21. トゥルー・ロマンス
《ネタバレ》 夕焼けに染まる浜辺を歩く2人とちびっ子の姿を見ながら涙をグッと堪えて「ちくしょー、良い映画だ」って心底思い、彼らのこの先が平穏であることを願った。欲深さのない澄んだ心を持った2人が出会った瞬間、欲の為に必至こいている奴らは到底2人にはかないっこ無いんだ。これは起こるべくして起きた奇跡の話。でも、こんなステキな映画を撮れるトニーがもういないなんてあまりにも哀しいな。どうか、ぼくが死んだら「素晴らしい映画だった」って伝えに行きたい。 [DVD(吹替)] 9点(2012-12-21 01:48:49)(良:2票) |
22. デス・プルーフ in グラインドハウス
くっっっっっっっっっっっそ、おもろいやないかーーーーー!!!!!ケツ、吹き飛ぶてっかてかのエロい足、女子パンチ、女子後ろ回し蹴りに、女子美脚踵落とし!序盤のガールズトークの不毛さゆえにラッセルに肩入れしてしまったが、2幕でも繰り返されるガールズトークでは女子たちのステキさに肩入れし、「またしても…嫌だ」って思わせてからのハイパーカタルシス!こんな馬鹿でエロクてグロい映画は法律で規制されるべき麻薬映画だ。観賞後、即座に二度目を観たのは言うまでもないわ。 [DVD(吹替)] 9点(2012-12-17 23:44:05) |
23. 危険なメソッド
《ネタバレ》 序盤からキーラ様の抑えられない”感情”が明解に「突き出る」。これはまさかと思い、いやまさかとおもっておりましたら、いやまさかまさかやはり男性器のメタファーでした。相変わらず解りにくい事をやって下さいますクローネンバーグ先生。科学を専攻しておられた先生の作品には、いつも”科学者的思考”が否応無く張り巡らされておりますが、今作はそんな先生の”潜在的な意識”と”画面上で起きている出来事”が完全に一致しておりますので、先生にとっては得意中の得意、あるいは真にやりたかった作品なのでは?と思わずにいられませんでした。ヒステリーに象徴される「行動」に出るものには必ず潜在的な深層心理が関係しているなんてのは、今でこそ当然ではありますが、当時はそんなこともなく、ヒステリーはただの病気でしたのでユングとフロイトの残した功績は現行の多くの分野に足跡を残していると言えます。そんなユングとフロイトの夢判断合戦の滑稽さ、終盤のやりとりの回りくどい批評合戦、そこにある自分を棚に上げる滑稽さは可笑しくも可哀想であり、またそこで対比して存在するザビーナの変化も映画的に見事に捕えておられます。彼女の勃起を抑えようとする様、あるいはケツを叩かれながら自分をしっかり客観視しようとする様には、元気になりそうになったアレもが引っ込みました。 そんな中枢の物語の基盤にある「潜在的感情」を比喩やメタファーを用いて描く点もやっぱりクローネンバーグ先生らしくもあり、こっちも先生の『潜在的テーマ」を探ろうとまるで先生になったような気持ちで必至で探らせて頂きました。非常に余白の多い豊かな作品であると共に、映画製作、映画鑑賞もまた登場人物の感情を知ろうとする心理分析だと改めて体感致しました。 [映画館(字幕)] 9点(2012-12-17 02:28:24) |
24. ダイアリー・オブ・ザ・デッド
本作はモキュメンタリーが流行った最中に作られ、2012年現在ではもはや確立したひとつの手法として定着し落ち着いた印象はありますが、そんな新進の技法をロメロ監督が用いて撮ったのには、二つの理由がわかりやすく明示されていました。まずはモキュメンタリーが生み出す「現実と虚実の見境がなくなる」という効果。あたかも実際に起きた事を誰かが撮ったような実在感を安っぽいホームカメラ画面が生み出します。まさにYouTubeで「偶然」観てしまったようなショッキングさがあります。ある意味、等身大サイズのゾンビを同等の目線で捕えられる題材としては優れているのかも知れません。また、上記にも述べたYouTube等で「プロ=お金をもらって」やっている立場ではない者たちの挙げる情報・映像に対しての批評性を、もう如実に台詞でも映像でもグイグイ押し出してきます。ロメロ監督らしく、意義のある試みだと思う一方で、テーマに対する観客の能動性を妨げるほどの説明過多を感じずにいられませんでした。それに関して譲歩するならば、”登場人物達が素人でしかない”という根本的な設定から必然的に、あるいはあえての試みだったのかも知れません。つまり「素人には結局伝えたいことは伝え切れない」というようなこともあるのかも知れません。メタな情報社会へのアンチテーゼとも受け取る事ができます。しかしながらどれだけ譲歩しても終始、台詞により心情吐露は積み重ねられるほどに鬱陶しく、終盤での撮り続ける決意に関してもそれは作品上の都合でしかなかなったように思われ、どうも腑に落ちない終焉でした。個人的には前作「ランド・オブ~」ぐらいの明解さと、こちらに解釈の余地を残して下さった作りの方が好きです。それでもやはりロメロ作品の珍品としての意義は残るように思います。 [DVD(字幕)] 6点(2012-12-17 01:48:40) |
25. 希望の国
園監督の作品をぼくは手放しで賞賛してしまう。客観性を若干欠如した無意識的な同調心が強烈にぼくの中に育成されている。発端は「自殺サークル」であの作品はカルト的に「やっている事」、つまり表層的な面を評価、あるいは揶揄する声が多い中でぼくは監督の"誠実さ故の強烈さ"に打ちのめされた。表層的に描かれている事が非常に直接的に強烈な意思を表現しているのにも関わらず、結果的に強烈さに目を奪われ、見過ごされている"内面"という構造そのものもまた現代的だったりするのだが「監督の祈り」を受け取り、己の気付こうとしなかった世界の側面に気付かされ、当時のぼくは感謝の思いで一杯だった。それ以降、監督が描き出す世界は、いつもぼくが見過ごしている世界の実情を間違いなく教えて下さってきた。それらにいつも驚かされ、感動させられ、勉強させられてきた。今回は、表層的なテーマと内面的なテーマが同一線状にある為、明確であると同時にある種の「押し付け」が感じられる。というのもこれまでは気付いていないことを能動的に感じ取ろうとする事で「観客が自発的に気付く」というのが園監督作品のある種の醍醐味だったが、今回のは見ていればわかる具体的な台詞等もある。つまり意図的にアピールしているとしか思えない。要するに「祈る」レベルではなく、それを「共有(もしかすると強要)」したいレベルで今回の作品は作られたのだと思う。園監督の焦りや憤りがあまりにも強過ぎる、もはやデモ行為と等しい作品だった。だから全体的に演出のあざとさに違和感があったのだと個人的には納得。空白(内面的テーマ)があるとすればお母さんの「帰ろうよ」という台詞が監督の真の願望、思想だったのではないだろうか。「自殺サークル」で言えば「あなたはあなたの関係者ですか?」に匹敵するほど能動的に自分自身を内省させてくれる。余白は圧倒的に少ないが、現代日本の著名な監督で唯一作品で意思表示をなさった監督に敬意を持たずにいられない。その誠実さ故の強烈さにやはりぼくは強烈に感動させれらてしまった。 [映画館(邦画)] 9点(2012-11-05 18:36:51)(良:1票) |
26. パーマネント野ばら
ようやく拝見。これは本当に大変素晴らしい。まずリアリティラインの圧倒的な実在感による破綻しない物語の説得力が、至極の余韻を生み出している。夏木マリさんも小池栄子さんも、池脇千鶴さんも、みんな「クヒオ大佐」同様、あとちょっと演出間違っていたら「嘘っぱち」だった。序盤から突き抜けに明るくテンション高めで、菅野美穂さんの素性とその周辺を軽快なテンポで説明していく。ただその説明も説明台詞など物語の進行を鈍重にするような手段は取らず、的確に省略と凝縮を用いてスマートに描いて行く。このスマートである事が決定的に効果覿面。序盤のその構成で観客はそうであると「思い込む」。つまり序盤の構成、あるいはその一見穏やかそうに見える世界の全てが、後の「事実」の伏線としての存在理由も兼ねているというこの重層的な構成。す…すげぇやん。序盤が明るければ明るいほど、結末での落差が尋常ではない。吉田大八監督の奥行きある表現を描き出す演出力に心底むちゃ脱帽。「クヒオ」「桐島」と同様、今作も「願望=妄想」演出が美しかったが、と同時にそこにある儚さや尊さが残酷な形で浮き彫りになるのは痛々しくて、苦しくて心砕かれる。生きる事の痛みを誠実に描こうとしている。吉田大八監督の作品に関して共通しているのが、最も重要な部分を「隠している」点にある。監督が言いたい事を登場人物が語ることはなく、観客の能動的な姿勢によって初めて「見えてくる」という点。そもそも、芸術の読解方法は能動性なわけだから当たり前なんだけど…ま、それはいいとして。テーマはあまりにも日常的で我々が日々感じている事なのだが、それがあまりにも日常的過ぎるが故に見過ごしてしまっている、この普遍性。あと最後に。ラストカットのその前のカットがファーストカットの対。つまり現実や期待や夢がこぼれ落ちていくメタファーがテーマも暗喩している。構成が匠で美し過ぎる!! [DVD(邦画)] 9点(2012-10-17 13:26:46)(良:1票) |
27. SHAME -シェイム-
《ネタバレ》 「17歳の肖像」「Never Let Me Go」そして「Drive」と、あまりにも輝き過ぎていて直視するのも堪え難いC・マリガンの美しき裸体が拝めるとあって、固唾をのんで拝見したが、その感想は見事なまでに期待を裏切られた。垂れ下がり、締りのない胸。スマートとは対極を示すかのようなボディーライン。絶句だ。だが、それすらも複線なのだと、クライマックスで激情的に感じ得た。ファスベンダーは性に溺れているが、その発端は一切描かれない。依存症は、何かへの反動、あるいは逃避で始める事例があるようだが、彼は一体なぜ性から抜け出せなくなったのか?それが今作の核たるテーマだと思わずにいられなかった。まず、彼は社会的になに不自由無く暮らしている。お金はあり、容姿端麗できっと学歴もあるだろうし、会社では多々結果を残しているに違いない。彼には欠点という欠点が表層的な部分では一切無いと言っても過言ではない。そんな彼の姿勢は、これもまた何処か機械的に、何かを隠しているようにも見えてならない。つまり、“性”と“社交的振る舞い”は等しく「何か」からの反動、逃避であることは彼の姿を見ていればそれとなく理解出来てくる。「SHAME」社会的に彼が最も隠したい“SHAME”とは?クライマックス、彼はゲイプレイの末に3Pをする。彼の表情は快楽に溺れているように見える。そのバックでは妹の声がする。彼はその声から逃げるように、紛らわすかのように激しく腰を振る。そして絶頂の瞬間に彼が見せるあの悲痛な表情。彼は真に望む相手とのそれができない事を理解している。だがそれを理解していても、捨て去れるわけではない。むしろ離れようとすればするほど、それは否応無く彼を苦しめる。社会的に依存症と比べ物にならない程軽視されるであろう彼の願望。それは家族にも、当然社会にも知られてはならない想いだ。それから逃れる事なんて彼には出来ない。望む事を唯一で来た序盤の彼の涙がそれを克明に物語る。あまりにも許されない、あまりにも美しすぎる”SHAME”。素晴らしい。 [DVD(字幕)] 9点(2012-10-16 20:43:28)(良:2票) |
28. ライク・サムワン・イン・ラブ
物語の主要な情報は、登場人物が知っている事のみしか観客にも伝わらない。彼らの抱えている想いは空洞状態でぼくらにもその空洞がどういう形状のものかは知りえない。そのドーナツのように真ん中に穴の開いた今作は、ぼくらを否応無く能動的にさせる。「彼にどんな過去が?」「この先どうなる?」「どうして彼女はこうなった?」「なぜ彼はそれを求める?」「どうして彼女は受け入れられない?」様々な憶測と、登場人物の気持ちを理解しようとする行為そのものが、まさにこの劇中で「真」に描かれようとしている“人が人に歩み寄る姿勢”そのものをメタ的に感じ得てしまっている。つまり、このぼくらの生きる世界と、劇中の世界を隔てているものが無くなる瞬間を捕えようとしている。何が真実で、何が嘘か。わかりはしないが、この作品を観ている時に自ずと歩み寄ろうとしている姿勢だけは、普遍的で日常的なぼくらの真実だ。 [映画館(邦画)] 8点(2012-10-16 20:22:18) |
29. プロメテウス
《ネタバレ》 これはデイヴィッドの話なんだと思いました。序盤から「2001年~」のオマージュに観えるシーンと音楽が流れていて、徐々に「A.I.」に近しいテーマもオマージュとしてあるんじゃないかなと思ったりもしました。知的生命体から武器の使い方を教わり、武器を持った人類はその末に核兵器(船)を作り出し、HALと地球の次の支配者を決めるべく戦う、という構図が「2001年~」で今作に多方面で絡んでくるのがまず楽しいし、デイヴィッドの抱く願望がまんま「A.I.」のデイヴィッドで、知的生命体に願い事をするところは大変興味深かったです。話を変えて、作品上では一切描いていない部分を勝手に憶測します。そもそもエンジニアはなんの為に人類を誕生させたのか?これは進化論と宗教を共に否定していますが、人類は誕生させられた存在だとすればエイリアンなわけですが、我々エイリアンが誕生し、文明を発展させてからは破壊行為と殺し合いしかしていません。虐殺と自然破壊のみです。実際問題エイリアンは猫は襲いませんし、自然破壊もしませんから人間の方がよっぽどエイリアンです。エンジニアは人類を野放しにしたせいで人類は第三次世界大戦で核戦争をしようとしました。エンジニアからしてみればそれはエンジニアの過ちです。だとすればエンジニアがすることは一つです。人類を責任持って滅ぼさなければ地球が滅びるのです。その救世主たり得るのは人類の進化した文明の誕生かエイリアン、あるいは科学兵器によって人類を滅ぼすか、のいずれかです。また前者には二通りのアイディアがあります。人類が進むか、人類以外が進むか。つまり「2001年~」です。結局ここに至ってしまいました。冒頭のシーンの受け取り方は黒い液体によって生命の種をまくこととその破壊。あと、ラストの特攻はある意味核爆弾の突撃で、子孫を残し続けた人類が生んだ核兵器(エイリアン)かな?キューブリックへのオマージュ、自己作品パロディ。思想豊で大変楽しかったですよ。 [映画館(字幕)] 8点(2012-09-24 00:38:07) |
30. 鍵泥棒のメソッド
奇跡の話ですかね?石鹸、人を傷付けない優しいヤクザ、人と人の出会い方、偶然の発生する確率、人々の願望とその達成の仕方、などなどなどなど。全てがあまりにも都合が良く、必然性もなく出会うべくして出会い、起こるべくして起こる事が終始積み重ねられていくストーリー。まるで作り手の手が画面に入ってきているかのような圧倒的な奇跡の連続。人物設定に関しても実在感がない記号的でまったくの奥行きのない表層的な設定で、安易で陳腐。これがよく出来た脚本なの?本当に?こんな理屈の伴わない偶然が連続してても?冒頭で、これは奇跡の話ですって始めてカエルを落とすPTA監督の「マグノリア」ぐらい奇跡の話にして頂けないと、まるっきし実在感のない嘘の話にしか観えません。あと、香川さんが「芝居」とは?と考える場面、あれを複線としてなぜあの程度の回収なのだ?せっかくカタルシスに活かせたのに・・・ただ一点、遺書を読む場面は人物逆転劇として映画的でした。 [映画館(邦画)] 3点(2012-09-23 13:18:36) |
31. 桐島、部活やめるってよ
《ネタバレ》 「僕たちに青春映画は撮れない」中盤付近で眼鏡君は言う。そこには重層的な意思がある。まず「この映画は青春映画ではない」という意思表示。日本映画界が量産する絵空事な“自称青春映画”に対する憤りの念とそれらに対する嘘っぱちだ!という反感精神。そこと絡んでくるのは映画部顧問の「半径1m以内の話を作れ」という台詞。映画部にとって上記でも述べた意思と共にゾンビ映画こそ普遍だ、という意思がある。「ナイト・オブ~」は、ゾンビにより窮地に立たされた人々の負の願望から炙り出されてゆく人間の“本性”を描き出しており、これは絶対的にいつの時代も変わらない普遍的なものに昇華している。“ゾンビ”の定義は「腐った死体のまま動き回る人間」で、喰らう為に生きる存在だが、ぼくらは本来、生きる為に喰らう存在。 「桐島」は、彼を必要とする人々にとって現状の位置を高め、維持する「ステータス」に過ぎない。そんな彼らと対比するように登場する映画部を始めとする者達は「ステータス」に関心が無い。それぞれの金曜日を通し、それぞれの目線が丁寧に描かれる。 クライマックスで、彼らの後ろにワーグナーのローエングリンが流れる。想いが届かぬ事を理解しながらも、むしろ断ち切るため、痛みの中へ身を投げた彼女は演奏する。彼女の想いだけでなくローエングリンは、屋上に集う者たちの姿も重層的に描き、そして寄り添う。「桐島」に吸い寄せられた者達が「桐島」に関心のないゾンビ達によって喰い殺されていくカタルシス。屋上でむき出しの“本性”が炙り出されていく。ぼくらがあの頃執拗に隠していた“ださい”姿。前田が未来に明確なビジョンを持っているだろうとヒロキは思っていただろうが、前田の言葉は意表をつかれる。これは現代を象徴する意識をも具現化する。レンズ(非直接的な物事のメタファー)を通し見た気になり、決めつけ、思い込んでいる。好きだけど今しか出来ない、痛みを彼は知っていた。本作は、進路を決め、大人にならなければならない子どもの尊い狭間の物語でもある。 (追記)カーストは描いているけど、映画部、吹奏楽部、野球部キャプテンらはその内側にすらいない。いると思っているのは内側にいる者。メタ構造的にも、カーストに捕われているから重視するのだ。 [映画館(邦画)] 10点(2012-08-30 21:26:40)(良:3票) |
32. トガニ 幼き瞳の告発
この作品が描いているテーマや題材そのものは、韓国にとって重要な事実であり、事件であり、国家を揺るがすほどの問題であって、他国に住むぼくにとっても知っておくべき内容のものでした。その件については知る事ができて良かったと心底思う訳ですが、この物語りそのものの作りがある種の“霧”に包まれているような不安感、疑心感を拭えずにいます。それは表層的な演出内容、キャスティング、俳優の芝居、登場人物の奥行き、全てにおいて偏見に近しいような極端な目線で、さらにあまりにも記号的な存在として全ての登場人物達が存在している為、事件そのものの真実味を薄く感じさせるほどそれらがあざとい表現で描かれているように見えて仕方ありませんでした。それは考えそのものをこの作品内の”正さ”に押し込められ、“強要”され、それ以外の考えを持つ事は”非人道的”と切り捨てるかのような作りに窮屈さを激しく感じました。この物語には多面的な物の見方、そのものが欠落しており、「悪は生まれながらにして悪で、改善の余地無し。死あるのみ」という考えに押しやる為に、それに対する疑心が生まれる要素を一切排除しています。演出や脚本がまるで冷静さを失った暴徒のようで、ぼくにはどうしても、鵜呑みに信じる事が到底できない“霧”のかかった作品でした。 [映画館(字幕)] 5点(2012-08-23 08:46:54) |
33. ダークナイト ライジング
《ネタバレ》 まず、敵役お2人の目的意識の、望んでいる事とやっている事がまったく筋が通っていない為、主張そのものが破綻しています。また、復讐と父の目的を達成するという一作目でやろうとしたことの繰り返しがお2人の意図ですが、一作目とゴッサムの状況は変わっていますので、別の見地から観ても破綻しています。さらに「革命」を描こうとしているのに”市民”の意見が一切描かれてないのでそれもまた成立していません。つまり、バットマンへの問い掛けそのものが破綻しているので、バットマンのやっていることに奥行きがなく、彼の葛藤にまるで面白みがありません。根本的に脚本に緻密さがなく、粗があり過ぎです。 [映画館(字幕)] 5点(2012-08-19 00:59:31)(笑:1票) (良:5票) |
34. 卒業(1967)
《ネタバレ》 ガッチガッチに凝り固まったシステム、ルール、既存の観念。この作品ができるほんの数年前までハリウッドではベッドシーンはもとより夫婦がベッドに2人でいることすら禁じていた時代があるわけだから、もうこれは卒業以外のなんでもない。これはダメ、こうしなさい、ああしなさい。こうでなきゃいけない、言う通りにしなさい。まるでこの物語に登場してくる人物そのものがこの頃のハリウッドのように、押し付けがましく、「正しさ」に押し込めようとしているように見えてならない。でもこの作品を現代人が観れば「当然、問題なし」と観るだろう。そりゃ、花嫁を教会から連れ出すなんて行為そのものは間違っているし、やるべきではない。でも、彼のように押し付けがましく多くの事を強要される時代に生きていたとしたら?そう問いかけ、その人物に歩み寄って観ることをしなければどんな映画も成立しえない。まぁ、そんなことはどうでもいいや。とにかく、これまで半世紀近くハリウッドが築き上げて来た旧体制を「十字架で殴りつけ、教会の扉に張り付け」そしてそれら全てを投げ出して走って行く。これは旧体制からの卒業であり、新たなスタートの一員の誕生を見せつけられた瞬間なんだと凄く感動した。激動の時代であり、革命、なのだな。凄いや。 [DVD(吹替)] 8点(2012-08-08 07:06:02) |
35. ディスタービア
ぼくはある問題を除けば大変楽しく観れました。主人公の見えるとても狭い空間の中だけで進む物語、序盤のティーン向けのラブコメから終盤に向けてまさかのスリラーになっていく構成、そして主要キャストの豊かな芝居。期待していた(突き抜けに馬鹿まっしぐらな映画?)よりもずっと考えて作られている作品でした。序盤の裏窓のような「覗き行為」から発展するラブストーリーと、目撃してはならないものを見てしまった故のスリラー展開。主人公の目的の移行と共に好奇心は絶やされる事無く目紛しく展開が変化するので、すごく新鮮さを得ました。その構成を思いつき、それを成立させた技量は関心せずにはいられませんでした。まさかD・J・カルーソー監督の作品でこんな新鮮さを味わえるとは思っても見なかったので大変満足しております。デビッド・モースの外見的に取り繕われた誠実さに潜んだ悪意のある役を演じる上手さは、本当にお見事です。ただこの作品には問題があり、それは指摘せずにはいられない問題です。それは冒頭の父親との離別の件が後半で伏線として回収されないのは小さくない問題だと思います。個人的に、あの事故に彼に過失はないのは一目瞭然だが、それによって後遺症のように彼の足を引っ張る要素を彼が背負っているようにまるで見えない。極端なほどの人格の落差もなければ、荒んでいる様子もない。それが彼の最終的な変化や葛藤に絡んでこないなら、いっその事、“一年後”の設定以降から物語が始まってもなんら問題ないと思います。ただ、それが上手く物語と絡んでさえいたらもっと良くなっていたと思うから、とっても残念です。 [DVD(吹替)] 8点(2012-08-03 04:28:03)(良:2票) |
36. マチェーテ
《ネタバレ》 妄想でなら描けるセガールの悪役、無双セガールが無惨にやられる様に、まさかの最大のカタルシスがある。そんでもって結末には、デニーロが残念な姿で不甲斐なく殺される。この類いの感動?とはちょっと違うけど、近代ハリウッドの歴史を築いてきたであろうスター俳優がこんな形で共演し、なおかつ、ある意味では自分のキャリアの延長線上で最もタブーといえるものに挑戦したその志を評価せずにはいられない。おまけぐらいではあるけど、薬中のリンジーさんも薬中役+αで出演している所もシュールで好き。ストーリーは馬鹿に振り切っているように見えるが、本質の部分の作りはとても丁寧。ただそこを本気でふざけているだけの事。とってもを好感を持ちました。ただ、一つだけ気になる事があるとすればグロがエンターテイメント性以外の意図を含んでいるように見えないのは、個人的にはすごく嫌いなので総合的な評価は下げざる得ません。 [DVD(吹替)] 7点(2012-08-03 03:39:58)(良:1票) |
37. アタック・ザ・ブロック
《ネタバレ》 まずこの作品を語る上で欠かせないロジックとして挙げられるのが、昨年8月にイギリスで発生した暴動です。この暴動に参加した多くの人が、低所得者公営住居に住まざる得ない“チャヴ”と称される若者たちでした。親に頼らず自らの力で生きなければならない子ども達が不の連鎖の中で成長し、見た目は大人、中身は子どもの状態で育ってしまい、あのような痛ましい暴動が起きてしまったのかも知れません。作中の序盤で彼らチャヴ達は同じ団地に住む住人から「モンスター」と称され、見下されていました。当然と言えば当然でナイフをチラつかせて他人の生活を脅かすわけですから、しかるべきリアクションですしこの台詞も本当に気が利いててNice!!そんな彼らのそれらの行為に動機付けとして見えるのは、社会からはみ出し、見捨てられてしまったがゆえの「identityの喪失」があり、「個の存在」を主張し、認めさせたくなるのは理解できます。また、はみ出し者たちのトップにいる男に認められる事も彼らにとっては重要で、存在意義をどうにかこの瞬間に留めていたように見えました。そんな彼らが「真のモンスター」と遭遇するわけです。最初は、ゲーム感覚で楽しいアトラクションに挑むような軽い心持ちでいた彼らも「理由のわからない」虐殺に恐怖し、ただひたすらに逃げ回ります。奴らを前に人としての上下関係が失われ、「襲う」側だった彼らが「襲われる」側の気持ちを知るわけです。黒いその立ち姿は離れていても認識できるほど恐ろしい存在であった彼らが真に黒い相手と対峙した瞬間、牙の恐ろしさを想像力によって感じ得、他者の存在を認識するのです。それは本来月日を掛けて徐々に会得して行く感情なので、瞬く間に感じ、急成長した彼の姿は一見あざとくも映るでしょうが、ぼくにはあまりにも感動的で、ズキズキと心に染みました。仲間の痛みを想像し、これまで襲って来た人々の恐怖を想像し、これから奪われようとしている未来を想像し、主人公モーゼが立ち上がるのです。純粋無垢に、ただひたすら自らの過ちの重みに突き動かされ、恐怖に足を止める事なく左右の足をひたすら前へ、そして未来への喪失の予感が彼の走りを加速させ、離すまいと強く手を伸ばす。メタファーに包まれたクライマックスの映画的なSlow Motion最高!本当に面白かった!! [映画館(字幕)] 9点(2012-07-30 12:35:29) |
38. 少年と自転車
《ネタバレ》 執拗に自らを捨てた父親に縋る姿は、あまりにも残酷で、彼が無垢であればあるほどその行動は父を求め、痛みに満ちていて心苦しくて仕方ない。子どもが親を求めるのは本能で、それを周囲が抑制すればするほど溢れ出る彼の反発が葛藤として痛いほど胸に響いた。その抑制の中で唯一自転車は、“想いのままに行きたい所に行ける”自由を願う願望の象徴としてとても効果的に描かれていたように思います。また、信じた友人の裏切り、父親からの完全な拒絶の末、もうどこにも縋る事のできなくなった彼が、やっとの思いで彼女に甘える事ができたその変化は涙無しに直視出来ませんでした。閉ざされてしまった心を開かせるには、まず温もりの伝わる距離に辛抱強く居続け、なおかつ諦めずに心を開いてくれるのを持つほかないわけですが、「ぐるりのこと」や「シークレット・サンシャイン」のような優しい感動を得られました。 [映画館(邦画)] 8点(2012-07-29 23:38:41)(良:1票) |
39. マイレージ、マイライフ
常に出張続きの主人公の人生には、「背負う」ものが何もない。つまりそれは「何かの為には生きていない」ということの裏付けで、彼には「人生における目的意識や願望」がないというふうに見えました。そんな彼にある唯一の目的は「1000万マイル貯める」という、その件にまったく無関心な人からしてみたらあまりにもどうでもいいし、空しい目的のようにも思えます。が、彼にはそれしかないという寂しい現実です。そんな彼の内面的な部分を覆い隠すかのような爽やかでテンポの良い序盤で、“彼が紛らわしている内心”というのを重複的に表現しており、J・ライトマン監督の演出力を実感せずにはいられませんでした。ライトマン監督は「偽っている本心を無意識的に隠している偏屈な人」演出がとっても上手で、それだけでも映画を観ている実感を得られて気持ちいい。アナ・ケンドリックさんの多くを過信し、理想で心が埋め尽くされている姿はすごく普遍的で在り来たりに見えるけど、あのデフォルメなしにありのままの23歳の姿が映画内では妙に新鮮で親近感と愛しさを覚えずにいられませんでした。また、ヴェラ・ファーミガさんの心境は実に大人で、その心理を十分に理解するのは難しいけど、きっとそういう感情はあり得るんだろうなーっと関心。そして羨ましいと思うぼくの若さ!という具合に主要人物の心理描写がとても豊かで、それだけである意味成り立っている物語だと思いますし、落差を間違いなく産み、対立構造も発生するであろうその丁寧な人物設定が素晴らしい。ただ、落差はあるし、葛藤もあるのだけれど、クライマックスでもう少し彼らの今後を期待させるような情緒的な場面があっても良かったような気もします。 [DVD(吹替)] 8点(2012-07-28 05:26:32) |
40. おおかみこどもの雨と雪
《ネタバレ》 まずはこれほで細部への拘りと誠実さのある映像を大画面で体感し観る事が出来たのは良かった。例えばガラスに反射する人や車の行き交う様、風のうごめきで揺らぐ樹々など。日常生活で見慣れた景色がアニメーションの中で綿密に描かれていると何とも言えない心地良さを感じるのはぼくだけだろうか?あと、本題に行く前になぜおおかみこどもの「雨」と「雪」なんだろうという疑問。生まれた順ではなく親離れ、あるいはこどもではなくなった順?だとするとこれがテーマなのだろうと勝手な推測。はい、本題。序盤の少々荒削りな出会いと関係性の構築具合。秘密を抱えた謎の多い男性に惹かれる、ある意味オーソドックスな少女と、実写だったらさぞ不潔感満載であろうおおかみおとこ。彼が真実を告げたところから物語は真に始まるわけだが、それまでは典型的な恋愛物と同じように、つまり普遍的に愛を育む。打ち明け、子を産み、彼が予期せず死ぬ。こっからが真の葛藤が始まるわけです。本来なら、この2人がくっ付き、子を産むまでのプロセスの葛藤(おおかみにんげんと人間との対立構造とその葛藤)で一本映画が作れそうなもんですが、そこはすっ飛ばす。つまりやりたいことはここではない。本題は最後の最大の葛藤が表している。それは「決断と悟り」でござる。人にも狼にもなれる選択肢の中で、人の道を進むか、狼としての道を選ぶか。その決断と、それを不安ながらも背を押してあげれる強さを得るまでの話。ぼくらは決断し、押してもらう立場からいずれ押してあげる立場にならなければならない。それは如何なる決断だとしてもNOというのは簡単で、それを選んだその本人の意思を尊重出来る強さというのは並大抵の事ではない。そこに至までのプロセスはその最後の決断に向け、往々にして一直線にやじるしは敷かれている。雨は「責任」を知り大人になり、「自由」になる代償に家族と離別する。あの最後の遠吠えの真意はぼくらには聞こえない。でもきっと花には届いている。雪は苦悩があまりにも多い人間世界で生きることを決意する。今後もたくさん問題は起きるだろう。人間と恋をし、花に電話して頼るだろう。子どもも産むかもしれない。花の家の畑はこの先も荒らされる事はないだろうし、雨がいなくなった理由をご近所さん達に必至で誤摩化しを語るかもしれない。花にも雪にも雨にも、これからまだまだ苦悩はある。でも、生きてて欲しい。 [映画館(邦画)] 8点(2012-07-24 04:17:06)(良:1票) |