Menu
 > レビュワー
 > かっぱ堰 さんの口コミ一覧。3ページ目
かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263
>> カレンダー表示
>> 通常表示
41.  ある戦争 《ネタバレ》 
アカデミー賞外国語映画賞の2015年(88回)ノミネート作品とのことで、日本でいえば「たそがれ清兵衛」(2002)と同格だが、個人的感覚ではこれの方が上である。出演者インタビューによれば、この映画の監督は「演技ではなく状況に反応する」ことを求めるのだそうで、「シージャック」(2012)に続いてドキュメンタリー調に見えるのもそれと関係あるかと思われる。また問題提起はするが答えを与えない監督(脚本家)とのことで、この映画も文字通りの“考えさせる”映画になっている。  内容としてはアフガニスタンで治安維持活動に従事するデンマーク軍部隊の隊長が、民間人の殺害容疑で裁判にかけられる話である。監督によれば、デンマークでは実際にそういうことが現地指揮官の心配事になっているらしい。 まず劇中では誰も明言していなかったが、爆撃の結果として攻撃が止んだのならその場に過激派がいたこと自体は明らかであり、誤って民間人だけを死なせたというわけではない。恐らく爆発物のエピソードのように民間人を盾にしていたと想像されるが、そういう状況で、いざというときに自国民(軍人)と外国人のどちらを優先するかの問題だったと思われる。劇中の検事(法務官)は、人類社会の正義を代表しているようでいて実は単なる手続論の話しかしておらず、存在確認さえすれば殺人ではないと言っていたのも同然である。また弁護人の立場は台詞に出ていた通りであって、どちらの主張にも絶対的な正当性は感じられない。判決がどうなるかは出演者にも知らされていなかったとのことで、自分としてはけっこう驚く結末だったが、判事が諸事情を勘案の上で妥当な結論を出したということなら尊重する必要がある。 ちなみに日本では、最後は国家が悪い軍隊が悪い戦争は嫌だと言えば済むことになっているが、デンマークほどの民主国家なら軍の派遣を決定したのは疑いなく国民自身の判断ということになるだろうから、そういう逃げ場はないことになる。国全体として劇中の妻/母のような立場を取るなら派遣などやめるという選択もありうるが、基本的には国際貢献としてあえて汚れ仕事を引き受けているという考え方だろうし、これに関してもデンマーク国民の判断を尊重するしかない。ただ、自分の国に関してそういう判断をするのは一国民としても確かに難しい。とりあえず南スーダンからはみな無事に帰って来られそうで幸いである。  なお、主人公に対する副隊長の批判的発言は自分としても非常に耳が痛いことで、これで主人公が自分に似たタイプの人間であることが知れてしまった。副隊長はそつなく賢い男だろうが主人公も悪い奴ではなく、一度は事実を認めようとしたことからも個人的には共感度の高い人物像だった。そもそも女性通訳にこの男の弱点を衝かせるような筋立ては卑怯だ。
[DVD(字幕)] 8点(2017-05-21 16:26:18)
42.  おもひでぽろぽろ 《ネタバレ》 
最初に見たのは90年代のTV放送だが、そのときは半分程度で挫折した。主に昔の微妙な記憶をほじくられるような感覚が不快だったからだが、いま見れば小学生編もけっこう楽しく、戦前生まれの父母のふるまいもそれらしく見える。なお分数の割り算に関しては、2/3のリンゴから始めるから難しいのであって、3/4のリンゴを1/4で割ることを考えればとっつきやすいと思われる。 大人編に関しては、普通の田舎の風景や事物が丁寧に描かれているのが好印象で、紅花の収穫と加工についての説明は興味深い。婆様の顔や言葉などはけっこうリアルでいいのだが、ただ柳葉敏郎は、劇中の場所とは方言の系統が違う秋田県の出身だからか現地言葉が全く様になっていない。関東でいえば神奈川県人が茨城方言を話すようなもの?で、東北などどうせどこでも全部同じだろうと思われては困る。  物語としては、個人的にはわりと素直に“都会の女性が田舎に定着するきっかけの話”として受け取れる。現地の人々にもそれを望む気持ちは当然あったろうし、駅まで迎えに行かされたのが若い男だったのもそういう素朴な思惑があってのことかも知れないが、しかし本当に実現するとも思わないのが普通の感覚でもある。この点については本家の3人にも温度差があったようだが、その中で婆様の裏表のない直言が結果的に主人公の素直な反応に結びついたということらしい。その後にぶり返した「あべくん」の記憶には偏見に起因する心理的な壁という問題が含まれていたようで、これは主人公が現地に定着する際の葛藤を先取りした形とも取れる。最後に山寺駅で折り返したのは、とりあえず婆様に今の気持ちを見せたかったからで、あとはゆっくり冬の来訪で、ということだったろう(仙台から東北新幹線を使えばその日のうちに帰れる)。ラストでは、主人公を祝福しながらも寂しげな子どもの表情が印象的だった。  当時であれば東京出身の女性が農山村に嫁入りなど正気の沙汰ではなかった気もするが、ちなみに劇中年代から30年以上経った現在の話として、うちの地元にも大学や研究機関があるせいか、関係ない場所(大都市圏など)から来て定着する若手の人々が目につくようになっている。こんなところの何がいいのかと正直思うが、田舎だ都会だということと関係ない人々が出てきているようではあるらしい。地域社会との間合いの取り方もそれぞれであり、必ずしも閉鎖空間に囚われるかのように考える必要はない。 この映画の主人公は現在もう還暦を過ぎていることになるが、仮にこの場所に定着していたとすればIターンのよき先例になって、地域社会に少しずつ変化をもたらしていたかも知れないと考えたい。
[DVD(邦画)] 8点(2017-01-23 23:42:06)
43.  映画 鈴木先生 《ネタバレ》 
原作とTV版は知らない。この映画だけ見て思ったことをとりあえず書いておく。 まず世の中グレーゾーンがないと困ることはあるだろうが、グレーとダーク(ブラック)の境界だけははっきりさせる必要がある(普通は法律などで決まっている)。個人的感覚でいえば、劇中の引きこもり男が公園で喫煙していたあたりはいいとして、生徒に危害を加えようとした時点でこの男に共感しようとする気が完全に失われた。この男の言っていた“真面目な人間が損をする”というのも単なる屁理屈で、現実には真面目かどうかより主体性のない愚かな人間が不利だというだけのことである。愚かなこと自体は罪ではないが、愚かなことを理由にして罪が許されるわけではなく、どういう事情があろうがやってしまったら終わりである。最後に教員が声をかけた場面は、紙一重の差を分けてしまったことを強く印象づけるものになっていた。 ちなみに教員の性的な妄想もグレーゾーンの範疇だろうが、この男が一線を超えることは決してないはずだ。  また選挙に関していえば、そもそも民主主義などグレーゾーンだらけであり、誰がどういう意図で投票したかなどわかったものではない。劇中で言われていたように候補者を真に支持する票と看做すほかないわけで、当選者には有権者の負託に誠実に応えようとする義務が課せられる(有権者にも結果責任が課せられる)。その点で、劇中の当選者は単なる「不満分子」ではなかったようで、新会長としての最初の提案は結構泣かせるものがあった。  ところで自分は学校教員をやったことはないが、劇中の教員が「世界を変える」と言っていたのは共感できることで、終盤で女子生徒に声をかけられた場面はかなり感動的だった。たとえわずかずつでも、自分の行動が世界を変えていくことにつながると考えなければ教員などやっていられないだろうし、またそれは教職に限らず社会に生きる人間全てに通じることではないかと思われる。こういう映画が作られているのを見ると、本当に世界は少しずついい方向へ変わっているのかも知れないと期待を寄せたくなる。  なお演劇は人が生きるための役に立つ、という主張は別のところでも見た気がするが、これに関する劇中の教員の語り口も悪くなかった。またキャストとしては、土屋太鳳以外にも未来穂香、小野花梨といった人々がそれぞれ所を得ていた感じだったが、個人的には三浦透子という人の雰囲気が好きなので、もう少し前面に出てもらうともっとよかった。
[DVD(邦画)] 8点(2016-11-15 20:52:48)
44.  1944 独ソ・エストニア戦線 《ネタバレ》 
第二次大戦中のエストニアに関する映画である。 エストニアは1939年の独ソ不可侵条約と密約に基づいて1940年にソビエト連邦に併合され、ソビエト体制に不適格とみなされた多くの人々が殺害あるいは収容所送りになった。1941年の独ソ戦の開始後、今度はドイツ軍がエストニアを占領したが、戦況の悪化に伴い(連合国がソ連を支援したこともあり)、1944年にドイツ軍は撤退してソビエト軍が再度エストニアを制圧した。 この映画はその最終段階に関わるもので、ロシアとの国境にあるナルヴァ市近郊での戦闘(1944年7月)から、サーレマー島南部ソルベ半島での最後の戦闘(11月)までを扱った上で後日談を加えている。ちなみに前半の主人公が冗談で言及していたカール12世とは、1700年にナルヴァの戦いでロシアのピョートル1世の軍勢を撃退したスウェーデン王の名前である。  この時期の現地状況についてはよく知らないが、1940年にソビエト軍が現地を占領した際、当時のエストニア国軍が抵抗しなかったのは事実らしく、これに関する悔恨と取れるところが劇中にもあった。それで国軍は解体されたのだろうが、その後は現地で編成されたナチス親衛隊に志願したりソビエト軍に編入されたりして、同じ国民が敵味方に分かれて戦う事態になったことがこの映画で描かれている。戦争が終われば元の暮らしに戻れるとみな思っていたらしいのが気の毒で、そのほか細かいエピソードで描かれた人々の思いも切ない。 また微妙なことだが、劇中ではナチス親衛隊よりソビエト体制の方がはるかに過酷で非人間的に見える。もともと現地では何百年もドイツ人が根付いて来た事情があってのことかも知れないが、もしかすると当時の一般人(ユダヤ人を除く)にとってもドイツの支配の方が寛容だったという感覚が残っていて、それがこの映画にも反映されているのではないかという気がした…そう思うのは、同時期のラトビアについて書かれた本で同様の印象を受けたことがあったからである。 これに関する国民感情として、映画を見る限りは「罪なき人が罪を感じ、罪深い人は感じない」という思いがその後も尾を引いていたのかと思わせるものがある。劇中でも罪なき人への赦しの言葉が出ていたが、戦後70年を機に、そうした思いを受け止めた上で一定の収まりをつけようとしたようにも思われる映画だった。恐らくはソビエト側に協力した人々への感情整理の意味が大きいのだろうと想像するが、シベリア出身でロシア語を話す人物の存在をどう取ればいいのかはわからなかった。まだ読込み不足のところが多いと思われる。 ほか戦争映画としての的確な評価はできないが、少なくとも一兵卒の視点からの迫力は感じられた。当初から出ていたソビエト戦車はT34のようである(T34-85?)。また洋上から艦砲射撃していたのはドイツ装甲艦アドミラル・シェーアか重巡洋艦プリンツ・オイゲンだったらしい(恐らく後者)。
[DVD(字幕)] 8点(2016-08-05 00:55:45)(良:1票)
45.  ゴジラ(1954) 《ネタバレ》 
90年代にVHSのレンタルで見たのが初見だが、その時点で印象に残ったのは近代科学への警鐘でもなく愛する人の幸せを願いながらの悲しい自己犠牲ということでもなく、ゴジラ襲来後に収容された重傷者や母親を呼んで泣く子ども、立ち働く白衣の天使とその映像に被さる女学生の歌声だった。これは先の大戦に直接関わる慟哭の思いと鎮魂の祈りの表現としか思われず、この映画だけは他のゴジラ映画と異質だというのが率直な感想だった。 また今の目で見直すと、放射線の測定機器を子どもに直接向ける光景が、5年前の現実の事故のことを思い出させて非常に痛々しい。放射能を帯びた怪獣との設定はその後も一応引き継がれていたわけだが、これが虚構のキャラクターの単なる一属性というだけでなく、いつの時代にも再現されうる現実の脅威を表現したものであったことが改めて思い知らされる。 そのほか単なる怪獣映画として見た場合にも、特撮映像は昔の映画ながら文句をいう気にならない迫力があり、巨大な生物に対して地べたを這う人間の恐怖感が表現されている。この映画では魚・牛・豚(と娘っ子)を食うことになっていたが、これはその後に引き継がれなかった設定と思われる。また出演者では何といっても河内桃子さんが可憐で可愛らしい(やたらに触るな、と宝田明氏に言いたい)。巡視船PM20こうず、PM21しきねの撮影協力もご苦労様でした。
[DVD(邦画)] 8点(2016-07-30 21:40:53)(良:1票)
46.  八つ墓村(1977) 《ネタバレ》 
最初にこれを見た時点ではまだ若かったので、劇中で村の有力者が婦女を拉致監禁して凌辱するのを誰も咎められないのが当時としては非常に衝撃的だった。そのせいで、農村社会とはこういうもの、と当時は思い込んでしまっていたが、長じるにつれて農村社会の全部がこんなわけはないと思うようにはなっている。それでも最初と最後に出る近代的な空港と、舞台になっている山村の間にある断絶感が、かえって日本にまだこういう所があるかも知れないという気にさせるところがある。 またテーマ曲もこの映画の印象づくりに大きく貢献している。個人的にはこの曲から、表面的には平穏に見える風景も実は暗く抑圧された感情と深い悲しみを秘めており、それを無表情の奥に隠しながら黙々と生きる人々の姿がイメージされた。若い頃の自分が農村社会に偏見まで抱いたのは、半分はこのテーマ曲のせいである。  その他の点としては女性の登場人物が印象深い。まず姉の春代さんがきっちりした清楚な女性で、しっかり者のようだが不安を抱えて眠れない夜が続いていたのではないかと案じてしまう。この人の最後は大変可哀想で、主人公も姉として慕うようになっていたらしいのが切ない。また当然ながら鶴子の境遇にも胸が痛むものがあり、子を慈しむ母親の表情を見せながら同時に可愛らしくも見えるのが悲しい。加えて最初の方に出る和江という人(美也子の妹)も、端役ながら個人的に好きな女優(夏純子さん)なので見逃せない。顔はよく見えないが、はっきりしてよく通る声が心地いい。 一方で森美也子に関しては、まずは序盤でスカートが風でめくれるのが気にならなくもないわけだが、そういう色仕掛けに騙されてはならないという警戒感をこの段階で抱かせる怪しさがある。終盤の洞窟内でいきなり「あたしたち」扱いされるのは気色悪く、実際に言われたら思い切り引くだろうと見るたびに思う。  だいたい以上のような印象から(あまり説得力がないかも知れないが)個人的には永遠の名画の扱いになっている。ちなみに全般的に、口から液体を吐くのが汚らしい映画である。 なお余談として、最初の落武者の場面で遠方に見える高い山が何なのかずっと気になっていたが、DVD特典を見ると伯耆大山(鳥取県、1,729m)を南側から見た風景だったことがわかって感激した。こういうのも真面目に見ておくと勉強になる。
[DVD(邦画)] 8点(2016-07-25 19:52:21)(良:1票)
47.  八甲田山 《ネタバレ》 
これまでに何度か見ているが、国土地理院サイトの地形図やGoogle Earthで場所を逐一確認しながら見ると退屈しない。特にGoogle Earthを見ると山の形から撮影場所がどのあたりだったかわかる場合もある(注:現在はGoogle Mapでも3Dが使えるらしい)。原作本にも当時の詳細な地図がついている。 撮影秘話のようなものはあまり読んでいないが、映像からすればいかにも厳しい現場だったようには見える。特に、休止中の人々の頭の上に相当量の雪がそれらしく積もっていた場面があったが、落ちた様子を見ると本物の雪だったように見え、これはこのように雪が積もる間この人々がずっとここに立っていたことを意味するのだろうかと素朴な疑問を感じる。 また物語に関して印象に残るのは、まずは当然ながら兵隊さんのご労苦ということになるが、暗澹とさせられたのが最後の説明文で、生還した人々がわずか2年後に戦死したと書かれていたことである。この時の経験が満州の平原で生かされたのかどうか不明だが、明治日本が列強に追いつく過程ですり潰されていったかのような人々の存在が痛々しく、登場人物の子どもの頃の情景も、むしろそのこととの関係で哀しく思われた。  ところで弘前の部隊が村へ入る際、案内人を先頭にしてラッパ付きで行進した場面は普通に感動的だった。これは原作とも違っており、当時としては常識外れのことかも知れないが、しかし現代の映画としてはかえってこれでよかったのではと思われる。昔の軍隊は百姓町人に教わることなどないと思っていたかも知れないが、わからないことはわかる人間に尋ねるべきであり、またその人間には敬意を払わなければならない。そのような態度が成功をもたらすというのはまあ当然だろうが、この点でちゃんと筋を通してくれたことで、この映画が昔の軍隊の理不尽さを糾弾するだけのものでなく、現代人の心にも通じるものになっていた気がする。 なお部隊が敬礼をしたときに、案内人殿が照れたように笑っていたのは可愛らしい。いくら何でもこんな人が現地にいたかとは思うが、重厚な高倉健と軽やかな秋吉久美子の極端な対比は非常にいい感じを出していた。「まんまくうべや」という台詞が耳に残る。
[DVD(邦画)] 8点(2016-05-28 14:11:03)(良:1票)
48.  人狼ゲーム ビーストサイド 《ネタバレ》 
前作を見たので基本設定は完全に受入れ済であり、この世界がこうなっている理由については全く疑問を持たずに見た。どうせ二番煎じだろうという予感があったので、物語的によほど面白いものを見せてもらわなければ済まないところだったが、結果としては視点の変更や若干の強化策にもかかわらず、基本的には前回の単純な延長のように見えた。 ただし前作における場の空気のようなものは継承されており、また若い役者の熱演が目を引くのも同じで、これが全体的な充実感をもたらしているのは間違いない。無意味に人が死んでいくだけの映画ではなく、人の生命の重量感を観客にぶつける映画になっている。前作に引き続いて見ていると、自分の生命をむき出しにして対峙する登場人物が愛しく思えるようになって来た。 ラストでは、原作とは全く別の方向性をもって外部世界に歩み出す主人公が映されていたが、自分としてはここで「犯人殺る」というよりも、「目指せロケンローラー」というメッセージを最後に主人公が得たのだと考えたい。それはかつての盟友の怨念ではなく、宗像美海の生命そのものを主人公が背負ったという意味になるのではないか。  ところでキャストに関して、個人的には宗像美海役が、ほわんとして自然体ながらやるときはやる、という感じを出していたのが非常にいい。緊迫感のある中でも「なんでかな?」といったような何気ない物言いが笑いを誘う。また「南極料理人」(2009)のわがまま娘だった小野花梨さんが、役者としては最年少ながらきっちり存在感を出していたのはよかった。この人だけ設定年齢より役者の実年齢が下である。ちなみに最年長は小曽根正則役の俳優であって、全体として9歳も年齢幅があるが全員が高校3年生をやっている。
[DVD(邦画)] 8点(2016-04-29 08:34:05)
49.  でーれーガールズ 《ネタバレ》 
原作者が「カフーを待ちわびて」(2009)と同じであり、今回の題名を見てまた沖縄かと思ったら違うのだった。 まず苦情から書いておくと、終盤の大事件のような展開は個人的に嫌っている。原作がそうなので仕方ないとしても、単なる偶然ではなく必然を感じさせる工夫はなかったかと思う。また時代を象徴するものとして山口百恵を取り上げていたが、これで特定の年代感が強調されてしまうと、少し前の団塊向けのような世代限定モノとして取られかねないと心配される。 ただし近年ティーンエージャーをとりまく過酷な環境を強調したがる傾向があるように思われるのに対し、30年前に遡ることで、年齢本来のより自然な感覚を素直に出せる意味はあったように思われる。当然ながら原作者の高校時代そのままの年代でもあったわけだが(細かくいえば2年差?)。  ストーリーに関しては、主に女子の友情に関わる話であるから個人的には共感しにくい内容のはずだが、見れば意外にも素直に登場人物の心情を受け取ることができ、笑うところは笑い泣くところは泣ける映画になっていた。自分の性格として過去の知り合いを大事にしたいなどという気持ちはほとんどないわけだが、かえってその分、自分に欠落したもの、あるいは拒否してきたものをあからさまに見せつけられたのが切なかったかも知れない。 また映画独自の趣向として、鮎子の過去に対する複雑な感情を不安感の形にして(または友人を失う予感を不吉感の形にして?)音なり映像なりで表現していたのは印象深かった。ほか細かいところでは、登場人物の表情を他人の表情の変化で予告してみせるとか、泣きの場面を長引かせずに次の笑いの場面に直接つないで笑い泣きさせる、といったことで心を動かされるところもあった。 なおキャスト面ではダブル主演×2の豪華状態になっているが、うち高校時代の鮎子役は、高校生役の中で唯一劇中人物と同年代(というかまだ中学生?)ながら少なくとも素人目には立派な主演女優であり、ほぼデビュー直後の状態を見たことのある立場からすれば感無量といえなくもない。また大人のアユコ先生は、艶っぽ過ぎてとても40代半ばに見えないのは不自然ともいえるが、自分としては思わず見惚れてしまう場面が多かった。この人も映画の満足度にかなり貢献する存在になっている。
[DVD(邦画)] 8点(2016-01-11 22:36:27)
50.  拳銃と目玉焼 《ネタバレ》 
ビデオ撮影業を本業としている監督(安田淳一)が徒手空拳で作ったような自主製作映画で、題名からすると格調高い文芸映画のようだが全くそうではない。効率性度外視でこだわって作っただけあって非常にまともなエンターテインメントになっており、素人映画だからと割り引いて見る必要は特に感じない。 内容としては触れ込みどおりの正統派のヒーロー物で、かなり昔の仮面ライダーを意識しているらしい(口が出ているのでライダーマンだが)。正義の味方をオトナの世界でやるとこうなる、というのをまともに見せた感じになっており、結末は文句なしに感動的である。純粋な正義の味方など現実には存在しえず、真の動機は別にある、といった話になっているのも大人向け仕様だが、決して見返りを求めないことだけはヒーローとして外してならない条件である。 ただ一つ苦情をいえば、ラストの後日談はやりすぎである。今回のことは今回の条件のもとでたまたま成り立った奇跡のような話であって、このまま続けてしまえばボロが出るだろうし(すでに出かけている)、また性犯罪対策専門のヒーローになってしまうのも変だろうが、まあ後で恥ずかしい思いをすることにならないよう、ほどほどにやってもらいたい。  ところで出演者はちゃんとした役者に依頼したらしく安心して見ていられる。主人公は完璧な中年男だが黙っていればそれなりに見え、シャイで口下手なところは健さんのようでもある。またこの映画の最大の見どころになっているのがヒロイン【演・沙倉ゆうの】であって、つらい境遇に耐えながらも真心と優しさを失わない女性像がたまらない。外見的にも可憐で可愛らしく、やはりヒーロー物はこういうところで手を抜いてはならないと思わせるものがある。このヒロインと彼氏の若い男(演・矢口恭平)がベッドでキスする場面があったのは憎たらしいが(編集で落ちた)、まあ悪い奴ではなかったようなので許してやる。 なおこの監督が立ち上げた「未来映画社」は次回作となる劇場公開映画「ごはん」を制作中であり、今回のヒロイン役【再掲:沙倉ゆうの】が一転して米づくり農家の主人公を演じるとのことで期待している。現時点での公開予定はよくわからないが、少なくとも予告編はできているので完成するものと信じて待ちたい。
[DVD(邦画)] 8点(2016-01-10 15:17:17)
51.  いしゃ先生 《ネタバレ》 
戦前から戦後にかけて山村の医療に尽力した実在の医師の物語で、現在の山形県西村山郡西川町大井沢という場所が舞台である。景観面では一般的な山間風景が地味な色調で多少美的に見える程度のようだが、季節や天候によって はっとするような風景に出会うこともあり、劇中ではそのような現地感覚が映像化されていたようで好印象だった。別の場所での撮影も多いとのことだが、月山・姥ヶ岳・湯殿山が並んだ映像は現地付近からの眺望と思われる。また現地で見られるという「春もみじ」も映っていたようである。  医師の物語であるから人の生死も当然関わって来るわけで、撮影地の近辺でいえば「おくりびと」(2008)など、人を死なせて観客を泣かすタイプの映画は多いだろうが、この映画では劇中の様々な出来事が少しずつ見る者の心に染みて、次第にその効果が累積していく感覚があった。少なくとも初見時に大泣きする場面はなかったが、終わってしばらくの間、何となく涙腺が緩んだような状態が後を引く映画になっていた。また撮影時に、実際に診療を受けたことがある地元の老婦人が主演女優を見て、本物の先生のようだと落涙していたというエピソードは感動的だった。 劇中では住民の言動が理不尽に見えるところもあったが、昔は出生率も死亡率も高く、病気になれば仕方ないといういわば社会通念と、それでも家族を失いたくない思いの対立が医師への反発に形を変えていたと解される。医師の存在によって“金がないから見殺し”という構図がかえって明瞭になってしまうということもあっただろう。そういう時代にこの映画の医師は、近代的な倫理そのままに“失われても仕方ない命など一つもない”との理念をまともに実践しようと奮闘していたように見えた。劇中では住民に知識が必要という言葉も出ていたが、それだけでなく人の命に関する意識の変化を、時代に先駆けてこの山村に持ち込んだこともこの人物の功績だったのではと想像する。  ところで脱線になるが、幸子役で出ていた上野優華という人は歌手兼女優とのことで、ほんわかして和む顔で他の映画でも見て知っている。自分がこの映画を見たのも、単にこの人が出ているから、という軽い動機だが、劇中では本当の田舎娘にしか見えずに少し呆れた(方言が下手すぎ)。舞台挨拶に来てくれなかったのは残念だが、この人が歌う主題歌のCDも入手したほか原作本も買って読んだので、動機が不純とはいえけっこう上客のはずである。また舞台挨拶では監督の人柄も見えた気がして大変よかった。 自分にとって郷土の映画というものでは全くないが、そういう狭い郷土意識に頼らずとも地味に応援したくなる映画になっていた。   [2017-06-10再視聴による追記(BD購入済)] 主演の平山あやという人はよく知らなかったが、この映画に関していえば目が強い印象を残す。20代半ばの場面ではまだ可愛らしさを残していたが、30代後半になると充足感が顔に出ていたようで、自分としては川原の場面の表情が好きだ。最後の授賞式での晴れやかな姿は見違えるようで、ここはさすが女優さんといったところである。
[映画館(邦画)] 8点(2015-11-16 00:49:03)
52.  軍艦武蔵 《ネタバレ》 
最後に出る「武蔵会慰霊祭」はH2.10.24に開催されたとのことだが、その時点から既に25年が経過しており、登場人物が現時点でどれだけ御存命かと思えばその証言の貴重さが実感される。登場人物は「軍艦武蔵会」の関係者と思われるので、最低限、武蔵乗組だったことに自ら否定的でない人々が取材対象であり、また制作上の一定の作為もあるだろうが、とりあえず映像に出ていることをもとにして書いておく。 (以下敬語は省略)  内容はほとんど関係者へのインタビューで構成されている。竣工後、連合艦隊旗艦になった後にいきなり捷一号作戦に飛んでしまうが、要はレイテ沖海戦の経過と乗組員のその後を中心とした内容になっている。 登場人物はほぼ東日本の出身者のようで、これは乗組員の構成を反映していると想像される。既に引退した人々のほか現役でそれなりの地位にある人物もいたらしく、また容貌や話し方などからは、戦後もそれぞれの人生を着実に重ねて来たことが窺われる。皆さん穏やかに淡々と当時を語っていたが、中に皮肉かつユーモラスな話し方で生死に関わることを語る人物もいたのは不謹慎だが笑ってしまった。 映像で見る限り、登場人物が生き残ったこと自体を引け目に感じている印象はない。死んだ戦友を思って落涙していたのは出撃直前に何らかの理由で退艦した人物だけで、ほかの人々は同じ戦場で同じように戦ってたまたま生死を分けただけ、ということかも知れない。言葉が丁寧で誠実な感じの人物が“海へ放り出されれば鬼”だと語っていたのも、生存をかけたフェアネスの問題と感じられる。 しかし沈没時点で半数を超えていた生存者が、その後の経過の中で激減してしまったのはさすがに悲惨なことで、フィリピンでは陸軍兵に食われかけたという話まで出ていた。海でこそ正々堂々と悔いなく戦った印象のある人々が、こういう場所に放り出されたのはさぞ不本意だっただろうと想像される。  当然ながら戦争を美化するものではなく、実際にもう戦争はしたくないと語る人物もいた。しかし武蔵乗組だったことの矜持が戦後の自分を支えて来たとの発言もあり、それを否定することはできない。個人的には登場人物への敬意が勝る映画になっており、「軍艦武蔵会」の協力目的は十分に達成されていたと思われる。最後に慰霊祭の受付で、「懇親会出られるんでしょ?」と尋ねる言葉が聞かれたのは現代の平穏な日常を感じさせた。
[DVD(邦画)] 8点(2015-10-24 23:46:49)
53.  戦艦大和 《ネタバレ》 
制作時に本物の副長が関わっていたとのことで、艦内の様子などは実際の雰囲気に近いのだろうと想像される。最初に巡検場面が続くのは廊下の長さ(艦の大きさ)を感じるべきなのだろう。ラッタルの上り下りをカメラが追うとか、床のハッチから人が出て来るといった上下移動があるのも軍艦っぽさを出している。艦長が昼飯のタイミングまで考えているのは御苦労様だった。 これを見て意外だったのは、特殊撮影にかなり力の入った映画だったということである。日本では戦時中からミニチュア特撮の実績があったわけではあるが、この時点で(ゴジラの前年)まともに特撮で見せようとする映画があったことは初めて知った。また大したことではないが、出撃場面で中間部を含めた軍艦行進曲の全曲を流していたのは少し感動的だった。ラストも型通り「海行かば」で締めている。  ストーリーに関しては、当然かも知れないが特に政治色は感じられない。また原作ほど難しい印象もなく、登場人物の人間模様を淡々と描くのが中心のように見える。原作にあるエピソードは位置や形を変えながらも結構拾っているが、登場人物としての山添一等水兵は映画独自の存在だったらしい。序盤で主人公(吉村少尉)は、この少年への指導方法が誤りだと臼淵大尉に指摘されていたが、それでも結局は最後まで自己流を通していたようである。大尉の言うように娑婆と軍艦の違いはあるだろうが、成人と年少者の別もあるはずだというのが主人公の考えだったかも知れない。映画全体としては戦時下の軍艦を再現しているようでも、もしかするとこの点だけはささやかに平和な時代の感覚を持ち込もうとしたのかと思ったりもした。  なお真面目な映画に不謹慎なコメントで申し訳ないが、劇中の軍医長が酔っ払い扱いされていたのは笑った。もしかすると西暦2199年のヤマトの佐渡先生は、この映画の軍医長がモデルだったのか(飲んでいたのは洋酒だったが)。
[DVD(邦画)] 8点(2015-10-24 23:46:36)
54.  東京物語 《ネタバレ》 
見る人によって受取り方が違って来る映画らしいが、個人的感覚でいえば、劇中の長男・長女の対応はごく自然に見える。また次男の元妻は、いわば嫁の立場として極めて誠実に対応していたようでご苦労様だった。 この長男をはじめとした子どもらもいずれは両親と同じ立場になり、最後には老夫婦だけが家に取り残されることになるのかも知れない。現代だけでなく、この映画の時代や前近代においても跡継ぎ以外は全員家を出るのが当然だったわけで(劇中の三男もそういう感じ)、昔と今が違うとすれば跡継ぎさえも残らないことだが、それは人情の問題というより家という観念の希薄化である。老いた親を見守るためなら誰か一人が地元に残るだけでも十分であり、劇中の末娘なら適任だったかも知れない。 老夫婦としても、この境遇をまあ幸せだと納得しようとしていたようだが、ほとんどの人間にとってもこのあたりが納得のしどころではないか。次男は別として、生きている子は既にそれぞれの社会的地位や家庭を築いており、自分らの生きた証はちゃんとこの世に残っていく。決して慰めなどではなく、本当に幸せだったではないですか、と自分としてはこの老夫婦に言ってやりたい気がする。 なお次男の元妻に関しては、いくら昔の人とはいえ作り笑いが過ぎるのではと思いながら見ていたが、最後になって本音を言ってもらえたのはよかった。  ところで末娘は可愛らしく見えるので女学生かと思ったら教員とのことで、道で会った児童は頭を下げて挨拶し、教室での様子を見てもきりっとした立派な先生である。しかし社会的にはそういう立場でありながら、兄から見れば子ども扱いなのか大事な家族会議にも入れてもらえず、また姉からは小間使いのように使われていた。古い家族観が崩壊すればこういう理不尽な扱いもなくなるのかも知れない。
[DVD(邦画)] 8点(2015-08-03 23:58:11)
55.  旅立ちの島唄 ~十五の春~ 《ネタバレ》 
冒頭の空撮を見ると同心円状の樹林帯が目につくが、これは島の地形に対応してこのように形成されたものだろう。人の居住の歴史は浅い島のようで(「島4800万年/人100年」)、八丈島からの移住が最初というのは初めて知った。撮影は4月とのことだが、劇中では夏休み(那覇での公演)、豊年祭(9/22~23)、正月行事、サトウキビの収穫(と黒糖の初物?)といったポイントを押さえて季節の変化を表現していたようである。 登場人物には現地協力者も多いらしく、東京から役者が押しかけて来たような浮ついた感じはないが、主人公だけはひときわ美形で長身のためものすごく見栄えがする。劇中では卒業コンサートの場面のほかに、父親が主人公の昔の写真?と現在の凛々しい姿を見比べて、感無量のままで去っていく姿が印象的だった。  ところで進学を機に若年者が転出していくのは地方共通の問題だが、高校を持たない離島にとってはさらに切実なことだろう。主人公が最後までよりよい道を探りながらも結局実を結ばず、一人残される父親を思う気持ちは切ないものがある(高校の面接官が無神経で苦笑する…受験生を泣かすな!)。 しかし父親にしてみれば、いかに寂しげに見られようとも娘にはまず自分のことを考えろと言うはずだ。距離が遠くなるほど気持ちも離れ、いずれは主人公も島外に居場所を定める日が来るのかも知れないが、それでも父親としては子どもらの心が帰属する場所を維持しておく責任がある。それが去りゆく世代の最後の務めであって、自分はそれでいいのだと考えているに違いない。 ただ兄や姉は別としても、主人公に関してだけは、いつまでも心の一端を島につなぎ止めておこうとする誠実さを持ち続けるのではとも思う。文通だけで終わった(終わりにした)彼氏は忘れてしまってそれまでだが、親子の関係だけは一生切れないのだろう。  なお余談だが、民謡グループの次のリーダーは泣き虫らしいので笑ってしまう。船が島を離れる場面では、みなが笑って手を振っているのにこの人だけは始終涙を拭いていた。来年は自分なのだから頑張れよという話だろうが、逆にいえば主人公はまだしも最初からしっかりしていたということである。たった15歳で生地を離れるのは過酷なようでもあるが、しかし巣立ちの時期としてそれが正しくないともいえず、本島・本土の方が甘やかされているだけなのかも知れない。
[DVD(邦画)] 8点(2015-07-20 12:22:02)(良:1票)
56.  アイランドタイムズ<OV> 《ネタバレ》 
いまや一児の母となった仲里依紗嬢が、可憐で愛らしい少女役をやっている。この少女が最初は内気に見せておきながら、ブチ切れてからは本領発揮してバカ少年を圧倒していくのは小気味いい。台詞の中では「もっと言っちゃえば」という強引なつなぎ方がすごくよかったが、それでもバカ少年が煮え切らないのをちゃんと待っていてくれたのがまた嬉しい。あまり好意的にして母親の代替にされるのはまずいだろうが、そこは賢く立ち回るものと思われる。 一方の少年は、誠実なことは間違いないようだがバカなのも間違いなく、賢ぶって受け売りの台詞を言ったところが鼻で笑われたなどというのは非常に恥ずかしい。「愛とは与え合うもの」という言葉を聞いたことがあるか不明だが、現に自分が相手に与えていることに気づいてないようなのは自分の外に意識が広がってない証拠である。あまりにバカなため最後は完全に少女にリードされてしまっていたが、それだけに男子にとっては著しく都合のいいラブストーリーになっており、そういったところを期待して見ることが望まれる。  ところで、かつて少年の父は島を出て行ったきり帰って来なかったとの話だが、そもそも少ない島内人口の結構な割合が一時的に住んでいるだけの人らしく(教員など)、人はいずれ去るものという諦観のようなものを彼も感じていたらしい。その自分も島を離れる選択肢しかないと思っていたが、思わぬ事件で一時攪乱された後に、改めて当面の正しい道を選択し直したようである(半強制だが)。 出ていくだけでは人が減る一方になるが、出る者に必ず帰れと言える保障があるわけでもなく、その後どうなるかは人によるというしかない。自分の根っこを島に残しながらもとにかく広い世界に出てみようというのは、現に島に住む大人の多くもかつて辿った道かと思われるが(例えば役場職員、あるいは親友も)、記者志望の少年に関しては、これからずっと島から皆が(母親を含め)声援を送り続けるのだろうと想像する。  なお余談だが、自分としてはずっと前から青ヶ島村が日本最小の村だということを知っていて、行きたいが行けない憧れの地のように思っていたため、この映画で島の各地の景観や各種施設・設備が映り、時刻も天気もいろいろな島の姿が見られるのは非常に嬉しい。現地を知っていればありえないと思う場所設定もなくはないかも知れないが、そこはあまり突っ込まない。
[DVD(邦画)] 8点(2015-07-20 12:21:58)
57.  郡上一揆 《ネタバレ》 
岐阜県のご当地映画であり、「行こまいか」「だちかんで」「あらけない」といった方言の使用が印象的かつ適度である。また美形の若手女優にお歯黒をさせるといったリアリティ重視の姿勢も見える。 お手軽な映画として作ろうとしたのなら、支配者は全て悪人、被支配者は全て善人にして対立構造を明確にするだろうが、この映画では被支配者の内部にまた身分差があり(「水呑は黙ってろ」という台詞もあった)、その上「立ちもん」「寝もん」の対立もあって全く一枚岩ではない。そのような史実を忠実に描写しようとする姿勢には非常に好感が持てる。 ちなみに検見取りの意味に関しては、役人の匙加減が利くという面もあるだろうが、それより終盤で町奉行が「切添田畑これあり…」と言っていたように、これまで農家が苦労して拡大してきた農地を新たに課税対象にすることへの反発が強かったと思われる。  ところで宣伝文句では「歴史は民が動かす」ことを強調していたが、しかし民衆にせよ支配層にせよ、その時々の経済社会動向を背景にしなければどんな動きも成功しないだろうと思われる。この映画の農民が歴史を動かしたというよりも、世の中の流れの先頭を切って動いたことで、それを契機に幕府も動いたというくらいの見方が妥当なのではないか。 それより個人的にこの映画から感じた最大のことは、どんな時代でもどんなところにも“義の心”を持った人がいるということだった。現代なら“義”などというと中高年からは毛嫌いまたは冷笑されるのだろうが、自分を犠牲にしても多くの人のために行動すること自体が否定されていいはずもない。当時の民衆運動では主導者が本当に生命を失う覚悟が必要だったのは現代と明らかに事情が違うのであり、地元でもこの人々を「義民」と表現していたようだが、自分としてもまずはそういった人々を顕彰する映画と捉えたい。 もっとも、主人公の可愛い奥さんの顔など見ていると、何もこの男がそこまでしなくてもという気になって、その立派な志を手放しで賞賛するのもつらくなるというのが正直なところである。  以上、世間ではあまり面白くない映画と取られているようだが、制作に協力した地元の人々への敬意も含め、自分としては最大限の好意的な評価をしておきたい。 なお余談として、劇中で何気にうちの地元の殿様(のご先祖)が出ていたが、特に悪役ではなかったようで幸いだった。
[DVD(邦画)] 8点(2015-05-05 00:09:19)
58.  幸福のスイッチ 《ネタバレ》 
自己実現のために仕事をして、それで金をもらって当然と思うのは人間社会の道理に反している。芸術家なら結果責任を甘受する前提で勝手に何をやっても構わないが、イラストレーターというならその言葉自体にクライアントの意向重視ということが含まれているはずである。業務上の自由な発想が奨励されるとしても、それはあくまで本来の業務目的や組織目的に沿った効果を挙げるためであって、自由な発想の権利自体が保証されているわけでは全くない。劇中で、これに関する勘違いを若いうちに正したのは大変結構なことだった。 これからの時代、劇中の電器店の商法で個人営業が続けられる保証もないわけだが、しかし顧客第一ということ自体は永遠の真理だろうし、そのエッセンスの部分が次代に伝えられたのはよかったかと思われる。   また登場人物に関しては、主人公が当初ガチガチに固めていた攻撃的姿勢が後半に至ると崩壊してしまい、それまでは完璧に可愛くなかったのが可笑しく見えるようにもなる。一方でその妹もただ可愛いばかりではなく、ドライだったり強硬派になったりするのが見えて来て相対関係も崩れていく。その中で母親似の姉だけは、安定的に母性を発揮しながら妹2人を見守る立場ということか。 劇中の浮気事件の結末を見ていると、疑惑の相手とこの姉が暗黙の連携でうまく言いくるめたようでもあるが、しかしこれはこれでオトナの納得のしどころというのも間違いないことである。実際に姉は笑って完全に疑念を解いていたし、また主人公と妹も、最終的にはこれに同調したことで人格レベルを一段上げたと思われる。さらに、主人公の父親に対するわだかまりの根本原因がこれで解消されたのだろうと想像され、最後は穏やかに家族関係が再編されたらしいのは幸いなことだった。   そのほか全般的に、劇中の事物の取扱いが細やかでユーモラスな映画になっている。手紙の文面や電気を止められた時の顔など見ていると、妹の個性がより深く感じられて面白い。また友人の息子の動きとか、ラストで来店した子どもの表情とかも可笑しく、農家の親爺がくしゃみのあとに悪態をついただけのことでも笑ってしまう。モチがかわいいというのは男の感性ではない気がするが、何が言いたいかは映像的にちゃんと表現されている。 これに加えて、何気ない小さな音が人の心を豊かにするというのも少し心に染みる話だった。
[DVD(邦画)] 8点(2015-03-31 00:23:36)
59.  人狼ゲーム 《ネタバレ》 
[2017-10-29再視聴による改訂] 現時点で6作まで続いているシリーズの第1作である。改めて見ると特徴が見える気もする。 そもそもこういうゲームを小説化なり映画化して本物の人間が死ぬ物語を作ったからには、良識人が眉を顰めるタイプの創作物になっているのは間違いない。台詞にあった「アリとクモを戦わせて遊んでる」ガキ向けのような企画だが、しかしそういう枠組みを逆用して、見事にヒューマニスティックなドラマを作ったのは大人の仕事である。  主人公は最初の事件のせいもあって現実に適応できないままで経過するが、後半に入って親友の幻影を見たことでやっと覚悟が決まったらしい。このこと自体は前進ではあるが、ただ本人の話を聞くと理屈先行で少し行き過ぎたところがあったようで、そこを補正して妥当な見解に落ち着かせたのが新しい友人(恋人)の男だったように見える。これまでずっと主人公を助けてくれていたという親友の役割を、この男が引き継いだというのは台詞にもあったとおりである。 誰も殺さない+自分も死にたくない、というのが許されない状況で、自己保全のための利己主義が正当化されるのは当然だろうが、しかし自分のことしか考えないのが当然ということにもならない。この物語では、利己主義を超えたところにある人間の情(姉妹愛と恋愛感情?)が計2人を生き延びさせたのであり、逆にこの2人が死者の思いを背負う形で、これから生き抜いていく務めを課せられたのだと思われる。男が最後に人としての矜持を見せたのもよかった。 ちなみに映画を見ていて主人公を腹立たしく思った観客も、本当にこの状況になれば主人公と同じになる可能性があり、それは劇中出ていた戦争の話のとおりと思われる。そういうレベルから初めることで、普通人がこの手の話に感じる心理的抵抗に一定の整理をつけたことにより、以降の続編を見るための基盤が整備されたという意義づけもできなくはない。まあ純粋にこのゲームの愛好者とか、単純に人殺しの映画を好む向きには満足できないだろうが。  なおこのシリーズは現在も若手役者の熱演で知られているが、この第1作では後に残る役ほど感情の爆発を強いられる構造だったようである。井上姉妹のこのみちゃんが主人公を殴り返す場面は毎度少し驚く。 また藤木毅役の入江甚儀という役者は、自分としては最初にこの映画で見たのが原因で今も悪人イメージが残っているが(この男が「ヤクザ」扱いされていたのは笑った)、しかし改めて見たところ、粗暴なように見えてちゃんと思慮もあり人情もあることがわかってこの人物を見直した。後のシリーズに出る一部の連中よりよほどまともである。 ほか細かいことだが誕生日という趣向は悪くない(少し切ない)。月を映して人物を見せないのは奥ゆかしい。
[DVD(邦画)] 8点(2015-02-16 23:23:24)
60.  飛べ!ダコタ 《ネタバレ》 
まず終盤の村長の言葉は、印象的ではあるが微妙である。軍部の起こした戦争だった(国民は無責任)というのは現在も国民的常識であるから、ここであえて国民側の責任を指摘してみせた度胸は買う。しかし続いての“次の戦争を止める”との発言を聞けば、結局“誰か(要は国)が戦争を起こそうとしているので国民は止めなければ”といった昔ながらの脅威論のようで鼻白む。 当時はともかく、現実に有権者の投票行動が国の方向性を左右している(実際にした)現代においてこそ、民主主義の制度を通じた国民の主体性と責任感の発揮が求められており、その中で、今後の戦争の抑止に向けた現実的な努力も期待されることになる。そういった意図なら賞賛するが、そうでなければせっかくの感動作に古風な政治的メッセージなど込めるのは歓迎できない。むしろ劇中の経過を素直に受けた形で、広い民間交流が世界平和の礎を築くのだ、という素朴な文脈で語ってもらいたかったというのが率直な感想である。   ところで、劇中で変な親爺が日露戦争時の歌(「広瀬中佐」)を歌った後で「昔の同盟国」と言っていたのは、近視眼的な敵味方の区別をあざやかに無化してみせていて説得力があった。これはどちらかというと建前論の部類だろうが、その後の母子の情愛や歌の場面を見ていると、いわゆる諸国民の融和というような内容が、庶民(イギリス側を含む)の自然な感情に根差した形で表現されていて心に染みるものがある。 また登場人物では、その辺のオカアサンのように出ていた2人がユーモラスで、結構ブラックな軽口をたたいておいて結局笑いに巻き込んでしまうのが可笑しく、これはある種庶民のたくましさの表現だろうかという気がした。方言のため何を言っているかわからない場面とか、背中の叩き方など見てもこれは本当に地元の人かと思ってしまうが、こうした住民の姿が役者の力で映像化されているのは嬉しくなる。 そのほか、冬の日本海の風景は寒々としているが美しい。全国的観点からは“裏日本”などただ陰鬱なばかりと思われているかも知れないが、そこにはちゃんと四季もあり、ちゃんと人間が住んでいて喜怒哀楽も人の情もある。自分は佐渡と直接の関係はないが、同じく日本海沿岸の四季と人を知る者として、佐渡の皆さんの幅広い協賛と参加で作り上げたこの映画を(前記の苦情を除き)ほぼ全面的に支持したい。これは見てよかった。
[DVD(邦画)] 8点(2015-01-24 17:47:36)(良:1票)
0110.88%
1272.17%
2614.90%
3987.88%
418014.47%
532526.13%
628522.91%
717814.31%
8614.90%
9171.37%
1010.08%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS