1. 南京!南京!
非常に優れた戦争映画であり、また南京虐殺という(日中国民にとっては特別な意味を持つ)史実を扱った作品としても突出していると思う。冒頭では南京城から逃げ出そうとする中国兵士とそれを阻止しようとする中国(国民党)兵士の衝突が描かれ、(日本人と中国人の戦いが描かれるのであろうという)観客の予想を裏切ってくる。戦闘シーン(この作品ではそれほど多いわけではない)の描き方も派手ではないが非常にリアルだ。当時の武器や兵器に詳しいわけではないが、かなり忠実に再現したのではないだろうか。またこの映画についての情報でよく言われたことだが、日本兵の描き方が、同種の中国映画にありがちな「日本鬼子」的ではなく、非常に「人間的」に描かれている点もこの作品の質を高めている。戦友たちと無邪気に笑い合い、時に現地の子供に優しさをも示す、「普通の人間」すなわち、戦争がなければ市井の庶民として穏やかに暮らしていたであろう兵士たちが、なぜ残虐な行為に手を染めたか、という部分に焦点を当てている。また中国人側の描き方も非常に良かった。怒り・悲しみ・絶望の(そして、多くはないが喜びや希望の)表情が、主要キャストだけでなくエキストラに近い登場人物たちに満ち溢れているが、ともすれば扇情的になりがちな話をモノクロの画面で抑制的に描くことでよりいっそう胸に残るものになっている。この作品が世界各国で高い評価を受けたのは、単に南京事件というエキセントリックな題材だからではなく、それを通じて「人間(特に英題にもある、人間の“生と死”)」が描かれており、ゆえに一史実の映画という枠を超えた普遍性を獲得したからだと思う。■ちなみに自分はこの作品を有志による上映会で観ることが出来たが、今の所日本での劇場公開の予定はない。南京事件絡みの映画では、過去にスクリーン切り裂き事件なども起こっており、配給会社が躊躇するのも無理はないようにも思えるが、残念でならない。日本人として、過去の汚点から目を逸らすべきではないべきではない、というのもあるが、同時にこのような素晴らしい作品が国内で観ることが出来ない、というのは大きな「損失」と思うから。■<付記>これは直接映画とは関係ないが、日本では南京事件(南京大虐殺)について「中国(連合国)の捏造」とか「二十万人しかいない都市で三十万人も殺せるはずがない」といった否定論がネットなどでも溢れている。南京事件(あるいは南京事件否定論)自体について関心を持たれた方は、非常に優れたサイト(「南京事件-日中戦争・小さな資料集」http://www.geocities.jp/yu77799/)があるので、参照して頂きたい。 [映画館(邦画)] 10点(2011-08-28 12:39:17) |
2. パッチギ! LOVE&PEACE
《ネタバレ》 今思うと、前作「パッチギ!」は(井筒作品としては例外的と言えるほど)ウェルメイドな作品だった。だからこそ井筒作品に触れたことのなかった観客にも受け入れられた。それゆえ今回の作品に同様のものを(意識的・無意識的に)期待した観客の中には期待や予想を裏切られ、失望した人もいると思う。かく言う自分も最初に観た時は唖然とした。前作以上に映画に盛られたいわゆる社会的・思想的要素。露骨に、赤裸々に「差別」が語られる(余談だが、ここまで差別を正面から扱った邦画は、皆無とは言わないまでもそれほど多くはない。アメリカ映画では珍しくないのだが、邦画の枠で考えると突出して見えるのかもしれない)。そして、多くの要素―朝鮮人差別や戦争、芸能界、家族、孤独、絶望、そして「難病モノ(!)」―がこれでもかとばかりにブチ込まれていることもあり、前作と比較すると物語や整合性が破綻しているし、混乱しているとさえ言える(ネタバレになるが一例を挙げれば、結局難病の子供は死ぬ訳でもなく治る訳でもない。つまり何らかの分かり易い決着もなく、「投げられっぱなし」なのだ)。■井筒はなぜ、前作以上に予算も公開規模も増え、また観客の期待も上がった作品でこのような「暴投」をしたのか。たぶん、彼が本当に喧嘩を売っているのは石原慎太郎などではなく前作に“安住”する「観客」に対してなのだ。前述した様々な要素を「どやねん!」とばかりに無造作に、ぶっきらぼうに提示し、挑発する(まるで「怒劇」の森崎東のように)。インタビューで彼は「日本の歴史」やら「家族の絆」やらテーマめいたものを語っているが、本当に言いたかったことはそんな言葉で語れるものではない(言葉で語れるものを表現するなら、映画なんぞ撮る必要はない。「ゲルニカ」が単に「反戦」を訴えたいだけのものなら、ピカソは「戦争反対!」と描けば良かったのだ)。彼は「日本の歴史」「家族の絆」「差別の実態」といった言葉では表現できないもの(或いはそれら全てを含んだもの)、映画でしか表現し得ないものを「映画的」としか言いようがないやり方であぶり出し、さらけ出そうとした。この作品で「思想」や「メッセージ」はあくまで表層的なものでしかない。■この作品は「読む」映画ではなく「観る」映画。つまり本当の「映画」。誰が何と言おうと断然支持します。 [映画館(邦画)] 10点(2007-05-24 16:42:13)(良:4票) |
3. 硫黄島からの手紙
予告編を観て「これってひょっとして“右”っぽい作品なんだろうか?」と懸念を抱いていたのだが、観てみたらなんかもぉ、そーゆーのは吹っ飛んでしまった。確かにそういう文脈で捉える事も可能なのだけれど、例えば「パッチギ!」が(しつこくてゴメン)単なる“左”映画でないのと全く同じ意味でこれは“右”ではない。ってか、右とか左とかこだわってるのがバカバカしくなる。この作品は決して戦争を美化するものではなく、(狭い意味での)“愛国心”を鼓舞する類の作品でもない。もし自分があの時代、あの戦場に兵士の一人として存在していたらどうだったろう?劣悪な環境、死はほぼ確実、逃げ場はない―いやがおうにも「死」を意識せざるを得ない。どうやって残り少ない「生」を生きるか、どうすれば自分という存在、行動に意義や価値が見出せるか、ぶっちゃけ、どうすれば「納得の出来る死」を迎えることが出来るか(そういう意味でこの作品は、例えば「死ぬまでにしたい10のこと」のような「不治の病モノ」にも通じるものがあるかもしれない)・・・そんな極限状態でそれぞれが「祖国のため」、「天皇陛下の御為」、或いは「家族のため」といった「想い」を内に秘め(勿論「生きて虜囚の辱めを受けず」と自死を選ぶ者もいる。ああいう状況では、「死」はむしろ甘美なものだったかもしれない、とすら思う)、精一杯生きようとする。・・・何か文が支離滅裂になってきた。正直、まだ自分はこの作品を「映画」として冷静に捉えることが出来てない。自分にとってこの作品は「体験」でした。 [映画館(字幕)] 10点(2006-12-22 17:51:09) |
4. フラガール
すまん。観る前、実はナメてた。この映画も、常磐ハワイアンセンターも。↓で二人の方が「パッチギ!」の名前を出しているが、確かにこれは「パッチギ!」的映画(というと異論のある方もおられるかもしれないけど、んじゃあ「ゲロッパ!」的映画と言い換えても可。「腰がぐり~んちゅうねん」つながりで)。それは何もこの映画がシネカノン配給で、脚本の羽原大介はじめ「パッチギ!」絡みのスタッフ(特に擬斗担当の秋永政之を見落としてはならないだろう)が参加しているから、というだけでは決してない。明るいとは言えない過去を背負って東京からやって来たプロのダンサー、現状を打破せんが為ダンサーを志望する女性たち、そして炭鉱町で生まれ育ち、誇りを持つがゆえに時代の変化を容認出来ない炭鉱の労働者たち、それぞれがそれぞれの生きてきた背景、のっぴきならない立場から、互いに対立し、時に激しく罵り、あるいは怒りを込めて相手をぶん殴る。そしてそれぞれが心の底から笑い、泣き、怒り、そしてまた、泣き、笑う。その、むき出しの感情表現が素晴らしい。また、これも他の方が指摘されているが、個々の役者の演技が良い。決して客寄せとしてテレビから引っ張ってこられた「タレント」ではなく、しっかりコメディエンヌであったしずちゃんこと山崎静代、まるで沢尻エリカのキョンジャの如く、一昔前の田舎娘になり切っている蒼井優、二枚目なのに真顔で笑いを誘うという稀有の才能を持った豊川悦司、それまでの人生の重みを感じさせる存在感の富司純子、何故か椰子の木に異常なまでの愛情を注ぐ三宅弘城・・・挙げればキリがないが、主役級も脇役も、それぞれが人間の可笑しさと哀しさ、切なさを見事に体現している。そして、嗚呼、クライマックスのダンスシーンの高揚感、躍動感は、まるで「フレンチ・カンカン」ではないか。これは、「生きる歓び」に満ち溢れた、極上のエンタテインメントだ、と断言しよう。しちゃうんだから。 [映画館(邦画)] 10点(2006-10-01 13:23:06)(良:2票) |
5. ゲド戦記
元々70年代に三部作として一旦完結した「ゲド戦記」の第四部「帰還」が91年に、更にその続編「アースシーの嵐」が01年に出版された。原作者ル=グウィンはそこで、元の三部作で構築した価値観を相対化・解体し、新たにジェンダーの問題や男性原理としての知の体系に対する疑問を提示した。言い換えれば、従来完結していた「ゲド戦記」の世界観をあえて揺さぶり破綻させた(そのため多くのファンを驚かせ、戸惑わせた)。ル=グウィンはなぜそのような、自らの実績を破壊しかねない無謀な試みをしたのか?一言で言えば、彼女が「ゲド戦記」を単なる現実逃避としてのファンタジーではなく、常に移ろう「現在」を映し出す鏡と捉えていたからだと思う。■さて、その映画化作品である本作は第三部「さいはての島へ」をベースにしつつも、単に筋を忠実になぞるのではなく、一度原作(第一部~五部と「外伝」)を解体した上で再構築している。第一部「影との戦い」で本来少年時代のゲドが演じた「自らの心の闇と格闘し、やがてそれを受け入れる」という役割をアレンに託し、更に彼に「父を殺め、死に怯えるあまり生を実感できずにいる」という設定を加える事で、本作をより現代的に発展させた(付け加えるなら、ゲドの仇敵クモは「成熟できずに肥大化した自我」という、これも現代的な問題の象徴かもしれない)。■つまり何が言いたいのかというと、この作品が「原作には忠実ではないが、原作者の真意には極めて忠実な映画」だということ。■更に本作をアニメ作品として捉えた時、そこには父・宮崎駿の存在がハッキリと見て取れる。テルーの演じた「健気で勇敢なヒロイン」という役割はかつての宮崎アニメには不可欠だったし、アレンとテルーが手を取り合って敵に立ち向かう姿は「ラピュタ」を想起させる。更に「生きることの意味」への問いかけ、という文脈で見るならば「もののけ姫」のテーマを継承しているとも言えるだろう(もちろん「エヴァンゲリオン」の影響も見逃せないが)。■嘲笑されることを承知であえて端的に言うならば「宮崎吾朗は宮崎駿ではなく、しかし宮崎駿の息子である」ということなのだと思う。■決して「傑作中の傑作」であるとは言えない。世界観の広がりのなさなど、欠点も指摘できる。しかしながら「偉大な監督の息子である」というプレッシャーがありながら監督を引き受け、作品を完成させたその勇気と決断に敬意を表したい。 [映画館(邦画)] 10点(2006-08-02 15:13:11)(良:8票) |
6. 鴛鴦歌合戦
可愛い。歌声の音程が絶妙な市川春代が可愛い。まるでいたずらっ子のように微笑む片岡千恵蔵が可愛い。純情な一人娘をからかう志村喬が可愛い。歌唱力は高いが台詞が微妙に棒読みのディック・ミネも可愛い。勿論お春のライバルの娘たちも可愛いし、脇役の一人一人も、いや道八茶碗から麦焦がしに至るまで、みぃーんなみぃーんな、可愛い。豪快なまでのハッピーエンド、ニコニコのハッピーエンド、最後は主役も脇役もカタキ役も一列に並んで大合唱。ご都合主義と笑うなかれ、これぞ映画、夢の映画。くたばれ、ニヒリズム。糞喰らえ、ペシミズム。みんなさ、つまんないことであくせくせずに、朗らかに歌って踊っちゃえば良いじゃ~ん、♪浮か~れてっしゃな~りと♪って、ね。 [DVD(邦画)] 10点(2006-05-21 20:07:24)(良:2票) |
7. アモス&アンドリュー
僕の、ニコラス・ケイジ狂の姉にたまたまビデオを借りてみたのだけれど、いやー、久々の個人的ヒット作。作りとしては時間も短めだしロケ地も限定されていて、多分低予算の作品なんだと思うけれど、こういう風刺モノ結構好きなんすよ。それぞれの登場人物(主役の二人をはじめ、エセ良識派の弁護士夫婦、選挙が近いために体面を気にする警察署長、或いは実録警察モノのテレビの見すぎだろお前、と言いたくなるようなマヌケな警察官などなど)の誤解や思惑が絡まって事件がどんどん大ごとになっていく過程が、まず面白い。そんな中、おそらくは貧しい白人家庭の出身であるコソ泥のアモス(N・ケイジ)と、比較的裕福な家庭に育ち、今は作家としての名声を得ているアンドリュー(S・L・ジャクソン)が、対立しながらも徐々にお互いを認め合い、距離を縮めていく様も爽やかで、特に後半、互いにブチ切れ合った二人が、「人質=ニセ強盗」という関係を超え、素手で殴り合う所なんざぁ、何とも「パッチギ的」で素敵じゃあーりませんか。そしてコメディ映画としての演出も良くて、気の利いた台詞のやり取りや細かなしぐさ(特にワンちゃんの演技に注目!)なんかは、何となくキャプラを思わせないでもない。てか、あのラストの清々しさを観ると「きっとE・マックス・フライという人はキャプラ大好きなんだろうなー」と思える。久々に心から笑える映画だったし、もうちょっと多くの方に観て頂きたい作品でもあるし、久々の投稿でもあるので、えーい、持ってけ満点! [ビデオ(字幕)] 10点(2005-09-18 22:11:41) |
8. チャップリンの独裁者
こんな事言うと誤解されちゃいそうだけど、チャップリンはホントはこんな映画作りたくなかったんじゃないかと思う。もしナチスの台頭→第二次世界大戦という歴史の悲劇がなければ、彼は多分この作品や「殺人狂時代」は撮らずに、ずっと涙と笑いで溢れた呑気で素敵な作品だけを作り続けた筈だ。この、映画史上最も勇敢な作品によってチャップリンは英雄視(偶像視)されるようになったけれど、それは彼の本意ではなかったと思う。彼は立派な英雄になんてなりたくはなかった。ただ単に彼の愛するもの―ささやかな平和や人々の笑顔―を守りたかっただけなんじゃないだろうか。「独裁者」というとどうしてもナチスに対する風刺やラストの「世紀の六分間」の事ばかり大きく取り上げられ過ぎて、ともすれば他の場面はどうでも良いかの様に思われがちだ。しかし、例えばヒンケルの一時的なユダヤ人迫害緩和政策によって訪れた束の間の平和のある日、床屋とアンナとの初デートを皆が祝福しているシーン。アンナに「彼の様子を見て来て」と言われた女の子が仕事中の床屋を見に行って、アンナに叫ぶ。「まだ、はげあたまをみがいてるわよ!」。僕はこの作品の、こんな何気ないシーンも大好きだ。そもそもチャップリンが好んで描いたのは、偉人でも英雄でもない、しかし善良で愛すべき市井の人々ではなかったか。冷静に「映画」としての出来を見れば、この作品は特に優れているとは言えない。何人の方が指摘されているように全体的なバランスが悪いように思う。しかしそれは、彼の「止むに止まれぬ衝動」によって生まれた「作らざるを得なかった」作品だからだ。僕はチャップリンも、この作品も大好きだ。でもそれは決して彼が英雄だからでも「喜劇王」だからでもない。彼の数々の映画が、僕のようなボンクラにも「夢を見ることの大切さ」を(少し恥ずかしそうな笑顔で)語りかけてくれるからだ。 [ビデオ(字幕)] 10点(2005-08-15 16:08:51)(良:6票) |
9. 赤目四十八瀧心中未遂
《ネタバレ》 やばい、やばい、やばい・・・観てる途中からずっとこの言葉が頭の中を鳴り響く。何故ならば、主人公の自称「甲斐性なし」生島に、自分がすっかり感情移入してしまっていたから。多分もしああいう場所・ああいう状況で寺島しのぶに誘われたら自分もフラフラとついて行ってしまうだろう。彼女と昼夜を問わずまぐわい、貯金通帳も有り金も全部渡してしまうけれど、結局一緒に死ぬことも、彼女の手を取ってどこか遠くへ逃げることも出来ず、だらしなく下駄を足に引っ掛け、無様に彼女を見送ることしか出来ないだろう・・・痛い、痛い、痛い。男は死にながら生き、女は死を見据えながら生きる。これは男の(いや、そーゆー物言いは逃げだな、敢えて言うけど「俺の」だ)弱さ、情けなさ、そして甘えを容赦無くあぶり出し、見せしめにし、断罪する作品。てか、面白いとかどうとか言う前に、人物も、描かれる風景も、音楽も、エンディングのキャスト・スタッフクレジットに至るまでの画面からほとばしる全てのモノの質量・密度が、そこらの映画とはケタ外れ。まるでブラックホール。僕は映画賞、特に日本国内のそれをあまり信用していないのだが、この作品が数々の賞を受賞しているという事は、まだまだそんなに捨てたものじゃないのかもしれないと思う。それにしても荒戸源次郎、名前もごついが撮る映画もごつい。 [DVD(字幕)] 10点(2005-05-03 18:02:35)(良:2票) |
10. トラック野郎 故郷特急便
いやっほう!祝「トラック野郎」シリーズ十作目!!し、しかも今回はマドンナが二人!!!こ、これはまるで、スペシャル二輪車プ・・・・・・あ、いや、何でもないです(汗)。それはともかく、今回もシュールなまでの強引な展開!桃さんはいきなりヒロイン森下愛子の家に上がりこんで寝たきりのお母さんに話しかけるし、ヘンな外国人は唐突に出てくるし、ライバル役の原田大二郎はこの頃から「自分が何かズレてる」事を自覚してるし(笑)。しかも今回の喧嘩(舞台はクリスマスのキャバレー)は久々にド派手でバカバカしくて熱くて、最高!勿論泣かせる所は泣かせまっせ~!桃さんがドサ回りの演歌歌手石川さゆりに贈る自作の歌「結花に笹げるバーラド」、そーなのよ、愛の前には音楽的教養なんてどーでもいーのよ!・・・と思わず盛り上がってしまいます。本作の単品としての評価は8点位なのですが、今まで僕に男としての生き方(「男の喧嘩はコミュニケーション、まずは殴り合って、そんで握手だあ!」「惚れた女の為なら命を張れ!」「いざというときは一致団結!それがトラック野郎の心意気!」「ネズミ捕りには気をつけろ!」などなど)を教えてくれた「トラック野郎」シリーズ(もしこのシリーズを観ていなかったら「パッチギ!」の素晴らしさだって十分には感じ取ることが出来なかったかもしれないのだ)全作に対して、感謝と尊敬の念を込めて10点満点を贈ります!ありがとう、桃さん!ありがとう、鈴木則文!!ありがとう、「トラック野郎」~~~~~~!!! 10点(2005-02-17 21:46:00) |
11. パッチギ!
《ネタバレ》 やられた!やられたチギよ、井筒監督!年初めからこんな素晴らしい青春映画を見せてくれるなんて!もーワタクシはアンタについて行くッチギ!でも実は、結構不安もあったチギ。個人的に井筒作品の中でもケンカ青春モノ(「ガキ帝国」と「岸和田少年愚連隊」)は苦手だったし、ひょっとして「スパイ・ゾルゲ」みたいな妙に啓蒙臭い、説明的な映画だったらどうしよう、と思ってたのだけど、そんなのは全くの杞憂だったチギ。確かに日朝の歴史とかに関して説明的な台詞もあったりしたけど、チッチッチ、そんなアラ探しをしていては本質は見えないチギよ。これは何よりもまず、あっつーい、ぬくーい青春映画であり、恋愛映画なのだチギ。恋を阻む障害を前にした若者が悩み、傷つき、壁を乗り越えようと奮闘する・・・その姿はいつの時代、どこの場所でもある普遍的なテーマだし、この作品はたまたま在日朝鮮人の少女に恋をした高校生の話だったというだけの事。そしてこの映画では沢山ケンカのシーンが出てくるけど、このケンカは往年の名作「トラック野郎」シリーズと同じく、決してただの「暴力」ではなく(その証拠?に鉄棒とかも使ってるけど決して頭は殴ってない)、「祭り」であり「コミュニケーション」であり「生きている証」なのだチギ。だからこそ何度も出てくる頭突き(パッチギ)や飛び蹴りが爽快で感動的で泣けるチギ。若手の俳優の演技もやたら熱いし(特に朝鮮高校の番長役の高岡蒼佑が主役を食う勢いで素晴らしい)、クライマックスシーンも大いに泣けるチギ。そうそう、これは他の井筒作品にも言える事だけど、この作品には絶対的な悪人が登場しないチギ。井筒監督は主役たちだけでなく、例えば朝鮮高校を目の敵にするいかにも体育会系右翼みたいな空手部大西も、或いは毛沢東かぶれのダメ教師も、後に学生運動に傾倒していく主人公の友人もそれぞれ愛情のある描き方をしてるチギ。登場人物たちの未来を暗示するラストに込められていたもの、それは「みんなそれぞれ考え方も違うから、生き方も違うし、時にはぶつかり合ったりもするやろ。でもそれぞれが、それぞれなりに精一杯生きていこうや。そりゃ生きてく中で色んな困難もあるわなあ。そーゆー時はな、パッチギかましたれ!」という力強ーいメッセージ、すなわち「生」に対する強烈な「イエス!」なのだ。おっしゃあ、俺も行くぜ、パッチギるぜ! 10点(2005-01-23 19:01:26)(良:11票) |
12. シュウシュウの季節
個人的には最近観た「モンスター」以上に痛くて、痛くて、痛い作品。もう中盤以降は心臓をギュッと掴まれて、息をするのも苦しくなって、気張ってないと魂を持ってかれてしまいそうだった。文革中の中国を舞台にしているという事で政治的・社会的な要素の強い作品かと思っていたけれど、僕にはこれはいつの時代・どこの時代でもありうる(たとえば戦後まもなくの日本での街娼と傷痍軍人、という設定でも成り立つと思う)「報われない片思いの悲劇」のように思えた。無垢な少女シュウシュウがあまりにも無残な形で「女」に「成長」させられていく中、シュウシュウに密かに想いを寄せつつも、社会的な力もなく、また男性として彼女と結ばれることも叶わず、ただ見守ることしか出来ない老金のやるせなさが、痛いほど伝わる。そしてあの、溝口を思わせるような、ある種幻想的なラストシーンは息をするのも忘れそうだった。正直、こういう話は本来の好みではないのだけれど、映像・カメラの動き・役者の演技など、どれをとってもいちいち素晴らし過ぎる(音楽は少しセンチメンタルすぎる気がしたけれど、全体に比べたら大したことではない)作品。誰にでも勧められる作品ではありませんが「映画」が好きな方は是非観てください。 10点(2004-12-15 22:07:35) |
13. 陽気な踊り子
かつて、かのチャップリンは「滑稽さの裏には哀しみがあり、哀しみの根底には残酷さがある。そしてそれを乗り越えるのが、笑いなのだ」と語ったという・・・・・・嘘です、さっき考えました、スミマセン。でも自分で言うのもなんですが、ちょっとホントの名言っぽいでしょ(笑)?実はこの作品を観た後、そんな事を考えました。↓で【あまみ】さんが丁寧な解説を書いてらっしゃいますが、田舎の劇団の健気さ=哀しさとブロードウェイ(都会)の人間の残酷さが見事に対比されていて、単なる「コメディ」の枠を超えていると思います。しかもサイレントということで、細かいしぐさによる表現が秀逸!ドン(ハリー)がラブシーンのオーディションを受けるくだりでのジンジャーとの腕の攻防(?)も笑えるし、ラストの敢えてジンジャーの足だけを撮ったやり方なんかはとてもオシャレです。それにしてもキャプラのサイレント時代の作品がDVDで観られるなんて、いい時代になったもんだ。チャップリンが好きな人にもお勧めです。(9点)<2005.5.26追記>昨日もっかい観ました。最初に観た時は「普通に良い映画」だと思ってたけど、これ実は、凄い映画かも。何つうか、人間の根源的な部分をさりげなく描いてるというか、だからこそ無性にいとおしいというか切ないというか・・・。とにかくベッシー・ラヴ嬢がスカートふりふりさせながら時に怒ったり、笑ったり、泣いたりしてるのを観るだけで幸せ~な気分になれます。出来るだけ沢山の方に観て頂きたいけど(ちなみに僕は近所のツタヤで借りました。多分リクエスト出せば入れて貰えるんじゃないかな)、特に「シベ超」やエド・ウッド(本人の作品でもティム・バートン作の方でも)をこよなく愛する方々に観て頂きたい作品です。 [DVD(字幕)] 10点(2004-10-29 18:58:32)(良:2票) |
14. ジョゼと虎と魚たち(2003)
《ネタバレ》 ごめん、俺この映画好き過ぎて、いつもみたいにはよぉ語られへん(だから今回は「ゲロッパ!」以来の擬似関西弁。【なにわ君】さん、文体パクってすんません)。何かなぁ、よく映画の登場人物に感情移入しすぎてなり切っちゃうのってよくあるやん?「ロッキー」とかブルース・リーの映画とか。んでな、俺この映画見終わった後、まるで自分が常夫になってジョゼと永遠のお別れをしたような気持ちンなって、しばーらくの間ごっつ哀しくて切ない気持ちだったんよ(笑てもええよ)。あのラストの「ドサッ」と、くるりのエンディング・テーマ、思い出すだけで泣けてきて・・・何やろね、俺そんな恋愛経験豊富じゃないけど、あの映画で描かれてる男の身勝手さ、ずるさ、情けなさがごっつ身に沁みた。ジョゼは強いよなー、ほんで男は弱いよなー。前、渋谷陽一がラジオでジャニス・ジョプリンの「クライ・ベイビー」をかける時「男は恋愛では絶対女に勝てない。何故なら恋愛に関して男はアマチュアで女はプロで、アマチュアはプロに絶対勝てないから」と言ってたけど、ホンマそうかもしれん。あ、あと映画に関してもう一個だけ。この映画、ヌードやベッドシーンがいらんっていう意見が結構あるけど、俺はあれ、必要やったと思う。基本的にこの映画、ある種ファンタジーっぽいとこもあるから、ちゃんと「性」に関して描かないと、地に足の着いてない絵空事みたくなって、説得力減ったんと違うかな。初めてジョゼと常夫が結ばれるシーンで、夕焼けの中ジョゼが布団を敷く所とか、凄く生々しくてドキッとさせられたし。説得力といえば、あのジョゼの住んでたトタン住宅とか、近所の幼い姉妹とかも、やけに生活感があってリアルに思えたな・・・あれ、俺「よぉ語られへん」とか言うときながら、結局語っとるやん。やっぱ、一生野暮天なんやろなぁ。野暮ついでに最後に一言、これ、ひょっとして若い人よりもある程度年いってはる人のほうがグッと来るかも知れん。「取り戻せない、かけがえのない日々」の映画だから。あーでも痛い失恋してまだ立ち直ってない人にはキツすぎるかもな。<追記>その後、原作も読んだんやけど、映画化に際して原作の雰囲気を損なわずに物語を再構築した脚本に改めて感服。脚本の渡辺あやさんは、この作品が実質的デビュー作らしい。犬童監督とは作風が合っていると思うので、今後も二人のコラボ作品を観てみたいです。 10点(2004-09-03 18:18:14)(良:4票) |
15. 華氏911
マイケル・ムーアという人はドキュメンタリー作家というより寧ろ、既成の素材を編集して独自の解釈を示すコラージュ的手法(戦場の悲惨な現実の後に政治家のコメントを挿入したりするのが良い例)、あるいはヒップホップにおけるサンプリングに良く似た手法に秀でた作家だと思う。この作品で扱われている映像は、確かに「事実」の断片ではあるが、あくまでムーアの「解釈」が介在しており、全体的な「事実」とは言えない。例えば同様の手法を用いて(あまり良い喩えではないが)「夜の渋谷をたむろする女子高校生はほとんどが売春している」とか「北朝鮮は喜びと幸せに満ちた、素晴らしい国だ」というような「ドキュメンタリー」も(理屈の上では)作ろうと思えば作れる。だからこの作品で提示される「事実」とマイケル・ムーアの「解釈」を鵜呑みにして「アメリカひでー!ファックブッシュ!」というのはあまりに安易で危険だ、と僕も思う。 駄菓子華氏!そういう点を差っ引いてこの作品を観ても、その「事実の断片」に現れているあまりにグロテスクな現実―イラク復興を完全に「ビジネス」と捉えている企業家の発言や、「ムーアの強引なこじつけ」というには余りにもキナ臭い、ブッシュ一族とサウジ王家のつながり等々―に衝撃を受けずにはおれない。僕は日本で出版されているマイケル・ムーアの著書は全て読んでいるし、その中で書かれている事も映画に数多く登場したが、やはり文章で読むのと映像を観るのとでは、感情に訴えかけるインパクトが全く違う。 また本作はブッシュ叩きの作品というよりも、寧ろ非常にエモーショナルで即効性のある反戦映画として秀でていると思う。被害にあった一般イラク人の悲痛な叫び、米兵の率直な物言い、また彼らの感情が次第に壊れていく過程は、どんな軍事評論家の論説よりも戦争の悲惨さを物語っている。ニール・ヤングのエンディングテーマも非常に効果的で、例えばボブ・マーリィの「立ち上がれ、自らの権利の為に。闘いを投げ出すな」というメッセージが聴く者を高揚させ、奮い立たせるのと同様、観る者の心を強く揺さぶる。その結果、(アメリカ国民なら)ブッシュ以外に投票するか、あるいはもっと積極的に反ブッシュキャンペーンや反戦運動に関わるか、事実をより知るべく様々な本を読むか、また「果たして自分には何ができるのか」と考えるか。それはあくまで各々の観客に委ねられているのだと思う。 10点(2004-09-01 20:26:54)(良:4票) |
16. ミトン
おぐるです。はるか北の国から届いた、とっても素敵な贈り物。「チェブラーシカ」のロマン・カチャーノフの最高傑作「ミトン」。たった10分間の中に、優しさと懐かしさと、温かさと切なさがぎゅうっと詰まった珠玉のファンタジー。あなたはもう、ご覧になりましたか?え、まだ観てない?観なさい、す~ぐ観なさい!私に騙されなさい騙されちゃいなさい!寂しいあなたも、心が乾きかけのあなたも、変わらぬ日常にウンザリしているあなたも、やさぐれ気味なあなたも、愛されたいと願っているパパも、融通の利かないママも、いい加減独裁者やってるのが嫌になっちゃった北の貴方も、ウソとゴマカシがばれてビクビクしながら大統領やってるアンタも、観なさい!必要ならワイパーもつけなさい! 10点(2004-07-24 18:35:13)(笑:1票) (良:1票) |
17. ビッグ・フィッシュ
映画を語る時、あまりに過剰・大仰な修飾語を使うのはどうかと思うのだが、そこを敢えて言わせて頂くならば、本作はある意味「究極の」ファンタジー映画だ。なぜならこの作品には「ファンタジーとは何か?」という本質的な(かつ、おそらくティム・バートン監督にとっては切実な)事柄が端的に表現されているからだ。ファンタジーとは決して幼稚な妄想でもなければ、脆弱な現実逃避でもない。少なくとも本作の主人公エドワード・ブルームにとってそれは世界観であり生き方であり、すなわち故・ジョー・ストラマーが「パンクは姿勢だ」と発言したのと同じ意味で「姿勢」、すなわち「事実」を超えた「真実」なのだ・・・・・・え、何言ってっか分かんない?うん、実は僕も言ってて良く分かんなくなってきた(笑)。とにかくさあ、良い映画ってことだよ、要は!うんとねえ、前半の回想のシーンがあまりにトンデモなくて目まぐるしいから、そこで引いちゃう人もいっかもしんないけどね、あの辺は余計なことはゴチャゴチャ考えず、画面に出てくるありのままを無心で受け取る事!そしたら分かる!分かったら四の五の言わずに映画館にGO! 10点(2004-05-16 21:14:24)(良:3票) |
18. 犬死にせしもの
作品をすべて観た訳じゃないので断言は出来ないけれど、これは80年代の井筒作品の中では最高傑作ではないでしょうか?戦後まもなくの、食うか食われるかの時代だった日本を活き活きと描いた西村望の原作は、内容がしっかりしているというだけでなく井筒監督の作風に見事マッチしているし、西村晃・蟹江敬三といった魅力的な脇役・悪役がしっかりと物語を支えている。何といっても真田広之・佐藤浩市という、おそらく当時最もイキの良い俳優二人が演じる主人公の存在感が凄い。その二人と、井筒監督の人間臭い演出が幸福な出会いをした結果、監督が愛するアメリカンニューシネマの影響を感じさせながら、同時にムチャクチャ熱い青春映画が生まれた。僕はこの作品を観た後、しばらくぼうっとなって、何をする気にもなれませんでした。井筒作品を苦手とする人にも、これは胸を張って勧められます、マジで。追記:今井美樹のヌードは確かにあまり見応えはないけれど、船べりで座り小便するシーンを堂々と演じた彼女の「役者根性」はもっと評価されてしかるべきだと思う。 10点(2004-05-06 19:47:09) |
19. ゲロッパ!
《ネタバレ》 いやー、やられましたわ、井筒監督!よくぞこんな映画を撮ってくれはりました。そもそもね、ワテがいい年こいてから映画にハマりだした理由の一つに監督の「こちトラ自腹じゃ!」があったんですわ。いわば恩人なわけですから「こら応援せなアカン!」と思って観に行ったんですわ。ただね、観る前にちょっと心配してたトコもあったんです。「もし、ぬっる~い人情喜劇みたいなのだったらどないしょ」って。だって、ヤクザの親分と生き別れたその娘なんてシチュエイション、もうコッテコテやないですか。おまけにジェームス・ブラウンを誘拐!?どないなっとんねんっちゅう話ですわ。それが観てみたら・・・・・・確かに人情喜劇には違わないんですが、「ぬるい」ではなく「ぬくい」映画でしたね。「アンタ、貧乏性ちゃうか?」とツッコみたくなるくらいの小ギャグの連打、連打、そして登場人物の関西弁からにじみ出る「あたたかさ」、もう、これでもかッってくらいのパワフル&ハートフル!なんや知らん、下町のオバチャンが焼いてくれた具沢山のお好み焼き食べさしてもろて幸せーな気分になった感じ。特に西田敏行演じる親分がJB(のそっくりさん)の代わりにステージに上がるところ!泣けましたわー(ワテね、「アバウト・ア・ボーイ」なんかもそうなんですけど、こういう「大切な人のために勇気を出してステージに上がる」ってシチュエイションに弱いんですわ、ホンマ)。「ブルース・ブラザーズ」を思わすようなエンディングも素敵やしね。いや、ワタクシ事ですんませんけど、最近ワテ、映画観ながら頭ン中で屁理屈こね回してる事がようありましてな、それがごっつう嫌でしてん。この映画はそんな生意気なワテの頭をゴーーーーンって気持ち良うぶん殴ってくれましたわ。「なんっかむっつかしい映画もええけどな、人間何が一番大切かって、毎日笑って泣いてっていう、そういうことやん。もしこの映画観てアンタが元気になってくれたら、ごっつ嬉しいわ。ほな、明日からも頑張ってえな」って監督に言われているようで、めちゃ元気になりましたわ。ま、ひょっとしてあのオチに対して「そんなんあるわけないやん、都合良過ぎるわ」っていう人もいるかもしれません。そんな人にワテは言いたい。「・・・・・・ええやないか(微笑)」とにかく、これで大好きな日本映画がまた一つ増えましたわ。井筒監督、アンタには完敗!そして乾杯! 10点(2003-09-02 17:51:00)(良:2票) |
20. 黄昏に瞳やさしく
ルイ・マルに絶賛された「かぼちゃ大王」で注目を集めた女性監督フランチェスカ・アルキブジの作品・・・・・・なぁーんてことは後から知ったことで(ちなみに私は、ルイ・マルの作品を一本も観ていない)、たまたまTVで観たんですが、個人的に凄い衝撃でした。何が衝撃的かって「凄く良いのに、どこが良いのか自分でもわからない」という衝撃(笑)。何なんでしょうね、敢えて言えば作品の雰囲気とか感触が良かったのか、それともたまたま波長があったのか、未だに謎なんですが・・・。とりあえず、マストロヤンニ演じる老教授と自分がもう一人いると思い込んでいる(どれだけ知っている人がいるか分からないけど辻仁成の「ピアニシモ」状態)タヘレという女の子、そしてその母親(マストロヤンニからすると息子の嫁)の関係がユニークでした。それにしても、この監督って日本ではあんまり注目されてないんでしょうか?映画通の諸先輩の方々の意見を、ぜひ聞いてみたいです。 10点(2003-08-26 16:44:00) |