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まぶぜたろうさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 178
性別 男性
ホームページ http://ameblo.jp/mabuse-tarou/
自己紹介 人にはそれぞれ言い分があるのです 。

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21.  ポセイドン(2006)
「船はひっくり返ると沈没する」その一言で人々が行動する。ジョシュ・ルーカスの人となりを殆ど説明しない。パーティー会場に残った人々の死を、黒人船長と女性シンガーの抱擁いっぱつでさくっと見せる。リチャード・ドレイファスの自責の念をジョシュ・ルーカスが彼の肩に手をおく、その1カットで表現する。■下手をうてば、なんじゃこりゃの世界なのだが、ペーターゼンは簡潔に、しかし的確に人々の感情やらなんやらを捉える。「人間ドラマが希薄」のように見えるが、この物語を説得力を持って観せ続ける上で必要最低限の「人間ドラマ」で勝負し、それに成功したと思うのだがどうか。いらんツボは押さえん、利くツボだけを押すのだ、と。■そして「水」のもつ閉塞感がいい。ひっくり返るまでのゴージャス感がいい。船内のぐちゃぐちゃな美術はさすがハリウッドの底力、いい仕事してる。妙に70年代っぽい匂いのする撮影もいい。前作の持っている重みや映画としての格上感はさすがに全然ないのだが、実に面白いウエルメイドな一作でした。正直、監督の腕前だけでいうならロナルド・ニームよりペーターゼンの方が全然いいんじゃないの?
[映画館(字幕)] 10点(2006-06-06 19:27:10)(良:2票)
22.  ラストデイズ(2005)
リビングの中央にテレビモニターがおかれ、PVが流れている。私たちはそのPVを凝視することになる。とりあえず動いているものはモニター中の映像だけなのだし、何か隠されたメッセージやテーマがあるようにも思えるからだ。しかしどうして、テレビが置かれている家具の佇まいや背後の壁に注がれている光を見ないのだろう。■事物の有り様を、あらかじめ定められたように、定められたまま見てしまうこと。そこから解放される契機をこの映画は様々に用意する。もちろん私たちが主役の姿を追い続けることはいたしかたないことだ。しかし、例えば森を彷徨う男を覆い隠すように現れる木の幹。川に続く斜面の素晴らしさ、滝の音。時間と空間の交錯。■画面を中心化する制度的思考から解き放たれ、私たちの見たことのない何かがそこに立ち上ってくる。その圧倒的な何かの中に、誰ともコミュニケーションのとれない孤独な一人の男がいる。電話帳に彼のアドレスはなく、やがて暗闇が彼の姿を隠していく。■探す男たちの声をあとにして、彼は家を出、湖畔に向かう。二度繰り返されるそのショットで、カメラは同じように彼の姿をフォローする。彼がフレームアウトすると、スクリーンには何の変哲もない雑草だけがある。風がふく、草花が揺れ、やがて夜になろうとする光がざわめく、その音が心地よく響く。未知の風景が現出する、これは素晴らしい。
[映画館(字幕)] 10点(2006-05-29 00:03:13)
23.  蝋人形の館 《ネタバレ》 
これまでのところダーク・キャッスル作品唯一の傑作。以下、良かったとこを列挙。■アキレス腱切り、足裏ナイフ狙い、指先ペンチ切りなどの細かなアイデアが散りばめられているのがまず素晴らしい。■つまらなくなりそうなシーンを俯瞰の1ショットで簡潔に流す、殺人シーンの省略などのリズムの良さ。■最初の殺人まで50分もかかる、という反ハリウッド的頑張り。成功してるかどうかはともかく、それは「頑張り」とか「志」とかいう言葉で賞賛してもいいかなと。■日没少し前から完全に夜となるまでを、丹念なカットの積み重ねによる1シーンで描くなどの光に対する戦略。■犯人(?)たちの過去をさりげなく小出しにしていく手際の良さ。■そして何より、クライマックスのスペクタクルが単に派手なハリウッド流ではなく、しっかりと物語の中に生きていること。■というわけで、ああ、ホラーを見るというのは「怖い」のではなく「楽しい」体験なのだ、心の底から怖かった数少ない傑作たちの陰にあって、幾分身を潜めていたかのような「楽しい」ホラーたちもまた「傑作」なのだと、改めて光を当ててしかるべきではないかと。■この「楽しさ」を存分に味合わせてくれるウエルメイドな一作。映画館で観なかったことを心底後悔した。
[DVD(字幕)] 10点(2006-05-15 21:27:57)(良:2票)
24.  ミュンヘン
スピルバーグの楽しく愉快なアクション演出、サスペンス演出を楽しもう。まるでこれは70年代アクションではないか。■異国のホテルのベランダ。風が気持ちよく吹き、繁華街のざわめきが階下から微かに聞こえてくる。隣室の新婚夫婦と、やがて暗殺されるであろう男との語らい。そして暗殺の合図を示すベッドサイドのスタンドをなめ逡巡する暗殺者の表情を捉えた、悪い意味でも良い意味でも稚気あふれる構図。そして爆発。■あるいは、子供が忘れ物をとりに暗殺現場へと帰ってくるあたりのサスペンス、そしてオランダ女!!!その登場時の時代錯誤なノワールぶり、そして暗殺シーンのああなんてかっこいい銃なんだ、とガウンをはだけた女の風情。あるいは市街地での銃撃戦。画面に対し垂直に配された階段を駆け下りるモサド暗殺チームと、下で待ち受けるパレスチナ軍団を共におさめたロングショット。見せ場のことごとくが、かああっつこいいいいい。■正直、私はそれで充分なのだが、ま、いろいろある。そのいろいろがスピルバーグの場合、許せちゃうのが何故だかわからん。ゲージつぶるなよ深刻ぶるなよ、とは思うが、許せちゃうのは何故だろう。
[映画館(字幕)] 10点(2006-03-29 00:27:43)
25.  ヒストリー・オブ・バイオレンス 《ネタバレ》 
映画は常に現実社会や人生やらとの距離を計測し続けてきた。現実をいかにもっともらしく映画の中に表現し、現実との折り合いをつけていくか。現実では解決できない問題も、2時間足らずの中で解決したり、曖昧に濁してみたりせねばならない。ところが、こうも現実が複雑になる、「そんなの今どきあり得ないじゃん」などという観客ばかりになってくると、映画の中のお約束や紋切り型な表現はもはや許されなくなる。ジョン・ウェインは家族のために敵に立ち向かい、敵を殲滅し、白いエプロンの翻る我が家へと帰ってくる。しかし現代のジョン・ウェインは「人殺し」とののしられるばかりだ。■クローネンバーグがやろうとしたのは、このような「紋切り型」をあえて行うことなのではないか。映画史が紡ぎ出した現実との折り合い方に、今、パロディではなく、真剣に、気合いと根性と己の演出技術のすべてを賭けて取り組むこと。例えば「クラッシュ」のような良心的なハリウッド映画がひた隠しながらもつい求めてしまう、安易な叙情や「曖昧」という名の決着を排すること。例えばリンチやコーエン兄弟のように、スタイリッシュな映像や「変態」的な「感性」で「紋切り型」を糊塗するような姑息なことはすまい、という意志。■さりげなく、なんということもない、ただ撮っているかのような一見凡庸なカットの連なり、しかしそれらは物語が持つ力によって、やがて力の漲ったものとなる。オープニングの緊張感、階段でのセックスシーンの素晴らしさ、保安官に詰問される夫と妻の2ショットの力、あっけなくまるで信じられないアクションシーン。■そしてラスト、暴力の限りを尽くした父を許すかのように、娘が食卓へと父を招く。感動的な、しかし安易な結末、でもなく、問題の曖昧な、だからこそ現代的だと言いたげな結末でもない、これは現在の映画が抱く「紋切り型」だ。その大いなる力に私は泣いた。ラストカットが素晴らしい。
[映画館(字幕)] 10点(2006-03-29 00:25:46)(良:1票)
26.  ウェス・クレイヴン’s カースド
遊園地の占いコーナーで不吉な予言を受ける女性。映画の冒頭、慌ただしく、性急な画面展開の中で、そのシーンは綴られるのだが、彼女が遊園地を離れその駐車場へと向かう時、先ほどの喧噪とはうってかわった落ち着いた1ショットが登場する。不安げな表情を浮かべ、髪が風でなびき、遊園地の喧噪がかすかに聞こえる。別にたいしたショットではないのに、ああ映画を見てるなぁという気にさせるのは何故だろう。■例えば、崖下に墜落した車に近づくクリスティーナ・リッチを捉えたロングショットや、鼻をクンクン言わせながら歩くリッチのトラックバック、あるいは身体の異状に怯えトイレに駆け込んだ彼女とその友人を捉えた不安定な俯瞰ショット。■こういうアクションを撮るときはこういうカメラポジションであるべきだ、という明確なスタンスを持っているわけではなく、たまたまこういうポジションになってしまった的な、さり気ない風情。「風」吹かせたほうがいいか、というスタッフの好意。なんだかわかんないけど、くにやくにゃ演じてみるか、演出してみるか、なリッチとクレイブン。つまり、いろんなことがいい方向に走りました、みたいな、謙虚でささやかだけれど大切な何かにこの映画はあふれてる、と思うのだがどうか。■ミステリー色、コメディ色、青春色は支離滅裂だし、クライマックスの蝋人形クラブ(?)は実に非映画的な空間だし、リッチは一体何の仕事してるの?とか、なんか行き当たりばったりな映画よのぉ、とは思うんだけど、ああ、実に腹八分目、いい気分で映画館を出た、満喫。
[映画館(字幕)] 10点(2006-03-24 23:25:16)
27.  アメリカン・パイ in バンド合宿<OV>
このシリーズが素晴らしいのは、人生のある時期の普遍的な感情を思い起こさせてくれること。しかも、「アメリカンパイ」(意訳すると「こんにゃく」か、古いか)というタイトルがそうであるように「あるある」ギャグの羅列に終始している風でありながら、しかししっかりと映画としてみせてくれること。そしてすべての登場人物たちに向ける視線が優しいこと。■例えば、スティフラー弟に待ちぼうけを食った少女が川床でぽつんと座る、そのシーンはやがて時を経過して、夕暮れから夜へとその光を変えていく。このロングショットの素晴らしさ。あるいは、パーティーに加わらず一人楽器の練習をしている少女、窓越しに彼女を捉えたほんの短いロングショット(この後で「オーボエ挿入」ギャグに変わってしまうのだけれど)。あるいは、スティフラー弟と少女が並んで横たわっている俯瞰ショット。二人の感情が高まっていくのをじっとみつめる長回しの素晴らしさ。■もちろん、ギャグの運びは単調だし、ストーリーは行き当たりばったりではあるけれど、そんなことはどうでもいい。まるで登場人物たちのすべてを愛しているかのように、彼ら彼女らをささやかに見守り続ける映画がそこにあるのだ。そしてラストでは、アメリカ映画ではどんなことだって起こる、その素晴らしさを満喫することができる。■監督はスティーブ・ラッシュ。「キャント・バイ・ミー・ラブ」でもオタクたちに優しい目を向けていた&古典的な技を身につけた手堅い人。もっとがんばってほしいんだけれど。■ちなみに、アリエル・ケベルという新人さんが素晴らしくよい。アリソン・ハニガンを超えアメパイ史上最高の萌え系。ファンになった。がんばってほしい。ジェシカ・アルバによく似てるが。
[DVD(字幕)] 10点(2006-01-03 23:18:22)(良:1票)
28.  晴れ、ときどき殺人
日活ロマンポルノの新人監督たちはアイドル映画の枠の中で作家の映画を撮ろうと一生懸命だったんだけど、井筒は見事に、単純にアイドル映画を撮る。当時はわかんなかったけどそういうことで、だからおおっぴらに誉めることは無かったけれど、密かにこの映画は実に痛快無類ないい映画だった。元気になって映画館を出た。エンドクレジット後のNGカットには泣いてしまった。20年経った今見返しても、80年代風ウィットに富んだ会話をテンポ良くみせる演出やギャグは、十分楽しい。なんつっても「困ったちゃんね」な渡辺典子がよい。声がいい。♪~は~れ、ときどきキルミ、ひとおもいに愛されたいな♪大好き。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2005-12-04 00:01:09)
29.  彼奴(きゃつ)を逃すな
コンクリートの土手を背にして一本の道が走っており、その両脇にはささやかな商店が並んでいる。このオープンセットが素晴らしい。主人公である若夫婦は、時に土手を背景にした閉鎖的な空間を背を丸めながら歩いてくるのだし、時には活気のある商店街を手をつなぎ闊歩する、あるいは警察の目を避け道を走るローラー車に隠れながら通りを横切る。このオープンセットは物語の要請に応じて、その背景や視点を見事なまでに変え、そのとき折々の登場人物を演出する。またこのオープンセットは物語上の現実を的確に描き出すだけではなく、超現実的な光景を繰り広げる場ともなる。「幻想」シーンではなく、あくまでも日常と地続きになった白昼夢の風景を現出させること。■このオープンセットだけでない。若夫婦の住む小さなアパートの廊下、やや俯瞰気味に捉えられた縦構図の素晴らしさ。二間続きの室内は、窓からの光によって妻の姿を逆光で捉え、あるいは灯りの有無によって寝室と居間の差異を際立たせる。さらに商店街からアパートへ続く運河沿いの道。■これらの場とその中での登場人物を的確に演出する鈴木英夫の才能は、クライマックス、若夫婦の経営するラジオ修理の店の室内でピークを迎える。暗殺者に迫られた夫は妻に「ニゲロ」というサインを机に描く。これを見た妻は、そのサインを犯人から隠すように、夫の手に自分の手を重ねる。サスペンスという現在の物語は、若夫婦の愛情の物語へと一瞬で変容する。サスペンスを構成していた様々な記号がくるりとその意味を変えていく。これには感動した。「疑惑の影」じゃないか、これは。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2005-12-03 00:26:24)(良:2票)
30.  ジョゼと虎と魚たち(2003) 《ネタバレ》 
身障者である池脇千鶴の唯一の保護者である祖母が死んだことを知り、妻夫木聡は彼女のもとを久しぶりに訪れる。彼は家の扉をたたき彼女を呼び出す。と、カメラは室内へと切り替わり、室内の彼女の姿を捉える。彼の目からではなく客観的な視点から捉えられた彼女の姿は、あくまでも普通を装った、普通の少女の一人暮らしのようにみえる。このシーンでの視点の変換は、妻夫木からみた身障者の姿でも、現実の身障者の姿を描いたものでもなく、いかにも「映画」が「現実」と程よく折り合ったものでしかない。あるいは「現実」が「映画」サイズに縮小されたものでしかない。■このような「現実」との程よい距離感。妻夫木君はヒューマニズムと正義感にあふれた若者でもないかわりに、「身障者と出会った今どきの若者」というステレオタイプでしかない。また池脇千鶴は「すべての身障者は心優しく感性が鋭い」という偽善をまとうわけではないが、程よく美化された閉じられた世界に住む、生活感の感じられない身障者でしかない。■映画は現実を凌駕してほしいのだ。積極的に現実を乗り越え、それに勝利するべきなのだ、と思う。例えば妻夫木君は唐突に池脇のもとへ走っていってもいい、無理矢理ハッピーエンドにしても「映画」はそれを許すかもしれない。あるいは妻夫木君は無茶苦茶なSMを池脇に要求したっていい、「映画」はそれを許すかもしれない。しかし、このバランスのとれた「出来のいい」映画は決してそんなことはしない。■ただ、池脇が最後にみせる苦い表情、魚を焼きながら口元に皺を寄せたその表情、あるいは妻夫木君の背中を叩くその肉体に感動した。その一瞬だけが身障者の抱える現実を超越した映画だけの真実だったように思う。■と、書いていたんだけど、妻夫木君の最後の泣きはやはり身につまされる。この泣きで決着をつけるこの映画の「いい子」ぶりに辟易しつつも仕方がない。「出来がいい」です、この映画。というわけで5点から10点に変更します。甘いか。どうでもいいが。
[DVD(字幕)] 10点(2005-11-24 00:04:16)
31.  黒い画集 第二話 寒流
池部良、平田昭彦、新珠三千代が温泉宿で泊まるシーンのなんとエロティックなことか。三人は寡黙に、ただ互いに視線をかわしながら、その関係を変えていき、池部は静かに、無表情に嫉妬を燃やすこととなる。鈴木英夫の演出はオーソドックスに手堅く三者を捉えていく。そして三人が迎える朝の風景の素晴らしく残酷でクールな様。■このような手堅さ、丁寧に撮影された1カット1カットが丹念に紡がれること、その作家的なセンスを楽しむこと。■そのような楽しさにわくわくしながら画面を見つめていると、後半、映画は異様な様を呈しはじめる。池部の眼前に「前科○犯」の男たちが唐突に登場し、慇懃に次々と自己紹介をする。それを契機にしたかのように、池部の復讐はより絶望的に、彼の家庭はどんどんと崩壊していく。■この映画が素晴らしいのは、現実社会に潜む悪、「寒流」が唐突にその姿を現した、といったテーマに程よく収まることを拒絶し、いわばファンタジーのような様相、池部の立つ位置、そして私のいる位置すらも崩壊し始めたようなめまいを覚えることだ。堕ちていく池部良の無表情が素晴らしい。傑作。世の中には凄い映画がまだまだまだまだいっぱいある。
[映画館(字幕)] 10点(2005-11-23 19:49:08)(良:1票)
32.  ドミノ(2005)
やはりトニー・スコットの映画はキャスティングがいい。そしてトニーはすべてのキャラを立てる。役者たちがのりにのっている。のりにのるシチュエーションを与える、あるいはごく短い1ショットでさえ、役者たちの顔がそのキャラを際立たせる。ジャクリーン・ビセットとウォーケンの丁々発止のやり取りにわくわくしていただきたい、ビバヒル二人組に「運が良かったな」と言い放つマフィアの手下、そのさりげなくも強烈な一瞬の風情に感動していただきたい。その中で、キーラ・ナイトレイがとりわけ良い。■さらにお話が面白い。お話がわかりやすく、的確かどうかは知らないが、とにかくわかりやすく語られる。「トゥルーロマンス」のリメイクだったり、ガイ・リッチー風今どきだったりするんだけど、ま、いいじゃんと。いい加減、トニーもおっさんなんだから、もちっと丸くなろうぜ、とも思うが、ま、いいかと。■で、この過剰に過ぎるエフェクトなんだが、まいっか、ですますにはちょっと擁護しきれぬな、と思っていたのだが、ふと気づいた。これってゴダールじゃん。それがどうしたって話ではあるが。
[映画館(字幕)] 10点(2005-11-08 10:17:26)(良:1票)
33.  パーフェクト・ワールド
夕暮れ、二人のシルエットがある家に入る。二人が家から出るときはすでに夜となっていて、二人から三人になったその姿は闇の中にほとんど紛れてしまっている。時間経過として、映画の約束としてこのような光の変化はごく当然のことなのかもしれない。しかし、イーストウッドはそれぞれの時刻の光とその中で浮き彫りになるシルエットを、審美的、叙情的な画面としてではなく、ごくさりげなく慎ましく、しかし確実に提示する。時間とそれに応じた光の推移、その物語は草原と木陰を舞台装置にしたクライマックスに結実する。■あるいは視線の物語。少年の運転する車が田舎町を移動し、男はその車を追う、両者の視線は移動するカメラを介して結ばれる。子供が運転できる出来ないといったつまらない現実との齟齬などをまるで意に介さないその見事なカッティングそして移動感。そしてお化けのマスクはその逸話以後、少年と男の二人だけの視線を固定する役割を担う。このマスクは二人だけのパーフェクトワールドを見るためのものとなるのだ。そして少年がマスクを男にかぶせてやる時、男はすべての世界から視線を奪われている。■「お話」と平行して存在する「画面」の物語、慎ましやかな時間と光と視線の物語、つまり「映画」に目を凝らすこと、謙虚に誠実に接すること。記憶違いはごめんなさいね。
[映画館(字幕)] 10点(2005-11-08 09:57:05)(良:2票)
34.  悪の階段 《ネタバレ》 
イニシャルKさん、先んじてごめんなさい。■不動産屋とか西村晃とかどうも今村昌平の「果てしなき欲望」を思い起こさせるんだが、こっちは純粋にミステリー、ってのが好感大。後半はほぼ不動産屋だけで展開されるのも、団令子の悪女ぶりも実によい。何の罪も無い女を平気で殺そうとする団令子にしびれてほしい。鈴木英夫のクールなタッチがフランス映画みたいに決まりに決まった傑作。
[映画館(字幕)] 10点(2005-11-07 10:31:35)(良:1票)
35.  非情都市
他社に先んじて情報を得ようと、知り合いの刑事をトイレで待ち受ける新聞記者、三橋達也。手洗いの蛇口をいち早くひねり、ハンカチをすっと刑事に差し出す。■ドキュメンタリータッチという訳でも、リアルに描きました、というのでもない、なんつうか実に丁寧な描写が積み重なる奇をてらわないクールな演出。でも、やっぱここぞってのに欠けるんだよなぁ。いや実にいいんだけど。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2005-11-07 10:19:41)
36.  その場所に女ありて
1958年に増村保造の傑作「巨人と玩具」があるため、同題材のこの映画は明らかに分が悪い。司葉子の颯爽としたキャリアウーマンぶりは楽しめるし、例えば酔った司葉子を背後からのトラックアップで捉えたショットなども実に良い。しかし、ねっとりこってり、しっかりと見せ場を造り上げる増村に比して、鈴木英夫演出はクールに過ぎ、どうも盛り上がんないのも事実。再評価されるにふさわしいいい映画、いい監督なんだけどね。
[映画館(字幕)] 10点(2005-11-07 10:12:05)(良:1票)
37.  告白(1970)
国家が本気になったら個人なんてどうとでもなる。当然と言えば当然な事実を厳然と突きつけられると、国家に対する恐怖というよりは、国家というシステムの合理性にしびれる。いや、ほんとにかっこいいんだ。クライマックス、法廷の裏側に簡易尋問室が並べられ、イヴ・モンタンをはじめとする囚人たちがいっせいに「管理官はどこ?」と騒ぎだすシーンのなんと恐ろしくもかっこよいことか。ファシズムに身を任せることの快楽。
[DVD(字幕)] 10点(2005-11-06 23:33:58)(良:1票)
38.  チアーズ!
誰が観ても楽しめ盛り上がれる映画。映画って面白いよね、と心から言える映画。ゲージツ映画を小難しく作れても、こーゆーのをちゃぁんと作るのは並大抵の力量では出来ないので、「よくあるスポコンものだけど意外に…」なんて言わずにもっともっと過大なまでに評価してあげてほしい。■しかも、例えば「クールランニング」や「がんばれベアーズ」などのようなマイノリティを主役にしているのではなく、前年度のチャンピオン、私立高校の金持ちお嬢たちを主役に据えていることの勇気。これって作劇が難しいんだよ。さらに例えばスタジアムのグラウンドと観客席の高低差を生かした演出とか、ラストの決着の付け方とか、いや、ほんとにがんばってる。ここ何年かで最高のアメリカ映画の一本だと思う。
[映画館(字幕)] 10点(2005-10-29 16:22:14)(良:1票)
39.  鉄西区
映画はまず舞台となる重工業地帯、鉄西区を前提とする。その中をゆっくりと走る列車の主観映像、延々と続くかのようなそのショットでさえ、全体を捉えることは出来ない。あまりにも巨大な全体、社会。しかし、映画はそれら巨大な社会を前提としておきながら、捉えていくのはあまりにも卑小なる個の有り様でしかない。■うんざりするほどに掘り、運び、つまり労働する彼らの姿は、それ自体が目的化しているような、労働のための労働に思えてくる。彼らは何のために埃がもうもうと舞う中、セメント袋を運ぶのだろうか。鉄道は誰が何のために何を運ぶために走っているのだろうか。■巨大な社会は確かに存在し、彼らのまわりに確固としてある。しかしその巨大な何かは決して見えることはない。彼らはその巨大な何か、見えない何かのために働き、食事をし、語り、風呂に入る。社会へ通じているはずの電話はもはやどこにもつながってはいない。彼らはどこに住んでいるのだろう。この迷宮のような巨大な工場の中なのだろうか。■しかしカメラは彼らの有り様をただ見つめている。ある住居にカメラは案内される。その住人は彼(カメラ)を自室に引き入れたことを後悔するように、逡巡し、しようもなく茶を入れ始める。カメラはその様を映すだけだ。その客はカメラを構えた無口な他人でしかないのに。■この長い映画の中で一瞬だけ、カメラが登場人物に積極的に対す、あるいは対さねばならない瞬間がやってくる。対象者である17歳の青年が唐突に過去の写真を見せ始める。父親だけを頼りにしていたその青年は、父親の長い不在の果てに、しかたなく、困ったあげく、そこにたまたまカメラを持った他人がいた、という理由だけで、自分と父親と行方不明の母親について語り始める。これは感動的だ。しかし、カメラは彼の感情をもてあますかのように、黙っている。■いよいよ工場は解体され、彼らの住む街が破壊される。雪の中で佇む少年、ろうそくの明かりの中で食事する家族、父も母もいない少年はいよいよその住居を失う、行き場を失う。■行き場のない人々、彼らのまわりには巨大な何かが広がり、さらにその先には彼らが抱えてきた歴史が見え隠れする。登場人物の一人が廃墟となり、ろうそくだけがともされる住まいで苦笑する。「革命前と同じだ」と。歴史や社会に翻弄され、常に行き場を失い、行き場を求め続けることの絶望と悲しさ、そしてしたたかさ。 
[映画館(字幕)] 10点(2005-09-19 21:42:38)(良:1票)
40.  On Your Mark CHAGE & ASKA
久々にテレビで観た。懐かしかったと同時に、現在の宮崎アニメからは想像もできない、なんつうか押井守風に驚いた。銃でドンパチやら、爆破やら、SFガジェットやら、道を崩しながら爆走する車やら、私はこういう宮崎駿が観たいのであって、現代の宮沢賢治なんて観たくないのだ、ほんとに。■繰り返される回想、カットの混乱、汚染されているであろうゾーンへの脱出、ラストショットの車の停車の仕方などを観てると、牧歌的、ハッピーエンドなアクション映画ではない、宮崎の悪意、絶望的な世界観が感じられるのもいい。いや、ほんとにこういう宮崎アニメが観たいよ、「コナン」とか「ラピュタ」とかさぁ。
[地上波(字幕)] 10点(2005-08-27 08:36:10)
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