いづみちゃんがウロウロ身の回りをうろついてるあたりはいいんだけど、もひとつ盛り上がらなかったなあ。まあそこで大竹しのぶの「もっとこんがらがっちゃえばいいのよ」が生きてくるのかも知れないけど。でもこの主人公そう人間関係の鬱陶しさに悩まされてるって感じでもなく(婚約者にはウンザリしてたけど)、つまり状況のほうがこんがらがってくれないと、人間関係が動いてくれない、ってところに当時の「現代青年」像があったのか。部屋の奥で二人並んで神妙にモーツァルト聴いてるところなんかは、おかしかった。あと超ロングの右端で竹中直人が荒れてるとこかな。
[映画館(邦画)] 6点(2010-04-11 11:57:44)
219.  カルメンという名の女
光線の美しさ、女の顔に横から当たるときのギリシャ的端正さ、病室の明かりが消されてゴダールがシルエットになるとこ、ラスト近くの薄黄色い光の中でのラヴシーン、など。『パッション』が古典絵画をベースに作られた作品だとすれば、こちらは古典音楽、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中期以降を順に追っている。9番の2楽章で始まり、10番、とんで14番の終楽章に入るあたり。さかんに波打ちぎわをやってたところ。15番の3楽章、4楽章はホセが逮捕されて車に入れられたとこだったか。こう番号順に律儀に進んでいく。16番でラストの襲撃。ゴダールとベートーヴェンの四重奏の組み合わせって、後にロメールの『獅子座』でも目撃することになる(日本で公開されたのはロメールの方が後なので)。映画の中に登場したゴダールは、レコードの針を戻しながら15番の2楽章の中間部を繰り返し聴いていた。監督ロメールの指示というより、そうしているゴダールをスケッチしたって感じ。ベートーヴェンになにかの意味を考えるより、ただ単純に好きってことなんだろう。古典と言っても「古典派」と言えるのは、『カルメン…』に使用されなかった初期の1~6番で、音楽史的には革命期、後期の作品には20世紀音楽を予告するような響きさえある。そこらへんの古典を打ち破る姿勢が、ゴダール好きなんじゃないか。というわけで、どうも音楽と光にばかり気を取られて、この『カルメン…』鑑賞、映画体験と言えるのかどうか。夕もやにかすむ海、船。あれなんかフランス絵画ですなあ。古典を解体しているようで、ああいう古典そのままの美しさも肯定しているようなあたり、なんかゴ氏の加齢による「しみじみ」気分を感じた作品でした。
[映画館(字幕)] 6点(2010-04-10 12:07:09)
220.  ガキ帝国 《ネタバレ》 
ワルの階層というのがよく出ている。また、こういうふうにワルくなっていくんだなあ、というところも納得いく。ヒョイと死んでしまうとこなんかリアリティ。朝鮮人の友だちの改造拳銃や、リフトで車に突っ込んだところなど。「俺、歌手になりたかった」なんてのは、いらぬ技巧でしたな。つくりには粗いとこもあるけど、この三人組の仲間仲間してる感じがいい。とくに三人目のが「しっかりしてる」んだな。いろいろ寄り道しているようでいて、自分をしっかり捉えている。だからといってクールなのではなく、友の死ではホットになれる。実に好青年であった。言葉の凄味にも期待したんだけど、それほどでもなかった。
[映画館(邦画)] 6点(2010-02-04 12:02:37)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS