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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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121.  ハンガー(1983) 《ネタバレ》 
最初はよくあるキザが空回りしているだけの映画だな、と思ったんだけど、結構それでも味わえちゃった。全編に漂う「たそがれ」の気配がいい。シューベルトの室内楽が鳴り、『バリー・リンドン』でレディー・リンドンのテーマに使われた変ホ長調のピアノ三重奏曲(の第2楽章ね)、あれに弱いんだ。なんかヨーロッパのたそがれって感じが迫るの。舞台はニューヨークだけど、それだけにボウイとドヌーヴのヨーロッパ性が強まる。ドヌーヴの貫禄、前半はちょっと場違いになるのではないかと心配したが、かなり適役だった。病院で待ってる間にどんどんふけていっちゃうとこが見せ場で、病院の長い待ち時間への皮肉と見てはいけない。あちらで「吸血鬼」ってのは、血を吸うことより「不死」のほうに重点が置かれているみたい。あんがい日本の能と近いものがあるかも知れない。滅びることが出来ずに迷ってる、って。
[映画館(字幕)] 7点(2010-11-28 09:45:15)
122.  ナイルの宝石
こういうジャンルって日本には生まれないな。お笑い活劇。日本だと、笑いを重点的にすると活劇がお粗末になり、活劇っていうとみんなマジメ。これ目新しいギャグはほとんどないんだけど、でも楽しかった。時間の長さもちょうどいい。飛ばないジェット機がごとごと走ってるってのはかなりおかしい。この時代アメリカの公的な悪役はカダフィ大佐だったころで、ヒトラーに見立てて、ちゃんとアメリカの言い分も織り込んである。というか、こういう娯楽作品のためにいつも「公的な悪役」を用意しておく国柄なのか。キャスリン・ターナーって、はっきり三の線の人で、こういう人材も日本にはないな。そもそもここらへんのおばさんが主役になることが、二にしろ三にしろまずない。若くなくなると、もう母親役の脇が振られるだけ。
[映画館(字幕)] 7点(2010-11-22 10:09:57)
123.  ファニーとアレクサンデル
この人は、だいたい90分くらいのカッチリした世界を構成してくれるところが好きだったんで、この長さにはいささか戸惑った。そしてカッチリしてない。なんかその長さの中にひたる喜びを味わえたが、もひとつ作品のツボを私が捉え切れなかったんじゃないか、という気分も残った。でもなかなか再見する気力が湧かないまま現在に至っている、長いから。画面は洗練されているけど、話はなんかゴツゴツしており、いえ、それがいいんです。これがベルイマンとして提示できる人生肯定の形なんだろう。カールの悩みも主教の孤独も、ツルツルになるまで溶かしてはいない、こういったそれぞれの苦しみをそれぞれが受け持ちながら、でもそういう溶けきれないものがゴツゴツ浮かんだり沈んだりしているからこそ人の世界を肯定できる、って感じ。そういうゴツゴツしたものを必要以上にオーバーに拡大させない、けれど無視してしまうのもいけない、ということ。今までの作品でこれに一番近いのは案外『魔笛』かもしれない。自分のシナリオでないあのオペラにあった「ゆとりのようなもの」は、ベルイマンを考える上で大事なものらしい。この映画観たときの想い出では、3部と4部の間の休憩でトイレに走ったところ、便器が二つしかなくて長~い行列ができていたこと。
[映画館(字幕)] 7点(2010-11-01 09:55:37)
124.  ダウン・バイ・ロー 《ネタバレ》 
町並みや雲の美しさは、ヴェンダースのカメラマンということで納得。でもこの監督の味は牢に入ってから。退屈をどうしていいか困っている人を描くのが好きみたい。イタリア人ロベルトが加わって、さらにおかしくなる。ボソッと、人を殺したんだ、と分かるとこ。「ホイットマンが嫌いな奴だったのか?」「きいてなかった」。不意の脱獄。脱獄そのものがギャグになっている。ボートで沼地を行く。しだいに迫っていくカメラ、水面は微動だにしない。別れの予感、朝のダンス、二又の道、上着の交換、ってね。うまいよね。でもなんかコツがわかってる分、それだけ飽きも来やすいというか、三人がばらばらに散っていくって同じ展開でも、鮮やかさは今ひとつ。こっちはちょっとキドリが感じられてしまう。情緒的なレベルで「男の世界だなあ」と満足してしまいかねないところがある。
[映画館(字幕)] 7点(2010-10-20 09:52:35)
125.  カイロの紫のバラ 《ネタバレ》 
向こうとこちらが会話をするあたりが楽しい。何の予備知識もなしに観られたらもっと良かっただろう。二枚目が突然こちらを向いて喋り出しちゃうとこ。残った連中がブツブツ言い、観客と言い合いをしたりする。でもこれが社会的事件になっちゃって、本物の役者が出てくるという展開はどうだったかなあ、ないほうがもっと甘美な夢に凝縮できたんじゃないか。ミア・ファローが映画の中に入っちゃってからは、アレンの腕のみせどころ。擬古典派とでも申しましょうか。ネオンが画面を横切っていき、バックが黒で二人の踊りが出たり、で映像のほうのトニー(だったっけ)が身をひいていくあたりはホロリとする。なるほどこれはカラーじゃないとダメな映画だ。
[映画館(字幕)] 7点(2010-09-12 09:56:48)
126.  ブロードウェイのダニー・ロ-ズ
ウディ・アレンの映画で時々カチンときちゃうのは、本人がお人好しの役をやっていい気なものだと思ってしまうとこなんだけど、でもここまでやられるともうマイッタって感じ。許しちゃう。褒めちゃう。昔語りの枠の中に収めてあるので、臭くならないんだな。邦画の芸道ものにもこんな設定ありそうな話だが、あちらだとこうなって、こうすると臭くならないのか。むちゃくちゃに災難が襲ってくるおかしみ。5歳の子も文句を言う腹話術師。圧縮ヘリウムの中での叫び合い、などなど。ロングでセリフの聞こえない立ち話っての、この人好きみたい。けっこうしみじみなトーン。
[映画館(字幕)] 7点(2010-09-05 09:13:34)
127.  マルサの女
伊丹監督の一番の業績は「情報映画」って新しいジャンルを作ったこと。一斉査察がドキドキさせたけど、調査の部分が興味深い。シーツの洗濯数から調べていったりする。それらの情報が大きいうねりを作ってくれないところがちょっと不満だけど、こういう題材を見つけてくる才能は抜きん出ていた、もっと大手会社の製作部に見習ってもらいたかった。ただせっかくドライに行ってんのに、山崎と宮本を人情で繋げようとしたりするのが分からない。この人はひどく自分の意見が映画に出ちゃうのを怖れているみたいなところがあって、ドライにいくか、さもなければ紋切り型でいくかってことになる。でもこういう「社会」を扱った作品だと、やはり自分の立場ってのがどうしても反映してしまう方が本当じゃないだろか。どっちかの側につけっていうんじゃなくて、両者の執念がキリキリと詰め寄ってるところをヒョイとかわすような視点があってもいいんじゃないか、などと思ったものでした。山崎努の役名が、『天国と地獄』でさかんに電話を掛けていた相手の「ゴンドウさん」というジョーク。
[映画館(邦画)] 7点(2010-08-28 09:59:58)(良:1票)
128.  ハンナとその姉妹 《ネタバレ》 
この人は、街角での立ち話ってのが好きだね。建物から街路へ出てくる人のフルショットとか。建物の中では濃密な人間関係のドラマが成り立つが、こういう他人の流れのなかでの「かぼそいつながり」の方が一種の奇跡であるかのように見え、そっちでドラマを動かしたくなる。そういう下地があるから、マイケル・ケインがリーに「偶然」出会うために走り回るあたり、笑える。モノローグとそれを裏切る行為、って笑いもある。キスをする段取りを考えていて、結論に達した途端に、突然しちゃうとか。うじうじベッドで考えてて、よしっ電話しようと思って行くと、向こうから掛かってきちゃうとか。
[映画館(字幕)] 7点(2010-08-27 09:43:46)
129.  螢川
雪・桜・蛍とくれば、ディスカバージャパン的な定型の情景が連続するんではないかと心配していたが、そこは避けてある。雪はボタ雪と違い湿り気のないサラサラしたもので清潔。桜もそれらしい観賞用のカットはなく、自転車の車輪に貼りついた花びらがカラカラと宙を回転している。色も白・黒・赤という日本の伝統的な美意識に通じる三色の配置がしばしば使われるが、白い雪に黒い学生服、そこに赤い血や赤い傘が飛び込んでくるというような感じで、驚きのある新鮮な使用法。とても日本的な気分にあふれている物語を、情緒に流れないようにと監督は細心の注意を払って進めている。奈良岡朋子のエピソードなども、十分に溜めてから激情を爆発させるので、ジメジメしない。こういった演出上の抑制が、まわりの善意に溺れまいとしている少年の爽やかさと重なった。ただラストの蛍のシーンでの合成音は安っぽかった。赤い傘につけた鈴の音の効果などが素晴らしかっただけに残念。
[映画館(邦画)] 7点(2010-08-26 09:47:01)
130.  落葉樹
作者が取り乱している。息せき切って取り乱している、それを隠そうとしてない、それが良かった。大の大人が「おかあさん」と口にするときの、もうハニカミも何もないみっともなさを思い切って肯定してしまうところに、この作品の立地点があるようなのだから。小林桂樹はかつてテレビで山口瞳の「血族」をドラマ化したときも、母を思い出す初老の男を演じた。たぶん同じ原作者による映画『江分利満氏の優雅な生活』の小林を引き継ぐイメージでキャスティングしたんだろう。でもこのころの小林はかつてのヒョウヒョウよりも深刻な演技をするようになっていて、「血族」原作のハニカんだニュアンスはゴッソリ失われてしまっていた。しかしこの新藤作品では、その深刻ぶりが、かえって生きたようなのだ。照れながら語ってくれる山口瞳のような人もいてほしいし、こう取り乱して語ってくれる新藤兼人のような人もいてほしい。『江分利満氏』の小林桂樹と『落葉樹』の小林桂樹と、演技の変化に合ってうまく出会えたそれぞれの作品という気がした。前半、ほとんど民俗学の教育映画じゃないかと思われるような静かな家庭の風物のあれこれが描かれ、そこから一人ずつ葉が落ちるように家族が減っていく。コウモリ追い、狐火、夏の海、おもちゃを買ってとねだる…、などの記憶が淡々と綴られていく。その淡々の中に母を思う気持ちが、取り乱さんばかりにうねっている。社会派新藤監督作品としては異色作だが、けっこう好きです。
[映画館(邦画)] 7点(2010-08-09 10:35:51)
131.  ラウンド・ミッドナイト 《ネタバレ》 
親切とか友情とかいうよりも、もうこれは献身ですな。身を滅ぼして創造していく芸術家、それにインスピレーションを受ける生活人。この男がイラストレイターってのが、うまい設定。芸術家と生活人の境界にいる。彼の親たちのような「調和のある暮らし」をしてるわけじゃないし、また奏者のように確固とした自分の芸術世界を持っているわけでもない。その両者の間で宙ぶらりんになってるんだけど、ひたすら献身と保護で、芸術家と調和のある関係を生み出してしまう。彼が献身する主人公のサックス奏者のオッサンがいいんだ。デクスター・ゴードン。ボーッと立っててゆっくりゆっくり歩くの。表情はほとんど変化なしで、でもその分、酒をやめると決意するあたりはジーンとしてしまう。あと誕生会のとことか。ただボウゼンと座ってるだけなんだけど、味わいがある(演技の素人を使って味のある芝居を引き出すってのは、イタリアのネオ・リアリズムやら、清水宏やら、ブレッソンやら、映画史で繰り返されてるんだけど、これは映画ってものが「演劇」の発展したものでなく、あくまで「記録」の精神から出発してることと関係があるんだろうな)。日が射す海辺を少女と遊ぶ場面以外は、ほとんど夜か曇天の世界で空気がこもってる感じ。人と人が理想的な組み合わせで出会う、ってのにしみじみ感動させられてしまうのは、そういうことが現実には滅多にないからなんだろう。後を追いかけていったらオレンジジュースを注文していてほっとするところ、などジンワリ。
[映画館(字幕)] 7点(2010-07-24 10:06:12)
132.  ミッション 《ネタバレ》 
音楽がエンニオ・モリコーネ。『1900年』的なオーボエの歌から始まって、スタッカートのコーラスで盛り上げていく。歴史や政治など硬めの題材を背景にした映画ではとりわけこの人の曲が似合う。『死刑台のメロディ』の歌も好き。『ソドムの市』の、あたかも上品なサロンで流れているような音楽も大好きなんだけど、これは硬めの歴史ものってのとはちょっと違うか。またこの映画では音楽ってのが、そもそも一つのモチーフになっている。宣教師の布教の手段としての音楽が、けっきょく歴史を見ると、布教が音楽文化を伝播するための手段になってしまった、っていう皮肉のようなこと。「慈しみあふれる愛」がどうのこうのと言われると反発を持ってしまうが、異文化の接触という点に重点をおけば、歴史の普遍を描いている。異文化がぶつかりあうことによって、たしかに一方では今までサーベルなど持ったことのなかった楽園に悲惨がもたらされたが、また一方ではヴァイオリンが伝わった(なにもインディオの音楽と西洋音楽との間に優劣をつけてるわけじゃなく、あくまでこうして文化は多様化していくってことで)。もっともその後にはキリスト教文化由来の和声が世界を覆い尽くしていったわけだが、ともかく宗教より芸術が上位、って考えは嬉しい。
[映画館(字幕)] 7点(2010-06-23 12:02:22)
133.  エイリアン2 《ネタバレ》 
エイリアンを先住民インディアンなり共産主義者なりに見立てると、ハナモチならないアメリカ映画の伝統につながるんだけど、己れの悪夢を克服するために再び現実と戦う勇気の物語と見ると、アメリカ映画の最良の伝統を受け継いでいることになる。だからいいのはヒロイン像。重火器の構えがいい。今までだと武器を持つ人物は、もっぱら前屈みになったもんだけど、重さで後ろに身を反らす感じになる。前屈みのほうが戦闘的な気分は出るが、身を反らすと堂々として頼もしい。それが女性ってことで、新しい味わいが出た(2012年再見。ここらへん記憶の中でリプリーと海兵隊のオネエチャンとが混ざってたな。あのオネエチャンの構えが本作で一番印象に残っている)。活劇としては、天井からエイリアンが近づいてくるあたりドキドキさせたが、考えてみればちょっと対策が不備すぎる気もする。エレベーターで追いかけてくるってのも、なんだかなあ。細かいところはけっこう気をつかってるんだよね、冬眠から覚めたあとの床の冷たさとか。
[映画館(字幕)] 7点(2010-06-20 12:12:59)
134.  サクリファイス 《ネタバレ》 
『ソラリス』から『ノスタルジア』まではもう完全に酔いしれたもんだけど、これは違和感が残ったなあ。いままでの作品と比べてセリフの比率が多かった気がする。いままでの復習的な面もちゃんとあって、唖の少年は『鏡』の冒頭の吃音を思い出させ、自転車ってのは『ノスタルジア』で重要だった。ドアがギィーッと開くってのも。揺れてガラスが鳴り出すってのは『ストーカー』、空中浮遊は『ソラリス』に『鏡』と、なんか過去のモチーフを総ざらいしている感じがあった。遺作となると意識していたのか。そういう意味では、もちろんタルコフスキーの世界以外のなにものでもない(でも犬がいなかったなあ。途中で鳴き声が入ってきた気もするが)。素材はそうなんだけど、なんか本作はそれに浸り切ってない感じがある。それが衰えから来るものなのか、作者の切迫から来るものなのか。話の骨組みは黒澤の『生きものの記録』と似てて、でもまったく別種の道を通り、まったく異なる質感の世界を提示した、って感じ。でもまだ黒澤のほうが論理的だった、こちらはもう完全に「祈り」だもんね。あの「日本」をどう考えていいかが分からない。未来都市をわざわざ日本で撮った監督が、あの老教授と同じ考えだとは思えない。案外単純にヒロシマの国ってことかなあ、その場合非キリスト教国ってことはどうなるのだろう。
[映画館(字幕)] 7点(2010-06-16 12:06:40)
135.  プラトーン
こうまで爽快感のない戦争映画も珍しい。おどおどした気持ちと倦怠感が交錯し、それにヒステリーが重なる。オバサンを射殺するあたり説得力があった。恐怖があり、仲間を殺された恨みがあり、分からない言葉で何やらこちらを非難している、倦怠感からヒステリーへ一足飛びにエイッと行ってしまう。ラストの大混戦、敵味方の区別もつかない渾沌に友軍の爆撃が重なって、ヒステリーは頂点に達する。けっきょくすべての兵士の死は犬死にである、というやりきれなさがビンビン伝わってきた。ヘリコプターの風でカバーがめくれ死体が出てくるとこ。冒頭の除隊組とすれ違うところも印象深い。最後の兵士の意味ありげな笑い。ザマアミロが80%、憐れみ10%、頑張れよ10%、ってとこか。バーンズも単なる悪役じゃなくて、この戦場で生き残り続けてきた経歴を持っている、生き残ることは殺すことだってことを身をもって証明してきて、クリスがラストでなぞるわけ。そしてすべてを包み込むジャングルの怖さ。ここでは敵はまったく純粋な「敵」として存在する。懲らしめるべきものでも、人倫を踏み外した憐れむべきものでもなく、ほっておくとこちらを殺しに来るただ純粋な敵。
[映画館(字幕)] 7点(2010-06-07 12:03:29)
136.  コミック雑誌なんかいらない! 《ネタバレ》 
とにかく内田裕也が芸能レポーターやってるってだけでおかしい。内田裕也一人でもおかしい、芸能レポーターってものもそもそもおかしい、そのおかしさは異質のものだったんだけど、それが重なるとまた第三のおかしさが生まれてくる。「深く静かに愛が潜行しているものと思われます」なんてレポートのおかしさが、内田が言ってることでさらにおかしくなる。後半、御巣鷹山で啓示を受けて、まともなジャーナリストへと目を開いてしまうんだけど、これどうかなあ。面白さは減じてしまったが、同時進行製作としてこうなってしまったって感じで納得できもする。マジメな人だから。三浦和義のシークエンスが一番いい。逮捕シーンも収められたことで、さらにこの三浦さんて人のホントかウソか分からない・いかにもテレビ的なところが、ナマナマしく記録できた。一和会のとこに行ったときは、裕也さんちょっとビビッてたんじゃないの。「カメラちゃんと撮ってるか」も良かった。あらゆる劇映画は時代の記録映画である、という真理を、最初から中に組み込んだ作品。
[映画館(邦画)] 7点(2010-06-04 12:02:15)
137.  トットチャンネル 《ネタバレ》 
『雨に唄えば』のテレビ版というか。「初めの自由さ」がのびのびと描かれている。試行錯誤の時代、それと青春の試行錯誤が重なっている。買い物ブギの派手な振り付けと、その後ろを不気味そうにカバンを抱えて通り過ぎるトット。だって街中でああいう人を見掛けたらジロジロ見てしまうんではないですか、という理屈。いかにも白紙の状態で入ってきたという感じ。バタンと倒れてガヤガヤが入るとこも、ちゃんと本人には理屈があるのがいい。手錠も面白かった。あとは火鉢の灰か。いい度胸してると言われるまでになる。あれがないと、どうしてこう失敗ばかりしてて抜擢されるのか、ってなるんだけど、あれがあるのでつながる。で壁を支えるところで仕上げって感じかな。「ケーキ」のシーンは見なかったことにすれば、コメディとしてかなり楽しめた。もちろん植木等もいい。別荘での青春談義、医者と監督の間で揺れた大森君自身の言葉でもあるんだろうね。あれがラストのトットの決意につながっていく。恋愛のない青春ものとしても貴重。
[映画館(邦画)] 7点(2010-06-02 12:08:01)
138.  パパは、出張中! 《ネタバレ》 
そのパパは決して前向きの反体制闘士ではなく、ちょっとダラシのない普通のパパ、隣人としての庶民の代表。そこに夢遊病を絡めたことで味わいが深まっている。隣りの女の子が死んじゃう場面なんか、「ちくしょう、こんな仕掛けで泣いてたまるか」とは思っても泣けてしまった、これには「夢遊病」も効いてるんじゃないか。吐く息も白い道を犬と歩いて、女の子の家に行っちゃうとこ。そのまま女の子のベッドの脇に入っちゃう。それを見守るドクター(女の子の父)の気持ちがしみじみと伝わってくる。この子が年ごろになるまでに死んでしまうのかあ、といった感慨。そういう庶民のドラマがあるのでテーマが生きてくる。政治向きの題材扱うと、日本では目を吊り上げて取り組むけど、外国ではこうユトリをもって扱ったりする。なんか日本では「取り組んでる」ってことを主張したいみたいのが多く、かえってあちらの映画のほうが、より題材を咀嚼していた忍耐の長い時間の経過が感じられて、厳しい印象。
[映画館(字幕)] 7点(2010-05-14 12:00:40)
139.  ゆきゆきて、神軍 《ネタバレ》 
奥崎さん見ているとやっぱ、迷惑な人、という印象が一番先に来る。奥崎さんよりも、押しかけられた家のほうに気持ちが行っちゃう。すぐ殴るし。奥崎さんて、話し合うわけじゃなく、自分の「正義」の物差ししか持ってない人だから、そもそも対話にならない。自分の信念を開陳するだけ。吉田伍長の話をもうちょっと聞きたいな、と思っても、すぐ奥崎さんが割り込んできて、興奮して、ああヤバいな、と思ってると蹴り出す。困ったもんです。一家の小さな平和を守りたい、という押しかけられた側の家族の気持ちのほうに共感しちゃう。「大義」の前に犠牲にされていったかつての日本の家族の縮図にも見えてきて、奥崎さんってあの皇軍の神髄を保存してるんじゃないか、と思えてくる。「正義」のためにはすべて許される、という発想が、敗戦の価値観の転換を越えてもまだ生き続けている気色悪さ、そこにこの映画の一番の手応えを感じた。脇の人の方が興味深く、平気でニセ遺族を演じる奥さんなんか、この人だけで一本のドキュメンタリーを作ってほしいと思ったほど。料理店やってる元衛生兵、日本兵「は」食べなかった、と言う人。あんな凄いことを、声も低めずヒョロッと言ってしまう。あの時代と今とで切り替えがきちんと出来ている。人間の精神というものの強靭さを感じた。いろんなことを考えさせられた映画ではあるが、あきらかにカメラの存在が奥崎さんを煽っており、ドキュメンタリーの手法としては一歩踏み外してしまっていると思った。
[映画館(邦画)] 7点(2010-04-23 12:03:07)(良:2票)
140.  ZOO(1985)
カメラのスムーズな移行は、撮影がアラン・レネと組んでいた人と知って納得。シンメトリーを生かした典雅な世界と腐敗撮影がベースになる。のちのこの監督の美意識と悪趣味がすでに揃っている。音楽ナイマンのバロック風コード進行も。今思い出せるのは、やはり悪趣味の方。死骸腐敗の微速度撮影がこの映画の要。リンゴ→エビ→エンゼルフィッシュ→ワニ→白鳥→(犬)→シマウマと進化していく。ワニが皮膚が大きな分いちばん面白かった。ワニ皮は丈夫だから、内側に溜まった腐敗ガスによって荒く呼吸するようにベコボコ腹が動いてから破けるの。シマウマも壮観だった。ウジ虫が腐っていく皮膚の上を運河のように流れまわる。死の厳粛と微速度撮影の滑稽。悪趣味の極まり。平安時代の日本でも、死体が腐っていくところを観想する絵がよく描かれていて、あれも厳粛な仏教思想が主でありながら、絵師にはちょっと悪趣味の楽しみもあったってことはないかな。この「腐敗」のモチーフと「進化」のモチーフが絡んでいるようで、もう一つはっきりしないところがもどかしい。妻の死体の腐敗を想像するところからスタートするわけで、その時間と胎児が育つ時間とが重なるところに、何か循環するものを感じさせたいよう。ラストのかたつむりのベトベト感も相当なものだった。
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-31 12:07:34)
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