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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2593
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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781.  スター・トレック/イントゥ・ダークネス 《ネタバレ》 
過去のシリーズ作をまったく観ていなかった僕を「ちょっと“トレッキー”の入り口に立ってみようかな」と思わせた2009年の前作の出来映えは、娯楽映画としても、SF映画としても素晴らしかった。 その新シリーズの満を持しての続編に対しては、ブロックバスター映画の公開が重なる今夏においても随一の「期待」をしていた。ためらうことなく、無い袖を振ってIMAX3D版で鑑賞。  後進惑星でのミッションを描いたプロローグから映像的な迫力は、当然の如く抜群で、序盤から予定通りの高揚感に包まれた。 が、しかし、結論から言ってしまえば、その後のメインの展開に、高揚感を更に加速させる爆発力が残念ながら備わっていなかった。  各種イントロダクションに主人公以上の露出で登場していたベネディクト・カンバーバッチ演じる悪役が、想定通りに登場し、殆ど想定通りの悪役ぶりを披露する。 英国BBCのテレビドラマ「SHERLOCK」のファンなので、カンバーバッチの抜擢は嬉しく、存在感のあるパフォーマンスをしてはいたが、如何せんキャラクター造形が凡庸過ぎた。 対峙する主人公はじめエンタープライズ号の面々の活躍も、極めて予定調和に終始し、アッと驚くことがまるでなかった。  ストーリーがベタであっても、描き方によって目新しい娯楽性に導き出すことはいくらでも可能だと思うし、特にこの製作スタッフであれば実現できたはずだけれど、前作に対してあまりに手際が悪く、“工夫”のないストーリー展開が残念。  ストーリーの稚拙さが目立つと、画的な見せ場の印象も極めて低くなってくる。 各アクションシーンの見せ方にしても、宇宙船をはじめとするギミックにしても、どうも目新しさがなかったように思える。 偉大なスペースオペラシリーズの一作として、ラストのバトルが地球上での“追いかけっこ”からの“殴り合い”では、どうしたってアガらない。  ハードルを上げ過ぎてしまっていた部分は確かにあり、これだけ酷評寄りのコメントを並べた上でも、充分なクオリティーを備えたエンターテイメント大作であることは間違いないと思うけれど、前作以上の「衝撃」を期待していしまった以上、結果的に欲求不満が溜まってしまったことは否めない。  「スター・ウォーズ」とのまさかの掛け持ちで忙しかろうが何だろうが、J・J・エイブラムスには次作も責任を持って監督してもらい、反撃の一撃を食らわしてほしいものだ。
[映画館(字幕)] 4点(2013-12-18 22:30:21)
782.  バンク・ジョブ 《ネタバレ》 
もはや娯楽映画のジャンルとしてはやり尽くしてしまっている感もあるケイパームービー(いわゆる金庫破り映画)。 今さら、どんなアイデアを持ち込んだところで、往年の名作の二番煎じ、三番煎じになってしまう可能性は極めて高く、中々“新しさ”を求めることは難しい。 ただし、今作においては、これまでのケイパームービーにはあまり無かった趣向を楽しむことができた。更にこれが実話を元にしてるってのだから、ちょっと驚く。  前述の危惧に漏れず、今作においても“金庫破り”そのものの展開は極めてオーソドックスで、過去の映画で何度も描かれてきたであろうプロットで構築されている。当然そこに目新しさは殆どない。 人生にくすぶり気味の主人公が、ふと持ちかけられた銀行の金庫破りに一発逆転を懸ける。 悪友を引き連れつつ、計画の片棒を担ぐ専門職を集めるくだりは、無駄無くテンポが良かったと思う。 金庫破りが成功するかしないかの展開も、緊張感とユーモアがバランスよく配置されており、娯楽性の巧さを感じた。 このあたりは、ベテラン監督ロジャー・ドナルドソンの手練ぶりが出ていたと思う。  なんだかんだはあるものの、金庫破りそのものは案外すんなりと成功してしまう。 「なんだ余裕だな」とその顛末に若干の物足りなさを感じ始めたところで、この映画が持つ本当のエンターテイメントが始まる。  破った金庫が、裏社会の面々御用達の貸金庫だったことから、主人公一味は悪党から政府の裏組織に至るまで、英国社会の表裏のあらゆる組織から追われる羽目になる。 この三つ巴、四つ巴の攻防が非常にエキサイティングに描かれている。しかもそれが実話だというのだから、殊更に面白味は深まる。  もちろん、この全てが事実だなんてことはないのだろうけれど、それでも実際にあった事件を元にして巧みなエンターテイメントに仕上げていることは事実。 あまりアクションシーンを与えられていないジェイソン・ステイサムの主人公ぶり、そして、非道なポルノ王に扮したデヴィッド・スーシェも印象的。
[インターネット(字幕)] 6点(2013-12-18 22:20:40)(良:1票)
783.  レミーのおいしいレストラン
“動物もの”のファンタジー映画として不足はなく、ピクサーならではの映像完成度と娯楽性によって充分に楽しめる佳作に仕上がっていると思う。 しかし、この映画には致命的な難点があって、もうそれはこの物語の構成上致し方ないことだけれど、やはり最後までその部分が引っかかり続けてしまった。  それは詰まるところ、ネズミが料理を作るという不衛生さに対する拒否感だ。 この映画の製作陣やファンは、それを言っちゃあ元も子もないと言うのだろうけれど、どう取り繕ってもネズミがレストランの厨房に我が物顔でのさばり、自ら料理を作っちゃあいかんだろうと思ってしまった。 しかもこの映画の主人公でもあるネズミは、どんなに愛らしくキャラクター化していても"ドブネズミ”にカテゴライズされるタイプのネズミであり、綺麗事をいくら並べ立てたところで「不潔」であることは揺るぎようも無いのである。 主人公のネズミは、自身の不衛生を気にし申し訳程度に手を洗ったりはしているけれど、「いやいや、そういうレベルの問題じゃないから!」と突っ込まざるを得なかった。  個人的な話をすると、若い頃に地下街の飲食店でアルバイトを始めたことがあった。 しかし、閉店後の片付けの最中に巨大なネズミが走り回る現状を目の当たりにして、耐えきれず一週間で辞めてしまった。当然その後、その店には客としても決して行く気にはなれなかった。  これはもはや、ほぼすべての動物映画の根底にある博愛主義をいくら盾にしたところで、無意味な類いの問題であろう。 すべての生命と共存しようとすることは素晴らしいことだと思うし、決してネズミたちに罪はないけれど、世界中の飲食店の裏側に潜むネズミが病原菌を媒介してしまうことは現実であり、そういう部分をあまりにも無視してただファンタジックに仕上げてしまっているこの映画の在り方には疑問を禁じ得ない。  ただし、そういうことをすべて見て見ぬ振りしてしまえれば、楽しめる映画であることも事実。 単純に“動物”+“料理”のファンタジー映画として捉えれば良いのかなー……、でもやっぱり大量のネズミ(主人公ファミリー)が露呈するシーンにはユーモラスというよりも“おぞましさ”が先行してしまったな……。
[DVD(吹替)] 5点(2013-12-18 22:17:17)(良:1票)
784.  風立ちぬ(2013)
「狂おしい」  ストーリーそのものは、とても古風でオーソドックスに見えるけれど、過去の宮崎駿作品のどれよりも、もっとも“狂おしい”までの感情に埋め尽くされた映画だと思った。   映画世界に対峙し、己の理屈においては明確な拒否感を感じている筈なのに、涙が溢れて止まらない。こんな映画は初めてかもしれない。  その“拒否感”の大部分は、「主人公」に向けられたものだったと思う。 この映画の主人公は、善人で、優秀な好青年である。 ただし、同時に「変人」であることも揺るがない事実だ。 堀越二郎と堀辰雄、実在した二人の人間に「敬意を込めて」と謳っているが、この映画で描かれる主人公の姿は、明らかに宮崎駿自身の投影であり、その「変人」ぶりにそのすべてが表れていると思う。 そういう意味では、この映画が過去作のどれよりも宮崎駿にとってパーソナルな作品であることも確かであり、それ故の“狂おしさ”なのだとも思える。  主人公の言動を理解し難い面は多く、主人公は世の中のすべての人から非難されてもおかしくはない。 しかし、主人公自身が自分を呪ったとしても、彼が愛したヒロインだけはどこまでも彼を守り愛し抜くだろう。 ならばそれがすべてだ。  余命幾ばくも無い病床の妻を囲い仕事に没頭する主人公も、養生を放棄し命を縮めても夫のもとで過ごしたヒロインも、その姿には、少し狂気じみたものを感じる。  彼らは二人の間に確実にあるはずの“障壁”なんて何もないように、繰り返しキスをして、そして愛を営む。 この「幸福」は二人だけのもの、そしてこの「悲哀」も二人だけのもの。 そこには、“観客”も含めて、周囲の他人が入り込む余地は全くなかった。 その二人の姿は、あまりに独善的で、歯がゆいけれど、何よりも美しく、涙が溢れた。  そう、この映画の主人公、そして宮崎駿自身が追い求めたのは、“美しさ”以外の何ものでもない。 誰に理解されなくとも、自分自身にとっての「美」を最後の最後まで追い求める。 この映画は、そういう“彼ら”の生き方における「覚悟」を描いた作品だと思った。   「ほかの人にはわからない あまりにも若すぎたと ただ思うだけ けれどしあわせ」  あまりにもはまり過ぎている荒井由美の「ひこうき雲」が延々と頭の中をめぐる。   映画館を出た。真夏の太陽が眩しかった。 空の青は、少し、“狂気的”に見えた。
[映画館(邦画)] 10点(2013-12-17 23:58:35)(良:7票)
785.  悪の法則 《ネタバレ》 
ラストシーン、或る人物が「お腹がすいた」と一言発し、暗転、この映画は終焉する。 その瞳は、愉悦を覚えているようにも見えるし、欲望を満たすことを続けなければこの「世界」では生き続けられないということを、この映画に登場する誰よりも“正確”に理解している人間故の深く暗い悲哀に溢れているようにも見えた。  非常に哲学的で、極めて奇妙な映画であることは間違いない。 豪華キャスト勢揃いによる麻薬取引を軸にした“犯罪エンターテイメント”と高を括って観てしまうと、虚をつかれることは避けられないだろう。  マイケル・ファスベンダー演じる主人公が、終始ただ「カウンセラー(弁護士)」と呼称されることに表れている通り、この映画ではキャラクターのバックグラウンドに踏み込むような描写は一切無い。 それどころか、彼らがどういう経緯と理由で「悪」に手を染めているのかということも明確にならないし、描き出されるストーリーの“顛末”においても、「誰がどうしたからどうなった」という、普通の娯楽映画であれば当然ある筈の「事の真相」も抜け落ちている。  もちろんそれは描き手の明確な意図によるものであり、この映画で真に描き出したいことが、表面的にショッキングなバイオレンス描写やセックス描写などではなく、善悪の境界すらも超越した、彼らが生きる「世界」の本質的な「仕組み」の話であることに他ならない。  それはまさに、野うさぎを本能的に追うチーターの姿と何ら変わりない。  「捕食者」と「被食者」というたった二つの立場しか許されないピラミッドの縮図と、その真理だ。 そこには慈悲もなければ、憎しみすらない。ただどちらかが生きるために、どちらかが死ぬという極めてシンプルな「法則」があるだけ。  そのあまりに意欲的で野心的な映画世界を、「最新作」として送り出す大巨星リドリー・スコットの映画監督しての意識の“若々しさ”と“雄々しさ”には、毎度のことながら感服せずにはいられない。 映画作品としてのクオリティーを鑑みればそんじょそこらの映画監督が撮れる作品でないことは明らかだが、御歳76歳の大巨匠が描き出すような類いの作品ではないこともまた然り。 「衰え知らず」とは、まさにこの人のためにある言葉だと言っていい。  とても誤解されやすいタイプの映画だとは思うが、だからこそ、含まれた「真意」に対しての戦慄は殊更に際立つ。
[映画館(字幕)] 9点(2013-12-08 23:06:21)(良:1票)
786.  オーメン(1976)
よりによって妻子が実家に泊まり誰もいないひとりぼっちの夜に、この有名過ぎるホラー映画を観なければならなかった一週間レンタルの最終日。 ホラー映画に限ってはまだまだ“ビギナー”なので、どうなることかとビクビクしながら観すすめたが、流石はホラーというジャンルを超えた「名作」の呼び名に相応しく、“しっかり”と面白かった。  “恐ろしい”映画であることは言わずもがなだが、描き出される物語をどう「解釈」するかによって、この映画の“恐ろしさ”は大いに様変わりすると思う。  映画が伝える雰囲気のまま、悪魔の申し子“ダミアン”の禍々しさに恐怖することも勿論正しかろう。 一方で僕は、この映画が伝える「恐怖」のもう一つの側面に震えた。  それは即ち、この映画において、ダミアンは「実は何もしていない」という事実だ。  描き出される“おぞましさ”の殆どは、彼を崇める悪魔崇拝者の言動によるものであり、主人公のグレゴリー・ペックらを襲う恐怖の正体も、神にしろ悪魔にしろ狂信者たちの煽動によって導かれたものに過ぎないのではないかということ。  ラストの顛末に明らかなように、端から見れば、主人公の姿は完全に気が狂った父親にしか見えず、この映画が描く本当の恐怖は、「悪魔」の存在などではなく、人間が元来持っている不安定さとそれに伴う危うさそのものであることに気付かされる。  ジェリー・ゴールドスミスの荘厳な調べに誘われて、深く暗い「恐怖」というエンターテイメントを堪能した夜だった。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2013-12-05 00:04:44)(良:2票)
787.  かぐや姫の物語
今まで観たことがないアニメーション表現、そして、それに伴う今まで感じ得たことのないエモーションを感じられる、日本の、いや世界のアニメーション映画史に残る作品であることは、間違いない。 線と色、そして空白からなるアニメーションの「真髄」を導き出し、そのまま象ったかのように構築された類い稀な映画であろう。  何の迷いも無く、「賞賛」に値する。 しかし、「じゃあ、面白かったか?」と問われると、素直に首を縦に振ることは出来なかった。 映画とは、奥深く、難しいものだと、つくづく思う。  もちろん、他のジブリ映画の例に漏れず、この映画もこの先何度も繰り返し観ることだろう。 そして、他の多くの作品と同じように、観返す度に新しい発見をし、評価が深まるに違いない。 しかしながら、映画鑑賞という行為の価値は、初見時に集約され、殆どの作品はそれに決するということもまた事実。 であるならば、この“初見”で真っ先に頂いた感情を誤摩化すわけにもいかず、「物足りない」と言わざるを得ない。  期待し、想像を膨らませていたイメージよりも、ずっと普通の「竹取物語」だった。 「かぐや姫の物語」と堂々と銘打っているわけだから、描かれるものが「竹取物語」で悪いはずもなく、製作者の真っ当な意向に難癖を付けることは、甚だお門違いだとは思う。 ただ、個人的な期待感は、これまで見たことが無い“かぐや姫”の物語、そして知り得なかった「竹取物語」の真相のようなものに対して突っ走ってしまっていたのだと思う。  だから、あまりに真っ当な「竹取物語」を目の当たりにして、落胆に近い感情を持ってしまったのだと思う。   言うまでもないことだが、高畑勲という日本のアニメーション界の大巨星が渾身のエネルギーで生み出した世界観は、もちろん素晴らし過ぎる。 描写の一つ一つに息を呑み、感動したことは確かなことだ。老若男女問わず日本中の人が観て、愛されてほしい作品だとも思う。  ただし、一個人の勝手に違った方向に膨らみ過ぎた期待にほんの少し沿わなかったという、ただそれだけのことだ。 
[映画館(邦画)] 7点(2013-11-28 17:10:37)
788.  ベルリンファイル 《ネタバレ》 
洗練されたアバンタイトル、迫力と説得力に満ちたアクションシーン、俳優たちの優れた実在感。「スパイ映画」としての娯楽性を十二分に備え、しっかりと面白い映画世界に対して、“いつものように”羨望の眼差しを向けざるを得ない。 決して実績を積んでいるわけではない殆ど「新人」とカテゴライズされる若手監督が、これほどまでに“確かな”エンターテイメント作品を撮り上げてしまうのだから、相も変わらない韓国映画界の充実ぶりには、羨ましくて、よだれが出そうだ。  北朝鮮の諜報員である主人公が緊張感を携えて自宅へ戻る様をスタイリッシュに描いた冒頭のアバンタイトルを観た時点で、この映画が一定レベルのクオリティーを備えていることは明らかだった。 また一人、韓国映画界に世界レベルの「才能」持った映画監督が登場したことを認めざるを得ず、リュ・スンワン監督は、すぐにでもハリウッドで通用する映画が撮れるとすら思える。  卓越した映画世界に息づく俳優たちも、揃いも揃って良い。  主演のハ・ジョンウは、独特の素朴な風貌と内に秘めた危うさが、いい塩梅の雰囲気を醸し出し、得体の知れない「北側」のスパイを抜群の説得力もって演じていた。  もはや韓国を代表するベテラン俳優であるハン・ソッキュは、「南側」の諜報員として主人公と対峙し、やはり抜群の存在感を見せていた。彼の出世作でもある「シュリ」で演じたキャラクターの延長線上に今作のキャラクターを被せてみると、また違うドラマ性が見えてきて興味深かった。  主人公の妻を演じるのは、みんな大好きチョン・ジヒョン。ご多分に漏れず、「猟奇的な彼女」以来の彼女のファンだが、これまでの出演作とはまた違う表情を見せ、薄幸ではあるが芯の強い美女を好演していたと思う。  個人的に最も印象的だったのは、悪役のリュ・スンボムとうい俳優。登場時は軽薄なチンピラ風情で、完全にやられ役だと思えたが、ストーリーが進むにつれて、まあイヤな感じの悪役に進化していった。クライマックスのある展開など、彼がこの映画に一つのインパクトを与えていることは間違いないと思う。  韓国映画らしく、血なまぐさく、シリアスな展開も踏まえて、ラストはしっかり高揚させてくれる。 こういう映画的なセンスの高さは、やっぱり羨ましい。  なお、“ウラジオストク”の位置が曖昧な人は、鑑賞前にGoogleマップを確認しておくことをお勧めする。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2013-11-28 00:47:43)
789.  エルム街の悪夢(1984)
もし、ある程度大きなバジェッドで、再度リメイク化が決定したとして、もし、ティム・バートンなんかが監督に決まった日にゃ、絶ッッッ対にジョニー・デップが“フレディ・クルーガー”を演じるに決まっている!と、勝手な妄想が途中突っ走った。  そんなジョニー・デップの映画デビュー作としてもよく知られている、この超有名なホラー映画を初めて観た。 昔、実家に今作のタイトルがラベリングされていたVHSがラックに並んでいたような記憶もあるが、今なおホラー映画が苦手な僕が観れる筈もなく、現在に至るまでスルーし続けてきた。 三十路を越えて、いい加減誰でもタイトルを知っているような有名なホラー映画は観ておかなければなるまいと思い、先日の「キャリー」に続き、本作を鑑賞。  さすがに描かれるホラー描写は、“お決まり”のもので、ストーリー展開もベタ中のベタなので、恐怖心が煽られてたまらないなんてことは当然なかったが、それでも充分びくついてしまうのは、この映画がその後のあらゆるホラー映画のベースとなった「定番」を生み出しているからに他ならないと思う。  決してストーリーが面白いということはなく、所々において支離滅裂ですらあるこの映画を人気作たらしめたのは、何を置いても、夢とうつつの狭間を行き交うモンスター“フレディ・クルーガー”という稀代のホラー映画スターの誕生に尽きるだろう。  この第一作を観ただけでは、結局のところ何故このモンスターが出現し、若者たちを次々に襲うのかよく分からないが、その存在性と目的の曖昧さが、殊更にこのキャラクターの不気味さと禍々しさを増幅させているようにも思える。 焼けただれたグロテスクな面構えに対して、赤と緑の横縞セーターのダサさが、絶妙なビジュアルセンスを醸し出している。(この造形を考え出した人も、結構キレていると思ってしまう……)  ともかく、ようやく映画史を代表するホラー映画スターの初登場作を観られて良かった。 さて次は「エクソシスト」か「13日の金曜日」か……いずれにしても気が重い。
[インターネット(字幕)] 7点(2013-11-16 15:14:37)
790.  ドライブ・アングリー3D
この映画をクソ真面目に「否定」することしか出来ない人は、映画ファンとして勉強不足だと言わざるを得ない。 なぜならば、これこそが、もはや一つのジャンル映画として確立しつつある、“ニコラス・ケイジ映画”なのだから。  勿論、端から「期待」なんて言葉は持たずに某動画配信サービスで鑑賞を始めた。 すると、序盤から想定外の“おかしな”テンションの高さに、ニヤリとしてしまった。 「あれ?これはもしかしたら中々の馬鹿映画かもしれない」と、別の意味の「期待」が膨らんできた。  ニコラス・ケイジ演じる主人公が、ショットガン片手に問答無用に暴れまくる。 その凶暴さは、明らかに常軌を逸していて、この主人公が“フツーの人”ではないことは容易に理解できる。 どうやらその凶暴さの動機は、愛する娘を謎のカルト教団に殺され、残された孫娘を救い出すため……ということらしいが、はっきり言ってそれに見合った悲愴感など全く漂わせずに、襲来する悪漢を蹴散らし、行きずりの女とのセックスに興じる様は、ニコレス・ケイジ史上に残る無頼漢ぶりかもしれない。  その主人公の無頼漢ぶりに“悪ノリ”するかのように、映画の核心となると或る「設定」が明らかになり、「暴走」は益々激しさを増し、それと同時にストーリーは益々どうでもよくなってくる。  主人公のキャラクター性も良いが、それを上回るくらいに脇のキャラクター達も立っている。 アンバー・ハード演じるヒロインは、絶妙なビッチ感を漂わせつつ、ダイナーのウェイトレスを好演していた。 そして何と言っても、ウィリアム・フィクトナー演じる「監査役」が最高だった。得体の知れない独特のキャラクター性が、映画の重要なアクセントになっていたことは間違いなく、娯楽性を高める要因となっていたと思う。  物理的におかしな激しさを見せる銃撃戦とカーアクションに眉を潜めてしまったら負けだ。 映画全体の馬鹿馬鹿しさに対して、ストレートに「馬鹿だ!」と大笑いできた者の勝ち。 それが、“ニコラス・ケイジ映画”を楽しむための鉄則だろう。
[インターネット(字幕)] 6点(2013-11-14 16:00:18)(良:1票)
791.  悪の教典 《ネタバレ》 
生まれながらのサイコパスである英語教師が、ふとしたきっかけで本性を解放させ、担任するクラスの高校生たちを片っ端からショットガンで撃ち殺していくという、不謹慎極まりない映画である。 某トップアイドルのようにこの映画を観て激怒する人も多いのだろうけれど、それと同等以上に、この映画の「娯楽性」を堪能してしまう人も多いだろうと思う。  はじめのうちは、聖人君子の仮面を被った殺人鬼の教師が、生徒たちを何のためらいもなく、あたかも出席を取るように殺していく様に当然激しいおぞましさと嫌悪感を覚える。 しかし、彼の“鼻歌”に乗せられるように、次第にそのおぞましさがクセになり、一方的な殺戮をどこか楽しんでしまっている自分に気付く。 瞬間、自己嫌悪に陥り、「不謹慎」という言葉を持ち出してその感情を抑えようとするけれど、そんな言葉など意味がないという結論に行き着く。  非常にショッキングな映画であることは間違いないけれど、この映画のスタンスは見紛うことなくエンターテイメントであり、何の問題提起があるわけでもなく、ただただ主人公“ハスミン”の「狂気」を楽しむしかない映画なのだと思う。 主人公の人間性を疑うなんてことは完全にナンセンスなことで、ジェイソンやフレディ・クルーガーら名だたるホラー映画スターと同様に、“ハスミン”という新しい“モンスター”のキャラクターと恐怖を楽しむほかない。  というわけで、これまでの日本映画にはありそうでなかった、高い娯楽性を備えたバイオレンスホラー映画に仕上がっている。 この手の映画を作り出すにあたっては、国内には三池崇史以上の人材がいないことは明らかで、題材に相応しいバイオレンス描写を的確に導き出していると思う。  そして、何と言ってもこの映画の質を一段も二段も上積みしている要因は、伊藤英明の存在に他ならない。 キャラクター性の強い殺人鬼を嬉々として演じ上げた様は見事だったと言うしかない。 表裏のない真っすぐなキャラクターを演じることが多いこの俳優に、完全なる「裏」を演じさせてみて、凄まじい存在感を引き出したことは、監督にとっても俳優にとっても幸福なことだったと思う。  ラストは壮絶な死に様が見られるのかと思いきや……そうですかそうですか。 それじゃあ、更に暴走に拍車がかかった“ハスミン”の「二時限目」を期待しております。
[ブルーレイ(邦画)] 8点(2013-11-09 20:20:14)(良:1票)
792.  ふがいない僕は空を見た
見るともなく空を見ながら、川沿いを自転車で行く主人公の高校生を見て、自分自身の高校生の頃を思い出した。同じように、何となく空を見上げて、自転車で川沿いの家路を辿った。 勿論、僕は、コスプレ好きの人妻と不倫をしていたわけでもないし、文字通りの飢えを感じるほど貧困に窮したわけでもなく、ただただ普通の男子高校生だった。 それでも、悩みやそれに伴う鬱積は確実にあって、それらに対して何の解決策も持たない自分自身に、悲観しつつ、呆れつつ、日々を過ごした。  俯瞰して見れば、この映画の主人公の高校生は、結局のところ、何一つ自分で解決したわけではない。 すべては彼に関わる“大人”が、決断し、導き、見守り、彼を生かしたのだ。 当の本人は、傷心と攻撃にただただ打ちひしがれ、閉じこもり、幸福にもまわりの人間に助けられて、再び立ち上がることが出来たに過ぎない。 そして、ふと空を見上げて、なんだか成長したような気分になっているに過ぎないのだ。   ……でもね。それでいいのだと、強く思う。   この映画で描かれるようなちょっとヘビーな境遇であろうとなかろうと、16~17歳の高校生に出来得ることなどたかが知れている。 むしろ、「何も出来ない」と言ってしまっていい。  唯一出来ることがあるとすれば、それは、主人公の母親が言う通りにただ「生きる」ということだけだ。 ささやかでどうでもいいことの方が多いのだろうけれど、絶え間ない悩みと鬱積に対して、ただひたらすらにうじうじともがき苦しみ、時間の経過とまわりの人間の助力によってそれらが自然に雲散霧消するのを待つ。  そして、空でも見つつ、自分で自分を慰めて、その先を生きていく。それでいいのだ。  この映画の作り手は、「現実」に対してドライな観点を終始保ちつつ、同時に普遍的な慈愛をもって、決して劇的ではない人間模様を落ち着いて描いていると思った。   すべての人間が生きていいく上で必ず意識する「生」と「性」。 それらは常に対のものとして、人生に喜びと苦しみを平等に与える。 その美しさとおぞましさを、何の変哲も無い普通の人々の群像の中で繊細に描き出してみせたこの映画の在り方は、とても正しい。 
[DVD(邦画)] 8点(2013-11-06 00:06:17)(良:1票)
793.  夫婦善哉
日曜日の正午、あまりに眠たくて2歳の娘の世話を妻に任せて、居間のソファで居眠り。ふと目が覚めると2時間以上寝てしまっており、ちょうど帰宅した妻に呆れられた。 眠気が治まらぬまま反省しつつ、再び外出する妻をソファに寝転んだまま送り出した後、この映画を観始めた。 この作品における映画体験としては、何ともいいタイミングだったと思う。   お椀二杯で一人前の“夫婦善哉”のように、詰まるところ“良い夫婦”というものは、二人揃ってようやく一人前になるものなのかもしれない。 この映画に登場する“夫婦”の男女は、二人ともどうあっても結局のところ一人では行きていけない。 森繁久彌演じる柳吉は、どこからどう見ても大店のどら息子であり、駄目男ぶりが甚だしい。 淡島千景演じる蝶子も、しっかり者の人気芸者ではあるけれど、最後の最後まで柳吉無しで生きてはいけない駄目女だ。  駄目男と駄目女が連れ添い、愚にもつかないすったもんだを延々と繰り返す映画である。特筆する程のストーリー的な面白味もあるとは言えない。 しかし、この映画が多くの日本人に愛されている映画であろうことは容易に理解できる。  やはり魅力的なのは、駄目男と駄目女の主人公夫婦に他ならない。 つくづく愚かな二人なのだけれども、どうしたって彼らのことを憎めるわけがない。 その理由は明らかで、この二人の姿こそ、世の中のすべての男女が持ち得る愛すべき愚かさだからだ。 どんな男も柳吉のようになろうし、どんな女も蝶子のようになり得る。 この映画を観た多くの人が、「馬鹿」と蔑みつつも、どこかこの二人の“寄り添い”に憧れを抱いてしまうのだと思う。  中盤、何度目か知らないが愛する男が再び自分の元に帰ってきて、女は心から喜ぶ。 お互い軽い悪態をつきあいつつ、女は真っ昼間なのに部屋のカーテンを閉める。 男は勘弁しろよという表情だが、実のところまんざらでもなさそうだ。 森繁久彌、淡島千景、二人の名優の一挙手一投足を含め、このシーンの総てが可愛過ぎる。   さて、僕自身、決して甲斐性があるわけではないので、せめてこの映画の夫婦のように愛らしい二人で居続けたいものだと思う。 「頼りにしてまっせ」を連発しつつ。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-11-04 11:40:46)
794.  LOOPER/ルーパー 《ネタバレ》 
主人公の殺し屋は、射程の短いラッパ銃を終始携帯している。 未来から送られてくる“ターゲット”を抹消するためだけの目的のその銃は、非常に不格好で何の希望も生み出さないように見える。 しかし、堂々巡りの憎しみの螺旋を断ち切ったのは、そのラッパ銃だった。  想像以上に独創的な映画だったと言っていい。突っ込みどころも多いが、それらも含めてこの映画ならではのオリジナリティだと思える。 ジョセフ・ゴードン=レヴィットとブルース・ウィリスが時空を超えて邂逅した同じ主人公を演じるわけだが、その二人が人間的に重なるわけではなく、むしろ全くの別人格として対峙する構図がとても独特だった。 ある人生を経てきた「自分」と、それを経る前の「自分」、時間とそれに伴う経験の違いが人間としての価値観の違いとして対立する様は、非常に興味深いエッセンスを映画に加味している。  タイムパラドックスを描いた映画としては、ストーリーの“綻び”は確かにある。 ナノマシンの進歩で秘密裏な殺人が出来ないから、過去に殺したい人間を送って抹殺するという設定にそもそも無理は生じている。 その手段であるタイムマシンの使用自体が犯罪という設定だし、大体が巨大な犯罪組織なのだから殺人をそこまでひた隠しにする必要などなかろうと思う。そんな手間のかかることをしているわりに、主人公の未来の妻はあっさりと殺されちゃうわけだし……。  ただそういう“綻び”を補って余りある独特の味わいを携えたストーリーでもあった。 あくまで利己的だった若き主人公が見せる確固たる人間としての成長はドラマ性に溢れていた。 そして、愛した妻の死を防ぐために過去に遡ってきた老いた主人公は、目的を遂行していくにつれ自分が何のために過去にやってきたのかが曖昧になってくる。 過去を変えることが、必然的に自分自身の歩んできた人生も変えるということになるからだ。 終盤において老主人公に残っていたのは妄信的な狂気のみだったのだろうということに気付くと、とても哀しくなった。  それらすべてを悟って、若き主人公は短い射程のラッパ銃で"一つの未来”を断ち切る。 その哀愁漂うラストは、とてもSF映画らしくもあり、同時にジャンルを超越した様々な感情を刺激する映画に相応しい帰着だった。  P.S.主人公の同僚への時空を超えた“痛くはないけど痛々し過ぎる”拷問があまりに惨かった……。
[映画館(字幕)] 9点(2013-11-04 10:35:37)(良:4票)
795.  アウトロー(2012)
ライフルの乾いた銃声。カマロの唸るようなエンジン音。観ている者の骨にも響く殴打音。 BGMを極力廃し、数々の無骨な音が、“アウトロー”が行き着いた映画世界に響き渡る。  派手なアクションシーンがひたすらに羅列されがちな昨今のアクション映画に対して、この映画の骨格は、とてもオーソドックスで一見地味なシーンが連なる。 それに対して古臭さと退屈を感じる人もいるだろうけれど、じっくりと見れば見る程、深い味わいが染み渡ってくる現代においては少々異質なアクション映画に仕上がっている。  このところのトム・クルーズの最新作を観て、毎度感じていることだが、このハリウッドスターの日々の「鍛錬」と俳優として、映画人としての飽くなき「意欲」は尊敬に値する。 50歳を越えて、また自ら新しいヒーロー像に挑戦し、シリーズ化を目論むなんてことは、並の神経では出来ない。 長年彼の映画を観てきた映画ファンとしては、当然「老けたな」という印象は拭えないけれど、それはそれとして主人公としてしっかりと“様”になっているのだから、文句は無い。  ヒロインがやけに熟女だなと思ったけれど、冷静に考えれば50歳のトム・クルーズの相手役としては相応しいバランスだよな……と思いきや、ヒロイン役のロザムンド・パイクはなんと34歳……。 彼女も含め、過去にトム・クルーズと共演してきた女優たちは時間の流れの“不平等さ”を恨んでいることだろうと関係ないことを思ったり。  一方で、脚本家出身の監督の作品のわりには、ストーリーそのものの面白味は薄かった。 話自体は、思ったよりもミステリー仕立てだったので、もっと二転三転のストーリーテリングがあっても良かったと思う。 が、“ニューヒーロー”のシリーズ第一作目だとするならば、新たなキャラクター性を際立たせることを優先したことも納得はできる。  ともかく、衰え知らずのハリウッドスターが新たに生み出した“ジャック・リーチャー”というヒーロー像は、充分に魅力的で、今後のシリーズ化も彼の目論見通りに期待したくなる。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2013-11-03 14:29:19)(良:1票)
796.  グランド・イリュージョン 《ネタバレ》 
ジェシー・アイゼンバーグが、冒頭から「ソーシャル・ネットワーク」よろしく早台詞をまくしたてる。 その時点で自分自身を含め健全な観客は、この映画の“ミスリード”に引っ掛かっていたのかもしれない。  “マジック”を描いた映画になかなか良作はない。 マジックというエンターテイメントは、鑑賞者の目の前で見せるからこそ驚きがあるわけで、映画というそもそもが“つくりもの”の世界の中でいくらびっくり仰天の奇術を見せたとて、驚ける筈がないからだ。  今作においても、主眼を“マジック”に置いている以上、その障壁は免れない。 実際、繰り広げられる数々のイリュージョンに対しても、「まあこれが実際に目の前で行われた凄いだろうね」と一歩引いた立ち位置で観ざるを得なかったことは確かだ。  ただ単に、映画世界の中で壮大なイリュージョンを繰り広げて「スゴイでしょ?」という作品であったならば、極めて駄作と言わざるを得なかったろうけれど、この映画の場合は、全編に渡るテンポの良さと、キャスティングの巧さで、そういったマイナス要素をカバーし、映画としての質を高められていると思う。  この映画の中では当然ながら数々のマジックシーンが描かれるが、マジックショーそのものの魅力は、冒頭の4人の路上マジシャンたちの登場シーンに集約されている。 彼らの鮮やかなマジックの手腕をいきなり見せつけられて、観客は「ああ、これからこいつらがとんでもないイリュージョンを見せるのだな」と強く認識させられる。 先に記した主演俳優の早い台詞回しも含めて、この“見せ方”が映画全体に効いている。  もちろん端からマジックの「タネ」もとい、映画の「オチ」を先取りしようと“ステージ”に対して斜めから映画を観たならば、わりとすぐにネタバレしてしまうかもしれない。 ただそういう観方は、マジックを観るにしても、映画を観るにしても、「無粋」というものだ。 勘ぐること自体は結構だと思うけど、娯楽として真っ当に楽しみたいのであれば、きちんと真っ正面から観て、気持ちよく騙されることも大切だと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2013-11-02 15:39:42)(良:2票)
797.  キャリー(1976)
無類の“ホラー映画嫌い”なので、映画史上に残る超有名作品でありながら、ずうっと敬遠してきた作品の一つだった。 ただ、三十路を越えていい大人の映画ファンが、「怖い」からといって問答無用に毛嫌いするのもいかがなものかと思い始めていた。 そんな折、劇場で間もなく公開されるリメイク版の予告を観て、ちょっと気になったので、今作のジャケットを“初めて”手に取った。 「あー主演はシシー・スペイセクなんだ」とか「え、デ・パルマ監督作なの!?」と、おおよそ映画ファンらしくない無知ぶりを露呈しつつ、初鑑賞に至った。  率直な感想としてまず感じたことは、「これはホラー映画なのか?」という疑問。 恐ろしい部分は確かに恐ろしいけれど、それよりも哀しい少女の哀しい青春映画ということに対してのインパクトの方がずっと大きかった。  ただ普通でいたかった少女が、あらゆる不遇の中でもがき苦しみ、ほんの一瞬垣間見た光の眩い美しさと、即座に閉ざされる果てしない悲劇。 「恐怖」によるインパクトはあくまで装飾的なものであり、主人公の少女のめくるめく悲哀に胸が締め付けられたことは、本当に想定外のことだった。  その映画世界にはやはり巨匠ブライアン・デ・パルマ監督の多彩なカメラワークによる映画術が光る。 おぞましい場面はどこまでもおぞましく、一転して美しい場面はどこまでも美しい。 その映像的なギャップは、少女の心象風景そのものをまさに映し出していて、「流石」の一言に尽きる。  そして何と言っても主人公“キャリー”を演じたシシー・スペイセクが素晴らしい。 不遇の鬱積にまみれた序盤の姿では、大衆から拒絶されるにある意味相応しい“歪さ”をこの上なく体現し、一転、光を追い求め彼女の人生における最高の「舞台」に駆け上がる姿は、目を疑う美しさに溢れている。 そしてクライマックスにおける“悲劇的大解放”に伴う怒りと憎しみと豚の血にまみれたあの姿!  映画としては、展開的に唐突で説明不足な部分は多々あるのだけれど、この主演女優の奇跡的な表現力が、そのすべてを打ち消しているとさえ思えた。  どの映画も突き詰めればそうなのだろうけれど、この映画は特にどういう「解釈」をするかどうかで賛否は大いに分かれる作品だと思う。 また数多の知識を踏まえて繰り返し観る程に、その解釈に深みが生まれ、味わい深くなる作品だとも思う。
[DVD(字幕)] 8点(2013-10-31 00:22:24)
798.  凶悪
恐ろしい映画だったと思う。  自分はこの映画に登場する“彼ら”ではなく、“彼ら”に関わった人間でもないという無意識の立ち位置による屈折した「愉悦」を知らぬ間に敷き詰め、この映画に「娯楽」を感じている自分の意識に気付いたとき、この映画の「凶悪」というタイトルの真意を垣間見た気がし、ゾッとした。  描かれる事件と犯罪が「真実」であることを念頭において観ているわけだから、映し出される凄惨な描写に対して「痛み」や「悲しみ」を感じなければならないという“建前”を意識しているにも関わらず、ピエール瀧(=須藤)の爆発的な残虐性に何故か高揚し、リリー・フランキー(=先生)のおぞましいまでの狂気に引き込まれてしまう。 実在の被害者に対して後ろめたい気持ちを多分に感じつつも、描きつけられる「凶悪」が次に何を見せるのか、どこか期待をしてしまい、その都度「不謹慎」という言葉をぬぐい去ることに苦労した。  「あなた こんな狂った事件追っかけて 楽しかったんでしょう?」  終盤、主人公の妻のこの台詞により自分の中で見え隠れしていた感情が突如丸裸にされる。 見て見ぬ振りをしていた自分自身の深層心理がふいに明るみに放り出されたような気がして、主人公と同様に「やめろ!」と叫びたくなった。  「映画」である以上、いくらノンフィクションが原作だとはいえ、脚色されている部分は大いにあるだろう。 ピエール瀧が度々発する「ぶっこんじゃお」というあまりに印象的な台詞や、リリー・フランキーの脱帽するしかない「怪演」など、映画的な面白さが加味されている要素は多く、それはまさにこの作品が映画として優れている点でもあると思う。 俳優たちの表現はことごとく素晴らしい。一つ一つのシーンも綿密な計算と明確な意思をもって構築されており、見事だったと思う。  ただ敢えて苦言を呈するならば、もう少し「編集」の巧さがあれば、同様の深いテーマを孕んだまま、もっと“面白い”映画に仕上がっていたようにも思う。 もし同じ題材で、というかこの監督と俳優が撮った同じ映像素材を、世界的な映画巧者が編集したならば、例えばアカデミー賞をも席巻するような名実ともに質の高い映画になりそうな気さえする。  ま、そんなのは一映画ファンの身勝手な妄想であり、実際どうでもいいことだ。 こういう本当の意味で骨太な映画が、もっと沢山国内で製作されることを願いたい。
[映画館(邦画)] 8点(2013-10-29 00:26:27)
799.  華麗なるギャツビー(2013)
野望、欲望、羨望……言い方は様々だけれど、人間は誰しも大なり小なりの「望み」を抱えて生きている。  この映画は、世界中の誰よりも、自分が抱いた「望み」を追い求め、そのすべてを実現しかけ、つい果てた男の物語だ。 絢爛豪華に見える人生の中にひた隠されたこの男の本質は、あまりに哀れで、哀しく、だけれどもほんの少し羨ましくも思う。  虚栄と退廃に塗れた“クソ”のような世界において、ギャツビーという男の生き様にこそ唯一無二の「価値」があった。 その生き様は、時に笑ってしまうくらいに無様だけれど、そこにはたった一つの「目的」のために生きた人間の、人間らしい純粋さが満ちていた。 だから、世の中のすべてに馬鹿にされようとも、最後の最後まで「望み」を信じ続けた彼に羨ましさを感じるのだと思う。  ただその一方で、彼以外の、クソのような世界で生きるクソのような人間たちのことを無下に否定することもできない。 ギャツビーにとって最大にして唯一の「望み」であり「夢」であった“麗しの君”も、結局は卑怯で醜い人間の一人であったわけだけれど、誰が彼女の“選択”を否定出来ようかと僕は思う。  自らの娘の将来を案じて「女の子は美しくて馬鹿なほうがいい」と、彼女は言う。 それは彼女自身が、虚栄の極みの中で生き、それに頼らざるを得ない人間であるということを自覚していることに他ならない。 ある意味では、彼女もまた己の「望み」を貫き通した人間の一人だったのだと思う。  結局、彼女は孤独に果てたギャツビーに一瞥もくれずに去っていく。 非常に冷淡で愚かしく見えるけれど、あの時代、あの環境において、そのスタンスこそが彼女にとっての生き抜く術だったのだとも思える。   愚かな程に美しいこの映画のすべてのシーンがオーバーラップしてくる。 「夢」に対してすべての手筈を整えたギャツビーの満面の笑み、ニックが抱いた尊敬と羨望の眼差し、愛する人のキスを待つデイジーの麗しさ……。  誰もがただただ「望み」に対して懸命に生き、結果として大きな大きな“悲哀”が残ったということ。その人間ならではの、儚くも果てしない無情さに感極まった。  最高の演技、最高の音楽、最高の映画世界。もう他に何も要らない。
[映画館(字幕)] 9点(2013-10-27 13:18:45)
800.  L.A. ギャング ストーリー
冒頭に表示される「実際の出来事に着想を得た」という但し書きは、逆に「大部分において脚色をしている」ということだと思う。 これは「映画」なのだから、勿論それで問題ないし、想像したよりもずっと「娯楽」に振り切った作りになっているこの映画の方向性は圧倒的に正しいと思えた。  実在したギャングと彼を撲滅した警察官たちの戦いを描いたというイントロダクションが先行していたので、数多のギャング映画と同様にハードボイルドで骨太な映画なのだろうと期待していた。 ところが、実在の人物たちを描いているという割には、警察官側もギャング側も揃いも揃ってキャラクター描写に漫画的で、実在感がないことに序盤違和感を覚えた。  ジョシュ・ブローリン演じる主人公は、正義感が強いというよりも、殆ど危機感が欠如したイカレ野郎だし、対峙するギャングのボスを演じるショーン・ペンも、過剰な演技プランが際立ち殆どアメコミ映画の悪役と化していた。 「なんだこのリアリティの無さは……」と呆れかけるが、次第にこの映画は「そういう映画」なのだと納得し始めることができる。  曖昧だったリアリティラインを適切なポイントで確定させた最大の要因は、何を置いても主人公の愛妻のキャラクター造形だったと思う。 実在した人物というイメージが先行してしまい、まるで説得力を感じなかった破天荒な主人公のキャラクター性を更に超越した破天荒さで包み込んでしまった彼の妻のキャラクターがあったからこそ、この映画の娯楽性は良い意味で振り切れたと思う。 危険を顧みない任務に就く夫に対して激昂した翌朝、途端に彼のブレーンとして立ち回る様や、夫の留守中にギャングによる銃撃を唯一人で受けた最中に、考えられない生命力の強さを発揮する姿には、主人公以上のヒーロー性を感じてしまった。  「アンタッチャブル」、「スカーフェイス」など名だたる傑作ギャング映画の名シーンを彷彿とさせる場面は多々あり、オリジナリティーが高いとはとても言えないけれど、“パクリ”ではなく“オマージュ”と好意的に捉えることが出来れば、映画ファンが観たいシーンが連続しているとも言える。  主人公チームはもちろん、悪役や脇役に至るまで、下手な深みなんて削ぎ落とした漫画的なキャラクターたちに次第に愛着を持ってしまう。 思っていたのとは違うタイプの映画だったが、だからこそ面白い映画だったと思える。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2013-10-27 01:09:26)
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