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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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21.  怒りの河 《ネタバレ》 
西部開拓史の情景が網羅されている。幌馬車の旅、外輪船のゆったりとした航行、馬が川辺を走る水しぶき、あるいは、ポーカーテーブルや酒場での不意の銃撃、インディアンの襲撃を予想させる鳥の鳴き真似。つくづく西部劇ってのはあの国の神話なんだと思う。旧約聖書的な、家畜も連れての新天地を求める旅になぞらえていて、自分たちが原住民を迫害しているなんてちっとも考えてない。「改心したならず者」が「改心しそこなったならず者」を懲らしめる世界観が貫いていく。立ち直る側には農業のコミューン(地道)があり、立ち直らなかった側にはゴールドラッシュの誘惑(軽佻)がある。映画見てる間は、この旧約聖書的世界観を受け入れておこう。このコールの内心が不明なあたりがドラマとしての緊張になっている。そもそも首を吊られそうになっていたコールを主人公が救ってドラマが動き出す。その後主人公の危機を救ってくれたかと思うと変にふてぶてしかったり、この男は改心したのかどうか、というJ・スチュアートの内面の期待と疑念が交錯するドラマになっているわけだ。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2013-05-31 09:46:14)
22.  気違い部落
日本に紹介されるトルコやアフリカの映画では「土地の掟」の苛酷さがしばしばテーマになる。日本にはなかったのかっていうと、正面からぶつからなかっただけで、曖昧に受け入れたナアナアの民主主義の裏で、「因襲」は「世間体」などと姿を変えて生き続けた。『青い山脈』だって『砂の女』だって、けっきょくその日本の社会の閉鎖性を描こうとしており、渋谷実もそれをたびたびテーマにした。戦前の『母と子』の男性社会批判の視線は、本作でも主人公の妻である淡島千景にある。ただせっかく森繁の解説者を導入するという秀逸なアイデアを用いたのだから、村の渾沌をドキュメンタリー的に提示した前半の手法で全編を貫く勇気が欲しかった。後半は伊藤雄之助が裁き手になって、分かりやすいドラマになってしまう。ま、そうなりそうなところで、ストレプトマイシン売ってしまうなんて展開になり、あそこらへんの持って行き方はいいんだけど。チョボイチやってるとき父の死の知らせが入った中村是好の反応や、死んだバアさんの入れ歯を使う藤原釜足のギャグで笑う。奥様と呼ばれたくてアッパッパを着て階段の上に立つ三好栄子がやはり凄い。葬式のあと庭で踊るとこも。
[映画館(邦画)] 7点(2013-05-22 09:59:35)
23.  荷車の歌
社会派の一代記ものなわけだけど、女性の男性告発の姿勢もうかがえるところがユニーク。たとえば木下恵介だと、一代記なら夫婦が一つの単位になって話が進むんだけど、ここではやがて妻が夫を告発していくわけ。左時枝(!)の娘が出てきて面白くなる。ふてぶてしい女性像が加わり、ただ耐えるだけでない厚みが出た。同じ女だろ、と姑に食ってかかるんだ。木の洞の握り飯のエピソードは、こんな陳腐な展開で泣けてなるものか、と歯を食いしばりつつ泣けてしまう。浦辺粂子との絡みで不機嫌になった母が隅っこでムシロ編みを始めるところのドッシリ感は、日本の母そのものって感じ。風景のシーンが出るとホッとする。巡礼してるとき、山道ですれ違う坊さんの衣が風に吹かれるさまが美しかった。
[映画館(邦画)] 6点(2013-04-04 09:39:50)
24.  太陽のない街
ちょっとでも弱音を吐こうとすると、すぐ裏切り分子的に見て、採決もせず団旗を奪い、意気揚々と前進していくらスト、これは困る。「今ここで敗れたら、今までの犠牲者たちは浮かばれない」っていうの勇ましいけど、戦争後半での日本軍の考えそのものでもあるわけで、指導者にこういうのがいると迷惑するんです。原作はプロレタリア文学の古典だが読んでなく、作品の発想の責任がどこにあるのかは分からないけど、少なくともこの映画を作った人々は戦争後半の異常な「勇ましさへの熱狂」が国民の中にあったことを知ってるわけで、それを承知の上で「軍の興奮はけしからんけど、労働運動の興奮は正しいんだ」と思ってるんだったら、救いようがない(そうか、ソ連の水爆はきれいという発想につながってるな)。どんどん勇ましい考えのほうへ熱狂し興奮していくシステムをこそ突いてほしいのに、すぐ敗北主義とか裏切りとかいう言葉で捻じ伏せられちゃう。そりゃね、資本や官権の悪辣さはひどかっただろうが、こういう展開で描かれると「それならもう何度も聞いた」ってつい思っちゃう。もっと争議団内のゴタゴタやスト破りする人たちの苦衷こそが、新鮮なテーマだったはずなのに…、と不満を募らせたが、昭和もまだ20年代なら仕方ないか?
[映画館(邦画)] 5点(2013-03-31 09:30:30)(良:1票)
25.  大仏さまと子供たち
観客はそれが嘘であると知りつつ映画の「演技」を見ており、しかしフィルムという「記録」を見ているとも知っている。そういう劇映画のややこしさが面白さを生むのだが、ストイックな監督には演技への不信をもたらすのか、「演技をさせない監督」ってのがいつの時代どこの国にも生まれ、たとえばブレッソンは核だけの硬質な世界を作ったが、我が清水はほのぼのとした独自の世界を築いた。映画におけるリアルってことは、単なる写実と違って面倒くさいのだ。それを変に考え込まず、こういうほのぼの世界を作ってくれたのが日本の栄誉。一応冒頭は棒読みでもおかしくない「案内」のせりふから始めているのは、映画の客への気遣いか(戦災孤児が奈良のガイドをやってくって話)。印象に残ったシーンとしては、川をはさんで二人の追い掛けを行ったり来たりやるところ。欄干の上を歩くのは監督の映画でよく見た気がする(『子供の四季』?)。「一緒に東京へ」と切り出す前の、主人公の庭から帰っていくところを、室内を横切る斜めの移動で撮るところ(『小原庄助さん』にも見事な斜めの屋内移動があった)。建造物に合わせた超ロングが多く、これも演技を奪う効果がある。小僧さんが日傘をさして豆腐を買いに行くところ! そしてラストの見事さ。監督の演技法と同じ理屈だ。本作唯一の欠点は音楽で、もうちょっと加減してよ。
[映画館(邦画)] 8点(2013-03-29 09:58:57)
26.  夜の河
シルエットの美しさ。山茶花究が五反田の女への土産を探してる、なんてどうでもいいところでもトロッとさせる美しさがある。まして二人が結ばれる朱色の世界においておや。全体、赤の幻想詩といった趣で、ショウジョウバエから赤旗まで貫く。この赤旗は評判悪いんだけど、吉村公三郎の「自分の問題意識のありか」を示すハンコのようなものだったのではないか。『森の石松』とか『源氏物語』とか『美女と怪竜』とか、左翼思想と無縁の作品でも戦後ずっとシナリオで組んできた新藤兼人と、初めて別れた映画のよう(未確認)。京都の「はんなり」を背景にして、人々の在り方はすごく硬質。ヒロインの硬さも。みなの心が通い合わない世界ね、一人一人が閉じて固まっている。見下ろしたり見上げたりする構図が多かったのは、人々が同じ地平に立ってないということか。車窓に映る山本富士子の顔の向こうを、赤い光が横切っていく。赤いものだけが、その硬さを通過する。硬いものの孤独、それへの讃歌の映画と思った。
[映画館(邦画)] 7点(2013-03-24 09:19:47)
27.  西陣の姉妹
ブルジョワってほどでもない西陣の織元の家、金貸しに潰されるその没落を描きながらも、各階層を織り込んであるのが眼目で、職工たちまで捉えている視点が優れている。けっきょくこの映画で対立しているのは階級よりも、古い考えと新しい考えで、この方がより日常に密着した混乱だったのだろう。職工連中も単一な新興勢力として捉えられているのではなく、今までの奉公関係を引きずっている者から割り切っている者までいる。姉妹でも「妾が勝手口から入ってくるような義理は古い」と言う末娘がいるが、彼女も没落ではオロオロし、婚約者のほうがまだ「新しい人」だったりする。姉妹の苦労を描いた後、機女の愚痴をソロッと入れるとこなんかがうまく、パッと世界が広がる。常に各階層に目を配っており、シナリオの新藤兼人としても優れた仕事だろう。画面は陰影深く、俯瞰が気になるのは宮川一夫と気にしすぎたせいか。美しかったのは宇野重吉が兄と橋の上で話をするシーン、空と電線を入れた見上げた図。シルエットで撮ったカットなんざ最高ね。
[映画館(邦画)] 7点(2013-03-21 10:07:39)
28.  いとこ同志 《ネタバレ》 
うまくいく奴とうまくいかない奴の話。うまくいく奴にとっては何でもないことが、うまくいかない奴にとっては大障害であったりする。それぞれの人生ってことで、しょうがないの。“ヌーベルバーグ”と構えていた想像よりは、しみじみしたいい映画でした。まじめ男が初めて思い切った行動に出たのは(ロシアンルーレット)不発に終わり、彼の命は「うまくいく奴」の遊戯の中に終えられてしまう。このバックに延々とワーグナーが流れることで、つまらん事故が荘重な運命悲劇の様相を帯びるんだ。神話のなかの兄弟の相克って感じで。なぜピストルに弾が入っていたのかを理解していく長回しが素晴らしい。
[映画館(字幕)] 7点(2013-03-11 09:45:39)
29.  ハリーの災難
実に礼儀正しい死体なんだな。一番日常の対極にあると思われているものが、美しい田園風景の中にあることのおかしさ。しかも誰もびっくりしないの。絵描きがスケッチに描き込んでから気づくユーモア、船長のいろいろな独白も面白かった。とにかく語り口のうまさね。みながシャベル持ってぞろぞろ歩いている楽しさ。あるいはオールドミスが告白すると決意する中に含まれている“自分だって男に襲われるのよ”と公言したい気持ちの微妙さ。そして無駄のなさ。靴を盗んでいった浮浪者も、気づかぬ医者もちゃんと役立つ。開いてしまうドア、子どもの言い間違い、まで。ここまで丁寧だと窮屈に感じそうなのに、そこがイギリス生まれの人の根っからの体質なのか、品の良さなのか。
[映画館(字幕)] 8点(2013-03-04 09:47:29)(良:1票)
30.  君の名は 第三部
短期間築地のほうにあった松竹直営の名画座「松竹シネサロン」ってので、総集編で見たんだけど(500円)、わざわざ新規登録しないでも、ここに書いていいですよね。ハモンドオルガンの響きが、たまらん。日本のメロドラマに合ってる。宗教性のない非日常の賛美歌と言うか、普通の人なら一生のうちに一度訪れるか訪れないかという「人生の緊迫した充実」を、みなで協力し合って長引かせようとしてる世界。メロドラマとはそういった「純粋」の持続競争なんだ。この二人、みなに愛されるのに、不可能なお互いの愛だけに賭けていく。当人自身が不可能へ不可能へと追い込んでいく、その凄絶さ。家族崩壊劇として、まさに戦後の物語でもあった。主人公二人はただただ愛に殉じ透明になっていき、そのぶん旦那の浜口が、いい人からネチっこいコンプレックスだらけの人物に変容していくのがメロドラマの技法。「黒百合の歌」ってのは、これの第二部の挿入歌だったのね。
[映画館(邦画)] 6点(2013-02-27 09:46:34)
31.  掠奪された七人の花嫁
祭りの日の娘を獲りっこするダンスシーンの素晴らしさ。虹の七色のスカートがふわっとするのも美しい。動き続けること。奪い合うというモチーフを、様式化させ、しかも止まらず動き続ける。そのあとの斧の音を入れたナンバーも印象的。ミュージカルではどういうときに歌うかというと、モノローグ、会話、などあるけど、説教するようなのもあってそれも面白く、なかなか「こういうときになると歌う」と定式化できない(『雨に唄えば』では発音教室の早口言葉の練習から踊りだし、あれには興奮させられた)。歌いだす瞬間・踊りだす瞬間のときめきにこそ映画の秘密があるように思える。冒頭の無骨さを大袈裟にやるところもいい。大袈裟ってことと様式ってことが関係していよう。大袈裟・様式を通して、日常を離れた高みに上っていくこと、それがミュージカルか。
[映画館(字幕)] 8点(2013-02-23 10:14:48)
32.  源氏九郎颯爽記 白狐二刀流
違う国・違う時代で「かっこいい」とされている姿を、映画では目の当たりに見ることが出来、「世界は時空を超えて分かりあえるんだ」と感動することもあるが、同じ国のちょっと前の映画でも、「分からない」と頭を悩ますこともある。この錦ちゃん、分からない。どうやら「颯爽」がモチーフらしく、白ずくめで二刀流構えた姿はなんとなく「かっこいい」をやってるんだな、とは思えるが、その前に笑ってしまう。ごめん。60年ごろに「かっこいい」の断層があるんだろうか、役柄の問題だろうか。こういうヒーローはもう現代では無理だろう。とりわけ武器商人の娘の西洋レディと一緒の場になると、日本の時代劇ヒーローの演歌歌手的たたずまいの奇妙さが突出する。ま、彼女のほうもフラメンコ踊って映画のリズムを狂わせてて、どっちもどっちなんだけど。そう言えば、こういうリズムが狂う感じって加藤作品ではけっこう出会う。熊虎親分が馬車を走らせるシーンが唐突に西部劇だったのは『花札勝負』だったっけ? 傑作と言える作品でも、どこかにサインのようにリズムの狂いを感じさせる場を残す監督ではあった。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2013-02-07 09:55:47)(良:1票)
33.  北北西に進路を取れ 《ネタバレ》 
007シリーズはいかに本作に負ってるものが多いことか。列車・飛行機からの襲撃・謎の女・女中…。ただこちらはあくまで「退屈な男」が巻き込まれていること。それと悪玉にも心があって、女をめぐる嫉妬があったりする。つまりこちらは最後は愛国心ではなく恋愛なの。退屈な男という設定のユーモアが、冒険に継ぐ冒険を対象化し、映画を外から微笑んで見ているようなゆとりが生まれた。絵葉書になるような名所で何かをやらかしたい、という姿勢はヒッチコックの基本で、かつては自由の女神あり、『めまい』はサンフランシスコの観光案内でもあった。本作では国連ビルからラシュモアまで行く。その一方に無名にトウモロコシ畑を本作最大の見せ場として置いた。うまいのは、まず飛行機が奥を横に飛んでるシーンがあって「これは背景なんだ」と思わせてるとこで、それが無作法にも、こっちに・スクリーンから垂直に向かってくるから観客はショックを受けるわけ。これは『裏窓』での、背景と刷り込まれてたアパートへG・ケリーが、やはりスクリーンに垂直な運動で入っていくショックと同じだろう。
[映画館(字幕)] 8点(2013-02-05 10:22:25)(良:1票)
34.  丹下左膳(1958) 《ネタバレ》 
戦後の丹下左膳ってのはいっぱいあって、松竹で阪妻、大映で大河内伝次郎、日活で水島道太郎なんてのもある。東映では60年代に錦ちゃんも撮ってるが、その前に大友柳太朗が本作以下5本続いた。本作を見てみようと思ったのは「こけ猿の壷」のそもそもの話はどういうのか、という興味からだったが、どうもこれオールスターキャストの要請でかなり自由に脚色しているようで(原作者はとっくに山中版が作られた年に死んでいる)、途中からその豪華さのほうに目がいった。時代劇のオールスターキャストというと「忠臣蔵」が各社しのぎを削ったが、こういう作品でもやってたのか。次々大きな顔が現われてくるワクワク気分は、なかなかいいものである。女優の役が少ないのがちょっと弱いが、当時のひばりは一人でも大きかったんだろう。最初の金魚籤の場では、琴の合奏のBGMに不思議な効果があった。言語不明瞭ぶりで有名な新旧の左膳役者、大友と客演の大河内が怒鳴り合う場は当然セリフを理解するのが困難だが、やがて嵐のような風も吹き出し、異様な高揚が画面に満ち感動した。エンディングも時代劇の正しいラストシーンという感じで、旅の駕籠、曲がって続く街道、その路上で「とんびピーヒャララ、おかごはエッサカホイ」とのどかに歌う新妻のひばり、それを見送る左膳にお藤の長谷川裕見子(涙をこらえてる)、脇で朗らかに手を振る大河内御大にコソ泥の多々良純、駕籠から実はご落胤だったチョビ安の松島トモ子が振り返れば、見てるこちらも日本晴れだ。(気になって原作「丹下左膳・こけ猿の巻 正・続)を読みかけているが、左膳はよく「大菩薩峠」の机龍之助と並ぶニヒルな剣客と評されてるけど、そう陰々滅々でなく、いかにもモダニズム時代の軽快な文体で綴られ、山中版はけっこう原作の軽みを生かしてたんじゃないか)
[CS・衛星(邦画)] 6点(2013-01-28 10:29:19)
35.  コタンの口笛
こういう差別ものってどういう姿勢とっていいのか難しく、とりわけアイヌ差別なんてほとんど知らないわけで、現状に対してどの程度の「つくり」がなされているか分からない。主人公が完全無欠すぎるような気がした。でも差別が存在するのは間違いなく、無知ゆえの批判をしてしまってはいけない、といささか居心地が悪い。踊りを見せている人たちの苦痛にも触れるべきだったろう。けっきょく全体として「耐える」という方向に収まってしまっていたように思う。進駐軍のヘリコプターの音が入ったり、この監督ではかなり異色作とは言える。ロングショットを撮らせると美しい。道とか夜の校庭とか、特別「自然と交歓してる」という感じでもないんだけど、人が存在することの心細さ、というのかなあ。道が奥に続いていく感じ。音楽はもちろん伊福部さん。ドン、タタ、ドン、タタタって。水野久美がいなくなったままで終わっちゃうのなんか、『稲妻』の姉が行方不明のまま終わっちゃうのを思い出し、成瀬的だと一瞬思ったが、脚色者が違うんだから偶然だろうね。とりあえず山内賢の少年時代に息を呑んでください。
[映画館(邦画)] 6点(2013-01-22 09:58:01)
36.  めまい(1958)
テレビでマラソン中継見てて、前を走る車からランナーにズームしていくと「めまい」の効果が出ることがある。まだこの映画を知らないころも、この不思議な感じいいな、とドキドキしながら見てた。その後、テレビドラマや映画でしばしばその手法を目にし、やがて本作が本家と知った。車の追尾シーンの素晴らしさは、何と言うか、マジックハンドで糸巻きに糸を巻きつけていくような興奮と言うか、決して急かさない、ゆっくりゆっくりとしかし正確に進行していく興奮で、この映画全体に言えることだ。町の女性が死んだ女になっていくところも、急かさないテンポ。どうして現代のスリラーはアレグロばかりになってしまったんだろう、スリラーはスローがいいという代表作。ただ観客に正体を知らせるのが少し早すぎる気がするのだが。
[映画館(字幕)] 8点(2013-01-13 09:41:43)
37.  カルメン故郷に帰る
皮相な社会風刺になりかねないところを、主人公の明るさが救っている。「新しいもの」に飛びついて分かったふりをする当時の世相を笑いつつ、その新しいものも切り捨てない。木下さん、ストリップがはやる風潮を愉快には思ってなさそうだが、少なくとも青年を盲目にする戦争よりはいい、と自分の中であれこれ計量しているよう。軸はストリップと佐野周二の歌という当時の文化状況の対比、あれ木下忠司お得意のマイナー調で(たとえば『喜びも悲しみも幾歳月』のテーマ、お~いら岬の~灯台守りは~)、「青葉の笛」とか「水師営の会見」とか短調唱歌で育った世代の「いい歌」なんだな。この陰々滅々ぶりは皮肉な効果を狙ったんじゃなく、あれが当時の「芸術的で真面目ないい歌」だと思って聞くべきなんだろう、「軽薄な」ストリップの対比として。そういう構想で作られつつも、映像としては青空の下の若い娘たちの輝きが圧倒してしまうところが映画の面白さだ。そっくり時代の記録として残った(そうか、盲目の青年だけが彼女らの肢体を見られないわけで、だから陰々滅々な歌の作曲者なのか?)。喜劇としては、三好栄子の怪演が記憶に残る『純情す』のほうがキレが良かったと思うが、この牧歌劇のほのぼの(とりわけ娘が裸で踊るお父さんの苦衷とそれへの周囲の慰め)も味わいあります。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-01-02 09:36:50)
38.  裏窓(1954) 《ネタバレ》 
これは映画館で観なくちゃ意味がないような映画で、スクリーンと向かい合って、あたかも脚にギプスをはめて身動きが出来ないような気分で味わうフィルムよ。そうでないと、向こうがこちらを見つける瞬間の怖さは半減する。G・ケリーが脅しの手紙を持って向こう側に現われただけで、なんか信じられないことが起こったようなドキドキが起こる。あるいはこちらで掛けた電話が向こうで鳴り、話し合ったりする。それらに比べると、グレイスがいる間に男が帰ってきたりする向こう側だけでのドキドキは大したことない。こっちと向こう側がつながることが怖いので、こうなると最後は向こうがこちらに侵入してくるよりほかにないわけだ。こちら側の観客の一人だったはずのグレイスが向こう側に行っちゃうだけでショックなのに、安全地帯から覗き続けていたはずのスクリーンの人物が、「覗いてたな」とにらみ返すんだから、もうパニック寸前。映画という装置の怖さを知り尽くした作品だろう。
[映画館(字幕)] 9点(2012-12-29 09:23:28)(良:1票)
39.  知りすぎていた男
トーキー初期作品をリメイクした本作は、音が明晰になった喜びが随所に踊っている。主に二つの音が重なること。次第に靴音が二つになったり、賛美歌に合わせた会話、銃声とシンバル、ケセラセラと口笛、などしばしば観客は耳を澄ます喜びを味わえる。一つのものが無理に二つに分けられる緊張と、二つの異なるものが無理に一つに合わされることから来る緊張。一つであるべき靴音が二つに分離していく驚きから、無理に二つに分けられていた母子が一つのメロディで重なっていくまで。本作や『北北西…』など、とにかく盛りだくさんにした作品がヒッチにはあり、『裏窓』のような集中していく作品よりは軽く見られがちだが、この満腹感もそうとうなもので、同じくらい好きです。
[映画館(字幕)] 9点(2012-12-25 10:04:03)
40.  三等重役
まだ「戦後映画」の雰囲気がある。「封建的なものから民主的なものへ」の当時の底流が感じられ、社長シリーズの源流はけっこう社会的な視点もあったんだ。「会社を舞台にしたコメディ」にやがてなっていくのだけど、本作では「こういう角度から社会を見る」という観点も感じられた。公職追放された前社長は見るからに社長だが、いつか追放解除になるであろうまでの中継ぎとして据えられた河村黎吉は、貫禄がない。終盤で前社長の娘婿になった青年が「貫禄が違いますわねえ」と人々に噂されるのと対照的。そこらへんの中継ぎの悲哀(というほど大袈裟ではないけど)が、河村にピタリ合っていた。身に合わぬ肩書きを手にしてそれなりに嬉しく、東京支店の抜き打ち視察など意外とやるべきことをやり、そして独身所長の縁を取り持つ人情味もあり、ボーナス支給では細君連とサラリーマン連の不満を調整し、それほど無能ではないのに、やっぱり貫禄がない。それを笑うというより、共感・同情しているところに、映画の時代が感じられる。映画は明らかに前社長よりこの社長の肩を持っている。やがて日本は森繁社長が似合う高度成長にはいっていく。そして後世の私たちがその恩恵を受けているのは重々承知しているが、日本が河村社長の下で「貫禄はなくても堅実な三等国家」でゆく歴史も有り得たんだなあ、などと本作を見ながら思ってしまうのだ。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2012-12-08 09:34:55)
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