501. 地獄でなぜ悪い
《ネタバレ》 海外の映画作家は自身の映画愛を吐露するような作品を撮ることが多いですが、邦画ではそういう私的な映画はほとんどないというか撮ることを許してもらえないという感じです。でもそこは園子温、まさに『映画に愛をこめて/アメリカの夜』ならぬ『セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ』という感じで映画愛をぶつけてきました、つまり彼は日本のジョン・ウォーターズということ?でもホントにやりたかったのは、『キル・ビル』青葉屋の死闘の再現だったみたい(笑)。 前半を観ている段階では、「この映画はいったいどこに向かっているのだろう?」という疑問しか浮かばず当惑しかないです。だって武藤組VS池上組の抗争と映画バカ集団ファック・ボンバーズとの接点がまったく見出せず、まるで違う映画のストーリーを交互に見せられているかのような感じです。まあ武藤組組長・國村隼が二階堂ふみを主演にした映画を撮ろうとしていることが伏線なのかもしれませんが、これをどう回収するのかと思いきや、お社で星野源が見つけた10年前の願い文が魔法の様に武藤組とファック・ボンバーズを結びつけるという強引な脚本!だいたい星野はなんで長谷川博己のことを知ってるんだよ!でもそこからの怒涛の展開はまさに園子温の本領発揮としか言いようがありません。園子温の映画では実力派俳優に怪演させるのがお家芸みたいなところがありますが、本作では堤真一がまさにそれ。あの表情というか顔芸はほとんどアホ芸という領域です。星野源もいまと違ってどちらかというとサブカル界隈の人というイメージで、これもかなりの怪演です。 閉幕近く長谷川博己の妄想の中で、首や脚など喪失した部位を包帯でつなぎ直した(?)死者たちが完成した映画にスタンディング・オベーションを送るところは、まるで『タイタニック』の感涙のラストみたいで良かったです。でも、ここで終わればいいのにあのメタフィクショナルな幕の閉め方は、いったいどういうつもりだ!でもこのずれたセンスがまた園子温らしいんだよな… [CS・衛星(邦画)] 6点(2020-10-13 21:16:49) |
502. ハワイ・マレー沖海戦
《ネタバレ》 それまで燻っていた円谷英二が齢40にして培ってきた特撮技術をついに華開かせた歴史的大作です。現在の眼では初歩的なVFXという冷めた見方もできますが、円谷は戦後『太平洋の嵐』で本作と同じ特撮カットに拘ってスケールアップした真珠湾攻撃を再現しました。その後『加藤隼戦闘隊』などの作品でその名を轟かせましたが、そのため山本嘉次郎ともども戦後は公職追放の苦難をなめることになります。■冒頭タイトルが流れると次に「後援 海軍省」「企画 大本営海軍部」というテロップが出ます。実はこの映画にはキャスト・スタッフが紹介されるタイトル・ロールが存在しません。これじゃあまるで海軍が製作した映画みたいですね。実際は真珠湾攻撃を報じる新聞に載った写真と数十秒のニュース映画の映像を観た撮影所長の森岩雄が、「これを映画化したい」と感じたのが事の始まりです。すぐに海軍省に出向き企画を説明して、そんな発想は欠片もなかった海軍から後援を取り付けたのが真相です。でもこれは昭和17年の年初のことで、海軍からは12月8日の開戦一周年に間に合うように製作しろというきついお達し。でもその公開日には、真珠湾攻撃した南雲機動部隊のうちすでに空母四隻は海の底で眠っていたというのは、不謹慎かもしれないが笑えない話です。■いざクランクインしてみると、予想外の苦労に見舞われます。それはロケや取材に対する現場部隊の非協力的な対応で、これはお役所特有の縦割り組織文化のせいでした。一番苦労したのは主役メカのはずの空母で、乗艦どころか外観を撮影することすら許されなかったそうです。でもなんとか苦労して原寸大の空母セットを造り上げましたが、試写をご覧になった事情を知らない海軍大佐・高松宮が「なんだこれは!日本にこんなフネはないぞ!」と激怒されたそうです。でも観てみるとけっこう雰囲気は出ていると思いますけどね、艦橋が左舷にあることから赤城のつもりでしょうが、外観はどちらかというと翔鶴型に近いという感じですね。■前半の圧巻はやはり主人公が志願する予科練での教育シークエンスです。霞ヶ浦の予科練で実際にロケしており、朝イチで訓練生が運動場に集合して体操するシーンは迫力すら感じます。この時動員された訓練生は四千人だったそうですが、終戦までに四千人の七割が戦死したというのは悲しいことです。■そしてクライマックスの真珠湾空襲、雲下に真珠湾が見えるというシーンでは、公開当時は観客から拍手と歓声が沸き上がったそうです。そりゃここまで来るのに一時間以上かかっており、前半の修身的ドラマや予科練シークエンスが長いのでみんな待ちくたびれてたんじゃないの(笑)。皮肉なことにアメリカ戦艦群のミニチュア製作は日本の空母よりよっぽど楽だったそうで、それは雑誌掲載写真やジェーン海軍年鑑などの資料入手が容易だったからです。魚雷命中時の水柱が高すぎる気がどうしても拭えないんですが、記録映像や目撃談から割り出して円谷がこの高さにしたそうで、拘りが凄いです。ただ当たり前ですが水は縮尺することができないので特撮表現は難しいですよね。この「水の特撮表現」は円谷の生涯のテーマとなり、遺作である『日本海大海戦』で完成の域に達します。■実は当初の企画ではあくまで『ハワイ海戦』であり、真珠湾攻撃がテーマでした。ところがシナリオ段階で海軍からのゴリ押しでマレー沖海戦も描くことになってしまいました。これはスケジュール的にもハードどころの騒ぎではなく、助監督たちに至っては山本嘉次郎を飛び越えて森岩雄に「公開を一カ月延期してください」と談判する騒ぎになったそうです。そういうわけでプリンス・オブ・ウエールズとレパルスの撃沈特撮シークエンスはわずか二日で撮影されました。このシークエンスではやたらテロップが多用されているのも、こういう事情でしょう。■こうやって見ると、海軍の「便宜は与えないけど、口は出す」の方針でガチガチのザ・国策映画という風になってしまっているのは否めないでしょう。同じスタッフの『加藤隼戦闘隊』と見比べてみるとその差は歴然です。一般的なイメージとは違って、プロパガンダ映画に関しては陸軍の方が頭は柔らかかったようです。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2020-10-10 00:11:14) |
503. スーパーノヴァ(2000)
《ネタバレ》 知る人ぞ知るゴタゴタ監督交代劇の果てにやっと公開できたといういわくつきの映画ですが、どう観てもどっかで観たようなありふれた展開の平凡な展開で、『TENET テネット』や『テリー・ギリアムのドン・キ・ホーテ』のような複雑な要素は微塵もありません。『イベント・ホライズン』とよく似たストーリーラインなのにこれほど完成するのに苦労したとは、今となっては謎です。 とはいえ、最後には監督がいなくなったも同然だったとは思えないほど、映画としてはそこそこまとまっています。だけど天体に置き去りにされたはずのジェームズ・スペイダーが突然シャトルを飛ばして宇宙船に戻ってくるところだけはあまりにも唐突で、「そのシャトルどっから調達してきたんだよ!」と叫びたくなりました。でも同じような状況に陥って支離滅裂になってしまったご存知『カジノロワイヤル』とは雲泥の差で、これもプロデューサーの力量というか執念なのかもしれません。六人しか乗っていない宇宙船が舞台で一人がすぐ死んでしまい、残った五人のうち二組のカップルが帰還できるか危ないという状況でSEXしているという展開はちょっと斬新かも。残った一人の乗組員も、AIのスウィーティとプラトニックな恋愛関係みたいなもんで、これじゃまるで“ラブ・ボート”です(笑)。ジェームズ・スペイダーといいルー・ダイヤモンド・フィリップスといいピーター・ファシネリもみんな腹筋が割れまくったガタイを無駄に見せまくっている感じで、二人の女優もきっちり脱ぎますしこれはやはり製作者の趣味ですかね。 ラストの展開は別バージョンもあるそうですが、これは五十年後には地球は滅亡するかもしれないってことですよね?その割にはアンジェラ・バセットのご懐妊を祝福するような幕の閉め方、なんか違和感しかないのは私だけでしょうか? [CS・衛星(字幕)] 5点(2020-10-07 21:45:01) |
504. サザン・コンフォート/ブラボー小隊 恐怖の脱出
《ネタバレ》 州兵と言っても、集められた面々の顔触れや勤務態度はまるで町の消防団みたいな感じです。軍務経験があるのはピーター・コヨーテの軍曹だけで、ほぼ素人集団である九人の分隊(邦題では小隊としているが明らかに間違い)が湿地帯の森に踏み込んでゆく。経験者と言ってもちょっと頼りなさそうだった軍曹が真っ先に射殺され、完全に烏合の衆と化した八人が地図も磁石も持たずに彷徨する羽目に陥ります。いちおう伍長階級の先任者が指揮を執るけど誰も彼の能力を信頼せず、八人は団結せずにいがみ合い勝手な行動に走ります。そして頭がおかしくなった一人はケイジャンの小屋を爆破するといういちばんやってはいけないことをしでかし、ケイジャンたちから一人一人となぶり殺しされてゆく。軍曹が殺されてからの展開は、もう緊張感が半端ないです。捕虜となった一人以外はケイジャンたちの姿をほとんど映さないという演出がまた怖い。 閉幕十五分前にして生き残った二人はトラックに遭遇してケイジャンたちがお祭りをしている集落に連れてゆかれます。実はこの残り十五分のシークエンスがこの映画でもっとも恐ろしいところで、これは私が選ぶ歴代サスペンス映画の恐怖シークエンスでベスト3に入れたいと思います。豚を銃で屠殺したり絞首刑用のロープが持ち込まれたり、恐怖を煽る伏線が見事に張り巡らされています。私にとってはあの結末はちょっと意表を突かれましたが、10年前のニューシネマ全盛時代だったら絶対違う終わり方だったと思いました。 この悲惨極まりない行軍はヴェトナム戦争の戦闘を暗喩しているのでしょう。でも、実は国内にもヴェトナムが在るのだ、というところがこの映画のテーマなんです。日本では未公開だったそうですが、これは観ておいて絶対損はないと思いますよ。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2020-10-04 20:08:39) |
505. 眠狂四郎 悪女狩り
《ネタバレ》 ついに狂四郎シリーズも最終回、死期が迫った雷蔵本人は自覚していたかもしれないが、大映はまさか本作でシリーズが終わるとは予想してなかったんじゃないかな。もちろん大団円として撮ってるわけじゃなく、今まで通りの通常運転のストーリー展開。でも雷蔵は体調はかなり悪く、立ち回りなんかはスタンド・インを使う場面もあったそうです。そういえばストーリー自体もかなり暗い滅びの物語に徹していました。奇しくも雷蔵最後のセリフが「貴様を救う神があるか、俺も確かめに行きたいものだ」というところが、結果的には意味深ですね。 大奥内での身ごもった側室と大奥総取締役との将軍後継者を巡っての争いがストーリーの基本。そこに邪魔な幕閣を消すために総取締役が操るニセ狂四郎や隠れキリシタンが絡むという大風呂敷を広げた脚本ですが、ニセ狂四郎が正体がバレた後でも本物を狙って襲う動機がイマイチ不明だし、将軍の跡継ぎ問題はけっきょくどうなっちゃったの?etc.けっこう粗が目立つ脚本なんですよね。今回のハニートラップはシリーズ中で随一のシュールな仕掛け、自分はてっきりこれは狂四郎の見ている夢なんだろうと観ているときは思いました。 こうして、私の“眠狂四郎マラソン”が一年かけて無事終了いたしましたが、全作を観てこのシリーズの感想は以下の通りです。●自分にとってシリーズ最大の謎は、若山富三郎が演じた陳孫です。初期の二作に狂四郎の好敵手として登場していずれの対決も決着つかず、シリーズを盛り上げるキャラになるかと思いきやその後はまったく登場せずで終わり。スタッフとしてはそろそろ再登場させようかと思っていたら、雷蔵の突然の死で機会を失したという感じだったのかも。●けっきょく、円月殺法って何だったんでしょうか?ただ剣を一回りさせて頂点で光を反射して眼潰しして斬りかかるって感じしかないです。殺陣が得意じゃなかった雷蔵なので迫力を出し切れなかったのかもしれません。●とはいえ約五年も続いたこのシリーズ、雷蔵=狂四郎がその後の時代劇に多大な影響を与えていることは疑いありません。徹底的に虚無的なそれまでの時代劇になかったスタイルは、70年代には木枯し紋次郎で華を咲かせたと私は思います。でも座頭市&眠狂四郎はやっぱ観たかったなあ… [CS・衛星(邦画)] 6点(2020-10-01 23:06:24)(良:1票) |
506. L.A.大捜査線/狼たちの街
《ネタバレ》 70年代に『フレンチ・コネション』でこのジャンルの頂点を極めたフリードキンなのに、80年代にまた刑事ものを撮るとはほんと晩節(という歳でもないか)を汚すようなことは控えて欲しかった、というのが観る前の率直な印象でした。本作のウィリアム・ピーターセンとジミー・ドイル刑事の共通点はどっちもちょっと頭がおかしいんじゃない?と言いたくなる行動力。でもピーターセンの蛮行はジーン・ハックマンを凌駕しています。なんせ捜査官のくせに捜査用の資金捻出のために誘拐・現金強奪、しかもそれがFBIのおとり捜査だったとはシャレになりません。いくらフィクションでもこれは捜査官としてはアウトでしょ、こういう狂ったキャラを描かせたらフリードキンの独壇場です。そしてフリードキンらしさが迸るのがやはりカーチェイスで、絵面的には地味目だけどけっこう凄いことやってます。逆走シーンでは、猛スピードで飛ばしてるのに相棒が身を乗り出して「どけ、どけ!」と叫び続けるのが可笑しいなんか。やたら80年代っぽい音楽をガンガン流してスタイリッシュを気取ってるけど、ドキュメンタリー・タッチだった『フレンチ・コネクション』の監督なのでなんか背伸びしすぎてるって感じがします。 ちなみにピーターセンは刑事ではなく財務省捜査局いわゆるシークレットサービスの所属で、それで冒頭の大統領警護のシークエンスがあるわけ。捜査権限は偽造通貨の取り締まりで、それで敵がウィレム・デフォーが率いるにせ札偽造団というわけです。もっとも9.11以降は財務省の管轄から離れてしまっているそうですけど。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2020-09-28 21:58:56) |
507. スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団
《ネタバレ》 正直言って観た人の半分は「なんじゃこりゃ?」ってなるだろうけど、才人エドガー・ライトのメジャー二作目としては上出来なんじゃないでしょうか。欧米では興行的にはコケたらしいけど、これでハリウッドで干されることにならなくてよかったですね、ライトさん。設定は日本の格闘ゲームそれもアーケード・ゲームへのゴリゴリのオマージュで、その原作コミックのノリにエドガー・ライトの非凡な音楽センスがミックスされたって感じです。たしかに、ピルグリムのバンドのセックス・ボブオムを始め登場するバンドたちの演奏はグレードが高いし曲も良い。だけど肝心の元カレ軍団とのバトルは、皆さんご指摘の通りトップ・バッターのインド系元カレのインパクトが強すぎてどんどん尻すぼみになる感は否めませんでした。菜食主義・ビーガンの元カレとはピルグリムくんまともに闘ってないじゃん(笑)。元カレ軍団は邪悪なのかもしれないけど、ピルグリムくんも17歳の女子高生とパンク女を二股かけて女子高生を振ったり、この人も結構邪悪です。感情移入できそうなキャラが一人も登場しないこの映画で唯一好感が持てそうだったのがこの中華系娘だったのに、自分の方から身を引かせる結末とはちょっと許せないなあ(怒)。 元カレ軍団のラスボスがおタク感丸出しのジェイソン・シュワルツマンというのがまた微妙なんですが、ラストの対決シークエンスあたりからは完全に『ファントム・オブ・パラダイス』のパロディになっているみたいです。つまり、ギデオン=スワンというわけです。 まあ確かに、もう三十分ぐらい尺が短かかった方が良かったみたいですね、でも原作が前提としてあるので難しいのかな。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2020-09-25 21:09:08) |
508. カウボーイ&エイリアン
《ネタバレ》 “ゾンビ&ウェスタン”“モンスター&ウエスタン”という映画はすでにこの世に出ているので、“エイリアン&ウエスタン”が発想としてあるのは至極当然の成り行きでしょうかね。でも19世紀の人間が遭遇していちばんインパクトが強そうなのはエイリアンだと思うけど、飛行機すらまだ存在しない時代にしてはエイリアンのテクノロジーに対するカルチャーショックめいた反応が薄いのはちょっとどうなんですかね。エイリアンの目的が謂わば金鉱掘りで地球人の存在なんか虫けらとしか見ていないって、ゴールドラッシュで西部に押し掛けてジャマなインディアンを殺しまくったアメリカ人とやってることは大して変わらないという図式でもあり、凄い皮肉が効いているとも言えます。ここら辺を膨らませたら毛色の変わった映画になったかもしれないのに、脚本家は気づいてないのか鈍いのかまるで『インデペンデンス・デイ』みたいな乗りの単純な侵略ストーリーにしちゃってるところが痛い。ストーリーもご都合主義で、なんでダニエル・クレイグだけが万能ウェポンになる腕輪がつけられているのか意味不明だし、ヒロインが人間に化けた善玉エイリアンだというのもセンスがない。光が苦手という欠点を持つエイリアンなのに、白昼地下から引っ張り出したのに何の影響もなく暴れまわるというのは大矛盾。まあ王道と言えば王道なんだけど、西部劇やエイリアンものからパクったものを詰め込み過ぎて散漫な出来になってしまったということでしょう。でもダニエル・クレイグが想像以上にウエスタンに合った俳優だということは、新発見でした。 邦画界でも、『侍&エイリアン』とか『戦国武将&エイリアン』とか撮ってみたら面白かろうにね。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2020-09-22 23:16:51) |
509. 映画 みんな!エスパーだよ!
《ネタバレ》 “パンチラ・フリーク”園子温の趣味が全開、この人ってエロとバイオレンスにふっ切れるとモロに本性が迸りますね。お話しはもう中高生のエロ妄想以外の何物でもないけど、ここまで行っちゃうともう清々しいと言える領域です。私は未見ですけどTVドラマの映画化だそうで、深夜帯とはいえこんなエロドラマを放送していたとはさすがテレ東と褒めてあげます。とくに前半は出てくる女性キャラがほとんどパンチラを見せてくれたような印象で、タモリ俱楽部のオープニングが好きな人には堪らないでしょう。ヒロインの真野恵里菜はかつてのハロプロのソロ・アイドル、いつの間にか園子温映画の常連に収まり、「パンチラは下ネタじゃない」なんてインタビューに答えてる、完全に園子温に洗脳されてしまったみたいで嬉しいやら悲しいやら、ぐれてしまった娘を見せられてるような心境です(笑)。あとカメオ出演の関根勤の嬉しそうな演技、すっかりラビット関根の昔に戻っていました。セリフも八割がたが三河弁、尾張弁もだがこの辺りの方言は可愛い女の子が使うとその強烈なギャップに震えます(笑)。 豊橋の名所案内は確かに出来たけど、よく市役所が協力してくれたと感心します、市長や幹部がよっぽどシャレが解る人達だったんでしょうかね、それが最大の謎です。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2020-09-19 20:12:10) |
510. 華麗なる対決
《ネタバレ》 BB(ブリジッド・バルドー)とCC(クラウディア・カルディナーレ)の共演というのはこれ一本だけという希少価値がありますが、コメディとはいえトコトンおバカに徹しているだけとはもったいない。 BBは“フレンチ・キング”と呼ばれる五人組強盗団のボスで、他の四人は妹。CCは乱暴者として町の人々から恐れられているサラザン五姉弟の長女で弟が四人。まあこの設定でオチはバレバレですけど(笑)、この両姉弟姉妹が売りに出された牧場地下に眠る油田を巡って対決するってわけです。おフランス版ウエスタンなので全編ほぼ仏語ですが、フランス移民が30年前に開拓した町が舞台という設定にしているので違和感はなし、マイケル・J・ポラードの保安官だけが仏語ネイティブスピーカーじゃないというところが面白い。BBの四人の妹がみんなカワイイねえちゃんたちで、チョコチョコおっぱいやお尻を見せるサービスは忘れておりません。やはり見せ場は終盤のBB対CCのキャットファイトで、両女ともボディは全盛期ですからこれはなかなかの迫力で御座いました。 他愛もないお話しでしたが、BBとジャンヌ・モローの『ビバ!マリア』なんかよりよっぽど愉しめました。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2020-09-16 22:47:55) |
511. シシリアン(1969)
《ネタバレ》 マフィアが欧州でも隠然たる勢力を保っていた60年代の映画ですから、“マフィア”や“コーザノストラ”という語句は劇中ではいっさい使われていません。ジャン・ギャバンがボスの組織はどう見てもその出身地や構成などからマフィアなのですが、せいぜい“シチリア人”と呼ばれる程度です。この組織の表の顔はゲーム機器を扱う会社ですが、「裏の稼業では人殺しは絶対しない」なんて綺麗ごとが過ぎる設定で、これもマフィア業界への忖度なんでしょうかね。ジャン・ギャバンがまた沈着冷静で友誼に厚い貫禄というものを擬人化したようなキャラで、『ゴッドファーザー』のヴィト・コルレオーネなんか目じゃないって感じです。こういう警察も全くマークしていないような組織が旅客機をハイジャックして宝石強奪する展開は、ある意味で逆転の発想ですけど突拍子すぎます。60年代にアラン・ドロンがジャン・ギャバンと共演した作品はドロンがチンピラ感あふれる小者キャラという共通点がある気がしますが、刑務所でドロンが入手した宝石展のセキュリティ設計図はけっきょく使われず、女に手を出して墓穴を掘る軽率な行動を繰り返し、けっきょくこのパターン通りでした。 よく言えば淡々とした、普通に観れば締まりのないストーリーテリングに華を添える(?)のがエンニオ・モリコーネの脱力系な音楽です。この人はマエストロとなって惜しまれながら世を去りましたが、若いころは“音符のチンドン屋”“来る仕事はすべて引き受ける”などと陰口を叩かれていたそうで、その悪い面がでた結果がこれなんでしょうね。でもあの“ポヨ~ン♪”は、意外とフランス人の哀愁を誘う音だったりして(そんなわけ、ないか)。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2020-09-13 21:01:41) |
512. ディストピア パンドラの少女
《ネタバレ》 迂闊にもゾンビものとは予想だにせず鑑賞、だって邦題は“ディストピア”ですしね、でも内容には“ディストピア”要素は皆無だったし配給会社は“ディストピア”の意味が判ってるのかね? まあ戯言はさておき、これはなかなかの良作で拾い物でした。この作品のゾンビは劇中ではハングリーズと呼ばれていますが、喰いものを見つけたらシティマラソンの群衆ランナーみたいに群れを成してしかも全速力、そうじゃないときは路外でやはり群れになって立ったままお眠りとけっこうユニークです。メラニーたち第二世代が小学校低学年ぐらいの年齢なので、このハングリーズ化現象が始まってからは十年ぐらいは経っているという設定みたいなので、ハングリーズたちも食糧・生肉が不足してきたので新陳代謝を減らして省エネ生活なのかもしれません。これは色んな生物で観察されることで、けっこうリアルで考えられた設定なのかもしれません。主人公メラニーも本能が目覚めると猫や鳥まで貪っちゃう、人間以外を食するゾンビって初めて観た気がします。 冒頭の女教師の話にパンドラの箱が出てきますが、実は箱じゃなくて”パンドラの実“だったというオチにつながり、その実を世界に解き放つのがメラニーだったという結末はかなり強烈です。メラニーという少女、語る言葉はともかくとしても表情に喜怒哀楽が全くないので、本心はどうなのか読めずに不気味です。普通の人間と比してもずば抜けた知能を持ち、軍曹の動作を見てるだけで拳銃の操作を理解してしまうところなんか恐いですよ。 ラストは冒頭とはシメントリーな絵面で、女教師が外気から遮断された箱から第二世代の子供ハングリーズたちに授業するという皮肉のきいた幕引きです。でもラス前のカットで涙を流しているところからも、いくら元気なテンションでもそれは決して彼女が望んだ結末ではなかったと言えるでしょう。その子供たちの中で生活指導係のように振舞っているメラニーを見ていると、ふと『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』のシーザーを思い出してしまいました。彼女は人類亡き後の地球をハングリーズの指導者となって支配することを目指しているのかもしれません。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2020-09-10 22:46:39) |
513. シェイプ・オブ・ウォーター
《ネタバレ》 いやー、筋金入りのオタク監督がモンスター映画でオスカー作品賞と監督賞をゲットしたってことは、とりあえずめでたいことです(スピルバーグも、正真正銘のオタクですけどね)。正直言って作品賞獲るほどかな?とは思いましたが、このジャンルの今後の隆盛につながってくれればと期待します。 まず感じたのは、もちろん時代設定やプロットは全然違うけど驚くほど『パンズ・ラビリンス』と似たお話しだったなというところです。『パンズ』でサディスティックな悪役だったヴィダル大尉と対をなすのが“ハリウッドのヒロミ”ことマイケル・シャノン、その邪悪なパワーはシャノンがはるかに上回っていたと思います。『パンズ』のパンと本作の半魚人に至っては、スーツアクターは同じダグ・ジョーンズですからね。でも『パンズ』のような後味の悪さは本作にはなく、ある種の大人の童話として観れるんじゃないでしょうか。 キリスト教では「神は自分に似せて人間を創った」となっているそうですが、ラスト近くで銃撃で瀕死だった半魚人の復活を見てマイケル・シャノンが「お前は、神だったのか…」と呻きます。ここはけっこう含蓄のあるシーンで、人種の違いや障害の有無や異形の者であってもそれはすべて神の子なんだよ、というメッセージがあるような気がするんです。イライザの喉の傷が水中でエラに変化するところも、心に残るラストカットでした。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2020-09-07 21:14:28)(良:1票) |
514. スリー・ビルボード
《ネタバレ》 アメリカ映画のジャンルの中で、私がもっとも怖いと思っているのは田舎町を舞台としたいわゆるスモールタウンものと呼ばれるカテゴリーでして、とくに南部が舞台となるとまたひとしおです。生まれた町や地域から一歩も外へ出てゆかず生涯を終えるような人がざらにいるお国ですから、みんな顔見知りで濃厚な人間関係でドロドロな生活なんて絶対に経験したくないもんです。 「娘を殺されてるのに捜査は行き詰まり、それでも執念で犯人を追いかける母親」となると我が国では拉致被害者の親族者たちがどうしてもイメージされますが、フランシス・マクドーマンドが演じる母親はけっこう粗野でがさつで独善的な感情移入できそうもないキャラです。日本と違って監視カメラなんてどこにもなさそうなド田舎で、遺留品も目撃者もいなかったら捜査が難航するのは至極当然。そしてまだ事件から9カ月しかたってないんだから、ウディ・ハレルソン署長があそこまで非難されるのはちょっと可哀そうな感じです。でもこのハレルソンが良いキャラなんですなあ、途中退場しちゃうけど本作で唯一最期まで感情移入できたキャラでした。サム・ロックウェルのキャラは「こんな警官、いるかあ?」と絶句しちゃうほどの凄まじさ、でも最近の米国での騒動からすると割とリアルなのかもしれません。この暴力警官がいい歳してママと二人暮らし、やっぱ彼はゲイだったということなんでしょうね。マクドーマンドが火炎瓶投げ込んだり、ロックウェルが犯人らしき会話をバーで聴くなど後半は思いもよらぬ展開だったかと思います。でも考えてみるとマクドーマンドもロックウェルもハレルソンの手紙を読んでからは、ガラッと迄もいかないにしても明らかに思考に変化が現れてきます。普通の映画ならロックウェルが採取したDNAが犯人逮捕につながるとかのカタルシスが待っているものですが、事件解決が何も見えないラストの展開なのに二人の心情の変化がカタルシスにつながるというのはこの脚本の妙味でしょう。でも実行したかは観客の想像に委ねられていますが、アイダホにDNAが一致しなかった男を殺しに行くラストだけはなんかしっくりこないんですね。実はアイダホの男が真犯人で軍が隠ぺい工作しているという穿った観方もあるようですが、うーん、それはちょっと飛躍気味だと思うしそうなると全く別のお話しになっちゃいませんかね。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2020-09-04 22:31:35) |
515. 眠狂四郎 人肌蜘蛛
《ネタバレ》 雷蔵も大映も予期していなかったでしょうが、『眠狂四郎』シリーズも終盤ラス前になってきました。冒頭からエログロな雰囲気が濃厚、今回の狂四郎の敵はまたもや将軍家斉の不肖の庶子である紫姫(例の菊姫ではない)と家武の兄妹です。紫は「血の伯爵夫人」エリザベート・バートリーの江戸時代版という設定、屋敷に若い男女を監禁してなぶり殺しにするサイコキラーで、妙に現代的な髪形の緑魔子がキャラにドはまりで今まで観てきたシリーズ中でいちばん妖艶でした。兄の川津祐介とは近親相姦の関係であることも匂わせており、要はドロドロというわけです。本作では狂四郎の個人情報も織り込まれており、舞台とされる甲州には母親の墓参りで立ち寄るという設定で、つまり狂四郎は甲斐の生まれだったというわけです。家武誅殺を狙う幕閣が接触してくるところやお馴染みの狂四郎へのハニートラップ攻撃はシリーズでの定番ですが、今までのとはちょっと違う風味で面白かったかなと思います。狂四郎が毒矢にあてられるシーンもあり、幕閣・渡辺文雄に解毒してもらわなければ死んでしまうというシリーズ最大のピンチもありました。まあ女にもめっぽう強い狂四郎も健在で、狂四郎に執心の紫姫までちゃんと肉欲を満足させてやり、「女は抱くもの」がモットーの狂四郎本領発揮でした。 それまでのシリーズで垣間見えた狂四郎の人間的な一面はほとんどなく、死屍累々となった現場を立ち去ってゆく狂四郎の姿は最高にニヒルで痺れます。ラスト、呪いの言葉を吐きながら燃え盛る屋敷に飛び込んで果てる紫姫は、『海底軍艦』のムウ帝国女王の最期が思い出されてしまいました。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2020-09-01 23:12:42)(良:1票) |
516. 「女の小箱」より 夫が見た
《ネタバレ》 私が今まで観た若尾文子主演の映画で、もっとも彼女がエロかったのが本作です、いや若尾文子フィルモグラフィ中でもオール・タイム・ベストかもしれません。なにしろタイトル・バックが若尾様の入浴シーンで、微妙なところはボディダブルであるのは判ってますけど、すりガラス越しにほとんど見えてると言っても良い裸体には製作時代を考えると驚くほど大胆です。もう全編にわたって人妻フェロモンを出しまくり、田宮二郎と初めてベッドを共にした後の彼女のセリフにはもう頭がクラクラしました。その若尾様に負けず劣らずなのが岸田今日子でして、上手い女優さんだとは認識しておりましたがここまで色っぽかったとは自分の不明を恥じるばかりです。 田宮二郎の演じるキャラは明らかにあの横井英樹がモデルなのは明白ですが、実物と違って実に魅力的なキャラになっています。“目的のためなら手段を選ばず”という男なのに、あまりにキザなので凄みが薄れてしまった感じもありましたが、まるで初心な少年みたいに若尾様にのめりこんでゆく心情にはマッチしていたと思います。お話し自体はけっこうご都合主義が濃厚な感じで「世間はそんなに狭いんかよ!」と甘く突っ込みを入れておきますが、夫の川崎敬三や若尾様の兄役などが開陳する価値観があまりに古くて嫌悪すら催すところがやはり時代を感じてしまいます。まあ昭和30年代の日本人のレベルなんてこの程度だったというのが現実なんでしょうけど、増村保造はそれを決して肯定せずに新しい時代の男女スタイルを若尾・田宮の両者に投影しているのかもしれません。 血まみれで死にゆく田宮二郎に口づけをする若尾文子、凄みがあるラスト・カットでした。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2020-08-30 23:43:44) |
517. セブン
《ネタバレ》 後味が悪い映画として『ファニーゲーム』や『ミスト』が良くリストアップされますが、私にとってはこの二作なんかは可愛いもんで、『羊たちの沈黙』なんて単なるピカレスクヒーローもの、躊躇なく『セブン』が史上最凶のバッド・エンド・ムーヴィーだと叫びます。よくもまあこんなお話しを思いついたものだと、憎さを通り越して脚本家に畏敬の念さえ抱いてしまいます。 今回観直してみて実感させられたのは、ジョン・ドゥのキャラや凝った殺人の手口なんかは、間違いなく『ソウ』シリーズの製作に強い影響を与えているんじゃないかと言うことです。比べればジョン・ドゥの方が聖書の七つの大罪にこだわる狂信者と単純にとらえる事が出来るだけにジグソウほどの人間的な複雑さは感じられませんが、ドゥの個人的な背景がほとんどスルーされるのでかえって不気味さが増すことになります。ドゥが殺人を重ねる月曜日から金曜日まではずっと雨天、そして舞台もごみごみした下町がほとんどで、てっきり舞台は中西部か東部の都市かと思っていたらロケはLAなんですね。アメリカ人なら風景から判ったかもしれませんが、あえてでしょうけど劇中ではその都市名がいっさい語られないのですから、こういうところにもこの映画に神話的な色合いが付加されています。 ブラピ、モーガン・フリーマン、ケヴィン・スペイシー、この三人が一人もオスカー演技賞にノミネートされなかったというのは、ちょっと驚くべきことです。巷で噂されているアカデミー協会のデヴィッド・フィンチャー嫌いは、この頃から始まっていたのかもしれません。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2020-08-28 21:52:47)(良:1票) |
518. サムライ(1967)
《ネタバレ》 いやはや、全盛期のアラン・ドロンをひたすら愛でる映画です。製作当時、彼が間違いなく世界で一番トレンチ・コートが似合う人類の男だったのは疑いありません。説明を極限までオミットしたストーリーテリングには戸惑いすら覚えます。それにしてもこの映画のドロンのセリフの少なさはちょっと他に類を見ないんじゃないかな。それも2センテンス以上の喋りがほとんどなかったんじゃないか(ひょっとして皆無?)と思えるぐらいです。そんなドロンを執念で追い詰めてゆく警部のフランソワ・ペリエが、またカッコよいんです。自らは署に陣取って部下を駆使してパリ中を移動しまくるドロンを追っかけるわけですが、作戦自体は空振りでけっきょく見失ってしまう。でもドロンは暗殺現場であるクラブに何度も現れるので結局それが自滅につながってしまう。よく考えたら対象とは縁も所縁もない殺し屋で入念にアリバイ工作もしているのにすぐ第一容疑者としてマークされてしまうのは脚本上の疑問点で、こんなに早く警察に眼をつけられてしまうのでは依頼主から消されかけるのはムリもないかもしれません。まあ私たち日本人には殺し屋=ゴルゴ13というイメージが強いのですが、こういう展開の方がリアルなのかもしれません。突っ込んでおきたいところもありまして、“サムライ”という題名だけは、ちょっと違和感を感じます。西洋人の武士道に対する憧憬みたいなものは理解できますけど、この映画のどこにもそういう要素はなかった気がしますけど… [CS・衛星(字幕)] 7点(2020-08-25 22:36:24) |
519. ロケットマン
《ネタバレ》 エルトン・ジョンは現代のモーツァルトだと個人的に評価している自分としては、かなり期待して鑑賞。だってその神童ぶりや恵まれなかった肉親関係、そして奇抜なファッションや言動には両者に共通点が多い気がするんですけど。初めてラジオのヒットチャートで“Saturday Night's Alright”を聴いたときの衝撃は今でも忘れられません。 ミュージカル映画と聞いていましたが、これは明らかに音楽劇風味が強い人間ドラマですね。監督がデクスチャー・フレッチャー、彼はトラブル後にブライアン・シンガーから監督を引き継いで『ボヘミアン・ラプソディー』を完成させていて、どちらも主人公がホモセクシュアルであるというのが興味深いですね。この人は芸歴の長い俳優で『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルス』のソープ役なんかが有名。その長い映画人生を活かして監督業にも進出、今後この分野でも活躍するんじゃないでしょうか。子役時代には『ダウンタウン物語』でジョデイ・フォスターとも共演していて、遅ればせながらジョデイと同じ道に進もうとしているのは感慨深いです。 しかし驚嘆するのは、現役の大スターが製作総指揮まで務めて自己の人生とその恥部をさらけ出す映画を製作したってことでしょう。もちろん全部が全部というわけではなくオブラートに包んだようなところもあったでしょうが、ホモセクシュアル描写を含めて『ボヘミアン・ラプソディー』なんかよりはるかに綺麗ごとを排したストーリーテリングには引き込まれました。これはタロン・エガートンの熱演が効いていると思いますが、オスカーで彼がノミネートすらされなかったのは納得できません。歌唱力も抜群でした、それにしても欧米の俳優たちはどうしてこんなに音楽スキルが高い人が多いんでしょうかね? 気になったところとしては、ジョン・リードに比べてバーニー・トーピンとの関係が割とあっさりめだったような印象ですかね。この黄金コンビは50年以上に渡っていていろいろあったと思いますが、自分の恥部はともかくバーニーのことは突っ込まないようにしたエルトンの友情を感じました。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2020-08-22 22:01:25) |
520. 五人の軍隊
《ネタバレ》 日本が誇る昭和の国際ムーヴィー・スター(?)我らの丹波哲郎がマカロニ・メキシコ革命劇に颯爽と登場!と言っても役名はそのものズバリの“サムライ”でなんと劇中セリフは一言もなし、初登場のシーンではどう見ても中国の道士服にしか見えない格好で必殺の得意技はナイフ投げ!でも五人のおっさんたちの中では唯一のモテキャラで、振り落とされた列車に延々と走って追い付くなんて見せ場(?)もあっておいしいキャラではありました。製作年度なんかから見て五人の悪党などのプロットは『ワイルドバンチ』からインスパイアされてるのは明確、マカロニ資本なのになぜかハリウッド監督のドン・テイラーなので結構しっかりした撮り方です。砂金列車の強奪は、ピーター・グレイヴスの作戦を事前に最小限しか観客に見せないので緊迫感あふれる展開になっています。その細部にこだわる手口の見せ方は、バート・ランカスターの『大列車作戦』に通じるところがあります。よく考えると、メキシコ革命が題材のアクション映画では列車が登場する頻度が高い気がしますね。 ラストもちょっと意表を突く展開、なんとなく納得させられる幕の閉め方でした。この手のジャンルでは佳作と言えるんじゃないでしょうか。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2020-08-19 20:52:10)(良:1票) |