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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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121.  暗黒街の対決 《ネタバレ》 
これを見た日の日記を以下に再現する。『岡本喜八のリズムになりきってます。シーンの冒頭のカットでいつもハッとさせる。パッと踊り子に照明が当たったり、あるいはシーンの終わりを射撃場の“ダブル”で締めたり、キビキビしてる。それでいて殺し屋にコーラスさせる(やっちゃえやっちゃえ)なんてユーモアも忘れていない。ミッキー・カーチスが怪しげなライト浴びてギャーッと言うところまで。悪玉中丸忠雄が、あっさり手錠かけられちゃうなんてユーモアもなかなか。三船敏郎は、ちょっと「用心棒」を先取りしたような役柄で。』射撃場のダブルってのが何だったのかまったく思い出せないが、ミッキー・カーチスがギャーッと叫ぶってとこを再見したい気持ちが、いま激しく高まっている。
[映画館(邦画)] 7点(2008-01-07 12:20:28)
122.  愛の讃歌 《ネタバレ》 
伴淳が女のもとへ、ほかの用事にかこつけながら出かけようとし、それを周囲がからかう場なぞ「寅」で何度も見ることになるシーン。「今日も待ち人来たらずか」のせりふは、やがてタコ社長によって反復される。実質の主人公である有島一郎の、想いを秘めながらひたすら倍賞へ尽くす姿は、そのままインテリの寅さんのようでもあるし、また寅シリーズによく登場する口下手なインテリそのものでもある。これ、寅が始まる2年前の作品。人生で後悔したくない、後悔させたくない、という互いの想いが、ややこしく絡み合ってしまう恋人たちの物語。その背景となる瀬戸内海の島は、若者を閉じ込める拘束場所だが、ユートピアにもなっている。おそらく現実の地方暮らしだったら、娘が父なし子を出産したらこう温かくは見守られず、どろりとした非難の眼差しも少なからず向けられるだろう。そうしていたたまれず大阪に逃げていくという話になる。でもこの映画では地元の人々に祝福されての出発へと話を展開させることで、故郷というものが無垢のままに保存された。そうである世界から、そうであってほしい世界をひねり出していくのが、山田洋次の基本姿勢と言えるかも知れない。
[DVD(邦画)] 7点(2008-01-03 12:18:43)
123.  続・座頭市物語
緊迫の場では音楽を鳴らさない、という当たり前のことが邦画では嬉しい。漠然とした印象で言ってしまうが、邦画ではすぐに音楽がうるさく鳴っていた気がする。仁侠映画の健さんは黙って仕事をしていたが、いくつかのアクション映画ではやたら金管楽器が吹き鳴らされて迷惑した。音楽を伴わないと迫力が出ないアクションは、アクションの敗北であろう。アクションは本来身体で聞かせる音楽として映画のカナメだったはずだ。この続編のシリーズ二作目までが白黒で、湖畔の場など美しい。もうしばらくモノクロでいけたんじゃないか。城健三朗時代の若山富三郎。
[DVD(邦画)] 6点(2013-12-27 10:18:49)
124.  座頭市兇状旅
ライバル役棚倉の北城寿太郎って昔の大映映画でしばしばお目にかかるが、とくにこのころか、なんか三船の雰囲気をそっくり真似していてオリジナリティが出せなかった気の毒な役者さん、という印象。本人の狙いなのか、会社にそうしろと言われていたのか。階段のすれ違いでの殺気。初めて剣を合わせ、市の手に傷がつく、刀を収めた棚倉さんの同じところにも血がついている。せっかく市の弱点である鉄砲が出てきたのに中途半端な扱いになってしまったのが惜しい。村瀬幸子のお婆さんが手堅く、必ず凶行を導く祭りの夜ってのも間違ってない。
[DVD(邦画)] 6点(2013-12-09 09:37:00)
125.  夢は夜ひらく 《ネタバレ》 
主役は「スパーク三人娘」のひとり、園まり(あと二人は伊東ゆかり・中尾ミエでポップス系の印象を強く残していた。園さんも最初のうちはあちらの歌を歌っていた記憶があるが、すぐに純歌謡曲路線・ムード歌謡の世界の人になった)。役名もマリで、山本陽子がヨーコで分かりやすいというか、安易というか。マリがヨーコに誘われて訪れたクラブで歌手がエスケープしちゃってて、急遽代理で歌うことになる。最初は尻込みし、歌の入りのところで間違い、すみませんもう一度お願いしますとおろおろ、ヤレヤレという表情をクラブのマネージャーがして、でも二度目の前奏で乗ってくる感じがあって「なんでもないわ」を歌うの。おーっ、と見直すマネージャー。と段取り通りに正確に進行する心地よさがあった。その前にドリフターズが歌う「涙くんさよなら」に「愛しちゃったのよ」が混ざってくるギャグもあった。一応恋の話があって、死んだやくざの兄の子分・岬さんって高橋英樹ね。大衆映画では話の骨格によく兄妹が仕組まれるのはなんでなんだろう。男女でありながら清く、家庭の記憶につながっていくからか。布施明はただステージで「霧の摩周湖」を歌い、当時の小悪魔奥村チヨはタバコの売り子から歌手へと出世していく。初めてマリが岬さんと踊るシーンは、暗い照明、呟くような園まりの歌声など、グッと来ちゃった。横浜ドリームランドの観覧車のシーンも暗かったが、これは物理的に十分照明が採れなかったのであろう。グッと来なかった。園まりの丸顔は、団令子といいあの時代の流行だったんだな。高橋英樹は横浜の港からブラジルへ去っていくのであった。監督は同年にやはり山本陽子と『大巨獣ガッパ』も手がけた野口晴康。
[映画館(邦画)] 6点(2013-11-25 09:48:59)
126.  座頭市喧嘩旅
大映映画はときに知らない人が多くて寂しいことがある。藤村志保と吉田義夫ぐらいだったかな。藤原礼子いう人が改心する悪女になる。道中ものというか、娘を連れての逃避行もの。「信用されてなかったのが情けない」と座頭市がいう。座頭市はけっこう心が傷つきやすく、身体障害者の心理をときどきグッと突きつけてくる。大ヒットしたシリーズなのに、なかなかテレビでは放映されなかったのは、悪役が「このドメクラがっ」などと悪態をつくからだったろう。「この目の不自由な人がっ」では日本語になってない。そういう差別の実態がなくては成り立たない作品のはずだ。「ドメクラ」という言葉に気をつかうのが面倒くさくて盲目のヒーローを放映しない「事なかれ主義」のほうが、よほど差別的だったろう。
[DVD(邦画)] 6点(2013-11-23 10:05:03)
127.  眠狂四郎 無頼剣
入りのリズムも良く、静かな庭→縛られている家人たち→女中の体当たりで倒す障子→かくれんぼをしている女の子→天知茂、とそつがない。全体悪くないのだが、敵役が「最初は世直しを計画していた一派」というひねった設定で「真っ黒な悪人」でないのが、感情的に一筋にまとまりづらく娯楽作としては難点。と思って製作年を見ると66年。う~ん、微妙だ。もしや当時の学生運動をダブらせていたかと思ったのだが、どうだろう。たしかにいろんな大学でくすぶってはいたようだが、それに注目が集まるのは翌67年の羽田闘争からだ。それにこういう原作もののシリーズは、どこまで当時の脚色者の自由だったか不明。でもあの天知の「正義のためなら町が火の海になっても仕方がない」というスタンス、やがて無差別爆弾闘争に煮詰まっていく若者像に重なって見えないでもない。かつてサイレントの傑作『忠次旅日記』で徒党が煮詰まって滅んでいく悲劇を描いた伊藤大輔の脚本ということで、新左翼の未来を予見したか、とも思ってしまった。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2013-11-06 09:43:56)
128.  眠狂四郎 勝負 《ネタバレ》 
ニヒリストでアウトローの無頼の徒と、理想肌で政治中枢の老人との親交を軸に仕込んでいるのが趣向。ニヒリストがそのせいで厄介ごとに巻き込まれ、嫌々のムッツリ顔で剣を振るうが、そう嫌でもなさそうなところ・老人への共感・正義への姿勢がほの見え、まだ無難な主人公なわけ。老人と狂四郎と互いに「余計な世話」を焼き合う。正月の町の風俗描写も味わいで、浮世絵なんかで見る大きなしゃもじをかついでいる人とか、物売りや占いの声など。藤村志保の役どころがちょっとふらふらしてて、しびれ薬を盛ったかと思うと、湯屋でそっと剣を渡したり、夫を救わんとする女心の惑いで片づけるには振幅が大きすぎたような気もする。謎の女占い師で辻々に現われているときのほうがドキドキした。円月殺法っての剣術としてどの程度合理的なのか不明だが、アクションとしては、緊張した静から動に至るのが味わい。だいたい時代劇で終盤の対決では、主人公と敵の大物とが向き合って、膠着した静からチャンバラの動に至るのが見せ場になる。そのとき主人公がゆっくり円を描き出してるってのが、なにやら禅的というか・所作として意表を衝いていてなかなかの発明(原作柴田錬三郎)
[CS・衛星(邦画)] 6点(2013-09-24 09:31:43)
129.  好人好日
笠智衆が数学教授をやるの。数学教授は変人というステレオタイプがあり、やってることはまさにステレオタイプなんだけど、笠さんだといいんだよね。あの喋り方かな。ああいう喋り方を許してしまう状況、っていうか、映画の現場もよかったんだと思う。俗物の作り方もいいのかもしれない。三木のり平に勲章を盗まれて、神道ナントカ会の菅井一郎が「陛下から頂戴した勲章を盗まれるとは何事」といきまくあたり、俗物が対比されている。かつて『勲章』という風刺映画を作った監督の勲章へのこだわりもうかがえる。この菅井一郎って役者さん、どちらかというとこういうクサい芝居する人だと思うんだけど、なぜか小津の『麦秋』ではそれほど気にならないのが不思議。そういえば、笠はあれでは菅井のせがれだったんだ、そして本作には『秋刀魚の味』と同じ娘がいる。
[地上波(邦画)] 6点(2013-09-14 09:43:26)
130.  二人で歩いた幾春秋
入学式のあたり木下節快調。金網越しに親子が並行移動する。この金網は学歴の差なんだろう。『二十四の瞳』では船に乗っている修学旅行の同級生と、奉公人となって働いている松っちゃんが並行移動し、『野菊の如き君なりき』では若坊ちゃんと奉公人がやはり並行移動する。一緒に進みたい者たちが、遠慮や気後れから離れて同じ方向へ進むとき、木下映画では泣けるんだ。本作では父と子がそれをやる。佐田啓二は木下に見いだされて『不死鳥』でデビューしており、二年後に亡くなる彼は木下作品ではこれが最後の主演だろうが、渋い境地を見せ始めていた(せがれの恋人が倍賞千恵子という年齢)。佐田・高峰の夫婦で若山彰の歌が入るという明らかな『喜びも悲しみも幾歳月』の二番煎じだが、五年おいて二番煎じやるってのもすごい自信だ(本作は道路工夫の話)。
[地上波(邦画)] 6点(2013-09-12 09:52:19)
131.  沓掛時次郎(1961) 《ネタバレ》 
映画は原作から自由でいいとは思っているが、外せないポイントってのはあるはずで、本作では時次郎が三蔵を斬るのは外せないんじゃないか。この映画では一太刀浴びせただけで義理は済ませたと後は刀を納め、三蔵は悪い一家の連中に斬られる。主人公を殺人犯人にしてはいけないと配慮したのか。原作では母子が見ている前で斬っている。映画の作り手は“夫を殺したのは時次郎とおきぬが思い込んでいるようにしといたから、さして不都合はなかろう”と思っているようだが、主人公の「疚しさ」が任侠ものの世界では重要なわけで、カタギになろうとするのも、これがないと説得力が弱い。ただの「正義の味方」になってしまっている。悪玉の須賀不二男がおきぬを狙ってもいるという設定にして、悪辣ぶりを倍加し、主人公が渡世の義理に悩まないですむようになっている(この須賀さん、悪役の常連でありながら小津映画ではとぼけた味を出す常連で、不思議な役者)。雷蔵のいいのは粋なところで、おきぬと門付け唄をして回るあたりの世話に砕けた部分に味わい(カメラが極端な俯瞰の宮川一夫)。最期の呼びかけが「おきぬさん」から「おきぬ」になるのが、ラストの太郎吉の「おじちゃん」が「お父ちゃん」になるのに対応する。忘れたかったのだが、一応書いとくと、橋幸夫の歌が二つもはいります。親子旅の合い間に「沓掛時次郎」の1番2番、傷心で棚田の奥の白い一本道を行く美しいシーンのあたりでおそらく「浮名の渡り鳥」って別の歌がはいり、ラストで3番を歌い上げると、そこに女声コーラスがトキジロートキジローとエコーのようにこだまし、やけにモダンなフォントの「終」が出るのだった。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2013-08-04 08:57:51)(良:1票)
132.  ポリー・マグーお前は誰だ
テレビが映画の題材になってくるのはいつごろからなんだろう。これなんか(66年)けっこう初期なんじゃないか。マスコミのイメージのなかだけで漂う現代のシンデレラ、それに実際おとぎ話的展開を付け加えて語っていく。冒頭の金属ファッションショーが、時代ですなあ。金属の時代の荘厳さ。アルミニウムの神。彼女がアメリカ人てとこにヨーロッパ人の屈折があるよう。ディレクターの家での嫌味の数々、アメリカへの蔑視だけではない。現実とイメージの対比というより、イメージの氾濫に任せてしまう手法。ディレクターが実は魔法をかけられていた王子だったと白塗りで出てきたとこはおかしかった。王子様と手に手を取り写真で旅してまわるとこ、ポリーの顔にどんどんいたずら書きを重ねていくとこ、などなど当時はおそらく「ポップだ!」というだけで肯定されていただろう時代の香りがぷんぷん。
[映画館(字幕)] 6点(2013-07-23 09:21:27)
133.  ナバロンの要塞 《ネタバレ》 
ずっと担架で運んできた怪我をした仲間に偽の情報を吹き込んでおいて、やがて自白剤を使うであろうドイツ軍を混乱させようと考えるG・ペックを、D・ニーヴンが非情すぎると非難する。ここらへんもっと突っ込めば「戦争における非情さ」で芯のテーマになれる問題だろうが、エンタテイメント映画を逸脱するのでサラリと描き、怪我人の内心の屈曲には触れずに、彼はチームの成果をベッドから見て喜ぶだけ。女性スパイの処分の場も「軍人は抵抗できぬ女性を射殺できるか」という戦場における非常さの問題に突っ込みかけるが、ここもなんとなく「戦争とはやり切れぬものだ」という詠嘆どまり。エンタテイメント作品ですから、という言い訳でずいぶん逃げてるなと思ったけど、「エンタテイメントをそれだけで終わらせない姿勢」と思えばよいのか。ただ各エピソードが寸断されてる印象があり「話を膨らます」展開に乏しかった。ペックとA・クインの軋轢は、最期の海で銛で救助する場面でうまく生かしてまとめた。第二次世界大戦ではギリシャものってのがあるんだな。最近ではニコラス・ケイジの『コレリ大尉のマンドリン』てのがあった。ノンキというのとは違うけど、独特の色調が加わる。地中海的おおらかさ?
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-07-11 09:22:27)(良:1票)
134.  宮本武蔵 巌流島の決斗
片岡千恵蔵が特別出演しているのは、戦後の大友柳太朗の『丹下左膳』に大河内伝次郎がゲスト出演していたようなもので、戦前の武蔵役者に対する敬意の表明だろう。うるわしい。本作を一本の映画として見ると、いささか散らかっていて弱いが、あくまで大長編の結末として見るのが礼儀(歌舞伎で「仮名手本忠臣蔵」の通しを上演するとき、芝居として見どころがないのは分かっていても最後に討ち入りの幕を入れないと落ち着かないようなものか)。第三部で五条の大橋に主要人物たちが集まってくるのにはけっこうワクワクさせられたものだが、今回おばば・又八・朱実・おつうらが、都合よく出会うのは、さすがにもうワクワクとはいかなかった。解散の前に全員集合させられている遠足の児童のよう。ドラマ決着の前に厄介払いしているようで、これまで全国をあちこち回らされていた彼らが可哀想。そもそも彼らが必要だったのは序盤だけで、すぐに厄介ものにされてしまっていた。新聞連載小説の原作ものの難しいところだろう。石仏を刻んでいた盲目の河原崎長一郎だけ、筋を通してもらえた。武蔵の精神主義に疑問を呈するエンディングになっているのが、吐夢さんの筋を通したところ。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2013-07-07 08:48:55)(良:1票)
135.  動く標的 《ネタバレ》 
アメリカ映画では、正義を行なう個人の勇気がしばしばクローズアップされ感動させられるが、「出来ねえよなあ」と思わせられることも正直言って、ある。さて本作のラスト、これどう解釈するか微妙なところなんだけど、それまでのアメリカ映画だったら正義に向かうハーパーをはっきり描いたろう。しかしこれでは銃を構えた犯人が「無理だ」と銃を下ろし、ハーパーも「無理だな」と立ち止まるところでストップモーションになる。これ「正義を行なわない結末」と思ったんだけど、それでいいんでしょ。標的になりながら数歩歩いたことは「アメリカ的勇気」だけど、法律上の正義は放棄した、と解釈した。車中での会話で若いころの希望や現在の状況を改めて思い、悪い奴(不法移民斡旋宗教家その他)は司直の手にゆだねたり死亡したりしてるし…などの言い訳も浮かんだろう、それほど人間正義絶対で生きてるもんじゃないよ、と主人公が心中ぼやいて通報義務を捨てた瞬間のストップモーション。ハードボイルドの主人公像とうまく重なるものを感じた。事件をクリアに理解できてないので間違ってるかも知れないけど、そこが新鮮だった。妻のJ・リーは朝食の卵の黄身を、ハーパーが去ったため、ハードボイルドどころか、一つ一つ潰してたっけ。見てる間は分からなかったが、悪の店の歌手は『エデンの東』のアブラさんだった。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-07-03 09:19:14)
136.  ナック
ポップだなあ。怒れる若者たちの時代、大人たちの視線を折り込みつつ、老大国イギリスの自意識でもあろうけれど、若者たちを街に走らせる。ベッドを走らせるあたり、イキイキしてる。いつもどこか開いてしまうコインロッカーのドア、コーヒー販売機のボタンで閉まる。あと路地の出入り、とかギャグもいろいろ。この監督アメリカ生まれなのね(たしかJ・アイヴォリーもそう)。根っからの英国人でないことも、この視点に関係しているか。伝統を背負う責任がない。若者たちの子どもっぽさを肯定する空気がある(いや、それこそイギリス的なのかも)。ジョン・バリーのジャズっぽい音楽が(つまり大人っぽいってこと)、若者たちとの間に距離を作ってる。彼らの明るさに対する翳り、この世は無常ですぞ、といった雰囲気。
[映画館(字幕)] 6点(2013-05-11 09:15:32)
137.  マーニー 《ネタバレ》 
ヒッチコックが好んだ「心の闇」もののサスペンスはこれが最後となった。掉尾を飾るとはいかなかったが、味わいはある。いいとこが一つでもあれば可と思っており、これは三つはある。①無人となった会社で金を盗むとこ。画面を壁で分割し、左側に掃除婦が入ってくる緊張。ずっと無音のところ、ポケットに忍ばせた靴が落下。入れ替わりに入ってくる男とマーニーがぎりぎりですれ違う。彼の掃除婦への呼びかけの声の大きさで、掃除婦耳が遠かったと分かる。そんなシーン。②旦那の家のパーティに次々に客が訪れ、カメラがゆっくりゆっくりドアに近づくと、最初の事件の会社の経営者が立つ。これはもうヒッチお得意の段取りで、昔はチック症のドラマーに迫ったりしてた。いいんだ、この「じわじわ接近」。③終盤の怒鳴り声の応酬で盛り上げた頂点で、マーニーが突然子どもの声になるとこ。彼女のトラウマを一瞬のうちに提示し、女の子に母の愛を奪われたと嫉妬していたシーンなども思い出させ、ドキドキしつつ哀切。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-05-09 09:22:01)
138.  シェナンドー河 《ネタバレ》 
「国(州)が勝手に戦争やってようと俺の家は関係ない、国が子どもを育ててくれたか」と独立独歩でやってきたJ・スチュアート、馬を買いに来たバイヤーと殴り合いの喧嘩になり家族揃っての乱闘、向こうがピストルを出したところで、こちらも娘が一発放ち、決着となる。なるほど、アメリカで銃規制が進まないのは、こういう原風景があるからなんだな、と納得した。国の方針に納得できないとき、自分のとこは独自にやっていく、という担保として銃があるんだ。ライフルはその象徴でもあるから固執する。国家に最終暴力の権利を与えると、とめどなく強大になって最後は北朝鮮のような軍事国家になってしまうだろう、それなら「銃の野放し」のほうがまだいい、という判断。南北戦争のころと今とでは比べられないはずだけど、根本思想として「銃による独立」という考えがあり、それはそれで一応筋が通ってるんだ。日本では銃の野放し状態になる危険性より、軍事国家になる危険性のほうが高いんじゃないか。国家に何でもゆだねたがる性癖。たとえば死刑制度がなくならず、反対運動が高まらないことも…なんて、余分なところで感想を抱いた。映画そのものの感想。ボーイが助かるあたりは「うまく出来すぎ」だし、そもそもJ・Sの頑固親父はニンでない(息子が撃たれたあとの怒りのことばは彼ならではの説得力があった)が、内戦のやりきれなさは静かに底に流れていた。南北両軍が対峙しているところに放れ牛がやってくる場なんかがいい。留守宅での不意の惨劇も、銃の使い手が出払っている家の不安の結晶なんだな。二階に上がっていく悪人どものサーベルが階段一段一段でたてる音。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-04-28 10:30:58)
139.  エル・ドラド(1966)
最初『昭和残侠伝』みたいな話になるのかと思ってしまった。J・ウェインとR・ミッチャムが、友情を維持しつつ敵対する組に属してしまい、義理と人情の板ばさみになり、最後は二人してライフル携え悪の一家へ颯爽と殴り込みの道行きになっていく、バックには冒頭の歌が流れ…、って。そしたら、すぐにウェインは悪の一家とは手を切って、馬を後ずさりさせて善玉に属する。池部良のような心の葛藤はない。そして終盤では「颯爽」ではなく二人の怪我人として殴り込む。ウ~ン、東洋と西洋での男意気の違いをまざまざと感じさせてくれた。物足りないのは悪役に魅力がないことで、どう悪い奴らなのかをあまり映像で見せてくれない。彼らが悪役と言う立場なんだよ、と会話で説明されてるだけ。善玉の仲間うちの会話は楽しかった(保安官任命の宣誓とか、バッジは標的になるだけ、とか)。その他の俳優、とりわけ女優さんは60年代後半をまざまざと感じさせ、ウェインとでギャップがあったな。善玉一家の娘なんか、どちらかと言うとベトナム反戦集会にフォークギター持って参加してそうな雰囲気。J・カーンは、こういうのもやってたのか(『不意打ち』ってので町のチンピラやってたのは見たぞ)。せっかくナイフの名人ならそれをもっと生かせばいいのに、銃の訓練で笑いをとる役割り。やっぱ銃が基本の社会なんだ。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-04-20 10:00:48)
140.  あかね雲
水上文学の世界ってのは微妙でして、演歌的な愚痴の詠嘆にもなり得る危険性があるが、正確に社会批評の部分を突いて映画化されると、いい画になるものを含んでいる。自分を利用する男に感謝し続けるヒロイン、後半にいくにつれ脱走兵・小杉と出会ったのは幸せだったのではないか、とふと思わされ、そこに貧困の問題が大きく浮かび上がってくるの。世間の良識としての小川真由美が存在して、この苦労を積んだ上での批評が、こちらのカップルを刺激し続ける。それが男社会の批評にもなっている。これに対応するように小杉さんも疚しさを感じ続けるのだけど。夕焼けだけ朱になる趣向。親から十円借りるあたりホロッときた。山崎努が缶詰のシールを貼っている薄暗さに、脱走兵の不安が重なる。脱走兵と女の物語は、後にもう一度水上文学の映画化『はなれ瞽女おりん』で美しく繰り返される。
[映画館(邦画)] 6点(2013-04-19 10:26:27)
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