81. 俺たちに明日はない
《ネタバレ》 「このゴキブリの卵を煮崩したみたいなビジュアルは何とかならないのかな」 と、彼女は言う。「いや、豆なんだし」と返すが険しい顔は変わらない。漉し餡なら良いのか?と考えるが、やりとりが面倒なので言わないでおく。 お汁粉である。上品なお椀に餅が浮くデザートであるが、これが気にくわないという。かといって嫌いで有りながら、餅だけは食べ続ける。ノンストップである。 彼女に言わせると、お汁粉の汁の部分は「タレだタレ」との事で汁を全然飲まない。餅だけは延々とおかわりをし、正月のために用意した切り餅は大晦日に無くなってしまう勢いだった。 着いたり切れたりをのんびりと繰り返すガスヒーターを眺めながら、いよいよ年末にやる事が無くなったね、のどかだね。なんて言いながら、飲み物ですかと聞きたくなるほど餅を食べ続ける様はドリフのようでもある。 「俺達に明日はないってあるじゃん」 「あるね」 あれによく似てる。と説明を始めると彼女は何言ってんの?という目で餅を食い続けてこちらを見つめるが、説明するとまぁそんなもんですよね。と納得したようだ。 それというのは、餡こも善哉も好きでは無いのだが、むしろ嫌いな属性だがそれに餅が入っている状態は好きなんだという。もちろんあんころ餅ではダメで、汁粉になった状態だけが非常に美味しいのだという。汁は飲まない。 一方で件の映画は、犯罪者を取り上げたり賛美したような映画は好きでは無いが、と言うよりむしろ大嫌いだが、それが刹那的な賑やかさを振り掛けられられると、非常に面白かったりする。もちろん単なる犯罪者の腫れた惚れたではダメで、的確にデフォルメされた状態だけが見ても大丈夫な手合いである。演出は褒めない。 この映画の、的確にデフォルメされた犯罪者二人の如く、汁粉に浸かった餅は非常に旨いと言う事で話はまとまり、大晦日の夜は更けていく。そばを食う余地はもう無いだろうなんて考えながらテレビを眺めている。 そう言えば、この映画以外で取り上げられる二人にはもの凄い嫌悪感が湧く。全く許せる余地が無い。やはりよく似ている。そう彼女に説明すると、面倒くさそうに「もうお腹いっぱいだから汁飲んで」と、汁粉の部分だけが目の前にやってくる。 後三、四日は炬燵から動かないだろうななどと考えると、吹き出物が止まらないであろう正月が待ち遠しくなったりした。 [地上波(字幕)] 6点(2013-02-03 17:30:51) |
82. パルメット
《ネタバレ》 よせば良いのに……断らない。そんな話を思い出した。こういう人の心理は意外と根の深いところが痛んでいたりする。 カフェの外を歩くビジネスマンに片っ端から「この投資案件って、怪しいですよね正直」と、聞いて回れば全員がそうですね、と答えてくれそうな嘘っぽい話である。 昼食の時間を削って詐欺師にしか見えない男と会いに来ている彼女は、自分では優秀で、面倒見が良くて、鋭い、などと思い込んでいるのだがこの男に対する疑いの目を向ける場所が、いちいちずれている。判子を捺くまでは時間の問題だろう。 自分がやっている拙い株式投資のやり方や、新聞で読んだ程度の景気動向を得意げに吹聴する姿は正直痛々しい。周りのテーブルの客に、ほら私はこんなに優秀なんですよと説明したげなほど演技がかったその口調に男はやや嫌悪感を隠すのに苦労しているようでもあるが、他人の顔の表情を読み取るという概念が無いかの如く自分の顔をぐちゃっと潰して、「こう言う話は基本的にはお断りしています」などと彼女は鼻息を荒くしている。 結局、この投資話は物やお金では無く、私どもが選んだあなたへの投資なんです。と言う言葉から始まる美辞麗句にすっかり気分を良くして騙されたあげく、中国への留学をホイホイと決めてしまい搾取されてしまう始末だった。 「この敗者が」という態度が一気にひっくり返るきっかけとなっていたのは、「学歴」であった。その詐欺師のような男は実際に海外の大学を優秀な成績で卒業しており、実際に上流階級の人間だったのだが、それを転げ落ちていた訳だ。その転げ落ちた部分を省略しつつ彼女に「この私が太鼓判を」と、色を含んだ声音でセールスしたというわけだ。 自分より下と見なした人間には顔を鈍器で殴りつけたように歪めて攻撃的な口調になるが、する必要も無い勝負で負けると、いつも相手の言うがままに鵜呑みになるのだった。 っていう話を思い出したが、なんで彼らはホラー映画の主人公のように、よせば良いのに虎穴に入らずんばな方向に突き進むんだろうか。自業自得に鼻白む周囲を少しは気にしたら良いのに。なんて、テレビ東京のチョイスにちょっと唸らされるのだった。 [地上波(吹替)] 6点(2013-02-01 17:22:42) |
83. がんばれ、リアム
《ネタバレ》 耐える事しか出来無い相手を、執拗に虐げる。振り上げた暴力が、間違ったところに落ちていく。それで非は受け入れられ無い。どれだけ他人を痛めつけても、それによって自分の価値が変わる事は無い。低い人間で有るという事実がそこに有るだけだ。 この父親を見ていると、本物のクズとはこう言うものかと、感心しながらみてしまう。彼は豊かなら貧しい人を虐げて、豊かでも貧しくも無ければ毒ばかり吐き、貧しければこの様な事をする。どこかで観た事が有るようなタイプだ。 社会だとか、貧しさだとか、信仰だとか民族であるとか。そんなことが重罪の許可証になるわけが無い。この様に重大な犯罪をやってのける気質を持った人間の後押しをする事はあるが、誰も同情も許す事もしない。 完全にいかれた人間の生き様をみて背中がシャンとなるのだった。良い映画だ。 [DVD(字幕)] 8点(2013-01-30 07:28:15) |
84. スパイダーマン2
主人公のピーター・パーカーがぐちぐちと悩む。正直、結構秀才なんじゃ無いのかあんたはと言う位の科学者の卵だったりしながら、彼女が出来て金持ちの友人が居て、夜な夜なこっそりNYを護っている。そう言う彼がぐちぐち悩んでいるから面白い。 普通の人は、上司が馬鹿で悩んだり、自信のなさに悩んだり、成績で悩んだり、彼女が居なくて悩んだり、友達が居なくて悩んだりとか。とにかくぐちぐち悩んで当たり前というか、悩んで当たり前なのを日々何となく小さな喜びで前進していったりするのだ。 何でもありでも凄く人間的に色々ややこしくて、見ていて不思議と感情移入できてしまうヒーローっていうのがなんともアメコミで、痛々しいスパイダーマン。 いちいち悩むな、とかついつい突っ込んでしまうのだが、仮に彼が全然悩まなかったらはっきり言って私らは完全敗北な訳で、ちょっとIT企業の役員さんなんかに居酒屋で出くわしたくらいのことで敗北を禁じ得ないでいる普通人にとっては、丁度良いダメさを纏ってくれているのだったりする。 なるほど、受け手に優しい痛々しさな訳である。MJがブスなのも、これがもの凄く可愛かったりして見ると突然脇の甘さがなくなってしまって大変だ。ピーターが悩まない、大学生活をエンジョイしてNYでブイブイ活躍してその上可愛い彼女が存在したあげく、金持ちの友達と上手くやれてしまっていたら学年に一人位は居る、勝ち目の無いイケメンで秀才で金持ちになってしまう。コイツの成功談話を聞きたくないから同窓会が嫌だな的な、そんな勢いが付いてしまうから気をつけたい。 色々考えると、ヘンテコで古くさいモチーフを使い回さないといけない老舗アメコミで、アメコミ必殺のめんどくさい主人公で、どうでも良いような事で皆が争って。これで良いんだよな。日常の痛みを彼らも戦ってるような気がして、なんか妙に等身大なんだ。 ここがスーパーマンとの最大の違いか。良く、大雑把で、超能力で何でも解決できて御都合主義でと言うのがアメコミの様に捉えられている節があるけど、それは極端かもしれないが古代の単体スーパーマンというマンガだけだろう。アメコミは世界で一番ぐちぐちと悩むマンガだ。最近はスーパーマンでさえバットマンと言い争いをしてぐちぐちと悩むらしい。 そう言う訳で、この映画は非常にアメコミ然として良い雰囲気で、結構好きだったりする。 [DVD(吹替)] 7点(2013-01-28 05:19:19) |
85. スパイダーマン(2002)
スペシウム光線だとか、ギャラクティカマグナムだとか、サイコフレームだとか。もうね、作者がつよくなるんだぞっつってんだから納得しろよ。っていうものっていっぱいある。スパイダーマンの糸だって言ってみればそう言う物の一種だ。場合によっては不二子ちゃんだって絶世の美女?そうなの?って事だって無いことも無い。 学校一の人気者だったMJがブスなのはもう10年以上語り継がれているが、もうとっくにその事に言及しておくべきだったと今になって激しく後悔している。だけど、実はその事も10年の間に自分の中で消化できてしまっているのも事実だ。 結構面白かったなーとか思っていた10年前、その後ででもなぁMJブスだから説得力全然ねーよ、なんて笑っていたのだが実際は説得力が無いのはMJがブスだったからだろうか。 彼女がブスな位で説得力を失うんじゃストーリーとしてはあんまりだ。はっきりとブスと分かる彼女と付き合っているイケメンの男だっていくらでも居る。彼らだってラブロマンスの中心にいる。 何がおかしいんだろうか。というのは実は08年になってから判明する。ダークナイトが公開され全く弱点の無い脚本だ、と座ってる劇場の椅子に激震が走った。このヒロインのレイチョーがどう見ても、主人公が追い求める美女って感じでは無く、むしろ霊長的な……。という訳で、ブスでも脚本と演技力が合わさる事でとんでもない説得力を生む事がまざまざと証明されたわけだ。 つまり。MJがブスな事はそれ程重要なわけでは無く、脚本の練り込み不足と演技の説得力が不足していたと言う事なんだろう。 そう言うわけで、練り込めなかった最後の1ピースが、ほころびとなって出て来る場所が面白くないとかそう言う事では無く別の所だった、と言う事だった。 そこそこ面白く、革新的なCGIが乗っかって冒険活劇と悩みを併せ持つヒーローが結構まともに出てきたら、リービッヒの桶に空いていた穴はそう、MJだった。という訳だ。 [映画館(字幕)] 7点(2013-01-26 23:55:54) |
86. ハードロック・ハイジャック
《ネタバレ》 新宿駅の東口で降りて、三丁目に向かう。旨そうな天ぷら屋を通り過ぎて三越を曲がると俺達のユニオンだ。ランチが安いらしいから入ってみようぜなんて言いながら、寿司屋を通り過ぎるとあのビルが待ち構えている。各ジャンル専門のフロアではしゃぎながら色々漁った。あまり関係無いがアンヴィルなんかもその一つだったりする。 クラスの中のHR/HM大好き人間グループ一味は何も男だけだったわけでは無く、女の子だってちゃんと居たわけだ。その女のこのうちの一人と、二人だけで帰る事だってあったのだがどう言うわけかその時はバンドの話では無く、進学とかの話だった。 土曜日にこっそり二人で大学でも見に行こうと言う話になって、小田急線沿いの大学にいく事になった。 新宿から始めた大学探索はお金持ちな雰囲気の学校がある急行の停車駅を過ぎて、もう一つ行ってみようと神奈川県の大学に忍び込む事になった。山の上にあるその学校は理系の学部で、その大学然とした雰囲気に僕は圧倒されてしまった。 その次の日からグループの中で、彼女だけはあまり音楽の話題で新しい話を出さなくなっていった。たぶん、あの帰り道で交換したMDをずっと卒業まで聞いて居たからなんだ、と思う。急に勉強に熱心になった彼女と、今のままのペースの僕とでは何となく行く方向が離れ始めているっていう事に、全然気付いていなかった。 あの帰り道、メカのようなヤギにこう言う学問があるのかなんてはしゃいで居たけど、ガード下で何となく言った「よし、ここ来よう、ここ」と言った言葉は彼女の中では強く焼き付いていた。 そんな事をすっかり忘れていても、いくつものバンドが演奏する楽曲が流れて季節は変わっていく。そうこうしているうちにもうすぐ高校で迎える三度目の春、という季節だった。 HRとHMの三年間はあっという間に終わってしまって、それからは時々の飲み会に顔を合わせるだけの関係に戻ってしまった。僕も彼女も、小田急線の学校に進学したけれど、あの山の上の学校の合格発表で僕のために用意された数字の配列が無いのは何となく分かっていた。努力をしていなかったことを、彼女への罪悪感で明かす事はしなかった。 哀しい目をしていたのは、僕よりも、彼女の方だった。 この映画はHR/HM好きがこう言う気持ちになる装置が満載されていている。 ホントか? [地上波(字幕)] 7点(2013-01-26 21:43:18) |
87. 釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様
《ネタバレ》 2008年ですか。北京オリンピックのバブルが日本にも波及していて、もの凄い時代だった。私もその流れに上手く乗って非常に豊かな生活を享受していたりしたのが懐かしい。派遣社員の人たちもキラキラとした目で遅くまで働いて、皆が皆幸せだった。 が、そんなの一部地域の一部産業だけだ。あたかも派遣社員が良いものだから私は誇りを持って続けますよ、みたいな流れが今となってはもの凄く空恐ろしい。未来を見ないで今だけ楽しもうという様な。 だけど、今考えても異常な数年だった。月に十万も二十万も出かける暇を惜しんでAmazonで買い物し、一日に何度も宅急便のおじさんが来る。家の中はあのクソでかい段ボールだらけになり、物で溢れ返っているのだった。 今は本当にあの景気はなんだったの?とがらんとした部屋で、あの時無数に購入したものの見る時間も無かった映画をのんびり消化している。 この映画はそんなことは無く、地方の問題や格差の問題を取り上げつつも高度に派遣会社への配慮をするなど何でもありでも良く出来て居た。 しかし、佐藤浩市である。嫌いな人も多いだろうが、すっかり大物に成り、なかなかの演技をこなしシリアスとコミカルを軽妙に織り交ぜる日本屈指の俳優といえる。 息子に追い越され、年齢的な衰えからむしろスーさんの方がゲストと言っても良い位実力に差があるのに、良く親子ででるもんだと妙に感心したものだ。 だが、その同じ職業を同じ映画で分かち合う画に妙に感動してしまったりもする。それにしても演技の鬼だった父と、傑出した演技力の息子。凄い親子だ。 こんな事を思っていると、西田敏行が盤石の好演で締めるのだった。なんか普通の話だななどと思っていたが、何気なく非常に楽しんでいる自分に気がつく。楽しんでいる事を意識もさせないなんていう空気みたいな作品だった。19作も続いているのにこう言う物が作れるとは、作っている人たちをちょっと尊敬してしまう。 [地上波(邦画)] 7点(2013-01-26 20:48:29) |
88. プラトーン
この映画の描くベトナム戦争は、誰にとっても無価値な嘘だ。社会主義と世界征服のために嘘を展開した本人らも忘れてしまっているが、戦争に参加すらしていない日本人が半世紀近く経った今も肩代わりしている。滑稽ではないか。 軍事作戦的には話にならないほど弱い相手と長く戦わなければならなくなったアメリカにとってのベトナム戦争は、社会主義の拡大路線を推進していたソ中の平和主義偽装されたマスコミキャンペーンで間違った平和主義でまみれ、泥沼化した。 韓国軍の嗜虐性によって玩具のように虐殺されたベトナム人ではなく、米軍が非人道的に蹂躙する北ベトナムに哀れみを感じるように“作り上げられた反戦動画”や“情緒に溢れる反戦演説”は、結果として効果的に信心深い嘘の平和主義者を国内で生んだ。 「この国の従軍者を、ベトナム戦争で殺しつくし、帰還兵は社会的に殺そう」 正気とは思えない思想が国内に蔓延する事になった。現在残る平和運動の写真の多くを見て分かるとおり、今よりもずっと堅かったアメリカ社会にあって普通の社会人では無い人ばかりがデモ行進を行っている。この様な謎の市民団体の数の多さに政府はおののいたに違いない。 結果として、当然こう言った種類の市民が多数を占める事は無かったのだが、政策や軍事作戦は混乱を極める事になる。 米国民が完全に正気に戻るきっかけはパリ協定後の北ベトナムの協定無視だった。それまで米軍は東側の思惑で空爆を停止させられていたが、その思惑を無視できる基盤を確認すると、すぐさま北爆の再開に移りこの後瞬く間に西側諸国の圧倒的勝利で休戦を迎える。元々、北ベトナムはあまりに脆弱で戦争と呼べる代物になっていない。 しかし米南ベトナムによる完璧な勝利の後、南側を占領したのは完全に戦力を失いつつもソ中の支援により軍備を整えた、平和主義者が完全に正義と信じていたソ中北ベトナムだった。 この映画は、酸鼻極まる戦いの現場を描いていたが、事実とはやや異なる。終戦後10年以上経ってからソビエトや中国のプロパガンダに利用される運命が待っていた事が残念だ。 秩序を護るために戦って死んでいった人達や、主義に利用され死んだベトナムの人たちの名誉を踏みにじるような、米国の敗戦やアメリカの陰謀や侵略、北ベトナムの正義といった嘘を本気で信じている人が一人でも減る事を願ってやまない。 [地上波(吹替)] 8点(2013-01-26 19:03:01) |
89. インクレディブル・ハルク(2008)
《ネタバレ》 待っていては何も始まらないのが現実世界だ。周りだけが動き出して、自分はタイムマシンに乗って未来の世界に連れて行かれてしまう。気がつくと進歩しているのは周りの人間が作り出した世の中とガジェットで、自分だけが骨董品になっている。煤けても、動きが悪くなっても動かなければならない。表面だけ磨いて、油を差して、見かけ上の姿をごまかすようにそれらインフラとガジェットとを利用して、古い自分に鞭を打つ。 それでも、ハルクほどじゃない。彼は待つ場所も時間もない。全て無くして、自分というアイデンティティもどこかに行ってしまった。怪物であるという、記号性だけを埋め込まれたあと、彼はとにかく逃げるしかなかった。 一縷の望みをたぐって帰って来た彼は、それが幻想でしかない事を知っていながらもそれに縋った。そうやって起こった惨劇は、彼が戻ろうとした過去と、現在と、未来をさんざんに壊してしまったし、そこに生きてきてこれからも生きていくはずだった沢山の生活も壊してしまった。 だから、彼はずっと逃げるしか無いのだと決まっているのだ。もう、立ち止まる事も出来ない。 って所までは良いけど、技名絶叫(見開き)はねーだろ。車田正美かと思うよ。ねえよな。うん、ない。とってつけたようなアイアンマンのひととか無い。番宣ですか?そうですか。 [地上波(吹替)] 7点(2013-01-26 17:56:54) |
90. SPACE ADVENTURE コブラ
《ネタバレ》 松崎しげるである。なんで松崎しげるだったのかはよく分からないが、松崎しげるだ。あまりこの事には触れないでおこうと思う。だって、サイコガンを左腕につけた宇宙海賊って感じでは全然、ない。だから「ドミニクァー」だとか「レディェー」とか、そう言う大事な事もまぁ、良い。 ただ、いつだか思い出せないけど、これが放映されていた夏の夜。ガラスの向こうに現れたコブラが左腕を構えて笑うと、それに驚いた悪役がつぶやくその銃の名前と震駭の空気に痺れた。 だからこの映画が大好きだ。もう一度みたい。と、思ってもう一度見たのである。MXテレビよありがとう。で、どうか。 いや、結構ひどいぞこれはひどい。謎のイメージ映像は宗教団体のアニメのようであり、最低の演出だ。なるほど、子供の頃にみて全く美化されていた映画のコブラは実にひどい。であるが、 「そうなんだけど、ちょっと違う」 一人で逃げるの?と詰られて久しぶりに使う左腕を頭の上にかざす金髪の男は抜群にカッコイイ。だから、ひどい映画だけど、ちょっと違う。 この後の1時間は蛇足極まりない。ジェーン→キャサリン→ドミニクの三段構えで為す術無くモブレベルで死亡するコブラ式様式美も、あしたのジョーである。それでもなんかシリアスでリアルタッチで(棒な松崎しげるが 「なあレディ、俺達の旅の終わりはどんなだろな」とつぶやくと、相棒のアーマロイドは受け流す。 「さあ。コブラの旅に終わりなんてあるの?」 だって。そうだろう。そうでしょう。もう終わりなんか無い。周りの人間は皆去って行っても、等距離でレディーが支えていつまで経っても終わらない。 だってコブラだ。それで良いんだ。 突然の劇画タッチは、寺沢武一のCGと等価だ。古典ハードSFのオマージュと等価の予定調和がここにある。 左腕が義手じゃ無いコブラがクリボー氏にどうやって勝つんだ一体。そう思わせただけでこの映画は勝ちである。 [地上波(邦画)] 8点(2013-01-26 16:20:41) |
91. 長靴をはいた猫 80日間世界一周
《ネタバレ》 長靴を履いた猫がとうとう世界一周までしてしまうんだから観ないわけにはいかない。見事なチョイスをやってのける僕らのMXさんに感謝しつつ、レコーダーを起動した。 ぐるぐると駆け回る猫と豚。豚と狼と悪い猫。ぐるぐる回る。考証だとか、プロットなんかどうでもよくて、とにかく追いかけっこが楽しい。作者がわざと残したつっこみどころにしたり顔になるのも楽しくてやめられないが、この映画はそういう話ではない。 童心に帰ってしつこく追いかけてくるわるいヤツから一緒になって逃げたらいい、再生ボタンを押してスリル満点の時計塔にもう一度上るのだ。 [地上波(邦画)] 7点(2013-01-21 22:09:17) |
92. ディスクロージャー
《ネタバレ》 友人が昔、経費の不正使用と勤務状況の改竄で会社に陥れられた事があった。当時は小泉政権下のミニバブルと言われた世の中で、特に努力をしていなくても仕事に切れ間が無く、他の誰かが勝手に稼いでくると言う狂った世界だった。 その中で、彼は仕事を全くしないで経費の不正使用と備品業者との癒着で生活していた上司の目にとまってしまったらしい。友人は社内の正常化を牽引していたが、本当は優秀であったがため彼の周りにいる人間がパフォーマンスを見せないと釣り合わなくなってきてしまったのが実態らしい。 だが、これを面白く思っていない人間が居た。彼の上司と社長だ。同性愛や上司が会長の妾腹では無いかと疑われているほどに、不自然に親密だったのだ。 突然会議で偽造書類と嘘の勤務報告が行われて、進退伺いを言い渡された彼は私の所に相談に来たのだった。 「俺は会社で陥れられた。いったいどうしたら良いんだ」とうなだれる彼に挽いたばかりのコーヒーを勧める。そしてアドバイスを待つ彼に話しかけた。 「面白い話だな、俺だったら狂喜乱舞しちゃうよそれ」 意味が解らんと言う面持ちでカップが右手に浮かぶ。そう言う事では無くてどうしたら良いんだよ俺は、と苛立っているようだった。 「映画だとドラマになっちゃうんだよな、でも現実は違う。君は私の所に来たからには何にもしなくて良い」と言ったとき、私は薄ら笑いを浮かべていたらしい。 すぐに馴染みの弁護士を呼び出して、友人がこっそりコピーしたという偽造文書を手渡し色々と耳打ちをすると、弁護士は言う。 「いや、こう言うの待ってたんだよ簡単ですかっとするヤツ」笑いながら颯爽と去って行く彼に気の抜けた声で、じゃ頑張ってねなどと笑いながら言う二人を見て、友人は狐につままれたままだったが、来週には解決してるからせっかく来たし遊んで行きなよという提案にそのまま乗って、帰って行った。 その後弁護士は労基署でわめき散らし、社長の自宅に押しかけ脅しのような話をさんざん聞かせたのだった。本人も含め社内の人間のあずかり知らない所で事件は解決したのだが、小さな会社のオーナーやその腰巾着あたりが自分の性癖を満たしたいと言うだけの動機で人一人を陥れようとすると、痛い目に遭う。 そう言う事を思い出す映画だった。が、映画の方はそこまで面白くなった。 [地上波(吹替)] 6点(2013-01-21 03:53:20) |
93. ハイジ(2005)
《ネタバレ》 「頭は悪くないようじゃ」 藁をまき散らしながらフフフウフフフグフゲヘと高笑いを続ける少女をそっと見つめて、老人はつぶやいた。 それが、ハイジだ。この頭がどうかしてしまったとしか思えない女の子がハイジであり、私の中のアルムの原体験である。そして加減を知らないあの口調に週一でイライラするのだ。低燃費車の宣伝にでてくる彼女と、食品劇場のアホ少女は実際、等価である。 一方思う様陰惨で、いやな性格のペーターが作中白眉である。鉛筆をガジガジかじりながら、 「俺は勉強なんかしねえから」 と嘯く彼の堂々たる様は水晶体で逆さまに写し取られて、脳内で電波を発し始めた。「羊飼いに文字は必要ない」と吐き出す彼の姿はまるで、「人殺しに家庭はいらねえ」と呟く暗殺者だ。 正直、風景や建築様式や美術の美しさなんて目じゃない。古くて新しいハイジは二一世紀に生まれ変わっていたのである。 そういうどうかしちゃったの?なハイジとは違う、原作小説のエッセンスをより投影したであろう二〇〇五年版ハイジは盤石の純粋少女であった。 TokyoMXのカッティングも相まって少し早足で進みすぎるきらいもあったが、十分に感動作だ。 旧12チャン,TVK、MXの映画チョイスはヤバい。ものすごい手腕である。開始三十分(CM込みである)でババアが連れ戻しにきたときは、まだ早すぎて腐ってるぞと思わないでもなかったが、各局要チェックだ。 [地上波(吹替)] 7点(2013-01-21 01:57:24) |
94. 潜水服は蝶の夢を見る
《ネタバレ》 夢を見ているのだろう。今私はいつまで続くのか分からない生死の分かれ目を漂っている。正確には、漂っているのは間違いないのだが足下の状況は数十センチのスペースをステップしながら、あっちに行ったりこっちに行ったりしている危険な立場、である。 私は今飛んでいて、その飛行はぎりぎりよりもやや飛べていないという外観がふさわしく、五〇メートルも飛ぶと都合よく現れる次の足場で蹴りあげなければ落ちてしまう。落ちたらどうなるのか、それを考えたらあまり意味のない無限回廊に入り込んで、少なくとも飛べている今を失ってしまう。それは私の望むところではない。 私はもう三人いる仲間と一緒に目的地に向かって飛んでいる途中なのだが、彼らはこのとんちの効いたコスチュームや私たちに指令を下すボスのかっこわるい乗り物に何の疑問も持っていないのだろうか。 潜水服は蝶の夢を見るか、見るんだろう。夢を見ていれば何とか逃げ続けられるのだから。閉息感と拘束を感じながらも、飛ぶ術を与えられたこの世界に放り込まれたのはこの映画を見たからなんだろうか。私自身の影響を受けやすい安っぽさが夢の中にある。 いや、だからってこの夢を終わらせる理由にはならない。目が覚めてしまえばこの飛行体験は終わりを告げて、現実の私と向き合わなければならない朝がきてしまう。だから私は必死に足を地面に蹴りつけて飛び続けるのだ。 [DVD(字幕)] 8点(2013-01-19 03:08:02) |
95. まほろ駅前多田便利軒
《ネタバレ》 堅気とそうじゃない世界の境目に立っている。知らない間にだ。本人は至って常識的な人間の範疇にいるつもりだし、実体もそうであるのだとは思う。だけど、世間の目は容赦ない。隣に座っている同級生に抱えられた小学生にまでそんな仕事に就きたくないといわれるような道をひた走り続けている事にいろんな感情や感傷までが鎌首をもたげそうになるけど、便利屋は大声を上げてごまかすことにした。 どちらかというとマトモじゃないのは彼の同級生の方だけど、彼はそれを理解していた。理解しつつもそこから逃げられないのは実は僕らも同じかもしれない。 しがらみだったり過去だったり、自分のいたらなさや罪だったり。もしかしたらそれが全然ないスーパーマンみたいなヤツとか、金でどうとでもなってしまうバットマンみたいなヤツが存在するのかも知れないけど、残念ながら僕らのほとんどは、びっくりするほど一般人だ。 一般人であることが一意に常識人だったり超能力者だったりしないことが、世の中のつらいところだったりもするのだけれどそこはじっと我慢だ。 我慢をしているとどうだろう。こんなにどうしようもない二人に降り懸かる微妙な大きさの事件でも、うん、変に感動とかしている僕らがいるじゃないか。 だから多少普通だからってがっかりしなくて良いんだなって納得させてくれる。変色したフィルムみたいな記憶の中の昔ウロウロした街によく似てる、まほろ駅前になんか安心感を感じた。 [ビデオ(邦画)] 8点(2013-01-19 02:56:54) |
96. 犬神家の一族(1976)
10年に一度見直す。背筋がビシッとなるから。全部入りなんだよこの映画は。 [DVD(邦画)] 9点(2013-01-14 02:20:25) |
97. パンズ・ラビリンス
《ネタバレ》 この不愉快な独創性にやられた。何から何まで不愉快で、込められたテーマも噴飯物であるのだが、思う壺の中で思う様振られてるのが私なんだろう。 [DVD(字幕)] 7点(2013-01-14 01:59:29) |
98. 星を追う子ども
《ネタバレ》 正月の夜中。一人モチを飲み込みながら、新海誠の切ないアニメを3連発である。除夜の鐘が鳴った後、雑煮の出汁を取りながら始まった新海誠ナイトは、いよいよ汁粉をすすりながらモチを飲み込み、最新作の放映が始まる。 あぐらの中心部で丸まる相棒と見入る監督のインタビュー。 「王道を狙った」 「まだ物語の奥行きを知らない子供達に見てもらいたい」 「冒険物の定石の希少性とジブリの例外」 という意味合いのキーワードに違和感と嫌な予感を感じはしたが、もう二本も見てしまったしと、猫と一緒に見始めた。 どう言う角度で見ても宮崎駿が昔作った創作動物を思い出してしまう小動物。山深い舞台、制服、異次元、どうしようも無く原っぱなど、正々堂々としすぎている。 「おい。これ以上はやばくねえか?」 と猫が心配を始めている。実は私もこれは、と心配になってきていた。SFの要素を無くそうと、一貫して片思いの息苦しさを書き続けていた作者が、いきなり冒険活劇をやり始めている事は大変な冒険である、それ自体が。しかもこれでもかとテンプレート化した設定をポコポコと組み合わせてくる。特殊部隊の追撃まで始まってしまうのだが、陰謀劇な雰囲気を纏う。 「陸自の説得力がスゲエな」 と、猫がスンス鼻を鳴らすが、そのディティールはいったいファンタジーの何に使うんだ?と猫科最弱のくせに手厳しい。SFとか軍モノ好きそうだしなんとしてくれるんじゃ無いの?と頭を撫でてやるが、じっとテレビを見つめるだけだった。 見終わってみると寓意であるとか、爽やか感であるとか、何となく切ないとか手堅い。しかし猫は不満な様子だ。テレビの前で砂を掛ける足つきをする。やめなさい。 彼の言わんとするところは商業作品の形態で習作をやってるのがずるい。何となく分かるが、私の不満は実はそこでは無く、作画にコスト意識の匂いがしたところである。これまでのジャブジャブと時間と金を掛けたような背景や色彩が無く、ロボアニメの量産型のような割り切りに残念な気持ちを抑えられなかった。 あれこれ考えてるうちに雑煮はできあがり、夜明け前のほんの僅かな時間を丸くなった猫を小脇に抱え寝て過ごす事にした。 [地上波(邦画)] 6点(2013-01-14 01:44:07) |
99. メン・イン・ブラック2
《ネタバレ》 三人の仲間はすっかり大きなお友達になってしまったが、放課後に「ムー」を囲んでギャーギャーと探偵団を作っていたあの頃と脳内年齢はあまり変わっていなかった。免許を取り立てだった僕は海岸から黒い車を北に繰り出して、厚木基地に向かった。タッチアンドゴーを懸命にこなすF/A18には興味は無く、米軍がエイリアンと共同で作り出した未知のテクノロジーが詰め込まれたUFOを追っているのだった。 もし米軍に見つかって黒い服の男達に記憶をけされたらどうするかとか、サングラスを必ず持って行った方が良いだとか、頭の痛いお兄さん達である事は間違いないのだが本人達は知ってか知らずか、いや分かっているけどやめられないのだが、とりあえずは真夏の夜中にキャンプ座間の付近で落ち合う事にした。 この日中、猫を探して欲しいとか何とか言う幼なじみの言う事に付き合って、町内の隅々までニャーニャー言いながら二人練り歩いたのだが、その夜の計画を彼女に打ち明けると思う様腹を抱えて笑う彼女に、 「バーカバーカ、絶対やばいんだからな。いつか誘拐されるぞ」 とか半ばそんなはずは無いだろうという事を言い放ったり、馬鹿馬鹿しい話をした。 そうなんだ、僕も僕の仲間も彼女もとっくに宇宙人なんか信じていなかったのだけれど、何となくモラトリアムの中で楽しい記憶にすがっていたかった。そんな最後の子供の頃だった。 この夜、僕らは日本からはもうグレイを使った実験は引き上げているだとか、新型の飛行物体が厚木に埋まっているだのファミレスで話し合いながら夜更けを過ごした。到来して間もなかったインターネット社会はこの後容赦なくステルス戦闘機の存在を誰でも調べられる日常にしてしまったし、UFOなんていないと言う事もしぶしぶながら受け入れさせてしまう事になる。だけど、世紀末のあの空気は21世紀の今ではもう触れる事の出来ない宝物だった。 数年後、ふとあの頃の事を思い出して見たメンインブラック2はドットコムバブルの残滓のような映画だった。世紀末の異世界も新しい世界観を作り出す事も無く、単なる題材だけ借りた映画だった。だけど、一種のノスタルジーを僕に喚起させたのも本当の事だったりして、華やかな雰囲気が妙に寒々しく感じられたりもするのだった。 [映画館(字幕)] 5点(2013-01-07 03:24:44) |
100. スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー
《ネタバレ》 好みが合わ無いとかなりキツイ。 [地上波(吹替)] 4点(2013-01-07 00:23:48) |