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521.  チャップリンのニューヨークの王様 《ネタバレ》 
王様は、原子力エネルギーを平和利用し、理想的な社会を建設するという計画を持っていたが、反対に逢い、同時に革命が起り、米国に亡命する。王様はお金のことを第一に気にし、女っ気も抜けない俗人である。一方で妻には優しいし、演説好きの天才少年にも親切である。つまり平均的な人間、人間らしい人間である。それがアメリカ文明の洗礼を受け、受け入れられず去ってゆくという物語。 ◆前半はギャグや笑える風刺満載で十分楽しめる。後半はマッカーシズム(赤狩り)に対する反論が強く出てつまらなくなる。「『ニューヨークの王様』は私の映画のなかではもっとも反抗的なものだ。私は、今話題になっている死に行く文明の一部になるのはごめんだ」という彼の言葉が残っている。ビクトリア朝生まれのチャップリンにとって、50年代後半のアメリカ文明は荒廃しきっているようにしか見えなかったのだろう。無理もないことだ。ロック、フィルム・ノアール、あくどいほどのコマーシャリズム、人権侵害。「死に行く文明」と見えなくもない。 ◆「新しいモダン・タイムズ」を目指したということだが、文明批判としては弱い。自分の主張を子供に代弁させるのは大人気ないだろう。結局失われたのは天才少年の童心だけである。王様はお金を失ったが心に傷は負わなかった。王様にとって米国亡命は、珍しい経験ができて良い休暇になった程度のことに過ぎないだろう。コマーシャリズムの権化であるCMタレント、アン・ケイも良い人で終わる。決定的に毒(ブラックユーモア)が足りないのだ。王様が失うものが大きければ大きいほど、観客に訴えるものがあったに違いない。 ◆マッカーシズムが収まってから発表された作品で、タイミングも悪かった。米国では上映出来ず、商業的には失敗だった。皮肉ではないが、この内容が受けるのは米国くらいだろう。 ◆良いところもある。映画予告には笑いころげた。パロディ精神は衰えていない。突然CMをしゃべりだすのは秀逸。もっと見たかった。キャビアや亀のマイムは面白い。映画館でロックが演奏されるが、マイクスタンドがあるだけで歌手は見えないというのはシュールすぎたか?。笑いのアイデアは古びていない。自分が大衆受けしているのに気づかないところやペンキ塗りコントなど「サーカス」を彷彿させるものがある。喜ぶ仕草など、一部で原点返りしているのは嬉しい。
[ビデオ(字幕)] 6点(2010-12-14 18:37:25)
522.  白いドレスの女(1981) 《ネタバレ》 
これでもかと畳み掛ける蒸し暑い夏の描写、汗染みの服、退廃的なジャズのメロディ、犯罪の匂いのぷんぷんする映画だ。◆遠くのホテルで火事がある。愛人との情事を楽しんでいる弁護士ラシーン。「放火らしい」と呟く。対岸の火事と思っていたが、やがてそれは自分に降りかかる厄災の火の粉だった。映画全体を象徴するうまい冒頭シーンである。音楽やカメラワークが洗練されており、質を高めている。映画作りを良く知った監督の作品と思う。◆男は人妻の色香に溺れる。独身で女性をつまみ食いするのが趣味、元々溺れやすいタイプだ。米の弁護士は数が多く、皆高所得とは限らない。仕事面でミスが多く、うだつは上がらない。◆女は男に、夫の悪口と財産の多さを強調して吹き込み、殺人へと誘う。すっかり騙された男は、殺人を実行する。だがそれは女の巧妙に仕組んだ罠だった。◆それにしても夫殺害の実行は、お粗末すぎる。自宅で殺し、廃屋に運び、発火装置で燃やす。発火装置を知人の放火マニアに作ってもらっているので、証拠も証人も残る。家に侵入しても音をたてて気づかれてしまう始末。もっと別な方法があったはずです。眼鏡の紛失も女の仕業とはいえ、気づかないのはうかつなことで、夫が外出したストーリーなのに車はそのまま。電話がかかってきたというが、記録は無い。これではきっとレンタカーの記録も残しているのだろう。弁護士にしては杜撰すぎる。◆誰が見ても証拠一つ残らない完全犯罪計画が破綻する様子を観たかったのに残念である。そこがこの手の知的犯罪映画の肝と思うがどうであろうか。計画が破綻してゆくサスペンス、犯人の焦り、犯罪を補完する次の手立てなどが無く、あっさりした印象である。あの立場で男は、ジョギングをしている暇は無い筈である。◆女が放火マニアに相談して、発火装置を作るのも解せない。告げ口されれば終わりである。そもそも二人に接点があったのか?女は身代わりのアンの死体を焼いて逃亡をするが、死後に焼かれたことは、調べればすぐに分ることである。これがわからない警察はありえないだろう。◆女の入れ替わり(名前を交換)であるアンの登場場面(男が女と誤解して卑猥な言葉をかける)や二人の情事を目撃した少女等は、徐々に綻びてゆく完全犯罪の伏線として魅力的であった。◆悪女映画としては成功している。
[DVD(字幕)] 6点(2010-12-10 14:01:38)
523.  名探偵ポワロ エンドハウスの怪事件<TVM> 《ネタバレ》 
大富豪のシートン卿が亡くなる。遺産を受け継いだ甥のマイケル・シートンが、飛行機世界一周冒険旅行中に事故に遭うというニュースが流れる。シートンはマギー・バークレーと婚約中で、財産をマギーに与えるという遺書を残していた。お金に困っていたマギーの従姉でエンドハウスの主人ニック(美女)は、二人の婚約が秘密裡に行われていることを知っており、遺産奪取を企む。マギーを亡き者とし、正式名がマギーと同じマグダラであることを利用し、シートンと婚約していたのは自分だと主張する計画。  先ず自分の命が何度も狙われているという作り話をし、ポアロの前で銃に撃たれたように芝居。ポアロの勧めで後見人としてマギーを呼び寄せる。自分のドレスをマギーに着せ、射殺。マギーが人違いで殺害されたと見せかける。なおも芝居を続け、自作自演の毒入りチョコをで食べる。あらかじめマギーの家からシートンからの手紙を盗んで自分の部屋に置いておくという小細工もしていた。ポアロはニックを死んだことにして捜査する。 【ミスリード】①エンドハウスの園丁夫婦がニックの偽の遺言状を作成。②ニックの友人たちが麻薬常習者。一人は麻薬売買で金を儲けている。③女友達のコートの中に拳銃。 【感想】事件が起こる前からポアロが絡み、展開する。いくつかの異なった証言があり、どちらから嘘をついているのだが、それがなかなか明らかにされず、最後までサスペンスが持続する。人違い殺人と見せかけたため、殺害動機が終盤まで不明。ミステリーとしてかろうじて合格ラインには達しているレベル。そもそも婚約者の取り替えは不可能だろう。いくら秘密にしていても周囲には分る。ニックがシートンの遺言の内容を知っていたことにも疑問がある。盗んだ手紙にしても宛先が違う筈だ。マギーだが、婚約者が事故で死んだかもしらないという重要な時にのこのこやって来るだろうか。毒チョコは誰に頼んで送ったのか。帽子を貫通した弾が座席近くに落ちていたのも不自然。ニック一人の犯罪としては無理が多く、誰か協力者を作ればよかった。命を狙われている本人が犯人だというのが最大のミスリードだが、他に大したミスリードもない。事件が一つしか起こらないのも物足りない。死んだふりや霊媒会などの小芝居は鼻白んだ。美女の演技は良かった。
[ビデオ(吹替)] 6点(2010-12-09 22:30:13)
524.  ゴジラVSビオランテ 《ネタバレ》 
ビオランテは、バイオテクノロジーの暴走が生んだ禁断の生命体。砂漠に薔薇を咲かせるのが夢だった娘がテロで亡くなる。その亡くなった娘を薔薇の細胞と融合させた父親の気持ちはわからないでもない。だがその薔薇が枯れそうになり、永遠の命を持たせるためにゴジラ細胞を融合させてしまい、大変な化け物を産んでしまった。このあたり、ゴジラ誕生を想起させる。◆あの醜い姿の中に、死んだ美しい娘の細胞と魂が宿っていると思うと切なくなる。美女と野獣の一体型怪獣だ。もっと美しい造詣であればよかったのにと思う。それにしても製作した白神博士の苦悩をより前面に出すべきではなかったか。博士は淡々とし過ぎているのだ。ビオランテが殺人をしても何とも感じていないのはどういうわけか。◆何故ビオランテは人を襲ったのか?侵入者とわかっていたわけではあるまいに。又超能力少女が薔薇の声を聞こうとしたときに何も答えなかったのは何故だろう。◆もう一方の発明品の抗核エネルギーバクテリア。ゴジラのエネルギーを無力化するのが目的だが、核兵器を無用化にする兵器として転用できる。そうすれば核のパワーバランスが崩れてしまう。単に生物学の問題にとどまらず世界平和の問題にもなってくるのだ。このあたりの展開がうまい。◆ビオランテには薔薇形と進化した怪獣形が存在するが、光となって空に消えたり現れたりするのはどう説明するのか?このあたりが科学SF映画としては失格。超能力は最小限だったので許容範囲内。【感想】兵器に魅力なし。特撮やバトルシーンには見るべきものがなくチープな仕上がりが目立つ。悪者エージェントシーンの何もかもがしょぼい。最後主人公桐島が暗殺者を追うシーンなど取ってつけたようなもので不要。白神博士は死をもって罪を贖うべきだが、暗殺されるのはいかがなものかと思う。ビオランテと共に海に沈むような展開なら納得がいく。【ツッコミ】①「火口を爆発させてゴジラを復活させる」と脅すわりには小規模な爆発でした。②白神博士が湖畔の桟橋でインタビューを受けるシーンは、途中で別の桟橋になっている。③30分に一度細胞分裂して一日で4兆個になる、といっているが、実際には2の48乗で280兆個。
[ビデオ(邦画)] 6点(2010-10-15 20:05:46)(良:1票)
525.  メカゴジラの逆襲 《ネタバレ》 
◆真船桂の父は優秀な生物学者だったが、恐竜発見とそれを自由に操る研究で世間から抹殺される。桂は世間から隔絶して父と共に研究を続けていたが、やがて母親が失意の内に死亡、自身も研究中の事故で死亡した。しかし宇宙人の手でサイボーグとして再生。研究は宇宙人の協力のもとに成功。恐竜は命令通り、調査船を撃沈させる。◆そこへ海洋学者の青年が父の研究を知りたいと訪ねてくる。父は死んだと突き放すが、憎からぬ感情を抱く。青年が恐竜の探査に向かうと知った桂は止めるように懇談。宇宙人の命令で調査船を恐竜で襲うが、偶然調査船は助かる。父は世間に対する憎悪と復讐心に執りつかれているが、桂には人間らしい心が宿っていた。恐竜対策本部をスパイする為に青年に近づく桂だったが、心は揺れ動く。◆国際警察との戦闘で二度目の死亡。宇宙人の手により再び甦るが、体内にメカゴジラの作動装置を埋め込まれる。宇宙人の意のままとなり、恐竜とメカゴジラを操り、町を破壊し、ゴジラを叩きのめす。基地に捕縛された青年が連れてこられても心を開かない。◆国際警察が基地を襲撃。父は流れ弾で死亡。彼女自身も被弾して負傷。青年が叫ぶ。「たとえサイボーグでも僕は君が好きだ」その言葉で人間の心を取り戻した桂は、作動装置をもつ自分が破壊されない限りメカゴジラは倒せないと告げ、青年に自分を破壊するように懇願。拒否する青年の腕に抱かれながら、銃で自らを撃つ。悲運の生涯を終えた。 【感想】主人公は桂だろう。ゴジラやメカゴジラより、チラノザウルスと桂の方が目立っていた。桂のサイボーグとしての葛藤と恋愛感情は十分に描かれているとはいえないが、印象深いものがある。マッドサイエンティストの父に育てられ共に研究、幼くして母親を亡くす、2度も死亡してサイボーグとして再生、宇宙人に人類を売り渡す、恐竜を操り青年の乗る調査船を襲う、町を破壊し、ゴジラと対決、まさに波乱万丈の人生だ。そして最後は青年と人類を守るために自害。子供向け怪獣映画にしては不釣り合いな重厚な悲劇性を内包する異色作品。【ツッコミ】チラノ弱そう。たかが超音波に弱い理由は何。尻尾で暴風は起きない、ゴジラはなぜやってくる。蹴飛ばされたゴジラが重力を無視して飛んでゆく。制御装置に火花が散りすぎ。桂の眼が光すぎ。ゴジラの磁力はどうなった。円盤あっさりやられすぎ。
[ビデオ(邦画)] 6点(2010-10-08 23:39:02)
526.  大魔神怒る 《ネタバレ》 
◆御子柴国は山中で民の生活は苦しく、湖のある豊かな千草国への逃散が後を絶たない。領主弾正は千草征服を決意、五千の兵で乱入。不意を襲われた千草は為すすべなく降伏。領主十郎は辛くも分家の八雲国へ逃亡。十郎を追った弾正は勢いにまかせ八雲をも征服。領主を殺し、若殿を幽閉。十郎を差し出せと命じる。皆が余りにも神之島の神像を崇拝するので、見せしめに爆破。十郎は神之島に漂流。結局捉えられ、若殿とその妹で十郎の婚約者さゆり姫と処刑されそうになる。姫の頬に涙が光ると大魔神登場。悪を踏み潰す。◆悪逆非道の悪者がいて、それを大魔神が懲らしめるのが筋。当然悪逆非道ぶりを際立たせないと成功しないが、そこが弱い。前作の悪者は若くて憎々しかったが、本作は老けていて頼りない。殺す場面もインパクトなし。淡々として、どこかお芝居っぽい。残虐性が薄いので、大魔神が登場してもカタルシスが得られない。◆大魔神の登場シーンは華々しく賞賛に値するが、大暴れシーンは物足りない。兵の損傷がほとんど無い。武将が大岩の下敷きで死ぬシーンがあるが、お粗末な出来だ。弾正があきれるほどあちこち逃げ回って、その度に兵が犠牲になり、とうとう一人になり船で逃げ出すという演出が欲しかった。大魔神の前では人間は虫けらの如き存在でしかない筈。◆弾正は火矢のようなもので船ごと炎上死するが、これも物足りない。火には浄化のイメージがあり死に方として優しすぎる。手でひねりつぶすとか、短剣で刺すなどの原始的なものがふさわしい。残虐性があるからこそ、大魔神を恐れ敬う心が強く刻まれるのだ。◆大魔神は暴れ出したら止められないという前作の方針はどこへやら。礼儀正しく姫を救い、横たえるが、それではダメ!「善悪」よりも「怒りの爆発」が見どころの筈。神像が爆破されても登場しないのに、姫の涙で登場するのも理屈に合わない。「飼いならされた大魔神」は魅力半減。◆神像は早々に爆破され、その後いくつかの怪異が見られ、最終的に大魔神が登場する。この間が悪い。「爆破されて怪異が次々起り、遂に大魔神登場」としないとテンポが生まれない。神像破壊はもっと後の方にすべきだった。【気になった点】①鐘は重要な意味をもつが、何故が屋根がなく、雨ざらし。②国を争う数千人規模の戦闘なのに戦闘があっさり。③子供が若殿を救うのはリアリティがなく減点。④婚約中の二人が愛し合っているシーンが必要。
[ビデオ(邦画)] 6点(2010-09-29 22:48:22)
527.  ゴジラ対メカゴジラ 《ネタバレ》 
◆アンギラスが叫ぶ。岩の中の何かが光って爆発炎上。沖縄アズミ王族の子孫の女ナミが幻を見る。それは怪獣が町を破壊する幻影。洞窟から発見された奇妙な金属。それは宇宙金属と判明した。洞穴から発見された古代遺跡とシーサーの置物。それには古代アズミ王族の予言が描かれていた。アズミ族を滅ぼそうとヤマトンチューがやってきたとき、二匹の怪獣が現れて人々を救う。本土では地震が頻発。巨大生物が移動しているとの憶測あり。置物を狙う謎の人物が登場してアクションシーン。そしてそれらを遠くから見守る謎の新聞記者(岸田森)。考古学博士二人と宇宙工学の権威がからむ。ヒロインも三人、ナミと考古学博士と宇宙工学博士の娘だ。そしていよいよゴジラ(実はメカゴジラ)登場。ここまで開始から18分。謎をふんだんに含み、テンポのよい展開で、掴みはOK。 ◆だがその後の展開がグダグダ。聞かれもしないのに計画を何もかもしゃべり過ぎる宇宙人には辟易。死んで正体を現す姿がゴリラそっくり!仮にもブラックホール第3惑星人だよね。キンギシーサーを眠りから覚ますナミの歌が民謡風ではなく、もろ昭和ムード歌謡。これはギャグにしか見えない。最大のツッコミどころ。大して活躍しないヒロインに失望。メカゴジラのルックスが合格点で、兵器も多彩、戦闘シーンは迫力あるのに惜しい。全体として脚本の中味は濃く、リメイクして使えそうな出来映えである。 【疑問点】 ①ナミの見た幻の怪獣はキングギドラだったのは何故?②アンギラスとゴジラは何故メカゴジラに闘いを挑むのか?③ゴジラの顔が妙にカワイイ。④キングシーサーが目覚めたときは陽が沈んだ後なのに、その後真昼間になっている。⑤まだ眠っているキングシーサーを倒すためにメカゴジラが飛来するが、何故か遠くで降りて、ゆっくり歩いてゆく。⑤怪獣が大暴れてしているのにマスコミも自衛隊も政府首脳も一切登場しない。⑦博士のパイプ兵器は電極の+と-を破壊する電磁波を作るものだが、それだけで何故基地とメカゴジラが爆発する?⑧沖縄の老人は、最初ゴジラ(実はメカゴジラ)が東京で暴れているときにヤマトンチューをやっつけろと応援していたのに、舞台が沖縄になった途端に手の平返し。⑨予言の空に浮かぶ黒い山、赤い月に何の意味があるのか? 蜃気楼は鏡面でないので、沈む太陽は昇らない。
[ビデオ(邦画)] 6点(2010-09-25 20:17:02)
528.  スティーブン・キング/ランゴリアーズ<TVM> 《ネタバレ》 
◆飛行機がタイムスリップする。寝ていた人は助かり、起きていた人は消失。消失した人はどうなったのか?しかも肉体と服が無くなっているという不思議さ。服の中身、歯の矯正器、ペースメーカーは残されたまま。この謎は謎のまま。S・キングに細かいことを望んでも仕方がありません。でもこの作品は整合性が取れている方です。 ◆過去は過去のまま取り残されて存在する。その取り残された過去の時空をバクテリアのように食べ尽くすのが無数のランゴリアー。歯と毛だけの外見。イメージが膨らみますが、CGがしょぼいのでがっかり。全然怖くないのです。 ◆時空の裂け目を通って、未来に戻ることが出来た。だがそこは無人の世界だった。そこへ時間が未来に追いつくというアイデアは秀逸。感心しました。飛行機は無事生還したが、消失した人々は戻って来ないと解釈しました。  ◆登場人物はほぼセオリー通り。自己犠牲で英雄となる特殊工作員、状況を素早く理解する推理小説家、盲目の超能力少女、心に傷をもつパイロット、そして最重要人物がイカレたビジネスマンのトゥーミー。父親から精神的虐待を受け、「大物になれなければ、怠け者としてランゴリアーに喰われてしまう」という強迫観念に取りつかれている。彼の存在がランゴリアーを引き寄せ、飛行機をタイムスリップさせたのかは不明だが、彼が偶然に乗り合わせていたのではないことは確か。作者は「心の傷」と「取り残された過去」を対比して提示している。「取り残された過去」は各人の「心の傷」でもあるのだろう。心の傷が妄想を生み、時には時空の裂け目も作り出していますのだろう。 ◆トゥーミーは錯乱して少女を刺す。少女はトゥーミーを囮として利用。このあたりの展開はスリリング。でも少女は助からなかった。少女は自分は助からないと知りながら、皆のためにトゥーミーを操ったのですね。そして生還のためには、更なる自己犠牲が必要だった。眠りについた皆を起こす役目の人は消失する運命。それは暗殺者でもある工作員の過去の罪の贖罪でもあった。芽生えはじめた恋も儚く消える。ソツのない展開ですが、感情移入するほど深くは描かれてはいません。監督の技量不足でしょう。才能のある監督がリメイクすれば名作になる可能性があります。
[DVD(字幕)] 6点(2010-07-19 23:20:40)
529.  勝利への脱出 《ネタバレ》 
◆全体的に緊迫感が足りない。冒頭場面では脱出者が銃で撃たれた。これは厳しい収容所だなと思っていたが、あとはゆるゆる。ハッチ(スタローン)が脱出する場面はうまくいきすぎ。何度か気づかれそうになるが何とか切り抜けるという演出を何故しない。それからハッチは一度収容所に戻るように説得される。ここの葛藤も描かれていない。同じく腕を骨折させられる選手の人間性がどれだけ描かれていたか?上辺をなぞっているだけだ。そして最大のクエスチョンは、ハーフタイムで脱出するのを選手たちが拒否する場面。それまで選手たちのサッカーに対する思い入れが語られてはいない。だから彼らの思いが伝わってこないのだ。このあたりの演出の不首尾が映画全体としてのドラマ性の希薄につながっている。演出上のタメがなく、なにもかもあっさりと進みすぎる。 ◆恋愛部分にしてもしかり。子持ちの未亡人じゃヒロインにはなれない。せめて彼女の悲惨なバックグランドが語られていたら反戦映画になれたのに。女性レジスタントという魅力的なキャラがもったいない。 ◆捕虜にハングリーさが感じられないのも残念。顔や眼にぎらぎらするものがほしい。彼らはただ安穏と生活しているように見える。 ◆サッカーの試合が決まったとき、コルビーコーチは各収容所から有名選手を集める。これは明らかに間違い。あの収容所のメンバーで試合することが大切なのだ。素人が一丸となって我武者羅に練習し、チームワークにより、奇跡的に勝利するという筋書きが一番感動できる。寄せ集めチームじゃ感情移入できない。 ◆サッカー場面はそこそこ見れたが、不満要素も多い。もっと華麗なプレーが見たかったし、スローやアングルにも工夫が欲しい。実際のサッカー選手を使っているのだからもっと魅せることはできたはず。ハッチのキーパーは全くの素人で見どころがない。最後ももっとぎりぎりのところでセーブすべきだろう。ところで同点の場合は延長戦があるはずだが、アメリカ人は知らないのだろうか。 ◆最後のどんでん返しは賞賛できる。なだれこんだ観衆と共に脱出というアイデアにはしびれた。脱帽です。ドイツ軍将校が紳士的なのにも好感。同点で終わらせたのも気遣い?サッカーファン、脱出ものファンなら楽しめる作品には仕上がっています。
[DVD(字幕)] 6点(2010-07-07 03:40:49)(良:1票)
530.  外科室 《ネタバレ》 
◆運命の出会い。婦人は高峰を一目見て恋に落ちた。ただ見つめあうだけの恋だったが、親のいいなりで結婚し、恋を知らずに過ごしてきた婦人にとって電流に打たれたようなショックだったに違いない。上流階級のお嬢様育ちで、清らかで純粋な心しか持ち合わせていない婦人にとって、突然の「禁断の恋」には耐性がなく、真っ白いキャンバスに塗られた赤絵具のように鮮烈で、歳月を経ても色褪せるものではなかった。 ◆高峰にとって婦人は美の極みだった。「ああ、真の美の人を動かすことあのとおりさ」この世ならぬ絶世の美女を知ってしまった運命により、他のどの婦女子も高峰の心を惹くことはできなかった。独身を通したのだ。 ◆九年の歳月を経て二人は再会する。婦人は病に倒れ、高峰はその執刀医として。婦人にとっては僥倖なことだったが、麻酔により胸中を告白してしまうという強迫観念にとりつかれる。「いいえ、このくらい思っていれば、きっと謂いますに違いありません」婦人にとって秘密が他人に知れることは、夫や子供、家族、友人、世間を裏切ることであり、死に価する罪だった。それで無麻酔での手術を申し出る。このとき婦人は死期を悟っていたと思う。自分は罪を犯した身であり、その罰として病気となった。秘恋の相手と再会できた今は死んでも本望である。又、手術が成功して快癒しても、恋患いで死んでしまうという思いがあった。「それじゃ全快(なお)っても死んでしまいます」 ◆高峰には婦人の秘密がすぐに解った。相思相愛だったのだ。故に婦人の望み通りに、無麻酔での手術を決行する。婦人にとって高峰の手で死ねるのは本懐だ。だから痛みに我慢できなくなったとき自らの胸を高峰の持つメスで突いた。この痛みは心の痛みでもあったに違いない。しかし唯一心残りがあった。「でも、あなたは、あなたは、私を知りますまい!」高峰が即答する。「忘れません」この言葉は永遠の愛の誓いだ。この世では一緒になれなくても、あの世、あるいは来世で一緒になろうということ。その日のうちに高峰は命を絶つ。純真な愛の心を持つ二人の一種の心中である。 ◆耽美的な映像と音楽。頑張っていたが、大成功とはいいがたい。原作をそのままなぞった脚本には疑問がある。絶世の美女を用意しないと成立しない映画。
[レーザーディスク(邦画)] 6点(2010-07-06 22:50:02)
531.  インビジブル2 《ネタバレ》 
◆透明人間を兵器として考えた場合。ものを携帯できない。冬は寒くて外出できない。雨の日もだめ。足音がする、足跡が残る。ビデオカメラには映る。などで余り役に立ちそうにない。ケータイで連絡もできないし、銃も持てないのだ。だからさほど怖くはない。待ち伏せてインクでも大量に噴射すればOKだ。網でもよい。軍は何故それらを用意しなかったのだろうか?インクをかければただの素っ裸の男である。刑事も水鉄砲くらい用意すればいいのに。 ◆透明人間は悪ではない。人体実験に使われ、自らの生存をかけて緩衝材を求めているのだ。復讐に燃えて残忍になってしまったのは残念である。軍隊を悪として描き、透明人間の復讐に正当性をもたせればもっとましな映画になっただろう。無実の女刑事を殺してしまったことで、おかしな展開になった。透明人間が暴走しただけでは内容が薄い。この人物に感情移入できるような挿話が欲しかった。そうすれば観客は彼を血肉ある人物として認識できた。単なるモンスター映画で終わっている。そしてモンスターとして見れば魅力がないのだ。いくらでも膨らませる話を小さくしている。女博士を奪う話に終始するのはもったいない。最後は殺鼠剤とスコップ刺しの刑。ああ、あわれ。可哀そうとも、爽快とも感じない。透明人間という魅力的なキャラに頼り切っただけのB級映画に成り下がっている。モンスター映画でも人間を描かなければ感動を与えることはできない。 ◆透明人間はいきなりパーティ会場で暴れるが、これはいただけない。正体がばればれではないか?透明人間の知能指数の低いこともわかってしまう。他人のいないところで尋問をすべきだった。 ◆女博士を襲う前、隣の家に侵入していたが、あれは何のためだろうか?しかみ家の人(バカップル)に居ることがばればれではないか。この手の映画は、悪キャラが狡知を尽くしてこそ魅力あるのだ。 ◆刑事が透明人間になって、透明人間と対決するのはグッドアイデア。続編が作られそうな終わり方である。
[DVD(字幕)] 6点(2010-07-05 18:17:43)
532.  うる星やつら オンリー・ユー 《ネタバレ》 
◆諸星とラム、エル、しのぶの恋愛の四角関係が描かれる。◆しのぶとは幼馴染で、元恋人同士という微妙な関係が続いている。しかし本作ではその存在が薄い。◆ラムの場合、地球征服をかけた「鬼ごっこ」で、諸星の「(しのぶと)結婚するぞ」という言葉をラムが自分へのプロポーズと勘違いして、仮の女房となった。地球を征服されるので拒絶できない。嫉妬すると電撃攻撃をする。◆エルの場合、幼少のころの「影踏み」で、諸星に影を踏まれる。影を踏まれた人と結婚しなければならないという古い伝統があり、11年後の結婚が決まった。エル星の王女。◆ラムとエルの共通点は多い。地球外生物、美少女、勘違いで結婚、背後に絶対的な権力を持ち交際を断れない、愛することに関して純真、性的には無垢。◆エルの宇宙船が現れ、諸星とエルの結婚を宣言。エルが美女と聞いて諸星は乗り気になる。それを阻止するためにラムは諸星を自分の星に拉致し、結婚式を上げようとする。しかしエルの潜入員の活躍で諸星は再び拉致されエルの星へ。エルの美少女ぶりに諸星は結婚の意思を伝える。しかしエルが大量のイケメン男性を冷凍保存していることを知り、その気持ちは一気に冷める。結婚式の最中にラムが乱入して無事救出する。脱出のワープのミスで「影踏み」の場面へ戻る。影を踏んでなかったことが判明し、婚約は無効。今度はラムの星で結婚式を挙げようとするが、またしても諸星は逃げ出す。◆「うる星やつら」は、純真無垢な思春期のラブコメ。宙ぶらりんの恋愛関係がえんえんと続く。性的関係をもった時点で終了する性質のもの。精神的には女性上位である。男性は美女(肉体)を求めるが、女性は愛(精神)を求める。男性を一途に愛する女心が共感を呼ぶが、それは母性に近いもの。ラストで諸星がラムとの結婚式から逃げ出してもそれを許すラムの偉大な包容力は母性そのものだ。男性を成長へと導くグレイトマザーにも通じる。登場する男性全員の精神がまだ幼く、女性の究極の愛を受け入れる準備が出来ていない。既に成熟している女性は男性が成長するのを待つしかない。愛の本質が見えない男性にとって女性は、あこがれの存在であると同時に自分を拘束する存在でもある。ようやく手に入れても、すぐに別の女性が気になる。まさに愛の「鬼ごっこ」であり「影踏み」。男性は追いかけるのは好きだが、捕まりたくはない。子供でいたいのだ。
[ビデオ(邦画)] 6点(2010-07-04 18:26:30)
533.  この世の外へ クラブ進駐軍 《ネタバレ》 
「詰め込み過ぎ映画」の典型。腰が据わっていない。敗戦の衝撃、戦後の経済と思想の混乱、闇市、戦争孤児、ジャズバンドの物語、米兵との確執と友情の芽生え、売春婦、恋愛、戦争のトラウマ、戦争の虚しさ、朝鮮戦争での死等、戦争とジャズにまつわるものを整理せずに詰め込んでしまったために、何を伝えたいのかが分かりにくく、結果として感動は薄い仕上がり。「ジャズバンドの成長物語」を軸に展開すれば明快になっただろう。題材が良いだけに惜しい。「ジャズバンドの成長物語」に見せて、そうなってはいない。事情の異なる五人が出会ってバンドを結成、ライセンスの合格を目指すまでは良い。各人の個性もほどほどに描かれる。しかしその後瓦解してしまう。一人は高額のギャラにひかれて別バンドに引き抜かれる。一人はヒロポン中毒症状が悪化して死亡。バンドは空中分解してしまう。どうにか再結成して、ラストで友情の芽生えた米兵の遺作曲を演奏する。これがタイトル曲。しかしこの演奏がダメ。そもそも主人公はサックス奏者、米兵もサックス奏者でライバル心を燃やしていた。それなのにサックスではなく歌の曲なのだ。一貫性が無い。しかも歌唱がヘタ。これにはずっこけた。監督はジャズを好きではないのだろう。ジャズに思い込みのある人ならあの演奏はNG。反戦ものとして観てみよう。米兵は尊敬する兄を太平洋戦争で無くしたトラウマがいつまでも消えない。だから自暴自棄な行動をする。だがその描き方が記号的、おざなりでしかない。バンドメンバーと米兵との友情も通り一遍なものでしかないので、朝鮮戦争で米兵が戦死したと聞いても、さほど心が動かない。心が動く前に、ラストの演奏を盛り上げるために米兵を死なせたのだなという理屈が先にくる。そもそも米兵にまで話を広げたのが間違い。尺が足りないのだ。ジャズメンバーが戦争のトラウマを抱えている物語にすればすっきりしたものになった。ヒロポン中毒のメンバーはどうしてそうなったのかさえ描かれていない。不手際である。メンバーの一人が浮浪児になっている弟を発見し、一緒に暮らそうと説得するが弟は拒否する。拒否の理由はトラウマのせいだが、そこを端折っているので観客には伝わらない。このように一人一人に重い物語があるので、詰め込むと却って伝わらない。コミカルなパートは成功していたと思う。
[DVD(邦画)] 6点(2010-07-04 01:52:38)
534.  サロゲート 《ネタバレ》 
【裏あらすじ】博士は体の不自由や人は老人のために擬人体を開発した。しかし人類はこれに夢中になり、ほとんどの人が擬人体として生活する社会に。擬人体は悪・中毒であると考えた博士は製造会社VSIを辞めて、反擬人体団体の首領・予言者として活動する。一方自身で預言者を含め、複数の擬人体を操作して人生を謳歌するという矛盾がある。VSIは博士の活動に危機感を抱き、殺害を計画。光線銃を買収済みの刑事ストーンに渡す。ストーンは強盗犯を保釈させ、殺害依頼。光線銃に当たると擬人体も操作者も死ぬ。実行犯は誤って博士の息子を殺してしまう。息子は博士の擬人体を借りて使用していたからだ。刑事と女相棒ピーターズ(P)が犯人を追う。預言者(博士)は犯人を見つけて殺し、光線銃も押収。博士は刑事に武器の出所を調べさせる。刑事は軍とVSIが共同開発したことを知り軍に乗り込む。軍は破棄した筈の武器があることを知り強制捜査。その際に予言者を射殺。しかし武器は既にPへ渡っていた。博士はPの実体を殺害し、Pに成り済ましていたのだ。刑事は上司ストーンを追い詰め、擬人体を破損させ、腐敗の証拠も入手。Pは中枢システムに侵入。説得に来たストーンを光線銃で殺害。光線銃から全システムにウイルスを注入して、擬人体を壊し、操作者を殺害しようとする。それを防ぐため刑事が博士宅に乗り込む。博士は自殺。刑事は人間は救うが、擬人体は破壊させる。 【感想】現実には絶対起こり得ない世界なのでのめり込めない。子供だったら外で遊びたいし、若者だったら生身でSEXしたいし、老人だって散歩・買い物・旅行したい。一日中寝ている生活は不健康。犯罪が減ったとかいうが、皆家で寝ているので強盗犯は仕事がしやすい。又擬人体と人間とが区別がつかないことはありえない。冷めた夫婦関係の修復を望む刑事は擬人体の妻に話しかけるが、どうして本人に伝えないのか。職場に出かけなくても家にいる。一緒に住んで、食事もするのだし。光線銃で人間まで死ぬなんてありえない。ラストで刑事が危機を回避しようとあくせくするが、単純に光線銃を壊すか、コードを抜いてシステムからはずせばいい。そして黒幕のVSIへのフォローなし。刑事は警官5人死んだといっているが7人。博士の矛盾した生活。タメが欲しい。預言者は簡単に撃たれ、博士の家にあっさり潜入。冷めた夫婦関係に力を入れる程度に各挿話に力を注いで欲しかった。
[DVD(字幕)] 6点(2010-06-18 15:01:31)
535.  アリス・イン・ワンダーランド 《ネタバレ》 
原作はナンセンスが持ち味。ナンセンス詩やギャグが満載。登場人物がみなおかしい。女王が頭でっかち、兵隊がトランプ、猫が笑って消える。読む人を煙に巻く内容。映画では「その後のアリス(A)」を描く意欲作。結婚という親の引いたレールに乗るかどうか迷うAが、ワンダーランドを再訪。Aはワンダーランドは夢だと思っていたが、実在することを知り子供時代の冒険心を取り戻す。現実に戻り進むべき道を発見する。作品の意図はわかります。 ナンセンスはそこそこあり笑えます「机と鴉が似ているのは何故」「首をはねてくれ、(さもないと)殺される」「朝飯前に6つのMで始まる問題を考える」など。ただ弾けるほどではない。イカレ帽子屋、ヤマネ、青虫、双子などサブキャラは十分な働きをしている。正義感の強いヤマネ、青虫の教訓、帽子屋の「自由の舞」など。赤女王が仰向けになったブタで足を休めるところがツボだった。素晴らしいセンスだ。欲を言えば、もっと「場」やストーリーをかき乱すキャラ(トリックスター)がいれば楽しくなっただろう。混乱してあらぬ方へ行けば行くほど「沸騰」するはず。 キャラを善悪に分けて戦わせるのは問題あり。本来の持ち味である「おかしみ」が消えてしまう。兵隊なのに薄っぺらなトランプであるところが笑えるところ。本当に強そうに見えてはだめ。「首をはねろ」がギャグでなくなってしまう。訳のわからない連中が好き勝手なことをやっていて、理屈は通らず、それが楽しいのだ。 少年なら剣をもって龍と戦うこともあるだろうが、大人になったとはいえ少女Aのすることじゃない。理不尽や無理難題を言う相手に対して知性やウィットでやりこめるのが本来の姿。 預言書なる絵巻物は不要。Aが龍を倒すのが決まっているのならAの存在意義は薄れてしまう。Aがアイデンティティを確立するためには何らかの通過儀礼が必要で、予定調和では感情移入すべくもない。 独断専行の赤女王を懲らしめるのはいいが、白女王を君臨させることに意義が見つからない。白女王は何者も殺さないと誓っている点が美徳だが、どこか怪しい雰囲気がある。そういう意味ですっきりしないのだ。もうひとつヒロインに魅力が無いことも指摘しておこう。年増に見える。 蛇足だが、貴族の求婚を大勢の前で行う慣習があるのだろうか?それも花嫁だけは内緒にして。大恥をかきたいのか?それとも断られることは考えられないのか。
[映画館(字幕)] 6点(2010-06-17 17:07:55)
536.  プラダを着た悪魔 《ネタバレ》 
カタルシスはアンが成功一歩手前で意に沿わない職を放棄し、本来の自分に戻るところ。サクセスストーリーではなく、成長物語。アンはファッションの奥深さを学び、ファッションセンスを磨き、仕事も先読みでき、上司から認められる。しかし望んでいない世界で、上司のような犠牲の多い生き方は出来ないと悟る。二人はお互いを認め合いながら別れます。それに恋愛を絡める。意図は良いですが、デフォルメしすぎたためか、ふに落ちない点が多いのが欠点。 ①就職面接に行くのにニンニク入りのハンバーグを食べながら行く。行儀が悪すぎ。 ②ジャーナリスト希望だったら最初からミラー紙の面接を受ければいい。軟派作家に書いたものを送ったのにも関わらず、編集者を紹介してもらうのは断った。 ③どうしてジャーナリスト志望なのか、何をしたいのかの説明が無い。 ④アンは父に「このファッション出版社に就職したのは腰かけに過ぎず、一年も経てばパリで人脈が出来、ジャーナリストとして有利であるため」と説明。上司に似て元来が打算的人物。一方で彼女は雑誌名やファッション界のカリスマ編集者ミランダの名前さえ知らなかった。矛盾してます。 ⑤上司は時間外労働を強要し、嵐の中を飛行機を飛ばせとか、出版前の本を手に入れろとか、要求が度を越えている。しかもそれは仕事ではなく「私ごと」。真に仕事のできる人のやることではない。 ⑥恋のパートがあやふや。最初から同棲している設定が間違い。アンと男とは恋人未満だったが、最後にはお互いの自分の本当にやりたい道を見つけ、恋人同士になる展開にすればすっきりした。最後二人はニューヨークとボストンにそれぞれ就職が決まる。別れるのか、元さやか。「考えてみる」という返事はダメ。軟派作家と寝るのは言語同断。それをやっちゃおしまいよ。単なる尻軽女。 ⑦社会人の男性が誕生日を友人たちと祝う?同棲している恋人が誕生会に来れなくなるとあんなにスネる?アンの頑張っている姿を見てるのに。 ⑧コートやハンドバッグを投げ出したりして乱暴。 ⑨上司の子供が若すぎる。高齢出産?又子供を甘やかしすぎる。 ⑩コーディネートをしてもらっていたけど、あのブランド服を全部買ってたの? ⑪アンのファッションセンスがよくなってゆくのは「仕事と心の成長」を意味していると思ったが、最後に全否定された。アンは何を学んだのか?
[DVD(字幕)] 6点(2010-06-12 06:35:00)(良:2票)
537.  ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟 《ネタバレ》 
過去に最強の超獣を海に封印したウルトラ4兄弟。封印を解き放つため四体の宇宙人が襲来。バカな一体がメビウスに挑んで撃破される。が、Mの戦闘能力は研究される。3体でMを拘束。4兄弟が最後のエネルギーを使って変身、Mを助けようとする。だが侵略者の目的は最初から4兄弟でMは囮にすぎなかった。4兄弟は拘束され、Mは倒れる。子供との約束を守るため、Mは最後の力を振り絞り、再び変身。4兄弟を助ける。だが既に宇宙人は4兄弟のエネルギーをマイナスに変えて封印を解き、超獣を解き放った。超獣は仲間であるはずの宇宙人を殺すほど残虐で悪魔的、かつ強い。たちまち危機に陥るウルトラ兄弟。そこへゾフィー、タロウが駈けつけ、エネルギーを供給。全員でMにエネルギーを注入し、合体、Mは新タイプに変身。超獣を倒す。 サイドストーリー1は、怪獣に襲われた恐怖で自信を失った子供が勇気を希望を取り戻す話。「最後まであきらめないのが大切」「信じる力が勇気になる」「未来を信じる心の強さが不可能を可能にする」などのクサイ言葉のオンパレード。美辞麗句を並べても感動にはならない。それを物語で見せるのが本来のウルトラマン物語の筈。サイドストーリー2は、Mであるミライがなぜウルトラマンは人間のために戦うのかという問いの答えを見つけ出す話。ミライの見つけた答は「人間が好きだから」。単純すぎ!総括:戦闘シーンが多いのが特徴。超獣が強いのは見ごたえがある。が、援軍が来ないと勝てないというのはいただけない。兄弟はもっと知恵を絞らないといけない。今回は宇宙人たちの方が知恵があった。メビウスの内面の成長を描いているが、そんなことは子供たちにとって興味はないだろう。ウルトラマンはあくまでヒーローであるべきで、悩み苦しむヒーローは魅力がない。又ガイズの隊員とウルトラマンが力を合わせて成長する話にすべき。ガッツが蚊帳の外だったのは解せない。一緒に戦ってこそ両者の絆が強くなるのだ。援軍はゾフィー達でなくガイズであるべきだった。原点に戻り、単純でスカッとする「怪獣映画」のウルトラマンが見たい。4兄弟の人間体の現在が見れたのは収穫。
[DVD(邦画)] 6点(2010-06-03 08:58:44)
538.  ワルキューレ 《ネタバレ》 
ノルマンディー上陸作戦の一月後、敗戦濃厚で、時期は熟していた。あれだけの人数が揃っているので、ヒットラー暗殺だけなら比較的容易に達成できたはず。しかし目的がクーデターであり、短時間による政府と軍の完全掌握を目指していたので、ヒムラーやゲッペルスなども同時に暗殺などと余計なことを考えて何度か機会を逃している。実行犯の大佐が新政府の要職に予定されていたため、爆発物セット後、すぐに逃げ出したが、これが最大の失敗。何をおいても、総統の生死を確認すべきだった。確認がないままクーデターを実行するのはお粗末。大佐は障害者なので、ボディチェックはほとんど受けなかった。いざとなれば総統もろとも自爆する覚悟があれば成功しただろう。カリスマ総統を倒しておけば後をヒムラーが後を継ごうが倒すのは容易である。二段構えの周到さがほしい。暗殺が失敗することは既知だが、サスペンス、緊迫感は十分伝わってきた。そこは評価できる。だが大佐の人間性の描き方が希薄だ。反ナチ思想を持つ経緯を描くべき。戦争の悲惨さも伝わらない。最後は家族の安否を心配するだけの弱い男になってしまっている。彼の兄も連座して処刑されたが描かれていない。夫人と五人の子供はどうやって生き延びたのか?他に関係者6~700人が粛清され、ロンメル元帥も自殺。これらの人の死に大佐たちは責任があるだろう。「計画は失敗したが、彼らの目的は戦争をやめることであり、命をかけた彼らは英雄である」という単純な考えはできないだろう。後半、総統が姿を見せないのは、サスペンスを重視した脚本構成の所為だが、史実を描きたいのなら、総統側の様子も見せるべきた。一方だけを描いても真実は伝わらない。総統のカリスマ性も対等に描くべきだろう。「史上最大の作戦」のように敵味方、両側を描けば、より見ごたえのある映画になった。大佐の人間ドラマをより深めれば「シンドラーのリスト」のような深みが出た。「暗殺=テロ」なので、現代人にとって彼らの行動を無条件に賛美することはできない。歴史の正当な評価は時代と共に変わる。そんなことを考えされられた。
[DVD(字幕)] 6点(2010-05-09 23:17:34)(良:2票)
539.  1リットルの涙 《ネタバレ》 
単に「難病もの」といってしまっては身も蓋もない。原因も不明で治療方もない難病と戦った少女の魂の日記が原作。そこには五体満足で当たり前に生活する人々には想像もできないような苦悩、葛藤があったはずです。少女が短命で終わったのは既知なので、興味本位的な観賞はできない。不幸といってこれほどの不幸もないだろう。思春期真っただ中の14歳で罹患。志望校に入学できても、高校一年生で養護学校に転校しなければならないほどの重症に。一生懸命勉強したのに大学進学も断念。「保健士の母のような人の役に立つ職業につきたい」という夢も潰えた。リハビリの先生との淡い恋もはかなく散った。「なぜ病気がわたしを選んだのか」「なぜ私にだけ不幸がふりかかるのか」、主人公の亜也は何度も自分の運命を呪ったのに違いありません。しかし絶望はしなかった。彼女が生きるあかしとして綴った日記を残してくれたおかげて、我々は彼女のことや、病気のこと、家族や友達、先生たちのことを知ることができる。ありがたいことです。さて映画の出来ですが、これは不出来です。こういった映画では、登場人物の感情の揺れをいかに表現するかが出来の善し悪しに関わってきます。演技も大切ですが、タメ、アップ、涙、音楽などの演出効果も重要です。つまり「ここぞ」という場面での「感動を与える演出」が必要なのですが、この作品ではそれが欠けています。脚本は悪くなく、母親の献身的な態度、心やさしくてくれた友達、尊敬する女医との交情、親切で情に熱いパン屋のおばさんなど、泣かせどころはたくさんありました。命をふりしぼるようなセリフひとつひとつに対応する演出方があったはずです。あまりにも淡々と流れていなかったでしょうか。監督の力量が問われるところですね。というわけで、残念ながら、いまひとつ感情移入できませんでした。難病の少女を演じきった女優さんには拍手です。
[DVD(邦画)] 6点(2010-05-07 19:01:41)
540.  ダンボ(1941) 《ネタバレ》 
ダンボはしゃべれない。母親のジャンボも歌えるけどしゃべれない。きっと製作者が、表情で母子の愛情を表現しようと意図したからでしょうね。表情はとても豊かで、成功しています。「泣かないで」の歌の場面は愛情あふれてましたね。耳が大きいせいで仲間はずれにされるダンボ。ネズミがいなかったら、どうなっていたでしょう。どうしてネズミはダンボの味方になったのか?道義に厚い性格なんでしょうね。子供のころ一人ぼっちの思いをしたのかな。カラスへの演説は実感がこもっていましたね。カラスも根はいいやつらでよかった、よかった。■ダンボの耳が大きいことが奇妙がられて、仲間にも人間の子供にもばかにされる。大人にピエロにされて、高い場所から飛び降りさせられる。しかし耳で飛ぶことが出来、立場逆転、一躍人気者になる。逆転の発想、ワンナイトサクセスです。しかし考えてみれば、その栄光もサーカスの一員としての成功でしかない。人間に使われたままで本当の幸せ・自由があるのか?幼いダンボにはまだそんな発想もないんでしょうね。今は母親のもとで楽しい日々を過ごしてください。■蛇足ながら、父親はどうなってるんだと気になります。あと「ダンボ」って悪口だったんですね。酒を飲ますのはまずいと思いました。
[DVD(吹替)] 6点(2010-03-04 22:49:28)
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