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61.  尋問
スターリン主義下のポーランドの話。だらしなかった女が尋問で鍛えられて英雄になっていくってのが本筋。「英雄ってのは思想があるもんなんだぞ」ってのに対抗して、「誰をも裏切るまい、嘘はつくまい」ということを足がかりにして、思想のない英雄になっていく。彼女も立派だが、私はこの尋問者のほうが面白かった。社会主義の理想に燃えてるんです。はっきりとは語られてないけど、本人か身内かがナチにひどい目にあわされているらしい。だから本気で西側に負けないような清潔な社会主義国家を建設したいと思ってるんだな。だからこういう自堕落な女が許せないんだ。二人とも卑屈さがないの。それでそのガチンコ衝突が見ものなわけ。同室の眼鏡の女も怖かったなあ。理不尽な理由で入れられてるんだけど、国を建設する厳しい時代には犠牲も必要なんだと割り切ってる共産党員。いそうな気がする。ただこんな厄介な人物はもっとあっさり処分されちゃうんじゃないか、って気もしたが。 監督リシャルト・ブガイスキ。
[映画館(字幕)] 7点(2013-10-25 10:22:02)
62.  王と鳥
かんじんのやぶにらみの暴君は、けっこう最初のほうでいなくなってしまう。いろんな象徴がありましょう。扇動者としての鳥も、クリアな善のイメージだけではない。時報を告げる犀ってのは、どこから来るイメージなんだろう。もしかしてフランス語なりフランスの諺なりだけで分かるシャレかなんかなのか。アニメっていうと最近はとかくスピード感を出せるのを得意とする世界となっているが、これはゆったり動いてて、いい。落とし穴を避けようとピョンピョンするあたりのスピード感がそれで生きる。巨人の胸で奏される結婚行進曲のグロテスクなアレンジ。下層市街の冥府のような感じ。解放される猛獣たち、人の解放の喜びはそれほど強調されない。
[DVD(字幕)] 7点(2013-09-27 09:25:15)
63.  チ・ン・ピ・ラ(1984)
ラストの白服の船長さんの嘘っぽさ・いかにも取ってつけた感じが柴田君の幻影のようでもあって、それほどキズとは思えない(寺山修司の映画によく出てくる海軍軍人を連想したので、より幻想っぽく思ったのか)。三十男の焦りという中心テーマの侘しさがいい。じゃれ合うチンピラのままでいたいけど、やくざの成熟社会(親分子分のキッチリした関係)に追い詰められてもいるわけで、ヤーさんの“制服”への嫌悪感もある。で、すぐデパートの屋上へ行ってしまう。アマチュアなんだな、もうしばらくアマチュアで居続けたい。親分と一緒にメロンに手が伸びちゃうなんてスケッチもよかったな。サインペンで刺青に色を入れる、これがラストで生きてくるんだ。
[映画館(邦画)] 7点(2013-09-05 13:29:18)
64.  伽倻子のために
グイグイ横向きに力が加わる作品ではなく、静かにゆっくり沈澱していく下向きの力がかかった映画。物語を語るというより、主人公の記憶があちこちから湧いてくる感じ。さして重要ではないかもしれない幼稚園のバザーのシーンも、記憶を通過した懐かしさがあるのでキラリと光る。地べたに置かれたものの影、不意に鳴り響くオルガン。そして水漏れ調査のシーン。静けさと響きと。ずっと向こうの道が左手に折れてるあたりの板塀がテラッと光ってる。行く末は明るいなんて象徴じゃなく、どちらかと言うと侘しさがあって、暗闇に置かれた金屏風のよう。あれが利いてて、なんとも切ない。全体に白くなろう白くなろうという意志が感じられ、タイトルからそうだった。記憶がなかった時間を懐かしんでいるのか、憧れているのか。白い霧、白い朝鮮服。この白の反対がドローンとした夕陽。別に朝鮮と日本じゃないけど。
[映画館(邦画)] 7点(2013-09-01 09:18:23)
65.  メトロポリス(1984)
群衆への不信が根強くある監督で、そっちのほうが資本家対労働者の図式より奥にある。偽のマリアに興奮させられていくくだりなど、おっかない。ロボットが資本家の言いなりになって、なんとなく話の輪郭が掴めた気分になったところで、ロボットが言うことをきかなくなり、破壊そのものの楽しさへ走っていく。それまでのところはナチズムを予見したというレベルだが、こうなると、兵器が人間の理性の範囲を超えてズンズン進化していってしまっている現代(1985年3月にロードショーで見た)の恐怖そのものに迫っている。1920年代に、もうここまで予見していた我々人類を自慢していいのか、それを知っていながら愚行を重ねた20世紀史にションボリすべきなのか。ロック音楽をかぶせたバージョンで、労働者たちが首うなだれて行進してるとこなんか、独自の効果があった。ソ連映画じゃないので労働者がすべて前向きなわけではなく、使いの役を忘れてヨシワラに行っちゃったりするのも、苦くてよろしい。
[映画館(字幕)] 7点(2013-08-26 09:33:53)
66.  おはん
幸吉君にとってはすべてが「ひとごと」なの。ミヤコ蝶々に「変な関係だんな」って言われた後に「そうやろなあ」と感想を呟く。何事も主体的に選ばず、ずるずると生きてる。息子の死のときだけ、人生の現場に引きずり出されてしまった。そういう男だから、大工の棟梁みたいな職人気質の世界の人物の世界から見ると、軽蔑される。でも女には(ミヤコ蝶々を含め)けっこうかわいがられる。そういう上方の伝統的な男。おはんという女は、けっきょくよく分からないんだけど、おそらくもっと野暮ったい感じなんじゃないのか、それを吉永小百合がやるとこに面白味があったのかも知れない。駅での不気味な微笑の一瞬のために彼女を起用したのかも。どうしようもなく愚図な女が、その愚図に徹することで輝き出してくる、そういう話と思った。おかよのほうは分かりやすい。こちらも上方の伝統に則った勝気な女。おはんの再登場シーンの細かいカットの連続、幸吉の意識にハッハッと入ってくるよう。
[映画館(邦画)] 7点(2013-08-10 09:28:58)
67.  バイオレント・サタデー
ジョン・ハートの気持ち悪さがいい。決して薄ら笑いでなく、ニコニコする微笑で不気味さを出せる人。ウィークエンド・パーティ、離れた部屋の画面に不意に映ってしゃべりだす不気味さ、しかも消えなくなっちゃって天気予報のまねをするギャグつき。プールでのささいな喧嘩、夜のテレビでのスイス風景、など緊迫は高まっていって、それを見ているJ・ハート。怪物だ、とか言うんだけど、そのときゆっさゆっさ体を動かして、おどけて怪物のまねをするんだよね、気持ち悪い。レーザーガンで食堂こなごなのスローモーションのペキンパー印。ビデオ見詰め続ける男の不気味さは、現代の不気味さ一般に通じるものがあります。
[映画館(字幕)] 7点(2013-08-01 09:34:15)(良:1票)
68.  お葬式
日常が演劇的空間になってしまうおかしさ、がときどき現われる。悔やみの言葉(せりふ)からしきたり(しぐさ)まで、手本に何とか習って演じ終えてしまおうという気持ち。ビデオで練習したり、みな一生懸命演じ終えようとする。猫八など役者が適材適所で、ゲートボール仲間なんか貫禄。藤原釜足(隣室の暗闇にじっとしていた)。わっと泣き伏すと勝手のほうからどれどれと(うきうきと)見に来る感じがいい。霊柩車登場のものものしさと疾走感。一つ一つは面白いんだけど、ディテールの足し算以上のものにはならなかったような。日常が演劇的空間にあらたまってしまう面白さにもっと執着してくれたほうが好みだった。
[映画館(邦画)] 7点(2013-07-09 09:00:16)
69.  デストラップ/死の罠
どんでん返しの瞬間ってのは、独特の爽やかさがある。いままでのストーリーが、新鮮に更新されるっていうか。映画の観客を引っ掛けるための偽の伏線ぽいシーンもあり、油断は出来ない。雷鳴の中で一瞬浮かぶ女性の姿にドキドキさせられたのも、それ? 実際の舞台だったらもっと面白かったろうというところもあるが(舞台の設定を朗読する)、電話をかけながらカメラの周りをグルグル回る映画ならではの迷宮感みたいなものもある。「世間は露出を好むんだ」なんてせりふ原作のものなんだろうが、『ネットワーク』の監督のものと思っても納得いくな。M・ケインがこそこそと室内を走り回る図が、おかしかったです。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-24 10:03:47)
70.  48時間
題名のリミットはそれほど緊張感を出してるわけではなかったが、いくつかのシーンのイキのよさがアメリカ映画。いくつか列挙してみましょうか。冒頭の脱走のテンポ、囚人の一人が始終道の果てを見詰めている。地下鉄での取引のシーンの緊迫。通行人の効果ね。三年間の埃をかぶっている車。中華街の漢字のネオンの妖しさ。刑事が拳銃を両手で絞るように持つリアルさは、中年刑事に合ってもいる。あるいは警察署内の長回し。慌ただしさがそっくり表現される。白人の店の黒人と黒人の店の白人の対照の妙。小者の感じで笑いをもっぱらとるんだけど、わざとらしさがない。小者だけど卑屈ではない。一寸の虫にも五分の魂、の線。こういうところがアメリカ映画のいいところだ。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-17 10:19:05)
71.  ディーバ
全体は青。稀薄な澄明な空気に満たされてる感じ。ベトナム少女がローラースケートで光の中を横切りつつ滑る部屋なんかね。ほとんどのカットで何らかの動きが続いており、近寄っていったり、横移動したり、回り込んだり、迷宮感というか、不思議な世界を作っていく。決して人間を描かない。生臭さを異常に怖れている。監督を含む、現代都市生活者の心象風景なんでしょうか。社会心理学で解説しようなんて押し付けがましさがないのがいい。ただ淡々と自分の世界を描いていったという感じ。それで感動したかっていうと、物足りなさのほうが先に来てしまったのが映画の難しいところ。廃工場の取引のシーンなんかはドキドキした。わけもなく人形の楽隊が置いてあったりして。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-01 09:38:37)
72.  ガープの世界 《ネタバレ》 
もっとハチャメチャにやればもっと笑えるのに、と思わせながら、それが出来ないのが現代なんだなあ、とすぐに言い訳の理屈が出来てしまうのが、本作の利点。現実のほうがそれだけハチャメチャになってるからだとも言えるし、なかなか自分の「病気」を笑い飛ばすことは難しいとも言える。いわば現代の診断報告。テロが3回、性転換あり、少女強姦あり、夫婦の乱れあり、そういう時代。一度飛行機が落ちた家にはもう落ちない、という考え方にすがって何とかしのいでいる。一つ一つの災難をすごろくのマス目と思って歩いていくしかない。暴走車を二度出しておいて、けっきょく自分の車で子どもを殺してしまう皮肉。笑えるのだけど、笑っていいのか、という後ろめたさがつきまとう笑いで、とにかくそういう煮え切らない・はっきり出来ない時代だということははっきり分かった。老成しているような・幼稚なような主人公にふさわしい。少年のときの夢をラストで成就させるまで、とことん皮肉。当時メアリー・ベス・ハートは美しく、現在ポール・マッカートニーは64歳を越えている。
[映画館(字幕)] 7点(2013-05-29 09:55:24)
73.  アマデウス
舞台だと日本人が日本語であちらの芝居をやってても気にならないのに、映画だと同じ西洋人がやってるのにヨーロッパ言語であるべきところが英語だと気になってしまうことがある(気にならないときもあるんだ)。フィルムの記録性に対する信頼がどこかに残ってるのかなあ。本作のモーツァルトやコンスタンツェのしぐさや口跡なんか、意図してアメリカ風にしてたんじゃないか(『ヘアー』のヒッピー?)。現代アメリカとの対比みたいな狙い。亡命者の視線がどうしても出てしまい、それが作品をややしぼめていた気がする。「神の悪意」というテーマだけで面白いんだから。サリエリを少年時代から回顧したのは良く、モーツァルトの楽譜を見たときのショックが生きた。面白かったところ。医師がアイネクライネをサリエリの作曲かと思ってホッとして口ずさむとこ。空中ブランコや馬が壁破って出てくる「ドン・ジョバンニ」の舞台。俗と聖の関係を一番単純にやってたのは、義母ががみがみ怒鳴ってるのが「魔笛」の夜の女王のアリアになっていくところ。精神病院好きの監督だ。今回は神による拘禁からの自由ということか。
[映画館(字幕)] 7点(2013-05-10 09:57:46)
74.  ライトスタッフ
科学の先端での「職人気質」を賞揚する。人間臭さの連帯感みたいなこと。最後のドンチャン騒ぎのバーベキューパーティで最も優れたパイロットの名を言いかけて、あとはマスコミ向けのジョークに変えてしまう。副大統領に会わないグレン夫人をめぐるゴタゴタで一致団結する。この「誇り高い職人たち」を、夫人たち女の理論がさらに対象化して笑えればもっと良かったんだけど。室内がやたら暗いのは、青空の勇気の世界と対照させているのか。瑣末なエピソードの堆積こそが歴史である、という考え方。出来事を全体で捉えようとする。宇宙ものはSFと決まっていたのに、本作あたりから「歴史」になった。へー、これアカデミー作曲賞とってんのか。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲もどきで、宇宙に出ると「惑星」の火星や木星が鳴って、かなり安易と思ったが。
[映画館(字幕)] 7点(2013-04-30 09:27:28)
75.  愛に関する短いフィルム
愛というよりも、恋うこと。窓と窓との距離を往復する互いの関心。限度を越えて関心を持ってしまうこと。見てるだけじゃなく、電話機を通して関わる。見てるだけじゃ我慢できなくて、自分を隠したまま、自分が彼女に作用しているところを見たがる(まるで『裏窓』だね)。次に慰めたくなり、ともう隠れていられないから、出てっちゃう。女のほうは「見せる」のね。ベッドを動かして。そうやって関わりあったものの、「キスしたいの? 寝たいの?」に答えられない青年。だって彼の頭にあるのは「関心」なのであって、一緒にアイスクリーム食べられりゃそれでいい。愛とは覗き合うことなのか、窓と窓との距離がないと、愛は生まれないのか。
[映画館(字幕)] 7点(2013-04-21 09:48:58)
76.  男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 《ネタバレ》 
夢で肉親が死に絶えているのが不気味。その悪夢に対する配慮か、珍しく寅がサクラたちと一緒にいるラストになるが、これはこれで悪夢。セッタの半分を熊に食いちぎられて気を失っている寅をみなが担いで運んでいるのを上空から撮り、上昇してパンして終わるってんだから異様でしょ。こういうヘンなトーンの作品を時々入れとくのも、シリーズものを長持ちさせる上で大事と思われ、本作はその「ヘン」を味わう一編。娘の結納で「これでこの界隈に独り者はいなくなった」と社長が言ってしまってからハッとなり、すかさずオバチャンが「寅ちゃん」と叫んで、ああいつものデンで店先に寅がムッと立ってるんだなと思わせといて、実は小包の配達というズラシ(商売ものの地球儀のプレゼント)。こういうマンネリの部分でフェイントをかますのも、シリーズものならではの工夫だ。カタギの登が懐かしかった。大河小説にあるような、忘れかけていた人物再登場の味わい。あと本作では佐藤B作との絡みの場が楽しく、『黄色いハンカチ』みたいな役を、健さんとまったく逆の男に演じさせてみたおかしさ。トニーの宿のうらぶれた感じは、たとえばリリーの下宿などを思い出させ、こういうところ手を抜かない。
[映画館(邦画)] 7点(2013-04-13 09:59:17)(良:2票)
77.  パッション・ベアトリス 《ネタバレ》 
まだ食事でフォークを使わない、バリバリと肉を手づかみで食べる。そういう時代の、家を巡る悲劇。娘ベアトリスは、父が帰ってくるので初めて頬紅をつける。家長の役を降りて、ただの娘に戻れるという安堵感。しかし父は昔の父ならず、すさんじゃってるの。「わしより後まで食べるな!」 この食事のシーンは、カメラがあっちこっちと回って、父の変貌を観察してるよう。そして、この父は家長の器ではない、となる。高い理想に輝く完全無欠の「家長」のイメージが、この家を圧迫していく。ベアトリスの頬紅は落ちていく。一つの家に複数の家長。悲劇の設定が整った。そして物語の果てに家長はベアトリス一人になれるのだが、その家は何と荒涼とした場所になってしまったことか。マリア像に頬紅をつけるように、父の血をなすりつける。前作がジャズ映画『ラウンド・ミッドナイト』(デクスター・ゴードンのたたずまいが絶品)だった監督、本作では音楽がロン・カーターだが、印象に残っていない。ごめん。
[映画館(字幕)] 7点(2013-04-12 10:09:09)
78.  さらば箱舟
黄色の鮮やかさ。全体のくすんだ色調の中で、ハッと目を引く。黄色とは、そもそも「黄昏」とか「黄泉の国」とか、日本では時間の終わりや死のイメージを含んで、淀んだドローンとした雰囲気を帯びがちなのに、この作品での死=黄色い花びらは、実に鮮やかなんだ。死者が明確に存在するのと同じ。監督の当時の心境の表われか。逃げつつ戻ってしまうというのは彼の生涯のモチーフで、共同体への愛憎が感じられる。記憶喪失のエピソードが一番いい。忘れてしまうことへの恐れがあり、忘れられてしまうことへの恐れもあり、その不安の中でかぼそく睦みあっているのが、なんと愛なんだな。今まで北方志向だったのが南方に向き、装飾性も控え目で、神話的なメロドラマを強調し、異質の手触りとなった。病をおして撮った映画ということで、とかく「遺言」的な見方をされたものだったが、監督はさらなる新境地を目指していたのかも知れない。
[映画館(邦画)] 7点(2013-04-10 10:02:35)
79.  ハッカリの季節
ギュネイの『路』がカンヌでグランプリ獲ったり、本作がベルリンで銀熊賞獲ったり、トルコ映画に注目が集まっていた80年代初め、しかし私は、トルコってあんな雪山がある国なのか、と驚くぐらい認識不足だった。今から思うとどうもクルド人問題が絡んでいたようで、舞台は南東のイラクと近いあたり。イラク戦争前は注目もされない地域だった。そこへ赴任してきた先生の話。歩いてくる主人公から映画は始まる。細かなスケッチを描きつつ、笑いながらタバコをふかす子どもを中心にした村人たちの、ヨソモノへの悪意とまでは至らない距離感がじんわり滲んでくる優れた導入。先生は、流刑と言うほどではないが、何かの処罰か、何かの注意人物のような扱いがほの見える。イスタンブールの放送が聞けるか、とラジオをめぐる会話があるのも、単に文化的生活への憧れなのか、あちらの人にとってはピンと来る政治的な何かがあるのか(地理的にはイスタンブールと正反対の地域だ)。映画が優れているのは、とにかくまず村人の生き方を記録しよう、という姿勢が見られること。なにしろここは「山が、自分を見てくれるものがいないと神に孤独を訴えた」という土地なのだ。自然と協調した生活、などというノンキなものではない。遊牧民が冬だけ過ごす定住地なのらしい。そこで孤独な山と孤独な村が、ひっそりと見詰め合っている図が、ひどく神々しい。こういう映画だと、教師が文明の伝道者となってやがて開けていくだろう、という方向へ持っていくか、共同体側に立って、どうだ厳しい環境での我々の生きざまを見よ、と自慢するか、そのどっちかだったが、「こういう土地がある」という厳とした現実を突きつけることに映画は集中する。おそらくそれが正しい。問題意識とは、その後に生まれてくるのを待つべきなんだろう。主人公がランプを弱めるとそれに見合って室内が暗くなる。その当たり前の記録性が、臨場感を高める。ランプが弱まったことをよく見せるために室内を明るくしといてはいけないんだ。エルデン・キラル監督。
[映画館(字幕)] 7点(2013-04-08 09:44:26)
80.  麻雀放浪記
落語の「黄金餅」や「らくだ」を思わせる壮絶なブラックユーモアのラストで、思わず点を上げちゃう。それまで欠点と思っていたところを、ヨシッと思い返させてしまう。カタギの人が出てこないこと。真っ当な人々と対照させないと、彼らの異様さが浮き立たないのでは、と思っていたのが、その普通でない人たちだけを煮詰めることで、絶対的な狂気というか、麻雀に憑かれた人たちの地獄を(普通の人とは比べることの出来ない)見せてくれた。登場人物たちのストーリーが同時進行しないで、前半真田君、後半しのぶ嬢と分かれてしまっていることも、ラストの大勝負を盛り上げることと思えぬこともない。群像ものとして。ホント、映画は終わりよければ印象強い。麻雀勝負の周りをカメラはグルグル回るし、家の権利書も回る。高品格に風格。
[映画館(邦画)] 7点(2013-04-05 09:35:51)
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