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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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441.  俺物語!! 《ネタバレ》 
原作・アニメとも見ていない。題名とポスターの顔からして視野狭窄の自己中男による一途というより手前勝手な恋物語といったものかと思って敬遠していたが、実際見るとそうでもない。序盤でいきなり主人公の人物像が強力に印象付けられてしまい、以降は男の立場としても躊躇なく完全に主人公の味方になる。 人格的に自己中の対極なのは非常に共感できるものがあり、また屋上に放置していた握り飯をその後に全部食ったところなどは素直に出来た男だと褒めたくなる(食器をどうしたか不明だが)。こんな奴は実際あまりいないだろうが、男子の理想形の一つとして正直憧れるところはある。その親友も悪い奴ではなかったようだが少し都合のいい人格設定に見えた。  前半はとにかく主人公の顔を見ているだけで大笑い続きで、見当違いのことを言っているのにわけ知り顔の場面などは爆笑した。 事前に映画紹介の文章をまともに読んでいなかったため、この男が愚かにも女子に惚れられたと勘違いして恥ずかしいことをやりまくるのかと思っていたら、実は違っていたというのは非常に意外な展開だった。それ自体は大変いいことだが、しかし最終的に相互片思いの状態が解消されるまでがかなり迷走状態で、なんでそうなるのか???という極端なすれ違いの繰り返しには少し呆れた。原作の最初の方だけで映画1本としてまとめたということだろうが後半どうも間延びした感がある。 終盤の種明かしが慌しいのはいいとして、最後の野外パーティーなどはいかにもマンガっぽいので少し引いたが、そこは少女マンガ原作映画だから仕方ないか。こういう終わり方自体を悪くはいえないのでよかったということにしておく。  ちなみに撮影は仙台市が中心(一部は柴田町)だったようで、あまり仙台ならではの風景というのはなかったが、丘陵地に広がる住宅地というのはそれらしいといえなくもない(丘陵地に囲まれる形で伊達家が城下町を造ったため、近代以降の都市の拡大により隣接の丘陵地が市街化したということ)。背景には太白山も見えていたようである。
[インターネット(邦画)] 6点(2019-05-03 08:21:01)
442.  脱脱脱脱17 《ネタバレ》 
現在は女子大生監督になっている松本花奈という人が17歳の時に撮った映画とのことである。 ジャンルに「音楽」が入っているのは、映画と音楽のコラボレーションによる映画祭「MOOSIC LAB」に出品されたからで、コラボの相手であるガールズバンド「the peggies」の北澤ゆうほ(ボーカル+ギター)という人が実質主演もやっている。MOOSIC LABでの上映時には78分だったそうだが、アマゾンPrime Videoで見られるのは108分バージョンである。ちなみに「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2016」で受賞もしている。  内容としては17歳の高校生女子と、17年間高校に在籍していた男の2人がそれぞれ「脱」をやりとげる話と思われる。女子高生がストリップ劇場の舞台に立つという刺激的な場面もあるが4回脱ぐわけではない。 2人のうち女子に関しては、話が複雑でどうも簡単にまとめられない。自分が自分でいるためには自分をしっかり持つ必要がある、しかし他人との交流を遮断してしまっては得られないものもあり、それも一方通行ではなく互いに本当の姿を受け入れ合うこと、また心から自分を思ってくれる相手や、心から相手を思うことも大事だ、というような感じのことが連なっている印象がある。それで自分として何か刺さるものがあったかというとないわけだが(主に年代の関係で)、しかし一定の内容をそれなりのインパクトをもってぶつけて来ようとしているとは感じられる。母子関係がどうなったのかよくわからなかったが、要は自立した個人として向き合う準備ができたということか。 一方で男については、見た目からしてこんな奴に肩入れしてやる義理はないと突き放したくなるところだが、しかし自分としても男子であるから、夜の海岸で主人公女子にかけた言葉は素直に心に響いた。否定的に言われる場面もあったが、単なるバカということでもなく基本は誠実な男だったらしい(キスは許せない)。 ほかちょっとした場面だが、夜空に星が2つ飛んで来たところは若干泣かせるものがあった。マリアという人がその後どうしたのか不明瞭なのは残念だ。  なお実質主演の人は、歌は本業なので当然できるとして、外見的にも童顔ながら大人っぽいカワイさがあって目が離せない。チャップリンからのやりとりなどは自然にうまい感じに聞こえる。また教育実習生の人物造形も結構好きだ(かなり可笑しい)。ちなみに監督本人もセーラー服姿で一瞬出ていたようだった。 [追記]見てから少し時間が経つと何だか愛しい映画に思えてきた。年齢的には対象外だろうが。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-04-27 10:23:56)
443.  未来のミライ 《ネタバレ》 
公開時から悪評ばかりで全く見る気がしなかったが、米アカデミー賞ノミネートということで試しに見た。見ればそれほど真に最悪な映画でもなく、主人公の声も変だが慣れた(上白石萌歌さんの今後に期待する)。登場人物がやかましいとか気に障るとか言動が4歳児でないとか顔のデフォルメが極端なのは嫌いだとかいろいろあるが、どんな映画でも(特にアニメは)我慢を強いられる場面というのはあるものだ。主人公の家はそのうち高齢者用にエスカレーターでも設置しなければならなくなるだろうがそれは後の話だ。 物語に関しては、それまで主人公にとって自分が世界の中心だった状態から、周囲の空間的・時間的な広がりの中で自分の位置を捉えるに至った最初の体験という、いわば世界認識の転換(コペルニクス的転回のようなもの)が描かれているのかと思ったが、最後の庭の木の話からすると生命の連鎖のようなものがテーマだったということか。しかしどういう意味にしても、それを誰に見せようとしているのかはわからない。幼児が当事者意識をもってこれを見るはずはないので、要は親も子に育てられる面がある、といったようなことなどを含めて子育て世代そのほか思い当たる人々の共感を得たいという話なのか。何にせよ自分としては対象層から外れているので特に愛着を覚えるようなものではなかった。  なお主人公の行き先で少し注目したのは戦後すぐの横浜市磯子区(※)で、考証的にはどうかわからないがこういう景観だったのだろうなとは思った。世間の評判通り曽祖父は格好よすぎだ(「おら」というのが微妙な方言だ)。ちなみに復員輸送艦になっていた第九号輸送艦と航空母艦鳳翔が映っており、その鳳翔の解体が始まった昭和21年8月末までの間のことだったと思われる。 また未来の東京駅は結構好きだ。外国語表示の言語数が増えている(北東アジアばかりでない)のは好ましいことだが、ただし繁体字が見えなかったのは不穏なものを感じる。遺失物係は劇団イヌカレーかと思った。ケモノ新幹線に関しては、外皮の手触りを確かめてみる場面がなかったのが残念だ(モフモフかゴワゴワか)。 ※東京駅のアナウンスでは「いそいそ区」とか言っていた。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-04-20 14:58:41)(良:1票)
444.  夜明け告げるルーのうた 《ネタバレ》 
似ていると言われているジブリアニメは昔TVで1回見ただけなので内容を忘れているが、全体の印象としては確かに似ている。別に似ているからどうとも思わないが、ほかにトトロ(大)の件などもあり、ここはあえてオリジナリティにこだわってもらいたかったという気は確かにする。 この映画を見て好きだと思うのはやはり映像面での面白さで、色彩感とかユーモラスな生物とか羊羹状の塊とか変なパースの取り方など楽しめるものが多い。キャラクターに関しても、友人男女が気のいい連中で安心できるほか、人魚の屈託なさと顔つきにはかなり和まされた。  物語としては正直に“好き”と言えるかどうかが問題だったようだが、そういうのは主要人物の年齢からすると中学生向けメッセージか。 それより自分としては、最後に様変わりした町の風景で「陽の当たる町になった」ことが表現され、内湾と外洋の区別もなくなって閉塞感が取り払われていたのが印象的だった。人の心が解放されればかえって人口流出が加速するかも知れないが、それは主人公のように自分の意思で帰って来る者がいればいい。また古来伝承されてきた人魚だけでなく、これまでの古い習慣や住民意識や行動様式や生活感覚といった文化的要素も次第に失われていくのだろうが、新しい時代に何を創っていくかが大事ということと思われる。 ただ爺婆は最後にいわゆる“お迎えが来た”ような感じで、確かにある程度の年齢になるともう変化を受け入れられなくなることはあるわけだが(人にもよるだろうが)、まるでこれからの世界にいらない者を厄介払いしたようなのは喜んでいいのかどうか微妙だった。まあ本人らは幸せだったろうからそれでいいということか。もう死なないとすれば極楽浄土に行ったようなものということで。  そのほか個別事項としては、爺さんが気配を感じて動きを止めると世界の時間が止まったかのように見えたのは面白かった。また「活き〆ワークショップ」のエピソードは何ともいえず微妙に可笑しい。この映画の主な対象層は知っているかわからないが、活き締めというのは魚の鮮度を保つために漁師がやることで、その方法の普及のために講習会をやっていたのだろうが、習いに来た漁師は結局覚えられずに終わっていた。ここは吸血鬼が噛んだ相手も吸血鬼同様の不死者になるという意味と思われる。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-04-20 14:58:38)
445.  リリイ・シュシュのすべて 《ネタバレ》 
場所は両毛線沿線のようだが、季節の水田風景が美しい。エンディングで稲わらを乾燥させている風景は、うちの地元では見られない。  ところで個人的にはこのような苛めなり迫害なりの経験はなく、また今さら思春期の少年少女の立場にもなれないわけだが、もともと逃避的傾向のある人間だからか、現実世界から独立した精神世界を求めることには共感できなくもない。おまえいい年してこんな連中と同じじゃないだろうなと言われている気もするが、しかし登場人物が実体のないものを空虚な言葉で一生懸命飾り立てようとするのは痛々しく、たった一人の不規則発言で共同幻想が崩れてしまいそうになるのも虚しく感じる。 一方、この映画で印象的なのはやはり久野の強さである。この人には自分を支える力があると思えるが、それは本人の資質はもちろん、拠るべき普遍的価値を知っているからこそだろうと思う。劇中で冷酷無残な描写をよそに流れるピアノ曲は、現実世界がどれほど陰惨であるかに関わらず、美しいもの、価値あるものが確固としてこの世に存在することを示しており、それは何があろうと“汚された”などということもなく、超然としてそれ自体の価値を主張する。そう考えるとこの映画は、若年者だけでなく全年代に向けて、彼女にとっての芸術音楽のようなものを見つけられるかと問いかけているように思えなくもない。  以上のように、それなりに評価できる点もなくはないが、さすがにこの劇中世界を全面的に受け入れるわけには行かない。また自殺する人物が誰かによっては上記の感想は持てず(小説版は読んでない)、その場合はただ嫌悪だけが残ることになる。当然ながら自分も大人の側の人間だということである。 なお余談として、メイキング映像を見たところ、劇中で極悪女子生徒役だった女優(松田一沙)がクランクアップ直後に大泣きして「最悪でした」と言っていたので、女優本人は極悪人ではなかったらしい。当然だが。   [2019-04-13追記] クロード・ドビュッシーのアラベスク第1番は美しい曲である。このような何物によっても損なわれない普遍的価値の存在を知ることが久野という生徒の強みであり、彼女のこれからの心の支えになるはずだというようなことを上に書いたが、昨日たまたま立ち寄った高速のSAの便所でこの曲が流れていて、この映画のことを思い出してしまって非常に嫌な気分になった。見た者にどこまでもつきまとう最悪な映画だ。
[DVD(邦画)] 5点(2019-04-13 14:28:56)
446.  ギョ<OV> 《ネタバレ》 
伊藤潤二の同名のホラーマンガを原作としたアニメで、腐敗臭のする無数の歩行魚が沖縄に上陸、次いで東京にも襲来して大混乱に陥り、やがて世界全体が滅亡に向かうという話である。怖いというより気色悪さを前面に出しており(反則気味)、全体的にはパニック物という印象がある。 ストーリーはわりと原作に忠実で、主要エピソードは何らかの形で拾っており、原作で脱線に見えたところも入れてある。大きく違うのは登場人物で、原作の中心人物だった男女の役割を交換して女の方を主人公にし、原作に出ない男とともに最後まで生き残る形にしたのはアニメ向きの趣向かも知れない。なお膨れてガスを噴出する女は別のキャラクターを用意してある。またラストは原作と変えてあり、悲壮感と同時に強さも感じさせる終幕になっている。  アニメーションに関しては特に目を見張るようなものはないが、そこら中に漂う臭気を映像化しようとしてゴッホの絵のようになっているのが目につくところはある。 一方でどうも登場人物の設定とか言動とか安易な展開など安手のアニメ臭が鼻につく。特に主人公が公的に禁止されたことをやろうとして制止されると、止めた側を悪人にして駄々をこねて同情を誘うといったことをいつまでやっているつもりかと思う。また“世界全体”ということを表現するために、香港?の街はまだしも凱旋門・タージマハール寺院・赤の広場・エンパイアステートビルを次々見せるというのはわざと昭和ステレオタイプにしたのか何も考えていないだけか。 アニメ独自のテーマとしては、「目で見たものだけが真実」ということかも知れないがあまり納得しない。自分の目で見なければ信じないと言い張るのは、自分周辺の狭い世界でしか生きて来なかったアナログ時代の高齢者かと思ったが、膨大な情報が流通する現代ではかえって原点回帰が必要だと言いたいのか。それにしても事実関係はどうでも信じ込みさえすればそれが真実だというのでは情報源がどうかは関係ないではないか。ほかにも最後に何か微妙に言いたいことがあったようだがはっきり言わないので無視する。 そういうことで気に入らないところもあって特に褒める気にはならないが、原作マンガのアニメ化ということでは悪くない。若干の独創性を評価するかどうかは人による。
[ブルーレイ(邦画)] 5点(2019-04-13 13:32:37)
447.  伊藤潤二恐怖コレクション/顔泥棒<TVM> 《ネタバレ》 
2004-05-16に作品登録されていながらレビュー数0だったので見た。伊藤潤二の同名のホラーマンガを原作とした実写ドラマで、自分の顔を他人と同じに変えられる少女の話である。「伊藤潤二恐怖コレクション」というシリーズの一つとして、2000年8月にテレビ朝日で放送されている。 同じシリーズの「長い夢」も見たが、原作に忠実にドラマ化するのがこのシリーズの方針だったようでもある。このドラマも変に遊んだところのない堅実な作りで、かなりじっくり見せられてしまうものになっている。  原作に忠実とはいえ元が短編のため、このドラマも全体を膨らませて72分に拡張しており、全3章あるうち原作に由来するのは後の2章分だけである。追加した第1章では、原作の開始時点以前の事情を遡って掘り下げて、劇中の日比野という男がなぜ責任を問われるのかを説明している。この男は原作でも全ての元凶だったように詰られていたが、このドラマでは実際に責任を取るところまで行かされてしまうのが理不尽である。普通に考えれば女の論理はともかく客観的観点からこの男に責任などないだろうと言いたくなるわけだが、そう言えなかったところがこの男の悲劇ということか。 顔を盗む女子が終盤で受ける仕打ちも原作同様だが、より喜劇的かつ残酷に描写されており、その後の顛末も加えた形で男女2人の悲劇という印象を強めている。ラストのシチュエーションでは笑う視聴者もいるだろうが(通行人も笑っていたが)、ここは笑うに笑えない状況というべきではないか。教訓的にいえば、自分の個性を磨こうともせず、見栄えのする誰かの姿を盗もうとする行動様式が破綻してしまい、盗んだ外面が剥がれて初めて男が本気で心を寄せてくれた、という皮肉な状況と取れる。 改変を加えたことで辻褄が合っているのか怪しくなっているところもあるが、もともと原作段階でも少し設定が甘いのではという気がしていたので、その点を突っ込む気にはならなかった。  キャストとしては、当時の若手女優3人(山口あゆみ・安藤希・坂本三佳)が顔を盗む女子1人を次々に演じる形になっている。個人的に注目していた坂本三佳という人は、役柄のせいもあってかあまり可愛く見えないが、後半はほとんど出ずっぱりで熱演している。ほか不運な日比野役の役者は「リリイ・シュシュのすべて」(2001)より前の状態ということになるが、今回も内面の弱さを感じさせながらも意外に誠実な人物役だった。
[DVD(邦画)] 6点(2019-04-13 13:30:43)
448.  伊藤潤二恐怖コレクション/長い夢<TVM> 《ネタバレ》 
伊藤潤二の同名のホラーマンガを原作とした実写ドラマで、人間の夢の中の世界と現実世界に乖離が生じて拡大していく話である。「伊藤潤二恐怖コレクション」というシリーズの一つとして、2000年7月にテレビ朝日で放送されたらしい。 内容としてはかなり原作に忠実で、基本的に原作の出来事はちゃんと拾っている。患者の外見なども原作に倣ったようで、特殊メイクは一見失笑モノ(ピンポン玉)だが結構気色悪い。両手の指を伸ばす場面は原作にもあるがドラマの方が印象的に映像化されており(意味不明だが)、次第に言葉が変になっていく様子も表現されている。別に怖くはなく派手さもないが、背景音楽の雰囲気を含めてミステリー調のドラマを真面目に作っており、同じ監督の映画「うずまき」(2000)のようなふざけたところは基本的にない。 全体構成としては、原作が短編だったのをオリジナルの登場人物も加えて1時間程度に拡張している。自分の感覚としては、原作はどうも尻切れ状態で終わってしまう印象があったが、このドラマでは違和感なく延長してオチまで付けた形になっており、ここは未完成だった原作を補完して完全版を作ったようにも見える。ラストの展開は若干無理があるようでもあるが、全体的な印象としては悪くなかった。  人物に関して、キャスト配列順の2番目のつぐみという人は知っている人は知っているだろうが、今回は病人役のためあまり可愛く見えるところはない(ラストの一瞬のナース姿もこの人か)。また上記「うずまき」にも出ていた初音映莉子という人は友情出演ながら実質的なヒロインで、今回は少し落ち着いた感じで古風なラブストーリーの恋人役をやっている。50がらみのオヤジとのキスシーンが直前で回避されたのは幸いだった。
[DVD(邦画)] 5点(2019-04-13 13:30:40)
449.  うずまき 《ネタバレ》 
伊藤潤二の同名のホラーマンガを原作とした実写映画で、地方の小さい町が渦巻きに呪われてみんな渦巻きになっていく話である。同時上映が「富江 replay」とのことで、邦画ホラーの隆盛に乗ってこの原作者を売り出すつもりだったのかも知れないが、怖さというより荒唐無稽な不気味さを売りにした怪奇映画といったものである。  まず序盤で、主人公が「あ、また負けちゃう」「きゃっ」と言ったあたりで大根役者ぶりが印象づけられてしまうが、しかし続いて映る町並みが昭和レトロ風なところをみると、役者が大根に見えることを含めて「時をかける少女」(1983)を真似たもので、失笑演技はそういう演出だったからとも取れる。主演の初音映莉子という人は今もちゃんと役者をやっているが、この時点では80年代の原田知世に続く新世紀の国民的アイドル女優というつもりだったとすれば意味はわかる(実際に可愛い)。 それにしても相手役の男は一体どういうキャスティングだったのかと呆れる。この男が棒演技でも構わないよう時かけ風にしたのかと勘繰りたくなるようなもので、当時はモデルだったらしいが明らかに不快要因になっていた。女優まで付き合わされていい迷惑ということではなかったか。  内容としては原作の全部を再現するつもりはなく、とりあえず劇中世界はこんなところ、というのを見せておいて、あとは原作本を読んでくれという形で投げたようでもある(同時期に単行本が発売されている)。終盤で新たな町が形成されるところまでは行かず、前半部分のエピソードをつないで適当に切り上げた形だが、かろうじて“繰り返す”ことだけは最後に説明されていた(よくわからないだろうが)。 半端で笑えないコミカル演出や、原作者や出演者関連のおふざけなどは全く気にいらないが、廊下で俯いて並んでいる生徒やエレベータの看護師などは意味不明だが悪いともいえない。映像的にも、運転席を内側と外側から撮ってクロスフェードするとか、ピンク電話のダイヤルを回すごとにズームするといった趣向は効果的なのかわからないが特に否定するものでもない。ちなみに雨の日しか来ない男の顔は非常にいい感じを出していた(不快だが)。 ほかキャストに関しては見たとおりだが(男連中が鬱陶しい)、同年の「呪怨」(OV)、「ブギーポップは笑わない」にも出ていた三輪明日美という人は、この映画でも脇役ながらかなり存在感を出していた。
[DVD(邦画)] 5点(2019-04-13 13:30:38)
450.  ガス燈(1944) 《ネタバレ》 
往年の名画だろうが、現在は文化的価値とは別の面で有名らしいのでどういうものかと思って見た。 公開時期はニューヨークが1944年5月4日、ロンドンでは同年7月とのことで戦時中の映画ということになる。アメリカではまだしも内地は平穏だったろうが、ロンドン市民は空襲におびえながら映画館に行ったということなのか?? 主人公がロンドンからイタリアへ留学したのも公開時には現実離れしたことだったろうが、劇中でヨハン・シュトラウス2世の「こうもり」(1874初演)を「新作のオペレッタ」と言っていたことからすれば、映画の時点から70年くらい前の話だったらしい。そもそもガス燈自体が相当昔のものということかも知れない。  物語に関しては、主人公が最初から中年男(役者は当時40代中盤)とラブラブ状態で、こんな怪しげな男で大丈夫なのかと思わされる。マエストロの言葉からすると恋は盲目という意味かも知れないが、本人が生来の甘ちゃんだからということも当然あったはずで、下町育ちらしいメイドとの対比が際立っている。ただ、ちゃんとしまったはずのものがなくなるというのはなくもないことなので(実際ある)、こういう弱味を衝かれると危ないとの警告をくみ取るべきかも知れない。 個人的趣味としては精神的虐待の話など好んで見るものでもないが、しばらく我慢すれば爽快なラストを迎えるはずと信じて期待していたところがそれほどでもない。終盤いきなり反転攻勢に出たところが見せ場だったのだろうが、疲れ果てていたはずの主人公が、あらかじめ仕込んだような台詞で的確に相手を追い込んでいたのは出来すぎである。その割に、終幕の時点でまたロンドン警視庁の男にさりげなく暗示をかけられていたようで、こういう相手なら騙されてもいいということなのか(心理操作の正しい使い方?)。 またその最後の締め方は、当時はこれで普通だったのかも知れないが、今までの男が抜けたあとをすぐ別の男で埋めようとする態度は安易というしかない。しかし男の立場としては少年時代からの夢がかなうということらしいので、ダルロイ夫人に賛成してもらえるならいいかも知れない。  ほか主人公が取り乱した場面のうち、息を止めていてプッと噴き出した(ように見えた)ところは笑ってしまった。音楽会での出来事自体はそれほど大ごとでもなかったが、非常に気まずい雰囲気になっていたのは周囲が上流階級の人々だったからだ。
[DVD(字幕)] 6点(2019-04-06 10:01:35)
451.  アイズ(2015) 《ネタバレ》 
鈴木光司の短編集「アイズ」のうち「しるし」を映画化したものである。ちなみに映画化されていないエピソードのうち6つはTVドラマ「鈴木光司・リアルホラー」として、2015年3月にBSフジで放送されている。 原作を読んで比較すると、もとの構成要素を使いながらかなり膨らませて深みも出しており、最終的には原作のイメージとかなり違ったものになっている(貞子も出る)。また同じ短編集の「夜光虫」というエピソードを思わせるところもあった。  内容としては、まずは原題のもとになった「マーキング」が気味悪い。最初のF(とM)は本物だったかも知れないが、あとは何だったのか正直わからない(幻視もあったか)。意味についてさまざまな解釈が出る一方、実際に関係ありそうな出来事も起きていたようだが決定的なものはなく、単に登場人物の心理を反映して後付けしていただけのようでもある。 主人公は母親似とのことなので、劇中の情報サイトの記事に出ていた症状名がオチなのかと思ったが、これで幻覚とか被害妄想まで説明がつくのかわからない。基本的に全てが主人公の目から見た主観的な映像とすれば事実関係が不明瞭なのは仕方ないが、少なくとも同級生の男と精神科医の判断は外部の客観的な視点からのものである。また今回、主人公が記憶の底から引っ張り出した情景もいわば原資料として信用するとすれば(一部に混乱があったが)一応の全体像は見えなくもない。  それにしても困るのが父親で、娘に長々と語っていた内容は、順を追った説明のようでいてどうも納得できないことが多い。例えば株で大当たりした理由を同級生の男は一応推測していたが、父親の話では超自然的なお告げのせいにしていたのと、また胎児が誰の子だったかも結局わからないで終わってしまった。ほか主人公が思い出したところによれば、どうもかなり重大な隠し事をしていたらしいのが信頼感を損ねる。 最後に帰宅した父親を、主人公がどう迎えようとするのか自分としてはわからなかったが、題名にこじつけて考えれば、これまでのように都合のいい妄想を自分の目に映そうとするのか、あるいは真相を自分の目で直視するのかが問われているということか。わかりにくいところは多いが真面目に見なければと思わされる映画で、予算に関わらないところでかなりの力作に思われる。  個別事項としては、死んだ友人宅を訪ねた場面でのいたたまれなさが心に残った。またFAT男の性格の歪み具合がいかにもな感じで、もう一人の男が人格者なのがかえって際立っている。終盤で、弟が姉を呼び続けて姉が泣き続ける場面は何ともいえず圧巻風の印象だった。 なお主演はアイドルとのことだが(伊藤万理華/まりっか、当時は乃木坂46)、この映画で見る限り悪くない(鼻水も垂れていた)。また自分が見たところでは精神科医が無駄にかわいく見えたが、無駄なようでいて無駄でない意味が何か隠されていると考えるべきか。ちなみに演者が秋山依里(もと秋山奈々)という人だということまでは調べた。
[DVD(邦画)] 7点(2019-04-06 09:59:37)(良:1票)
452.  サリュート7 《ネタバレ》 
ソビエト連邦時代の偉業を語る映画である。ただし1985年だともう終わりの始まりくらいにはなっていたのではという気もする(同年にゴルバチョフが書記長に就任している)。 事故で機能を失った宇宙ステーションを2人の宇宙飛行士が献身的な働きで回復させる話だが、それほど人類史的な意義があるわけではなく、関係者には申し訳ないが映画の題材としては地味目というしかない。またアメリカの策謀とか爆発とか天使までこの話に詰め込むのは作り過ぎのようでもあり、サリュート7号の実録映画というよりも、事実に取材してまとめた娯楽映画と受け取っておくのがいいのではという気がする。ちなみに人名も仮名にしてあるらしい。  宇宙空間の映像は、基本的には地球を周回するだけなのであまり変化は出ないが、周回軌道上に昼夜があることは物語的にも生かされている。当然ながら地上が見える場面が多く、冒頭でフィリピンのスールー海上空にいたのはわかったが、それは北がほぼ上だったので気づきやすかっただけかも知れない。その後はフロリダの発射場を除き、都市部の灯りなどは場所がわからなかったが、全部実在のどこかを想定して映像化していたものか。 アメリカ人並みのおふざけなど本当にあったことなのかは知らないが、水玉映像や昆虫との友情など飽きないようには作ってあり、無重力下のアクションも若干ある。また飛行士それぞれに美人の奥さんがいて(若妻は可愛いタイプ)家族愛を見せるとか、男2人が並んで夜景を眺めてしみじみ語るといったドラマっぽい場面もある。スペースシャトルが挨拶(salute)してから翼を翻して去るのはやりすぎだろうが、生真面目なロシア映画「ガガーリン 世界を変えた108分」(2013)に比べれば、かなり娯楽性を意識した映画に見えた。  なお当時を語るものとして、1980年モスクワオリンピックのマスコット「こぐまのミーシャ」が出てきたのは懐かしい。閉会式で泣いていたのは日本人としても記憶に残るが、映画の時点ではもう5年後であり、主人公の娘などこれが何なのかわかっていなかったのではないか。またスペースシャトルの名前は「チャレンジャー」だったが、これは翌年1月に爆発事故を起こして乗員全員が死亡した機体のはずである。劇中では、それまでに死亡したソビエト側の飛行士を悼む場面があったが、このチャレンジャーの悲惨な事故に対し、この映画がどういう立場だったのかはわからなかった。
[DVD(字幕)] 6点(2019-03-30 10:12:38)
453.  アトラクション 制圧 《ネタバレ》 
ロシアに宇宙人が来た、という映画である。 最初に大気圏外から来た宇宙船をロシア軍の戦闘機(Su-27?)がいきなり撃墜し、宇宙船はモスクワ南部の住宅地に墜落したが、そこでいろいろあってからまた飛び立って空に消えていく展開になる。終盤ではパワードスーツのアクションもあって派手な映像はそこそこあるが、それは最初と最後だけで、中間部のほとんどは主人公周辺の人間ドラマになっている。 なお原題のПритяжениеは英語のattractionそのままの意味、あるいはgravityのことらしい。よくわからないが例えば、接触を禁じられていたにもかかわらず、地上にあった何か(永遠の生命よりも大切なもの)に引っぱられて落ちて来たということかも知れない。  ドラマ部分は、主人公が厳格な父親に反発して不良の彼氏と付き合っていたが、そこへ星の王子様が現れて彼女の心を奪っていったという話である。あるいは社会的な見方をすると、権力側にいる父親と、反抗的な彼氏がそれぞれロシア国内の社会階層を代表していて、主人公がそれとは全く違う第三のあり方を見出したというように取れる。 ロシアの立場では、首都上空に侵入する飛行物体は問答無用で撃墜して当然のようで気の荒い国だが、国民の方も、現に政府が救援活動をしているのにやたら食ってかかる連中がいて、さらにそういう不満分子を煽動する者もいたりして革命でも起こすのかという雰囲気があり、これではロシア国家が抑圧体質になるのも仕方ないのではと思わせる。また「祖国」という言葉が出ていたあたりは、立場に関わりなく国粋主義に煽られがちな国民性を示したようでもあり、それがまた排外主義を助長したりもするということか。 「墜落したのがほかの国ならよかったのに」という台詞もあったが、宇宙人を前にしてもこの有様では、いつまで経ってもロシア人など“地球人”にはなれそうもない。しかし今回の件で少なくとも主人公の心は確実に変わったとのことで、そういう微細な変化の蓄積がいずれ社会を変えていくはずだと期待する映画なのかも知れない。悪役の男が最後まで死ななかったのは、こういう連中をただ排除すれば済むのではなく、一緒に生きていこうとするのが現実社会という意味だと解釈した。  ちなみに見ている側としても、どうしても劇中人物が地球人というよりまずはロシア人だと思ってしまうところはあった。例えば、復讐したい気持ちがあっても戦争を起こすのは駄目だ、と登場人物がいえば、粗暴で残虐なロシア軍が攻めて来て何をされても泣き寝入りしろということか、と皮肉を言いたくなる。また「地球はわれわれのものだ」などと言われると、ロシア人は地球を征服する気でもあるのかと疑ってしまう。本当なら恐ろしいことだ(おそロシア)が中国人には負けそうだ。
[インターネット(吹替)] 6点(2019-03-30 09:59:11)(良:2票)
454.  バルト・キングダム 《ネタバレ》 
脚本・監督と場所・主人公など基本的にはラトビアの映画だが、イギリスの資金が入っているからか台詞が全部英語なのは面白くない。 まず邦題はどうでもいいとして、英題のThe Pagan Kingは「異教の王」で、これは当時まだ現在のバルト三国から旧プロイセンにかけての地域がキリスト教化されていなかったことを背景にしている。また原題のNameja gredzensは、日本では「ナメイスの指輪」または「ナメイス・リング」と呼ばれている銀の指輪である。現地の伝統的な装身具で、字幕の説明によれば身につけた人の「誠意と勇気、自由」を示すものとのことである。 映画の主人公は、指輪の名前に入っているナメイス(Namejs、劇中ではナメイ)という13世紀の人物で、年代記などに名前が出ているが伝説的なところもあるらしい。ゼムガレZemgaleの王ということになっているが、そのゼムガレとは現在のラトビア全土を4または5の地方に区分したうちの1つに相当する(ちなみに以前に車で横断したことがあるが降りなかった)。当然それなりの面積と人口があったはずだが、国内向けの映画紹介で「村レベルの小国」と書いてあるのは、制作上の都合でそのようにしか見えなくなっているのをあらかじめ言い訳したと思われる。なおこれ以外にも、国内向けの映画紹介をそのまま信じると馬鹿を見る。  映画の内容は、現地を支配するため侵攻してきたドイツ人の騎士団(十字軍)と、主人公が率いる地元勢力との戦いが主軸になっており、何気なく現在のエストニア(サーレマー島)やリトアニア人(大公トライデニス)も登場している。史実としては、現在のラトビアと隣のエストニアはやがて騎士団に完全に支配されることがわかっているので、この映画も悲劇的な終わり方になると後味が悪いだろうと思っていたら、そこはうまくかわした感じで安心した。 映画紹介に書かれたような戦闘場面もなくはなく、特に最初の集団戦闘は映画「300」(2007米)を1/10くらいに縮小したようで、小さいながら死人の山もできていた。敵の殺し方がけっこう小気味よく、キリスト教自体は否定しないにせよ、当時の十字軍に対する強烈な反感は映像に出ていたように思われる。ほか恐らく現地での撮影だろうが風景が美しいところが多かった。 問題点を書くと、まず外国人にとってはとにかくわかりにくい映画で、とりあえず何を期待してどこまで我慢すればいいのかわからないのもつらいものがある。また最大の難点はスケールが著しく小さく見えることで、主人公の側がそれこそ村レベルな一方、敵の十字軍も船一艘に乗れる程度の兵員しか見えず、この辺は批判的な観客に叩かれる最大の要因になると思われる。ちなみにこれでもラトビア史上2番目に金のかかった映画らしい。  物語としては、戦記物というより前記「ナメイスの指輪」が一般に普及した由来を語る昔話のようなものかと思われる(信憑性は度外視として)。さらにいえば、これをもとにして現代のラトビア人にメッセージを伝えることが主目的にも見える。 劇中では当初、この指輪は権力の象徴として「王」が持つものとされていたが、戦いに際して主人公がこの指輪を全員に配ったことで、君主の権力を皆に分け与えた形になっていた。これにより国は民の力で運営するものだという、いわば現代の国民主権に通じる考え方が表現されており、同じ監督(アイガルス・グラウバ Aigars Grauba)の「バトル・オブ・リガ」(2007)にも通じるものがある。 この監督のラトビア・ナショナリズム映画第二弾といった印象だが、ナショナリズムといっても別に偏狭な思想で凝り固まっているわけでもない。戦いを前にした衆議では、殺されたくなければ戦うしかない、という主張のほかに、貢税を納めれば殺されずに済むだろうとか、子どもらを守って生き延びるのが第一だといったことを、空虚な観念論ではなく当事者の現実的な判断として主張する人々もいて、これが国民主権のあるべき姿を示していたようである。ちなみに男女共同参画っぽいところも出ていた。 そのほか物語中で、主人公に従うべき族長連中が、侵略者の危険性を認識していながら「誰かに戦いを任せて交易を続けたいだけだ」というのは現代にそのまま通じる話のようで、これはかなり手厳しい皮肉に聞こえた。  以上、映画としては絶賛するようなものでもないが、見るべきものもあって結果的には悪くなかった。ただしよほど関心がある人にしか勧められない。
[インターネット(字幕)] 6点(2019-03-23 10:27:25)
455.  バトル・キングダム 宿命の戦士たち 《ネタバレ》 
邦題は完全無視するとして、原題のЯрослав. Тысячу лет назадは「ヤロスラフ。千年前」の意味である。現在のロシア国家(及びウクライナ)の起源とされるキエフ大公国の時代、後に大公になったヤロスラフ(賢公)という人物がまだ最前線の地方に派遣されていた頃のエピソードで、大スペクタクルも何もなく、いわば下積み時代の苦労話のようなものに見える。 物語は、主人公のほか「ヴァリャーグ傭兵隊」「熊族」「盗賊」を加えた計4つの勢力が対立・連携しながら事態を動かしていく形で、基本的には先が見えないまま、裏切者は誰か、黒幕は誰なのかといったことを想像しながら見るミステリー調の展開になっている。一応の恋愛要素も入っており(2組)、スケールが小さいのでTVドラマレベルのようでもある。  主人公の本拠地だったロストフは、DVDの解説では「盗賊がはびこり 無法地帯と化した」とされているが、これはそもそもが無法地帯だったので盗賊がはびこっていた、という順序で考えるのが妥当と思われる。隅々まで社会秩序が行き渡っている現代日本では常識外れかも知れないが、この映画を見る上では、社会秩序は初めからあるものではなく、なかったところに作るものだと思っておく必要がある。 劇中のロストフ周辺では村スケールを越えた社会秩序が存在しておらず、略奪や誘拐・人身売買が横行している状態だった。そこをより広域的な大公国の版図に組み入れることで社会秩序を確立し、住民の基礎的な安全安心を確保しようとしたのが主人公ということになる。当時の現実がどうだったかは知らないが、少なくとも劇中の主人公はそのような感じのことを口にしていた。 これはDVDの解説にある単純な「正義感」の問題でもなく、国がその領土を治めることの基本的な意義を語っていたように思われる。主人公がこの時代からそのような役目を自任していたことが、後にキエフ大公として法典「ルースカヤ・プラウダ」を編纂することにつながった、というのがこの映画の考え方だと想像される。  主人公は、DVDの宣伝文で「英雄」と書いてある割に情けない君主で、熊族の村に捕われて公衆の面前で侮辱されて笑われたりもしていたが、これは最初に武力行使から入るのでなく、まず対話を求める姿勢を断固として取り続けたという意味らしい。終盤では一応の盛り上がりとして、絶対に妥協できない相手との戦闘場面もあり、英雄とまでいうかは別として勇敢な武人であることも表現されている。 ラストでは、この時代に築いた砦が後に主人公の名を取ったヤロスラヴリという都市に発展したことが語られていた。この都市とロストフは、いずれも現在はロシアの古都として扱われており、現在のロシアの中核部に当たる場所で昔こんな苦労話があったのだと、見たロシア人がしみじみ思う終幕だったと思われる…日本人なのでよくわからないが悪くないとは思った。  ちなみに「熊族」という言葉が最初に出てから、それは一体何なのか???ということがずっと気になっていた。ロシア語の聞き取りはできないのでテロップで見た限り、「族」もなく単に「熊」(複数)と書かれていたようだが、熊のような毛深い連中といった蔑称でもなく自称であるから、要は熊の神(ヴェレス)を信奉する部族ということだったのか。ロシア語の台詞を普通に話していたのでロストフの民と同様のスラブ人で、まだロストフ公の支配に属していないだけだったらしく、こういうのも当時の現地事情の表現につながっている。ちなみに前記ヤロスラヴリの市章には熊が描かれているとのことである。 もう一つ、長くなったついでに日本語字幕に対する苦情を書くと、まずロシアの「公」を「王子」と誤訳するのは他の映画でも見たことがあるが(英語からの重訳?)、別の台詞で「ロストフ公」と書いてなお「王子」とするのはどういう方針なのか、さらに「王子」の子をまた「王子」と書いてはさすがに変だと思わないかと言いたい。またテロップの訳で、лагерь разбойниковを「ロストフの野営地」とし、лагерь ростовцевを「盗賊の野営地」としているのは訳文を取り違えたのではないかと思うが、原語を知らなくても変に思うような低レベルの間違いはさすがに恥ずかしいというしかない。
[DVD(字幕)] 6点(2019-03-23 10:27:22)
456.  VIKING バイキング 誇り高き戦士たち 《ネタバレ》 
邦題が信用できないのは当然として、原題(Viking)までが諸国民の誤解を招きそうな名前になっている。 実際の内容は、現在のロシア国家(及びウクライナ)の起源とされるキエフ大公国(「ルーシ」)のウラジーミル1世の伝記のようなもので、予告編に出るような戦闘場面もあるが基本的には歴史物である。「2016年ロシア映画興行収入第1位」とのことで、実際かなりの力作に見える。 題名のバイキングは、そもそも上記「ルーシ」を建国したのが北欧のバイキング(スラブ人のいうヴァリャーグ)だったこと、及び主人公が最初の戦いに先立って北欧に赴き、新たにバイキングを戦力に加えたことに由来すると思われる。映像で目に見えるところでは、長距離の移動には川で船を使っていたのが明らかにバイキング風である。また序盤でロシア語の字幕が出ていたのは、主人公の軍勢に加わったばかりのバイキングがゲルマン系の言語を話していた場面と思われる。ちなみにベルセルクというのがただの狂人ではないことを見せている場面もあった。  粗筋を全部書いてしまうと、まずキエフ大公だった長兄ヤロポルクが不仲の次兄オレーグを殺し、次に弟のウラジーミル(主人公)がバイキングの軍勢を率いてキエフに侵攻、ヤロポルクを殺してキエフ大公の地位を継承した(980年とされる)。その後は遊牧民のペチェネグ人の攻撃を防ぐため東ローマ帝国(ビザンツ帝国)と提携し、そのビザンツからの要請に従って現在のクリミアにあった港湾都市ケルソン(もとは古代ギリシャの植民都市ケルソネソス)を攻略した。首尾よく降伏させてからは、それまでの悪行を悔いてキリスト教(正教)に帰依し(988年)、キエフにもキリスト教を広めたという話である。大まかに史実に沿った形と思われる。 その間、兄殺しのほかにも、ポロツク公国の公女を無理やり嫁にした件など結構非道なことをやっており、見る側として素直に共感できる主人公でもない。しかしそういう悪行があってこそ最後の改宗につながったという筋立てができており、主人公が次第にキリスト教を必要としていく過程も表現されている。宗教がストーリーの根幹になっているのは宗教嫌いの日本人なら気に入らないかも知れないが、このウラジーミルの時代に正教を受容したことが後にロシアの国家アイデンティティの重要な部分につながるので、ロシア側としてこの点は外せないと思われる。  そのほか視覚的にはあか抜けた印象で美しく動的な映像を見せている。町の作りなどはこれが正しいのか不明だが(あまりに粗末)、ポロツクやキエフの木造の城郭はそれらしく見えており、またケルソンがものすごい大都会という雰囲気も出していた。景観面でも主人公の立場の変化に応じて、ポロツクの森と雪、キエフの温暖な草原、黒海に面したケルソンの陽光といった差を見せていた。 登場人物としては主人公の妻(若手)と兄の妻(年増)が注目される。主人公の妻はツンデレで可愛いタイプだったが、途中で退場させられてしまったのは可哀想だった。
[インターネット(字幕)] 7点(2019-03-16 09:59:27)
457.  小さなバイキング ビッケ 《ネタバレ》 
スウェーデンの児童文学作家ルーネル・ヨンソンの「小さなバイキング」を原作としたドイツの実写映画である。日本でも1974~75年にTVアニメが放送されたことがあるが、そのアニメ自体がドイツと日本の共同製作だったらしい。あまり真面目に見ていなかったのでよく覚えていないが、主人公が名案を思いつくと星が飛散する(2回あった)というあたりはアニメ版そのままかと思った。 主人公の名前はドイツ語と英語ではヴィッキー(Wickie, Vicky)で、日本名のビッケは原作のVickeから来たものらしい。また仲良しの少女は本来Ylviという名前だそうだが、この映画の字幕では日本のアニメに合わせてチッチと書かれている。ほか映画の最後にかなり騒がしいテーマ曲が流れるが、どうやら日本以外ではこれを昔のアニメでも使っていたらしい。ほのぼの感のある日本版テーマ曲からするとかなり違和感があるが、この辺は感覚の違いと思うしかない。  内容としてはあからさまに子ども向けファンタジーだが、自分としてはけっこう面白かった。特に序盤は何気に笑わせる演出が多く、また中盤以降はバイキングにつきものの船と海をきれいに映像化しており、船が錨を下ろしたら魚群が避けた、といった少し気の利いた場面もある。そのほかビッケとチッチの2人が本当に愛嬌があって和まされた。この2人がこの映画の最大の功労者だったように思う(父さんと母さんもいい感じ)。 ちなみに苦情を書いておくと、話が荒唐無稽なのはいいとして、最初に1095年(平安後期、宋代)と特定していながら妙な現代ネタを出すのはやめてもらいたかった。Chinese State Circusの大卒金欠女などはアニメにも出ていたのか。こういうのが大人向けギャグのつもりだったとすれば大間違いというしかない。  以下余談として、2018年の大学入試センター試験で、この物語の舞台がノルウェーであるかのような問題があって批判が出ていた。出題者の意図はわかるので正解とされる答えを出すのは容易だが、事実と確定できないことをもとにした設問はやはりまずいだろうと思われる。ただ自分としては、ビッケがスウェーデンの話だったというのはこの事件で初めて知ったので役には立った。この映画では場所がどこだか不明だが(ノルウェーのようにも見えるが)、原作でははっきりスウェーデンと書いてあるらしい。
[DVD(字幕)] 6点(2019-03-16 09:59:25)(良:1票)
458.  草原の実験 《ネタバレ》 
中央アジアに実験場があったことは前から知っていたので、ロシア映画でこの題名なら「衝撃のラスト」がどういうものか想像がつくところはある。そういう先入観をもって社会派映画的に見ていたために、終わってみれば日本のアニメ「ピカドン」(1979)が10分程度でやっていることに1時間半もかけたという印象だった。そもそも「衝撃のラスト」自体があまりにもベタでそのまんまの出来事で、これはこういう映像を作ってみたかっただけではないのかという気もした。 またこの「実験」を社会問題として扱う場合、人が直接巻き込まれる危険性よりむしろ、日本でいえば「黒い雨」のような周辺地域への悪影響が長年にわたって生じたことが問題視されるのではと思われる(※図書紹介「核実験地に住む カザフスタン・セミパラチンスクの現在」)。しかしこの映画はそういうところにつながりそうな気配もなく、単に少女の恋物語を破滅的な幕引きにするためのイベントとして使っただけにも見える。この題材で日本人なら予想する類の社会批判を、ここから普通に読み取っていいのかどうか個人的には迷う状態だった。 ただし主演女優が日本の観客に向けたメッセージというのを聞くと、“現在の状態がいつまでも続いていく保証はないので、どうか今この時を大切にしてください”(大意)といった穏当な内容で、そういうことでいいのなら、個人的にはそれをそのままこの映画の解釈として採用してしまっていい気がした。やはり先入観を排して見ることが望まれる映画らしい。  ところで主人公は確かに鄙には稀な美少女だが(女優はモスクワ出身とのことで大都会の人だが)、自分としてはそんなところに目を奪われてしまうのは不謹慎だと思って自制しながら見ていた(社会派映画だと思ったので)。また全体的に映像が美的で、グラスに浮いた何かの実を口で吹いているなど細々とした描写も嫌いではない。台詞がないのは不自然なところもあったが、かえって何が起きているかを映像から読み取らなければならないので目が離せなくなる。結果としてよくわからない点もあったが、何度か見るとわかることも増えて来るタイプの物語かとは思った。 そのほかたまたま思いついたことを書くと、青春物語の三角関係で幼馴染が必ず泣く運命にあるのは日本だけのことではないらしい。恐らく無難・安定・停滞といった性質を幼馴染が負わされるからという構造的な問題だろうが。
[DVD(字幕)] 6点(2019-02-16 08:29:43)
459.  ヤクザガール 二代目は10歳 《ネタバレ》 
日本のヤクザが出るロシア映画である。原題の ”Дочь якудзы” は単に「ヤクザの娘」だが、日本向けにはかなりインパクトのある邦題がついており、これは見ずにはいられないという気にさせられる。 内容としては、ヤクザの組長の孫娘(娘ではない)がなぜかロシア(ウクライナ?)で対立組織に追われて逃避行し、そこに懸賞金目当ての現地勢力も加わってドタバタコメディをやらかす話である。それほど大爆笑でもないが結構感動的なところもあり、特に劇中出ていたロシアの諺?は心に訴えるものがある。またこの映画が好きだと思わせるのは何といっても孫娘の存在で、素直で心優しい少女でありながら横柄なクソガキなどは相手にせず、また金はなくてもシノギの心得はあるというあたりはすでに一人で生きていく素養を備えている(なぜかロシア語もうまい)が、何かと見せる人懐こい笑顔は愛らしい。  ところで劇中の日本文化の取扱いに関して、監督は一応日本に理解のある人物らしいが、ヤクザ文化とサムライ文化は基本的に別系統のものではないかとか、サムライが空中浮遊できるなら忍者の存在意義がなくなるだろうと言いたくなるところはある(ちなみに某新興宗教の影響でロシアにも空中浮遊できる人物は多いはずだ)。物語のキーワードは「義理」だったが、この言葉は現代日本では理不尽に課せられるものというイメージが強いので、ここは厳密にいえば「恩義」だろうと思われる。 一つ感心したのは登場人物の「先生」が汚職官僚に切腹を迫ったという話で、これはロシアというより当の日本でも、不始末があれば腹を切る(物理的に腹を切るかまたは他の方法により自決する)覚悟のない者が公職に就くなどあってはならない、くらいのことは言ってやっていい。なおその「先生」は千島列島を返すようロシア政府を説得したとのことで、これは日本側からすれば良心的ロシア人ということになるだろうが、そういうのは精神異常者というのが向こうの公式見解かも知れない。  ほかキャストについて、孫娘役の荒川ちかという人は、以前にホラーマンガ原作映画「富江」シリーズの「富江VS富江」(2007)で“ちび富江”をやっていたのを見たことがあるが、この映画では少し年齢が上がって、撮影時点では邦題のとおり満10歳だったらしい。今はもう大学生になっているようで、これからどういう道に進むのかわからないがとりあえず頑張ってもらいたい。 [追記]この映画に日本側から出演した俳優が2019/2/1に逮捕されたが、この映画自体はいまさら封印されるとかいうほどのものでもないだろうとは思う。舞台挨拶(2011/10/22)の様子など見ていると人物像が窺われるところがある。
[DVD(字幕)] 7点(2019-02-16 08:29:41)
460.  ヴァンパイア ナイト 《ネタバレ》 
キングレコードの製作である。こういう映画も恐らくそれなりに経営上の合理的判断に基づいて作られているのだと思われる。 まず、一応の映像作品として見せようとしている部分もあるようだが特に語りたくなるものはなく、それより冒頭いきなりキモ男から始まるのでは見るなと言っているのに等しい。またストーリー的には、人が鶏を食うなら吸血鬼が人を犠牲にして何が悪い、といったトーキョーグール風アピールも見えていたが半端に終わり、その後は必然性不明の子連れ狼とか入れ込んだりするので統一感もない。加えて明らかにおちゃらけた部分が多く、話の意味を真面目に読み取ってやろうという気分に全くさせないところがある。 あるいは話の意味など考える必要もなく、観客はただ映像を消費することだけが求められるというなら話がわかるが、それにしてもとにかくかったるい展開で、何だかわからない前振りを延々と見せられてストレスがたまった状態で半分くらい過ぎてしまい、後半に入ると動きが出るがスピード感もなくスリリングなところも爽快感も何もないまま終わってしまう。エンディング後の場面は続編でも作るつもりだったのか。 ちなみに全体的に撃つ/射る動作を始めてから何もできずに過ぎる時間が長いのが苛立たしい。  以上により要は、この人が出ているからおれは見るのだ、という確固たる意志がなければ耐えられない映画になっている。上野優華さんは最近悪役が多い気がするが、こういう役をやっていると本当に可愛い人だ。また自分としてはこれまで柳ゆり菜という人の印象があまりなかったが、この映画で改めてどういう感じの人だったか(主に顔と体型)を確認できた気がした。この2人に関して、個人的には特に湯上りの浴衣姿が好きだ(入浴場面はない)。 そういった類の理由で、例えば2点/10点くらいの評価をする観客が一定数いるだけで製作目的が達せられる映画なのかと思ったりした。それにしても協力したアーチェリーの競技団体や神奈川県の旅館にとっては不名誉な結果になったのではと心配になる。
[インターネット(邦画)] 2点(2019-02-08 23:21:49)
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